「ホント仲良いですよね」
後輩から発せられた言葉に、一瞬きょとんとする両者。
赤茶色の髪と瞳、そして頬に傷を持つ背の高い青年ディア、
そして、陽の光に溶けてしまいそうな金髪と紫の瞳を持つ青年アクト。
つい最近任務で偶然一緒になった後輩達と他愛も無いことを話す中、突然そういう話になる。
「そうですよねー、いつも一緒にいるし」
「大喧嘩とかしたことなさそう」
女の子達からもそう言われ、答えにつまる。
「いや…喧嘩は…」
「一応、あった」
途切れ途切れにそう話す二人に、後輩達は興味を示す。
「あるんですか?」
「例えば、どんな?」
少し考えてからその問いに答えたのはアクトだった。
「三年前…かな。おれたちが少佐だった頃に。おれが十七になるちょっと前だったよな」
「そんな昔のことから話すのかよ…」
ディアは苦笑し、しかし少しずつ話し始めた。
「あの頃、俺達もまだガキだったからな…」
三年前、冬。
少佐としてだんだんと新しい任務にも慣れてきた頃。
ディアは主に指導、アクトはデスクワークの日々。
外への任務は大抵二人で組まされ、他に指名されたものはディアを恐れて任務を外れる。
彼のサディストぶりはそのくらい有名だった。
同時にアクトもマゾヒストとして知られ、ディアを制御できるのは彼だけだというのは司令部中の了解だった。
その時も二人で任務を終え、帰ってきたばかりだった。
「アクト、それ支給品か?」
ディアが指差したのは、アクトが使用しているナイフだった。
軍人としては少々力が弱いアクトには武器は欠かせない。特にナイフは扱いやすく、彼自身も重宝していた。
軍の支給品であるそれは地味で、実用性だけが意識されていた。
「だったらなんだよ」
「似合わねぇよ、お前には」
「どういう意味だよ」
ディアの言葉に、アクトは少しムッとする。
自分が使い慣れているのだから、人にとやかく言われる必要はない。
軍の支給品だから、どうすることも出来ない。
どうにかする術があったとしても、知らない。
「だからさ、武器としてじゃなく…なんかこう、デザインっつーか…お前らしくないんだよ」
「らしくない?」
「地味すぎる」
「じゃあどうすれば良いんだよ」
会話をしているうちに上司に呼ばれ、その話はそこで中断となった。
それから何日かが経った。
先に寮の部屋に戻っていたアクトが遅れてやってきたディアの背に見たのは、
皮製のライフルケースだった。
「…どうしたの、それ」
どうせ軍のだしめったに使わないからと、武器の保管さえ雑なディアが自分で調達してきたとは思えない。
案の定、そうだった。
「これか?貰ったんだよ」
「誰に」
「シェリーカ・マグダレーナ准将」
マグダレーナ准将は二十を過ぎた女性で、その美貌による囮作戦等の実績をあげている人物だ。
男性ファンが多く、年長のほうであるというのに若者よりも人気がある。
大人の魅力、という奴だ。
「何でマグダレーナ准将がお前に?」
「何でだろうな。まぁ、俺はくれるもんは貰うし」
ディアは軽くそう言うが、アクトは暫くライフルケースを見つめていた。
――これ、おれが買おうと思ってたやつ…
つい先日休みが取れたとき、町を歩いていて見つけたのだ。
武器の手入れを怠っているディアに、自分が買って贈ってやろうと思ったもの。
それがすでに他の人物によって、ディアに贈られていた。
「…良かったな、いいもの貰って」
「何だよ、その不機嫌そうな声は…もしかして、妬いてんのか?」
「妬いてない」
そのときはそんなやり取りで済んだ。
しかし、翌日のことだった。
「アクト、お前仕事だろ?」
「…ん…」
朝起きると、信じられないことが起こっていた。
「…ディア…?いよいよ狂ったのか…?」
「んだよそれ。何で俺が狂わなきゃいけねぇんだよ」
いつもならディアを起こすのはアクトの役目で、時々ディアがあまりにも起きようとしないためにわざと放っておくこともある。
しかし、今日は。
「やけに早いな。休みの日は昼まで寝てるのに…」
「あぁ、まぁな」
今日はディアが休みを取っている。
アクトは仕事があるために行かなければならないから、ディアは部屋に一人になる。
…はずだった。
完全防寒装備で外へ出たアクトは一人で仕事に向かう。
いつもならそれに加えてディアにくっついて暖をとるのだが、今日はそういうわけにもいかない。
「…何で休みなんだよ…」
今回は別々になってしまった休日を思うと、上司を恨みたくなる。
歩いて二分の道のりを、ため息をついて行く。
午前中は何事も無く過ぎ、昼休みに一人でボーッとする。
昼食を食べる気にならなかったため、比較的暖かい場所を見つけてそこに留まる。
そこに走ってきた一人が、昨夜聞いたばかりの名前を叫ぶ。
「マグダレーナ准将どこ行ったか知らない?」
「マグダレーナ准将?今日休みとってるはずだけど」
目の前で繰り広げられる会話には特に興味が無く、ただ遠くで聞いているだけだった。
しかし、不意に出てくる知り過ぎた名前に、思わず反応する。
「ヴィオラセント少佐と出かけてるって聞いたぞ?」
ヴィオラセント――この司令部には一人しかいない。
ディア・ヴィオラセントしか。
「何でヴィオラセント少佐なんだよ」
「さぁなー。実は付き合ってたりして?」
「え、でもたしかヴィオラセント少佐って…」
そこまで言って、彼らはアクトの存在に気づく。
大慌てで敬礼し、確かめてくる。
「あ、あの…ロストート少佐、今の話…」
「全部聞いてた」
アクトはそれだけ言ってその場を離れる。
あとに残されたものたちは、気まずい雰囲気だ。
「ヴィオラセント少佐って、ロストート少佐と…」
「あぁ、有名だろ」
「そうだったのか?!」
「いつも一緒にいるじゃねぇか。司令部公認カップルだから上官の誰もロストート少佐に手ぇ出せないって評判だぞ」
「…じゃあ、ヴィオラセント少佐には手ぇ出せんのかよ」
「どうだろうな。…まぁ、相手がマグダレーナ准将だからな…」
部屋に戻るといつもの風景。
いつもと変わらないその人物。
それが妙に忌々しく感じる。
「ただいまぐらい言えよ」
何も言わず通り過ぎると、後ろから声がする。
それでも今は、何も答えない。答えられない。
「…アクト?お前、具合でも悪ぃのか?」
自分を気遣う声でさえ、今のアクトには届かない。
「おいアク」
「うるさい」
遮った言葉は、重く暗い感情を伝える。
「…何かあったか?」
「何か…?」
アクトは漸くディアを見る。しかし、その瞳は――
「そんなの、ディアが一番知ってるだろ」
――昔のように、光の無い瞳。
「…俺、何かしたか?」
「わからない?これだからバカは…」
表情の読めない、暗い紫。
「一方的に言われてわかんねぇんだよ」
「一方的?どこが一方的なんだよ」
だんだんと荒くなる言葉。
「一方的だろうが。いきなりバカとか言われても、状況がつかめねぇよ」
「だからお前はバカだって言ってるんだよ」
感情の暴走。
「訳わかんねぇ。さっきから何突っかかってんだよ」
「うるさい!おれが嫌なら出てけば良いだろ!」
「何でそうなるんだよ!」
「そうだよな、女の方が良いよな!そのほうが普通だし」
「何言ってるんだよ!落ち着け!」
「誰がこうしたと思ってるんだよ!さっさとマグダレーナ准将のところにでも行けよ!」
ディアは漸くアクトの暴走の理由を知る。
昼間のことを言っているのだと、気付く。
「…アクト、あれは…」
「物貰って、一緒に出かけて、それで言い訳?はっきり言えばいいだろ。おれが嫌になったって」
「そうじゃない、聞けって!」
「触るな!」
弾かれた手は、明らかに嫌悪。
瞳の暗さは、絶望。
両者とも完全に頭に血がのぼっていて、冷静に対処することはもはや不可能だった。
「…わかったよ、出て行きゃ良いんだろ、出て行きゃ…」
ディアはそう言うと上着を持ってドアへと向かう。
振り向かずに放つ、最後の痛み。
「もう知らねぇからな、お前なんか」
ドアの閉まる音が、室内に響いた。
「ったく、何なんだよあいつは…」
呟く独り言は、この国にしては珍しく冷え込んだ夜の空に消える。
「俺があいつを嫌いになったんじゃなく、あいつが俺のこと嫌いなんじゃねぇのか?」
そう言ってしまってから、ふと思う。
自分は本当に嫌われてしまったのではないか。
もう二度と普通に話すことは出来ないかもしれない。
もしそうなれば、自分はどうなるだろう。
「…チクショウ…」
壁を蹴って、辺りを見回し、目に入ったのは、
今服用すれば罰せられるであろうモノ。
しかしディアは躊躇わずに、それに手を伸ばした。
もう全てがどうでも良くなっていた。
部屋に残ったアクトは、さっきのディアの言葉を反芻していた。
「もう知らない、か…」
もう二度と、触れることも出来なくなるのだろうか。
自分が、拒否してしまったから。
「…でも、元はと言えばあいつが…」
誰も聞かない言い訳。一人で呟くだけの、空虚な言葉。
シャワーを浴びようと浴室に行き、自分の傷だらけの体を見る。
この傷のことを真剣に尋ねたり心配したのは、ディアだけだった。
虐待のことを話したときに優しく抱きしめてくれたのは、ディアだけだった。
寒さが苦手な自分の傍にいてくれたのも、愛情を持って口付け、抱いてくれたのも。
だけどどうしても、追いかけて謝ろうという気にはなれない。
もう完全に嫌われただろうという絶望が、アクトの身体を支配している。
傷だらけの身体が痛いのではない。もっと別の、自分でもわからない何かが、
大きな痛みとなって襲ってきているのだ。
「バカねぇ、ディア君」
「うるせぇんだよ」
建物の陰でタバコを吸い、酒を飲んでいたディアを見つけたのは、マグダレーナ准将だった。
「バカじゃないの。あれだけタバコ吸ってお酒飲んで…。あなた未成年なのよ、わかってる?」
「ほっとけって言っただろ」
「肺がん、肝機能障害の予備軍を放っておく大人がどこにいるのよ」
マグダレーナ准将は呆れながらもディアの面倒を見る。
具合悪そうにうずくまる十七歳の少年の背を、親のようにさすってやる。
「…吐く」
「洗面所はあっちよ」
女子寮も男子寮も、構造はさほど変わらない。しかし今のディアではそれを把握することさえ困難だ。
「気持ち悪ぃ…」
「あたりまえでしょう。…アクト君呼ぶ?」
「…あいつは呼ぶな。どうせ俺嫌われてるし」
「原因はそれね」
「……」
マグダレーナ准将は深いため息をつき、再びディアの背をさすり始める。
「私の所為なら責任はとるわ…誤解を解くくらいはね。でも、貴方の気持ちは貴方自身が伝えなきゃ意味無いのよ」
「あいつは…俺のこと嫌いだ…」
「そんなのわからないでしょう。…好きじゃなきゃ怒らないわよ」
暫しの沈黙。少し楽になったのか、ディアは立ち上がって、用意された水を飲んだ。
「…眼が…」
「…眼?」
突然の言葉に、マグダレーナ准将は思わず訊き返す。
「眼が、どうしたの?」
「…昔の、表情の無い目に戻ってた…」
「誰の目が?」
「…あいつの…」
全てに絶望し、感情を閉じ込めた、暗い瞳。
出会った頃のような、どこを見ているのかさえわからない、あの眼。
「だから、あいつきっと俺が嫌いに…」
空になったコップを持ったまま、その場にしゃがみこむ。
辛くて、情けなくて、どうしようもない。
「…依存症、ね」
マグダレーナ准将がぽつりと言う。
「依存…?」
「えぇ。貴方はもうアクト君無しでは生きていけないんだわ」
「何だよそれ…」
「だからね」
長いブロンドの髪が揺れる。ディアのほうを真っ直ぐ見て、はっきりと言う。
「だから、アクト君としっかり話しなさい」
ディアが部屋に戻ったとき、アクトはすでに眠っていた。
次の日の朝はディアが寝坊してアクトが先に部屋を出ていたため、話す機会など無かった。
仕事内容が別々だったので顔も合わせず、昼休みは顔は合わせたものの少しも話さずに終わった。
午後の仕事も別々、部屋に戻るのも別。
部屋に戻ってからも何も話さず、気まずくなったディアが外に出て酒とタバコに逃げる。アクトは部屋に一人きりで、シャワーを浴びた後はすぐに寝てしまう。
ディアは再びマグダレーナ准将に世話になり、戻ってくるとすでに電気は消えている。
これで一日、二人の間に空白が出来た。
翌日、アクトが書類整理を一段落させて一休みしているところへ噂が流れてきた。
「おい、やっぱりマグダレーナ准将とヴィオラセント少佐…」
「あ、それ聞いた。少佐が毎晩准将のとこに通ってるんだろ?」
「やっぱりヴィオラセント少佐も、女っぽい男より本物の女を選んだか…」
薄々感づいてはいた。けれど、改めてそういう話を聞くと、余計に気分が沈む。
痛みが増して、激しくなる。
自分は嫌われたのだと、そればかりが頭の中に響く。
泣きそうになる。しかし、こんなことで泣きたくない。
昔のように、感情を抑制して、なんでもないように振舞って。
そのために自分を完全にディアから離そうと、アクトは仕事が終わってから寮母のセレスティアのもとへ向かった。
「部屋を替えて欲しいって…どうして?」
突然の申し出に、セレスティアは冷静に尋ねる。
「離れたほうが良いと思ったんです。…あいつのためにもその方が…」
「本当にそう思うの?」
真剣なセレスティアの表情に、一瞬考え込む。しかし、アクトは頷いた。
「…わかったわ。考えておきましょう。…残念だわ」
セレスティアは本当に残念そうに、そう言った。
噂の所為もあって、アクトはディアを避けようとしているようだった。
ディアはそれを自分は本当に嫌われたんだと受け取り、タバコの本数も酒の量も増えた。
その度にマグダレーナ准将が世話を焼き、それがまた噂になる。
悪循環が続き、ついにマグダレーナ准将は覚悟を決めた。
その日、アクトは早めに仕事を上がり、部屋に戻った。
近々部屋が空きそうだと聞いて、荷物をまとめようと思ったのだ。
しかし、どうしてもやる気が起きない。
ふと壁にかかったカレンダーに目をやると、明日の日付に「A」という文字が書いてあった。
「…忘れてた…」
明日は、自分の誕生日だったのだ。
十七歳になる誕生日。
去年の誕生日は、ディアと二人で過ごした。
ディアの買ってきたチョコレートの箱は、今でも机の中にあるはずだ。
今年の誕生日は、そうならないかもしれない。
セックスどころかキスだって、ただ触れることさえも叶わないかも知れない。
「…馬鹿みたいだ…」
自嘲しつつも、悲しくなる。涙こそ出ないが、泣いているも同じだった。
「泣かせるのは俺だ、か…」
出会った頃のディアの台詞がよみがえる。
「こんな泣かせ方…ずるいだろ…」
荷物をまとめなければと、よろよろと立ち上がる。
そのとき、ノックの音が聴こえた。
無視しようかとも思ったが、セレスティアかもしれないので、感情を出さないように言い聞かせて戸を開ける。
そこにいたのは、長いブロンドの髪を持つ、年上の女性。
「…マグダレーナ准将…?」
アクトが呟くと、マグダレーナ准将はにっこりと笑って、
「こんにちは、アクト君」
と言った。
「…何の用ですか?ディアなら今は居ませんよ」
「あら、上司に向かってずいぶんな態度じゃないの」
冗談っぽくそう言う彼女は、まさに「大人」だった。
「貴方と話したいことがあるのよ。中に入れてくれない?」
「…外じゃ、駄目ですか?」
「外でもかまわないわ。…聞いてくれるのね?」
アクトは頷いた。しかし、内心では覚悟は全く出来ていなかった。
マグダレーナ准将とアクトは、寮の建物の陰に来た。
「ここ、好きなの?」
「…よく来てたので」
「そうなの…」
マグダレーナ准将は少し笑った。
その笑みが何を意図するのか、アクトにはまだわからなかった。
「あの、話って…」
聞くのは怖い。しかし、口はそう動いてしまっていた。
「ディア君のことなんだけど」
案の定、一番聞きたくない話題だった。
「…帰ります」
「待って、アクト君!これは彼の人生に関わる重大なことなのよ!」
「おれがそんなこと知っても意味ないですから」
「彼が病気で死んだとしても、それでも意味無いって言える?!」
マグダレーナ准将の言葉に、アクトは動きを止めた。
「…病気…?」
「まだなってはいないわ。ただ、このままだと危険よ。それ以前に軍をクビになるかもしれないわね」
「クビって…あいつ何したんですか?」
意味無い、と言ったが、気がつくとそう尋ねていた。
マグダレーナ准将は静かに話し始めた。
「ディア君、最近タバコ吸ってお酒飲んで、具合悪くなっては私が介抱してたのよ」
「タバコ…酒…?」
ディアならやりかねない、と思う。
しかし、それをマグダレーナ准将が介抱していたとは、どういうことなのか。
それを訊きたいが言葉に出来ない。
マグダレーナ准将はそれをすっかり解っていて、説明し始めた。
「彼自身はほっといてくれって言ってたのに、私が無理矢理部屋に連れて行ったの。彼に死んで欲しくないしね」
「…それで…?」
「ディア君がそうなってしまったのは、どうしてだと思う?」
マグダレーナ准将は、綺麗な笑みを浮かべたままそう言った。
アクトは暫く考えて、途中で止めた。
「そんなの知りませんよ。おれは別にあいつなんてどうでもいいし」
「あら、貴方の所為なのよ」
あまりにもあっさりと答えが出された。
アクトは耳を疑い、もう一度訊く。しかし、答えは同じだった。
「貴方の所為なのよ、アクト君。彼は貴方に嫌われたと思ったみたいなの」
「…おれに…嫌われた…?」
思いもしなかった。こちらが嫌われているのかと思っていたのに、向こうも同じことを考えていたとは。
「貴方に嫌われたと思ったら、全てがどうでも良くなっちゃったみたいね。…これがどういうことか、解るかしら?」
「どういうことですか…?」
「彼は、貴方を愛しているの。愛しすぎて依存症になっちゃってるのよ」
マグダレーナ准将は笑顔を通り越して、なんだか楽しそうだった。
アクトは暫くその言葉を反芻し、それから、気付いた。
「でも、マグダレーナ准将はディアのこと…」
アクトがそう言うと、マグダレーナ准将は声をあげて笑い出した。
「私がディア君を好きなんじゃないかって?」
「違うんですか?」
「違うわよ。彼のことは後輩としか思ってないわ。勿論貴方も」
マグダレーナ准将は深呼吸して自身を落ち着かせた後、静かに言った。
「貴方が言ってるのは、あのライフルケースのことね?」
アクトは躊躇いがちに頷く。
「あれはね、取引だったの」
「取引?」
「そう。私、ディア君にどうしても頼みたいことがあったの。だからライフルケースを渡して、代わりに要求したわけ」
「…何を、ですか?」
「それはナイショ。でも、ディア君に聞いたらちゃんと答えてくれるわよ。彼にはやましいことなんて何にも無いんだから」
マグダレーナ准将は、にっこりと笑ってみせた。
アクトは部屋に戻った後、マグダレーナ准将から聞いたことについて考えた。
「ディアが、おれを…」
嫌いなんかではなく、寧ろ愛している。それどころか、依存症にまでなっている。
そして多分、自分もディアに依存している。
やはり、謝らなければならない。
自分が妬いたのが原因だから。
酷いことを言ってしまったから。
しかし、どうすれば話すきっかけが得られるだろうか。
そう思い辺りを見回すと、油性のペンと、あのライフルケースが目に入った。
「…よし」
怒られてもかまわない。話すきっかけが得られれば、それでいい。
一方ディアは、マグダレーナ准将に呼び出された。
「何だよ話って」
「全く、貴方達には上司に対する礼儀ってのが無いの?」
「達って…」
まさか、という顔をするディアに、マグダレーナ准将はあっさりと言った。
「話してきたわ、アクト君と」
「…やっぱり…」
右手で顔を覆うディアに、マグダレーナ准将は優しく語りかける。
「誤解は解けたわよ。後は貴方の気持ちだけね」
「…あいつ、俺のこと嫌いだろ…」
「逆よ。心配してたわよ、タバコとお酒のこと。嫌いなら心配なんてしないわ」
「それも話したのかよ…余計なことばっかり言いやがって…」
「あら、こうでもしないといつまでたっても貴方から話そうとは思わないでしょ?」
「……」
マグダレーナ准将には敵わない。無敵のサディストといわれたディア・ヴィオラセントも、これでは形無しだ。
「そういうわけだから、決着つけなさい。…明日、特別な日なんでしょ?」
「…わかったよ。もうお前の世話にはならねぇ」
「よろしい。…それから、言葉遣いくらい直しなさい。これじゃ安心できないわ」
「…わかりましたよ」
ディアが部屋に戻るとアクトの姿は無く、浴室からシャワーの音が聴こえた。
ベッドの傍においてあるライフルケースを何気なく見ると、油性ペンが上に乗っていた。
「…あいつ…」
ディアは怒るでもなく、呆れるでもなく、
少し嬉しそうに、笑った。
「…おい、アクト!お前何やってんだよ!」
声を掛けるのは、わざと乱暴に。
久しぶりに呼ぶその名前は、なんだかホッとした。
それはアクトも同じで、久しぶりに呼ばれた自分の名前に、自然と笑みがこぼれた。
「何だよ」
姿は見せず、不機嫌そうな返事だけ。
「出て来い」
「待つことも出来ないのかよ」
「いいから早く出て来いって」
暫らくしてアクトが出てきて、ディアはライフルケースを見せて、その隅を指差した。
「これは何の真似だ?」
そこには綺麗な字で、「Dia.V」と記してあった。
「持ち物には名前書いとかないと、盗まれるだろ」
「だからって何でお前が書くんだよ」
「自分では絶対書かないのに文句言うの?」
「…うるせぇ」
暫らく睨み合って、それから、
互いに笑いあった。
「…久しぶり」
「あぁ。何日ぶりだろうな」
暫らく失っていた、普通の会話。
「お前がマグダレーナ准将のところに通い詰めだったから苦情来た」
「あぁ。もう世話にはならねぇよ」
少々の毒も、今ではまた笑える。
「あと酒とタバコ。おれは別にお前がどうしようとどうなろうとかまわない。だから吸おうと飲もうとお前の勝手」
「それは冷たくないか?」
「ただし、タバコは部屋では吸うな。部屋がタバコくさくなる」
「何だよそれ…」
「それと酒は…たまに飲ませろよ」
「結局そうなるのかよ」
久しぶりの温かさ。二人でいることの幸せ。
「この前の休み、マグダレーナ准将と出かけるからってはしゃいでたのか?」
「何でそうなるんだよ」
「いつもおれが起こそうとしても起きないお前が早起きだったから」
「それは…違う」
「何が違うんだよ」
「あとで話す。…それより、さ」
「何」
ディアはアクトをそっと抱き寄せる。
暫らく感じていなかった体温。
アクトもディアにしがみつく。
自然に唇を重ね、一度離れてから、今度は深く。
絡ませた舌をほどいて唇を離すと、透明の糸が紡がれる。
「…暫らくやってなかっただろ」
「おれは別にたまってないけど?お前がやりたいだけ」
「じゃ、率直に言う。やらせろ」
「…単純バカ」
「泣かすぞ」
「やれるもんならやってみな」
行為が終わる頃には、真夜中だった。
もうすぐ今日も終わる。
「そうだ、マグダレーナ准将が言ってたんだけど…何でお前が准将の用事に必要だったんだよ」
アクトはふとそのことを思い出し、訊いた。
「あぁ、あれか…そういうことは自分で話さないんだな、あの女」
「いいから言えって」
ディアは暫く考え込むように黙り、それからぽつりと言った。
「…退役するんだと」
「退役?」
どうして、とアクトが訊くと、ディアは少し間を置いて答えた。
「結婚するんだとさ。…それで、その相手に服とかプレゼントしたいんだけど、どういうのが良いかわからないっつって…」
「それでディア?ミスチョイスだな」
「いいから聞けって。その相手ってのが俺と似てるんだとよ。だから連れてかれたんだよ」
「似てるって…ろくでもない奴なのか?」
「お前はどうしてそういうことばっかり…」
ディアは息をつき、それから思い出したように時計を見た。
「…あと三十秒、か」
「何が?」
「いいから、ちょっと待ってろ」
不思議そうなアクトを置いて、ディアはベッドから出て、それから何かを持って戻ってきた。
ディアは再びベッドに入り、時計の秒針に合わせてカウントダウンを始める。
「5、4、3、2、1…よし」
「何がよし、なんだよ」
「これだよ。開けてみろ」
「これ?」
ディアがアクトに渡したのは、少し大きめで重い箱だった。
アクトはそっと包みを開き、箱を開けた。
「…これ…」
「誕生日おめでとさん」
ディアがアクトに笑いかける。
「店に注文して、あの女の買い物の時にとってきた」
「…それで早起きだったの?」
「まぁな」
「…馬鹿なことを…」
アクトはそう言いながら、嬉しそうに笑った。
箱の中には銀色に輝くナイフが収められ、
それはとてもアクトに似合っていた。
「その後、マグダレーナ准将はめでたく寿退役、一年くらいして子供生まれたってはがきが届いた。准将と、子供と、ディアにそっくりな旦那さんが写真に写ってた」
「そっくりって言うけどなぁ…五十代のおっさんだったじゃねぇか!俺は当時十七だっての!」
「そっくりだよ。ディアが年取ったらあんな感じだ」
「年とったらって…今でもまだ二十だぜ?」
「おれはこの前なったばっかり。」
楽しそうに軽口を叩き合う二人を見て、後輩達は口々に言いあう。
「あの二人だったら、年とっても一緒にいそうね」
「ホントですね」
「俺もずっと一緒にいたいんですけどねー…」
「…何でこっちを見るんだ」
今日も司令部は平和だ。
Fin