大切なものは何が何でも守り抜け。

後で後悔したときには、もう遅いのだから。

 

軍に入隊してからもうすぐ一週間になる。

何の目的も無くここにいて、何をすればいいのかもわからない。

ただぼんやりと物思いにふけりながら、木の上にいる。

実技は一級、しかし筆記は五十パーセントも出来ていない、態度は悪い。

そんな自分がどうして軍人になれたのか。

きっと周りもそう思っている。何しろ訓練等には一度も出ていない。

カスケード・インフェリアは、すでに問題児としての道を突っ走っていた。

 

「また居ないの?カスケード君…」

そう言ってため息をつくのは、シェリーカ・マグダレーナ曹長。

優秀な成績で伍長として入隊し、十二歳にして曹長を務める女性軍人だ。

今の仕事は三等兵の教育。

「入ってからまだ一度も訓練受けてないわよ。どうしたのかしら…」

「僕が呼んできましょうか」

自分から進んで申し出たのは、黄土色のバッジ――つまり三等兵――の少年。

緑の眼は澄んでいて、一見黒く見える髪の毛は光を透かすと眼と同じ色になる。

耳には銀色のカフスが光っていた。

「…じゃあ頼むわね。あなたなら今のところ成績もいいし、任せていいわ」

マグダレーナ曹長の言葉に少年は恥ずかしそうに頭を下げ、どこかへ走っていった。

向かった先は大きな木。

登り易そうな上、大人でも隠れられそうだ。

その木を見上げて、少年は叫ぶ。

「インフェリア三等兵!」

ありったけの声を出し、その名を呼ぶ。

名前の主は以外にもあっさり降りてきた。

というより、落ちてきた。しかし着地は決まっている。

「…何?なんか用?」

ダークブルーの髪に、海色の瞳。

カスケードは相手を思いっきり睨んでやろうと思って降りてきたのだが、それは出来なかった。

目の前の少年は自分と同じくらいで、階級も同じ。

上官でないなら反抗する必要も無い。

「…お前、誰?」

「あ、ごめん…そういえば一度も訓練来てないんだっけ」

嫌味…のようには聞こえない。

それはきっと、彼の声の所為だろう。

「僕はニア・ジューンリーです。君と同じ三等兵」

「…見ればわかるよ」

階級で色分けされているバッジの配色パターンだけは覚えていた。

というより、覚えさせられた。

「君はカスケード・インフェリア君だよね」

「一度も来てない奴の事、よく知ってるな」

「曹長がフルネームで名前を呼ぶんだ。君だけ返事しないから…」

いないのだから返事がないのは当然だ。

しかし、不思議なのはそれだけではない。

「何で俺のいる場所知ってるんだよ」

こっそりとここに来ているはずだ。誰にも見られていないと思っていた。

しかし、ニアの答えは予想とは全く違っていた。

「呼んだら出てくるかなって思って、適当に呼んでただけ」

あっさりとそう言われ、カスケードは何も返せない。

素直に出てきてしまった自分が馬鹿みたいだ。

「これでいつもどこにいるかわかった。…ここ、お気に入りの場所?」

「そんなんじゃ…」

「僕も来ていい?」

そう言った笑顔は、軍人とは思えない無邪気な笑顔。

カスケードがぎこちなく頷くと、ニアは素直に喜んでいた。

太陽の光を反射して、緑の髪から銀色の光が覗いた。

 

その時から、何かが変わり始めた。

俺の中で、軍に対するイメージがどんどん変わっていった。

全部、あいつの所為だった。

 

初めて訓練に出たその日の昼、カスケードとニアは共に昼食をとった。

誘ったのはニアの方で、悪い気はしなかった。

「インフェリア君はどうして軍に入ったの?」

ニアがスープのスプーンを手にとりながら尋ねる。

カスケードは食べていたパンを飲み込んでから言う。

「やめてくれないか?家の名前で呼ぶの」

「あ、ごめん。…それで、質問の答えは?」

強い。全く怯まないのだ。

ここまで圧力をかけられては答えないわけにはいかない。

「別になりたくてなったわけじゃない。家が軍人一家で、俺も試験受けるように言われてここにいるだけ」

「そうなんだ…」

感情を込めずに言うカスケードに、

「僕はね、」

ニアは全くひるまない。

「僕は、家が焼けちゃったときに軍の人に助けられて、僕も人を助けたいって思ったから」

「焼けた?」

「うん、放火だって言ってた。僕は助かったけど、家族は煙を吸いすぎて死んじゃった」

一酸化炭素中毒で意識が朦朧とする中、ニアは自分に必死で話し掛ける軍人を見たという。

後で気がついて確かめると、確かに自分は助けられたのだそうだ。

「僕は、僕みたいな寂しい思いをする人を増やさないように…

僕を必死で助けてくれた軍人さんのようになるために、ここにいるんだ」

目標がある。

だから、彼は頑張れる。

カスケードは自分の情けなさを感じた。

親に言われたからここにいて、日々を無気力で過ごしている自分。

それに対してニアの瞳の輝きは、なんて綺麗なんだろう。

自分もニアのようになりたい。

無気力なままじゃいけないような気がする。

「ニア、俺もそれでいいかな」

「え?」

「俺も、人を助ける軍人っての、目指していいかな」

本当はまだわからない。けれど、当面はそれでいいような気がした。

自分達には、まだ時間がある。

ニアは笑顔で頷いた。

「うん、一緒に目指そう。一緒にそういう軍人になろう」

そういって差し出した手を、カスケードはしっかり握り返した。

「…じゃ、午後からの訓練に行こうよ、カスケード」

「あぁ。…っていつのまにか呼び捨てだな」

「カスケードだってニアって呼んだじゃない。」

十歳の二人が、訓練場へ走り出す。

 

それからのカスケードは訓練に集中し、ニアと共に階級を上げていった。

二人はいつも一緒だった。

マグダレーナ曹長はそんな二人を見て、「親友」と言った。

本当にその通りで、同時に良きライバルでもあった。

「えいっ!」

「…っと、そんなんじゃ当たらないぜ!」

訓練以外に個人的に組み手をし、力をつけていく。

ニアの蹴りを容易くかわすカスケードだったが、次の瞬間、

「ひっかかったね、カスケード」

「…?!」

ごん。

「いってぇぇ!!」

すぐ側の木に激突した。

「こっちから蹴ればそっちに避けて、木の根っこに躓くと思ったんだけど…

まさか木にぶつかるとは思わなかったな」

「ニアぁ…お前なぁ…」

「あははっ…ごめんね、カスケード」

カスケードは技、ニアは頭脳。

よくあるタイプのコンビだが、彼等ほど息の合ったコンビはなかなか現れない。

組み手もどちらかが互いの得意なところで競うのだが、

「今のは木の所為だから引き分けだ!俺は負けてないからな」

「そうだね。…なんかどっちも勝ったことも負けたこともないよね」

何かと理由をつけて引き分けになっていた。

 

休みの日は二人で街に出かけたりもした。

何を買うというわけでもなく、ショーウィンドウをじっくり見ることもなく、ただ二人で歩く。

それだけで十分楽しかった。

その日も二人で出かけていて、寮に帰ろうとしていた。

「楽しかったね、カスケード」

「そうだな」

「もう迷子にならないでよ?」

「…それはなかったことに…ん?」

他愛もない話を遮ったのは、

「火事だー!」

という男の叫びと、消火隊の鳴らす警鐘の音。

「うわ、こんな近くでか…」

カスケードは呟き、ニアの言葉を待った。

しかし、

「…ニア?」

言葉はない。

隣にいるのは、立ち上る煙を見つめて震える少年。

「やだ…やだよ…」

「どうした、ニア?」

「燃えちゃう…いなくなっちゃうよ…」

カスケードは漸く思い出した。

ニアは火事で両親を失っている。そのトラウマでパニックになっているとしたら。

「ニア、大丈夫だ。誰もいなくならない」

「いやだよ…怖いよ…」

「ニア!」

カスケードはニアの手を握り締める。

強く、しかし、優しく。

「俺がここにいる。ニアの隣にいるから!」

「カスケード…」

こんなことでニアの救いになるかどうかはわからない。

だけど、今自分にできることはこれしかない。

「帰ろう。俺と一緒に」

震える手をぎゅっと握り締め、語りかける。

ニアは目にたまった涙を拭き、頷いた。

「…着くまでずっと…手繋いでてね」

「わかった」

明るくて、太陽みたいに笑うニア。

だけど、こんなに弱い面もある。

カスケードはこのとき、ニアを守りたいと思った。

親友を、自分の手で守ろうと思った。

 

そうして、出会ってから七年が経とうとしていた。

大尉になっていたカスケードはつい昨日十七歳の誕生日を迎えていた。

あの頃よりもずっと大人びて、声も見た目も変わった。

「…そうだ」

彼はふと思いついた。

三日後はニアの誕生日だ。なにかプレゼントをと考えていたのだが、何よりもいいものがあった。

昼休みにさっそく話を持ちかける。

「ニア!」

「なぁに、カスケード?」

共に大尉に昇進していたニアは、笑顔で振り向いた。

黒く見えるが緑の輝きを持つ髪、透き通った緑眼、左耳に光る銀のリング。

彼もまた成長していたが、いつも一緒にいたので互いにそんな感じはない。

「海行かないか?」

カスケードの突然の提案に、ニアは目を丸くする。

「海?」

「そう…海」

二人は海を見た事がない。

写真や絵ではよく見るのだが、この内陸の国には縁遠い。

列車で行くにしても移動に丸一日を費やす。

「遠いよ?」

「遠くても」

言い出したらきかない。

長年カスケードと一緒にいるニアは、彼の性格がわかっている。

それに、この計画には大賛成だった。

「わかった。行こう、海」

「よっしゃ!」

有言実行。すぐに休みを取って、実行に移した。

列車に揺られ、着いた所で車を借りて、

陽に輝く水面を見たのは、日の出の頃だった。

「わぁ…」

ニアが感嘆を洩らすと、

「すごいな!向こうまで水しか見えないぞ!」

カスケードが感激して叫ぶ。

空が青くなっていくと、海も色を変えていく。

「カスケードの目の色とおんなじだね。」

「そうか?」

「うん。…あの辺の色かな?んー…あの辺?」

ニアが指差しながら首をかしげる。

そこでカスケードはニアを呼んだ。

「ニア」

「ん?」

「ちょっと早いけど…誕生日、おめでとう」

ニアの誕生日は明日だ。

カスケードはちゃんと覚えていてくれる。

勿論、ニアも。

「カスケードも、ちょっと遅くなっちゃったけど…誕生日おめでとう」

二人は笑いあった。

水にはしゃいだ。

子供の頃に、戻ったように。

遊び疲れて車の中で寝て、気がつくとあたりはオレンジ色になっていた。

オレンジ色の海も綺麗で、二人はため息をつく。

「来年も来ような」

「うん…来たいね」

遠いから、望みは薄いけれど。

「カスケード」

「ん?」

「ありがとう」

ニアの突然の言葉に、カスケードは戸惑う。戸惑いつつも、笑って返す。

「こっちこそ」

波の音が優しく響く。まるで、二人に語りかけるように。

 

数日後、カスケードは寮母から引越しを言い渡され、寮内の新しい部屋に移ることになった。

「…階級上がったからってこれはキツイよな…」

カスケードが荷物を運んでいると、

「カスケード、引越し?」

親友の声が向かいからした。

「ニア…」

よく見るとニアもカスケードと同じように、大量の荷物を持っている。

生活用品に始まり、彼自身が愛用している大剣まで。

ニアは華奢に見えるその腕で、自分の背丈の三分の二以上あろうかというその剣を振り上げる。

その姿を間近で見て、カスケードはいつもどうやって扱っているのか不思議に思っていた。

しかし、今問題なのはそんなことではない。

二人とも大荷物を、同じ部屋の前に置いているということが問題なのだ。

「ニアも引越しか?」

「うん。カスケードの部屋は?」

「…ここ」

「…ここ?」

カスケードの脳裏に浮かんだのは、「やられた」という言葉。

寮母のセレスティアには、階級同じかもしくは近く、且つ仲の良いもの同士を同室にするというこだわりがある。

その仲は友人だけでなく、場合によっては恋仲だったりもするらしい。

ひょんなことでその「部屋割りの定義」を知ってしまったために、親友のニアとでさえ気まずくなる。

しかし何も知らないニアにとって、そんなことは嬉しい偶然にしかならない。

「同じ部屋なんて初めてだね。宜しくね、カスケード」

まぁ、いいか。

もっと一緒にいられる時間が増えるんだから。

 

「海と森の関係は切っても切れないんだよ」

ある日、ニアがぽつりと呟いた一言。

カスケードは一瞬なんだかわからなかったが、

「あぁ、そうだな」

と返した。

それに対してニアは続ける。

「海と空は同じ色で、繋がってるように見えるよね」

「そうだな」

カスケードはそれを真剣に聴き、相槌を打つ。

「森は海も空も綺麗にしてて、海も空も森に与えてくれて、絶対に切れないんだよね」

カスケードはニアの言葉で、少し考えた。

それは何かに似ている。少し照れくさいが、口に出してみる。

「俺とニアみたいだよな」

するとニアの表情が輝いた。

「僕も同じコト思ってたんだ」

とても嬉しそうに笑う。

その言葉を待っていたんだと、口には出さない声が聞こえる。

「僕はカスケードにいっぱい助けてもらってて、返せてるかどうか分からないけど…」

「ちゃんとニアからも貰ってる。俺のほうが助けられてるよ」

いつも助け合って、二人でやってきた。

互いのことを大切に思っている。

海と森のように、繋がっている。

「でも、何で急に?」

「…なんとなく」

ニアの返事に、カスケードは不思議そうな表情を返した。

ニア自身どうして確かめたかったのかは分からない。

もしかしたらうっすらと予感があったのかもしれない。

 

同じ部屋で一緒に生活して、仕事のときも一緒だった。

なのにどうして気付かなかったのか。

本来なら気付くべきだった。

俺が気付いて、守らなきゃいけなかったんだ。

 

上から示された今回の任務は、年に何回かは必ず入ってくる「怪物退治」。

勿論名目は「視察」だが、本来の目的はそれだ。

一応私服での任務になり、カスケードはシャツにジーンズ、ニアはTシャツに薄いベージュのパンツという格好でその地に赴いた。

「カスケード、シャツのボタン」

「ボタン?」

ニアが気にしているのは、カスケードのシャツの着こなし方だ。

第二ボタンまでは掛けずにはだけさせている彼の着方は、ニアにはどうしても気になる。

「ほら、動かないで」

「子供か、俺は…」

ニアがカスケードのシャツのボタンに手を掛け、きっちりと閉める。

いつもその度に、カスケードは何か不思議な感情を覚えた。

しかし今日はその手つきがぎこちなかった事に、カスケードは気付かなかった。

任務地に到着したのは丁度夕飯時で、民家で夕食を馳走になった。

「とってあげようか?」

「うん、とってー」

子供を相手にしているときのニアは、カスケードのボタンを閉めるときと同じだ。

やっぱり自分は子ども扱いなのかと、少し傷つく。

その時、ニアはおかずを分けるさじを取ろうとして、宙を掴んだ。

「…あれ?」

「お兄ちゃん、こっちだよ?」

「…あ、こっちか」

ゆっくりと手を伸ばし、場所を確かめるようにしてからさじを持つ。

まるで、目が見えないかのように。

「ニア、どうした?」

「え、何が?」

「いや…何でもない」

気のせいかと思い、これ以上言うのをやめた。

しかしそれはその後も何回か見られた。

 

本当なら、そこで任務を降りるか、俺一人でやるべきだった。

そうすれば、あんなことにはならなかった。

 

夜がくる。

何かの遠吠えが聞こえ、足音がこちらへ向かってくる。

巨大な影は村の家々を黒く染め、畑の作物を踏み潰そうとする。

それを防いだのは、その影の足に撃ち込まれた銃弾だった。

影は方向を変え、人間の姿を見る。

長めの髪を頭の上のほうで無造作にまとめた少年と、色が深いために黒く見える緑の髪を持つ少年。

「グリフィンだな。羽あるし、頭鳥だし、そのくせ四足歩行」

「…そう、だね…」

特徴から生物種を断定するカスケードに対し、ニアは曖昧な返事を返す。

「…やるか。さっさと倒さないと被害が拡大する」

「うん…」

カスケードは軍支給の銃を構え、ニアは私物の大剣を握る。

グリフィンの後ろに回って足を全て封じようと、カスケードは移動する。

するとグリフィンは二本の足で立ち上がり、前足を勢いよく前方に振り下ろした。

「ニア!」

カスケードが名を呼ぶと、ニアは大剣を片手で持ち、その刃を横に滑らせる。

反射した月明かりで曲線を描き、グリフィンの腹を切り裂く。

しかし、それもいつもよりぎこちない。

狙いが定まっていないように見える。

カスケードが後方からグリフィンの後ろ足を撃つと、巨大な身体は地面へと倒れる。

「ニア、とどめだ!」

ニアはその声に頷く。しかし、体がふらついていた。

そのままグリフィンに近付き、大剣を握り締める。

そして再び刃を滑らせる、

はずだった。

狙いは外れ、暴れたグリフィンの前足は、

ニアの身体を引き裂いた。

深い傷を負った身体が、赤いものを伴って崩れ落ちる。

カスケードはその姿をただ呆然と見ていた。

「…ニア…」

やっとその名を口にする。倒れたその人物の手から、大剣の柄が離れた。

「…ニアーっ!!」

やっと動いた足は、真っ直ぐにニアのもとへ向かう。

カスケードは真っ赤に染まったニアの服を見、その奥の深い傷口を見た。

視界の端で、まだ獣の足が動いていた。

カスケードは地面に転がっている大剣を取り、

自分でいつも見ている構えで、自分がいつも見ているように、

グリフィンの胸から腹にかけて、切り裂いた。

傷が心臓に達したのか、グリフィンは一度大きく跳ねて、動かなくなった。

 

「ニア!おい、ニア!しっかりしろ!」

抱き上げて叫ぶ。目を覚ましてくれという、必死の祈り。

「…カスケード…?」

ゆっくりと目を開けて、ニアが名を呼んだ。

「ニア…お前、眼が…」

ニアの目は、どこか別の宙を見ていた。

カスケードを通り越して、焦点が合っていない。

「ごめんね、黙ってて…」

「違う、俺が気付いていれば…こんなことにはならなかったんだ…」

気付こうと思えば、兆候はいくらでもあった。

なのにどうして自分は気にしなかったのだろうか。

ニアの目は、見えていなかった。

「カスケードの…所為じゃ…ないよ…。僕は…」

ニアはカスケードの頬に手探りで触れ、笑った。

「僕は…カスケードが、村を助けたから…助ける軍人に、なったから…嬉しいよ…」

八年前、確かにそう言った。

けれども、カスケードが本当に大切なものは。

「ニア…もう喋るな。血が、止まらない…」

「もう、いい…よ。僕は…幸せ…だから…」

身体を赤く染めて、辛い痛みを感じていても、昔からの笑顔のまま。

 

「ありがとう、カスケード。…親友で、いてくれて」

 

消えてしまったのはいつも見ていた姿と、「次の年も海へ」という計画。

後に残ったのは、大剣と、銀のカフスと、約束。

「人を助ける軍人」に、今自分はなれただろうか。

布に包んだ大剣を背負い、左耳には銀色のカフス。

そのリングには「N.J」と彫ってあるが、それは今それをつけている彼の名前ではない。

ダークブルーの髪を無造作に頭の上のほうでまとめていて、その瞳は海の色。

足を一つの墓石の前で止め、しゃがみこむ。

「…よ、また来たぜ」

墓石に彫ってある名前は、「Near Junely」。享年十八歳。

カスケード・インフェリアはその名をそっと指でなぞり、語りかける。

「あれから何回も考えたけど、やっぱり俺、お前のことただの親友とは見れないみたいだ」

墓石から指を離し、左耳のカフスに触れる。

「お前がいなくなって五年も経って、いまさらって思うかも知れないけど…」

立ち上がって、空を見る。空と木々との境界線は、青と緑の混じる世界。

「やっぱり俺、お前のこと好きだ。…一生片思いだけどな」

風が吹く。カスケードの頬をそっと撫でて、過ぎていく。

「そういや、やっと大佐になった。…結構早いだろ?部下は曲者ばっかりだけど、何とかやってるよ」

足を墓地の出口へ向ける。

また来る、と言って、その場を離れた。

 

大切なものは何が何でも守り抜け。

後で後悔したときには、もう遅いのだから。

後悔しないよう、しっかりと前を向き、

己の今を生きていけ。

 

Fin