染まった葉が季節のめぐりを知らせる。

夏はとうに終わり、これからはだんだん肌寒くなってくる。

任務の話が出たのは二ヶ月前だというのに、未だに出動命令は出ていない。

おそらく上は信じたくないのだろう。

死んだはずの男が、生きているという事実を。

そしてその男の関わるものが、予想をはるかに超えた大きなものであるということを。

そして上は全く知らない。

その男に関するものが、このエルニーニャ王国中央軍にもあるということを。

 

渡されたのは書類のみで、無機質な文字が並ぶだけ。

唯一生きているのは大総統のサインのみ。

それは「特例」だった。

通常、佐官をリーダーとしたメンバーで国外任務にあたるなど認められない。

そこを何とか、と頼み込んでも、二ヶ月かかってしまった。

この二ヶ月の間に事件は大きく進展している。

記録をまとめたファイルを脇に抱え、カスケードは第三会議室の扉を開けた。

「全員いるな?」

見知った顔を確認し、扉を閉めた。

 

「東方諸国連続殺人事件」――これがこの事件につけられた名前だった。

東の小国諸国で全く同じ手口の殺人事件が起こっていた。

被害者は体中を切り刻まれ、腹を割られ、中身をさらけ出していた。

女性の場合は死姦を受けており、殺害方法もより残酷だった。

さらに二ヶ月ほど前から、被害者から薬物反応が出るようになった。

同じ頃に危険薬物の密輸が問題になっており、この事件と関連するものと考えられた。

あまりにも残酷で、薬物に関してはエルニーニャとも関係するために、軍は東方諸国に人員を派遣した。

派遣されたのは主に将官で、佐官以下だけが向かうのは今回が初めてだ。

「今回の責任者は私だ。基本的に私の指示に従うこと」

カスケードが言うと、集合したメンバーは返事をする。

「国外だからな…現地軍の指示が第一だが、向こうは完全にエルニーニャを頼っている。

だからこそ私達が現地の人を安心させなければならない。…わかっているな?」

責任は重大だ。将官が担当するはずの任務を請け負おうというのだから。

「一ついいか?」

ディアが書類に目を向けたまま言う。

「何だ」

「ここまでする理由が全く見えねぇ。将官の担当なら将官に任せておくべきじゃねぇのか?」

説明を求める。何故この任務を佐官まで降ろして来たのか、何も知らされていないのだ。

「おれもわからない。佐官だけならともかく、尉官を一名伴ってっていうのが余計に」

アクトがブラックの方に視線を向けた。

ブラックはそれを睨み返す。

「そうか、お前達には言ってなかったな」

カスケードは少し遠くにいるアルベルトに目配せした。

アルベルトは困ったような表情で、頷く。

「…実は、この事件とよく似た事件が昔に起こっているんだ」

十七年前、エルニーニャの首都レジーナ郊外で一人の女性が同じ方法で殺された。

さらに時を遡ると、二十五年前にある小国で同じ手口の一家惨殺事件が起こっていた。

二十五年前の事件の犯人は川に身を投げて死んだと思われていた。

そのためそれ以降の事件は模倣犯と判断され、別のものとして考えられてきた。

しかし、それを覆すものがあったのだ。

「二十五年前、十七年前、そして現在…

死んだと思われていた犯人が生きていたとしたら、これは模倣でもなんでもない」

「ただの趣味?」

「砕いて言うとそのとおりだな」

アクトに頷いてみせ、カスケードは書類を手にする。

「そして、もう一つ重要なことがある。…アル、ブラック、言ってもいいな?」

ブラックは顔を背け、アルベルトは少し間を置いて頷いた。

この時点で、これが二人に関係することであるというのはわかった。

アルベルトとブラックをちらりと見た後、ディアとアクトは再びカスケードに向き直る。

カスケードは海色をそらさずに言った。

「この事件を追っていたのはアルとブラックだ。

軍が全てのつながりに気付くずっと前から、二人には何もかもわかっていた」

「こいつらが?!」

ディアは驚愕を隠せず、アクトは何かに気付いたようだった。

「…犯人、知り合い?」

「あぁ」

尋ねた言葉を即座に肯定される。

「この事件の犯人であるラインザー・ヘルゲインという男は、アルとブラックの父親だ」

ディアが明らかに嫌な顔をする。

「父親って…マジかよ…」

「本当は二人でけじめをつけたかったらしいが、そうもいかなくなってしまった。

二人のことは知らなくとも、ラインザーが生きているということはすでに知られてしまっている。

こうなった以上、二人だけでどうにかすることは不可能だ」

この任務の話が決まったときに、アルベルトとブラックはこの台詞を聞いていた。

ブラックは最後まで納得しようとしなかったが、アルベルトの言葉に仕方なく従った。

「しかし、これは二人の問題でもある。…だから、この任務のことを頼み込んだ。

幸いリルリア准将が話をつけてくれて上手くいった」

書類は封筒に入れられ、見えなくなる。

カスケードは声量を上げた。

「責任、指揮は私が取る!しかし、その場の行動選択はアルベルトとブラックに一任する!」

任務が始まった。戦いを告げる咆哮が響いた。

 

この大陸の大部分を占めるのがエルニーニャ王国。

その周囲を四つの大国が囲む。

さらに隙間を埋めるようにいくつかの小国がある。

そのうちの一つが、東方に位置するイストラ国。

「本日は宜しくお願いします」

カスケードが敬礼すると、女王が微笑む。

「こちらこそ。…この国の平穏のため、宜しくお願いしますよ」

二ヶ月前の犯罪拠点はユィーガという国だった。しかし今はこのイストラが拠点らしい。

隣国に移ってきただけだが、軍は犯人を捕まえることが出来なかった。

今回も捕まえることは出来ないかもしれないが、手がかりは掴めるだろう。

「尽力します」

女王と握手を交わし、王宮を後にする。

イストラ軍の施設を借りて寝泊りすることになっており、そこまで行かなくてはならない。

施設はエルニーニャのものをそのまま小さくしたようなもので、大抵の設備は整っている。

「貴様等だな、エルニーニャから来たという若造は」

年齢は三十代だろうか。カスケードと同じくらいの大柄の男が声をかける。

「あなたは…」

「俺はジョグ・モールズ大将だ。貴様等も名乗れ」

頭ごなしの命令口調に苛立ちながらも答える。

「カスケード・インフェリア大佐です」

「ディア・ヴィオラセント、中佐」

「アクト・ロストート中佐です」

「あ、アルベルト・リーガル少佐です」

「…ブラック・ダスクタイト中尉」

名前を聞いて、モールズ大将は全員を一通り睨みつける。

そして壁を思い切り殴りつけた。

ガンッという物凄い音が響き、壁には浅い筋が引かれる。

「…なめるなよ、小僧ども」

手を引っ込めることもせず、低い声で唸る。

「佐官なんかが何をしに来た!しかも尉官までいるときた!

エルニーニャは相当この事件を甘く見ているようだな!」

怒りを露わにし、獣のように吠え立てる。

「しかも何だ、俺が睨んだだけでビクビクするような奴までいやがる!

やる気はあるのか貴様等!」

カスケードはちらりと後方を見て、部下の様子を確認する。

アルベルトが震えているのがわかった。

「…大将殿、我々は全身全霊を賭けて、この任務に臨んでいます」

「どうだかな…案外貴様等も犯人の仲間だったりしてな」

モールズ大将は見下しながら言葉を吐く。

「…っ!」

ブラックは自分の刀に手をかけそうになるが、アルベルトに服を掴まれてやめた。

しかし行動は気付かれていたようで、モールズ大将は真っ直ぐにブラックの方へ向かってくる。

「貴様、今何をしようとした?」

ブラックの髪の毛を鷲掴みにし、顔を近づける。

「刀を抜こうとしたな?…尉官のくせに」

「やめて下さい!ブラックはそんなつもりじゃ」

「軟弱者は黙っていろ!」

アルベルトの言葉も虚しく、ブラックは罵声を浴びせられる。

「やはり貴様も仲間か?あの忌々しい殺人鬼の仲間なのか?」

「…一緒にするんじゃねーよ…!」

「目上の者に向かってそのような口を叩くか、貴様は…」

「やめて下さい!彼は私の部下です!私が全責任を負います!」

カスケードが止めに入り、モールズ大将はブラックを解放する。

「…若造が、いい気になりおって…」

去っていく背中を睨みつけつつ、カスケードはブラックの身を案じる。

「大丈夫か?」

「触るな」

ブラックはカスケードの手を振り払い、体勢を立て直す。

何も無かったように振舞おうとするが、頭に痛みが残っているらしい。

「ブラック、僕…」

「お前は何もしてねーだろ。…挙動不審でいりゃ良いんだよ。

それよりさっさと荷物置きたいんだけど」

ブラックが言うので、カスケードは前へ進んだ。

それに続き、全員が宿泊施設へと向かう。

 

「これが鍵です。三部屋に分かれてもらうことになりますが、よろしいですね?」

女性軍人に案内されてそれぞれの部屋に入る。部屋には番号がついていて、001から003までが使用できる。

001にアルベルトとブラックが、002にカスケードが、003にディアとアクトが入る。

部屋の鍵を閉めると、ブラックは床に座り込んだ。

「…むかつくな、あの大将」

「そうだね…僕もあの人はあまり好きじゃない」

アルベルトが同意し、ブラックと向かい合わせに座る。

部屋は静まり返り、外の音も聴こえない。

「…とうとう来たんだね」

ポツリと呟く言葉は、重い。

ここまで来るのに、本当に長い時間がかかった。

たった一人の人物を追って、いつのまにかこんなに遠くまで来ていた。

「あの男に会ったら…オレはすぐに殺す」

「駄目だよ…あの人の裏にいる人たちも捕まえなきゃいけないんだから」

「殺すためにここまで来たんだ。…出来ないなら意味が無い」

復讐――ずっと考えてきたこと。

幼い頃に誓って、それだけを目的に生きてきた。

自分の手で葬り去らなければ、ここまで来た意味が無い。

「ブラック、あの人の顔…知ってる?」

「顔?」

「うん…僕は覚えてないよ。

家に帰ってくることはあまり無かったから」

幼い頃の記憶がよみがえる。

広い家に、父親の姿は無い。

「僕も母様も、結局あの人に愛されたことなんて無い。

あの人が欲しかったのは財産だったんだから」

「オレのお袋の身体もだよ。…お袋もあの男の金が目当てだったんだがな」

「そうなの?」

「あぁ…お袋は金を貰ってた。お前の家の金を、一度に何十万も」

死んだ母が残した日記帳に記されていた。しかし、母は次第にあの男を愛していったのだ。

あの男との間に出来た子を、愛しいと思うほどに。

「オレの名前…お袋がつけたんだ。何にも染まらずに生きろって」

自分の生まれた日に記された名前と、その由来。

しかし、自分は母の望んだように生きているだろうか。

「…そっか、名前に意味があるんだ。…僕の名前には、意味が無い」

「どういうことだ」

「僕の名前は、おじい様が挙げた候補の中からあの人が指差して選んだ名前なんだ。

多分、何も考えないで指差したんだろうね」

昔母に聞かされた。あなたの名前はお父様が決めたのよ、と。

祖父は何らかの意味を込めていたのかも知れないが、今となってはそれを知る術はない。

少なくともあの男が父として考えたものではない。

「でも、僕はこの名前、気に入ってる。…皆が呼んでくれるから」

小さい頃から、呼んでくれる人がいた。

あの男に呼ばれたことは一度も無いが、母や祖父や周りの者は愛情を込めて呼んでくれた。

現在は上司や後輩が呼んでくれる。

「マクラミーさんには呼ばれたこと無いけどね。…でも、やっぱり名前を呼んでもらえるって嬉しい」

「そうか?」

「そうだよ。…ブラックも僕の名前呼んでくれてないけど、そのうち呼んでくれる?」

「呼ばねーよ」

父親の愛が無かった分、他からの愛を本当にありがたく感じる。

この時が終わって欲しくない。

「…そろそろ寝ようか。何か布団一つしかないけど」

「オレが床で寝る。お前は布団使え」

「…優しいね、ブラック」

「お前と離れたいだけだ…勘違いするな」

「一緒に寝ようよ、せっかくだし」

「嫌だって言ってるだろ!」

ブラックは怒鳴って、さっさと寝転んでしまう。

アルベルトは掛け布団を引っ張って持ってくると、ブラックに掛けてやる。

「…寒くねーのかよ」

「大丈夫。おやすみ、ブラック」

アルベルトは笑みを投げかけて、軍服の上着だけで寝る。

後には静寂と安心と、重苦しい不安が残った。

 

国を越えての移動に疲れ、アクトはベッドの上に倒れこむ。

ディアはその傍らで文句を言っていた。

「あの大将、何なんだよ…ああいう頭ごなしに命令する奴は気にいらねぇ」

「落ち着けよ…一番被害受けたのはブラックだろ。お前がイライラしてどうする」

「お前もイライラしてんだろ?機嫌悪そうな声出して…」

わかってたか、と言って、アクトはゆっくり起き上がる。

壁に寄りかかり、膝を折って抱え込む。

「ディア、どう思う?」

「あ?…あぁ」

何が、と尋ねる前に、質問の意味がわかった。

「信じられねぇよ…アルベルトとブラックの父親が殺人犯なんて」

「おれも。よくアルベルトが捻くれなかったな、と思うよ」

ブラックは明らかに捻くれているが、アルベルトはそんなそぶりは見せない。

事件を追っていたという事を聞いても違和感を感じた。

あの挙動不審な青年にそんなことができたのか、と。

「前に射撃勝負やったときに…アルベルトが自分の技量隠してるように見えるって言ってただろ?」

「あぁ」

「本当はどのくらい強いのかな、あいつ」

もしかすると自分達が思っているよりも、ずっと強いのかもしれない。

事実、アルベルトが中央に来るまでの事は何も知らないのだ。

「…あいつがどのくらい強いかなんてどうでも良いんだよ。

俺が言えるのはただ一つ…だな」

ディアは立ち上がり、ベッドの上に横になる。

重そうな天井を見つめながら言う。

「あいつが敵じゃなくてよかった。…もし敵なら、思考が読めねぇ厄介な相手になってたぜ」

 

長距離用の特殊無線から聴こえてくる声は、穏やかな女性の声だ。

まだ幼さを少し残した、年下の上司の声。

『今のところ異常は無いんですね?』

「あぁ…異常なことと言えば、こっちの軍が大分イライラしてることだな」

『それはそうですわよ。…カスケード大佐、お気をつけて』

「あぁ、気をつけるよメリー。…いや、リルリア准将」

通信が切れると、部屋に静寂が訪れる。

今回の任務のためにもっとも協力してくれたのは、メリテェア・リルリア准将だった。

若干十六歳で将官を務める彼女の実力は誰もが保証する。

佐官以下からは「将官よりも信頼される」カスケードだが、彼女には敵わなかった。

「向こうはメリーに任せて…俺はこっちだな」

持ってきたカバンから書類を取り出し、広げる。

アルベルトから借りた、二十五年前から現在までの資料。

ある小国で起きた一家殺人事件及び連続殺人事件、

その八年後に起きたブルニエ・ダスクタイト殺害事件、

そしてその後の連続殺人事件。

全てがわかりやすく、且つ詳しくまとめられている。

アルベルトの執念が資料から伝わってくる。

国外任務が決まった時、アルベルトは複雑な表情をしていた。

悲願の実現とこれからの不安が入り混じっていたのだろう。

ブラックはそんなアルベルトを心配そうに見ているように見えたが、それを言うと思い切り否定された。

しかし、やはり二人は兄弟なんだなと思う。

腹違いでも、共通して流れる血が敵の血でも、二人は互いに思い合っている。

ブラックは口では否定しているが、本当はアルベルトを兄と認めているのではないか。

時折貶しながらも、それが庇護に繋がっているときがある。

皮肉なものだ。ラインザーが犯罪者でなければ、この兄弟は生まれてすらいなかったのかもしれないのだから。

「神サマはよほど残酷なものが好きらしいな…」

資料を見ながら、呟く。

そこへ、ドアをノックする音が響いた。

カスケードが戸を開けると、そこには一人の青年が立っていた。

背は自分より低いが、年齢はおそらく同じくらいだ。

彼は軽く会釈をした。

「こんばんは、インフェリア大佐」

「あぁ…こんばんは」

誰かを訊こうとしたが、その前に相手が自己紹介を始めた。

「私はオファーニ・ルークと申します。イストラ軍の大佐を務めているものです」

「こちらの大佐…ですか?」

「はい。少しインフェリア大佐とお話をしたいと思いまして」

オファーニは笑顔を絶やさずに言う。

カスケードは少し考えた後、彼を部屋に招き入れた。

「今回の任務、ご苦労様です」

「いや…」

オファーニの言葉に、カスケードは苦笑する。

「ここに来てすぐに大将殿に怒られてしまった」

「モールズ大将ですね…あの人、短気だから。気にしなくていいですよ」

気にしなくていいとまで言えるほど、ここのものはあの態度に慣れているのだろうか。

慣れるまで大変だったに違いない。

「インフェリア大佐は、この事件をどう思いますか?」

「どうって…」

「残酷だ、とか、人間じゃない、とか」

オファーニは感想を求めていた。

笑顔のままで尋ねてくる。

「そうだな…酷いとは思う」

「そうですか」

余計なことは言えない為、ありきたりな答えを返した。

当然だが、相手は納得してはいないようだ。

「インフェリア大佐、明日はこちらの資料を見ていただきたいんです。よろしいですか?」

「あぁ…その方がこちらも助かる」

「それでは明日。…おやすみなさい」

オファーニはドアを開け、出て行った。

「おやすみなさい」を返す間もなく、カスケードはただ呆然とドアを見ていた。

 

支度を終えて部屋を出、イストラ軍への挨拶に行く。

それから資料を見せてもらい、それを基に調査を始める。

それが今日の予定だった。

しかし、わかってはいたが、簡単には行かない。

「若造ども、止まれ!」

後方から響いたのは嫌な声。

「おはようございます、モールズ大将」

「おはようございます、だぁ?」

敬礼して挨拶したカスケードを、モールズ大将は睨みつける。

「就業まで後三十分しかないのにおはようございます、か。とんだ時差ボケだな」

馬鹿にしたように笑うと、アルベルトを突き飛ばして去っていった。

よろけた体をディアに支えてもらい、何とか体勢を立て直す。

「大丈夫か?」

「は、はい…すいません」

「お前のせいじゃねぇよ。…あいつ、マジで嫌な奴だな」

ディアは今ので完全に機嫌を損ねてしまったようで、歩き方が乱暴になる。

アクトにたしなめられても直らないため、よほど苛ついているのだろう。

彼以外は気を取り直して事務室へ向かい、挨拶をする。

「おはようございます。今回お世話になります、カスケード・インフェリア大佐です」

「インフェリア大佐!」

奥から響いた声が近付いてくる。紛れも無くオファーニだ。

「ルーク大佐…」

「オファーニで良いですよ。…そちらが部下の方ですか?」

オファーニはカスケードの後ろにいる四人を一通り見て尋ねる。

「はい。自己紹介させましょうか?」

「お願いします。…それから、敬語はやめましょう。本来の話し方で結構です」

オファーニがそう言うので甘えることにして、紹介を始める。

滞りなく進んだが、カスケードにはオファーニの目つきがあるところで変わったように見えた。

気付いたのはカスケードだけではない。変化のきっかけになった本人達もだ。

「…ありがとうございます。宜しくお願いしますね」

オファーニは笑顔を浮かべ、カスケードたちを奥へ案内する。

奥にはドアがあり、パスワードを入力して開く仕組みになっていた。

オファーニの指がピアノを弾くように軽やかに動くと、ドアは静かに開いた。

「どうぞ。…ここで少しお話しましょう、インフェリア大佐」

「俺だけか?」

「えぇ。他の方はココノエ大尉の案内に従って応接室へどうぞ」

カスケードが他の四人に目配せし、中へ入っていく。

それを見送ってから、アルベルトたちは女性大尉に連れられて応接室へと向かった。

 

ドアの奥にあったのは、いたって普通の部屋だ。

本棚には本が隙間無く並び、部屋の中央にはテーブルがありソファがある。

どうにも落ち着かない感覚に襲われながら、カスケードは勧められるままにソファに腰掛けた。

「インフェリア大佐、あなたとお話したかった理由は一つです」

オファーニは相変わらずの笑みで言う。

「あのアルベルトという方…ラインザー・ヘルゲインの息子ですね?」

「…!」

何故それを、と言いかけて止まる。

それでは肯定したことになってしまう。

「…何故そう思う?」

「ラインザーについては私も出来る限り調べました。

このことは上官は知りませんが、ラインザーは顔と名前を変えてエルニーニャに渡った後、結婚していますね」

不自然な笑顔は、淡々と語る。

「結婚した相手はエルニーニャの大手財閥の娘です。

彼女の名はハルマニエ・リーガル…そしてアルベルトさんもリーガルと名乗った」

笑顔から目を逸らせない。逸らせば認めることになってしまうような気がして。

「さらにあの髪と眼…ラインザーと全く同じ色です。

勿論偶然でも片付けられますが、ここまでそろえば完全否定は難しいでしょう」

どうやってごまかせば良いのか。それとも、いっそ打ち明けるべきか。

いや、そうするとアルベルトに疑いがかかる可能性がある。やはり言うべきではない。

「…オファーニ大佐、俺はその考えを否定する」

「違うんですか?」

「全く違うな。アルは…リーガル少佐は、ラインザーとは全く関係が無い。

あまりにも偶然が重なりすぎて疑われるかも知れない、ということは承知の上で連れて来た」

毅然とした態度で向かえば、この考えを改めてくれるかもしれない。

改めてくれなければ困る。

「…まぁ、いいでしょう。そういうことにしておきます」

オファーニは納得してはいないが、この話は止めた。

カスケードは内心ホッとする。

「ところで、インフェリア大佐は部下が大切ですか?」

「どうしたんだ、いきなり」

不意をつかれて話題を変えられ、カスケードは少し戸惑う。

「部下が大切だと、心から思いますか?」

先ほどから全く変わらぬ笑みを向けられ、違和感を覚える。

しかし、この質問なら答えるのは容易だった。

「当然だ。俺から良い部下をとったら何も残らない」

良い部下ですか…」

言葉を反復するが、感心しているようには見えない。

寧ろ、馬鹿にしているような態度さえ感じられる。

「あなたは幸せですね。良い部下と言い切れるんですから」

「言い切れないのか?」

「…いろいろあるんですよ」

それで他人が信用できないというのだろうか。

それならば、悲しすぎる。

しかしあえて何も言わずにいた。

「…そろそろ出ましょうか。部下の方たちともお話したい」

立ち上がってドアのロックを解除するオファーニを、カスケードはただ見つめていた。

 

一方、女性大尉に案内されて応接室に来た四人は。

「こちらでお待ちください。もうしばらくかかります」

広い応接室には、巨大なテーブルとそれに相応しいソファがおいてある。

部屋の四隅には観葉植物が置かれ、この部屋に酸素を供給していた。

「…ねぇちゃん、一ついグハッ!」

ディアが口を開いたところで、アクトが肘うちを腹部にくらわせる。

「…お前、何す」

「初対面の女性をなんて呼び方するんだお前は」

その様子を見てブラックは呆れ、アルベルトはおろおろする。

そして女性大尉は、クスクスと笑った。

「良いんですよ。…それで、何の御用ですか?ヴィオラセント中佐」

「一つ良いか?」

「どうぞ」

「ここの大将は随分と偉そうだな」

ディアの言葉に、女性大尉は表情を変える。

暗い影が差している。

「…モールズ大将は、普段から厳しい方です。でも、元々ああじゃなかったんですよ」

女性大尉は辛そうに笑みを作った。

「大将の娘さんがお亡くなりになってからなんです、ああなったのは」

「亡くなった?」

「えぇ…今回の事件の被害者の一人は、彼女なんです」

アルベルトは唇を噛み、拳を強く握る。

ブラックは何の反応も示さずに聞いていた。

「大将は娘さんを守れなかったことを悔やんでいるんです。だから、この事件を解決しようと…」

守れなかった辛さは、ディアとアクトには痛いほどわかる。

アルベルトの許せないという気持ちはますます強くなる。

女性大尉は続ける。

「余計なことなんですけど、彼女は私の親友だったんです。

だから、私もこの事件が早く解決することを望んでいます」

思いは同じだ。これ以上犠牲を出すわけにはいかない。

少しでも早く解決するように、自分達がやらなければならないことがある。

「…ねぇちゃん、名前は?」

「だからその呼び方をやめろ」

ディアは再び肘うちをくらい、蹲る。女性大尉は元の笑顔を少しだが取り戻した。

「私はナナツといいます。ナナツ・ココノエ大尉です」

「しばらくよろしく、ナナツさん」

アクトが言うと、ナナツはにっこり笑って頷いた。

丁度廊下から足音が響いて、こちらへ向かってきた。

二人分の足音は部屋の前で止まり、ドアを開けた。

「お待たせましたね、ココノエ大尉」

オファーニが笑顔で言う。

「皆様お待ちかねですよ、大佐。…インフェリア大佐もお掛けになってください」

「ありがとう」

カスケードはナナツに従い、ソファに腰掛ける。

その表情は真剣で、オファーニとの話が重いものであったことが伺える。

「…さて、資料を見てもらいましょう。ココノエ大尉、お願いしますよ」

オファーニの指示で、ナナツが資料の公開を始めた。

 

薄暗くなった事務室で、アルベルトとブラックは渡された資料に目を通す。

手口はやはり同じで、少しずつ国の外側へ移動していた。

「この人がモールズ大将の…」

アルベルトが手にした資料には、まだ幼さを残した少女の写真があった。

「こういうわけなら、一生懸命になるのは当然だよね」

「一生懸命?ただ偉そうなだけじゃねーか」

「僕も最初はそう思ったけど、今は…」

全ては自分の父親の所為だ。あの男はどれだけの罪を重ねれば気が済むのだろう。

小さく息をつき、書類を封筒にまとめた。

「部屋で見せてもらおう」

「あぁ」

封筒を両手でしっかりと抱え、事務室を出る。

廊下を歩いていくと、見慣れてしまった人物を見つけた。

当然彼はアルベルトとブラックに声を掛けた。

「若造ども、その封筒は何だ」

朝と同じ低い唸り声が上から降ってくる。

「あ、えと、事件の…」

「事件の資料だと?貴様に何がわかる」

「…すみません」

アルベルトの情けない声に、モールズ大将は怒りを見せる。

「貴様、それで軍人が務まると思ってるのか!そんな態度ならやめてしまえ!」

「すみません、僕…」

「お前のような情けない奴がいるから被害者が増えるんだ!やめてしまえ!」

怒声が建物中に響き渡る。アルベルトは俯いて、動かない。

ブラックは小さく息をつき、モールズ大将を睨みつける。

「それなら辞めるのはテメェだろうが」

「…何ぃ?」

ブラックの発した言葉に、アルベルトは顔を上げる。

モールズ大将はブラックに近付き、低い声で唸る。

「もういっぺん言ってみろ、貴様」

「テメェが情けねーから娘が殺されたんじゃねーのか?テメェが軍人辞めちまえ」

「ブラック!」

アルベルトがたしなめようとするが、ブラックは止まらない。

「自分の娘も守れねーで、偉そうなことぬかしてんじゃねーよ!」

「…貴様、よくも…」

モールズ大将はブラックに掴みかかり、拳を振り上げる。

「やめてください!」

アルベルトが叫び、拳は振り下ろされる。

ブラックは反射的に目を閉じる。

…が、いつまでたっても衝撃は来なかった。

ブラックが目を開けると、拳はすぐ目の前で止まっていた。

アルベルトが恐る恐る近付くと、モールズ大将の手は震えていた。

「…大将殿…?」

アルベルトの声に、モールズ大将はゆっくりと拳を下ろした。

そして、低い声を荒げずに言った。

「…貴様、俺の娘の写真を見たか?」

ブラックはモールズ大将から離れ、頷く。

「そうか…」

モールズ大将は体を壁に預け、語りだす。

「あの子はまだ若かったんだ。これからだというのに、殺されてしまった。

俺はあの子を守れなかった。軍人のくせに、一般市民としてのあの子も守ることが出来なかった。

父親のくせに、あの子が死んだ後にしか会えなかった」

頬を雫が流れ落ちていくのが見えた。

蛍光灯の光に溶けて、床にこぼれた。

「俺は馬鹿な男だ。殺人犯と同じだ。あの子がどれほど恐怖したか、俺にはわからないのだ」

一人の父親の、悲痛な叫びだった。

あの男が作るのは、このような悲しみだ。

目の前で涙を流す大男を、アルベルトとブラックはしっかりと目に焼き付けた。

「…大将殿、娘さんの仇、とりましょう」

アルベルトの言葉に、モールズ大将は顔を上げる。

「あの人の所為で多くの人が死に、多くの人が悲しんでいる。

…僕は絶対に、あの人を許せなくなりました」

先ほどまでの情けない青年は、そこにはいなかった。

存在しているのは、しっかりとした目の、しかしどこか恐ろしい青年。

「僕はあの人をずっと追ってきたけれど、こんなに許せなくなったのは初めてです。

あなたを鬼にするほどの事をあの人はしているんだと思うと…」

握る拳に、力が入る。

「…貴様、一体何者だ?」

モールズ大将が呟く。

「先ほどとは全く別人のようだ。貴様は何故真の自分を見せない?」

アルベルトは俯き、黙り込む。代わりにブラックが口を開いた。

「コイツは許せない自分を人に見せたくねーんだよ。

それだけじゃなく、コイツは正体を隠す必要があったんだ」

「隠す必要だと?」

「あぁ」

ブラックはアルベルトに近付き、腕を引っ張った。

アルベルトは小さく頷き、歩き出す。

モールズ大将は、ただその場に立ち尽くしていた。

今起こった出来事に呆然としていて、背後に迫る気配にも気付かなかった。

衝撃に気付く頃には、すでに遅かった。

 

部屋に届いた報せを受け、カスケードは走り出した。

アルベルトは呆然として、その場に座り込んでしまった。

ブラックは壁を殴りつけ、その衝撃に手は痛みを発した。

しかし、そんな痛みは出来事の大きさに比べればなんでもない。

カスケードが現場に辿り着いたとき、廊下は赤く染まり、イストラ軍がその処理をしていた。

追いついたディアとアクトは、思わずうめく。

「…んだよコレ…」

「惨いな…」

布を被せられてはいるが、それは明らかにモールズ大将だった。

横暴な振る舞いも、もう二度とない。

「インフェリア大佐」

声を掛けたのはナナツだった。震える言葉が紡がれる。

「まさか…大将が…どうして…」

両手で顔を覆うナナツの背を、アクトが優しく叩く。

「ナナツさん、戻った方がいい」

「でも…」

「これ以上ここにいるのは辛いと思う。だから…」

ナナツは頷き、戻っていった。

入れ替わりにオファーニが駆けつけ、モールズ大将の遺体を覆うカバーをめくる。

「…同じですね」

カバーを戻し、ゆっくりと立ち上がる。

「一連の事件と同じようです。…大将も被害者になってしまいましたね」

カスケードに向けられるのは、普段と変わらぬ、笑み。

「…オファーニ大佐、何故笑えるんだ?」

「笑っているわけではありません。これが地顔なんですよ」

オファーニは周囲のものに命じ、遺体を片付けさせようとする。

しかしモールズ大将の大柄な体は、なかなか移動できない。

「困りましたね…手伝ってくれますか?インフェリア大佐と、その部下の方」

カスケードは遺体に歩み寄り、カバーの上から倒れた体に手を掛けた。

悲しい重みが感じられた。

ディアとアクトも後に続き、遺体は軍施設内の医療施設へ運ばれた。

 

部屋に留まったアルベルトとブラックは、先ほどまでの会話を思い返していた。

耳に残る怒声と、無念の声。

後悔の涙と、悲痛の叫び。

「…果たせなかったんだね」

後悔を背負ったまま、モールズ大将は娘のもとへ行ってしまった。

「オレのせいだ」

ブラックが呟く。

「どうして?ブラックの所為じゃないよ」

「オレのせいだ。もう少しあの場にいれば、アイツは…」

暗闇と静寂の中に、二人分の声だけが響く。

「…ブラック、変わったね」

「あ?」

「以前の君なら、そんなことは言わなかった。

思っていても、口にはしなかったよ」

「………」

こんな時に何を言うのか。

いや、こんなときだから言うのかもしれない。

この現実を信じたくないからこそ、こんな話題が出てくるのかもしれない。

「ブラック、行こうか」

「どこに」

「モールズ大将の所」

立ち上がり、ドアを開ける。

蛍光灯の灯りに照らされた廊下を渡り、先ほどまで自分達がいた場所へと向かう。

だんだんと近付いてくる現実の途中で、カスケードに会った。

「アル…ブラックも…」

「大佐、モールズ大将は…」

「…今は会えない。明日にはきれいな状態で会える」

「それじゃ意味がないんです!僕は…」

アルベルトは我を忘れていた。

カスケードはアルベルトの表情を両方とも知っているが、今のそれは普段人に見せないものだ。

「…アル、お前にはキツいかもしれないぞ」

「そんなの大将の痛みに比べればなんでもないです!」

強い瞳。意志のこもったライトグリーン。

「…わかった。来い」

カスケードは踵を返し、アルベルトとブラックを導いた。

薬品の匂いが立ち込める医療施設の奥で、司法解剖が始まろうとしていた。

「どうしたんだよカスケード」

丁度戻ろうとしていたディアに、カスケードは静かな声で答える。

「あぁ、ちょっとな。…アルとブラックが大将殿に会いたいって」

「ブラックはともかく…アルベルトはやめといたほうが良いんじゃねぇか?」

「今の状態じゃないと意味がないんだとさ。…アクトは?」

「中にいる…補助頼まれちまって」

「そうか…アル、ブラック、行くぞ」

カスケードに連れられて中に入っていくアルベルトとブラックを、ディアは黙って見送る。

扉が閉まって見えなくなった後、ふと思った。

「…あれ、本当にアルベルトか…?」

普段とは明らかに違う目をしていた。情けなさは消えていた。

確かにアルベルトなのだが、何かが違った。

 

手術着に身を包み、作業中の室内に入る。

専属の軍医と軍人数名、そして部屋の隅にアクトがいる。

カスケードとブラックに対しては特に驚かなかったが、アルベルトには目を丸くした。

「カスケードさん、アルベルトには…」

「こいつが会いたいって言ったんだ。会わせてやってくれないか?」

「…わかった」

アクトは軍医に事情を話しにいき、少ししてから手招きした。

アルベルトとブラックはそれに従い、モールズ大将の顔を見る。

今にも怒鳴り始めそうな、その表情。けれどもそれは二度とかなわない。

「…さっきまで、僕達は大将殿と会話してたんです」

「本当か?!」

「はい。その時はこんなことになるなんて…」

「アルベルト…」

アクトはそのときに見た。

アルベルトの目つきが、いつもとは違う。

別人を見ているような気がしたが、確かにアルベルトだ。

「…お前、怒ってるのか?」

「…怒ってるというか…許せないんです」

声の調子も違う。

「アクト、アルとブラックのこと、頼んだぞ」

不意に後方から聞こえる、言葉。

「頼んだって…」

「終わったら一緒に戻ってきてくれ。悪いが、俺は戻る」

「…わかった」

頷くアクトと、アルベルトとブラックを残し、カスケードはその場を離れる。

装備を外してそこを出ると、まだディアがいた。

「戻らなかったのか?」

「まぁな。…カスケード、アルベルトの奴…」

気になったことを尋ねると、カスケードは首を横に振った。

「忘れてやってくれ。…本当は、あいつもあの目は見せたくなかったんだ」

許せない自分は見せたくない。アルベルトはそう言っていた。

だからカスケード自身も忘れようと思っていた。

「…忘れりゃいいんだな?」

「あぁ」

「…もう忘れたよ。俺頭悪ぃから」

「さすが不良」

「不良言うな」

軽口を叩いても笑えないし、怒れない。

状況が許さなかった。

「俺、部屋戻るから。…ディアはどうする?」

「アクト待ってる。アイツいねぇと落ち着かねぇし」

一人分の足音だけが、廊下に響く。

足音は赤く染まった廊下にも響き、一人の部屋に戻ってくる。

「…あれ?」

無線が信号を発していた。時差から言えば、エルニーニャは夜中のはずなのに。

「…こちらインフェリア」

『カスケードさん!何やってたんですか?!』

聞きなれた声だが、かなり焦っている。

「カイか?何かあったのか?!」

『殺人事件なんです!メリーに言われて連絡したんですけど…』

メリテェアの指示で連絡が来る殺人事件。

もしや、と思う。

「犯行手口、わかるか?」

『かなり惨いですよ。体中ぼろぼろで…』

どうか違ってくれ、と願う。

「…体中切り裂かれて、腹が割られてる、か?」

否定を返してくれ、と望む。

しかし、

『そうです。…そのとおりなんです』

返ってきたのは、残酷な肯定。

『上層部はパニックですよ。将官は緊急会議開いて、俺達はこれから現場なんですけど…』

「…わかった。一つだけ頼んでいいか?」

『何ですか?』

「女の子には、絶対に現場を見せるな。…特にリアちゃんには」

『…わかりました』

通信はそこで切れる。カスケードは急いで部屋を出、さっきの道を戻る。

とにかく急がなければ、関係の無い者にまで被害が広がりかねない。

「ディア、まだ終わってないか?!」

壁に寄りかかっていたディアが、驚いてこちらを見る。

「終わってねぇけど…何かあったのか?」

「司法解剖の結果によるが、俺達は嵌められたかもしれない」

「ハメられた?!」

その声と同時に、アクトとアルベルト、ブラックが出てくる。

その表情からもショックが感じられる。

「ディア…カスケードさんもいたんだ」

「どうした?結果は?」

カスケードの問いに答えたのは、アクトではなかった。

「…違ったんです」

震えた声の、アルベルト。

「あれは…あの人の殺し方じゃない…!」

「何だって?!」

決定した。完全に嵌められたのだ。

カスケードは舌打ちし、詳細を聞き出そうとする。

「どう違ったんだ?」

「あの男の傷つけ方の法則が違うんだよ」

答えたのはブラックだった。

「法則?」

「あぁ。あの男は首を最初に、腕、手首、背、足と下がってきて、最後に腹を割る。

あの大将の死体は、傷つけ方がめちゃくちゃだった」

念のために確かめようと、カスケードは医療施設を出て無線を繋げる。

「インフェリアだ。…ツキか?」

『カスケード!メリテェアに換わろうか?』

「いや、お前が事件の事わかればいいんだが…遺体の状況知ってるか?」

『それは俺には…あ、グレン大尉に換わる。ちょっと待って』

急がなければ。こっちで起こっていることがフェイクなら、あっちはどうなのか確かめなければ。

『カスケードさん、グレンです』

「グレン、遺体の状況わかるか?斬られた順番とか…」

『はい。…首が最初で、次が腕、それから…』

「手首、背、足、腹か?!」

『そうです。でもどうして…』

「説明は後でする!そっちに二人ほど戻すから、それまで待ってろ!」

無線を切り、施設内に戻る。

話の一部が聞こえていたのか、アルベルトとブラックの目つきが違っていた。

「アル、ブラック、この事件は…」

「囮、だったんですね」

アルベルトが言う。やはり聞こえていた。

「聞こえてたんなら話は早い。ヘリを借りて、二人でエルニーニャに戻ってくれ」

カスケードの言葉に、ディアが反発する。

「ちょっと待てよ!こいつらにヘリの操縦なんて」

「出来るんだよ、アルには。…西でやってたんだろ?」

アルベルトは迷わずに頷いた。

「しばらくやってないからわかりませんけど…でも、この際仕方ないですよね」

「そういうことだ。…ブラック、もしものときはお前も操縦しろよ」

「墜落しなきゃ良いんだろ?…行くぞ馬鹿」

「馬鹿って言わないでよ…」

いつも聞いているやり取りも、アルベルトの態度が違う所為か違和感がある。

アルベルトとブラックを見送った後、カスケードはディアとアクトに告げる。

「俺達はこっちを片付けるぞ。…犯人は内部の人間だ」

「しかも事件のことをよくわかっている、佐官以上の人間」

「暴れてやるか…久しぶりにな!」

 

何かを動かす感覚というものは、一度染み付いたら忘れないらしい。

手際よく軍用ヘリを操縦するアルベルトを、ブラックは呆然と見ていた。

「お前って…」

「何?」

「…いや、なんでもねー」

機体が浮き、結構なスピードで上昇する。

大きな音が響き、空を滑っていく。

「ブラック、いよいよだね」

「…あぁ」

もしかすると、本人に会えるかもしれない。

ずっと追ってきた、あの男に。

許せなかった。罪を償わせようと思った。

恨みを込めた。殺して消してしまおうと思った。

もうすぐ、全てが終わる。

「…殺すの?」

「殺す」

「…そう」

途切れ途切れの会話は、これが最後になるかもしれない。

この時間で、終わるのかもしれない。

「…ブラック、全部終わったら…どうするの?」

「軍人やってる意味ねーからな…でも」

「でも?」

機体が大きく揺れた。しかし、二人は全く動じない。

「でも…何故かあの場所、落ち着けたんだよ」

傾く機体は体勢を立て直し、再び上昇する。

「全てを信じねーつもりだったのに…全部大嫌いだったはずなのに…」

雲の隙間から見えるのは、大都市の町並み。

「オレは馬鹿だよ。…お前以上にな」

機体は少しずつ下降し、エルニーニャの首都レジーナを目指す。

そこに位置する中央司令部は、自分達の帰るべき場所。

 

応接室の四隅には植物があり、部屋に酸素を提供している。

酸素だけではない。

危険薬物の隠し場所も、だ。

「…うわ、懐かしい白い粉」

アクトがさも嫌そうに呟く。

植木鉢は大きな籠の中に入っていて、籠と鉢の間には布の塊があった。

その布の塊を解けば、案の定。

「イリュージョニア見るとお前のドレス姿思い出す」

「…バカディア」

軽口を叩きながら、薬物を処理する。

白い粉の中に一つ、有色の物が混じっていた。

「これがウィルドフェンス。…そうだろ?ナナツさん」

アクトの問いに、ナナツは頷いた。

犯人は内部にいるとして捜査を始めようとしたとき、どこから始めるべきかがわからなかった。

そこで資料をもう一度見てみようということになり、渡された資料のコピーと昼間のナナツの説明を照らし合わせて確認した。

そこで殺害の手順についての資料はあったにもかかわらず、公開されていなかったことが軍医の説明からわかった。

何故公開されなかったのか。

ナナツに直接問いただしたところ、ナナツが隠していたことが判明した。

隠した理由は単純だ。

「ナナツ大尉、どうやってオファーニ大佐が裏切り者だって事を知ったんだ?」

カスケードが問い詰めると、ナナツは語りだした。

「私…聞いてしまったから…」

 

ナナツはオファーニの部下として務めてきた。

オファーニのことを誰よりも信頼していたし、周りにもそれを求めた。

しかし、二ヶ月ほど前から何かが変わってきた。

「ココノエ大尉、そこは開きませんよ」

事務室の奥にあるオファーニの仕事部屋に、パスワード式の鍵がついていた。

「どうして鍵など…?」

「客人が来るのですよ。大切な客人が…」

オファーニはそう言って、長いときは一日中そこにこもっていた。

客人などいつ来ているのか全くわからないが、とにかく周りの者を一切その部屋に入れなかった。

しかしある時、鍵が壊れていたのか中の声が偶然聞こえたのだ。

事務室にはナナツの他に誰もいなかった。

「…ですから、ユィーガからこちらに来られては?ここなら情報操作も簡単ですし…」

オファーニの声と、もう一人の声。

知らない声は初老の男性のようで、あまり低くはなくあっさりした調子だった。

「もうしばらくかかる。…で、薬の件はどうなった?」

「あれなら応接室ですね。植物は酸素を提供するものですから」

「そうか…ところで、エルニーニャから援軍をという話が出ているそうだ」

「エルニーニャからですか?確かエルニーニャにはご子息がいらっしゃるんですよね?」

「やめろ。息子だなんて思いたくない」

「申し訳ありません」

不審な会話はしばらく続き、初老の男性の声が止んでからオファーニが部屋から出てきた。

その頃にはナナツは事務室から出ていたので気付かれなかったが、不安は大きくなる。

薬とは何か。応接室の植物がどうしたのか。

オファーニの目を盗んでこっそり調べた結果、ナナツは大量の危険薬物を見つけた。

これは他に言うべきなのか。いや、そんなことをすれば自分は消されるだろう。

会話が聞こえたときに、確かに言っていたのだ。

「ラインザー・ヘルゲイン」――小国の連続殺人犯の名を。

死んだはずのものが何故ここにいるのかはわからないが、今自分が危険だということはわかる。

誰にも何も言わずに時は過ぎ、ある日とうとう起こってしまった。

最近発生していた連続殺人事件が、この国でも発生したのだ。

この国の被害者の三人目が、ナナツの友人でありモールズ大将の娘であるあの女性だった。

一人目の被害者の時から、司法解剖の結果はオファーニに見せなかった。

他の書類にも少しずつ手を加えた。

すぐにバレるだろうと怯えていたが、結局気付かなかったところを見ると最近は客人とは会ってなかったのだろう。

この国で四人目、五人目の被害者が出、最後にモールズ大将が殺された。

ナナツは直感でオファーニだ、と思った。

本当は信じたくなかった。まだどこかで自分はオファーニを信じていた。

しかし、それは無情にも砕かれてしまった。

 

「インフェリア大佐、オファーニ大佐はどうなるんですか?」

ナナツは声を震わせ、尋ねた。

「…軍には居られない。ラインザーの共犯だとすれば終身刑か、もしくは…」

この先は言わなかったが、イストラの制度を考えれば想像は容易だった。

ナナツは泣き崩れ、カスケードは彼女をそっと抱きしめた。

信じていたものが崩れるというのは、本当に辛いことなのだろう。

それこそ、大切な人を亡くすのと同じくらい。

「…アクト、どのくらい経った?」

「結構経ってるよ。そろそろ着いてる頃だと思う。…それから…」

アクトはドアのほうを見る。ディアも同じ場所を睨む。

「殺気がする…おれ達も最終決戦だ」

足音が、ドアの前で止まった。

 

司令部で待っていたのは、ツキとクレインだった。

アルベルトは外でブラックを待つ。

「現場はどうなってるんだ?」

「やっと落ち着いてきたところよ。…でも…」

犯人はどこに潜伏しているかわからないので、気は抜けない。

被害にあった遺体は搬送され、現場の調査が続いていた。

「グレンは?」

「グレンさん?ああいう人たちは皆現場ね。ツキさん、何か連絡あった?」

「今のところは。…訂正、今来た」

ツキは電話を取り、応対する。

「クライスか…あぁ、今ブラックが到着したところだ。…え?」

ツキの表情が変わる。口調にも焦りが出る。

「戻ってきてないけど…それ、ヤバイだろ!本当に居ないのか?!」

「何かあったの?」

クレインがツキに尋ねると、この状況で一番聞きたくなかった言葉が出る。

「…リアさんが…いなくなった…」

「何ですって?!」

「…チッ」

ツキの言葉を聞くや否や、ブラックは外へ向かう。

アルベルトのもとへ着くと、肩を掴んで揺さぶる。

「お前、すぐに現場に行け!」

「え、何かあったの?」

「リアがいない!現場を見せるなってあいつが言ったから、隔離されてたんじゃねーのか?」

「マクラミーさんが…?!」

アルベルトは一瞬動きを止め、すぐに目つきを変えた。

銃弾のストックを素早く確認すると、走り出す。

「現場わかるか?!」

「大丈夫!」

ブラックは遠ざかる声を聴き、それから後を追った。

 

現場ではグレン、カイ、ラディアの三人が必死になってリアを探していた。

簡単な事情はメリテェアから聞いた。この事件が相当危険なものであるということはわかっていた。

「リアさーん!返事してくださーい!」

ラディアが呼んでも、返事は返ってこない。

「俺が司令部に戻らずに、リアの傍にいればよかったんだ…!」

「自分を責めないで下さい、グレンさん。今はそんなこと考えてる場合じゃないですよ」

現場である屋敷の周囲にはいない。犯人に連れ去られた可能性は否めない。

「カスケードさんがこっちに人を送ると言っていた。そうすれば…」

「誰が来るんですか?」

「さぁな」

二人ほど、と言っていた。だとすればディアとアクトか、もしくは…

グレンの思考はそこで中断した。中断させられたのだ。

「…今の、銃声か?」

そんなに遠くはない。むしろ近くだ。

しかもその響きは聴き慣れたものによく似ている。

「軍支給…四十五口径…」

「グレンさん、それって…」

「グレン!いるか?!」

カイの言葉を遮り、声が響く。

聴き慣れてはいるのだが、いつもと感じが違う。

「ブラック!」

「何しに来たんだよ」

グレンは意外そうに、カイは嫌そうに言葉を発する。

「オレが来ちゃ悪いのか?オレだってお前には会いたくねーよ。

…そんなことより、今の銃声はお前じゃないんだな?」

「あぁ。…ということは、まさか…!」

「そのまさかだ。…やりやがったな、アイツ」

騒ぎの中、銃声だけは酷く耳に残った。

 

時は遡る。リアはカイからの連絡を受けて現場を退いた。

グレンが戻るまで離れたところで待っているように言われたのだが、武器を持っていることを頼りに一人で司令部に戻ることにしたのだった。

――あんまりグレンさんに迷惑掛けられないもの。

腰に鞭があることを確認し、司令部までの道のりを歩こうと試みる。

しかし、突然後ろから口元を押さえ込まれた。

「?!んーっ!」

「静かにするんだ。…ほう、君は鞭を使うのか」

腰にまとめてある鞭が抜き取られ、捨てられる。

「軍人とは嫌なものだ。奴等には釘をさしておくに限る」

押さえ込んでいる者の声は、初老の男性のものらしかった。

そしてどこかで聴いたことがあるような響きを含んでいた。

――この声…誰だっけ…誰かに似てる…

――ううん、そんなことよりどうやって逃げるかを…

しかし、相手は思いのほか力が強い。建物の陰の袋小路になっている部分に連れ込まれ、手足の自由を奪われる。

相手は相当慣れているようで、抵抗する隙を全く与えない。

テープで口を塞がれ、声も出ない。

「痛いかもしれないが、大丈夫だ。すぐに君は楽になれる」

――いや…誰か…

――誰か助けて…!

男の持っているナイフが見えた。

僅かな明かりを反射して、鈍く光る。

首に刃先が触れ、体中をぞくりとした感覚が走る。

――死にたくない…生きなきゃ…

――私は待たなきゃいけないのに…!

刃が肌の上を滑り始める。鋭い痛みを感じる。

「んーーーー!」

「大丈夫だよ、すぐに楽になる…」

――いやあぁぁぁぁ!!!

叫びは届かない。そう、誰にも。

いつかは届いた。でも、今は。

 

「彼女から離れてください、父様」

 

その声は、目の前にいる初老の男性と似ていた。

しかし、響きはずっと強かった。

知っているはずなのに、知らない声だった。

その声に反応するように、切り裂く腕はぴたりと止まった。

「…お前は…」

「お久しぶりです、父様。…彼女から離れて下さい」

強い声を持つ青年は初老の男性に近付き、ナイフがリアから離れるように横から思い切り蹴り飛ばした。

「ぐ…ッ…お前…」

「言うことを聞かないからですよ。…さぁ、立ってください」

知っている輝きとは違う光を持つ、ライトグリーンの瞳。

リアは目の前の光景が信じられず、呆然としていた。

「お前…何故ここに…」

「そんなことはどうでも良いんですよ。…さぁ、立て!」

普段は聞くことのない命令口調。

本当にこの人物は、自分の知っている者と同一人物なのだろうか。

初老の男性がよろよろと立つと、青年はそれを見つめたままリアを束縛から開放する。

「…ごめんなさい。こんな目にあわせて…」

「…あの、あなた本当にリ」

「僕は!」

青年はリアと目を合わせず、敵を見つめたまま言う。

「僕は…あなたにだけは、こんな僕は見せたくなかった…」

悲しい響きだった。

調子は全く異なるが、確かに知っている声。

目つきも違うけれど、確かに知っている色。

「父様…いや、ラインザー・ヘルゲイン、僕はあなたを許せずに、ここまで来ました」

「許せないだと?人間だって獣だ。欲望に忠実で何が悪い!

大体その父様という言葉、虫唾が走るんだよ!」

「そうですか。…僕も、自分で言っててぞっとします」

銃を抜き、銃口を真っ直ぐ正面に向ける。

「一つだけ訊きます。…先ほどイストラ軍大将が殺害されましたが…あなたの指示ですか?」

初老の男性はこの質問を聞くとにやりと笑った。

そして、一言吐き捨てた。

「そうだ」

 

「確かにラインザー氏の指示で、私は大将を殺害しました。

私にとっても都合がよかったんです。また出世できるんですから」

オファーニは笑みを浮かべたまま言う。

「それをあなた方はこんな風に邪魔をして…ココノエ大尉などは初めから私を疑っていたようですし」

「違います!初めは信じていました!でも…」

ナナツは叫ぶが、それはもうオファーニには届かなかった。

「もう良いんですよ。…楽になってしまいなさい、ナナツ・ココノエ。

…それと、インフェリア大佐とその部下の方も」

オファーニは短剣を二本、懐から取り出す。

「おいおい、俺達はその部下扱いかよ…」

ディアが拳を構える。

「おまけ扱いされて、いい気はしないね」

アクトは服の下に隠し持っていた軍支給ナイフを取り出す。

「おや…インフェリア大佐は戦わないんですか?」

「あいにく武器を持っていない。…ディア、アクト、任せていいか?」

カスケードはナナツを庇うように立ち上がる。

「俺達はお前のおまけじゃねぇよ」

「あとでちゃんと働いてよ、カスケードさん」

「…おぅ!」

カスケードの返事を合図に、ディアとアクトはオファーニの前後から攻撃を開始する。

カスケードはナナツを抱き上げ、宿泊している部屋へと走った。

「…逃がしませんよ、インフェリア!」

オファーニは上へ飛び上がって前後の攻撃を回避し、そのまま廊下へ出た。

「逃がすか!」

ディアはその後を追い、アクトは壁に沿って走りオファーニの前へ出る。

「その攻撃は効かないとわからないんですか?」

オファーニは再び飛び上がる。しかし、ディアとアクトはにやりと笑う。

「わからねぇのは」

「そっちだろ!」

ディアは上着の内ポケットから銃を取り出し構え、

アクトはナイフを上に向けて構え、

一斉にオファーニに放った。

「…ぐぁ…ッ!」

オファーニは両足を負傷し、廊下に倒れこむ。

見上げると、不敵な笑みを浮かべる軍人二人。

「ライフル以外の銃使ったの久々だ、俺」

「そうだな。…で、コイツどうしようか」

ただのおまけだと思っていたが、そうでもないらしい。

オファーニは笑顔を歪め、邪悪な笑みを作った。

「これでやったと思うなよ…」

ぼろぼろの足で立ち上がり、傷を気にせず走り出した。

「私に勝とうなど百年早いんですよ、雑魚どもが!」

傷を負っているとは思えないほど、速い。

「…うわー、すごいな」

「止めるか?あれ」

「もういいだろ。カスケードさんいるし」

オファーニは走り、あっというまに宿泊施設まで辿り着いた。

「インフェリア、無駄な足掻きはやめなさい!その女をこちらに渡せ!」

カスケードは室内で、静かに直立していた。

「渡せって言われても…」

少しずつ前へ進み、片手を真っ直ぐオファーニに伸ばす。

オファーニの目の前に来たのは腕ではなく、光輝く巨大な刃。

「…ひッ」

後ずさりして、壁に当たる。横に逃げると、刃は自分の方へ移動してくる。

「渡せって言われても渡せない。特に可愛いレディは…な」

刃を避けて後ずさりすると、今度は背中が何かの筒にぶち当たる。

それは先ほど足を狙った、銃口。

「往生際が悪いぜ、お前」

「大人しくしろよ、情けないお坊ちゃん」

狭い廊下では、もうどこにも逃げられない。

オファーニは崩れ落ち、恐怖にゆがんだ顔のままで固まった。

 

ラインザーは笑っていた。さも愉快そうに。

アルベルトはそれを睨みつけていた。

「何がおかしいんですか!」

「おかしいだろう。お前は俺のような自由人の血を引いているくせに、軍などに縛られているんだ。

お前は何のために軍人なんかやっている。そんなつまらないものを!」

何のために。

初めは母の言葉に従っただけだ。

それからラインザーの事を知り、追ってきた。

「僕は…あなたを見つけるために…!」

「それで終わりか!それならば軍人になる意味などない。そうは思わないか?アルベルト」

「その名で呼ぶな!あなたに呼ばれたくはない!」

「俺だって呼びたくないさ。…そういや初めて口にしたな、こんな汚らわしい言葉」

高笑いし、ナイフの刃先をアルベルトに向ける。

急に笑うのをやめ、一言発した。

「…死ね」

一直線に向かってくる鈍い光。

今撃てばリアにショックを与え、かわせばリアに危害が及ぶ。

――あなたを危険な目にあわせるくらいなら…!

アルベルトは自分から刃に向かっていき、

自らの体で、受け止めた。

「……っ!!」

衝撃の後に痛みが走る。腹部が赤く染まるのが見えた。

「リーガル少佐!」

「来ないで!」

リアが駆け寄ろうとするのを制止し、アルベルトは体制を立て直す。

しかし痛みは尋常ではなく、真っ直ぐ立つことは不可能だ。

「馬鹿め!大馬鹿者だ!そんなにその女が大切か!」

ラインザーは再び高笑いを響かせる。

アルベルトはそれをキッと睨み、言い放つ。

「…大切ですよ。あなたとは違って、僕は彼女を愛していますから!」

腕を伸ばし、銃口を再びラインザーに向ける。

ナイフを振り上げるラインザーを見つめ、引き金を引く。

「あなたにはわからないでしょうね…本当に愛するということが、どういうことか」

銃声が響いた。

それはどこまでも届いた。

 

「リア!」

「リアさん!」

グレンとカイが駆けつけ、リアはホッとする。

「…よかった…」

それだけ言って、意識を失った。

「…切り傷があるな」

「これくらいならラディアが治せますよ。俺が連れて行きます」

カイがリアを背負って、ラディアの待つ現場へと引き返す。

そこに残ったのはグレンとブラック、アルベルトと、ぼろぼろになった人間。

ぼろぼろの人間はまだ蠢いていた。

「…アルベルトさん、あなたが?」

グレンの問いに、アルベルトは頷く。

いつもと違う光を持つ目が、悲しそうに見える。

「ブラック、どうする?」

「…予定とは違ったが、実行する。

グレン、カイと一緒に戻れ」

普段はけして言わないような台詞を言い、ブラックはぼろぼろの人間の髪の毛を掴んだ。

「…おい、オレがわかるか?…わかんねーよな。初めて会ったのは二歳の時で、それきりだからな」

ぼろぼろの人間は、うつろな目でブラックを見つめる。

「オレの顔に見覚えはないか?…ブルニエ・ダスクタイトの息子だ。

…つまり、お前の遺伝子が入ってる人間だよ」

ぼんやりとしていた目が、はっきりとしたものに変わる。

「あ…あぁ…」

「わかったか?…オレはずっとお前に復讐することを望んできた。そしてやっと会えた」

ブラックはぼろぼろの人間の髪を放し、刀を抜いた。

「本当はオレの手で苦しませて、じっくり殺してやろうかとも思った。

けれど…お袋が僅かでもお前を愛したことは確かだ。

お袋のために、オレはお前を苦しませずに逝かせてやるよ」

振り上げた刀は、月明かりを反射し、

光の筋を伴い、赤を散らせた。

ぼろぼろの人間は、ぼろぼろの肉の塊になった。

「…じゃあな、親父。…最期まで、大嫌いだったぜ」

 

イストラからカスケードたちが帰還し、エルニーニャにはいつもの日々が訪れる。

その中でアルベルトは、寮の荷物をまとめていた。

「行くのか?」

不意に後ろから響く声は相変わらずの不機嫌そうな響き。

「…ブラック、来てくれたんだ」

「来たくて来た訳じゃねーよ。…で、実家に帰るって?」

「うん、あの人もいなくなったし、リーガル財閥建て直さなきゃね。

ほら、僕一応御曹司だから」

引出しから大きめの封筒を取り出し、それもカバンに詰める。

「持っていくのか?」

「僕が軍人だった証だから。…それとも、ブラックにあげようか?」

「いらねーよ」

ダンボールの積まれた部屋を見て思い出すのは、今年の三月。

まだここに来たばかりの自分達。

初対面だった頃の、自分達。

「僕たち、結構仲良くなれたと思わない?」

「思わねーよ。オレはお前が嫌いだ」

「そう…僕はブラックの事好きだよ」

アルベルトはそう言って、笑う。

書類に向かっていた頃の少し意地悪い笑い方ではない。

ふわりとした、優しい笑み。

「…何言ってんだよ!さっさと帰れ!」

「そうするよ。…じゃ、セレスティアさんに挨拶してくる」

アルベルトは立ち上がり、ブラックの横をすり抜けて廊下へ出る。

離れていく距離が、なんとなく嫌な感じだ。

「おい」

「何?ブラック」

アルベルトは立ち止まり、振り向く。

ブラックはアルベルトの方を見ずに、口を開く。

「オレはお前のこと嫌いだからな…兄貴」

アルベルトは目を丸くしたが、すぐに笑って答える。

「僕は君のこと大好きだよ、弟」

 

同じ寮内、カイとグレンの部屋。

リアはそこを訪れていた。

「記憶をなくす薬?」

カイは驚いて訊き返す。

「そう。カイ君、作れない?」

「作れないことはないけど…何でですか?」

リアの突然の申し出にカイは戸惑う。しかし、リアは真剣だ。

「…リーガル少佐が、あなたにだけは、こんな僕は見せたくなかったって言ってたの。

だから、私忘れた方がいいような気がして…」

「挙動不審じゃないアルベルトさんなんですよ?忘れたいんですか?」

「忘れたい訳じゃないの!…ただ、覚えていたら悪いような気がしたの。

だって、あの眼…本当に悲しそうだった」

今も忘れられない。あの眼を覚えている限り、きっと自分は彼との付き合い方を間違えるだろう。

同情だけの付き合いは辛いだけだ。

「…わかりましたよ。リアさんは後悔しないんですね?」

リアは頷いた。

もう、決めたのだ。

 

カスケードに辞める事を話し、他の人に伝えてもらうことにした。

ブラックは残ることも一応話しておいた。

「アル、元気でな」

カスケードはそう言っていた。しかしそのあと、

「でも忘れるなよ、ここに来ればお前の味方がいるって事」

と付け足した。

色に染まった葉が、風に散る。

枯葉を踏むと、さくさくと小気味よい音がした。

久々に帰る我が家は、明らかに衰えている。

「母様、ただいま」

玄関先でそう言うと、扉が開いて初老の女性が出てきた。

年齢よりも老けて見えるのは、苦労でやつれた為だろう。

彼女はアルベルトを見て、涙を流して抱きついた。

「お帰りなさい、アルベルト」

アルベルトはその背を抱き返す。いつのまにか、自分の方が背が高くなっていた。

「母様、全て終わったんです。あの人はもう…」

「知ってるわ。…いないのよね、あの人は」

悲しげな笑みを浮かべる母を見ると、本当にこれでよかったのかと思う。

しかし、良かったんだと言い聞かせて自分を納得させる。

「…母様、僕、軍で素晴らしい人たちに会ったんです」

とにかく明るい話をしようと、周りの人の話をする。

話は尽きることなく、母はずっと相槌を打って聞いていた。

「…いい人たちなのね」

「はい、本当に」

アルベルトは笑顔で答える。それを見た母が、ゆっくり口を開いた。

「…アルベルト、本当は軍に戻りたいんじゃないの?」

「…え?」

思いもしなかった。まさか、母からこんな言葉が出ようとは。

「本当に楽しそうに話すんですもの。…あなたは、軍で大切なものを手に入れたのね」

「はい」

大切なものは、本当にたくさん出来た。

信頼できる仲間が、たくさん出来た。

「…でもね、あなたにはまだ足りないわ」

「足りない?」

「えぇ。…自分の意思で、自分のために何かを成し遂げるということよ」

アルベルトはハッとした。

自分の意思で、自分のために。

――僕が軍人でいた理由って、何だ?

初めは母に言われて、次にあの男を追って、それで終わりか。

自分に出来ることは、もうないのか。

自分がすべきことは、まだあるはずだ。

「…母様、僕…」

アルベルトが言いかけて、母は笑顔で頷く。

「行ってらっしゃい、アルベルト。…あなたが疲れたときは、いつでも家で待ってるわ」

 

十月三十一日、寮の二人部屋が一つ埋まる。

荷物を運びこむと、同室の者は文句を言った。

「多すぎるんだよこの荷物!馬鹿じゃねーの?!」

「馬鹿って言わないでよ〜…兄貴って言ってくれたくせに」

「もう二度と言わねーよ!あれはお前が出てくって言うからつい出ちまったんだよ!」

騒ぐ二人のもとを訪れる者があった。

よく見知った顔だ。

「アル、荷物これで全部か?」

「大佐!…一応これで全部ですけど」

「ったく、男のくせに多すぎだろ。もっとコンパクトにまとめろよ、コンパクトに」

「お前は物に無頓着すぎ」

「…ディア君とアクト君は相変わらず…」

「アルベルトさん、お帰りなさい」

「ブラックと同じ部屋なんて災難ですね」

「カイ、テメェは黙ってろ」

「フォース君もシーケンス君も元気そうだね」

「私も元気ですよ」

「ローズさん、久しぶりです」

そして、一番後ろの金髪の女性。

「リーガル少佐、また少佐としての入隊なんですね」

「ま、ままま、マクラミーさん!!あ、えと、なんか辞表受理されてなくて…その…」

アルベルトは顔を真っ赤にして叫ぶ。

「…相変わらず挙動不審ですね…」

「す、す、すみません…うわっ」

あまりの挙動不審ぶりに、ダンボールも崩れ落ちる。

「ったく、アルはホント挙動不審だな」

「…はぅ〜…」

笑いが起こり、秋晴れの空が光る。

グレンがふと思い出して、カイに小声で囁く。

「そういえば、リアの薬効いてるみたいだな」

「薬?…あぁ、あれ薬じゃないですよ。ただの粉です」

「は?じゃあ…」

「暗示ですよ。だからいつかは解けますね」

また、同じ日々が始まる。

 

「ねぇブラック、母様が君の誕生日ケーキ焼いて待ってるけど、行く?」

「…どうせ連れてくつもりだろ」

 

fin