奇跡は時に残酷だ。
終わってしまえば全て忘れられたものを、記憶にしっかりと残す。
辛い出来事も、罪の意識も、全て。
「…っあー!やっと痛くなくなった!」
やっと傷の痛みから解放され、カスケードは思いきり伸びをした。
一週間近く感じていた激痛はきれいに無くなり、腕を振り回しても何とも無い。
「サンキュな、ラディ」
「こっちもやっと肩の荷が下りました。もう無理しちゃだめですよ!」
「わかったよ。…悪かったな、心配かけて」
ラディアの治癒能力のおかげで、この数日に刻まれた体の傷は消えた。
しかし、心の傷は消えるものではない。
「ありがとう、ローズさん」
「私の能力が役に立って良かったです」
サクラとラディアが話している僅かな間にも、カスケードの脳裏にはあのことがよみがえる。
ニアのクローンに剣を突き立てた自分がいた。
死にゆくビアンカを助けられなかった自分がいた。
周りから人が消えていく。己の無力の所為で。
今回だって、ビアンカの背後にもっと早く気付いていれば。
「…お兄ちゃん、どうしたの?」
サクラの声で我に返る。
「いや、なんでもない」
「ローズさん帰るって。挨拶くらいしなさいよ」
「あぁ…じゃあなラディ、また明日」
「明日もう出てくる気でいるんですか?だめですよ」
「…じゃあ明後日」
「リアさんが心配しないようにもっと休んでください。大変だったんですからね」
自分の心臓が止まっていた時のことは、ツキから聞いた。
相当心配をかけてしまったらしい。
「ずるい人」にならなくて良かった、とツキは言っていた。
生きて「ただいま」と言えて良かった。「おかえりなさい」を聞けて良かった。
「…起きた時、頬が痛かったんだよな…」
カスケードが呟くと、サクラは首を傾げた。
「怪我してないのに?」
「あぁ。…怪我じゃなくて、ここに戻ってくるために必要だったんだろうな」
「…?」
自分が見た光景は、夢だったのかもしれない。
しかし、ニアに会って叩かれたときのあの感触が残っている。
ニアの声も、覚えている。
「サクラ、墓地行って来て良いか?」
「良いわよ。傷も完治してるし、それに…」
サクラは壁に立てかけてある大剣を見る。
昨日血に染まっていたとは思えないほど、きれいに磨かれていた。
「私もニアさんにお礼言いたいから。…お兄ちゃんを守ってくれて、ありがとうって」
枯葉が踏まれて音をたてる。
冷たい空気の中に立つ墓石には、真実が刻まれている。
「今日は寒いな」
「うん。…さっきアクトさんが物凄い防寒装備で歩いてた」
「寮から司令部までたった二分だろ…。相変わらずだな、あいつも」
周囲の冷気をまとい、触れられることを拒否しているような墓石。
拒否されても仕方ないのかもしれない。自分は、二度も親友を殺してしまったのだから。
「…ごめんな、ニア…俺、ちゃんと生きるから」
まだ来るべきでは無いと言ってくれた。だから自分は死んではいけない。
罪の償いのために生きなければならない。
「お兄ちゃん、違うでしょ。…一番肝心な事言ってない」
「肝心な事?」
「そう」
サクラは墓石の前にしゃがみ、優しく穏やかな声で言う。
「ニアさん、お兄ちゃんを守ってくれてありがとうございました。これからも宜しくお願いします」
謝罪ではなく、感謝を。
この世界に生かしてくれたことに対し、心からの感謝の言葉を。
カスケードはサクラを見、墓石に視線を移す。
そして、ゆっくり口を開いた。
「ありがとう、ニア」
昔からずっと助けられてきた。今も助けられている。
この一言だけじゃ伝えきれないほど、感謝している。
「…お兄ちゃん、ここにいる?」
「いや、一旦戻る。マグダレーナ来るんだろ?」
「うん。さっき電話あったから…」
墓地を去って行く二つの足音を、墓石は優しく見守っていた。
サクラの淹れたアップルティーの香りが充満する。
マグダレーナは礼を言ってカップを受け取り、一口飲んだ。
「カスケード君、あなた無事で良かったわね」
「あぁ、まぁ」
曖昧な返事が返ってくる。
心から良かったとは思えないようだ。
「何があったか話せるかしら?」
「…話して良いのかわからない」
「どういうこと?」
それは自分以外の個人に関することなのか、それとも、
軍以外の人間に言えない事なのか。
前者はともかく、後者ならばこの先大きな問題になる。
「話せるところだけ話して欲しいの。今回は全てとは言わないわ」
「…わかった」
カスケードは大きく息をつき、一言発した。
「俺、ビアンカを殺した」
「…え?」
言われたことの意味が分からない。
単語ごとに区切った音が反芻され、意味を掴もうとする。
「それって…どういうこと?」
「ビアンカは死んだ。俺が殺したんだ」
「貴方が殺すはず無いわ!だって貴方は人を殺せないもの!」
「でも、殺したのは俺だ。ニアも…二度殺した」
一体何が起こっていたのか。
カスケードの言葉からは、それがわからない。
「…ねぇ、順序を追って話して。急にそんなこと言われてもわからないわ。
キメラは倒したの?」
肯定。
「ニア君のクローンも…倒したのね」
肯定。
「ビアンカちゃんは、どうなったの?」
少しの間が空き、返事が返ってくる。
「死んだ。…頭を撃ち抜かれて、一発だった」
その言葉で、マグダレーナはやっとわかった。
カスケードはもう銃を使わないはずだ。だから、殺したのはカスケードではない。
別の何かが、ビアンカの命を奪った。
「誰にやられたの?」
「…ここからなんだ、言って良いのかどうかわからないのは」
話の流れから、それはおそらく後者だった。
マグダレーナはもう軍人ではない。サクラは軍医だが、中央の者ではない。
ここから先を話せる人がいなければ、状況はわからないままだ。
「…そうだわ、メリテェアちゃんになら言えるかしら?」
「メリーに?」
彼女は現役の軍人で、しかも准将だ。
上司にならば言えるかもしれない。
「…でも…メリーにあまり重荷は負わせたくないんだよな。
いくら准将とはいえ、まだ十六だ。世間的には子供だろ」
「それなら、ツキ君がいるわ。メリテェアちゃんとツキ君、それと…状況把握に長けている子がいれば良いわね」
明らかにしなければならない。もし軍を動かすようなことであれば、早々に解決しなければならない。
カスケードが自分を責めているだけでは、どうしようもない。
「今日の夜、彼等に全て話すのよ。私はここから出るから、全てを明らかにして頂戴」
これは、本当の意味での決着の始まりかもしれない。
始まってしまったら、早く終わらせるしかない。
「それでは、全てを話していただきます」
メリテェアの言葉に頷き、カスケードは話し始める。
感情を込めないようにしながら、起こったこと全てを語った。
キメラは倒した。ニアのクローンもこの手で殺した。
そしてビアンカを、生かすことができなかった。
ただ語ることでさえ辛いだろうに、それを淡々と語っていく。
感情を隠し、辛さを見せずに伝える。
「…で、ここからが問題なんだ」
無理矢理にでも仕事仕様の表情にしなければ、取り乱してしまいそうで。
そうなると伝えなければならないことを伝えられずに終わってしまう。
これは感情論にしてはいけない。
「ビアンカを撃った奴ら…”裏の世界で働いている人間”と言っていた」
「裏の?!」
そう叫んだのはツキだ。
裏の世界となると事は大きくなる。
今までにも裏社会との関連はいくつかあった。そのたびに調査はされたが、糸口は見つからなかった。
今回のことに関わっているのだとしたら、見えない相手との戦いということになる。
そうなれば、軍総出でも難しい。
「じゃあ、やっぱり裏のクローン技術が関わっているという考えは、正しかったってことですか?」
グレンが冷静に言うのに、カスケードは頷く。
「おそらく、ビアンカは軍を辞めてからそっちへ行ったんだ。
向こうだって科学技術が欲しい。ビアンカの能力はクローンやキメラの生成に利用される。
そしてその生成されたものが、裏で悪用される」
今回のようなことはこれからも起こりうる。
起こらなければおかしいくらいだ。
裏社会に関わろうとしたものが消されるならば、軍全体が危険だということにもなる。
「カスケードさん、どうするんですか?」
「どうするも何も…今のままじゃ何もできない。向こうから来ない限り、調べようが無い」
「そうですわね。今のままでは軍は手出しできませんわ。…でも…」
メリテェアは確信していた。必ず裏の者達は、近いうちにまた軍を狙ってくる。
今回はビアンカとのつながりからカスケードが標的だったのかもしれないが、他の者も同じようになることは十分あり得るのだ。
「次に個人が狙われるとしたら、やはり裏に深く関わってしまった方ですわね。
カスケード大佐が再び狙われる可能性もありますし、その周囲がということもありますわ」
今は推測しか立てられない。
カスケードがメリテェアたちと話をしている間、サクラはディアとアクトの部屋にいた。
夕食を共にしながら、カスケードのことについて話す。
「…兄は、ビアンカさんを助けられなかったことを悔やんでいます。
ニアさんを斬らなければならなくなってしまったことも。
そして…多分、皆さんを危険に晒すかもしれないということも」
大切なものは何が何でも守り抜け。それはカスケードの口癖だった。
実際、彼自身が遅い後悔をしている。
目の前で人の命が奪われ、自分はそれを食い止められなかった。
それは一生心に残る傷。
同じような苦しみはディアにもわかる。
罪の意識は消えないものだということを知っている。
カスケードと違う点は、自ら手を下してしまったということだが。
「サクラ、あいつ…立ち直れると思うか?」
ディアは何とか立ち直ることができた。それはアクトや周囲の人間のおかげだ。
カスケードの周囲には自分達がいる。自分達に何ができるのだろう。
「あいつが立ち直るために、俺達ができることってねぇのか?」
似た痛みを知っているからこそ思う。
「兄は…立ち直れなくても、外に出そうとしないんです。
昔から人のことが優先で、自分の事は後回し」
サクラの将来のために、親の言うとおりに軍に入った。
周囲のために、明るく振舞った。
いつも他人のことを第一に考えている人。
「気を使おうとすると余計に兄の気持ちを閉じ込めてしまうと思うんです。
だから、いつもと同じように振舞うべきだと思います」
サクラの言葉に、ディアとアクトは頷く。
カスケードには、いつものように接するべきだ。そうすれば傷もいくらか緩和できるかもしれない。
たとえその場しのぎでも、少しでも楽になるのなら、そのほうが良い。
「…カスケードさんは幸せだな。こんなにいい妹がいて」
アクトがそう言うと、サクラは顔を真っ赤にした。
「そ、そんなことない!私は、兄が好きなだけなの。兄がいてくれたから今の私がいる。だから…」
恩返しがしたい。今まで奪ってしまった分を返したい。
だから動けるんだとサクラは言う。
それは他の者にも言えることだ。
カスケードが好きだから、何かしようと思える。
「サクラさん、あとでおれ達もカスケードさんのところに行く。暫く話してないと寂しいし」
「えぇ、兄もきっと喜ぶわ」
今だからこそ、できることを。
カスケードの部屋の人物はすでに入れ替わっており、ディアたちがついた時にはアルベルトとブラックがいた。
「ディア君、アクト君…来たんですか?」
「カスケードさんと話したいと思って」
「よ、お二人。サクラのことサンキュな」
「元気そうだな、全体的に青い奴」
「あぁ、おかげさまで元気だよ、不良」
いつもと同じ賑やかな会話。これが自分達のあるべき形。
カスケードがいなかった間の事や、病院での事など、いろいろな話をした。
「カスケードさんいないとディアを挑発しても全然面白くないんだよ」
「こっちだってお前が全く苛め甲斐ねぇもんだから退屈してたんだぜ」
「相変わらずだな、お前ら…」
二人の関係はどんな時でも変わらないらしい。
「ブラックってばお医者さんに掴みかかったんですよ。
すごく大佐のこと心配してて…」
「余計なこと言うんじゃねーよ!」
「なんだ、黒すけも可愛いところあるじゃないか」
「黒すけって言うなっつってるだろ!」
アルベルトとブラックも相変わらずだ。
こうしている時間があるということが、とても嬉しい。
「サクラ、黒すけは怖くないからな。ただの強がりだ」
「だから黒すけって言うな!」
「皆さん面白いわね」
こんな時間が続けば良いのに。
いつまでも平和で、誰も失うことなく。
もう失いたくない。
あんな思いは二度と、したくない。
「サクラ、そういや前に気になる奴がいるって言ってなかったっけ?」
「ちょ…、お兄ちゃん!こんなところでそんなこと…」
「サクラさん、好きな人いるんだ?」
「…良いんです、そんなことは」
もしカスケードがまたいなくなるようなことがあれば、
もしくは、永遠に帰らないときがくれば、
そのときは、サクラをその人に頼みたい。
そんな考えがあったのかもしれない。
しかし、それは安易で、ずるい。
自分が守るべきものを人に押しつけて逝ってしまうというのは、許せない。
ニアも許さないだろう。
「サクラ、その人のことちょっとだけ教えてくれるか?」
「お兄ちゃんの方がその人の事知ってるわ。私から言う必要無いの」
大切なものは何が何でも守り抜く。
そう決めたのは、自分だ。
また守れなくて、後悔して、それで終わりじゃだめだ。
これ以上失わないようにしなければならない。
「サクラ、不良とか言うなよ?コイツは絶対だめだからな?」
「カスケード、それどういうイミだよ」
「違うわ。不良さんは好みじゃないもの」
「…はっきり言うんだな」
「ディアなわけないだろ。こんなヘタレダメサドに惚れる奴はいない」
「…アクト、絶対泣かしてやるから覚悟してろよ」
「無理だって」
歩き出そう。守るために。
そのために軍人をやっているんだから。
原点に戻ろう。
また、「人を助ける軍人」をやろう。
「で、誰なんだ?」
「…お兄ちゃんしつこいわよ」
大丈夫。見守ってくれている人がいるんだから。
この地上にも、あの空にも。
決心と共に、運命は再び動き出す。
全てを導くものは、心に深く刻まれた傷。
大切なものは何が何でも守り抜け。
後で後悔したときには、もう遅いのだから。
後悔しないよう、しっかりと前を向き、
己の今を生きていけ。
全てに決着をつける、そのときまで。
Fin