四月も終わりに近付き、桜は散った。
資料の整理を終えて一息つくと、眠気が襲ってくる。
「…コーヒー買って来よう…」
アルベルトは独り言を呟きながら無人の第三会議室を出る。
誰もいないところでじっくりと作業をしたいと申し出たところ、あっさりと第三会議室の使用許可が出た。
おかげでまた新しい考察結果をブラックに知らせることが出来そうだ。
ブラック本人は余計なお世話だと言っているが、アルベルトは情報を共有することで事件の解決を早めたいと思っている。
事件とは、アルベルトとブラックの父親が起こした数々の殺人事件のこと。
被害者の中にはブラックの母親もいる。
早く全てを終わらせたい。
アルベルトとブラックでは理想とする「終わらせ方」が違う。しかし、思いは同じだ。
だから二人とも事件のことを調べ、自分達の父親の行方を追っている。
自動販売機にコインを投入し、ボタンを押す。
が、眠いためかボタンを間違えたらしい。
「ノンシュガーって…苦いの飲めないのにぃ…」
資料整理中とは別人のような情けない声。
アルベルトは父親関連の事件やその他の殺人事件に関わることでなら近付きがたいほど真剣なのだが、それ以外の時はこうして頼りない青年として振舞っている。
こうするようになったのは中央司令部に異動してきてからだ。事件の捜査のときと同じでは、周りに人がいなくなって独りになってしまうから。
前にいた西方司令部ではその所為で相談相手や友達はいなかった。ここに来てからは誰とでも話せるようになり、溶け込むことが出来るようになった。
情けなく頼りない性格は世話が焼けるためか、人が周りに集まりやすい。他と混同されることによって自分の情報が父親に届かないようにするためでもあるのだ。
しかし、ここまで変わればまるで二重人格だ。
「おつりもでてこない…」
つり銭取出口には出てくるはずのコインが無く、とことんツイていない。
アルベルトは大きな溜息をつきつつ、自動販売機の傍をうろうろする。
「どうしよう〜どうしよう〜ブラックはいないし…」
挙動不審なその様子を見ている者がいた。
二人組で、片方は頬に大きな傷、片方は綺麗な金髪に女性のような顔立ちの青年。
階級バッジの色は紫で、中佐を表している。
「何だあいつ…」
傷のある方が不審そうに言う。
「金落としたんじゃないの?取ってやれば?」
無表情のまま、金髪が言う。
「めんどくせぇ。人のことにいちいちかまってられっか」
「普段ろくな事しないんだからたまには良い事しろよ」
「…後で泣かすぞ」
「無理だと思うけど?ほら、人助けしてこい」
言われたことを聞き流して、金髪が傷の背を押す。
傷の青年は面倒そうに自動販売機の傍に行く。
「お前何やってんだ?」
挙動不審なアルベルトに話し掛けると、よほど驚いたのかビクッとして振り向いた。
「…えと…あの…」
「あ?何だって?」
「おつり出てこなくて…コーヒーも苦いの出てきて…あの…」
俯いたまましどろもどろに喋るアルベルトを見て溜息をつきつつ、傷の青年は自動販売機の横に移動する。
そして片足を浮かせ、後ろに下げて、
勢いよく蹴った。
ドガンッという音にアルベルトはさらに驚き、離れて見ていた金髪も思わず目を閉じる。
しかしその直後、別の音が釣銭取り出し口から聴こえた。
「…ほら、つり」
「あ…ありがとうございます」
アルベルトが礼を言って顔を上げると、青年の傷がはっきりと見えた。
左頬に大きな傷のある、中佐。
アルベルトがそういえば、と思ったその時、
「お前は器物損壊で謹慎処分受けたいのか!」
「ぐはぁっ!」
別の声が聴こえて、傷の青年が苦しそうに背中を押さえる。
その背後には金髪の青年。
「もっとマシなやり方ないのか?!下手すれば機械ごと弁償だろ!」
「それだけ言うのに肘打ちくらわすことねぇだろ!…あー痛ぇ…」
この二人のことは色々な人から噂で聞いている。
勿論アルベルトはそのことを覚えていた。
左頬に傷のある青年と金髪の青年の、中佐コンビ。
「えと…ヴィオラセント中佐とロストート中佐ですよね…?」
アルベルトが恐る恐る尋ねると、目の前の二人は言い合いを止めた。
そしてアルベルトの方を見て、頷いた。
「あぁ、お前の言うとおり。俺はディア・ヴィオラセント」
「おれはアクト・ロストート」
思ったとおりだ。頬に傷を持つディアは素行が悪いサディストとして、金髪のアクトはその保護者でマゾヒストであるとして有名だ。
噂はあまり良くないのでアルベルトはなるべく関わりたくないと思っていたが、一つ興味があることがあった。
この二人がかの南方殲滅事件の関係者だという事実。
しかしそのことについて触れるのは止めた方がいいとも言われていたので、尋ねるつもりはなかった。
「おい、聞いてるか?」
「え?あ、はい!なんですか?!」
ディアに言われてようやく我に返る。
「だから、お前の名前だよ。少佐なんだよな?」
「はい、アルベルト・リーガルです」
「ふぅん、アルベルト、か…。歳は?」
「二十歳です」
「なんだ同い年か。年下かと思った」
アルベルトが緊張しながら答えるのに対し、ディアは次々に質問を浴びせる。
困らせようとしているらしい。
「じゃ、スリーサイズは」
「いいかげんにしろ!」
調子付いてきたところでアクトのツッコミ(肘打ち)が炸裂し、この場は何とか落ち着いた。
「ごめんな、アルベルト…こいつバカだから」
「バカって言うんじゃねぇ!」
「いえ、僕は…その…」
どう反応したらいいのかわからなくなり、言葉が続かない。
えーと、とか、あの、とかを繰り返していると、突然手からコーヒーの缶が抜き取られた。
「苦いのだめなんだろ?甘いのと交換してやるよ」
アクトがそう言いながら財布を取り出し、同じ値段の砂糖とミルクの多いコーヒーのボタンを押す。
ガタン、という音と共に出てきたそれをアルベルトに渡し、アルベルトの買った苦いコーヒーをディアに押し付ける。
「これで良かったか?」
「はい…良いんですか?」
「あぁ、丁度喉渇いてたし。それから敬語使わなくて良い。同い年だし」
アクトは初めて優しい笑顔を見せる。アルベルトの中でアクトのイメージが大きく変化した。
「ありがとうございます…」
「だから敬語使うなって言っただろ?」
「…ありがとう、ロストートさん」
「アクトで良いって。このバカもディアで良い」
「バカって言うなっつっただろ。…ま、そういうことだから気軽に接してくれよ、アルベルト」
笑う二人にアルベルトは笑い返す。
噂では物凄く怖そうだったが、そうでもないらしい。
「ありがとう…アクト君、ディア君」
アルベルトにとって最初の、名前を呼びあえる「友達」。
この出会いが彼の眠気を一気に吹き飛ばした。
五月に入ってもなお南方殲滅事件についての処理作業が続いていた。
おかげで第三会議室は使われておらず、アルベルトは一人で自分の作業をすることができた。
上から任された仕事を全て終えた上でやっているので全く問題はない。
「ブラックはここまでつきとめてるだろうな…」
資料を眺めつつ独り言を言う。そろそろ新しい資料が必要だが、どう手に入れるかが一番の問題になっていた。
今日のところは仕方なく諦めることにして、書類を片付けた。
会議室から出ようと立ち上がったとき、ドアが開いた。
「あ、先客がいたか…」
そう呟いたその人物は、ダークブルーの無造作にまとめた髪と海色の瞳を持つ男性。
階級バッジの色は水色なので、彼は大佐だろう。
「すぐ出ますから、どうぞ」
「あぁ、悪いな」
すまなそうに笑う相手は、人柄が良さそうだ。
きっと多くの人物に慕われているだろう。
アルベルトが出ようとすると、彼は気付いたように「あ」と言った。
「お前、この前異動してきた…アルベルトだっけ?」
「…はい?」
「俺、面接やってたんだけど…覚えてるか?」
中央司令部に異動してきたときに簡易的な面接を行った。
彼はそこで一人で面接官をしていたのだ。
「…あ、あの時の…」
「覚えててくれたか」
彼は嬉しそうに笑った。
「俺はカスケード・インフェリア。バッジのとおり大佐だ。…お前はアルベルト・リーガルだよな?」
「は、はい!…そちらこそよく覚えてますね」
「人の名前と顔覚えるのは早いんだ」
少し得意げに言ってから、カスケードは持っていた茶封筒から書類を取り出した。
「お仕事ですか?」
「あぁ、今度の仕事で行くところの確認。お前も行くか?」
「え?!」
「冗談冗談。行きたいなら一緒に行ってもいいけどな」
書類を見ながらレポート用紙らしきものに何かを書き込んでいく。
役割分担のようだが、まだ名前は書き込まれていない。
「どこに行かれるんですか?」
「ちょいと西寄りの所。不良とその保護者も一緒にな」
「不良と保護者?」
「あぁ、そいつらは…」
「カスケード、いるかー?」
カスケードが言いかけたとき、声と共に再び会議室の戸が開いた。
入ってきたのは、傷の青年と金髪の青年。
「ディア君にアクト君?!」
「アルベルト!お前こんなとこで何してんだ?」
「なんだ、知り合いかお前ら」
互いに驚きあう三人に、カスケードは少し嬉しそうだった。
「知りあいっつーか…」
「ちょっと色々あって。な、アルベルト」
「はい。…大佐もお知り合いですか?」
「知り合いどころか、さっき言った不良とその保護者ってのはこいつらのことだよ」
どうやら全員が互いに知っていたようで、少しの間話が弾む。
出逢った時の事等を話し、笑いあったりアルベルトを困らせたり。
ディアがアルベルトを挙動不審状態に落とせば、アクトが強烈な肘うちをディアにお見舞いする。
カスケードがディアを不良と呼べばディアが突っかかっていき、慌てるアルベルトをアクトがなだめたりする。
「…と、こんなことしてる場合じゃないんだ」
話しているうちにカスケードは漸く仕事のことを思い出す。
「今度の任務の件だけど…」
「あ、じゃあ僕は部外者なので行きます」
アルベルトは軽く会釈をして出口へ向かう。
「またな」
「はい、また」
ドアの閉まる音の後、アクトはふと思った。
「カスケードさん、アルベルトはどうしてここに?」
「…そういやなんでだろうな」
まだ誰にもアルベルトの目的はわからない。
その話題を置いといて任務の話をするだけだ。
「ブラック、資料のことなんだけど…」
「来んなって言っただろ」
終業後に寮のブラックの部屋へ行くと、いつものように睨まれる。
普段のアルベルトならそこで謝って退散するが、今は用件がそうさせない。
全く怯まずに上がりこみ、資料を広げる。
「お前何勝手に」
「この資料じゃ情報が古いから、新しい情報を探そうと思うんだ」
「人の話聞けよ」
「それで、何とかして上から資料を貰おうと思う」
「聞いてんのかよ…って…今何て言った?」
何かいやな言葉を聞いたような気がして、ブラックは尋ねる。
アルベルトは落ち着いた様子でもう一度言う。
「上から資料を貰おうと思うんだ」
ブラックは片手で髪をかきあげ、大きく息をついた。
そして次に顔をあげるとアルベルトの胸倉を掴み、怒鳴った。
「お前自分で何言ってるかわかってんのか?自分で邪魔者を作ってどうすんだよ!」
「資料入手にはそれが一番手っ取り早い。今現在のあの人の動向を掴まないと…」
動じないアルベルトに、ブラックはさらに声を荒げる。
「そんなふざけた事頼めるか!大体上なんて相手にしねーだろ!
全部バレて余計な事されたら調べてる事全部無駄になる可能性だってあるだろうが!」
「利用できる人を見つけた。だからきっとうまくやれる」
「利用できる奴?!そんなのいるわけ」
「いるよ…インフェリア大佐」
思いもよらない階級が出てきた。アルベルトと同じ佐官では、役に立たないも同然だ。
「そんなの邪魔になるだけだ。逆にこっちが利用されて終わるぜ?」
「大丈夫、あの人はそんな人じゃない」
「何でわかるんだよ…そんなに簡単に人を信用するな」
「簡単に、じゃないよ。大体の性格は書類の書き方とか人への接し方でわかったから」
「はぁ?」
怪訝そうな表情を見せるブラックに、アルベルトはカスケードについての考察を説明する。
まずその人物が自分達の面接官であったこと、そしてそこでの態度と今日会った時の態度の比較、仕事の書類を覗いた時に見えた役割分担の方法と部下の態度からの人望の厚さなど。
さらには書類の字の書き方とメモ書きのときの字の比較から推測される性格までも。
「仕事とプライベートを割り切ってる人みたいだから、プライベートで近付いてさりげなく資料を入手すれば良い。
勿論事件のことは言わない。考えるのが少し苦手みたいだから気付くのは遅いはず」
「…それで利用するのか?」
「それしかないよ。大佐には悪いけど、僕達のために動いてもらうしかない」
アルベルトは本気だった。上司をも利用し己の目的を達成しようとするほど、あの男が許せないのだろう。
いつもの挙動不審さからは到底考えられない悪知恵だ。
ブラックはアルベルトから手を離し、軽く突き飛ばす。
しかしアルベルトは微動だにせず、ブラックは舌打ちした。
「…言っとくが”達”じゃねー。オレはお前や他とは関わりたくないし、上の奴らに頭下げるのはごめんだ。
オレを巻き込むんじゃねーよ」
そう吐き捨てるが、アルベルトは少し意地悪そうに笑って返す。
「関わりたくないなら、どうしてさっきから色々忠告してくれるの?」
「は?いつ忠告したって?」
「”バレて余計な事されたら調べてる事全部無駄になる”とか、”簡単に人を信用するな”とか」
ブラックはアルベルトから目を逸らし、それのどこが忠告だよ、と呟く。
アルベルトはそれを聞いてさらに追い討ちをかけた。
「それから最初に”そんなふざけた事頼めるか”って言ったよね?本当は協力してくれるつもりだったんじゃない?」
ブラックはアルベルトに背を向けて舌打ちする。それはまるで照れているようにも見えた。
「帰れ!お前とは関わりたくねー!協力も忠告もした覚えはない!」
「わかった、帰るね。…話聞いてくれてありがとう、ブラック」
「いいから帰れ!」
怒鳴り声にも挙動不審さを見せることなく、アルベルトは資料をまとめて部屋から出て行く。
きっと部屋から出た後は、いつもの情けない青年に戻っているのだろう。
「…やっぱりアイツ大嫌いだ」
ブラックはそう呟いて、頭を抱えた。
翌日、アルベルトはすぐにカスケードを探し始めた。
誰にも尋ねず、ただ自分で指令部内を歩き回る。
幸い今日もデスクワークだったので空き時間は探しに行ける。
昼になって食堂へ行くと、やっとダークブルーの影を見つけた。
「インフェリア大佐!」
名前を呼ぶと振り向いた。間違いなくカスケードだ。
駆け寄ろうとして駆け足になると、自分の足に引っかかって豪快に転んだ。
「…大丈夫か?アル」
「…大丈夫です〜…」
涙目になりながら起き上がり、恥ずかしそうに笑って見せた。
「慌てるなよ。アルはただでさえ慌て者みたいだからな」
カスケードはそう言ってアルベルトの頭を軽く叩いた。
アルベルトはふと言われた言葉の中に聞きなれないものがあったのに気付く。
「…あの、アルって…」
「あぁ、アルベルトじゃ長いからアル。…やっぱ駄目か?」
「いえ、そう呼ばれるの初めてなので…少し嬉しいです」
今まで一度もあだ名など貰ったことがなかった。
あだ名をつけてそれで呼んでくれるのは、カスケードが生まれて初めてだった。
「嬉しいか?…あだ名で呼ぶなって奴もいるけど」
「ディア君は嫌がってますよね」
「不良ってぴったりだと思うんだけどなぁ…」
とても陽気で、人望があって。
本当にこの人を利用していいのかと躊躇ってしまう。
けれどもやはり許せないものがあるから、やらなければならない。
「…大佐、ちょっとお話よろしいですか?」
「うん?あぁ。ついでに飯も一緒に食おうぜ。不良と保護者仕事でいないし」
カスケードの言うとおりに、一緒に昼食をとる。
山盛りの定食を当たり前のように平らげていくカスケードに驚きつつも、アルベルトは自分の分を消化する。
二人の様子を離れた席からブラックが見ていた。
アルベルトがどのように話を進めるのか興味があった。
しばらくして漸くアルベルトが何か切り出したようで、ブラックは聴覚を集中させる。
「あの、大佐…」
「ん?」
「話があるって言いましたよね」
「あぁ。何だ?」
「実は…」
俯き加減に話すアルベルトを、カスケードが不思議そうに見ている。
ブラックはじれったく思いながら聞いている。
「実は、僕ケーキとか好きなんです」
「…へぇ、そうなのか」
カスケードは普通に相槌を打つ。ブラックは遠くで唖然とする。
「それだけのこと深刻そうに言うなよ…」
「だって、ケーキ好きだとか言ったら女の子みたいじゃないですか」
「男だって甘いもん好きな奴はいるだろ。…で、それだけか?」
「いえ、まだあるんですけど…」
ブラックは完全に苛ついていた。怒鳴り込んでやろうかとも思ったくらいだ。
しかし、そうとは知らないアルベルトは話を進めた。
「それで、ユィーガ産のチーズで作ったチーズケーキがすごく美味しいらしいんです」
ユィーガ――あの男が今現在いると思われているその小国の名が出てきたということは、どうやらここから本題にもっていくつもりらしい。
ブラックはもう一度会話に耳をすませた。
「あぁ、そういやアクトがなんか言ってたな」
「アクト君が?」
「あいつ料理上手いんだよ。たまに菓子とかも作るみたいで、いつだったか聞いたことあるんだ」
「そうなんですか」
アルベルトには他にも気安い人物ができているらしいことがわかる。
しかし、今はそんなことはどうでも良い。
「それでユィーガについてちょっと調べてみたいんですよね。こういうのに興味もつととことん調べたくなるんです」
「なるほど。…どの位深く調べたいんだ?」
「ものすごく詳しく調べたいんです」
話はちゃんと進行している。ブラックは半信半疑だったが、いけるかもしれないとも思い始めた。
しかし我に返ると、自分はすでに「巻き込むな」と言ってしまっている。関わるつもりもなかったはずだ。
思い直して、それでもなお聞き耳をたて続ける。
「んー…じゃ、上に内緒で最近の国勢データコピーしてきてやるよ。菓子についてはアクトに訊いた方がいいと思う」
そしてとうとう、待ち望んでいた言葉を聞いた。
「ありがとうございます!」
「しーっ!でかい声出すなって。…内緒だからな」
あっさりと落ちた。不審に思うほど、あっさりと。
それでも結果的に資料は手に入る。
ブラックは離れたところで自分が安心していることに気付き、気持ちを振り払おうとそこを離れる。
しかし、その行動でアルベルトに気付かれた。
「ブラック!」
「?!」
しかも、声まで掛けられた。
「ブラックもここでお昼食べてたんだ。あ、こちらは知ってるよね…インフェリア大佐だよ」
「…お前…」
ブラックの怒りは頂点に達しようとしていた。自分といるときと周りに溶け込んでいる時のアルベルトの性格のギャップがどうしようもなく腹立たしい。
カスケードは面接の時からこの二人の間に何かがありそうだと思っていたため、尋ねてみる。
「なぁ、お前らってどういう関係?」
互いの名前に反応していたこの二人は、一体どのような関わりがあるのか。
「別に何も」
「兄弟なんです、僕達」
言葉を遮ってあっさりとそう言うアルベルトに、ブラックはついにキレた。
「兄弟でもなんでもないってずっと言ってるだろうが!
オレはお前のこと認めてねーのに声掛けたりふざけた事言ったり何なんだよ一体!」
「そんな怒らなくても…ブラックなんでそんなに怒りっぽいのさ〜」
「お前が怒らせてるんだろうが!」
まくしたてるブラックと今にも泣きそうなアルベルトを目の前に、カスケードは呆然とする。
ハッと我に返って止めなければと思い、間に入る。
「おい、ここ公共の場だから落ち着け」
「大佐ぁ〜…」
「ったく、情けない声出しやがって…」
涙目のアルベルトと舌打ちするブラックに、カスケードは息をつきつつもう一度尋ねる。
「…で、お前らは兄弟でいいんだな?」
「はい」
「違う!…お前なんか兄貴でもなんでもねぇよ!」
思い切り否定の言葉を吐き捨てて去っていくブラックを見送り、カスケードとアルベルトは一息つく。
「…本当のところは?」
「兄弟です…いろいろあって腹違いですけどね」
「そうか…大変だな」
カスケードはそう言うと立ち上がり、先ほどのようにアルベルトの頭を軽く叩いた。
「そろそろ行くか。結構長居しちまったし」
「…はい」
食器をカウンターに戻し、午後の仕事に就く。
何事もなかったように、それぞれの場所へ。
第三会議室は相変わらず使われておらず、こっそりコピー機を使うことなど造作もない。
もし見つかっても大佐という階級のおかげで乗り切れる可能性は高い。
「カスケードさん、いる?」
会議室の戸が開き、見慣れた人物が入ってくる。
「アクトか…仕事は?」
「今終わったとこ。ディアは器物損壊行為で始末書書かされてる」
「またやったのか不良…」
呆れつつもいつものことなので特に気にはしない。
次の書類に手を伸ばそうとすると、アクトが先に取って渡す。
「はい」
「サンキュ」
「…これ、他国の資料?ユィーガなんて小国なのにどうするの?」
アクトは気付くのが早く、カスケードはごまかすように答える。
「ちょっとな。…そうだ、アルがチーズケーキ好きだって言ってたから作ってやってくれないか?」
「チーズケーキ?別にいいけど…この資料アルベルトが?」
カスケードの動きが止まる。どうやら当たりのようだ。
「判り易いね。アルベルトがチーズケーキ好きでカスケードさんがユィーガの資料コピーしてるって事は、アルベルトが頼んだ可能性が高いと思ったんだけど」
「…さすが参謀役」
「カスケードさんが判り易すぎるんだよ。
…で、チーズの事だけでこんなに資料が必要なわけ?ユィーガ以外のも混じってるみたいだし」
アクトが資料書類をぱらぱらとめくりながら言う。
カスケードはコピーを終えた分を机に分けて置き、息をつく。
「…アルがさ、いつもと違ったんだよ」
「違った?」
首を傾げるアクトに、カスケードは頷く。
「目つきが少し、な。情けない感じもあったにはあったけど、いつもほどじゃなかった」
本当に僅かな変化で、気をつけなければわからなかった。
面接官を務めるためにアルベルトについての書類に目を通し、実際に会ってから何かが違うと思った。
「温厚で少々挙動不審」――確かにそのとおりではあるが、一方ではこうもあった。
「真面目で一つのことに集中すると周りが見えなくなり、周囲が近付きがたいほどである」と。
過去に解決してきた事件がほとんど殺人事件であり、事件に対する執着心も強いらしかった。
不思議に思っていたので、アルベルトとは気をつけて付き合うようにしている。そのため変化に気付くことができた。
「多分、あいつには何か未練があるんだ。だから色々かこつけて資料を要求したんだと思う」
「未練…?」
「要求するなら応えてやる。あいつの気が済むまで、利用してるのならとことん利用されてやる。
…あいつも大切な部下だからな」
コピーされた書類の束をまとめ、原版を第一資料室へと戻しに行こうとする。
アクトはそれを手伝い、廊下に出る。
「カスケードさん」
「何だ?」
「…何でもない。呼んでみただけ」
本当は、最悪の事態を想定していた。
もしこの資料が悪事のために使われたら、ということを。
けれどアルベルトはそんなふうには見えないし、このことを聞けばカスケードは烈火のごとく怒るに違いない。
だから訊かずにおいて、アクト自身もこのことは忘れようと思った。
「アクト、不良のやつ始末書終わったかな?」
「今頃出来が悪くて説教受けてるところだろ」
その夜、アルベルトは大量の資料を持ってブラックのもとへ行った。
全てが新しく、詳しい。
ブラックはアルベルトを邪険にしつつも、資料を食い入るように見つめていた。
「ここまでやるとは…よほどのお人好しか馬鹿だな、あの大佐」
「本当にそう思う?」
資料を目の前にしてアルベルトの目つきと口調が昼間と異なる。
ブラックはもう慣れてしまったので苛つくだけだ。
「何だって?」
「だから、本当に大佐は何も知らずに資料をくれたのかって事」
「面接官だからある程度のことは知ってるんじゃねーの?…事件のことは知らないだろうけど」
そう言いながら資料の物色を続ける。この資料だけで国のほとんどがわかってしまった。
「事件の事知らないのにここまでしてくれるなんて…やっぱり利用しようなんて考えるんじゃなかったな」
「馬鹿、お人好しは利用するに限るんだよ」
「あの人もそう思ってリーガル家に近付いたんだろうね」
「…一緒にするな」
声の調子から機嫌が悪くなったことがわかる。しかしアルベルトは話を続けた。
「僕は自分に失望したよ。あの人を許せないのに、あの人と同じ事をしたんだ。人を利用して、自分の必要なものを得た」
自分も人を道具としてしか見ていなかったのかもしれない。
その結果得た資料は詳しく役に立つであろうが、見るのが辛かった。
人を騙すようにして得たものを、役立てようとは思えなかった。
「だから、僕はせめて捨てないようにしようと思うんだ。
資料もちゃんと持ってなきゃいけないし、何より僕を信じてくれた人をこれ以上傷つけないようにしたい」
自分の中で誓う。もう二度とこんな真似はしない、と。
「…あの大佐にバラすのか?」
「ううん、言わない。でも謝って、お礼言って…それはきちんとするよ。それから…」
アルベルトは資料を手に取る。
そしてブラックがしていたように、しっかりと目を通し始める。
「それから、必ずけじめをつける」
父親のことも、自分のことも。
「…お前の生温い理想はどうでもいい。用がすんだら出てけ」
「相変わらず冷たいなぁ」
ブラックは顔をしかめたまま、アルベルトは笑いながら、資料を読み進める。
欲しかった情報も手に入り、あの男がまだそこにいることも判った。
前へ進む準備はできた。
出会いは人を大きく変える。
変わったものはまた別のものを変えるために導く。
そして、導かれるものは。
To be continued…