最初に会ったのは、桜が散り始めた頃。
悪態を浴びせる声と、必死に謝る声。
謝るのは入隊したばかりの兵。
静かだが、傷をしつこく突いてくる乱暴な声は、先月異動してきたという曹長の声。
その脇に何を考えているのかわからない、無表情の軍曹。
新兵教育を命じられたのはお互い初対面の二人。
曹長――ディア・ヴィオラセントは濃い赤茶色の髪と顔の傷痕が特徴の男性、
そして軍曹――アクト・ロストートは少し長めの金髪に綺麗な顔立ちで女性と間違えられそうな男性。
上官に呼び出されたときに初めて会い、まだ言葉もそんなに交わしていない。
お互いのことを全く知らない状態。
*Side D*
「ご苦労だったね」
上官の声を遠くに聞きながら隣にいる奴を見る。
軍服のおかげで間違えずに済んだが、顔は女に見える。
階級は俺より一つ下。それ以外のことはほとんどわからない。
紫色の瞳は焦点を上官以外の何かに合わせている。
「毎回初年兵は手がかかるからねぇ。今期は結構な実力者もいるようだが…」
上官の長い話は聞き流して、寮に戻ったら何をしようかなどを考える。
「特にあの…なんていったかな…君、覚えていないかい?」
君、と言われて意識をひとまず上官に戻す。しかし、言われたのは俺ではないようだ。
隣の金髪。
どんな答えを返すのか、少しだけ興味があった。
間抜けな答え方をしようものなら後でつついてやろうかと思っていた。
しかし、こいつは普通に答えを返していた。
いや、上官には普通の答えととることができなかったらしい。呆れて初めから話し始めた。
「今期の初年兵で特に有望なものをきいているんだよ。どうなんだね?」
「ですから、全員有望です」
声変わりが来たのか来ていないのかよくわからない、少年らしい声。
「比べるのは良くないですよ、上官殿」
実にはっきりとした答えに、上官は文句を言いながら俺たちを解放した。
*Side A*
「やるじゃねぇか」
むかつく上官の部屋を出た後、隣にいた背の高い奴が言った。
二十センチほど差があるようで、丁度おれは見下ろされる状態になる。
「何がですか?」
一応相手は一階級上なので敬語を使ってみる。面倒だけど。
「軍曹階級の奴が佐官レベルの上官サマに口答えすることが、さ」
口調からあの上官を馬鹿にしていることがわかる。
「別に…」
一番無難であろう答えを返しておく。
すると相手はにやりと笑って、攻撃姿勢に入った。
「俺だってお前の上官なんだがな。…それで、”別に”か?」
言葉には気をつけろ…という意味ではないらしい。
ただ、苛めてみたいようだ。
「別に”やって”ませんよ。…そういう意味ですが」
こうして挑発すれば、きっとさらに攻撃してくる。
そうすれば、こっちの勝ちだ。
「…んだと?」
ほら、乗ってきた。
突き飛ばすなり殴るなりしたらどうだ?
それとも別の方法で服従させようとする?
しかし、
「こっちはお前の相手してる暇はねぇんだ。じゃあな、軍曹サン」
期待はあっさりと裏切られた。
後姿が向こうへ消えていくのを見ながら、少し悔しくなる。
はっきり言って、屈辱だ。
どうにかして復讐しなければ、気がすまない。
それからことあるごとに二人での仕事(主に初年兵の教育)を任され、度々顔を合わせていた。
その度に同じようなやり取りが繰り返されるが、それ以上進展することはなかった。
*Side D*
アクトが一階級昇進したという一報を受けたのは、初めて会ってから一ヶ月近く経った日のことだった。
「よ、おめでとさん」
声を掛けたが、当の本人は笑いも照れもせず無表情でこちらを見てきた。
「一階級昇進ってことは俺と同じだな。宜しく」
「…そうだね。宜しく」
早速タメ口、らしい。
先に昇進した方が偉いってことにはなっているが、この辺は気にしなくてもいいだろう。
人をいたぶるのは楽しいが、こいつはいたぶり甲斐がないって事がわかっていた。
“やれるもんならやってみろ”というタイプかと思ったら、どうやら少し違うらしい。
強がりでもなく、自信があるのでもなく、
アクトは”苦痛”を求めていた。
ようするに、少し変わった”マゾヒスト”だった。
「早速仕事があるらしいし…そろそろ行くか?」
「嫌だ。面倒なことはそっちでやっといて」
今度は仕事を俺に押し付けやがった。顔に似合わず可愛くない奴。
*Side A*
一階級昇進を告げられてから、すぐにこいつはやってきた。
祝いの言葉に返事をせずに、そのまま通り過ぎようかとも思った。
でも、やめた。
「一階級昇進ってことは俺と同じだな。宜しく」
どうやらこいつは昇進してはいないらしい。
だったら、普通に会話しても何ら問題はないはずだ。
「…そうだね。宜しく」
先にその地位にいたから偉いとか、そんなことはどうでもいい。
寧ろそれで相手が逆上すれば、こっちの目的は達成できる。
…いや、逆上することはありえない。
どうやらおれは諦められているようだから。
他の兵に対してはしつこく攻撃して、場合によっては泣かせる事もある。
けれどおれにはそんなことはしない。ただ普通に言葉を交わすだけだ。
こいつ――ディアは、一風変わった”サディスト”なんだと思う。
仕事のことを言われたけれど面倒はごめんだったし、”もう一つの仕事”があったからそのまま伝えて資料室へ向かった。
資料室なんて普段は誰も入らない。新設された図書館の方が資料は多いし、新しい。
古い資料もほとんど移されているから、用事がある奴なんていない。
あるとすれば、内容は一つ。
「ロストート軍曹か?」
一つか二つ年上の、上官の声。
「曹長です」
「そういや昇進したんだっけか?大したもんだなぁ、オイ」
さっきとは違う声。奥にはもう何人かいるらしい。
「それじゃあ、始めようか…どうして欲しい?”マゾヒスト”」
軍に入ってからずっと、おれの”もう一つの仕事”は変わらない。
欲にまみれた”獣”の相手には、もうとっくに慣れていた。
*Side D*
「そこ、やる気あるのか?」
半ば八つ当たりのような感じで初年兵どもを怒鳴りつける。
必死に弁解して、ついには涙ぐんでしまうような奴ら。
その様子を見て、ふと浮かぶのがあいつの顔だ。
アクトは泣くんだろうか。
あの様子じゃ、とてもそうは見えない。
苦痛が快感になるような奴じゃ、きっと泣かない。
でも、もし泣かせることが出来たら。
助けを呼び、悲鳴をあげる、苦悩の表情が見れたなら。
狂った姿が見れたなら。
そこまで考えて、自分の馬鹿さ加減に気付く。
何故かあいつばかり気になる。
仕事を面倒だと言っていたが、今何をしているんだ。
仕事中の雑念に、左頬の傷が痛んだ。
*Side A*
人目につかないよう裏道を通り、余り使われていないトレーニングルームのシャワー室に向かう。
“獣”は自分が満足すれば良い。後のことなど考えない。
勿論、被虐対象のことなどはまったく頭にない。
排水溝に流されていく汚れた汗なんて、もう見慣れてしまった。
三歳のときに両親が死んで、親戚に引き取られて、殴られて、蹴られて、犯された。
いつしか苦痛を快感と捉えることで、自己を保とうとするようになった。
これは自分にとって良いことなんだと思い込んで、自分を守ろうとしていた。
信じられるのは自分だけ。他人を信用すれば裏切られる。
そう思って生きてきて、今こうしてここにいる。
追い出されるように軍に入れられて、結果的には良かったのかもしれない。
いい意味ではないけれど、自分の地位は確立し、必要とされている。
このまま捨てられても、誰も信用していないのだから何も変わらないはずだ。
おれはおれのまま、生きていけるはずだ。
でも、最近になって何かが変わった。
別の存在意義が出来た為だ。
“ディアを逆上させること”
残忍なサディストの本性を、すぐ近くで見てみたい。
殺されてもかまわない。裁かれるのはあっちだ。
どうしたらできる?どうすればいい?
このことばかりが頭の中を巡る。
互いに相手の見たい表情がある。
互いに意識し始めたとき。
*Side D*
面倒な書類を片付けて提出しに行くときに、嫌な噂を聞いた。
ただでさえ機嫌が悪いのに、知ってる奴の名前が出て、性欲剥き出しの発言を聞いて。
気がついたら話してた奴の胸倉掴んで詰め寄っていた。
後で気付いたらそいつは上官だったらしいが、そんなことはどうでも良い。
一発殴って振り向いたら、
アクトが、いた。
*Side A*
仕事が終わって寮に戻ろうとしていた。
けれどもその足は、嫌な声によって止められた。
「だから、言えばヤらせてくれるんだって」
「同性だから妊娠の心配もないしなー」
「今度ヤるとき誘えよ」
「まぁ、一人増えたところで問題ないだろ、アクトだし」
改めて、自分が物としてしか扱われていないことを確かめる。
話しながら笑っている奴等が邪魔だから、別の方から出ようと踵を返す。
いや、返そうとしたけど、再び止められた。
今度止めたのは――
「てめぇら、今なんつった?」
気になって仕方なかった、あの声。
相手は上官だというのに、胸倉掴んで、ガンとばして。
「何って…」
「オイ、お前俺達を誰だと…」
「うるせぇ!」
辺りを一瞬にして凍りつかせる、迫力のある怒声。
声のトーンはすぐに落ち、また問い詰める。
「もう一度訊く。アクトがどうしたって?」
「どうしたって…アレだよ、アレ」
やめろ。
「オイ、言うのか?」
「言っちまえ。別にどうもならねえよ」
言うな、やめろ。
「アクトは都合のいい性奴隷だって言ったんだよ」
直後、鈍い音がした。
胸倉をつかまれていた上官は吹っ飛んで壁に激突した。
多分、鼻は折れたと思う。
その様子を呆然と見ていると、ディアは振り向いて、
しっかりとおれを見た。
*Side W*
「アクト…今の、聞いて…」
ディアはそう呟いたが、誰にも聴こえなかった。
アクトは後ろに一歩、二歩と下がり、ディアに背を向けて走り出した。
「…チッ」
ディアはアクトを追おうとしたが、話していた奴らによって腕をつかまれる。
「散々やっといて逃げる気か?」
「それともお前がヤりたかったとか?」
「…うるせぇ!邪魔だ!」
掴んだ手を振り払い、腹部に一発ずつ喰らわせて走る。
アクトの影を追い、同じような金髪を何度も見間違え、寮まで来てしまった。
アクトの部屋の扉は、何もかもを拒否するように冷たかった。
ドアノブを握った手から、痛みが伝わる。
鍵は開いていた。ドアは簡単に開いたが、室内の空気は重苦しかった。
「アクト」
「……」
気配はあるが、返事がない。
奥のほうに進むと、ベッドに座っている影が見えた。
近付いて、手を伸ばす。
「アクト、お前…」
「触るな」
一言発した、鋭い”痛み”。
「…聞いただろ?あいつ等のいう通り、おれはそういうことやってたんだよ」
表情は見えない。
ただ、言葉が聞こえてくる。
「軽蔑しただろ?…それでいいんだよ」
出て行け、と言って、背を向ける。
ディアは自分よりも小さなその背に手を伸ばし、そっと触れた。
「触るなって…!」
アクトはそう言って振り払おうとした。しかし、出来なかった。
自分の体を包む温かさに束縛されたから。
「…ディア…?」
「お前、泣いたことあるか?」
「え?」
抱きしめられた上に、全く訳のわからない質問。
「…ない。最近は」
「そうか」
答えると束縛は解ける。しかしそれはほんの一瞬で、すぐに別の形で束縛される。
背に布団の感触、目の前にはディア、その向こうに天井。
事態を把握できないアクトに、ディアは言う。
「泣かせてやろうか」
「泣かせてって…」
「そのままの意味だよ」
体勢と言葉から、やっと把握する。
今自分はどんな状況で、これから何が起こるのか。
「お前もあいつらと同じなんだ」
「そうかもな」
結局こうなる。だから誰も信じない。
だとしたらさっき、何故自分は逃げたのだろう。
どうして聞かれたくなかったのだろう。
どうしてこんなに裏切られたような気持ちになるのだろう。
「…しないの?」
「しただろ」
「キスしただけじゃん」
アクトにとっては、何もなかったのと同じだ。
額と首筋に何度か口付けられただけで行為は終了した。
ディアはそれ以上手を出して来そうにない。
「このくらいで泣かせる気だったの?それともやったことない?」
「無理やり連れてかれた娼館以外にはねぇよ」
途切れがちな会話は、即答する所為。
その後が思い浮かばなくなる。
「ディア…どうして…」
「また今度な」
「え?」
言葉を遮っての、突然の言葉。
アクトは思わず訊き返すが、返事の前になんとなくわかった。
「今度は泣かせてやるから」
「…泣けないよ、こんなんじゃ」
「絶対泣かす」
「無理だって」
だけどいつか泣くときは…。
今年の桜が散り始めた。
思い出すのは、出会った頃。
あの後寮の部屋は寮母の配慮(企み?)によって同室となり、今も二人は共に過ごしている。
「そういえばあの後どうなったんだっけ?」
アクトは隣で歩いているディアに尋ねる。
「あの上官は辞めさせられて、俺は謹慎処分受けてた」
ディアはあっさりそう答えた。
あれから六年が経った。今では二人とも二十歳。
「”苛められたくなったら俺のところに来い”だっけ?」
「…おい、それって…」
「”他の奴のところになんか行くな。お前を泣かせるのは俺だ。”…だよな?」
「何でそんなこと覚えてるんだよ、お前は!」
六年前のディアの台詞をそのまま言ってみせる。案の定言った本人は慌てている。
アクトはいたずらっ子のように笑い、ディアにしがみつく。
ディアはその頭を軽く叩く。
「触るな」とアクト。
「じゃあしがみつくな」とディア。
軽口を叩きながら、薄桃色の花びらの上を歩く。
六年前から変わらない。ただ、変わったといえば。
「アクト」
「何」
「一階級昇進、おめでとさん」
ディアより二ヶ月ほど遅れての昇進。
「どーも。…また同じだね」
あの時と同じような、だけど全く違うシチュエーション。
中佐になった二人は、今日もまた仕事へと。
「ところで、あいつらの噂聞いた?また一個解決したって」
「あぁ、グレンちゃんたちな。一回組んでみてぇよな」
「そうだな。仕事速いし正確だし、ディアみたいにバカじゃなさそうだし」
「泣かすぞ」
「未だに一回も泣かされたことないけどな」
fin