司令部の前に一人の女性がたたずんでいた。

ダークブルーの髪を束ね、海色の瞳は門をじっと見つめる。

「やっと会えるわね…」

そう言って、門をくぐりぬけた。

 

「また負けたー!」

そう叫ぶのはエルニーニャ王国軍中央司令部大佐、カスケード・インフェリア。

「これで俺が三連勝ですね」

カードをきりながら嬉しそうなのは、カイ・シーケンス少尉。

「最近負け続きだ…調子狂ったか?」

「もともと運は強くねぇだろ、お前」

笑いながら突っ込むのはディア・ヴィオラセント中佐。

「人のこと言えないだろ、お前も。…この前ツキどころかアルベルトにも惨敗してたし…」

さらに突っ込むのはアクト・ロストート中佐。

「それを言うな。…つーかそれはツキもアルベルトも運が良すぎて…」

「相手が悪かった、か?じゃあおれに負けたのは?」

「それも相手が悪いんだよ」

こんな話をしているが、たいしたことはない。ただのポーカーだ。

しかも賭け事無しの純粋な勝負。

仕事ばかりだとやはり疲れるので、よくこうして遊んでいるのだ。

「グレンちゃん、俺とやらねぇ?」

ディアは少し離れて見ていたグレン・フォース大尉に話し掛ける。

「やりません。…それとその呼び方はやめてください」

「いいじゃねぇか別に…」

するとカスケードがすかさず言う。

「やめてやれよ不良」

「お前もその呼び方やめろよ!」

「グレンも同じ気持ちなんだぞ。なぁ?」

「…少し違う気が…」

いつものように中途半端な騒がしさを持ったまま、時が過ぎていく。

しかしそれは、突然破られるのだ。

「カスケードさん、無線鳴ってるけど」

アクトが言うとおり、確かに無線は機械的な音を立てている。

カスケードは舌打ちし、仕方なく無線をとる。

「はい、何か?」

さっきとは打って変わって、仕事仕様の声に変わる。

「…え…妹…?」

カスケードが発したその単語に、その場にいた一同は目を丸くする。

「妹…?」

「妹って、誰の?」

「さぁ…?誰か妹いるか?」

「いや、いない」

ざわつく中、カスケードは無線を切って出て行こうとする。

「カスケード、妹って…」

ディアが尋ねると、カスケードはゆっくり振り向き、苦笑する。

「…俺のだよ」

そう言って、扉を閉めた。

 

面会室へ向かうカスケードの後をつけつつ、グレンがぼそりと一言。

「やめないか?こんな真似は…」

「何言ってんだよ。グレンちゃんは硬過ぎだって」

「グレンさん見たくないんですか?カスケードさんの妹さん…」

「見る必要が無い」

しかし引っ張られているので離脱できないのだ。

仕方なくついていくと、面会室に人が見えた。

「あれが…?」

「よく見えねぇな…」

「いや、見に来るなよお前ら」

気がつくといつのまにかストーキング対象が前に。

「だってお前に妹いるなんて知らなかったし…」

「興味あるんですよ、兄妹とかって」

「それにしてもこんな真似は…グレン、アクト、お前らどうして止めなかったんだよ」

「俺は引っ張られてきたんです」

「おれは興味あった」

「…お前らなぁ…」

こうして結局呆れたカスケードによって隔離され、妹らしき人物は見ることができなかった。

 

面会室の椅子に座っている女性の髪はダークブルー、瞳は海色。

カスケードの髪もダークブルー、眼も海色。

とても似ているわけではなく、かといって全く似ていないわけでもない。

「サクラ…」

「久しぶりね、お兄ちゃん」

名前を呼ぶと、昔よりもずっと大人っぽくなった笑みで答える。

「十三年も経ったのよ。…どうして一度も家に帰ってこなかったの?」

「悪かったな。帰ろうにも時間がなくて…」

「休みの日は何してたの?家族のことより大事なことがあったって言うの?」

「だから悪かったよ。友達と出かけてたりして…」

「友達って…お兄ちゃん、軍には入りたくないって散々言ってたのに…」

「それは…」

一度目を逸らす。しかし、もう一度しっかり向き合い、言う。

「それは、十三年前の話だ」

サクラはため息をつき、俯く。

「変わっちゃったわね、お兄ちゃん…こんなところにいる所為で…」

「サクラはどうなんだ?今、何してるんだ?」

カスケードは話題を変えようと思ったのだが、そうはいかなかった。

「医者になったわよ。…軍医だけどね」

「いいじゃないか、夢が叶ったなら」

「よくないわ!軍医なんて私の夢じゃなかったもの!」

ぎゅっと拳を握るサクラに、どう声をかければ良いのかわからない。

手を伸ばそうとすると、声を絞り出すように言った。

「軍なんて大嫌い…私から何もかも奪って…!」

 

インフェリア家は代々軍人の家系だ。

先々代の大総統はインフェリア家の出で、それを証明している。

家の自慢は養成学校等には行かずして優秀な成績で入り、最終的な階級も上の方であること。

カスケードとサクラの両親も勿論そうで、二人の出会いがこの中央司令部であるほどだ。

父は中将、母は大佐まで上り詰めた、まさにエリート軍人だった。

両親は子供達を軍人にすることを願い、自分達で教育した。

しかし体の弱かったサクラは父や母からの訓練を受けず、入退院を繰り返していた。

両親は月に一回しか見舞いには来ず、来ればその度にため息をついて言った。

「どうして軍人に向かないような子になってしまったのか」と。

サクラはその言葉に傷ついた。しかし、その傷を緩和してくれる人がいた。

それが兄、カスケードだった。

訓練を抜け出しては毎日見舞いに来て、いろいろな話をしてくれた。

「お兄ちゃんは、軍人になるの?」

サクラがこう尋ねると、カスケードは決まってこう言っていた。

「父さんや母さんの言いなりは嫌だし…あんまりなりたくないな」

「じゃあ、お兄ちゃんは軍人にはならないのね?」

確かめるように何度も訪ねるサクラは、カスケードの言葉を聞くと嬉しそうにしていた。

雷鳴が轟く豪雨の日も、気温が極端な日も、カスケードだけは毎日サクラを見舞った。

いつまで経っても姿が見えないと、とても不安になるくらい。

「サクラ、ごめんな。筆記の模試が悪すぎるって説教くらってて…」

「いいの。よかった、お兄ちゃんが来てくれて」

サクラは兄を慕っていて、彼にだけは自分の夢を打ち明けた。

病院に長く居たために医者に憧れ、自分もそうなりたいと強く願っていた。

夢を打ち明けられたのは、カスケードがそれを応援してくれるからだ。

もし両親に言えば必ず反対されるだろう。

両親が望むのは、代々軍人家系という誇りを受け継ぐこと。

医者になることではないのだから。

 

サクラが七歳になったとき、家ではカスケードの軍入隊試験の準備が着々と進められていた。

規定年齢である十歳になるまであと三ヶ月。その間にカスケードがしなければならないのは実技訓練と筆記試験の勉強だった。

「ごめんな、今日も抜け出すのに手間取って…」

「ねぇ、お父さんに言ったら?軍人にはなりたくないって」

「言ったさ…だいぶ怒鳴られた。でも何とか粘って、入隊試験に落ちたら諦めるって約束した」

勿論この時カスケードは落ちるつもりだった。筆記が全くと言って良い程出来ないので、当然落ちるだろうと思っていた。

入隊試験を二週間後に控えたある日、サクラは退院して家に戻ってきた。

もう入院しなくて良い、運動も全く問題無いと医師が判断したのだ。

そうなれば当然、サクラも軍人としての道を両親に示された。

「サクラ、今からでも遅くはない。母さんのように立派な軍人になってこの国の人々を守るんだ」

病弱だった頃とは打って変わって、両親はサクラに優しかった。

しかしサクラはもう心に決めていた。

「お父さん、私…軍人にはなりたくない」

軍は父や母の愛情を奪った。それに場合によっては自分が死者を出してしまうかもしれない。

「私、お医者さんになりたいの。だから…」

「サクラ、この家のことをわかっていないわけではあるまい」

厳格な父の語るインフェリア家は、サクラにとっては恐ろしいものに聞こえる。

やはりどうしても、軍人にはなりたくない。

「いや!軍人なんていや!絶対にいや!」

「サクラ、いいかげんにしなさい!」

父の怒鳴る声に、サクラは泣いていた。

恐ろしいのと絶望とが入り混じった涙。

「いいかげんにするのは父さんだろ!」

そう叫んで父とサクラの間に割って入ったのは、カスケードだった。

サクラは兄の背中を見て安心し、涙も止まった。

「どうしてサクラの言い分聞いてやらないんだよ!親なら聞けよ!」

「カスケードは黙っていろ。私はサクラと話しているのだ」

「こんなの話したうちに入らないだろ!子供より家の誇りが大事なのかよ!」

「黙りなさい!…全く、お前達はどうしてそうなのだ…」

父はカスケードを退かそうと肩を掴む。実際の子供が大人に勝てるはずもなく、あっさり退かされてしまう。

サクラは兄の後ろへ行こうとするが、止められた。

「サクラ、親の言うことを聞きなさい」

「…私…」

夢は諦めるしかないのだろうか。

この家に生まれてしまったからには、軍人以外に道はないらしい。

サクラは口を開き、返事をしかけた。

しかし、それは横からの声に遮られる。

「父さん、サクラは嫌がってるだろ」

「…カスケード、黙っていろとさっきから言っているだろう」

「黙ってられない」

カスケードは再びサクラに近付き、父から離した。

そして父を見据えて、言った。

「俺が軍人になる。絶対に試験に受かるから、サクラには好きな道を行かせてやって欲しい」

サクラはその言葉を、意識の遠いところで反芻する。

「軍人になる」と、あれほどなりたくないと言っていた兄が口にした。

親の指示どおりの人生は歩みたくないと言っていた兄が、自らその道を選んだ。

「…そうか、カスケードは軍人になるか。試験にも受かるんだな?」

「受かってやる。だから、サクラは医者に…」

「あぁ、お前が受かれば考えてやらないことも無い」

「…約束だからな」

踵を返して部屋に戻ろうとするカスケードを、サクラは慌てて追いかける。

部屋に入り訓練用の動きやすい服に着替えようとするが、サクラは止める。

「お兄ちゃん、軍人になるの?」

「あぁ」

「なんで?私のためにお兄ちゃんが犠牲になる必要なんて無いよ!」

「サクラ…」

カスケードはサクラの頭を優しく撫でる。サクラの目からは涙が溢れ、こぼれていく。

「サクラは自分の道を行くんだ。

俺はどうせやりたいこととかはっきりしてなかったし、それならちゃんと夢を持ってるサクラを優先するべきだ」

「でも…お兄ちゃんが軍人になるなんて、やだよ…」

自分が一番嫌いなものだから、大好きな兄にはなって欲しくない。

軍の寮に入れば滅多に会えなくなるし、もしかしたら傷つき、最悪の場合は。

泣きじゃくるサクラを、カスケードがそっと抱きしめる。

こんなに温かい兄と離れるのは嫌だ。軍になんか入れたくない。

「お兄ちゃん、私、お医者にならない。だからやめて?」

「ダメだ。サクラは諦めちゃいけない」

「でも…」

「サクラは医者になるんだ。自分の道を行くんだ」

何度も何度もそう言った。諦めるなと励ました。

そしてついに、サクラは頷いた。

それから試験の日まで、カスケードは今まで以上に訓練と勉強に励んだ。

筆記は相変わらず伸びなかったが、実技はおそらく今までの代を超えていた。

サクラはそんな兄の姿を直視できなかった。

試験の日は、兄が軍に奪われる日だから。

試験当日もサクラは見送らなかった。

ただ、自分の部屋で泣いていた。

そして数日後。

「父さん、約束は守ってよ」

「…あぁ、守るさ」

カスケードは軍に入隊し、中央司令部に配属された。

筆記のせいで三等兵からのスタートにはなったものの、実技はどの受験生をも凌いでいた。

家を去るその日も、サクラは見送らなかった。

ただひたすらに、兄を奪った軍を恨んでいた。

 

「お兄ちゃんが居ない間、お父さんは私を何とかして軍に入れようとしたわ」

サクラの言葉にカスケードは顔をしかめる。

「親父は…約束破ったのか?」

「破ってないわよ。考えておくって言ってたもの。…考えた結果が軍医よ」

結局は嫌いな軍に入ってしまった。苦しんだ十三年の間、兄は一度も帰っては来なかった。

「せめてお兄ちゃんが居てくれたらって、何度も思った」

「…ごめんな」

「謝っても仕方ないでしょう」

サクラはカスケードをしっかりと見た。

あの頃よりもずっと寂しそうな眼をしている。

「結局軍に入っちゃって、野蛮な人たちの中に居て…私もう疲れちゃったの。

だからせめてお兄ちゃんの傍にいたいと思ったのよ」

「それで、ここに?」

「えぇ」

サクラは息をつき、カスケードの服を掴んだ。

そして、言った。

「お願い!私を中央において!」

「…え?」

一瞬、何を言われたのかと思った。

その言葉が彼女をここの軍医にしろという意味であるとわかったとき、カスケードは首を横に振っていた。

「サクラ、お前にはちゃんと仕事があるだろ?」

「お兄ちゃんの傍じゃなきゃ仕事の意味なんて無い!」

「ここは人も足りてるし…」

「知ってるわ。でもその人たちは本当にあてになるの?」

サクラはカバンから書類を取り出す。それは中央司令部の資料らしかった。

「お兄ちゃんの部下には怪我を治す力がある人がいることも、薬を作れる人がいることも知ってる。でもこれじゃ駄目よ」

「駄目?」

「だって怪我を治せるといってもまだ能力は未発達だし、薬を作れるといっても免許を持っていないんでしょう?」

「それは…」

カスケードは何も言い返せない。これは事実だから。

しかし、それは本当に「駄目」なのだろうか。

「それと任務のことも幾つか調べたわ。

評判が悪い人とも一緒に仕事してるみたいだし、このままじゃお兄ちゃんまで駄目になっちゃうわよ」

「サクラ、あのな…」

「こんな駄目な人たちと付き合ってて良い訳?!軍に入るからこんなことに」

「サクラ!」

カスケードの声に、サクラはビクッとして硬直した。

それはあまりに唐突で、あまりに厳しかった。

兄が自分に対して怒鳴る声など、初めて聞いた。

「駄目とか言うな…お前は何も知らない。俺がお前のことを何も知らないように」

静かな口調に戻るが、確かに怒りを含んでいる。

「俺はここで出逢った奴らを駄目とは思わない。それぞれが重いもの背負って、覚悟してここにいるんだ」

確かにろくでもない奴もいるかもしれない。けれども、少なくとも自分の周囲はそうではない。

それぞれが苦しみを持っていて、それぞれが目指すものを持っている。

「覚悟の末に死んでいった奴もいる。けれども、そいつも俺にいろんなことを教えてくれた」

軍に来て大切なことを学んだ。軍でしか得られないものもあった。

それに気付かせてくれたのは、本当の意味での軍人の誇りを教えてくれた者。

「俺は今軍人やってて良かったって思ってるし、これからも続けていくつもりだ。…最高の奴らと一緒にな」

決意と誇りに満ちた海色の瞳がサクラを見つめる。

自分の知っている兄はここにはいない。

ここにいるのは、自分が最も嫌っていた「軍人」だ。

「…お兄ちゃん、変わっちゃったね。軍人やってて良かっただなんて…」

サクラは俯いたまま立ち上がり、カバンに書類を入れて肩にかけた。

「サクラ」

「呼ばないで。…あなたは私のお兄ちゃんじゃない。全然別の人」

ドアを開け、廊下へ出て行く。

「サクラ、待ってくれ!」

「待ちません。…私、軍人嫌いなんです」

去っていくサクラの後姿を、カスケードは追う事も出来ずにただ見ていた。

 

終業後、レジーナ中の宿泊施設に連絡を取るカスケードの姿があった。

一体何があったのか、周囲は知る由もない。

「あれからずっと変ですよね、カスケードさん」

「妹と喧嘩でもしたんじゃねぇのか?」

「まさか、ディアじゃあるまいし…」

暫くして、カスケードは動きを止めた。

少し考えるようにしてから、ゆっくりと電話番号を押す。

何かを躊躇っているように。

「どこにかけてんだ?」

「さぁな。…いつまでもここに居てもしょうがないから帰るぞ」

「そうですね」

「やっぱり喧嘩でもしたんでしょうか…」

カスケードは暫く動かずに受話器を持っていたが、何か二言ほど言ってからすぐに電話を切った。

傍から見ていた四人が立ち去ろうとした時、走ってきて叫んだ。

「ディア、アクト、今すぐ車出してくれ!お前らの運転が必要なんだ!」

「…え?」

これには頼まれた二人だけではなく、グレンとカイも驚いた。

いつもならディアやアクトの運転は乱暴で暴走で犯罪だなどと言っているカスケード自身が頼んでいる。

「どうして…?」

「急ぎの用事なんだ、頼む!」

カスケードがあまりにも真剣なので、断れない。

断る理由も無かった。

「…わかったよ、大佐サマ」

「カスケードさんがそこまで言うなら、よっぽどのことがあるんだよな」

「…サンキュ。あとグレンとカイは、俺たちは外出してないってことにしといてくれ」

「わかりました」

「いってらっしゃい、カスケードさん」

車は猛スピードで走り出した。

アクトの時速百キロを超える無免許運転は、危なっかしいがカスケードの指示に従って道路を行く。

時に免許を持っているディアに換わりつつ、レジーナ郊外の屋敷に辿り着いた。

大きな建物に広い庭。明らかに権力者の家。

「これ、誰ん家だよ?」

ディアが尋ねると、カスケードは車を降りて門の表札を軽く叩く。

そしてなんの躊躇いも無く中へ入っていった。

「…マジ?」

「マジらしいな」

表札にははっきりと「Infelire」の文字。

家が代々軍人だという話は聞いていたが、まさかこんなに大きな家を持っているとは。

「すごいんだな、カスケードさんって」

「家は…な」

 

十三年前とほとんど変わっていない室内に、カスケードは懐かしさを覚える。

父も母も変わらないようだ。

「しばらくぶりだな」

「十三年も経ったから」

「そうか…」

ずっと会っていなかった父親との会話は、昔のことを思い出させる。

「今は大佐か。…二十三歳で大佐は、遅いんじゃないのか?」

「親父と違って三等兵からだったから。これでも五年で三階級昇進してる」

「そうか」

「…サクラは?」

続かない会話を続けようとするのは不毛なので、本題を切り出す。

「サクラは部屋だ。急に帰ってきたと思ったらずっと出てこない」

「…そう」

カスケードは席を立ってサクラの部屋へ向かう。

父はそれを見もせず、茶をすすった。

「サクラ、いいか?」

カスケードがドアをノックしても、返事が無い。

気配はするので、居ることは確かだ。

「サクラ、話を聞いて欲しい」

これだけは伝えたい。どうしても。

「俺は確かに変わった。でもそれは変わってしまったんじゃなく、変わることが出来たんだ」

気配がドアのほうへ近付いた。しかし、開けられはしない。

「昔、俺には夢が無かった。やりたいことがなかったんだ。…お前にも話したよな?」

何も無かったから、サクラに道を譲ろうとした。

しかし、それは結果的に自分の道を見出すことになった。

「軍に入ってから、俺に夢を与えてくれた奴が居たんだ。そいつは自分で選んで軍に入った」

無気力で訓練もさぼっていたあの頃、自分に声をかけてくれた人がいた。

それが、今のカスケードの始まりだった。

「そいつは俺に言ったんだ…人を助ける軍人になりたいって。俺はすごいと思った。俺には何にも目的が無かったから」

だからそこから始めようと思った。自分もその道を歩んでいいか尋ねると、その人は笑って頷いてくれた。

「俺も同じものを目指そうと思った。人を助ける軍人になろうと思ったんだ」

それからはどんなことでも頑張れた。頑張って、昇進したときは本当に嬉しかった。

「…サクラ、会って欲しいんだ。俺に夢をくれた人に」

声は届いただろうか。ドア一枚しか隔てていないのに、ずいぶん遠くに居るように感じる。

しばらく何の反応も無かった。しかし、五分ほどしてドアは開いた。

俯いたままのサクラが、部屋の外へ出てきた。

「サクラ…」

「お兄ちゃん、その人どこにいるの?」

「…連れて行くよ」

カスケードはサクラを連れて家の外に出ようとした。

すると、父に呼び止められた。

「カスケード、しょっちゅうとは言わん。…たまに帰ってこい」

昔から変わらない低い声に、カスケードは短く答えた。

「わかってるよ、親父」

 

車は猛スピードで中央司令部へ戻る。

車が停まりドアが開いた時、サクラはカスケードに支えられないと外へ出られなかった。

「アクト、もう少し安全運転しような」

「速くって言ったのはカスケードさん」

「百キロとか出さなくていいから。…でも、サンキュな」

ディアとアクトが寮へ戻るのを見送って、カスケードはサクラの背中をさする。

「大丈夫か?」

「…あの人たちがお兄ちゃんに夢をくれた人じゃなくて良かった」

「ごめんな、あんな部下で」

カスケードは苦笑しながらそう言い、その後に

「でも、良い奴らだから」

と付け足した。

「それじゃ、俺の親友に会いに行くか」

サクラの手を握って目的地へ向かう。

小さな頃のように。

 

「…墓地?」

サクラが呟いた通り、そこは墓地だった。

墓石が並ぶ中にカスケードは入っていき、あるところで止まった。

サクラはその後に続き、同じくそこで止まる。

「…この人が…?」

墓石には「Near Junely」とある。カスケードはサクラの言葉に頷いた。

「そう、こいつが俺の親友。十八のときに逝った」

サクラはショックを受けているようで、口元を押さえていた。

「亡くなってるなんて、思わなかった…」

「俺が殺したんだよ」

「…え?」

突然の兄の言葉に、サクラは顔を上げる。

「お兄ちゃんが殺したって…」

「こいつは目が見えなかったんだ。

前日までは全然大丈夫だったから、当日様子がおかしかったのに俺はそのまま任務に連れて行ってしまった」

「それじゃお兄ちゃんの所為じゃないじゃない!」

「いや」

カスケードはしゃがみ込んで、墓石に触れた。

「気付かなかったし、守れなかった。俺が殺したも同然だよ」

「そんな…」

サクラはそれ以上何も言えなかった。なんと言ったらいいのかわからなかった。

「でもさ、こいつ死ぬ前に俺にこう言ったんだ。カスケードが人を助ける軍人になったから嬉しいって」

表情が変わった。辛そうな表情から、優しい笑顔に。

サクラは兄と同じようにしゃがみ、墓石を見た。

「俺はなれたとは思ってないけど、ニアは認めてくれた。…だから、俺はこれからも人を助けなきゃなって思った」

カスケードは墓石に触れたままサクラを見た。

とても穏やかな表情で。

「それともう一つ、大切なものは何が何でも守り抜こうと思った。…もう、後悔したくないから」

守れなかったから、これからは守れるものは全て守ろう。

それが自分の罪の償いになるとは思わない。しかし、きっとそれが今の自分に課せられたものだから。

「今の俺には大切なものがたくさんある。それを全部ちゃんと守れるように、軍人やってる。

…昔はあんなに嫌だったのに、ニアのおかげで天職だと思えるまでになったよ」

「天職…」

「あぁ」

カスケードはゆっくりと立ち上がり、左耳のカフスに触れた。

受け継いだカフスと大剣を通じて、ニアが自分を見ていてくれているような気がする。

だから余計に頑張ろうと思える。

自分にいろんなものをくれたニアへの恩返しのように。

「サクラ、軍医が嫌なら辞めれば良い。普通の医者なんてお前なら簡単になれる。

…でも、今の状態から得る物もあるかもしれないってことは覚えておいて欲しい」

「得る物?」

「そう。…何も得られない事なんて、何一つ無いんだからな」

カスケードの手が、サクラの頭を撫でる。

昔してくれたように、優しく、温かく。

サクラはそっと兄に寄り添い、目を閉じた。

自分は「軍医」から何を得られるだろう。

いや、もしかするともう得ているかもしれない。

それに気付こうとするのは、今からでも遅くはない。

 

翌日、いつもと同じ様子の中央司令部。

ただ、話題が少し珍しい。

「結構美人だよな、カスケードの妹って」

「色がカスケードさんと同じだよね。兄妹だってわかる」

「そうなんですか?」

「見たかったなぁ、俺も…」

口々にそういう部下達に、カスケードは笑いながら言う。

「嫁にはやらないぞ。…って、お前らは問題ないか」

今日も空が青い。

同じ空の見える北方司令部では、今日も女性軍医が働いている。

ただし、今までとは全く違う様子で。

兄と同じ、希望に満ちた目をして。

 

Fin