荒野を走る一台の車。乗っているのは男性二人。

左頬に傷を持つ茶髪の青年が運転している。

助手席には一見すると女性のような金髪の青年。

私服だが二人はれっきとした軍人で、現在任務地に向かっている所だ。

「ディア、もう少しスピード出しても良いと思うけど」

金髪の青年が運転席の青年に話し掛ける。

ディアと呼ばれた彼は、ため息をつきながら答える。

「これが最大なんだよ。メーターよく見ろって」

「遅すぎる。百二十キロしか出てない」

「アクト、交通安全協会の奴らが聞いたら泣くぞ」

「泣かしときゃ良いだろ。怖いくらいがちょうど良いんだよ」

アクトと呼ばれた青年は、猛スピードで移動している車に文句を言う。

周囲には何も見えない。任務地は国内ではあるが、遠く南寄りだった。

三月になったばかりのまだ肌寒い時期に南への視察。

寒さが苦手なアクトのためにと、ディアが半ば奪い取るようにしてとってきた仕事。

しかしアクトが喜ぶには、あまりにも遠すぎた。

「後どのくらい?」

「かなり」

アクトのうんざりした口調に、ディアはあっさりと答える。

「冗談じゃない。早く休みたい」

太陽は地平線に沈みかけている。オレンジ色の空が眩しい。

「そうだな…今日中には着くだろ」

アクセル全開で太陽に飛び込んでいく車は、後ろの方でカンッという音を立てた。

「…殺気」

ディアが独り言のように呟く。

「何あれ、盗賊?」

後ろを振り向いたアクトの目に入ったのは、五台ほどの車。

身を乗り出して銃を構え、こちらを狙っている人物が数名。

「いつものパターンか。これだから旅のふりは嫌なんだよ」

ディアがライフルケースに手を伸ばそうとする。アクトは先にそれをとり、ディアに渡す。

「ディア、運転代われ」

「おうよ」

アクセルは踏みっぱなしで、ディアは助手席へ、アクトは運転席へ移動する。

何度もやっているのか慣れた様子で、素早く位置につくとディアの足がアクセルから離れ、代わりにアクトが思い切り踏む。

ディアが時速百キロで走る鉄の塊から身を乗り出し、ライフルを組み立て、狙いを定める。

こちらが撃つ前に向こうが撃ってきたので、一度伏せる。

「アクト、右」

ディアの指示でアクトがハンドルをきると、車は倒れそうになりながら方向転換する。

銃弾をかわし、ディアは再び狙い、引き金を引く。

少しばかり改造を施してあるため、銃弾の威力は通常の何倍もある。

相手のエンジン部を次々と破壊し、あっという間に五台が炎上し、人間は全て外へ放り出される。

「乗ってた奴、生きてるか?」

「全員生きてる。かすり傷程度だろ」

障害物を振り切り、車は無事に荒野を駆ける。

「本当にスピード出ないんだな、この車」

「…なぁ、アクト」

「何」

「お前がちゃんと免許とれば、いちいち途中で代わらなくても済むんだぜ?」

「…面倒」

太陽が沈む場所に、小さな点が見え始めた。

 

薄暗くなった村の、窓からこぼれた灯りが優しい。

適当なところに車を停め、近くの家を訪ねる。

「すみませーん」

ドアにかかった呼び鈴を鳴らしながら呼びかける。

こういうのは専らアクトの役目だ。以前ディアに任せたところ、出てきた子供が彼の傷を見て怖がり、泣いた。

それ以来アクトの専門として認知されている。

「どなたですか?」

ドアを開けて出てきたのは、小さな女の子だった。

薄い紫色の髪をみつあみにした、十代になるかならないか位の少女。

「旅のものです。村長さんにお会いしたいのですが、どちらにお住まいでしょうか。」

普段のアクトからは考えられないような敬語と、子供に接する優しい口調。

少女の目線までしゃがんで話すその姿は、まるで母親だ。

少女はアクトの質問に、あっさりと言った。

「連れてってあげる。こっちだよ」

外に出てドアを閉め、アクトの手を握って誘導しようとする。

「あ、ちょっと待って。車があるんだけど、村長さんの家まで乗っていける?」

「車?ゆっくり走れば通れるよ」

少女を一緒に車に乗せて、ディアの運転で狭い道を通る。

アクトはその遅さに内心イライラしていたが、少女がいるために堪えた。

その間、少女はしきりに質問をしてきた。

「ねぇ、どこから来たの?」

「ねぇ、運転してるお兄さんの傷、痛い?」

「ねぇ、村長さんと何話すの?」

その質問全てに優しく答えるアクトに、ディアは横でただただ感心するばかりだった。

そうしている間に目的地に辿り着き、少女と一緒に車を降りた。

少女はドアを二回叩いて、住人を呼んだ。

「どなたかね?…おや、アスカじゃないか。どうしたんだい?」

ドアを開けて出てきたのは、白髪に長い髭の老人。おそらく六十歳くらいだろう。

「村長さん、お客様だよ!」

少女がアクトの服の裾を引っ張る。

アクトとディアが軽くお辞儀をする。

村長だという人物は二人を見て、一瞬表情が変わった。

いや、正確にはディアを見ていた。

「アスカ、ご苦労様。気をつけて家に帰るんだよ」

「はい!また明日来るね!」

少女が駆けて行くのを見送ってから、村長は息をついた。

そして、再び二人に視線を戻す。

「どなたかね?」

「旅のものです」

アクトがそう答えると、村長は二人を室内に招いた。

特に変わった様子もない、普通の家だ。座るように勧められ、目の前にあった木の椅子に座った。

「…何の用ですかな?」

「旅の途中で立ち寄らせていただきました。二日ほど滞在する予定です」

アクトの答えは落ち着いていた。しかし、村長はもっと冷静に、言った。

「そんなはずはないでしょう。軍人が旅をする暇などどこにあるのですか」

空気が凍りつく。アクトはそれ以上何も答えられなくなる。ディアはずっと黙りっぱなしだ。

「…どうして、軍人だと…?」

アクトがやっとそれだけ言うと、村長はゆっくり口を動かした。

「あなただけでは軍人だとはわからなかった。しかし、隣の…」

村長の視線にあわせて、アクトも隣を見る。

「…左頬に大きな傷がある、軍一の喧嘩屋…ディア・ヴィオラセントはあまりにも有名なのでね」

「…俺が…?」

ディアは目を丸くし、アクトは呆れたようにため息をついた。

村長は笑みを浮かべ、話し始める。

「私は元軍人でした。今でも軍の事は耳に入ってきます。その中でも傷の男は悪名高かったんでね」

「…バカディア」

「うるせぇ。」

軽口を叩き合う二人に、村長は次の質問をする。

「ディアさんはわかった。しかし、あなたはわからない。お名前をお聞かせできますかな?」

アクトは自分を落ち着かせ、冷静に答える。

「アクト・ロストートです」

「お二人の階級は?」

「俺が中佐、こいつが少佐」

この質問に答えたのはディアだった。

村長は二回ほど頷き、立ち上がった。

「ここに泊まっていきなさい。部屋に案内しましょう。…あいにく一つしかないのですが…」

村長はアクトを見る。

「アクトさんは、男性の方と一緒で平気ですかな?」

「…え?」

アクトは暫らく考え、ようやく状況を把握し、答える。

「…おれ…男です…」

「なんと!綺麗な人だから女性かと思ってしまいました。…申し訳ありません」

「いえ、慣れてますから…」

アクトはそう答えたが、横で笑っているディアには強烈な肘うちを喰らわせた。

 

シャワーを浴び出てきた後、ベッドに座る。

部屋が一つしかないというのは、ベッドも一つしかないということだったようだ。

部屋を一通り見回してから、アクトは部屋を出た。

居間ではディアと村長が軍の話をしていた。

「ほう、今でも階級色は変わらないのですか」

「三十年以上前からかよ…」

「ディア、何の話してるんだよ」

「おう、階級の色がずっと変わってねぇって話」

「そう簡単に変わるわけないだろ」

アクトは適当にあしらって椅子に座る。

そんなことより、と、話題を変える。

「お分かりだとは思いますが、今回の軍の任務は視察です」

「アクト、その話後で良いだろ」

「今だ。今日聞いて、明日見回って、帰る」

「急ぐ必要がおありですかな?」

「一応仕事ですから」

ディアは冗談かと思ったが、アクトは本気らしい。

仕事の目つきに変わった相方を、黙って見ていることにした。

「まず、この村が帰らずの村と呼ばれている理由」

アクトの言葉に、村長はわずかだが反応を示す。

帰らずの村?」

「ディア、お前知らなかったのか?」

「全然」

「…仕事とってきたのお前だったような気がするんだけど」

アクトは呆れつつ、話を再開する。

「何故、このように言われているか…村長さん自身はご存知ですか?」

真っ直ぐに相手を見据える。

村長は目を逸らさずに話し始めた。

「…勿論、知っている。私が帰らなかった軍人の一人なのだから」

「どうして帰らなかったんだよ、オッサン」

ディアが口をはさむと、アクトが睨む。

しかしすぐに視線は村長へと戻される。

「この村は平和で、のどかで…帰るということを忘れさせてしまうのです」

軍にいては逃れることの出来ない殺伐とした空気を、この村にいることで忘れられるのだという。

その結果ここにそのまま滞在し軍には帰らなかったのだと、村長は言った。

「他の軍人もそうだったんですか?」

アクトが尋ねると、村長は残念そうに首を横に振った。

「ここに来てまで殺戮を求める輩も多くてな…。その場合は盗賊とぶつかって死んでいくか、もしくは…」

村長の目つきが僅かに変わる。

「…もしくは?」

アクトが訊き返すと、少しの間の後に答えが返ってくる。

「この村のものを襲おうとして、逆に返り討ちにされる」

再び空気が凍りつく。

何も言葉が出てこないディアとアクトに、村長はさらに続ける。

「正当防衛、というものがあるでしょう。この村で殺しが起こっても、全ては正当防衛だ。先に襲ってきた相手が悪い」

「…それのどこが平和でのどかなんだよ」

漸くディアがそれだけ言う。

「ディアさん、この村では全てが正当防衛です。それ以外で物を武器として扱うことはありません。

これは私たちの暗黙のルールです。

…ですから、この村は平和なままです。何も無ければのどかな村です」

村長は笑っていた。その表情はとても穏やかで、優しかった。

「村長さん、今現在この村には、他に外からきた軍人はいるんですか?」

アクトは再び尋ねる。村長はさっきと同じ返事をした。

「血の気の多い軍人ばかりでな。私以外に生きているものは、一人もいない」

「…ディアの事を知っていたのも、そのためですね。あらかじめ問題のある奴を知っていれば対策は立てられる」

「はい。この村に来て悪さをするようであれば、すぐにでも…」

「んなことしねぇよ!今の話ならいつ殺されてもおかしくねぇじゃねぇか!」

すっかり青くなったディアを見て、アクトも村長も笑う。

「大丈夫ですよ。あなたなら殺されずに済むでしょう」

「良かったな、命拾いして」

「…人を苛めて面白いか?」

「その言葉、いつものお前にそっくり返す。これじゃサディスト形無しだな」

頭を抱えるディアの背を、アクトが軽く叩く。

村長はそれを見て、穏やかに笑っていた。

 

「おかしいと思わないか?」

部屋で情報を整理しながら、アクトはディアに話し掛ける。

「何がだよ」

「あの女の子だよ」

アクトが言っているのは道案内をしてくれた少女のことだろう。

ディアは少し考えたが、アクトの言うようなことは思い当たらない。

「何がおかしいんだ」

「外の人間に対して用心しているこの村で、あの子は無防備すぎた」

確かにあの少女は躊躇わずに案内を申し出、あっさりと車に乗った。

家族に何かを言ってから外へ出た風でもなかったし、妙に人懐っこかった。

「そういう子もいるんじゃないか?」

「あの子の事だけじゃない。この村は不審な点が多すぎるんだ。…だから視察に来たんだろ?」

「いや、俺は…」

ディアはただ暖かい場所にアクトを連れてきたかっただけだ。

仕事などサボってしまう気だったのだ。

それなのにアクトはいつに無く真剣にこの村を見つめていた。

まるで、何かが起こるのを知っているかのように。

「…とにかく、今日は寝て明日にしねぇか?村を見てまわれば何かわかるだろ」

「本当にそう思ってるか?これだから単純バカは…」

「…泣かすぞ」

「他人の家だから今日は無し」

あっさりと拒否されたディアは不満そうにため息をついた。

しかし一つしかないベッドに入った後はちゃっかりアクトの額にキスを落とし、アクトもまたディアに密着して眠った。

 

その頃、一台の軍用車がこの村に向かってきていた。

運転席に座っている少年が、助手席においてある無線機に返事をする。

「…わかっています。約束を守ってくださるのなら、必ずや成功させます」

無線機から流れてきた声は、夜の闇に冷たく響いた。

本当に、静か過ぎる夜だった。

 

窓から入ってくる朝日で、アクトは目を覚ます。

起き上がろうとして起き上がれないのに気付き、自分を束縛しているディアの腕を無理矢理退かす。

外ではもう村の人々が活動しており、アクトは急いで支度をする。

ディアに声をかけてもいつもと変わらず起きないので、先に居間へ行く。

村長はすでに朝食の準備を始めており、アクトは挨拶をしてからそれを手伝った。

「ディアさんはまだ起きないのですか?」

「あいつは当分起きません。放っておいたら昼まで寝てます」

アクトがそう言うと、村長は笑って、卵を割りながら言う。

「朝が弱いのですか…あの子もそうですねぇ」

「あの子?」

「アスカです…昨日あなたたちを案内した子ですよ」

そのとき、ドアを二回叩く音がした。

そのすぐ後に、可愛らしい声が続く。

「村長さん!おはようございまーす!」

「…おや、噂をすればアスカのようです。こんなに早いとは珍しい。

火を見ていてくれますか?」

アクトが返事をしてから、村長は玄関の方へ向かっていった。

アクトは音を立てて焼きあがっていく目玉焼きを見ながら、聞こえてくる会話を拾う。

「アスカ、おはよう」

「おはようございます!」

昨日と同じ元気な声だ。

「村長さん、私今すごく嬉しいの!お兄ちゃんが帰ってきたの!」

「帰ってきた?休みが取れたのか?」

「短い間だけど、ここにいるって。今は疲れて寝ちゃってるけど、起きたら遊んでもらうんだ!」

無邪気な子供の嬉しそうな声。

兄は長い間どこかへ行っていたのだろうか。このはしゃぎようは、普通ではない。

「また来るね!お兄ちゃんも連れてくる!」

「そうか、アリストに宜しくな」

戻っていったのか、アスカの声が遠くなる。

アクトは会話を思い出しながら、ふと気になることがあった。

目玉焼きを皿に移していると村長が戻ってきたので、訊いてみる。

「村長さん、今、アリストと言いましたが…」

「あぁ、アスカの兄ですよ。めったに帰ってこないので、アスカも喜んでいるようです」

村長はそう言って目を細める。目玉焼きの皿をテーブルに運び、トースターから取り出したパンを並べた。

「アリストとは…アリスト・クレイダーのことですか?」

アクトの問いに、村長はゆっくり頷いた。

「やはり知っていますか。確かにアリストは、南方司令部中尉のアリスト・クレイダーです」

「この村の出身だったんですね」

「正確にはあの子達の親がここに移り住んできたのです。アリストはまだ小さく、アスカは生まれたばかりだった…」

懐かしそうに話す村長を見ながら、アクトは思い出していた。

アリスト・クレイダー中尉。年齢は確か十六歳で、仕事の正確さは中央にも名を知られるほど有名だ。

中央に籍を置くフォース大尉、マクラミー中尉、シーケンス少尉のグループと並べられるが、アリストの場合は基本的に単独行動をとっていたはずだ。

平和でのどかな村から出た、優秀な軍人。

アクトはそれだけで何か引っかかった。

「アクトさん、ディアさんを呼んできてくれますか?朝食にしましょう」

村長の落ち着いた声が、妙に耳に残った。

 

朝食後、ディアとアクトは部屋で外へ行く準備をする。

その最中に今朝の出来事を話すと、ディアは興味を示した。

「アリスト・クレイダーねぇ…確かに仕事は正確だって聞くけどな」

「そういうことは知ってるんだな」

「どういう意味だよ。…でも、俺はなんか気にくわねぇ」

「どうして」

アクトの問いに、ディアは少し考えて答える。

「…なんか、忠実すぎるんだよ」

「忠実すぎる?」

「あぁ。全部上の命令どおりっていうか…

それなら少々の無茶もするグレンちゃんたちのほうがよっぽど良いと俺は思う」

珍しく真面目に答えるディアの言葉に感心しつつも、アクトはすかさずツッコむ。

ちゃんって…話したことあるのかよ」

「無い」

「それにいつ無茶なんかしたんだ」

「なんかしそうだから」

この辺りがあまりにも適当なディアに、アクトは呆れて「バカ」と言い放つ。

軽口をたたきあいながら居間へ行くと、村長が昼食にとサンドイッチを用意してくれていた。

二人が礼を言ってそれを受け取ると、ドアが二回ノックされた。

「村長さん、お兄ちゃんだよ!」

アスカの声。そしてその言葉に含まれている単語に、ディアとアクトは緊張する。

アスカはどうやら、アリストを連れてきたらしい。

「丁度良かった。アスカ、旅人さんに村を案内してあげなさい。この村のことをもっと知りたいようだから」

村長がそう言うと、アスカは元気に返事をした。

「わかりました!良いよね?お兄ちゃん」

「あぁ。僕は構わないよ」

落ち着いた、大人っぽい声がした。

村長が居間に戻り、二人にこのことを告げる。

「アスカとアリストが案内してくれるそうです。

…アリストは知っているかもしれませんが、きっと黙っているでしょう」

「そうですね。アスカちゃんもいるし…」

「アリスト・クレイダーとご対面か。どんな奴なんだろうな」

二人が居間を出て玄関に行くと、昨日の少女と見知らぬ少年がいた。

髪を短く刈り、顔立ちはすでに大人のもの。身長はアクトより三センチほど高いようだった。

彼はやはり、ディアを見て一瞬だけ表情を変えた。

「初めまして。宜しく。」

アクトがそう言うと、アリストは笑顔で応えた。

「宜しくお願いします、旅人さん」

 

アスカが家から弁当を取ってくる間、ディア、アクト、そしてアリストは少しだけ話をした。

「…視察、ですよね」

やはりアリストはわかっていたようだった。彼の提示した証拠もまた、ディアだった。

「ヴィオラセント中佐は視察に向きませんね。この村のように軍の事情を把握する人がいれば、すぐにばれてしまいます」

「うるせぇ」

「しかし、こちらの…」

アリストはアクトを見て、思い出したように言う。

「そういえば、名前をまだ聞いてませんでしたね」

「アクト・ロストート。階級は少佐。…やっぱりこれからは一人で仕事した方が良いのか?」

「そう思いますよ。それに、この人と一緒では危険じゃありませんか?」

「危険なのはこいつだ」

「中佐は黙っていてください。僕は今ロストート少佐と話しているんです」

アリストはどうやらディアを気に入らないらしい。

噂と見たところではアリストはかなり真面目で、ディアは明らかに不真面目だ。

面白くなさそうに舌打ちをするディアをよそに、アクトはアリストと結構打ち解けていた。

「年齢は僕より上なんですか。すみません、同じ位かと…」

「いや、背が低いから仕方ない」

ディアが普段アクトに「背が低い」だの「チビ」だのと言うと、必ず強烈な肘うちを喰らう。

しかしアリストは肘うちもキツイ言葉も受け取ってはいない。

ディアはますます面白くない。

丁度そのとき、アスカが自分とアリストの弁当を持って家から出てきた。

「ごめんね、時間かかっちゃった」

「手伝えなくて悪かったね、アスカ」

「お兄ちゃんは旅人さんとお話してて良いんだよ。私は昨日いっぱい聞いたから。ね、お姉ちゃん」

アスカの言葉はアクトに向けられていたが、やはり今回も大きな誤解があるようだ。

昨日も一度言った台詞を、アクトはもう一度言わなければならないようだ。

「アスカちゃん、おれ、男だから…」

ディアは必死で笑いを堪え、アスカはぽかんとしている。

「そうだったんですか?!」

そう叫んだのはアリストだった。

「…アリストも、おれのこと…?」

「はい。てっきり…」

アクトは髪をかきあげ、大きなため息を一つついた。

女顔なのは自分でもわかっている。その所為で過去に何度も被害にあったこともある。

落ち込み気味のアクトの顔を覗き込み、アスカが言う。

「じゃあ、お兄ちゃんなんだ。ごめんね、お兄ちゃん」

子供らしい素直なその言葉。アクトは思わずアスカを抱きしめる。

「アスカちゃん、わかってくれるのは君だけだ…」

「え?なぁに?お兄ちゃん、やっぱりショックだったの?」

アクトの頭を撫でるアスカと、それを謝りながら見つめるアリスト。

ディアはなんだか取り残されたような気分になり、ポケットに手を突っ込んだ。

それを気配でわかったのか、アクトはアスカを抱きしめたまま顔だけディアに向ける。

「子供の前だぞ。タバコ禁止」

「…その前にお前抜き取っただろ…」

「まぁな。…アスカちゃん、タバコを吸う大人をどう思う?」

「病気になるよ」

「…だそうだ」

子供にまで言われては、諦めるしかない。

丁度そのときディアはアリストと目が合った。

アリストは笑っていて、ディアはますます機嫌が悪くなった。

 

村は至って平和で、のどかだった。

この村の人々に殺傷能力があるということ自体信じられない。

アスカが昼食を食べることを勧めたのは、黄色の花が一面に咲く花畑でだった。

「三月になったばかりなのにな…」

「南方は春が早いですから」

感動するアクトと、その横に立って説明するアリスト。

身長的にも、加えてアクトの外見からも、傍から見れば二人は似合いのカップルだろう。

実際そのように見えてしまい、ディアは嫌悪感を覚える。

「アクトさん、こっちこっちー!」

兄と紛らわしいと思ったのか、名前を教えてからはアスカはアクトとディアをさん付けで呼んでいた。

アリストも二人が軍人であることをアスカに隠すため同じように呼んでいて、そのことがさらに親密さを増す。

アスカの方もアクトに良く懐き、ディアとはあまり話さない。

花畑の中心の方にアクトを呼び寄せ、昼食をとりながら花で何かを作っていた。

取り残されたディアとアリストはそれを見つめる。

暫らくして、アリストから口を開いた。

「ディアさんは、アクトさんをどう思っていますか?」

突然の、気に入らない奴からの質問。

「どうって…」

「ただの仕事上のパートナーですか?それとも親友として付き合っていますか?」

アリストはディアのほうを見ずに訊く。ディアの答えは選択肢の中には無い。

「どっちでもねぇよ」

「じゃあ、何なんですか?それ以外に何かありますか?」

「いちいちうるせぇな」

「答えてください」

アリストは真剣だった。

ディアはその場に座り込み、花畑で子供と戯れるアクトを見た。

普段あまり見せない優しい表情をしている。子供に対してならあんな顔もできるのかと思う。

「…あるんだよ、それ以外の答えも」

出会ってから、もうすぐ六年になる。

あの頃のことは今でも鮮明に覚えている。

光の見えなかった瞳が、今では何かを真っ直ぐ見つめているのがわかる。

傷ついた華奢な体の意味も知っている。

誰よりも寂しがり屋で、傷つきやすく、

だけど時折、ものすごく強い姿を見せる。

未だに泣かせることは出来ないけれど、アクトを形成しているものの半分以上はわかっているつもりだ。

「あいつは、俺に必要な存在だ」

「必要、ですか。それは親友とは別の?」

「違うな」

これが愛かどうかもわからない。しかし、以前言っていた人がいた。

「依存症」だと。

「…ディアさん、アクトさんが大切ですか?」

アリストが尋ねる。

「いなきゃ困る」

「では…もしあなたに世界の全ての命がかかっていて、大切な一人か、その人以外の全ての人か選ぶとしたら…

どちらを助けますか?」

ディアはアクトを見る。

無くてはならない存在だと思う。

アクトと一緒に、アスカも視界に入る。

無邪気な笑顔が、輝いて見える。

「俺は…選ばねぇ」

「どういうことですか?」

「俺に全ての命がかかってんなら、俺一人の犠牲で何とかなるかもしれねぇだろ」

「自分を犠牲にするんですか?」

「見たくねぇんだよ、あいつの寂しそうな顔」

辛い思いはもう十分だから。

これからは幸せになるべきだから。

「…わかりました」

アリストがそう言ったところで、アスカがアクトの手を引いてこちらへ駆けて来た。

「お兄ちゃん!ディアさん!見て見て♪」

「アスカちゃん、やっぱり見せるのは…」

「ダメだよ、ちゃんと見せなきゃ!」

アスカにつかまれていない左手で必死に頭を抑えて何かを隠すアクトに、アスカは叱るように言う。

「ほら、手下ろして!」

アスカに言われてアクトがしぶしぶ手を下ろすと、頭に花が三輪ほど飾られていた。

困ったような表情のアクトだったが、その花はとてもよく似合っていた。

「ね、可愛いでしょ?」

アスカは得意げにそう言った。

ディアとアリストはつい見とれてしまい、感想がなかなか出てこない。

「…ほら、お兄ちゃん達何も言わないだろ。似合わないんだって」

「似合うよ!ね、お兄ちゃん、ディアさん?」

先に口を開いたのは、

「本当に、よく似合ってますね」

アリストだった。

ディアのほうは黙りっぱなしで、ついには目を逸らしてしまった。

兄から評価を貰い、アスカは嬉しそうに笑う。

アクトは複雑そうな表情をしている。

その後村を一周し、アスカとアリストは自宅に、ディアとアクトは村長宅に向かった。

「お帰りなさい、お二方。どうでしたかな?村の様子は」

村長が出迎え、アクトは正直な感想を述べた。

「本当に平和でのどかでした。…明日少し見て、それから発とうと思います」

「そうですか…ここに住みたいとは?」

「申し訳ありませんがそこまでは…」

「そうですか…」

簡単な会話の後、二人は部屋に入る。

ベッドに座り、村の様子をメモする。

「アクト」

「何」

「結局つけっぱなしだな」

ディアに言われて気付く。アスカに飾られた花をずっとそのままにして歩いていた。

「…忘れてた…」

「珍しいな、お前がそんなこと忘れるなんて」

ディアはアクトの正面に回り、一言言う。

「似合うな」

「…感想が遅すぎだ、バカ」

そう言うアクトの顔は、少し赤くなっていた。

「お前でもそういう顔するんだ?」

「そういう顔ってどんな顔だよ」

「赤いぞ」

「…はずす」

「待てって。もうちょっと…」

ディアはアクトの髪をそっと撫で、花に軽く触れる。

それから唇を重ね、軽く歯列をなぞり、離れた。

「…寮じゃないってわかってるか?」

「わかっててしたんだよ。悪いか」

「…これ以上しないからな」

アクトは花をそっとはずし、手帳にはさんでポーチに収納した。

「…で、視察の結果は?」

「異常無し。…わざとらしいくらい平和だった」

「わざとらしい?」

「盗賊は何で村に入ってこないのか、とかな」

「移動手段がなくなったからじゃないのか?」

「さぁな…とにかく、異常無しって報告しか出来ないだろ。…おれ夕食の準備手伝ってくる」

アクトが部屋を出た後、ディアは昼食をまだ食べていなかったことに気付いた。

サンドイッチを取り出して、ふと昼間のことを思い出した。

「大切な人…か」

守るためならどんなことでもするつもりだ。

ただしそれは、自分の手で壊したいからだ。

愛情とは少し違う。

「自分はどうなんだよ、アリスト…」

サンドイッチの中身は、あの花畑に咲いていた花の塩漬けだった。

 

遊びまわって疲れたのか、アスカはぐっすりと眠っている。

「…もう少しだ。もう少しで全て終わるよ、アスカ」

アリストはその頭を撫で、呟く。

傍らにある無線機のスイッチを入れ、アスカのそばから離れる。

「…アリストです」

『例の準備は整ったか?』

「一つだけ、問題が」

『問題?』

「中央の者がいます。ディア・ヴィオラセント中佐と、アクト・ロストート少佐が」

『ヴィオラセント?…それは面白いことになりそうだ』

無線の向こうの声は愉快そうに、しかし冷たく笑った。

アリストは無表情でそれを聞く。

『決行は午前零時だ。それまでにそっちへ行こう』

「本当に約束は守ってくれるんですね?」

『あぁ。…お前が働けばな』

切れた無線を机に置く。

軍服に着替え、もう一度アスカの額に手をやる。

幸せそうな寝顔。

それはアリストが、一番守りたいもの。

 

深夜、アクトはふと目を覚ました。

――空気が、異様だ。

隣に寝ていたディアに声をかけようとすると、すでに目を覚ましていたようだった。

「起きてたのか」

「…殺気」

「やっぱりそう思うか?」

ディアも感じていたその空気の発生源は、窓から外を見てわかった。

黒い人影が見える。一人じゃない。何十人といる。

「この感じ…わかるか?」

「わかる。何のつもりか知らないけど…」

アクトはベッドから出て、ポーチを手にする。

ディアは車に乗せたままのライフルケースの位置を思い出しながら、服を着た。

「アクト、お前は村の人に知らせろ」

「わかった。ディアは?」

「俺は交渉してくる。そういうつもりならぶっ倒す」

音を立てないように移動し、家を出る。

アクトは家々を回るためにできるだけ気配を消して走る。

そしてディアは、村を取り囲む軍隊のもとへと向かった。

 

――四回、だよな。

アクトは昼間のアスカの言葉を思い出しながら、家のドアを四回ずつ叩いて回る。

アスカが村長の家を尋ねるときにドアを二回叩くのは、自分の状況を知らせるためだった。

安全ならば二回、危険ならば三回、緊急事態の場合は四回叩くことで、村に何が起こっているのかを知らせる。

どうして自分達を案内したときに二回叩いたのかを訊くと、安全だったから、と返ってきた。

自分達を信頼してくれたアスカも、アスカの大好きな村の人たちも、安全な状態にするためにアクトは走った。

ただひたすらドアを叩き、家の中で気配が動き出すのを確かめる。

そうして最後に、アスカの家まできた。

――ドアが…

僅かに開いている。

アクトは恐る恐る中へ入り、アスカを探す。

寝室で寝ていたアスカを見て、やっと安心できた。

「アスカちゃん」

呼びかけると、アスカは目を擦りながら起き上がり、辺りを見回した。

そしてアクトの姿を見つけると、嬉しそうに笑った。

「アクトさん、どうしたの?」

「夜遅くに勝手に入ってきたりしてごめん」

すまなそうにそう言ってから、隣のベッドが空であることを確認する。

「アリストは?いないみたいだけど…」

「お兄ちゃん?いないの?」

アスカもアリストの行方を知らないらしい。

ということは、もしかすると。

「…アスカちゃん、おれがここに一緒にいるから…絶対にアリストを探しに外に出たりしないこと」

「?…うん」

もしこれが本当なら、アリストは敵になってしまう。

そんな兄の姿はアスカには見せたくない。

アクトは少女の小さな身体を、優しく、しっかりと抱きしめた。

 

「おい、アリスト!」

見知った少年の姿を見つけると、ディアはその方へ走った。

「アリスト、説明しろ!これはどういうことだ!」

表情の無いアリストに近付こうとしたとき、誰かが腕を掴んだ。

ディアが振り向くと、そこにいたのは冷たい目をした男性。

おそらく二十代後半。鋭い目がディアを冷静に見つめる。

「ディア・ヴィオラセントだな?」

「…なんだテメェは」

「南方司令部大将、ヤークワイア・ボトマージュ」

名前などには興味が無い。むしろ、この村に対し大将クラスが動いていることが奇妙だ。

「この村に何しに来た」

「その答えはクレイダー中尉から聞きたまえ」

ボトマージュ大将の冷たい目が、アリストに向けられる。

アリストは落ち着いて話し出す。

「ディアさん…いや、ヴィオラセント中佐、これは殲滅作戦です」

「殲滅?!」

「はい」

アリストは自分の育ったこの村を、アスカの好きなこの村の全てを、破壊してしまうつもりだった。

「どうして…」

「簡単ですよ。この村は危険すぎる。…軍人はこの村を出ようとすると、殺される」

ボトマージュ大将はディアの腕から手を離し、アリストとディアを残してその場を去った。

向こうから聞こえてくるのは、冷たい声。

「この村は人を殺している。この付近に出没する盗賊もこの村の人です。

そうして金品などを奪い、それを売って村を潤しているんです。

それに気付いた視察軍人は報告しようと司令部に帰ろうとしますが、全て殺されるので秘密がばれることはありません」

「…アリスト、お前は生きてるじゃねぇか」

「それがこの村の甘さです。…しかしそのおかげで、僕はこの村に復讐することができます」

「復讐?」

「えぇ、僕らの両親は殺されたんです。村の真実を知り、それを軍に伝えようとしたから」

アリストは暗い空を仰ぐ。星が輝く、夜の空を。

「おかげでアスカは独りぼっちだ。僕が稼ぐために軍に入るとき、アスカは本当に寂しそうだった。

親がいれば、あんなに辛い思いはしなくて済んだだろうに…」

ディアはアリストの目を見る。正気だった。

「それで復讐か?アスカがこの村が好きだとしても、滅ぼすのか?」

「アスカの為にはそれが一番良いんです。…昼間、質問したでしょう?大切な人一人か、大多数か」

アリストは踵を返し、軍隊に加わろうと歩き出す。

こちらを見ずに、告げる。

「僕は大切な人一人を守る。他のどんなものを犠牲にしても。…ただし、自分を犠牲にするなんて馬鹿げたことはしない」

号令が聞こえる。

この村が滅びゆく、カウントダウンが始まった。

「…ふざけるなよ…」

ディアがライフルを握り締め、呟く。

「どうしてそのために大勢が死ななきゃならねぇんだ?他の方法ねぇのかよ…」

動き出す人間を、片っ端から殴り倒す。

通り過ぎるものもやはりいる。ディア一人ではどうにもならない。

「アスカも危険に晒されるんだぞ?!わかってんのか!」

アリストの姿は見えない。しかし、返事は返ってくる。

「アスカは助けると約束しました。アスカは無事です」

「それでも、アスカの記憶に残るだろ!一生傷ついて生きていくことにもなりかねないだろ!」

ディアは現に心の傷が消えないことを知っている。

目の前で両親が自らの命を絶ち、その後も虐げられてきた者の傷を。

「そのときは…アスカの記憶を消します」

「それで本当に幸せだと思うか?!」

「僕が幸せにするんです。…そのためには、この村が邪魔だ」

後方で炎が上がった。

直後、悲鳴と銃声。

女や子供も関係なく、その命を散らしていく。

「…止めやがれ…っ!」

殴り倒すだけでそれを止めようとしても、やはり限界がある。

ディアが戦っている間に、アリストは村長の家へ向かう。

炎と亡骸の中、ディアはアリストを追って走った。

 

外の騒ぎに怯えるアスカを、アクトはしっかり抱きしめる。

やはり軍は村を攻め落とすつもりだ。

村の位置からいっておそらく南方軍、中央には全く連絡をしていないと思われる。

「アスカちゃん、大丈夫か?」

「アクトさん、お兄ちゃんは大丈夫なのかな?ディアさんは?村長さんは?みんなは?」

アスカにとって気がかりなのは、自分の大切なもののこと。

この村の全てがこの少女の宝物なのだ。

そして、よそ者である自分達のことまで。

「…大丈夫。きっと、大丈夫だから」

言いながら、無責任だと思う。

きっと外ではもう何人もの人間がただの塊と化しているのだろう。

アスカにそれを言うのは残酷すぎる。

こんな幼い子供が、心に傷を負おうとしている。

アスカには、自分のような思いはさせたくない。

「アクトさん、火が!」

「…チッ…!」

ついにここまで来た。

外に出たくはないが、他に道はなくなってしまった。

「アスカちゃん、外に出よう。…おれにしっかり掴まってて」

アスカを抱きかかえ、アクトは窓へと走る。

思い切り体当たりすると窓は破れ、アクトは外へ放り出される。

「アクトさん、大丈夫?」

「大丈夫だよ。…ここは危ない。どこか安全な場所へ…」

そんなところがあるのかどうかはわからない。

しかし、それしかないのだ。

アクトはアスカの手を引いて移動しようとした。しかし、アスカが動かない。

「…アスカちゃん…?」

「…が…」

「え?」

アスカが何を言ったのか、だいたいわかった。

しかし、今は。

「アスカちゃん、とにかくあっちへ…」

「お兄ちゃんがいたの!お兄ちゃん!」

アスカはアクトの手を振り解き、走り出した。

「アスカちゃん!ダメだ!」

アクトの声も、すでに彼女には届かない。

 

アリストの目的はすでに一つだけだった。

自分の両親を殺した張本人である、村長の殺害。

すでに周りの光景は目に入っておらず、音も聴こえていない。

「アリスト、お前の家燃えてるぞ!アスカがいるんじゃないのか?!」

アスカは助かると信じて疑わないアリストには、それも届かない。

そのまま村長の家に辿り着く。

「アリスト、止めろ!」

「無駄だ。彼は今復讐にしか興味が無い。」

冷たい声が後ろで響く。

「…ボトマージュ…!」

「私に構っている暇など無いだろう?彼を止めたらどうだ」

言うことを聞くのは癪だが、今はそれが先決だった。

ディアはアリストに近付き、肩を掴む。

しかし、アリストはそれをナイフで切りつけて突き放した。

私服であるために、傷はディアの腹部に深く刻まれる。

「…アリスト…っ!」

やっとの思いで叫ぶ。しかし、歩みは止まることが無い。

ディアはやむを得なくライフルの引き金に手をかけた。

せめて、動きを止めるだけでも。

アリストの足に狙いを定め、引き金を引く。

しかし同時に視界に別の影が入った。

兄を守ろうと手を広げて飛び出した、

小さな、少女の。

「アスカ、来るな!」

引かれた引き金、威力を増してある銃弾。

少女の名前に反応したアリストが振り向いたとき、

アスカはすでに、その身を貫かれていた。

 

「アスカ!アスカ、しっかりしろ!」

「アリスト、動かすな。…アスカちゃんの手当てはおれがする」

アスカが倒れたときにそこに到着したアクトが、ポーチから薬や包帯などを取り出す。

応急処置しか出来ないのが悔しい。

「アスカ…どうしてここに来たんだ…」

「アリストを追ってきたんだ。アスカちゃんはずっとアリストを心配してた」

銃弾はアスカの腹部から背にかけて貫通しており、危険な状態だった。

「…これ以上は無理だ。医者はいないのか?」

「村にはいない」

「軍医は?」

「来ていない」

限界だった。

しかしこのままではきっと。

「…お兄…ちゃん…」

「アスカ、気がついたのか?」

か細い声が、アリストを呼ぶ。

アスカはゆっくりと周りを見て、笑った。

「良かった…お兄ちゃんも…アクトさんも…怪我してないね…」

こんな状態になっても、他人のことで安心していた。

こんな幼い子が、自分の傷よりも、他人の傷を心配していた。

「アスカちゃん、喋らない方が良い」

「…でも、言いたい事、あるから」

アスカはゆっくりと口を開く。

「アクトさん、ありがとう。アクトさんのおかげで、火がきても、怖くなかったよ」

「アスカちゃん…」

「それから、お兄ちゃん、村長さんに、いつも、ありがとうって、伝えて…」

「アスカ…」

「後ね…」

アスカはもう一度アクトに何か言った。

アクトは頷いて、笑いかけた。

アスカも笑って、もう一度アリストのほうを見る。

「お兄ちゃん…私、一人でも、寂しくなかったよ」

アスカがアリストの手を握る。アリストも握り返す。

「村の皆が、一緒だったから…寂しくなんかなかった。私、この村が、大好き」

「アスカ…僕は…」

「でもね、やっぱり…」

アスカは言いかけて、何度か咳をし、血を吐いた。

「アスカ、もう良い!もう…喋るな…」

アリストの言葉に、アスカは首を横に振った。

傷の痛みも尋常ではないだろうに、アスカはアリストに微笑みかけた。

伝えたい。

これが素直な少女の、最期のわがままだった。

「やっぱり…お兄ちゃんが一番…大好き…」

幸せそうに微笑みながら、アスカは動かなくなった。

アリストは何も言わず、ただ涙を流しながらアスカを抱きしめた。

アクトはそれを、ただ見つめていた。

そしてディアは、それを遠くから見ていた。

声も届かない。本当に遠いところにいるような気がした。

目の前で起こっていることを信じたくない。

しかし、これは現実だった。

燃え盛る炎が照らし出す景色は、あまりにも悲しすぎる。

放心状態のディアに、ボトマージュ大将が冷たい声で語りかける。

「どうだね、ヴィオラセント…」

周囲は騒がしいはずなのに、聴きたくない声以外何も聴こえない。

ボトマージュ大将の声は、脳に直接響いているようだった。

「初めて人を殺した気分は…?」

声は余韻を残したまま、足音を響かせ去っていく。

脳裏によみがえるのは、無邪気な少女の笑顔と、

現実の言葉。

「…っ畜生ぉぉぉ――!!!」

叫びは、建物の倒壊する音にかき消された。

 

夜が明け、遺体が並べられた。

村長は悲痛な表情で、彼らの顔を一つ一つ覗き込んだ。

「…私が、全て悪いのだ…」

そう言って、涙を流した。

「アリストとアスカの両親を殺し、視察に来た軍人にも手をかけた」

「…おれ達も、殺す気だったんですね」

アクトが言うと、村長は頷いた。

「しかし、もう引き止める必要も、殺す必要もない。この村は滅びてしまった」

村長はアクトとともに歩き出す。

着いたのは、アスカの家のあった場所。

「アリスト」

「アクトさん…村長も…」

焼け跡に座っていたのは、十六歳の少年だった。

あの後アリストは軍人であることを辞めたのだ。

「…アスカは、ここに眠らせてやろうと思います」

「そうか…」

アスカの遺体は、生きているかのように綺麗だった。

今にも起き上がって、笑いかけてきそうなほどに。

「アリストは、これからどうする?」

「さぁ…どうしたらいいんでしょうか。僕にはもう、生きる意味がなくなってしまった」

全てはアスカのためだった。アスカのために軍に入り、アスカのためにと復讐した。

しかしそれは結局、アスカを死なせてしまった。

「アクトさん、あなたなら…大切な人一人だけと、その人以外の全ての人…どちらを助けますか?」

「…どちらか、か?」

「はい」

アリストは一人だけ助けようとして、全てを失った。

しかし大勢のために一人を犠牲にするのも、結局は全てを失うのではないかと思う。

「おれは…」

しかし犠牲になるのが自分というのも、なんだかおかしい気がした。

どうせなら全てが共に生き、全てと共に過ごしたい。

それを可能にすることは、無理なのだろうか。

それを可能にするのが、自分の目指す軍人像なのではないだろうか。

「…おれは、その人以外の全ての人かな」

「どうして、ですか?」

アクトはポーチに入っている銀色のナイフにそっと触れる。

そして、少しだけ笑った。

「大切な人が、強いから」

信じようと思う。

いつか自分達が本当の強さを手に入れ、全ての人を助けることができると。

 

荒野を走る車には、二人の青年が乗っていた。

運転しているのは金髪の青年、助手席に座っているのは赤味がかった茶髪で頬に傷のある青年。

助手席の青年はうなだれていて、覇気が全く感じられない。

「…ディア、いいかげんにしろ」

金髪の青年――アクトが言う。

ディアと呼ばれた傷の青年は、何も答えない。

「そんなことでいちいち落ち込んでたら、軍人なんてつとまらないだろ」

「…そんなこと、なのか?」

「人なんていつか死ぬ。軍人やってるならもっと身近で感じてたっていいはずだ」

アクトがそう言うと、ディアは無理矢理足を伸ばしてブレーキを踏む。

時速百二十キロで走っていた車は、急ブレーキの所為で何度かスピンしながら停まった。

「何するんだよ!」

「お前は俺が憎くないのか?!」

「何でお前を憎む必要がある?」

「わかってるだろ?!俺はアスカを…っ」

ディアは言葉を一旦切る。

「…アスカを、殺したんだぞ…?」

何の罪もないアスカを殺してしまった、重い罪。

素直で純粋な、まだ未来がいくらでもあった筈の少女を殺してしまった自分。

アクトはディアの気持ちが痛いほどわかっていた。

だから、今伝えるのは残酷だと思った。

けれど、これは約束だから。

「…ディア、アスカはそんな風に思ってなかった」

「気休めなんかいらねぇよ」

「気休めじゃない。アスカは、お前に伝えたいことがあるって…おれに言った」

盗賊の出なくなった荒野は、広々として静かだった。

風だけが鳴いていた。

「アスカは、お前にありがとうって言ってた」

風の叫びは遠くへ流れ、また次の風が鳴き始める。

「…ありがとうって…殺したのにか?」

「アスカは殺されたとは思っていない。

ただ一番好きなのがアリストだったから銃弾を受けたんだ。

お前がそんな風だったら、アスカはきっと悲しむ」

「でも俺は…」

「おれだって」

遮った言葉は、とても辛そうだった。

横から伸ばされた手は、いつもよりも冷たかった。

抱きしめる細い腕は、震えていた。

「…おれだって、こんなディアは、見たくない」

アクトだって辛い。

目の前で起こった悲劇を、受け入れたくない。

けれどこれを乗り越えなければ、きっとここで終わってしまう。

終わるわけにはいかない。

本当に守りたいものを、一番大切なものを、守りたいから。

ディアはそれが伝わったのか、アクトの手をそっと握る。

「…アクト、運転代われ」

「今のお前じゃ事故る。おれが運転する。」

「…レジーナ入ったら代われよ」

「わかった」

風の声が遠のき、車は再び荒野を走る。

 

中央に連絡せず勝手な行動をとったボトマージュ大将は、この後軍を辞めさせられ懲罰を受けることになる。

南方司令部は人員整理で人間が完全に入れ替わった。

滅びた村は村長とアリストが建て直し、何年か後には本当に平和な村として復活を果たす。

そしてディアとアクトは、出会ってから七度目の春を迎える。

アクトは一ヶ月ちょっとで一階級昇進、ディアはこの事件から三週間ほどで完全に立ち直る。

寮のポストにアリストからの手紙が届くのは、まだずっと後の話。

 

そしてまた、新たな出会いが。

 

Fin