君が居るからここに居る。

 

エルニーニャ王国軍中央司令部は、今日も慌しい。

「…あ、おいしー」

「だろ?ニアには負けるけど、紅茶入れるのなら任せとけ」

「意外だな、カスケードがこういうの得意って…」

…今日も、慌しい。

第三休憩室でカスケード・インフェリア大佐とディア・ヴィオラセント、アクト・ロストート両中佐がのんびりとくつろいでいる時、スピーカーから焦った声が響いた。

『緊急会議を行う。将官は直ちに第二会議室に集合。繰り返す…』

何かあったのだろう。将官が急に会議を開くことなど良くあることだ。

佐官なので特に関係の無い三人は引き続きアップルティーと茶菓子を味わおうとしていた。

しかし。

『…並びにディア・ヴィオラセント中佐、直ちに第二会議室へ来るように』

知っている、というよりもすぐ傍にいる者の名前に呆れた顔をするカスケードとアクト、

そして、身に覚えが無く驚いているディアがそこに居た。

「…何したんだよ不良」

「いいかげんにしないと異動になるぞ」

「俺は何もしてねぇって…」

どうせいつものように暴れたのだろうと相手にしない二人を背に、ディアは面倒そうに休憩室を出て行った。

ブツブツと文句を言いながら向かう先は、第二会議室。

乱暴に戸を開け、いかにも嫌そうな顔をして会議室に入る。

すでに将官は揃っていて、ディアは大将のすぐ傍に座らされた。

「…ヴィオラセント、何故ここに呼んだか説明しよう」

「もったいぶらねぇでさっさとしてくれよ。休憩時間なくなっちまう」

「口のきき方に気をつけろ!」

「…で、説明は?」

茶々入れにも全く動じず、ディアはそれを待つ。

しかし大将の口から出た言葉は、ディアを不真面目さから目覚めさせるには十分すぎる言葉だった。

「皆も、心して聞いてくれ」

大将は息をつき、真剣な眼差しを全体に向け、言った。

「…実は、隣国ノーザリアの大将、フィリシクラム・ゼグラータが暗殺未遂にあった」

周囲がざわめく。

ノーザリアはエルニーニャの北にあり、国王に統帥権がある国だ。

したがって軍の最高責任者はこの国のように大総統なのではなく、大将となっている。

その大将が暗殺未遂にあったということで、衝撃も並々ではない。

しかし、ディアがそれを聞いて隣に座っていた大将に掴みかかったのは、そういう理由ではなかった。

「今なんつった?!オヤジが暗殺されただと?!」

「落ち着け、ヴィオラセント。…あくまでも未遂だ。ゼグラータ氏は生きている」

大将が落ち着き払ってそう言うと、ディアは手を離し、椅子に腰を戻した。

「…無事なのか?」

「意識不明らしい。このままだと危険だ」

拳を強く握り、これは夢だと自分に言い聞かせる。

しかしその思いとは裏腹に、握った拳には痛みが生じる。

「誰が暗殺なんか…」

「わからない。…ヴィオラセント、ゼグラータ氏の容態を見て来い」

「…あ?」

大将の言葉を反芻し、その言葉の意味を一つ一つ確かめる。

「容態を見て来い」――すなわち、それは。

「ディア・ヴィオラセント中佐、ノーザリアへの遠征を命ずる」

「でも、俺は…!」

「例の件なら問題ない。皇太子殿下直々の許可が下りている」

例の件とは、エルニーニャ軍の将官以上のものだけが知る、ディアについての秘密事項だ。

ディアはもともとノーザリアの軍人で、国外追放刑によりエルニーニャに来た。

彼のエルニーニャ軍入隊の手配をしたのが、ノーザリアのフィリシクラム・ゼグラータ大将だった。

そして彼はまた、ディアの育ての親でもあるのだ。

「少将一名が同伴となるが、六年ぶりの里帰りだ。無事を確かめて来い」

大将の言葉に、ディアは立ち上がり、めったにしない敬礼をした。

 

「不良、話は終わったか?」

カスケードが軽く声を掛ける。

「今度は何したんだよ。おれはもう知らないからな」

アクトが呆れた調子で言う。

しかし、二人に何も返さずにディアは通り過ぎた。

いつもと違う眼をして。

「…おい、何かあったのか?」

アクトがディアの腕を掴み、止めようとする。

動きは止まったが、目はこちらを向いてはいない。

「ディア…?」

「アクト、悪い。…夕方には出ねぇと…」

「どこか行くのか?」

ディア単独での任務は珍しい。大抵はアクトと組まされる。

しかし、今回はそれに加えて将官が関わっている。

何か重大なことがあったとしか思えない。

案の定、アクトの耳に届いたのは衝撃だった。

「ノーザリア…オヤジのところだ」

「…ノーザリア…?!」

アクトはディアの経歴について大体のことは知っている。

国外追放の事も。

「でも、お前…」

「許可が下りた。…だから、行く」

腕を掴むアクトの手が緩み、ディアは前へ進む。

背中が遠くなっていくのを、アクトはただ見つめていた。

「何なんだあいつ…遠征ならそう言えば良いのに」

カスケードはそう言うが、アクトは首を横に振る。

「…違うよ、カスケードさん。あいつ…」

口にしたくは無かった。

言ってしまうと、本当にそうなってしまうような気がして。

戻ってこないかもしれないなんて、思いたくなかった。

 

仕事を終えて寮の部屋に戻ると、荷物がまとめられていた。

一人で残されるのだと改めて思うと、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。

以前にもディアだけが任務に出され、その間留守番をしていたことはあった。

たった一日でも寂しく感じたのに、いつ帰って来れるかわからないと、自分はどうなってしまうだろう。

アクトがそんなことを考えていると、ディアが奥から出てきた。

「おかえり」

「…ただいま」

ディアはすでに出かける準備が整っており、上司から連絡があればすぐに行くつもりらしかった。

「それじゃ、そろそろ行くから」

「…ディア、あの…」

「いってらっしゃい」と、どうしても言えない。

繋ぎ止めておきたくて、たまらない。

何も言えずにいると、抱きしめられた。

何も言わずに、ただしっかりと包む腕。

「ディア…」

「すぐ戻るから」

気持ちを察してか、優しい声。

「オヤジの無事を確認して、オヤジを傷つけた奴をぶっ飛ばしたら、すぐ戻る」

そっと背に腕を回し、抱き返す。

感じる体温が温かい。

「心配するな。寂しいときはカスケードでも、グレンちゃんたちでも、どこ頼っても良いから」

「…わかった」

離れると、二人の間を冷たい空気が通る。

ディアは少し屈んでアクトの額に口付けると、ドアへ向かった。

「…帰ってこいよ!」

いってらっしゃいとは言えない。

だけど、せめて。

片手を挙げて応えるディアの背が、ドアに隔てられて見えなくなる。

一人の部屋で、アクトは一人、銀色のナイフを握り締めた。

 

誰も起こさなくて良い朝に物足りなさを感じて、朝食は抜く。

黙って出る部屋、一人で歩く廊下、組む相手のいない腕。

「おはようございます」

後ろから掛けられた声で、ふと我に返る。

振り向くとそこには、見慣れた姿。

「グレン、カイ…おはよう」

「アクトさん元気ないですよ。…ディアさんいないからですか?」

カイがそう言うと、グレンがそのわき腹をつつく。

ディアがノーザリアに行った事はカスケードから聞いていた。

その所為でアクトが沈んでいることも。

カイはしまった、と思ったが、アクトは普通に答える。

「別に…あいつがいなくたってどうってことない。

それよりカイ、この間の書類提出してくれないとおれとクレインが上からの説教受けるんだからな」

「あ、まず…」

「まだ出してなかったのか。人に迷惑を掛けるな」

グレンとカイはそう言いながらも、少しホッとしていた。

作っている表情であっても、自分達の前では平静でいられるのだ。

これが酷くなったら人前でも自分を取り繕えなくなるだろう。

「それじゃ、昼には持っていきますから…」

「遅い。十時まで」

「そんなぁ…」

「自業自得だな」

「そう言うグレンさんはいつ出したんですか?」

「書類を渡されたその日だ」

軽口を叩き合う二人を見ながら、アクトは気付かれないよう小さくため息をつく。

誰もいない自分の隣を、風が通った。

 

ノーザリア王国王宮で国王に挨拶をする。

面倒だが、これが礼儀だ。

ディアとしては一刻も早くフィリシクラムに会いたかった。

会って、暗殺を企てた犯人を見つけて、一発殴って帰りたかった。

「ヴィオラセント、落ち着きが無いぞ」

同伴した少将に注意されるが、耳に入らない。

その声は国王には届いていて、小さな笑いを起こす。

「良い良い。ゼグラータ殿を心配する気持ちは良くわかる。ご子息ならなおさらだ」

前王とは少し違う、いや、ディアがまだ小さかったときの前王に似た笑顔がこちらに向けられる。

「国王イルセンティア・ダウトガ−ディアム四世、今回の事件の詳細を…」

少将はそう言うが、国王は首を横に振る。

「まずはゼグラータ殿に会ってくると良い。…まだ目覚めないが、その方が落ち着くだろう」

ディアはその心遣いに頭を下げ、向き直ってから敬礼した。

フィリシクラムは軍の病院に収容されていて、病室のドアには「面会謝絶」の四文字があった。

それが事の重大さを表していて、ディアは思わず唇を噛む。

病室のベッドには四十代の男が横たわっていた。

灰色の髪はあの頃と変わらず、目を閉じていても威厳が感じられた。

「…オヤジ…」

呼びかけるが、返事が無い。

「…誰だよ…こんなことした奴…!」

自分が傍にいれば、こんなことにはさせなかった。

だけど、傍にいることは出来なかった。

脳裏によみがえるのは、ある言葉。

自分は今実際に後悔している。守ることが出来なかった自分を腹立たしく思っている。

言葉を言っていたあの者も、こんな気持ちだったのだろうか。

いや、自分はまだ失ってはいない。取り戻すことは可能だ。

「絶対犯人見つけるからな…さっさと起きろよ、オヤジ」

握り締めた拳は、誓いの証。

 

午前中の仕事を終え、アクトはカスケードと共に昼食をとりに食堂へ向かう。

ディアが行ってしまってから何かと世話を焼くのはカスケードだ。

「アクト、一個提案があるんだが」

席につくと同時にカスケードが発した言葉に、アクトは少し首をかしげる。

「何?」

「ディアがいない間、俺の部屋来ないか?」

「…え?」

突然すぎる提案に、アクトは驚きを隠せない。

カスケードは落ち着いて話す。

「一人じゃ寂しいだろ?同室の奴昨日部屋移動したから、俺当分一人なんだよ」

「だからって…」

それはあまりにも危険すぎる。

カスケードが危険なのではなく、周囲が、だ。

今回の状況をわかっている後輩や寮母ならともかく、他の寮生は誤解するかもしれない。

そうなるとカスケードに迷惑がかかるだろうと思い、アクトは断ろうとする。

「やっぱりおれ、自分の部屋にいる。カスケードさんに迷惑掛けられないし…」

「俺は迷惑じゃない。寧ろそうなるとメシが助かる」

「…カスケードさん、そんなにピーマン食べたいですか?」

「いや、ピーマン以外のものが良い」

冗談のようで冗談ではない会話をしていると、知り合いが現れる。

「あ、アクトさんとカスケードさん!」

「ラディア…」

「よ、ラディ。今日も元気だな」

ふわりとした黒髪を揺らし、ラディアはにっこりと笑う。

しかしその笑顔と対照的に、持っているのは大盛りの昼食。

「…あ、そっか。何か足りないと思ったらディアさんいないんでしたね」

ラディアはそう言いながらカスケードの隣に腰を下ろす。

「何でディアさんがノーザリアに呼ばれたんですか?国外なんて行くの普通将官レベルでしょ?」

「あぁ、それは俺も思ってた。メリーに訊くのは反則だと思ったから訊かなかったけど…

アクト、話せるか?」

ラディアとカスケードに言われ、初めて気がついた。

どうやらディアの経歴を本人から聞いたのは、アクト一人だけらしい。

しかし、話していいものか。

それに、今の自分が冷静に話せるだろうか。

「…あとで第三休憩室」

それだけ答えるが、どうするかはまだ決まっていない。

迷いが残るまま第三休憩室に移動する。

「お前達も来たのか」

カスケードの言葉が向けられたのは、グレン、カイ、リアの三人。

どうやらラディアが話したらしい。

「だって、どうしてか知りたいですよ。本来ならこんなことあるはずが無いんですから」

「私はラディアちゃんを止めなきゃ…」

「俺は少しだけ気になって」

それぞれの理由を聞きつつ、カスケードは彼らを椅子に座らせる。

アクトの方をちらりと見て、合図する。

「…おれが話していいのかはわからない。でも、ディアもお前達なら許してくれると思う」

アクトが語ったのは、ディアの出身から。

ノーザリアに生まれ、軍に入り、フィリシクラムに育てられたこと。

ノーザリアの計画していた戦争案に抗議をし、国外追放になったこと。

今回のノーザリア遠征は、フィリシクラムの暗殺未遂事件が元であること。

自分が語って良いと思われる箇所を、少しずつ話していく。

全て話し終えたとき、カスケードが大きくため息をついた。

「そうか、ディアはあのゼグラータ大将の…」

「暗殺未遂事件は今日新聞に載っていたから知っています。…でも…」

「まさかディアさんがそんなに深く関わってたなんて…」

口々にそういう声は、アクトにはすでに届いていなかった。

改めて話してみると、やはりディアは帰ってこないかもしれないという考えが強くなる。

育ての親が殺されかけて、そこに置いていくような奴ではない。ずっと傍にいて守ろうとするだろう。

そうなると、きっともう二度と会えない。

「…理由はわかった。ほら、お前らもう仕事だろ」

カスケードはグレン達四人を休憩室から出し、戸を閉める。

俯いたアクトに近付いて、頭を軽く叩く。

「戻ってこないって、思ってんのか?」

「!」

アクトが反応したのを見て、カスケードは息をつく。

「あいつがお前置いてあっちに居っぱなしの筈がないだろ」

「でも…」

「でもじゃないって。…いいコト教えてやるから元気出せ」

「いいコト?」

アクトがゆっくり顔を上げると、カスケードは話し始めた。

「俺の親友の話は、前にしたよな?」

「…ニアさん、だっけ?」

「そう、ニア・ジューンリー。あいつ、小さい頃火事で家族亡くしてんだよ」

今はもういない、親友の話。

火事から救ってくれた軍人に憧れ、軍に入隊し、夢を叶えようと頑張っていた。

そしてカスケードは今、それを受け継いでいる。

「…それで、この前偶然資料室で当時の新聞を見つけたんだ。そしたら結構でっかく火事の記事が載ってた」

火事が重大だったわけではない。

そのときエルニーニャに仕事で来ていた軍人が火事から少年を救ったことが重大だったのだ。

「その軍人はノーザリア人だった。…ノーザリア軍大将、フィリシクラム・ゼグラータだったんだ」

「…マジ?」

「マジだ」

フィリシクラムに育てられたディアはその素質を受け継いでいるだろう。

つまり、今カスケードが目指す軍人は、ディアということにもなる。

「…な、面白いだろ?今の話聞いて、俺感動してたんだ」

「ディアが目標って、カスケードさんはもうとっくに目標越してるだろ」

「ディアじゃないって。俺不良は目指してないから。…そうだ、この話、不良には言うなよ」

人差し指を立てて口元に当てるその仕草に、アクトは思わず笑ってしまう。

世間は意外と狭いものだ。

ほんの少し、頑張れそうな気がしてきた。

 

フィリシクラムとの面会終了後、ディアは再び王宮へと戻り、事件の説明を受ける。

状況説明、現在の軍の動向、医者の話、犯人の目星はついているのかどうか。

記録しながら聞いているが、ほとんど頭には入ってこない。

国王の話、軍の中将の話も片耳から入って片耳から抜けていく。

記録もまとまっておらず、自分で見てもわけがわからない。

同行した少将は全て頭に入っているようであとで説明を受けたが、どうにも理解できない。

「全く、これだから力だけの奴は…」

少将に呆れられ、言い返そうとするができない。

確かに自分は力だけで、こういうことはいつも任せきりだった。

今は傍にいない、自分にとって最高の相棒に。

「わからない部分はいつでも訊きに来なさい。…早く事件が解決し、ゼグラータ殿が目覚めることを祈っている」

国王はそう言って笑うが、心配のためか困ったような表情になる。

今の国王がどれほどフィリシクラムを信用しているのかが汲み取れる。

自分を育ててくれた人物が、どれほど大きな存在であるかを感じずにはいられない。

「…国王様、また後日お伺いします。このたびは部下が失礼な態度を取り、まことに申し訳ありませんでした」

少将はそう言って席を立ち、ディアもそれに続いた。

会議室から広い廊下に出ると、一人の少年が扉の前に立っていた。

国王はその姿を見て、優しく微笑む。

「イース、聴いていたのかい?」

「…盗み聞きしたわけではありませんので、ご安心下さい。偶然です」

現王に少し、前王にかなり似ている、イースと呼ばれた少年。

彼はディアを見て、にっこり笑った。

「お久しぶりですね、ディアさん」

「…お前…」

ディアがいつも誰かを呼ぶときに使う言葉と同じ物を使うと、少将が慌てて謝り、ディアを叱り付ける。

「申し訳ございません!無礼な奴でして…。ヴィオラセント、皇太子殿下になんてことを…!」

「あ、そっか…そうだよな」

ディアはすっかり変わった少年を見て、昔を思い出す。

吹雪の中遊びに出かけ、遭難した皇太子。

当時はまだ小さかった。しかし、今はしっかりとした十代の少年。

「時間、ありますか?」

皇太子は少将の言葉を無視し、ディアに話し掛ける。

「良かったら、庭に来てくれませんか?話したいことがたくさんあるんです」

「…あぁ…」

文句を言い続ける少将を国王に任せ、ディアは皇太子の導く方へとついていく。

あの雪の中で泣いていた子供の導く場所へ。

辿り着いた場所は王宮の中庭で、夏の終わりを告げる秋の花が咲いている。

皇太子はその一輪をぷつりととり、傍のベンチに座った。

「どうぞ」

「…どうも」

勧められて隣に座り、中庭を見渡す。

花は濃いピンク色をしていて、一面を埋め尽くしている。

「似合うだろうな…」

「え?」

「いや、こっちの話」

つい出てしまった言葉をごまかし、皇太子に向き直る。

「…で、何の用ですか、皇太子サマ?」

「イースです。…そう呼んでください」

皇太子――イースはそう言って笑い、語りだす。

「あの日からずっと、ぼくは貴方を尊敬していました」

イースにとって、ディアは雪崩から自分を救ってくれた命の恩人だ。

自分に覆い被さって、必死で冷たい雪から守ってくれた人だ。

「尊敬されるほどじゃねぇし、脱出してすぐ雪だるま作り始めたイースの方がすげぇって」

「あの頃は子供だったから…」

手にした一輪の花をくるくると回しながら、イースは言う。

「でも、今は違う。ぼくはもう子供ではいられない。…ぼくは皇太子で、もう王位にも就ける」

「もう?…今いくつだ?」

「十四。…あれから八年も経ったんですよ。早いですね」

「八年か…」

八年前、十二歳の頃。フィリシクラムとの軋轢の中、全てに喧嘩を売っていたあの頃。

左頬に傷を受け、少しして冬がきて、皇太子を助けて二階級昇進。

ディアは、この国の准尉になった。

それから二年で国外追放。当時の王が小国に攻め込もうとして、それに抗議しに行ったのが原因だった。

あのときの出来事は、ノーザリア危機と呼ばれているらしい。

国外追放を受けてから六年、知る物の誰もいないエルニーニャでやってこれたのは、フィリシクラムという支えがあったからだ。

それだけではない。この六年、傍にいた人がいる。

軽口を叩きながらもずっと一緒にいて、大喧嘩をした後でも笑いあえた人が。

この王宮の裏庭に咲き乱れる花が、きっと似合うであろう人が。

「どうしたんですか?」

「え?」

「いいことでもあったんですか?」

イースの言葉で、初めて自分の表情が緩んでいることに気づいた。

慌てて元に戻そうとするが、いまさらごまかせない。

「…思い出し笑いだよ」

「そんなことあるんですね。…何を思い出してたんですか?」

「エルニーニャのこと」

「…そうですか」

イースの表情が少し変わった。

笑ってはいるが、さっきよりも少し暗い。

「エルニーニャに、戻りたいですか?」

「戻りたいっつーか…」

隣を風が吹きぬけた。

北国の風は涼しく、懐かしい感じがする。

けれども、何か物足りない。

「…居ないと落ち着かねぇ奴がいるんだよ」

今晩酒を飲めば酔いつぶれることは、目に見えていた。

 

スープの鍋をかき混ぜながら、どうしよう、と思う。

「カスケードさん、胃袋に余裕ある?」

「結構あるけど…何でだ?」

「作りすぎた」

いつもなら鍋にいっぱい作っても足りるかどうかわからない。

けれど今日は確実に余るだろう。

悩むアクトを見ながら、カスケードは思う。

やはりどんなにうるさくても、必要なものは必要なのだと。

「アクト、俺なら大丈夫だし、今の時間ならあいつらもメシまだだろ」

「…でも…何か情けなくて」

いない者の分まで作って、おかわり分も大量にあって。

隣にディアがいる生活が当たり前になっているので、いないと対応出来ない自分が情けない。

「もうあいつの分、作らなくても良いのに…」

今頃どうしているだろう。ちゃんと食事をとっているだろうか。

また酔って暴れたりしないだろうか。

「アクト…あいつら呼んだから」

返す言葉が見つからなかったため、カスケードにはそれしか言えない。

こういうとき、どうすればいいのだろうか。

今はいない相方に、心の中で訊いてみる。

答えは返ってこない。

丁度そのとき、「あいつら」が訪ねてきた。

「こんばんはー」

「何かあったんですか?緊急指令のため集合って…」

いたって落ち着いているカイと、真剣な表情のグレン。

「私たちまで呼ぶって、一体どうしたんですか?」

心配そうな表情のリア。

そして、

「何かいい匂いしますねー。ご馳走してくれるんですかー?」

とことんマイペースなラディア。

「よく来たな。…まぁ、あがれ。緊急指令の説明するから」

もともと寮の部屋は集合に適していない。

今回の緊急指令の場合、適していないどころか使えないといった方が正しい。

「…で、内容なんだけどな…」

わざと真剣な表情を作って見せるカスケードの意図を、カイとリアはなんとなく理解した。

「メシ食ってけ。作りすぎたらしいから」

「…それだけ、ですか?」

「やっぱりなぁ…」

「本当に重要だったらご飯時に呼びませんよね、カスケードさんは」

「わーい、ごはんー!」

呆れる声と、ホッとしたような声と、相変わらずマイペースな声。

「こんなに呼んだらむしろ足りないんじゃないの?」

キッチンからエプロン姿で移動してくるアクトに、呼び出されたメンバーは軽い驚きを覚える。

「アクトさん、何でカスケードさんの部屋に?」

「メシ作りに来ただけ。…悪いけど、リア、手伝ってくれる?」

「…はい」

あくまでもマイペースらしい。ラディアとは違うが、似たような感じをアクトからも受ける。

狭いスペースに用意された食事は、スープと野菜炒めとグラタン。

野菜炒めが少し辛めであるため、これがカスケードのために作られたものであることはすぐにわかる。

「悪いな、作りすぎてどうしようかって思ってて…口に合わなかったら無理しなくていいから」

「それはいいんですけど…」

「でもなんか…」

カイとリアは何か言いたげだが、あえて言わない。

しかしラディアが普通の口調でその続きを言ってしまう。

「何か、カスケードさんとアクトさんって夫婦みたいですねー」

周囲の空気と人の動きが、一瞬にして固まる。

リアが我に返ってラディアを止めようと必死になる。

「ラディアちゃん、そういうことはこの寮じゃ洒落にならないから…」

「?」

「…ディアさんが聞いたら暴れますね」

「不良だからな…この部屋なくなるかも」

めちゃくちゃな会話の中、グレンとアクトは聞かなかったことにする。

「…悪いな、洋食苦手なのに」

「…これくらいならまだ大丈夫です」

食事はちょっとした波乱の中、終わった。

四人が帰ってから後片付けをして、一休みする。

「…夫婦だってさ」

アクトがぽつりと言うと、カスケードは危うく紅茶を噴きそうになる。

「何だよいきなり…」

「カスケードさんならいいかな、って」

「おいおい…」

りんごの甘い香りが部屋中に広がっていく。

気分が落ち着いて、話が出来そうな雰囲気になる。

「…寂しいんだろ?」

空になったカップを置いて、カスケードが静かに言う。

「…うん」

温かいカップを手で包み込んだまま、アクトは答える。

「どのくらい寂しい?」

「すごく寂しい。もう丸一日ディアに触れてないし…」

「前にもあったか?」

「あったよ。一人で残されて、寂しくて、部屋で昔の映画のビデオ見てた」

「何の映画?」

「ホラー。…どっちかというと、少々グロ目の」

「……」

紅茶を再びカップに注いで、質問を続ける。

「俺グロくないけど、一緒にいて楽しいか?」

「グロさとカスケードさんは全く関係ないと思うけど」

「まぁ、そうだよな」

「カスケードさんと一緒にいると、あんまり覚えてないんだけど、父親を思い出す」

「父親ねぇ…」

ぬるくなった紅茶を喉に通す。

「そういや、お前の親父さんは?」

「三つのときに母親と心中した」

「…悪いな、思い出させて」

「別にいいよ」

空になったポットにお湯を追加して、少し待つ。

赤茶色がじんわりと染みていく。

「不良は、お前にとって何?」

「破壊願望対象」

「何だよそれ」

「あいつがキレてあいつじゃなくなるとこを見てみたい。そのために挑発してるんだけど、上手くいったためしがない」

「相当だな」

「あいつも同じだよ。おれを壊して泣かせたいんだって…そう言ってる」

「泣かせたい?」

「そう。…だから、あいつはサドでおれはマゾで、バランスはいいと思う」

「バランスって…」

アクトのカップに紅茶を注ぐ。

水の音が室内に響く。

「どのくらい不良のこと好きなんだ?」

「安心して身体任せられるくらい。…上手いし」

「そういう話は俺にしないでくれ。反応できないから」

「…したことないの?」

「ないことはないけど…」

「今やってみる?」

「…冗談だろ?」

「冗談だよ。びっくりした?」

「…少し」

会話の内容とは全く関係なく、時間の経過だけを表すアップルティーの減り具合。

これ以上紅茶は出そうになく、ポットを洗い場へ置く。

「初めて、誰?ニアさん?」

「あいつは親友だって。…ニアがいなくなったあと、彼女がいたんだよ」

「その人と?」

「そう。…すぐ別れたけどな」

「なんで?」

「俺がニアのことばっかり考えてたから」

「…ニアさんのこと、好き?」

「好きだ。生きてたらちゃんと気持ち伝えて、振られてもいいから…」

空のカップを置いて、左耳のリングに軽く触れる。

今でも鮮明な、太陽のような笑顔。

「振られてもいいから、一緒にいたかった」

今はもう叶わない望みを、口に出して言ってみる。

「不良は…ディアはすぐ帰ってくる。だから心配するな。あいつはきっと、後悔しないように生きていく」

アクトは最後の一口を飲み干し、カップを静かに置いた。

 

翌日の昼休み、いつものように第三休憩室に集合して他愛もない話をする。

ただし、やはり欠けた状態で。

「そういえば、ノーザリアから連絡は?」

何の知らせもないことを不思議に思ったのか、グレンは何気なくカスケードに尋ねる。

「…そういや、全く無いな。アクトのところにも何も無いみたいだし…」

カスケードはちらりと隣を見る。

僅かでもディアからの連絡があれば、こんな暗い表情はしていないはずだ。

「…とにかく、連絡がないってことはゼグラータ大将の容態も変わらず、捜査も進展していないって事だ」

そう言って納得させようとする。しかし、納得させるのは部下ではなく、自分だ。

確かに全く連絡がないというのはおかしい。通信障害でもあったのかと思うほど、何も伝わってこないのだ。

いや、もしかすると将官の元には全ての経過が送られていて、佐官以下には知らされていないだけかもしれない。

何しろ、普段態度が悪く所詮中佐のディアが行っているのだ。何故こんな大役を任せるのかという話になれば、当然詮索する輩も出てくるだろう。

そう考えるとおかしくはないのだが、やはり何かが引っかかる。

まるで何かの都合の良いように物事が動いているような、奇妙な感覚に襲われる。

カスケードが暫く考え込んでいると、休憩室の戸がいきなり、しかもとんでもない勢いで開いた。

「アクト中佐いますかっ?!」

「…クライス…びっくりさせるなよ…」

飛び込んできたクライスのために、カスケードをはじめとする休憩室メンバー一同の心臓に負担がかかる。

「で、アクトがどうしたって?」

「クレインが呼んでますよ。…いや、オレはこうしている場合じゃない!早くしないと…!」

大方ツキの弟のフォークに関連している何かがあって、そのために急いでいるのだろう。

すぐに休憩室から飛び出していき、ものすごい速さで駆け抜けていった。

「…って、クライスが言ってたけど?」

カスケードの確認に、アクトはゆっくり顔を上げて頷いた。

そして休憩室を出て、事務処理を行っているクレインのもとへと向かった。

コンピューターがずらりと並ぶその一角に彼女はいて、真面目に仕事をしているようだった。

「クレイン、何?」

「あ、アクトさん…伝えたいことがあったので」

「伝えたい、こと?」

アクトが首を傾げると、クレインはディスプレイに映し出された書類を示した。

「…良いんですか?このままで」

「…本当に…?」

書類の内容は衝撃的なものだったが、アクト本人には十分納得できる内容だった。

ただ、この時期にというのは酷だ。

「まさか、従いませんよね?せめてディアさんが帰ってくるまでは…」

クレインは冷静にそう言うが、声に少し心配が混じっている。

アクトはそれも彼女の言葉の意味もわかっていて、首を横に振った。

「仕方ないよ…これはおれの責任問題だから。正式に命が下ったらそのとおりにする」

「でも、あれは巻き込まれただけで…」

「巻き込まれたのに対処できなかったのは、おれの責任だよ。…それに…」

もう一度ディスプレイを見る。そこには自分の名前しかない。

「…これで、あいつが帰ってこないのはわかったから」

声から切なさが伝わってくるのが感じられ、クレインはウィンドウを閉じる。

マウスのカチリという音だけが響いて、消えた。

そして案の定、その日の夕方にそれは正式発表された。

アクトは大総統室にて正式にそれを受け入れた。

「南方司令部への異動命令」――最初から決まっていたも同然だったのだ。

あの事件に関わった以上、どうすることもできない。

「だからってお前一人でか?!不良はどうした!」

カスケードはそう言うが、ディアの名前はそこにはなかったのだ。

アクト一人が南方に送られるということは、そして同じく南方殲滅事件に関わっているはずのディアの名前がなかったということは、一つの事実を示していた。

ディアはノーザリアへ任務に行ったのではなく、送還されたのだという事実を。

「わかってたことだから。…もう会えないなら、いっそ遠くへ行った方がいい」

回転する運命の輪は、長く暗い夜へと。

 

「残念がってたな、皆」

昨日と同じシチュエーション――つまり、カスケードの部屋でアップルティーを飲みながら話す。

アクトの南方異動の決定を聞いて、関わりの深い者たちが集まってくれた。

簡単なパーティのようなものをしたが、そこに集まった全員がわかっていた。

今のアクトに必要なのはこんなパーティや言葉じゃなく、あの人なのだと。

「本当に行くのか?」

「…カスケードさんにも話しただろ。南方殲滅事件はおれ達にも責任がある。

…でもディアは向こうだから、行けるのはおれしかいない」

後片付けも全て終えて解散した後の、二人きりの部屋。

昨日と同じりんごの香りが心地良い。

「それに、南方司令部からわざわざ呼んでくれたんだ。行かなきゃ失礼だろ?」

口調はいつものアクトだ。しかし、表情は仕事中のもの。

「…元気でな」

引き止めてはいけないような気がした。

引き止めれば、本当に壊れてしまいそうな気がしたから。

ディアはアクトを壊したいと言っている。しかし、こんな壊れ方は望んでいないだろう。

それ以前に、カスケードにはアクトを壊す理由もないし、壊したいとは思わない。

「ごちそうさま。…すごく美味しかった」

最後のアップルティーを飲み干し、アクトはカスケードの部屋を後にした。

 

鳴り響いた電話を取ったノーザリアの下級兵の表情は、すぐに明るくなった。

彼は隣にいた別の下級兵に、急ぐように言う。

言われた方は嬉しそうに走り出した。

「ヴィオラセント中佐!今、連絡が…!」

ノーザリアに来てから四日目の朝、軍の施設を借りて寝泊りしているディアのもとに届いた知らせ。

急いで病院に行き、面会謝絶の文字には目もくれず、病室に飛び込む。

医者と看護士の間から見えたのは。

「…ディア、か?」

自分の名前を呼ぶその声は昔と変わらず、灰色の髪は相変わらず後ろに流されている。

「オヤジ…」

「でかくなったな。…もともと標準よりもでかかったが…」

笑顔も昔と全く同じ。

「…馬鹿野郎…起きれるんなら最初から起きてろ…」

医者と看護士は何か言って部屋を出た。

ディアはフィリシクラムの傍に行き、椅子に腰掛けた。

「今いくつだ?」

「二十歳。もう酒もタバコも許可されてるんだぜ」

「そうか…もうそんな年になったか…」

しみじみとそう言うフィリシクラムは、とても昏睡状態にあったとは思えない。

最初から何もなかったかのように話し続ける。

「ディア、エルニーニャはどうだ?」

「いいところだぜ、いろんな奴がいてさ」

「例えば?」

「陽気な上司に、生意気な後輩。…それから、最高の相棒」

ディアがそこまで言うと、フィリシクラムはにやりと笑った。

ディアはそれに気付いたが、返す間も無くこう言われた。

「その相棒とやら、お前の恋人か?」

少し間を置き、フィリシクラムから目を逸らし、髪をかきあげる。

「…どうしてわかった?」

「お前にしては表情が穏やかだったからな。…いい人なのか?」

「…かなり」

「そうか…」

フィリシクラムは窓の外を見、息をついた。

病院の中庭にも、王宮に咲いていたものと同じ花が咲いていた。

濃いピンクの、秋の花。

「私も、恋人は相棒だった」

「…マジで?」

「マジだ。…すごい美人だったが、凄腕の軍人だったよ」

「へぇ…その人、今は?」

「亡くなったよ。先天性の病気を持っていたらしい」

遠い昔を思い出し、目を細める。

辛い過去であるはずなのに、辛そうではない。

「彼女にはプロポーズしたことがあるんだが、そのとき私は断られてしまったんだ。

ショックを受けている間に、彼女は病気で逝ってしまった」

「何で断られたんだ?」

「多分病気の所為だな。私に迷惑がかかるとでも思ったのだろう。…しかし、私は全く迷惑じゃなかったと思うんだ」

外を流れる風は、花を揺らして通り過ぎた。

花は笑うように、さらさらと音を立てた。

「迷惑よりも、どうしてそんなことを気にしたんだという思いが強かった。

傍に居られればそれで良かったんだ。

たとえそれが短い間であったとしても、一緒に居ることに意味があったんだ」

フィリシクラムは窓から目を離し、ディアを見た。真剣な眼差しで目を見ていた。

「ディア、大切な人と共に過ごす時間を大切にしろ。

後で後悔しても、そのときはもう遅いかもしれないんだからな」

同じような台詞を以前聞いた。

守り抜くことか一緒のときを大切にすることかの違いはあるが、どちらにしても後悔しないようにということだ。

そしてその言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶものは同じだった。

守りたい人であり、一緒にいたい人。

いつも傍に居て、そうでなければ違和感を感じるような存在。

濃いピンクの花が似合う、あの人。

「…オヤジ、今度紹介するよ。すげぇ良い奴だから、オヤジもきっと気に入る」

「そうか…今度ここに来るときは冬にしておけ。スキーを教えてやるといい」

「…それは無理。あいつ極端に寒がりだから」

「じゃあいつでも良いから結婚して孫の顔を見せてくれ。血は繋がらないが…」

「…それも無理」

「子供は嫌いか?」

「そういうんじゃなくて…」

そこまで話したとき、病室のドアが開き、国王と皇太子が入ってきた。

「ゼグラータ殿、お元気そうですね」

「国王…わざわざここまで来てくれるとは…」

フィリシクラムと国王が暫く話している間、ディアと皇太子イースも会話する。

「良かったですね、大将殿が回復して」

「あぁ。これでやっと一つ終わった」

「…やはり、犯人を見つけるまでは…?」

「当然。俺の仕事だからな」

イースはそれを聞いてホッとしたような表情になる。

「じゃあ、まだ一緒に居られますね。…いっそエルニーニャには戻らず、ここに居てはどうですか?」

イースはそう言った。

ディアはそれを笑って受け流す。

「ずっと居るわけにはいかねぇよ。待ってる奴も居るし」

「…そうですか」

イースの表情が変わる。

それに気付いたのはディアではなく、国王と話をしていたはずのフィリシクラムだった。

国王とイースが部屋を去ると、フィリシクラムは言った。

「ディア、この事件には関わるな。…すぐにエルニーニャへ帰れ」

「…え?」

フィリシクラムの表情は、いつかディアに家を出るように言ったときと同じ表情だった。

 

目の前を通り過ぎる人には、大切な人というものが居るのだろうか。

そんなことを考えていると、ホームに列車が入ってきた。

人が入れ替わるのに混じって、アクトはそれに乗り込んだ。

カスケードが軍用ジェットで送ると言っていたが、それは断った。

車であれジェット機であれ、軍用のものには乗りたくなかった。

列車だと時間はかかるが、それでもまだ思い出が無いだけ良い。

小さい頃に一度乗ったきりだったそれは、発車ベルとほぼ同時に南方へ向かった。

通り過ぎる景色も、周囲の声も、何も感知しない。

ただ、荷物を抱えて俯くのみ。

隣に誰か座ってきたのも、声を掛けられるまでは気付かなかった。

「ねぇ、どこまで行くの?」

男に声を掛けられるのも、もう慣れた。

私服だと女性に間違われるのはわかっていた。

いつもならそういう輩を追い払ってくれる人がいた。

しかし、今は一人。

「美人だねぇ、今いくつ?」

無視を極め込もうとして、腕を掴まれる。

「答えてよ。訊いてるんだから…」

「…放せ」

振り払おうとするが、やはり掴まれたまま。

「別にいいじゃん。…それともこれから彼氏のとこ行くとか?」

その逆だと言いそうになるが、黙っていた。

自由な手でウェストポーチに触れる。中にはいつものように銀色のナイフが入っている。

「放さないと刺す」

「刺すって…そんなことしたら軍の人に捕まっちゃうよ?」

「問題ない。…おれが軍人だ」

軍のバッジを提示すると、相手の男は笑ってごまかしながら離れていった。

昔からこの顔と体型の所為で損ばかりしてきた。

その損にほんの少しの得をプラスしてくれたのもディアだった。

今、ノーザリアで何をしているのだろうか。

考えると感傷的になってしまうので、やめた。

 

ノーザリア中央司令部の傍の建物の屋上から、大将室は十分に狙えた。

自分ほど遠距離射撃が得意ではなくとも、必ずフィリシクラムを撃つことはできる。

それを確認した後、ディアは振り向いた。

そこにはいつのまにかイースが立っていて、こちらを見ていた。

「何をしているんですか?こんなところで」

「現場検証。…確かにここからなら狙える」

この建物の屋上から射撃されたという事実は、すでに説明を受けて判っていた。

「でも、ここに来るには許可が必要ですよね。特別な許可が」

「あぁ。ここからなら大将暗殺なんて簡単にできるからな。…そして、特別な許可ってのは…」

ディアはポケットから、王家の紋章をかたどったバッジを取り出した。

「王もしくはその関係者からこれを貰えば、許可になる」

「…ということは、大将殿を撃った犯人は王家に関係するってことですか?」

「そうだ」

風が吹き抜ける。

冷たい、風が。

「イース…どうしてオヤジを撃った?」

「…ぼくが?」

風が止み、一瞬の静寂が訪れる。

「どうしてぼくだと?」

「お前が直接手を下したわけじゃねぇだろ。

聞いた情報から考えると、多分オヤジに反対してる軍人を使ったんだな。大将歴長いとそういう輩も出てくるだろ」

「そんなことは訊いてませんよ。ぼくが大将殿を狙う理由なんて、どこにあるんですか?」

草木のざわめきが近付いてくる。

突風がぶつかり、過ぎていく。

「俺がここに来るよう許可を出したのはお前だ。俺は追放者だからよっぽどの理由が無い限りはここへは来れねぇ」

「つまり、ディアさんはぼくが貴方を呼び出すために大将殿を撃った、と?」

「…あまりそう思いたくねぇけどな」

千切れて舞い上がったのか、地上に咲いているはずの花の花弁が飛んできた。

風が建物の隙間に入り込み、鳴いた。

「よくわかりましたね」

その声だけが、はっきりと届いた。

「そうですよ。貴方を呼びたかったんです。…貴方はぼくが王になるために必要な人だから」

「必要?」

「はい。貴方のせいで父上は王の地位を捨てることになりました。…だから、責任はとってもらわないと」

「俺を呼ぶためだけに親父を撃ったのは、認めるんだな?」

「認めますよ」

イースは笑っていた。前王に良く似た笑顔がそこにあった。

「ぼくは貴方を恨んでいません。尊敬しています。だからこそ必要なんだ」

八年前よりもずっと大きくなった手を伸ばす。

「父上の望んでいた大国ノーザリアの実現のため…ディアさんの力が必要なんです」

「…それって…周りの小国襲って領土増やすってことか?」

「その言い方は人聞きが悪いですよ。周囲の小国をノーザリアの配下に置けば、きっとこの大陸はもっと豊かになるはずなんです。

父上はこの大陸を豊かにするためにそう言ったのに…」

イースの顔つきが変わる。すでに笑みは無く、明らかに憎悪のこもった目をしている。

「それなのに貴方は邪魔をし、父上は犯罪人として罰され、あの平和ボケした叔父が王位についた!

これはこの国のためにならないんです。

まずあの忌々しい叔父を消し、ぼくが王位につき、ぼくがこの大陸を支配する!そして貴方は…」

再びイースに笑みが戻る。しかし、目は変わらない。

「…貴方は、ぼくの優秀な駒になる」

 

その日の夕方、ノーザリアから軍用ヘリがついた。

しかし降りてきたのは少将のみだった。

「少将」

帰還した少将に声をかけるのは、一人の佐官。

「インフェリア大佐か…何だ?」

「遠征任務、ご苦労様です。…ヴィオラセント中佐は一緒ではないのですか?」

「あぁ…奴からは手紙を預かってきた。ロストート中佐に渡しておいてくれ」

「待って下さい!何故ヴィオラセント中佐は戻らないのか、説明してください!」

「黙れ!佐官なぞにいうことではない!」

何の説明もなしに、手紙だけを押し付けて少将は去っていった。

カスケードは仕方なく封筒を見る。

アクトに渡せとは言われたものの、今頃はすでに南方司令部に到着している頃だ。

郵送しようと思い事務へ持っていこうとした。

が、気付いた。

封筒の宛名は「ロストート中佐」。ディアならこんな回りくどい書き方はしない。

それに手紙という事自体変だ。伝えたいことがあるなら、直接電話すればいいだけのことなのに。

それに加え、今回の報告が全くないという事実。

少将が話しているのを聞いて、フィリシクラムの容態が回復したことはわかった。

しかし、それ以外のことは何一つ聞いていない。

もしやと思い封を切ると、案の定中にも封筒が入っていた。

一通はアクトに、一通はカスケードに宛てたもの。

一通には普通に「アクトへ」と書いてあり、明らかにアクト本人へ宛てたものだ。

そしてもう一通、自分宛ての封筒の封を切ると、ディアらしい、しかし切羽詰っているような乱暴な字。

「…まずいぞ…これは俺じゃなくて大総統行きだろ…」

それはこの任務で唯一の「報告書」。

これから起こる「戦い」の始まりを告げていた。

 

南方司令部は春に起こった事件以来、大幅な人員整理があった。

人間は完全に入れ替えられ、各地方からの軍人が集まり、まだ不安定な状態だという。

新しい大将に会い、簡単な挨拶をする。

仕事は翌日からだが見ておいたほうがいいと思い、アクトは指令部内をうろついていた。

「意外と広いんだな、ディ…」

名前を言いかけて、そうだ居なかったんだと思う。

自分達は今両極端にいて、もう二度と会えないかもしれないのだ。

こんなとき、軍に入ってから起こった記憶障害が出ればいいのに、と思う。

度重なるショックから逃れようとして起こった、今はもう出ないその障害。

障害以前のことをほとんど忘れてしまった時期があったが、今ではそれも全て思い出した。

もう一度障害が起これば、きっとディアのことを忘れられるだろう。

そうすれば楽かもしれない。けれど、忘れたくない。

覚えているのは辛いのに。

そんなことを考えながらふらふらと歩いていると、人にぶつかった。

「きゃ…っ」

「あ、すみません…」

謝って立ち去ろうとすると、ぶつかった女性が腕を掴む。

引き止めて、振り向かせる。

「アクト!アクトじゃないの!!」

美しい茶色の髪を上のほうでまとめた、見覚えのある女性。

ずっと昔、自分に微笑みかけてくれた人。

記憶障害の為に思い出したのはつい最近だが、自分の運命に大きく関わっている人。

「…マーシャ…?」

「やっぱりアクトね?!どうしてここにいるのよ!」

「呼ばれて、今日からここに…マーシャこそ、どうして?」

マーシャはたしかアクトを軍に入れてから行方不明だったはずだ。

「私、行くところがなくなったから…ありったけのお金を持って西へいったの。そして試験を受けて、軍に入ったのよ」

「マーシャも軍人に?」

「えぇ。今では大佐の地位にいるのよ。女性では珍しいことだってよく言われるわ」

「そうなんだ…」

西方から事件の人員整理で南方へ異動になったということだ。

まさかこんなところで再会するとは、思ってもみなかった。

「アクトは…やっぱり事件の関係者だから呼ばれちゃったの?」

「多分。これからはここで働くから。中佐だから、マーシャより下だけど…」

「でも確かもう一人いたわよね?殲滅事件に巻き込まれた中央の軍人…」

言いかけて気付く。

アクトの表情に、僅かだが変化があった。

「…どうしたの?」

恐る恐る尋ねると、アクトは首を横に振る。

明らかに様子がおかしい。

「私には、話せない事?」

黙って動かないアクトを、マーシャは休憩室に案内した。

そして、ミルクティーを淹れてくれた。

「冷たくてよかったかしら?」

「うん…ありがとう、マーシャ」

「いいのよ。…で、話せる?」

「……」

話そうとしても言葉が出てこないのは、きっと口にすると泣いてしまうから。

しかしマーシャはじっと待っていてくれた。

アクトはミルクティーを一口飲み、これまでのことを話し出した。

マーシャはそれを黙って聞いていた。

全て話し終わったとき、マーシャはアクトの頭を優しく撫でた。

「よく話してくれたわね。ありがとう」

「…こっちこそ、聞いてくれてありがとう」

「ごめんね、無理に聞き出しちゃって…」

「ううん。おれ、話したら少し落ち着いたから…」

一息ついて、再度カップに口をつける。

「そっか、アクトにも大切な人ができたんだ…」

「うん」

「離れるの、辛かったね」

「…うん」

「そういえばノーザリアのゼグラータ大将、回復したみたいよ」

「…え?!」

あまりに突然の、話題の転換。

アクトは思わず椅子から立ち上がるが、マーシャは落ち着いている。

「…本当に?」

「えぇ。連絡が入ったのは朝なんだけど…やっぱり聞いてなかったのね」

「そっか…良かった」

ホッとした。血が繋がってないとはいえ、ディアの父親だ。

無事を確認して、また少し落ち着いた。

「だから帰ってくるかもしれないわよ。

アクトの話を聞くと、ディア君はアクトを置いて行ってしまうような人じゃなさそうだし」

カスケードと同じことを言う。

いつだか言われたように、自分達は互いに依存している。

依存症なのだ。

だから、離れているのは本来我慢出来ない。

けれど今回は原因が原因なので我慢できたのかもしれない。

「…それにしても、あの傷の人がねぇ…。まさか自分の従弟に手を出してるとは…」

「やっぱり有名なんだ、傷…」

「評判はあまり良くなかったけど、今のアクトの話聞いたら安心した。すごくいい人なのね」

マーシャはそう言って笑う。

アクトも少し笑って返す。

「かなりヘタレダメサドだけどな」

丁度その時、休憩室に一人の下級兵が駆け込んできた。

とても焦った様子で、マーシャを呼ぶ。

「スクロドフスカ大佐!たった今中央から…大総統閣下から連絡がありまして…」

「大総統閣下?!一体どうしたの?!」

「これは中央軍で片付けるそうなので地方には連絡だけなのですが…」

下級兵は深呼吸し、しかし真剣な表情を崩さずに言った。

第二次ノーザリア危機発生、中央軍総出で戦争になるのを阻止すると…」

アクトの手からカップが離れ、床に落ちて砕けた。

 

エルニーニャ王国軍中央司令部は、大総統を残して全員がノーザリアへ向かった。

軍用の小型ジェット機のうち一機に、カスケードたちは乗っていた。

「まさか皇太子が自ら企てるとはな…」

ディアからの手紙を再度確認しながら、カスケードは呟く。

それを隣から覗き込むアルベルトは、自分の銃をしっかりと握り締める。

「しかもディア君は自分の父親を人質に取られているんですからね。これは相当な事態ですよ」

「んなの全員わかってるよ。…ディアがノーザリアを出ればゼグラータ大将の命が無くなる。しかし出なければ…」

「ディアさんが危ない、と」

カスケードの言葉を続けたのはカイだった。さらにグレンが尋ねる。

「本当に可能なんですか?マインドコントロールって…」

「あぁ。実際に成功例はいくらでもあるからな。…だろ?医学書読みあさった薬屋さん」

「薬屋じゃありませんし、そこまで来ると俺だって専門に入るかどうか…。でも、簡単に今ここで事例を見せられますよ」

「カイ君、頼むからグレンさんを使うのは止めて頂戴」

「…バレてました?」

リアに突っ込まれて事例を示すのはやめたが、話は続ける。

「どうやって暗示をかけるのかはわかりませんし、どれほどの人をその状態にできるのかもわかりません。ただ…」

「あぁ。わかってるよ」

カスケードは大剣の柄を握り締める。

明らかに怒りがこもっている。

「それを戦争に使おうって神経が、解らないし解りたくないな」

軍人は戦うものだ。しかしそれは、ただの殺戮ではない。

大切なものを守るための戦いだ。

守るものが、信念があるから、誰も傷つけないように戦う。

それが本来の軍人像であり、目標であるはずだ。

「ボク、戦争は嫌です。…守るのは名誉じゃなく、命がいいです」

そう言ったハルの頭を、隣にいたアーレイドがそっと撫でた。

カスケードはそれを見て少し安心した。

自分の部下には、それぞれ守るものがある。

大切なものがあって、それを必死で守ろうとしている。

傷つけないよう、考えている。

――しっかり気持ちは受け継がれてるぜ、ニア。

左耳のリングに触れると、ラディアが言った。

「見えてきましたね、ノーザリア…」

王宮がひときわ立派に、上空から見えた。

 

フィリシクラムの病室に、突然何人かの兵が入ってくる。

その後からイースが入ってきて、ディアを睨んだ。

「…密告しましたね、ディアさん」

「こういう事態も考えておけよ。…エルニーニャはいつだって弱いものの味方らしいからな」

事態に全く動じない様子で、ディアは返す。

「約束です。貴方が国を出た場合、大将殿は殺す。…密告も同じことですよね」

「お前にオヤジが殺せるか?…無理だな」

ディアの後ろで、フィリシクラムは落ち着いた様子でベッドの上に座っていた。

すぐにでも移動出来るよう、点滴は外した状態だった。

「オヤジはこれでも大将だし、何より俺がついてる。…お前にオヤジは殺せない」

「だったら…試してみましょうか…!」

イースが合図をすると、兵が一斉に銃を構えた。

銃口はフィリシクラムに向けられ、引き金が引かれようとする。

しかしそれよりも早く、ディアは数人を殴り倒した。

「オヤジ、行くぞ!」

「あぁ…久しぶりにお前と走れるな」

フィリシクラムは立ち上がり、兵を薙ぎ倒しながら走るディアについていく。

時折ディアが倒しそこなって後ろから襲い掛かってくるものもいるが、それは自分で片付けた。

「オヤジ、やるじゃん」

「私を誰だと思っている」

銃だけでなくナイフを使う者もいたが、その場合はナイフを取り上げて急所を外して切り裂いた。

「ナイフも使えるのか」

フィリシクラムが感心すると、ディアは笑って

「相棒の見様見真似」

と言った。

やっとのことで病院の外に出ると、今度は遠距離からの攻撃も受けるようになる。

ディアは素早くライフルを構え、狙いを定めて引き金をひいた。

確実に命中させて、前へ進む。

「遠距離射撃などいつ覚えた?」

「向こう行ってからな。…それより話しながらだと息切れるぞ」

「まだ余裕だ」

目指すは、エルニーニャ軍のいる王宮。

その間に襲ってくる兵の目には光が無く、昨日イースから聞いたことを思い出す。

マインドコントロール――つまり今こうして襲い掛かってくる兵のほとんどは操られているのだろう。

極力武器を使うのは避け、拳で道を切り開く。

――もう殺さねぇ。絶対に…!

王宮まで、後もう少し。

そこでディアは妙なことに気付く。

フィリシクラムを襲うものもいれば、王宮に向かうものもいるのだ。

思ったとおり王の暗殺計画が同時進行で行われているのだろう。

王宮の傍に行くと、見慣れた女性軍人の姿があった。

「リア!ラディア!」

長い金髪を風に流し、ムチで相手の武器を叩き落していた方がその声に気付いた。

「ディアさん!…その人は…」

「オヤジ…フィリシクラム大将だ。リア、オヤジを頼む」

「え、ディアさんは?!」

「俺は…やることがあるから。だから、頼む!」

いつもの不真面目さからは考えられないほど真剣な目。

以前にもこの目を見たことがあるが、やはり大切なものを守るときの目だ。

「…わかりました。ラディアちゃん、行くよ!」

リアは少し離れて踊るように短剣を振るう少女に声をかける。

「はい!…後は任せるね、アーレイド君、ハル君!」

「了解!」

共に戦っていた軍人に託し、リアとラディアはフィリシクラムを王宮内へと導いた。

 

王宮内では国王に襲いかかろうとするノーザリア兵との戦いが繰り広げられていた。

「ツキ、いけそうか?」

「何とかなる。…今クライスとクレインがマインドコントロールの機械壊したって連絡入った」

無線から聞こえる声をカスケードにも聞かせ、その一方で兵を倒す。

「俺も余裕だから、国王の方行ったら?」

「…悪いな。廊下側は?」

「メリテェアとクリスがいる。…任せろ」

カスケードは頷いて国王のもとへ走ろうとする。

そこへ、リアとラディアが到着した。

「カスケードさん!ゼグラータ大将保護しました!」

二人が連れてきた灰色の髪を持つ初老の男性を確認する。

「確かにゼグラータ大将だな。…ご苦労さん。持ち場戻れ」

「はい!」

リアとラディアを見送り、カスケードはフィリシクラムに声をかける。

「大丈夫ですか?」

「あぁ…若返った気分だ」

フィリシクラムは笑っていた。

「国王のもとへご案内します」

「すまないな」

カスケードとフィリシクラムは、王の間へと急いだ。

途中何度も襲い掛かる兵を倒し、まだ敵の来ていない方へ。

「そんな大剣で、よく急所を外して攻撃できますな」

フィリシクラムが言うと、カスケードは少し笑って返す。

「一応大佐ですから」

「そうか、ディアが言っていたのは君か…」

「何か言ってましたか?」

「変な呼び方をするな、と」

「その程度か…」

敵がまだ来ていないと思って、二人は少し油断していた。

背後から兵が、剣を振り上げ走ってくる。

――カスケード、後ろ!

いきなり響いた声に振り向き、向かってきた兵に大剣を振るう。

兵はそのまま倒れ、気絶した。

「油断しましたな。…それにしても大佐殿は俊敏だ」

フィリシクラムはそう言って褒めた。

しかしカスケードは周囲を見回し、いや、という。

「今…声が聞こえて…」

その時、フィリシクラムは辺りを見回すカスケードの耳に光るものに気付いた。

見覚えのある、銀のカフス。

もう十三年も前になるのに、それは印象に残っていた。

「大佐殿、そのカフスは…」

「…あぁ、これですか」

カスケードも、フィリシクラムがそれに気付くだろうと言うことはわかっていた。

「これは…親友のですよ。あなたを見習って、立派な軍人になった親友の…」

カスケードの口調からフィリシクラムはその親友の今現在がなんとなくわかった。

最愛の人を失ったときの自分と似ていたから。

「…もしかすると、さっき大佐殿が聞いた声は、その人かもしれませんな」

「そうかもしれません。…あいつ、世話焼きだから」

二人は無事王の間に辿り着き、控えていたエルニーニャ兵と交代した。

王は無事で、フィリシクラムの姿を見て喜んだ。

ただやはりこの事態を起こしたのが皇太子だと言う事実にはショックを受けているようで、とても喜ぶ、とまではいかないようだった。

数多くいたノーザリア兵はほとんどが倒され、気絶状態から我に返った者達は正気に戻っていた。

何が起こっていたのかという記憶は無く、ただぼんやりとしてラディアやカイからの手当てを受けていた。

「気絶すればもとに戻るみたいだな。…ラディア、こっちの人も頼めるか?」

「はい。…そういえば、グレンさんは?」

「エルニーニャ軍集合させてる。…アルベルトさんのアシストだってさ」

外の広場はさっきまでの騒ぎが嘘だったように静まり返っていた。

「フォース君…僕、何を言えばいいのかな?」

いつもならカスケードがいなければディアかアクトが指揮をとるのだが、今は二人ともいない。

そこでアルベルトに役目がいった訳だが、その場にリアがいる所為もあって挙動不審だ。

「一言、帰還準備を命ずるって言えば良いんですよ」

「キカンジュンビヲメイズル…?」

「…落ち着いてください。どうしても駄目なら俺が代わりますから」

どうしてこの人が少佐になれたんだろうと本気で思いつつ、グレンは仕方なくアルベルトと代わる。

「リーガル少佐より帰還準備命令が下った。早々に片付けて搭乗するように」

第二次ノーザリア危機はこれで幕を閉じたように見えた。

誰もがそう思っていた。

しかし。

「フォース大尉!インフェリア大佐は中ですか?!」

「まだ国王や大将と一緒だが…何かあったのか?」

焦り慌てる一等兵をなだめ、グレンは尋ねる。

一等兵はそのままの調子で、半ば叫ぶように言った。

「皇太子殿下からノーザリア兵に退避命令が出て…それと、もう一つ…」

一等兵の発した言葉に、その場にいたものは驚愕する。

グレンとリアは一等兵から通信元を聞き出し、皇太子のもとへ向かった。

アルベルトも行こうとしたが、グレンに止められた。

状況はわからない。ただ、わかっているのはただ一つの事実。

一等兵の言葉はこうだった。

「ヴィオラセント中佐が倒れた」と。

 

時は少し遡る。

フィリシクラムをリアたちに託した後、ディアはイースを追っていた。

病院にはすでに誰もいなくなっていて、王宮の近くにいるとは考えにくい。

あても無く走り回り、偶然辿り着いた先は、

濃いピンクの花が咲き乱れる花畑だった。

そしてその真ん中に立っている少年は、紛れも無く自分の探していた人物だった。

「イース…」

「よくわかりましたね、僕がここに居るってコト」

「わかんねぇよ…テキトーだ」

花は揺れ、花弁が舞い上がる。

花吹雪の中、イースは無表情で言う。

「これで終わりにしましょう。…ぼくは、貴方を討ちます」

ナイフを握る手が見える。

決着をつけなければならない。その時が来たから。

ディアは武器を全て地面に置き、拳を構えた。

「かかってきな。…お前じゃ俺には勝てねぇけどな」

「どうしてそう思うんですか?…ぼく、強いですよ」

イースの姿が消える。

いや、一瞬にして移動したのだ。

ディアの懐に入り、斬りつけようとする。

しかしそれはかわされ、一旦その場から離れる。

「いくら強くても、その戦い方じゃ通用しねぇよ」

「…黙っていてください…!」

再びイースは消え、今度は横へと現れる。

かわすと今度は背後へ回り、ナイフを振るう。

ディアはそれを全て読んでいるかのごとくかわしつづけ、イースの動きに疲れが見え始めた頃を見計らい、

その背を打ち、動きを止めた。

「…やはり、強いですね…」

イースがそう呟くとディアはいや、と言う。

「お前の戦い方は知り合いに似てるからな。…ただし、そいつの方がずっと強い」

イースは起き上がろうとするが、背中の一撃はかなり効いたようで動けない。

ディアはしゃがみ込んで、イースに語り続ける。

「イース…軍人ってのは戦争や侵略のためだけなら、いないに越したことはねぇんだよ」

「じゃあ、どうしているんですか?結局は戦うためじゃないんですか?」

「戦うためだ。…ただし、それは信念とか、そういう正当な理由があるからだ」

ある者は何かを探し、決着をつけるため。

ある者は意思を継ぎ、伝えるため。

ある者は本当の強さを求め、ある者は助け、守るため。

少なくともディアの周りの者は、「信念」のもとに動いている。

「信念があるから、傷ついても立ち上がる。そうやって、本当の強さって奴を手に入れる」

失い、傷つき、壊れかけても―それでもなお、立ち上がれる強さ。

軍人だけではなく全てのものに必要な、本当の強さ。

「イース、お前が大切なのは国か?それとも国の力や名誉か?」

「……」

「人の気持ちを無理矢理変えてまで後者を守ろうとするなら…それは信念じゃねぇ」

少しの間の沈黙。風が冷たく、強く吹く。

少しして、イースが口を開く。

「…ディアさんは…信念があるんですか?」

「俺?…俺はオヤジの意思継ぎたいってのもあるし…」

ディアはゆっくり立ち上がり、笑って言った。

「守りたいものがあるからな。…もしそれが壊れるなら、壊すのは俺だ」

置いた武器を拾い、イースに背を向ける。

「じきにここにもエルニーニャの奴らが来るだろ。それから王宮に戻るぞ」

その背後でイースがゆっくり起き上がり、ナイフを握りなおす。

そして、

「…ぼくだって守りたいものはありますよ。でも、子供にはどうすることも出来ないんです」

ディアの背に、思い切り突き立てた。

しかし、ディアは少し驚き、笑っていた。

「…そういや昔…オヤジにも言われたっけ…最後まで背を向けるなって…」

イースが無理矢理ナイフを抜くと、紅いものが流れ出した。

ディアの身体は前に倒れ、武器は地面に落ちた。

「いつもあいつが背中合わせでいたから…そんなこと忘れてた…」

鳴り響くのは風の鳴く声。舞い上がるのは小さな花弁。

語りかける相手は、無線。

「…全軍、撤退を命ずる。それから…」

イースの声は広い花畑に溶けていく。

横たわる背の高い人間を見ながら、話し続ける。

「…エルニーニャ軍のヴィオラセント中佐が負傷した。

…犯人は、ぼくだ」

 

辺りは暗く、何も見えない。

どこにも光は差していない。

自分の存在だけが確認できる。

――ここ…どこだ…?

見たことの無い世界。

――そうだ、確か俺、刺されたんだっけ…。

それからどうしたのだろうか。

何もわからない。

――もしかして俺、死んじまったのか…?

可能性があるとしたら、それだ。

すでに自分は死んでいて、ここがあの世だというならばつじつまは合う。

――これって殉職になるのか?一応仕事中だったし…

「なるわけ無いだろ」

突然、声が響く。自分以外の誰かの声。

そして、妙に懐かしい感じのする声。

その声の聴こえた方からは、いつのまにか光が差している。

その光に透けた金髪はとても綺麗で、紫の瞳は妙に優しい。

――アクト…お前どうしてここに…

「話を聞け。…お前は殉職にはならないし、その前に死んじゃいない」

紡がれる言葉は、いつもの口調。

「お前がおれをおいて死ねるはず無いだろ?」

向けられる笑顔と、伸ばされる手。

――…そうだな。お前をおいて死んだなんて、俺がどうかしてた。

「だろ?…さ、帰るぞ」

――あぁ…

伸ばされた手を握り、光の方へと歩いていく。

二人で、光の道を行く。

 

「お、やっと起きたな不良」

聞きなれた呼び方に、ディアは顔をしかめる。

「だからやめろってその呼び方…つーか、何でお前がいるんだよ。ここどこだ?」

「一度に質問するなって。ちょっと待ってろ、皆呼ぶから…」

カスケードが部屋を出て行き、自分以外誰もいなくなる。

目の前の光景から、病院かどこかだということはわかった。

背中に走る痛みを堪えながら立ち上がり、窓から外を見る。

見慣れた光景が、そこにあった。

「…ここ…エルニーニャか…?」

どうやら自分は戻ってきたらしい。

いつの間に戻ってきたのかは、全くわからないが。

「もう立てるのか。重傷なのに…」

カスケードが他の者を連れて戻ってきた。

入ってくるや否や、声が飛び交う。

「心配したんですよ、ずっと起きないから…」

「私が一生懸命治癒したのに、無駄なのかと思いましたよ!」

リアの優しい言葉と、ラディアの少し怒ったような口調。

「これからは勝手な行動はとらないで下さい。ただでさえ無茶ばっかりするんですから」

「とるにしても薬はちゃんと持っててくださいよ。言ってくれれば調合します」

グレンの呆れたような台詞と、カイのいつもと変わらない様子。

「アルとブラックは今仕事中。でも伝えたら安心してたぞ」

カスケードが補足し、続けた。

「お前は一週間ずっと寝てたんだ。ラディのおかげで傷はだいぶ回復してるけど、まだ痛むだろ?」

「あぁ…」

「それからここはエルニーニャ王国軍中央司令部の医務室。病院嫌いなお前はこっちのほうがいいだろ?」

「まぁ…な」

「そして俺がここにいるのは、交代で様子見てて偶然俺の番だったからだ」

「そうか…」

ディアは説明を受け流し、ベッドに座る。

そして、気になっていたことを尋ねた。

「アクトは?あいつも仕事か?」

一同の表情が変わる。

どう説明すればいいのか、わからないというようだ。

カスケードが頷き、ディアに向き直る。

「ディア、落ち着いて聞け。…アクトはもう、中央にはいない」

「…笑えねぇ冗談だな」

「冗談じゃない。本当だ」

カスケードの目は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えない。

ただ、そんな事実は信じたくない。

せっかく戻ってきたのに、ここにはもういないなんて事は。

「……っ!」

ディアは立ち上がり、部屋の外へ飛び出していく。

止める間も無く、部屋の扉は閉じられた。

「おい、ディア!…こうなることはわかってたんだ…」

カスケードは独り言のように呟き、ディアを追う。

「グレンたちは持ち場に戻れ。あいつは俺が何とかしておくから」

「…はい」

空になった医務室に、くしゃくしゃになった布団だけが残される。

ディアは司令部内を走り、アクトの仕事場を回った。

「ディアさん…身体はもう大丈夫なんですか?」

「クレイン、アクトは?!」

「…大佐から聞いてないんですか?アクトさんは南方に異動になりましたよ」

クレインまでもがこう言い、ディアは今度は寮へと走った。

「あら、ディア君…もう完治したの?」

「セレス、鍵!」

「鍵ね。はい」

セレスティアはディアの様子から何が起こっているのかは察していたが、あえてわからないフリをした。

改めて言われるのは、きっと辛いだろうから。

その後カスケードが入ってきたので、ディアの行方を教えた。

ディアは走り、自分の部屋に辿り着く。

「…ネームプレートが…ねぇ…」

自分一人の分しかないネームプレートは、事実を物語っている。

鍵を解除して扉を開けると、そこにはあるはずのものが無かった。

自分の置いてきた荷物だけが置いてあり、アクトのものは何一つなかった。

がらんとしてしまった部屋の壁を、思い切り叩く。

その後ろからカスケードが、その様子を見ていた。

 

南方司令部では、マーシャがディア回復の知らせを受けていた。

「そうですか…伝えておきますね。…えぇ、手筈は整っています。後は期間を終えて、正式な書類を発行してもらうだけですから」

マーシャは電話をきり、アクトのいる事務室へと向かった。

仕事を頼んでから一時間でその約四分の三を終えているらしく、書類はほとんど片付いていた。

「アクト、中央から連絡があったわ」

「中央から?!」

アクトは期待しているような怯えているような複雑な表情でマーシャを見る。

ディア負傷の知らせ以来、エルニーニャに帰ってきたとはいえ仕事のために容態を見にいけなかったためずっと気になっていたのだった。

「無事回復したそうよ。もう走り回れるって」

「本当に…?」

「知らせをくれたのはインフェリア大佐よ。…嘘つかないんでしょ、あの人」

「うん…」

マーシャはアクトの安堵した表情を久しぶりに見て、安心する。

このところずっと不安そうな表情で、仕事も半ば自棄になってやっていたようなものだ。

それがやっと、落ち着いた。

「…でも、まだ当分会えないんだよな。向こうへ行く仕事があっても、会えるかどうかわからないし…」

「その心配も無いわよ。…アクトはすぐに中央に戻されることになったから」

「…え…?」

マーシャの言葉を反芻し、意味を理解して、信じられないという表情をする。

運命の輪は再び回転しだした。

 

中央司令部第三休憩室、いつものメンバーで。

ただし、ディアは空気が抜けている。

「このところずっとあの調子ですね…」

「やっぱ不良には保護者が大切なんだろ。…暴走激しくて、謝る回数増えたから疲れた」

ディアがノーザリアに送還されたのは皇太子の命令であり、その皇太子が罰されたためにディアはノーザリアに滞在する必要がなくなり、エルニーニャに戻った。

国王はいつでも遊びに来るようにと言って追放処分は解けたままになっている。

自由にエルニーニャとノーザリアの行き来ができるようになったと伝えても、ディアの調子は変わらない。

「こりゃ本当にヘタレダメサドだな」

「…黙れ、全体的に青い奴」

「お前こそ黙ってろ」

そのとき、休憩室に入ってくる者があった。

ブロンドの髪の少年。

「失礼します。…カスケードさん、クレインさんが呼んでます」

「クレインが…って事は…」

カスケードは少し笑って、席を立った。

「アーレイド、連絡ご苦労さん。茶でも飲んでけ」

「紅茶飲みませんし、ハルが待ってますから」

「…あ、そうだったっけか」

他愛も無い会話をし、カスケードはクレインのもとへ向かう。

いつものようにコンピューターのディスプレイに向かうクレインが示したのは、南方からの文書。

「これ、本当ですか?」

「あぁ…本当だ。悪いな、仲介してもらって」

「いいえ、仕事ですから」

クレインに後を任せてカスケードは再び休憩室に戻る。

「ディア・ヴィオラセント中佐、仕事だ」

「…仕事?」

「あぁ。明日の早朝発のマードック行き列車に乗ってもらう。駅で調査書類を受け取って戻って来い」

カスケードは時間を強調し、最後に念押しした。

「いいか、必ず時間を守れよ」

翌日早朝、ディアは言われたとおりマードック行き列車に乗り込んだ。

マードック――南方司令部のある、南の都市。

しかし無気力状態のディアには、それすらも理解しきれていなかった。

 

「お世話になりました」

駅で南方司令部の人たちに挨拶をし、アクトは荷物を持ち上げた。

「いつでも遊びに来なさいよ。ちょっと遠いし、いい思い出はあまり無いかもしれないけど…」

「いや、マーシャのおかげで楽しかった」

列車が入ってきて、人が入れ替わる。

後五分でレジーナ行きの列車も到着する。そうすれば、この土地とも別れることになる。

「それじゃ、ありがとうございました」

「気をつけてね。…それと、ちゃんと車内を確認するのよ」

「…?わかった」

レジーナ行きの列車が入ってきて、人が入れ替わる。

アクトは発車直前に乗り込み、空いている席を探す。

荷物を引きずり、奥へ行こうと歩いていると、不意に声を掛けられた。

「重そうな荷物だなぁ、お嬢サン」

それは暫く聞いていなかった、

懐かしく、愛しい声。

「この席空いてるぜ?」

「…じゃ、遠慮なく」

アクトは勧められた席に座った。

ずっと会いたかった人の、

ディアの、隣に。

「何でここに?」

目を合わせずに尋ねる。

「嵌められたんだよ、カスケードに。

急に仕事とか言っていちいち列車使わせて、駅に書類取りに行ったらすぐ戻りの列車乗れだのなんだの…

結局こういうことだったんだな」

嵌められたと言う割には、ちっとも悔しそうではない。

いつもなら散々暴れるくせに。

「…さっき窓からお前の姿見たとき、かなりビビった」

「おれも声かけられたときびっくりしたよ。何でこんなところに不良がいるのかって」

「その言い方やめろよ。あいつのことは思い出したくねぇ」

そう言いながら久々に笑いあう。

久々に、互いの体温を感じる。

「やっぱり俺、依存症なんだな」

「おれも。…ディアがいないと、ダメみたいだ」

抱きしめて、互いを感じる。

唇が触れ、そのまま舌を絡め、深く。

離れてから、もっときつく抱きしめる。

もう二度と離れないというように、しっかりと。

「お客さん…あの…」

声を掛けられて気付く。そういえば、ここは列車内だ。

公衆の面前だ。

「あの、切符を…」

「…………」

その後列車を降りるまで、アクトはディアと一言も口をきかなかった。

ディアが声をかけると睨み、話し掛けるなと目で訴える。

やはり二人は、前途多難なようだ。

 

帰ってきたアクトに、カスケードは手紙を渡した。

封筒の筆跡から、それはディアからのものだとわかった。

「何でカスケードさんが…?」

「不良がノーザリアにいたときに書いたやつだからな。俺が預かっててそのままだった」

別れてから、アクトは封を切った。

ディアはアクトの荷物を寮の部屋に置きに行って、まだ戻ってこない。

今なら邪魔されずに読める。

「…ラブレターくらいもっと丁寧に書けよ…」

乱暴な筆跡に呆れつつも、先ほどの列車内でのことを忘れるくらい、アクトは嬉しそうだった。

丁度そこにディアが戻ってきて、アクトは手紙を丁寧に元に戻し、ポーチに入れた。

「なんだよニヤニヤして…」

「別に。…これからも宜しくな、ディア」

「何だよいきなり…当然だろ」

 

ずっと好きだから、必ず戻る。

お前のいるところにいないと、意味がないから。

 

 

*Fin*

 

 

 

おまけ。

 

数日後、フィリシクラムがエルニーニャに来た。

ディアの様子を見るためと、報告のために。

寮の部屋に案内し、話を始める。

「…へぇ、オヤジ軍人やめたんだ」

「あぁ。いいかげん私もやめ時だったんだ。…名誉賞はきっちり貰ったがな」

「ちゃっかりしてんなー。さすがオヤジ」

二人が談笑しているところに、アクトが入ってきた。

「ただいま。…あ、お客さん?」

「よ、お帰り。たった今オヤジ来たんだよ」

「…はじめまして」

「初めまして。ディアの父親のフィリシクラムです」

丁寧に挨拶をし、台所へ向かう。

「紅茶淹れましょうか?」

「あぁ、お構いなく」

フィリシクラムはディアに向き直り、ニヤリとして言う。

「綺麗な人じゃないか。あの人か?お前の恋人は」

「…まぁ、そうだけど」

「結婚の予定とか無いのか?」

「無いっつーか…オヤジ、ここ男子寮だろ?」

「あぁ」

「で、あいつ今何つって入ってきた?」

「…ただいまって…」

そこまで言って、三秒ほど沈黙した後に叫んで立ち上がる。

「何ぃ?!そういうことか!」

「そういうこと。…あいつは一見女に見えるけど、ちゃんと男だから」

フィリシクラムの異常な反応に、アクトは驚いて台所から出てくる。

「あの、何か…?」

「い、いや、何でもありません」

「アクト、オヤジも性別間違えてた。…これならマジで結婚できたりしてな」

「戸籍見りゃわかるんだから無理だって」

本来ならこの台詞のあとに「馬鹿」がつくのだが、フィリシクラムがいるためか規制しているらしい。

紅茶を出しつつ、アクトもフィリシクラムと話す。

「しかし美人だな。男性にしておくにはもったいない」

「だろ?」

「あまり顔のことは言わないで下さい。…いい思い出無いので」

「あぁ、申し訳ない。…紅茶も美味いし、文句無いじゃないか」

「こいつ料理も得意だからさ、オヤジも食ってけよ」

「ディアはともかく、フィリシクラムさんのためなら張り切りますよ」

「俺はともかくってなんだよ」

傍から見ると完全に旦那と嫁と舅だ。

その日の夕食は勿論海藻サラダで、ワカメ争奪戦は必至だった。

そして、帰り際。

フィリシクラムはアクトに頭を下げ、言った。

「アクトさん、ディアを…息子をよろしくお願いします」

そうして、慌しい一日は終わった。

 

「結婚できないけど、お義父さんって呼んじゃおっかな」

「んなこと言ったら舞い上がるぞ、あのオヤジ」

 

*fin*