民家の横に一台の車が止まっている。
車内には革のライフルケース。
持ち主は家の中で、なんとも言えないような大声を出した。
左頬に傷のあるディア・ヴィオラセントと、きれいな金髪を持つアクト・ロストート。
二人はこの中央司令部の中佐だ。
一等兵以下の教練を担当するディアと事務的処理担当のアクトとは、一見何の共通点も無いように思われる。
しかし二人は軍の誰もが認めるカップルだ。
部屋は寮母の手配で一緒、昼休みは昼食を共にし、気がつけば二人で歩いている。
今日も一緒にいるところを後輩に捕まった。
「アクトさん、ちょっと良いですか?」
「…リア?珍しいな」
アクトに話し掛けてきたのは、リア・マクラミー中尉。
とある任務で一緒になって知り合った、長く美しい金髪を持つ女性軍人だ。
いつもなら自分から話し掛けてくることはあまりないのに、今日は様子が違っている。
「どうした?何かあった?」
「いつものメンバーと喧嘩でもしたのか?でもあいつらに限ってそんなことねぇよな」
口をはさむディアにアクトの肘うちが入る。腹部を抑えて蹲るディアを無視して、アクトはリアにもう一度尋ねる。
「で、何か?」
「実は…任務を代わって欲しいんです」
「任務?」
責任感のあるリアのことだ。何か重要な理由があるに違いない。
「良いけど、どんな任務?」
「身代わりなんです。よくはわからないんですけど、金髪じゃないとダメだって言われたので…」
「それでおれ、か」
アクトは少し考えて、頷いた。
「わかった。おれでよければ」
「ありがとうございます!私、別の仕事がグループ単位で入っちゃって…」
「だろうと思った。頑張ってこいよ」
「はい!」
リアは敬礼してそこから立ち去る。
後姿を見送ったあと、アクトは蹲るディアを見る。
「…何やってんだよ、お前」
「…お前本当はマゾじゃないだろ…」
「どうだろうな」
それが、今回のいきさつ。
まさか、こんなことになるとは思いもしなかった。
時速百二十キロで走る車で任務地に向かい、依頼人に会う。
相手側の要望で私服での移動となった。
ディアは黒いシャツに黒いジーンズ、アクトは白いシャツに茶色の細身のパンツ。
二人とも銀のドッグタグペンダントをしているが、それは外からは見えない。
到着したアクトとディアを迎えたのは、四十代と思われる男性。
「ようこそいらっしゃいました。ずいぶんと早かったですね」
彼はそう言って二人を家の中へ通す。
椅子に座らせて、まずは自己紹介から。
「私はアグラーズ・ノース。この村の村長をしております。宜しくお願いします」
男性は丁寧に頭を下げた。
人の良さそうな笑顔をこちらに向ける。
「アクト・ロストートです。階級は中佐です」
「ディア・ヴィオラセント。同じく中佐」
二人は笑顔に答えるように頭を下げた。
アグラーズは頷きながら、一枚の写真を取り出した。
「今回お頼みしたいのは、この娘のことです」
写真には美しい金髪の娘が写っていた。
長さはだいたい腰ほど。リアと同じくらいだろう。
「私の娘で、名をクオレといいます」
「美人だなー…」
「ディア、黙れ」
ツッコミを入れながらも、アクトは仕事モードに入っている。
写真を見てからアグラーズに返すと、真剣な表情で尋ねる。
「娘さんに何かあったんですか?」
「娘は今首都にいます。結婚が嫌で逃げ出したのです」
「結婚?」
「えぇ。隣にある町の町長の息子との結婚が決まっているのです。
しかし娘は好きでもない相手との結婚が嫌だと申しまして…」
アグラーズはため息をつく。
「そりゃそうだろ。好きでもねぇ相手と結婚なんか…」
「ディア、黙れ」
本日二度目の台詞に、ディアは舌打ちしてそっぽを向く。
「私共もそれはわかっているのです。しかし町長がうちの娘を差し出せと…
もし背いた場合は、村をめちゃくちゃにすると言い出しまして…」
アグラーズは俯く。
大事な娘をやりたくない。だから娘が首都へ逃げてよかったと思っている。
しかし、村がめちゃくちゃにされるのも嫌だ。
そう言って、彼は顔を上げた。
「お願いです、アクトさん!娘の…クオレの代わりに町長の息子と結婚してくださいませんか?!」
アグラーズの表情は必死だった。
しかし、口にした言葉はあまりにも唐突だった。
「…何ぃぃぃ――?!」
民家から二人分の大声が響き、周囲の家々にも聞こえた。
「でも、あの…」
「お願いです!あなたしかいないのです!」
「あの、実は…」
「あなただけが頼りなんです!」
「いや、おれ、男なんですけど…」
「構いません!」
アグラーズは勢いでそう言ったが、そこでふと止まった。
「…男の方、ですか?」
「はい。本当は女性が来るはずだったんですが、彼女は別件がありまして、代わりにおれが」
アグラーズはそれを聞いてショックを受けたようで、暫くうなだれていた。
そして頭を抱えていたと思うと、急に顔を上げ、言った。
「それでも構いません。どうせフリだけです。それにあなたなら十分女性で通用する!」
誉めているのか貶しているのかわからない台詞を吐いて、アグラーズはアクトの手をとった。
「お願いします!結婚してください!」
「オッサン、その状況で主語がないと誤解招くぜ?」
ディアがツッコんだためにアグラーズは慌てて手を離したが、今度は頭を下げて頼んだ。
「…でも…そういうことは軍じゃなくても…」
アクトが言いかけたとき、ディアの無線のスイッチが入った。
軍からの信号を受信すると自動的にスイッチが入るようになっているのだ。
無線に接続してあるイヤホンをつけ、返事をする。
「何だよ?今取り込み中だけど…」
『上司に向かってその態度は頂けないな』
「何だよ、カスケードか…」
アクトはその名前に反応し、アグラーズに断りをいれてディアの傍へ行く。
『仕事中だ、大佐と呼べ。…それより、すぐ戻ってこい』
「は?だって俺今…」
『アクトは一人でも大丈夫だろう。私に従え』
「いつも思うけど、私っての似合わないぜ?…それより、何だってんだよ」
『上司には敬語を使え。…実は、危険薬物の情報が入った』
「…待ってくれ。今外に出る」
ディアの表情が真剣になったのを見て、アクトは何か大変なことがあったのだと察する。
ディアが口を開く前に頷いて、アグラーズにもう一度断りを入れてから外に出た。
「…危険薬物が何だって?」
声をひそめて話す。アクトもそれを聞いてディアの耳から片方のイヤホンを取り、自分の耳につける。
『取引されているらしい。情報をもとに現地調査を実施する』
「それで俺に戻って来いって?何で俺なんだよ」
『お前を現地調査総指揮に任命する。…それにアクトには仕事を続けてもらわなければならない』
アクトは何も言わずに、黙って上司の声を聞く。
ディアはアクトをちらりと見て、再び声に聞き入った。
『危険薬物の取引の舞台は、今お前達がいる場所の隣の町だ。
結婚式のときは町民全員が出席するようにし、街中を捜査する。
アクトにはそのために結婚式にでてもらわなければならない』
「…知ってたのかよ」
『ついさっき本物が来て事情を話してくれた。彼女は暫くこちらで匿う』
「おい、大佐サンよぉ…アクトを囮にする気かよ。冗談じゃ」
「わかりました。身代わりを引き受ければ良いんですね?」
アクトはディアの言葉を遮る形で、漸く口を開く。
『何だ聞いていたのか。それなら話は早い。頼んだぞ』
「わかりました」
「アクト、お前…」
「仕事だ。やらないわけにはいかないだろ」
アクトは立ち上がって、家の中へ戻る。
直後、アグラーズの歓喜する声が聞こえた。
「…カスケード、何考えてんだよ」
怒りを含んだ声。感情は向こうへ伝わっているだろう。
『アクトの言うとおり、これは仕事だ。私情を持ち込むな』
「万一あいつが危険な目にあったら、責任取れるのかよ」
『とにかく一度戻って来い。作戦会議がある』
「悪ぃが現地合流させてもらうぜ。俺はお前には従わない」
『…好きにしろ。追って連絡する』
無線はそこで切れた。
ディアは無線のスイッチを乱暴に切ると、家の中に入った。
家の奥からアグラーズの喜ぶ声が聞こえる。
アクトはただ黙って座っていた。
「…アクト、どうして引き受けたんだよ」
「仕事だからだ」
「囮なんだぞ?もし何かあったら…」
「ディア、マグダレーナ元准将を覚えてるか?」
急に、懐かしい名前が出てきた。
二人も世話になったことのある、三年前に退役した女性軍人だ。
「マグダレーナ元准将は、自らの危険も帰り見ずに自分から囮を引き受けた。何度もだ」
「でもお前はマグダレーナじゃないだろ?」
「あぁ、違う。だけど…」
アクトはディアを見る。
目つきは鋭いが、睨んではいない。
何かを決心しているような目だ。
「…だけど、おれはあの人と同じ、軍人だ」
「…アクト…」
今までにも色々なことがあった。
何度かこんな目をしたことがあった。
強い意思を持った紫の瞳に見つめられると、反対など出来ない。
「…わかった。お前を信じる」
「それで良いんだよ。…で、いつ戻るんだ?」
「戻らねぇ。俺は連絡が来次第、現地合流する」
「よく許してもらえたな」
アクトにそう言われて、ディアはハッとする。
そういえば、あっさりと「好きにしろ」と言われた。
頭に血が上っていて気付かなかったが、これは許しだったのだ。
ディアを良くわかっている上司だからこその承諾。
「…カスケードの奴…」
「上司だし年上だろ。呼び捨てはやめとけ」
中央指令部総出の、大規模なミッションが始まった。
目標は酒とギャンブルの無法地帯、マルスダリカ。
作戦会議に出席したのは尉官から上の、その中でも今回の作戦班の指揮者達。
会議の前、グレン・フォース大尉はカスケード・インフェリア大佐に呼び出された。
「…ま、そういうわけだ。捜査班総指揮及び第一班班長のヴィオラセント中佐は会議欠席だそうだから、お前頼むわ」
「頼むって…」
突然のことで慌てるやら呆れるやらで、グレンはつい溜息を漏らす。
カスケードはすまなそうに手を顔の前に出す。
「今だけお前が班長。悪いな、不良がわがまま言うもんだから」
「今だけで良いんですね?」
「あぁ。あいつは後で思いっきり減給してもらうよう頼んどくから、勘弁してやってくれ」
「…わかりました」
以前の仕事でもかなり無茶をしていたが、今回もきっと前以上の事をしでかすだろう。
そう考えると、この先が不安になる。
仕方なく会議室へ向かおうとすると、後ろから呼び止められた。
「グレンさん」
「…カイか。どうした?」
呼び止めたのはカイ・シーケンス少尉。ほとんどの場合行動を共にしている、いわば「相方」だ。
「今回の任務、危険薬物の捜査らしいですね」
「あぁ。お前もうろうろしてると捕まるんじゃないのか?」
「それは酷いですよ。俺はそんなに危なくないです」
「十分危ないだろ」
そう思ってるのに何でいつも同じパターンで落ちるんだろう、とカイは思ったが、口にはしなかった。
「…それじゃ、会議だから」
「いってらっしゃい。おとなしく待ってます」
「お前にそんなことできるのか?」
「またそういうことを…」
短い会話を終え、会議室へと足を運ぶ。
すでにほとんどが集まっており、顔見知りも何人かいた。
「あ、フォース君、席こっちですよ」
呼ばれて振り返ると、アルベルト・リーガル少佐がいた。
「僕の隣みたいです。…正確には、ディア君の席だそうですけど」
困った人ですよね、とアルベルトは笑った。
グレンはその席に座り、周囲を軽く見回す。
「危険薬物の捜査についてですよね」
「そうらしいですよ」
「どんな薬なんですか?」
急に尋ねられ、アルベルトは少し考える。
「インフェリア大佐の話だと、”イリュージョニア”。幸福感と幻覚、強い依存性が特徴だそうです」
「”イリュージョニア”か…」
今まで薬物関連の仕事にはあまり関わったことはないが、おそらくカイなら知っているだろう。
カスケードが会議室に入ってきたところで、会議が始まった。
「聞いているとは思うが、今回は中央総出で危険薬物の捜査にあたる。
マルスダリカは知ってのとおり無法地帯で、情報の信憑性はきわめて高い」
カスケードはホワイトボードに簡単な図を描き、説明を再開する。
「今回の作戦は二手に分かれる。捜査班と警備班だ。…悪いが、独断と偏見で決めさせてもらった」
カスケードが封筒から取り出したのは数枚の紙。おそらくそれが今回の作戦の名簿なのだろう。
「捜査班第一班…ディア・ヴィオラセント中佐、グレン・フォース大尉、リア・マクラミー中尉、カイ・シーケンス少尉、ラディア・ローズ曹長。班長はヴィオラセント中佐。次、捜査班第二班…」
名前が次々と呼ばれていく。知っている名前も挙がっていく。
「警備班第一班…アルベルト・リーガル少佐、ブラック・ダスクタイト中尉…班長は私だ」
隣でアルベルトが複雑な表情をしているのが見える。グレンは全ての名前が読み上げられるまでひたすら待った。
「捜査班総指揮はヴィオラセント中佐、警備班総指揮、作戦総指揮は私がとる。…以上だ。何か質問や異議は?」
「一つよろしいですか?」
「フォース大尉、何か?」
「何故、中央総出だと言っておきながら最高責任者は佐官なのですか?」
先ほどから将官は一度も出てきていない。会議にも参加していない。
ここまで大掛かりな作戦だというのに、奇妙だ。
「…将官は将官で、別の方面を追っている。春にあった南方の事件も完全に片付いたわけではないらしいしな」
カスケードは書類を封筒に戻し、封をする。
「それとも、総指揮が私じゃ不安か?」
「…いいえ。」
寧ろ将官より信頼できるかもしれない、と言いたい所だが。
「他に質問がないなら、これにて会議は終了だ。出動は明日早朝。そのために今日はゆっくり休むんだな」
カスケードが会議室を後にして、他がそれに続く。
全員が会議室を出たのを見計らい、カスケードだけが再び戻ってくる。
無線のスイッチを入れ、会議欠席者につないだ。
無線が信号を受信する。
アクトはイヤホンを装着し、それを受ける。
「…はい」
『アクトか?不良どこ行った?』
「風呂です」
『この非常事態に何やってるんだよ…』
カスケードの呆れ果てた声が耳に届く。
仕事時とは違う普段の彼がそこにいて、アクトは少し安心する。
「大佐、ディアに代わりますか?」
『いや、いい。あと、いつもみたいに呼んで良いぜ』
「…それで?会議のこと伝えるんだろ、カスケードさん」
『あぁ、早朝に村まで迎えに行く。でもって銀髪とまた組んでもらう。…今回は俺とお前だけ別行動だけどな』
「そうだね」
以前グレンたちと組んだのは、確か要人警護。
あの時のことは忘れられない。
『ディアが会議出なかったから、代わりにグレンに出て貰った。…あとで礼言っとけって伝えろ』
「了解。…それじゃ」
『気をつけろよ』
無線が切れる。
明日はきっと、長い。
「アクト、カスケードから連絡なかったか?」
髪を拭きながらディアが浴室から出てくる。
アクトは頷き、連絡を伝えた。
「グレンちゃんたち一緒か…また大変だな、こりゃ」
「お前が一番厄介なんじゃないのか?…早朝だからもう寝たら?」
「そうだな。…起こせよ」
「起きろよ」
明日はきっと戦いになる。
皮肉にもここ最近で一番天気がいい朝。
おそらく、「結婚式日和」。
式に出る当の本人は憂鬱だったが。
「遅いな、迎え」
「起きるのが早すぎたんだよ」
どうやら寝るのも早すぎたらしい。
支度が完了しても、まだ余裕がある。
「アクトさん、起きてらっしゃいますか?」
アグラーズの声がドアの向こうから聞こえる。
アクトが返事をしてドアを開け、部屋の外へ出る。
そしてすぐに戸を開け、ディアに告げる。
「じゃ、おれ着替えてくるから」
「着替え?」
「…衣装に」
ドアが閉まったあと、ディアは思う。
アクトは花嫁の身代わりになる。そうなると「着替え」たあとは――。
「…マジかよ…」
改めて考えると、落ち着いては居られなくなった。
部屋の中をうろうろしながら呟く。
「どんなんだよ…普通の民族衣装とか…でもそんなに特徴的な民族じゃねぇし…」
事情をあまり知らない人には、彼が新郎に見えるだろう。
暫くして、ドアをノックする音がした。
「おはようございます、ディアさん」
「…ども」
アグラーズの前でも、動揺を隠し切れない。
「アクトさんの着付けが終わりました。見てみますか?」
「…一応」
廊下を歩く足が、自然と速くなる。
あるドアの前で止まると、心拍数が上昇するのがわかった。
「アクトさん、ディアさんが来ましたよ」
「何で連れてくるんですか!」
中から聞こえてくる声は、明らかに焦っている。
「大丈夫ですよ、似合ってるんですから」
「だから嫌なのに…」
アクトの思いは通じることなく、ディアは中へ通される。
室内にはカーテンが張ってあり、その前に着付け担当と思われる女性がおり、嬉しそうに笑っている。
「ディアさん、彼女は私の秘書です。デザイナーもしておりまして、ドレスは彼女の作品です」
「へぇ…」
ディアが聞いていたのはその女性が秘書であるということではなく、衣装がドレスだというところだけだった。
「ご覧くださいな。こんなに似合う人は初めてですわ」
アクトが男だということはすっかり忘れ去られているようだ。
秘書の女性がカーテンをスライドさせる。
完全に隔てるものが無くなった時、そこにあったのは純白だった。
肩の部分と腰の辺りには白い薔薇があしらわれており、全体的に少し細身に作られている。
着ているのは明らかに見知った人物だが、紅をひいている所為か少し色っぽく見える。
「アクト…?」
「…なんだよ…笑いたきゃ笑え」
恥ずかしいのか化粧の所為なのか、頬は僅かに赤く染まっている。
それが余計に、本物のように見せる。
「変われば変わるもんだな…」
「これは変わりすぎだ。女装なんか初めてだよ、おれ…」
見た目は違っても、中身はいつものアクトだ。
ディアは少し安心し、改めて全体を見る。
「…似合うな」
「悪かったな、素が女みたいで」
「そういう意味じゃねぇって」
丁度その時、ポケットの無線が信号を受信した。
おそらく、着いたのだろう。
「…じゃ、俺行くから」
「あぁ。…幸運を祈る」
「お前も、な」
手の甲を互いに軽くぶつけ合い、暫しの別れとなる。
とうとう全てが始まった。
「アクトさん、我々もそろそろ行きましょうか」
「…はい」
戦いは今、幕を開けた。
村の外れに一台の車。
すぐ隣の町へ遠回りで向かうそれには、五人の人物が乗っている。
全員軍人だが、それを隠す都合で私服だ。
「良いんですか?」
後部座席に座っているカイが、隣に座っているディアに訊く。
「何がだ」
「アクトさん。心配じゃないんですか?」
「…あいつなら大丈夫だろ」
「俺が同じ立場なら何が何でも式場警備にまわりますけどね」
カイが言いたい事はわかる。何かあったときに傍にいなくて良いのかということだろう。
全く心配していないというわけではない。寧ろ、ものすごく心配だ。
しかし信じるといった以上、自分はそこへ行ってはいけないような気がする。
「式場にはカスケードもアルベルトもいる。…それよりいつになったら着くんだ?」
半ばごまかすような形でカイとの会話を切り上げ、運転席のグレンに尋ねる。
「もう少しかかります。都合上遠回りは仕方ないので」
「にしても遅いだろ。六十キロしか出てねぇじゃねぇか。運転代われ」
「ダメですよ。グレンさんは自分で運転しないと酔うんです」
カイがそう答えて、ディアは仕方なく諦める。
やっと町が見えてくると、その途中に人が立っている。
「…あれ、ツキか?」
「そうですね。ツキさんです」
そう答えたのは対象人物と同じ階級のラディア・ローズ曹長だ。
車はツキの前で停まり、助手席に座っているリアが彼に尋ねる。
「どうしたんですか?」
「まだ式場準備が出来てないから、町に進入するのが不可能らしい」
何度かこの町に来たことのあるツキに別の進入口を教えてもらって、再び車を走らせる。
ディアのイライラは募るばかりだ。
「グレンちゃん、もうちょいスピード出してくれよ」
「まだ準備が出来ていないなら、ゆっくり行った方が良いです」
それは当然のことであるはずなのに、今のディアにはそれすらも考えられない。
焦っている。落ち着かない。
多分それは、相方がいないから。
「やっぱり心配なんですか?」
ラディアが尋ねるとディアは首を横に振るが、リアが少し俯いて口を開く。
「ごめんなさい。私が身代わりを引き受けていたら…」
「いや、お前の所為じゃねぇよ。捜査との関連性はその時はわからなかったんだしよ」
「でも…」
「それに俺はちょっと得したしな。結構綺麗だったぜ、あいつ」
リアが気にしないようにその台詞を言ったつもりだったが、寧ろ自分がそれを思い出してしまい、思わず口元が緩む。
「何ニヤニヤしてるんですか?」
ラディアの容赦ないツッコミに、ディアは慌てて顔を逸らす。
「そんなに綺麗だったんですか?俺も見たかったなぁー」
カイもそう言うが、彼が見たいのはアクトではなくグレンだろう。
その証拠に彼の視線は運転席に向いている。
「…何で俺を見るんだ」
「良いから、良いから。それより前見てください」
この雰囲気にリアも少し和んだのか、申し訳なさそうな表情は消えていた。
ディア自身の苛立ちも少し緩和されたようだった。
そうして町に入る頃にはすでに式の準備が整い、町のものは全て式場に集まっていた。
「結構人が多いですね。…うわっ」
そう呟いたのはアルベルトだ。
早速人にぶつかり、睨まれている。
警備班の一部は私服で客の中にもぐりこみ、もしもの場合には客が外に出ないようにする。
そう指示を出したカスケード自身はこの状況を結構楽しんでいた。
「あっちもこっちもガラの悪そうな奴ばっかりだな。お前は違和感無いな、黒すけ」
アルベルト、カスケードと共に組んだブラック・ダスクタイト中尉はいかにもつまらなさそうな態度をとり、それが余計に周りの雰囲気に溶け込ませている。
「黒すけって言うんじゃねーよ。大体、どうしてオレがお前らと一緒に組まなきゃなんないんだ」
「仕事だ仕事。今日ぐらい我慢しろ」
カスケード自身も違和感は全く無いが、それについては誰もツッコまない。
暫くして町長が現れ、挨拶を始めた。
「皆さん、本日は私の息子ヤージェイルの結婚式に来ていただき、まことにありがとうございます」
腹の出た中年男の話は延々と続き、それだけで会場はうんざりした雰囲気になる。
「客が出ようとしたら止めろよ」
「…欠伸してるアンタが一番不安だ」
カスケードはブラックにツッコまれつつ、もう一つ欠伸をした。
その頃控え室では、アクトがアグラーズと進行の確認をしていた。
「良いですか、あなたは身代わりですが花嫁です。くれぐれも乱暴な言動は慎むように」
「わかってます。相手がディアじゃなければそんな言動しません」
「なら良いのですが…」
アグラーズがそう言った時、足音が近付いてくるのが聴こえた。
二人は黙ってドアを見つめる。
ノックも無くいきなり入ってきたのは、金髪を後ろに流したガラの悪い男。
着崩れてはいるが、衣装からして新郎であるようだった。
「ヤージェイル殿、新婦の部屋にノックも無く入ってくるのは失礼だと思わないかね?」
アグラーズがそう言うと、男は馬鹿にしたように鼻で笑った。
「うるせーんだよジジイ。オレの女に何しようとオレの勝手だ。…この部屋から出てもらおうか」
「何を言いますか!私は娘を一人にするわけには…」
「出ろっつってんだろジジイ!それともテメェの目の前で娘犯してやろうか?嫌なら出てけ」
アグラーズはアクトを見る。アクトは頷いて、部屋を出るよう促す。アグラーズはそれに従った。
ドアは男の手によって閉められ、鍵が掛けられた。
「物分かりのいい女だな。クオレだっけ?」
「…あなたは?」
暴言が出そうになるのを抑えながら、アクトは静かに訊く。
「オレはヤージェイル。アンタの旦那。…結構いい女じゃん。予想以上だ」
ヤージェイルはアクトに近付き、顎に触れて顔を上げさせる。
「そう睨むなって。…おとなしくしてれば乱暴なことはしねーよ。ちょっとヤらしてくれるだけで良いからさ」
「結局目的はそれ?そんなの結婚したらいくらでもできるのに?」
「アンタ威勢いいなぁ。オレ結構苛めるの好きだけど、アンタは苛め甲斐ありそうだ」
「自称サディスト…か」
アクトはそう呟き、ヤージェイルの手を振り払う。
そして思い切り睨みつけ、嘲笑を見せる。
「悪いけど、より残酷なサディストを知ってる。そいつに勝てたら、苛められても良い」
それを聞いてヤージェイルは一瞬目を丸くするが、すぐに大声で笑い出した。
「面白いな。そいつはアンタの元恋人か何かか?…良いぜ。受けてたってやる」
ヤージェイルは笑いながら部屋を出て行った。アクトはドアを睨みながら、ドレスの上からそっと腿の辺りに触れた。
部屋から出たヤージェイルは外にいたアグラーズを見ると、胸倉を掴んで引き寄せた。
「…やりやがったな」
「な、何がだ…」
「あれはアンタの娘じゃない。村でのんびりと育った娘の眼じゃねぇよ。…あれは死線潜り抜けてきた眼だ」
何も言い返せないアグラーズを解放し、上から見下す。
「何で偽者用意したのかは知らねーが、逆に都合が良かったぜ。あの女、いい女だ」
ヤージェイルはそこから立ち去り、アグラーズはゆっくり立ち上がる。
「肝心なことがばれなければそれでいい…。せいぜい結婚式ごっこを楽しむが良いさ」
呟いた声を聞いたものは、誰もいなかった。
誰もいない、静まり返った町。
普段はギャンブラーや酒飲みで溢れているマルスダリカから、人が消えた。
町長の息子の結婚式となれば全員強制参加らしい。
「危険薬物…そこらへんに結構ありそうですけどね」
「本当に持ってたらそこらへんにはないぜ。ためしのそこの木箱とか見てみろ。きっと何も無いぞ」
カイの軽い口調に、ディアは建物の陰に積まれている箱を指差して言った。
ラディアが箱に近寄り、それを開封する。
当然何も無い。誰もがそう思っていた。
しかし、
「ありました!これですよね?」
ラディアの声は真実だった。
カイが近付き、箱の中身を見る。
白い粉の詰まった小さな袋が大量に入っている。
その中の一つを取り出して袋を破り、粉をほんの少し舐めてみる。
「…間違いないですよ。イリュージョニア…しかもかなりの上物です」
「…マジかよ…」
ディアは自分で見ているものが信じられない。
リアが街灯を見上げて何かに気付き、そこに鞭を放つ。
何かを弾き落とし、それを拾い上げる。
「これもそうですね。あんなところ、気付いたらすぐですよ」
「妙だな…」
グレンが呟く。危険薬物を持っていれば、わかりにくいところに隠すのが当たり前だ。
裏の裏をかいてというにしてはあまりにも簡単すぎ、わざと見せ付けられているようにも感じる。
無線にも次々と連絡が入り、その全てが異常なほど簡単に見つかっていた。
「ディアさん、村長の家、教えてくれますか?」
グレンが真剣な表情で尋ねる。
「村長?町長じゃなくてか?」
「隣村の村長の家です。…それから、ディアさんは式場へ向かってください」
「は?何で…」
「早くして下さい。カスケードさんにも連絡をお願いします」
この頭脳明晰な少年はすでに何かを確信しているらしい。
ディアはそれに従った。
「…カスケードか?」
『ディア…あれは見つかったのか?』
「簡単に見つかりすぎて、グレンちゃんが怪しんでる。一班だけ別行動とることを許可しろ」
『上司への態度じゃないな。…まぁいい。それで、お前はどうするんだ?』
「何がだよ」
どうする、と訊かれても、何のことか掴めない。
『このまま捜査を続けるか、式場へ来るか…俺が許す。好きにしろ』
無線はそこで切られる。
どうして周りの人たちはこんなに親切心に溢れているのか。
ディアはため息をつくと、グレンに言う。
「グレンちゃん、悪ぃ。指揮任せる」
「…だろうと思いましたよ」
最初から諦めていた、という風に言って、グレンは指示を出す。
「今から村に行く。町の捜査は他の班に任せて、俺達は別の方面から当たる」
「了解!」
グレン達四人が見えなくなると、ディアは式場へ走り出した。
ここからは少し遠い。しかし、薬物を全て回収するには丁度いい時間だろう。
式場ではカスケードが、話を終えて戻っていく町長を見ながら呟いていた。
「後悔しないように…大切なものは守らなきゃな」
新郎新婦の入場を告げる鐘が鳴り始めた。
タイムリミットは、あと僅か。
式場ではヤージェイルとアクトがすでに入場していた。
歓声が式場を包む中、カスケードとアルベルト、珍しくブラックまでもが「開いた口が塞がらない状態」に陥っていた。
「…綺麗過ぎないか?」
カスケードはつい花嫁を凝視する。
「あれじゃ完全に女性ですね、アクト君…」
アルベルトはそう言いながら、この役目は本来リアが担うものだったことを思い出す。
「綺麗なんだろうなぁ…」
つい呟くと、隣から「馬鹿じゃねーの?」と言われた。
「それでは、新郎ヤージェイル…あなたは新婦クオレを妻として永久に愛することを…」
神父の古い言い回しは会場の騒ぎに消される。
ヤージェイル本人も、
「そんなのいいから次進めよ次」
と茶化す。
「…新婦クオレ、あなたは新郎ヤージェイルを…」
これもかき消され、アクトが何も言うことなくとばされた。
「それでは指輪を交換し、口付けを…」
神父の立場はほとんど無い。
しかし、この部分だけはヤージェイルも忠実に実行する。
「手」
「…」
アクトは拒む。
身代わりとして務めなければならないのに、出来ない。
受け入れたくないのだ。
「…まぁ、どうせ身代わりだしなぁ。拒むよなぁ」
「!」
バレていた。
幸いアクト以外の誰にも聴こえていない。
「でもアンタいい女だから、本気で手に入れたくなった。指輪はどうでもいい。ただし…」
アクトの身体はヤージェイルに引き寄せられ、あと数センチで唇が重なろうかというところまで来る。
その様子を遠くから見ているカスケードは、外で警備に当たっているツキにこっそり連絡をとる。
「来てるか?…わかった。じゃ、鍵外しとけ」
カスケードが笑っているのを見て、アルベルトは不思議そうに首をかしげた。
一方村の外れにある花畑で、グレンとカイは「決定的な証拠」を見つけていた。
「間違いないですよ。明らかにイリュージョニアの原料です」
「やっぱりか…」
読みは当たった。さらに、村長宅へ向かったリアとラディアも。
「隠し扉、ありました!やっぱり中は…」
「…大量のイリュージョニアと、製造機…秘書さん、説明していただけますね?」
動かぬ証拠が、そこにあった。
マルスダリカに罪を着せ、自分達はその陰で危険薬物を作る。
それを裏ルートに乗せれば、この村には大量の金が入ってくる。
全ての元凶は、村長アグラーズと、その娘クオレ。
中央司令部全体が相手の、大規模な芝居だったというわけだ。
「アクトさんの服、持っていきます?」
「そうね。きっと今ごろは…」
式場の扉が勢いよく開く。
その音に全ての人が振り向き、会場は静まり返る。
「何だね、君は!」
町長が歩いてくるが、その男はそれをものともしない。
不敵な笑みを見せると、こう言った。
「花嫁、奪いに来たぜ!」
ディアの声は、ちゃんとアクトに届いた。
道の真ん中を堂々と進み、アクトのもとへ辿り着く。
「…ほら、お前の仕事は終わりだ。」
「おれの仕事はいいけど、自分の仕事どうしたんだよ」
「周りが親切すぎるんだよ。…いくぞ」
花嫁がとったのは、盗人の手。
婿の下を離れ、走る。
「待ちやがれ!」
「ヤージェイルの女だぞ!」
町のものが一斉に二人を取り囲む。
手には結婚式にふさわしくない武器の数々。
「…強行突破?」
「そうなるな」
襲い掛かってきたならず者を、ディアは殴り倒していく。
ディアの後方から攻撃が来ると、アクトは素早くドレスの裾を上げ、腿のところに固定してあったナイフを取り出した。
銀色の、十字の装飾が施されたナイフ。
それで軽く、素早く切りつける。
「珍しいな、そっち使うの」
「お前無しでも戦えるように、一応」
「言ってくれるじゃねぇか」
抜群のコンビネーションに太刀打ちできるものは誰一人としていない。
最後に残ったのは、ヤージェイル本人。
「なぁ、アンタの言ってたサディストって、そいつ?」
「あぁ。知っている中では最も残酷なサディストだ」
「へぇ…何で?」
ヤージェイルがポケットの中に手を突っ込み、折りたたみナイフを取り出す。
「理由はな…」
アクトは一歩下がり、ディアの背を軽く押す。
ヤージェイルはナイフを構え、ディアを狙って走る。
しかしディアはそこから動かず、
ヤージェイルの腹部に一発喰らわせた。
「こいつは優しさっていう残酷な感情持ってるサディストだから。…って、聞いてない、か」
式場は静まり返る。
倒れているもの以外、誰もいない。
外にはアグラーズがいて、必死でその場から逃げようとする。
しかし、それは簡単に止められた。
「どこ行くんだ、危険薬物事件首謀者さん?」
ダークブルーの髪が風に揺れ、海色の瞳は何よりも深い。
「連絡はきています。あなたの家から製造機も見つかりました」
「諦めた方がいいんじゃねーの」
黒髪から覗く綺麗な緑の瞳は、二人で同じ輝きを持つ。
アグラーズは完全に、動きを封じられた。
全ては終わった。
アグラーズ・ノースとその娘クオレは薬物の作成、流通と軍への虚偽で検挙、村は取り調べられ、マルスダリカの町も念のため捜査がなされたが無実だった。
中央司令部から捜査に当たった軍人は集められ、総指揮カスケード・インフェリア大佐から一言告げられた。
「今回の任務、ご苦労だった!今日は戻ったらゆっくり休め!」
歓声が上がる中、そこから離れて見ている者が数名。
「やっと終わったな」
グレンは息をつき、言う。
「今回も大変でしたね」
「ホントですね。…でも結構楽しかったです」
カイとラディアが言う。
「それにしても、大きな仕事だったわね。…あ」
リアが何かを思い出したように言う。
「どうした?」
「何かあったんですか?」
「…服…」
「え?」
リアは困ったような笑顔で、
「アクトさんの服…まだ返してなかった…」
気まずそうに、言った。
「服、無い」
一度アグラーズの家に行ったが、アクトの服が消えていた。
ドレス姿のままのアクトは、一気に青ざめる。
「一緒に置きっぱなしだったのに、ペンダント…」
ディアのものと同じデザインのペンダントは、少し前にアクトが二人分買ってきた物だった。
「グレンちゃんたちが持ってるんじゃねぇの?…いいじゃねぇか、そのカッコでも」
「良くない!歩きにくいし…」
「じゃあ抱いていってやるよ。俺優しいから」
「…一生言ってろ」
アクトは冷たく言うが、行動はそれとは反していた。
ディアに抱きつき、小さな声で言う。
「…来てくれて、ありがとう」
いつもはなかなか素直にならない言葉が、今日は少しだけ素直になれる。
ディアは自分より小さなその身体を抱きしめる。
目が合ったとき、いつものように唇を重ねた。
動き回って汚れた服と純白のドレスでは、あまりにも違いすぎるけれど。
だけど、それが二人の誓い。
「…服返しに来たけど、お邪魔みたいね…」
窓の外からこっそり覗いて、リアが呟く。
「もう少しこのままでも構わないみたいですね」
「じゃあほっときましょうよ。…でもってあのドレス、どうなるんですか?」
「貰えちゃったりして…」
「じゃあ借りてくればグレンさんにも着せられますね」
「カイ、そんなに撃ち抜かれたいか?」
オレンジ色の空の下、たくさんの車が首都へ帰っていく。
Fin