五月に入って、天候が落ち着いてくる。
エルニーニャ王国中央部は安定した気候のため、一年を通して過ごしやすい。
軍部中央司令部は、今日も色々なことが起こっていた。
「なぁ、オレと遊んでくれない?」
そう声を掛けてきたのは白バッジの男。
色で階級分けされているこの国の軍人は、それぞれのバッジをつけている。
白は准将だ。
「…暇じゃないので」
声を掛けられてそう答えるのは、陽の光に溶けてしまいそうな金髪に紫の瞳、女性のような顔立ちの青年。
彼のバッジの色は紫。中佐を示す色だ。
「いいじゃん、今あいついないし。それに、上官に逆らうなんてことは…」
准将の男は中佐の青年の腕を掴み、自分のほうへ引き寄せる。
軍人にしては少々力の弱い青年は、それを振り払うことが出来ない。
「…離せって…っ」
「上官に向かってそんなこと言って良いわけ?どうせマゾだし苛められるのが良いんだろ?」
准将が彼を抱き寄せようとする。
しかし、それは実行されずに終わった。
准将の肩は何者かに掴まれ、無理矢理離された。
「…何しやがる!」
准将が振り向くと、そこには背の高い男。
ダークブルーの髪を無造作にまとめ、海色の瞳が印象的だ。
胸のバッジは水色。階級は大佐だということだ。
「インフェリア大佐、上官に向かってこの行動はどういうことだ?」
「私は准将を心配したまでです。
こんなところで油を売っている暇があったら階級が下がらないよう努力したらどうですか?」
そう言われて、さらに見下される。准将は舌打ちして遠ざかっていく。
あとに残された青年は、驚くやら呆れるやらでぽかんとしていた。
「大丈夫だったか?」
声を掛けられて、はっとする。
「あ、ありがとうございました」
「いや、いいって。ああいう奴が何で将官なんだろうな」
大佐の男が笑うとダークブルーの髪が揺れ、左耳のカフスが銀色に光った。
「…あ、お前確か…ロストート中佐だよな?」
「はい」
名前を呼ばれ、青年は返事をする。
「アクト・ロストートです。あなたは…」
「俺?俺はカスケード・インフェリア。…あまり一人で出歩くなよ、アクト」
カスケードと名乗った彼は、アクトの頭を軽く叩くとその場から去っていった。
「襲われたぁ?!」
昼休みにアクトと一緒に昼食をとっている青年が言う。
茶色の髪に同じ色の目、左頬には大きな傷がある。
階級はアクトと同じ、中佐。
「襲われたんじゃなくて、腕掴まれただけ」
「それでも俺がいないからって手ぇ出そうとしたんだろ?一発殴ってくる」
「すぐ暴力か。だから軍一の喧嘩屋っていわれるんだ、お前は」
アクトは呆れて言う。
「それに、もう近付いてこないと思うよ。助けてもらっちゃったし」
「助け?誰にだよ」
そこまで言ったとき、二人の前に現れたのはダークブルーの髪。
「よ、アクト。あれから大丈夫か?」
「はい」
気安くアクトに話し掛ける彼と、それに普通に答えるアクト。
結構人見知りする方なのに、いきなり現れたこの男にはそんなそぶりは見せない。
「あ、この人がおれを助けてくれた人」
アクトが言うと、カスケードは紹介された相手を見て、挨拶よりも先にこう言った。
「軍一の喧嘩屋、ディア・ヴィオラセント…だよな?」
「…なんだよ」
ディアと呼ばれた彼は、カスケードを思い切り睨みつける。
それだけでたじろぐ者も多いのだが、カスケードにはまるで通用しない。
「そう睨むなよ。…それからアクト、仕事のとき以外は敬語使わなくていいからな」
「じゃあ、そうさせてもらう」
見るからに仲が良さそうだ。ディアは目を逸らし、舌打ちする。
カスケードはそれに気付き、笑いながら言う。
「安心しろって。人のものはとらないから」
「人のもんって…」
アクトはその言葉に苦笑する。
確かに、ディアとアクトといえば中央司令部では有名なカップルだ。
知らないほうがおかしいくらいで、カスケードの言葉も不思議ではない。
「じゃ、ちょっと声掛けに来ただけだから。アクト、また何かあったら言えよ」
「ありがと」
軽く挨拶を交わし、カスケードがその場から離れる。
カスケードが去っていくのを見送りながら、ディアが呟く。
「…何であんなに馴れ馴れしいんだよ」
「ちょっとかっこいいじゃん。おれは結構ああいう人好きだけど」
アクトの言葉に、ディアは目を丸くする。
アクトが他人に対してそんな感想を述べることは、今までほとんどなかった。
それが今、カスケードに対し素直に「かっこいい」と、「好きだ」と言っている。
ディアは再び舌打ちし、昼食のカツサンドを一気にほおばった。
ディアとアクトは寮で同じ部屋だ。
寮母のセレスティアがそうなるように部屋を決め、それ以来ずっと一緒に暮らしている。
多くの男性軍人は食堂で夕食を取り、共同浴場に行く。
しかしディアとアクトの場合は少し違う。
「メシできた」
「今日は何だ?」
「面倒だったからカレー」
アクトが朝食と夕食を作り、昼食のみ司令部の食堂へ行く。
過去の経験からなかなかの料理上手であるアクトがそうするのは、なるべく部屋から出たくないから。
ディアもアクトの料理を好きだと言ってくれているので、全く問題はない。
カレーを盛り付けた皿を並べたところで、ドアを叩く音が聴こえた。
「何だよこんな時間に…」
「おれが出る。先食べてて良いけど?」
「待ってるよ。お前いないと落ちつかねぇし」
アクトがドアを開ける音が聴こえた。
ディアが水を一口飲んだところで、聞き覚えのある声がした。
「よぉ!」
「カスケードさん…」
案の定、カスケード大佐だった。
ディアは水を一気に飲み干し、コップを乱暴に置いた。
「メシ食ってく?」
「マジで?!じゃあ馳走になる」
いつもなら二人きりの時間なのに、今日は乱入者がいる。
ディアは苛ついて、食事のペースが早くなる。
「…ゆっくり食えよ」
アクトが呆れてそう言うが、ディアは一向にペースを変えない。
「落ち着かねぇんだよ。…おかわり」
「あ、アクト、俺も」
「お前はずうずうしいんだよ!」
カスケードに対しついそういう言葉が出る。
「ディア、カスケードさんは上司だろ」
「いや、こうなることはわかってた。相手が不良だしな」
「不良って何だよ不良って!」
「ディア、おかわりいらないんだな?」
「何でそうなるんだよ!」
いつもより騒々しい食事の時間。
ディアは苛つき、カスケードは笑い、
アクトはこの状況を結構楽しんでいた。
食事が終わった後、アクトが洗い物をしている間に、カスケードはディアに話し掛ける。
「不良、お前妬いてるんだろ」
「…うるせぇよ」
酒が飲みたくなるが、来客時の飲酒はアクトに止められている。
「だいたいなんで部屋まで押しかけて来んだよ」
「やっと話せる機会ができたから」
「はぁ?」
カスケードは言葉を続ける。
「ずっと気になってたんだよな。お前ら二人のことは結構前から知ってたし、どんな風にここまで来たかも知ってる」
一度言葉を切り、少し考え、続ける。
「…三月の初めだよな、南方の事件」
「…!」
今年三月、ある村を南方司令部の軍が襲うという事件があった。
ディアとアクトはその時にこの村を訪れており、事件の一部始終を現場で見ていた。
そして、ディアはその時に、少女を一人殺してしまっていた。
「上は今その処理に追われている。一司令部の大将が独断で村を滅ぼしたんだ…当然軍の信用はがた落ちだ」
「…だからどうしたって?」
「事件の一部始終を聞かせて欲しい」
「……」
あまり話したくない。あれは語るにはあまりにも悲しすぎる。
軍の間ではセンヴィーナと並ぶ二大悲劇と言われており、それほど被害は酷かった。
ディアが黙っていると、アクトが台所から戻ってくる。
「聞きたいの?事件のこと」
「あぁ。偶然お前に会ったことで、チャンスが得られたんだ。…これを逃したくない」
沈黙が包み込んだ。
ディアは事件のことを思い出しているのか、顔を伏せている。
アクトは何かを考えている。
そして、カスケードに向かって頷いた。
「…わかった、おれが話す。ただし、事件のことだけだ。おれ達は見ただけで、何もできなかった」
「構わない。…頼む」
アクトは席につき、カスケードにことを少しずつ語りだす。
村の真実、軍が危険だと察したこと、襲撃方法…。
それをカスケードは真剣に聞いていて、全てが終わるとふう、と息をついた。
「…不運だったな、居合わせて」
「いや、そこに居て良かったと思ってる。何もできなかったけれど、学んだものは大きかったから」
二度とあんなことが起きないように、軍がやるべきことがある。
それがわかっただけ良いと、アクトは言った。
「…ディア、平気か?」
うなだれたままのディアにアクトが話し掛けると、ディアは頷く。
ゆっくり顔を上げ、立ち上がる。
「風呂行ってくる。…今日は戻ったら寝る」
「そうか、さっさと戻ってこいよ」
ディアが道具を持って部屋を出ようとすると、カスケードがその後を追った。
アクトは部屋に一人残され、深いため息をついた。
脳裏によみがえるのは、無邪気な少女の笑顔。
大抵の男性軍人は共同浴場で汗を流し、自分の部屋に戻っていく。
ディアが身体を洗う隣で、カスケードが髪を洗う。
「…お前は俺たちの部屋に何しに来たんだよ」
頭から湯をかぶって、顔を拭きながら尋ねる。
「仕事か?メシか?それとも…」
それ以上は言わなかったが、カスケードには通じているらしい。
長い髪を下ろした状態の彼は、湯をかぶるとかすかに頷いた。
「仕事ってわけでもない。南方殲滅事件に関しては俺が知りたかっただけだ」
ディアは髪を洗いながら、カスケードの言葉を聞く。
「メシは…いつも食堂でお前達の姿を見ないから部屋まで行ってみたら偶然」
カスケードは身体を拭いて、石鹸の泡を湯で流す。
「それからアクトは…恋愛対象じゃないぞ」
ディアが髪を洗い終え、二人はほぼ同時に立ち上がる。
湯船につかり、息をつく。
「ディア、アクトが大切か?」
以前、別の人物に似たようなことを訊かれた。
そのときと同じ答えを返す。
「あいつは俺に必要なんだよ」
「…そうか」
カスケードは髪を軽くかきあげて、ディアのほうは見ずに言う。
「大切なものは何が何でも守り抜け。…後で後悔しても遅いんだ」
まるで彼自身はすでに何かを失ったような、そんな口調。
ディアは少し躊躇うが、尋ねる。
「お前は何か失ったのか?」
「…あぁ。親友が五年前に死んだ」
カスケードはこれ以上は何も言わなかった。
周囲の声が、遠くの方で聞こえる。
「ディア、アクトのメシ美味いよな。…また食いに行くから」
「もう来るな。お前の分なんかねぇよ」
「そう言うなって。…そういや、何でアクトはこっちの風呂来ないんだ?」
カスケードは言ってしまってから、しまった、と思う。
ディアがあまり答えたくなさそうな顔をするところを見ると、重大な理由があるらしい。
「…いいや。聞いてどうなるってもんでもないし」
カスケードはそう言ったが、ディアは口を開く。
「…あいつの身体、傷だらけなんだよ。それを見られるのが嫌でこっちには来ない」
そういえばアクトが肌を露出しているところは、あまり見たことがない。
傷の理由をディアは知っているようだったが、カスケードはそこまで聞こうとは思わなかった。
「そんなこと俺に言ってよかったのか?」
「カスケードならあいつも許すだろ」
「不良にそう言ってもらえるとは、光栄だな」
「不良って言うな」
湯船を出、浴場の外へ出る。
服を着て脱衣場を出ると、そこでアクトは待っていた。
「遅いからここまで来た。…カスケードさん、こいつはすぐに出さないとダメだから」
そう言うアクトの髪はしっとりと濡れていて、多少艶を増している。
「わかった。次は話し込まないようにする」
「もう二度とお前となんか入りたくねぇよ。おいアクト、お前髪乾かしてないだろ」
「お前が遅いからだよ。…それじゃおやすみ、カスケードさん」
「あぁ、いい夢見ろよ」
カスケードは笑いながら部屋へと戻っていく。
ディアとアクトはその後姿を見送ってから、自分達も戻る。
「何話してたんだ?」
「別に何も話すことなんかねぇよ」
「嘘つけ」
夜は静かに更けていく。
その日以来、三人でいることが増えた。
ディアとアクトのところにカスケードが来るという形で、このメンバーには上官も恐れをなす。
この出会いから一ヶ月ほどすると、この三人と他に四人が一緒に行動する任務がある。
しかし、それはまた、別の話。
「アクト、おかわり」
「だからお前はずうずうしいんだよ!アクト、俺も」
「二人とも自分でやれ!」
本日の夕食のメニュー、バジルのパスタと鶏のスープ。
Fin