それに関する記憶は僅かしか残っていない。

最後に見たのは十年以上も昔だ。

それも、二度と会話することのできない状態で。

今更現れるはずはない。しかし…

 

「ディア」

空港に着いてすぐ、自分の名を聞いた。

振り向くと、灰色の髪の初老の男性。

「オヤジ、久しぶり」

「元気…みたいだな。バカは風邪をひかないというし当然か」

「んだとコラ」

冬のノーザリアはエルニーニャと比べるとかなり寒く、現在の気温も氷点下だという。

これがディアにとっては懐かしく、ちょうどいい。

相方ならその場で硬直するかもしれないが。

「アクトさんは一緒じゃないのか」

「あいつは別の用事。正月には連れてくる」

「それでは楽しみに待つことにするか」

他愛のない会話。耳を澄ませば聞こえてくる、ノーザリアの田舎特有の訛。

ここがディアの生まれ故郷だ。

「…でさ、オヤジ、あのことだけど…」

「あぁ、あのことは家で話す。こっちも聞きたいことがあるしな」

生まれた場所で、生まれたことに関することを。

普通のことなのに、深刻になる。

 

食卓に並ぶワカメ料理は懐かしく、うんざりさせられる。

「…ワカメオヤジ」

「グリンピースの方が良かったか?」

「ワカメの方がマシ」

幼い自分とほんの少し若いフィリシクラムは、よくおかずのとり合いをしたものだ。

それが現在にも生かされているということを言うと、フィリシクラムは爆笑した。

「あの大佐殿も子供心を忘れない良い人だなぁ!」

「俺の分なのにあいつが盗るんだよ。…その度にアクトに叩かれるのは俺だし」

「アクトさんもいいツッコミだ。周囲に恵まれているということは良い事だぞ」

フィリシクラムは皿に大量にワカメを盛りながら言った。

久しぶりの、息子と父親の食卓。

血は繋がっていないが、親子以上の絆がある。

そして、血の繋がったものは。

「…で、あのことだけど」

ディアが話を切り出そうとすると、フィリシクラムは息をついて、それからワカメを口に運んだ。

咀嚼して腹に収めてから、ディアに真っ直ぐ目を向ける。

「これは軍から聞いたことだから、私が直接二人に会った訳ではない」

「わかってる」

「会いに行くのは明日だ。それまでお前と話さなければならない」

「いいからさっさと話せよ」

フィリシクラムはゆっくり息を吐き、態度を変えた。

「お前の家族は全員死んだんだったな?」

率直に――間違えば傷つけるかもしれないほどに。

しかしディアは少しも動じずに返す。

「あぁ、死んだ。父親と母親は飛行機事故、兄貴は首吊り、姉貴は焼身自殺。

兄貴と姉貴は死体も見たから、間違いねぇ」

今でも覚えている。醜く鬱血した兄の顔や、炎の中から響く姉の笑い声。

ぶら下がって揺れる四肢と、真っ黒なものに覗く白い骨。

「…では、何故間違いなく死んだものが現れると思う?」

死んだはずなのに、記憶にも鮮明に残っているのに、彼等は完全な姿で現れた。

まだ会っていないから本物なのかは分からないが、どちらにしても何故今更とは思う。

「オヤジ、最近のエルニーニャの事件、どんだけ知ってる?」

「そうだな…殺人事件の記事は読んだ。ラインザー・ヘルゲインの」

「前に俺がここに来た時よりも前になるけど、何とかって会社の裏が暴かれたのは?」

「アーシャル・コーポレーションか?」

「そう、それだ。その会社のクローン技術、話題になっただろ?」

「あぁ、あれが第二次ノーザリア危機に使われなくて良かった。…それがどうかしたか?」

可能性としては十分にありうる。現に辛い思いをした者がいる。

しかし、言うのが憚られるのは、きっと今回の対象が身内だからだ。

「…兄貴と姉貴、クローンってことはねぇか?」

今度苦しみを背負うのは自分かもしれない。

しかしフィリシクラムは即座に言った。

「それはないな。お前自分の兄と姉が死んだのが何年前だと思ってる。

昔の細胞をどうやって手に入れるというんだ」

「技術が使われたのは九年以上前だろ。兄貴と姉貴が死んだ頃にはもう研究始まってただろうが」

「だからといって何故彼等を被検体にする必要がある?彼等はただの民間人だろう」

「ただの民間人だからこそってのはねぇのか?」

「無いな。それこそ外部に情報が漏れ、研究側は自らを危険に晒すことになる。

民間人を使って情報が漏れていないなら、お前は自分の身近な人物を疑っていることになる」

「何でだよ」

「得体の知れないところから細胞の分与を求められて、普通は応じない。

金が動いたか、お前達兄弟のことなどどうでも良いと思っているということだろう。

…それ以前に姉は焼死だろう?家も何もかも燃えてしまって、細胞などどこで手に入れるんだ?」

クローン説は否定。自分の立てた仮説が否定されたにもかかわらず、ディアはホッとした。

そんなはずは無い。命を弄ばれてたまるか。

しかしその思いとは裏腹に、可能性は出てきてしまう。

こんな時ばかり頭が働くなど、皮肉なものだが。

「病院とかはどうだ?関わっていたらそのくらい…」

「…病院か。ありえない話ではないが…」

胸が痛む。やはり、言うべきではなかった。

「…そんなことは考えるな。この話は止めよう。すまなかったな」

フィリシクラムにより話は中断され、部屋に静寂が満ちた。

まぁ良い。会えばわかる。

できれば偽者の方が良い。全くの別人であるほうが。

 

ディア、グリンピース残ってるわよ。

――これきらい。おいしくない。

よし、じゃあお兄ちゃんが代わりに食べてあげよう!

もう、お兄ちゃんったら甘いんだからぁ。ディアの分は今度からグリンピース抜きにしてあげるわね。

――ほんと?

本当よ。ね、お兄ちゃん。

あぁ、可愛い弟のためなら何だって!

 

「ディア、どうした?寝起き最悪なお前が早起きなど…」

「…変な夢見たから」

複雑な表情のディアを、フィリシクラムは卵焼きを作りながら眺める。

こうして息子が起きてくるのを見るのが、新鮮に感じる。

「オヤジ、焦げ臭い」

「おぉ?!卵が黒く!」

「それ俺に食わせる気か?!食わねぇからな!」

こういう会話はディアと暮らしていた頃を思い出させる。毎朝がコントだった。

「昔の夢見たんだよ」

「昔の?」

真っ黒な卵焼きと海藻サラダで朝食をとる。

ディアは何だかんだ言って黒い塊に箸をつけていた。

「ガキの頃の…多分三つか四つの頃。

兄貴と姉貴の夢なんて普段死体ばっかだったから変な感じだ」

「どんな夢だったんだ?」

「グリンピース嫌いっつったら兄貴が代わりに食って、姉貴が俺の分はグリンピース抜きにするっつってた」

「お前の兄姉は弟に甘すぎだな」

本当に甘かった。死んだとき以外覚えていないかと思ったら、この夢のおかげでいくらか思い出せた。

兄も姉も自分を溺愛していた。両親が普段仕事でいなかったためか、自分の面倒をよく見てくれた。

「…兄貴なんで死んだんだっけ…」

「覚えてないのか?」

「覚えてねぇっつーか…確か両親が飛行機事故で死んで、ショック受けて…

でもそれくらいで死ぬような奴じゃねぇし…」

「姉は?」

「姉貴は兄貴死んだショックで狂ったんだと思う。

笑いながら家に放火して、養子縁組書類とか戸籍の原本とか持ってきた奴等も巻き込んだ」

「よく無事だったな」

「俺は外に追い出されてたから。気がついたら家燃えてた」

淡々と語るディアを、フィリシクラムはじっと見つめていた。

昔だったら、辛さでゆがみ始めた表情を必死に隠している場面だ。

いつのまに顔に出さなくなったのだろう。

「…すまないな」

「いや、別に気にしてねぇ。

死体はトラウマだけど、死ぬ瞬間見た奴とか自分で殺さなきゃいけなくなった奴とかよりマシだ」

空になった食器が音をたてる。椅子から立ち上がり、食器を重ねる。

「…それに、俺も殺しちまったから…俺が文句言えることじゃねぇし」

兄や姉の死体の夢と並んでよく見るのは、幼い少女が倒れる場面。

自分の放った銃弾に倒れた、まだ未来があったはずの少女。

「オヤジ、さっさと食って司令部行こうぜ。確かめねぇと」

「…あぁ…」

フィリシクラムにはわからない。息子に何があったのか。

けれど、昔よりずっと強くなったように見える。

事実を受け止められるような強さを持ったように。

 

以前来た時もそれなりに騒がれた。が、今ほどではない。

前はフィリシクラムが負傷していたために、大騒ぎできなかったというのもある。

「げ、ヴィオラセント!…お前なんでここに…」

「げって何だよ、俺と喧嘩して全敗だった元上司サマ?」

「え、ヴィオラセント来てるのか?また暴れる気か?!」

「少佐、ヴィオラセントさんとは?」

「あぁ、お前は知らなかったな。喧嘩では負けなしの暴力男だ」

「うるせぇんだよ、そこ!何だ、お前まだ少佐か」

「エルニーニャほど昇進が早くないんでね、この国は。

…で、ヴィオラセント、お前何しにここに来た?」

「呼ばれたんだよ、オヤジに」

「何?!ゼグラータ名誉大将殿が?!」

第二次ノーザリア危機の後退役したフィリシクラムは、その時に名誉軍人賞を貰っていた。

だから呼ぶときは「名誉大将殿」だ。

「名誉大将殿!お元気でしたか?!」

「あぁ、ワカメのおかげで元気だ。ワカメ食えよ」

「はい!自分は名誉大将殿が退役なさってからワカメしか口にしておりません!」

「はっはっは、嘘吐け。昼はナポリタンか?口の周りが赤いぞ」

「…は、は!申し訳ございません!」

フィリシクラムの所為でノーザリア兵がバカばっかりになったらどうしよう、とディアは本気で考えかけるが、それは一旦置いておくことにした。

「オヤジ、今の大将って誰だよ?」

「お前も知ってるだろう、カイゼラだ。よく喧嘩していただろう」

「あ?あの弱い奴?大将ってガラか?」

「お前は全勝だったからそう言えるんだ。奴は強いし、お前と違って頭も良い」

「んだとコラ」

話しながら歩いていくと、あっという間に大将室だ。

フィリシクラムがドアをノックすると、偉そうな声が聞こえてくる。

「入りたまえ」

ディアは思わず笑いそうになるが、フィリシクラムに小突かれて耐えた。

「カイゼラ・スターリンズ大将、ゼグラータです」

「名誉大将殿!お元気でしたか?」

「このとおりだ。…で、これがバカ息子」

「バカ…ってヴィオラセント?!」

「バカで悪かったな」

喧嘩に明け暮れていた時、何度も衝突して何度も喧嘩したのはカイゼラだけだった。

大抵の奴はディアに負けた後、二度と勝負を挑もうとはしなかった。

明るい青の髪に水色の瞳――思えば自分は青と相性があまり良くないのかもしれない。

「うわぁ、本当に喧嘩バカのヴィオラセントだ!元気だったか?バカ」

「バカバカうるせぇよ、このバカ大将」

「認めてるのか?貶してるのか?」

当時はフィリシクラムとの確執の事しか考えていなかったから、喧嘩した相手についての記憶は薄い。

カイゼラのことも本当はよく覚えていないのだが、喧嘩相手の中では特殊だった、という事くらいは頭にある。

「大将殿、本日はディアの家族の件について…」

フィリシクラムが本題に移そうと切り出すと、カイゼラの表情が真剣なものに変わった。

「あぁ、あの件ですね。

…ヴィオラセント、先日君の家族だという者が訪ねてきた。

捜索願を出そうとしていたところを受け付けたものが気付き、名誉大将殿に連絡した」

「らしいな」

「しかし名誉大将殿によると、彼等はいるはずのない者だそうだな。

彼等は君とは似ても似つかないような穏やかな人物だったらしいから偽者の線が濃い」

ディアが反論しようとしたところに、書類が差し出される。捜索願の届だ。

「筆跡に見覚えは?」

丁寧な字だ。自分とは程遠い。

「筆跡はわかんねぇけど…」

記された名前なら見覚えがある。七歳になる前まではよく聞いていた名でもある。

「アフェッカー・ヴィオラセントとラヴィッシア・ヴィオラセントは…確かに俺の兄貴と姉貴だ」

偽者だとしたら、一体どこから名前を割り出したのだろう。

戸籍は焼失したから、他の機関からのものである可能性が高い。

「名前は間違い無し、か。会った方が早いだろう。連絡先に電話してきてもらうが、良いか?」

「するんならさっさとしやがれ」

「…大将に向かって随分な口の聞き方だな」

カイゼラは部屋の奥のドアを開け、電話をかけ始めたようだった。

もうすぐ、彼等に会える。

事実を確かめなければ。

「連絡はした。今からこっちに向かうそうだ。

それと、エルニーニャからヴィオラセントに繋げと電話が入っている」

「エルニーニャ?」

何故自分に電話など。ノーザリア危機の時もかけてこなかったくせに、どうして今なのか。

「エルニーニャの誰だよ」

「インフェリア大佐殿だ。急いでいるようだった」

カイゼラに導かれ、奥の部屋にある受話器を取る。

「何だよカスケード」

『ディア、アクトが戻ってきた。…打撲傷つきで』

「何だと?!」

電話の奥の声は重い。打撲と言っていたが、程度はどのくらいか。

『たいしたことはないらしい。…でも、何があったか詳しく話そうとしないんだ。

俺が危ないとか言ってるが、どういう状況でそれがわかったのかは言わない。

聞きだせるのはお前だけだと思うから、片付いたらすぐ戻って来い』

たいしたことはないが、何も話さない。

話さないのではなく、話せないのではないか。

虐待の記憶がフラッシュバックしている可能性もある。

「チクショウ…こんな時に…!」

『何かアクトに伝えておくことはあるか?』

「…すぐ戻るから待ってろって言っとけ」

受話器を乱暴に置き、舌打ちする。

「何であいつが…!」

思い切り殴った壁には、僅かにひびが入る。

「どうした、ヴィオラセント」

「大佐殿だろう?何かあったのか?」

カイゼラは冷静に、フィリシクラムは不安げに。

「アクトが怪我した」

「アクトさんが?!…ひどいのか?」

「たいしたことはねぇって。…でも心配だからとっとと済ましてとっとと帰る」

ディアの台詞にカイゼラは目を丸くした。

あの暴れ者から心配だからという言葉が出るとは思わなかった。

「怪我した人は、お前の友人か?」

尋ねるとディアは全く表情を変えずに一言、

「大切な奴」

と言った。

 

数分して、まだ不穏な空気の中に入って来た者があった。

一人は新米と思われるノーザリア兵、そしてその後に続いて、男性と女性。

どちらも赤みの差した茶色の髪と、同じ色の輝きを持つ瞳を持っている。

「スターリンズ大将、お連れしました」

「ご苦労。…どうぞ、お二方」

カイゼラが招き入れた男女を見て、ディアは驚愕した。

いや、驚愕という表現だけでは足りない。もっと強く心を動かされるような感覚。

彼等は二十代後半くらいに見える。顔つきも成人のもので、男性らしく、女性らしい。

ディアの中には幼かった頃の記憶が僅かに残っているだけだが、はっきりとわかった。

歳をとってはいるが、彼等は間違い無く。

「…兄貴…、姉貴…?」

呼んでみる。小さな低い声だけが漏れる。

「ディア…」

男性が自分の名を口にするのを聞く。

「おい、本当に兄」

「ディアぁぁぁ!!!」

言葉が遮られ、身体の自由も封じられた。

男性は急にディアに抱きつき、女性もそれに続いた。

「ディア、本当に君か?!あぁ、僕の可愛いディア!大きくなって!!」

「ちょっとお兄ちゃん、ずるいわよ!僕の、じゃなくて僕らの、でしょ?!」

抱きついて騒いで、滅多に言われない「可愛い」を普通に口にする。

間違いない。こんなことをするのは彼等しかいない。

男性――兄のアフェッカーと、

女性――姉のラヴィッシアしか。

「…兄貴、放せって…」

「あぁ!どうしたんだい、この頬の傷は!?こんなに大きな傷が残って!僕の可愛いディアになんてことを!

誰にやられたのか言いなさい!兄さんが懲らしめてやるから!!」

「可哀相なディア…。でもあたしたちはディアがどんなになっても見捨てたりしないわよ!」

まるで聞いちゃいない。兄姉がこんなに鬱陶しいものだったとは。

――ブラックの気持ちがちょっとわかったぜ…。

こんな形でわかりたくは無かったが。

「いいから放せって!邪魔なんだよお前ら!」

兄を振りほどいて叫ぶと、相当ショックを受けたようで、

「そ…そんな…。ディアが…可愛いディアが僕らを邪魔だなんて…」

「怒らないで、ディア…。あたしたち会えて嬉しいだけだったの…」

兄は床に座り込み、姉は両手の指を組んで懇願する。

いくつになっても弟を溺愛する異常っぷりは変わらないようだ。

「オヤジ、俺こいつら家族だと思いたくねぇ…」

「じき慣れるさ。久しぶりなんでお前も戸惑ってるんだろう」

戸惑うどころか怒りと呆れが沸いているのだが。

早く話をつけてエルニーニャに帰りたい。

「ヴィオラセント、彼等はお前の家族なんだろう?

そっちの部屋で話すといい」

カイゼラが奥の部屋に半強制的にディアたちを押し込み、鍵をかけてしまった。

「おい、コラ!出せよバカイゼラ!」

「バカにバカと言われたくないな」

「ちょっとあなた!僕らの可愛いディアにバカとはなんですか!」

ドアの向こうから聞こえる罵声に呆れつつ、カイゼラは椅子に座った。

そしてフィリシクラムに向き直り、にっこりと笑いかけた。

「大丈夫、ヴィオラセントなら上手くやります。…あなたもそう思うでしょう、名誉大将殿」

「そうだと良いんだがな…」

 

嬉しそうに満面の笑みを向ける二人と、

その正面の面倒そうな一人。

「ディア、僕らに会っても嬉しくないのかい?」

アフェッカーが少し表情を歪めた。

「嬉しくねぇわけじゃねぇけど…訊きたいことがある」

「なんだい?何でも言ってごらん」

「答えられることは何でも答えられるわよ」

訊きにくい。こんなに幸せそうな人に尋ねるのは罪悪感を伴う。

けれども訊かなければならない。

「…あの、さ、…兄貴と姉貴、生きてたのか?」

表情が変わったのがはっきりわかった。

笑顔はそこから消え、寂しそうな表情が残る。

「…生きてちゃ、だめだったかな」

アフェッカーが小声で言った。

「違う!生きてれば嬉しいけど、俺は兄貴と姉貴が死んだと思ってたから…!」

「そうよ、死んだのよ。…一度はね」

ディアの熱を一気に冷ますような、ラヴィッシアの声。

淡々と語りだす姉の言葉は、妙に頭に余韻を残した。

「お兄ちゃんは首を吊って、あたしは焼けた。だけど全てが無くなった訳じゃなかったわ。

お兄ちゃんは脳が残ってたから記憶はそのまま移せたの。

あたしの記憶は断片しか残らなかったけど、お兄ちゃんの記憶を元に構成することができた。

病院の記録から身体も作れて、こうして甦ることができたのよ」

「ちょっとまてよ!それってどういう…」

「クローン技術と同じだ。僕らは記憶を残すクローン体なんだ。

この技術を施してくれた人たちにお世話になりながら、僕達は生きてきたんだ」

やはり間違ってはいなかった。しかし、すっきりしない。

ラヴィッシアは続けた。

「ディアのことはずっと心配でたまらなかったわ。今になって漸くディアと会う許可が下りたの。

ミジェア様もディアに会いたいって仰ってくれて…」

「誰だよミジェアって」

「あたしたちの援助をしてくれる方よ。先日長期の旅行からお帰りになったの」

ミジェア―ノーザリアの田舎で使われる言葉で、意味は「救世主」に近い。

怪しい宗教みたいだ、と思わずにはいられない。

ディアは何も言わずに兄と姉を見る。これはクローンだ。

けれども記憶を残しているし、行動も同じだ。

「ミジェア」が少し気になるが、戦う必要は今はなさそうだ。

「ディア、ミジェア様に会ってくれるか?君もきっとミジェア様に救われるはずだよ」

「軍にいる必要もなくなるわよ。辞めてしまいなさい、こんな危ない仕事。そしてずっとノーザリアにいたらいいのよ」

兄と姉は笑っている。自然な笑顔で、疑う余地は無い。

崩したくは無かったが、ディアは口を開いた。

「…軍は辞められねぇ。待ってる奴がいるから、ノーザリアにもいられねぇ」

「待ってる人?」

「あぁ。大事な奴で、怪我してるらしいんだ。だから…」

アフェッカーとラヴィッシアは顔を見合わせ、残念そうに溜息をついた。

しかしディアには笑顔を向けるのをやめない。

「…仕方ないな。可愛いディアの大切な人なんだから」

「そうね。…でも、ミジェア様には会って欲しいの。それだけお願いしていいかしら?」

たった一つの願いは、状況が状況だけに重い。

しかし、兄と姉はこれほどまでに自分を想ってくれている。

ディアは暫しの沈黙の後、

「わかった…会うだけだからな」

ぎこちなく、頷いた。

 

フィリシクラムとカイゼラに事情を話し、ディアはアフェッカーとラヴィッシアに連れられていった。

アフェッカーの運転する車は非常に安全運転で、どこか物足りない。

「ディアに怪我させないようにゆっくり走るから」

エルニーニャでは決して聞けない言葉だ。「遅い、もっとスピード出せ」ならしょっちゅう聞くが。

「兄貴、昔のこと、覚えてるか?」

ディア自身は余り覚えていない。こんなことを聞いても仕方ないことはわかっているが、つい口に出してしまう。

「よく覚えてるよ。ディアのことは絶対に忘れない」

アフェッカーは懐かしそうに、そして愛しそうに語りだした。

「君が生まれたときから覚えてるよ。本当に可愛くて、僕とラヴィッシアはどっちが先に抱くかでもめたものだよ」

「結局お兄ちゃんが先だったのよね。一応写真持ってきてたんだけど…」

一枚だけ燃えずに残ったものだ、と差し出された家族写真は、ほとんど覚えていない両親も写っていた。

幼い自分は、どうやったら今の姿になるのかわからないほど子供らしい。

「可愛いディアのためなら何でもしようと心から思ったよ」

「可愛くなくなっちまったけどな」

「何言ってるんだ!ディアは昔と変わらず可愛いよ!」

この台詞を知り合いに聞かせたら大爆笑されそうだ。一部からは冷静なツッコミが入るかもしれない。

「ディアの傷はどうしたの?」

姉が頬にそっと触れて尋ねる。ディアは慌ててラヴィッシアから離れ、半分自棄で言った。

「喧嘩してついたんだよ。俺喧嘩好きだから」

「まぁ、喧嘩なんてだめよ!こんな怪我して…」

「向こうじゃ喧嘩屋って呼ばれてんだ。別にいいだろ、負けたことねぇんだから」

「だめだ!万が一ディアがその頬みたいに大怪我したら、僕は相手を懲らしめにいく!」

どうやら姉より兄の方が溺愛度は高いようだ。先ほどから少々過激だ。

「…ねぇ、危ないから軍は辞めて欲しいの。ディアが死んじゃったら、あたしたち悲しいわ」

ラヴィッシアが言った。

死んじゃったら――その言葉は聞きたくない。

死んで自分を置いていったのは彼らなのに。

「俺が死んで悲しいっておかしいだろ。自分達は死んだくせに。俺がどんだけ…」

奥歯を噛締める。軍に入る前の短い期間、独りぼっちで過ごした日々を思い出す。

フィリシクラムに会う前は、冷たい雨にも打たれたし、野犬にも襲われかけた。

そんな状況に陥れたのは、自分を置いていった者達ではないのか。

軍に入って世間を知るにつれてそうは思わなくなっていったが、今の話で甦ってきた。

「…ごめんね、ディア。辛かったでしょ。でもこれからは辛い思いはさせないわ」

「そうだ。可愛いディアに寂しい思いをさせることは、もう二度としない」

「マジで言ってるなら笑い飛ばしてやるぜ。

俺が今までやって来れたのはさっき兄貴達が辞めろっつった軍のおかげなんだ」

「軍に何があるって言うんだ。命を危険に晒すだけじゃないか」

「違う!それで片付けられるもんじゃねぇんだよ!」

ディアが急に怒鳴ったため、アフェッカーもラヴィッシアも驚いたようだった。

車は一瞬小さく揺れた。

「…軍で出会った奴等は、俺の人生観をすっげぇ変えやがったんだ。

オヤジも、エルニーニャの奴等も、俺にとっちゃ大切なものだ。

軍で大切な奴にも会った。いつも俺の傍に居てくれて、辛い時は励ましてくれた。

部下も皆良い奴で、一緒にふざけたり仕事の時も協力してもらったりしてる。

俺は軍の奴等が好きだ。あいつらがいなかったら、今の俺はねぇ」

車内は静まり返った。アフェッカーは黙って運転を続け、ラヴィッシアは俯いていた。

車はそれからすぐに停まり、アフェッカーは何も言わずにドアを開けた。

気がつくとそばには巨大な建物があり、思い切り見上げて漸く最上階が見えた。

「ここがミジェア様のお屋敷よ」

ラヴィッシアはそれだけ言って、建物の方へ向かった。

 

建物の中は空気が重く、石の階段が続いていた。

アフェッカーとラヴィッシアは黙って昇り、ディアはそれに続いた。

「兄貴、姉貴、何か言えよ」

沈黙に耐えられず、ディアは先を行く者に呼びかける。

しかし、二人とも無視して歩いていく。

「…んだよ、あれほど騒がしかったくせに…」

長い石段が漸く途切れる頃、ディアはすでに疲れきっていた。

肩で息をしながら、兄が壁に触れるのを見た。

押すと壁がなくなったので、それが扉だとわかった。

「ディア、疲れたでしょ」

ラヴィッシアが漸く口を開いた。

「ここにミジェア様がいるの。…入って挨拶してちょうだい」

姉に押され、ディアは部屋の中に入る。室内は整理されていて、本棚が並んでいる。

中心に机と椅子があるが、そこには誰もいない。

「ミジェア様、弟を連れてきました」

アフェッカーが室内に呼びかける。奥から返事が聞こえた。

「今行く。…本当にディア・ヴィオラセントなんだろうな?」

男の声。どことなく偉そうな感じがした。

そして、どこかで聞いたような響きを持っていた。

「正真正銘ディアです」

アフェッカーが答えると、足音が近付いてきた。

影が見え、音は大きくなる。

視界に姿が入り、アフェッカーとラヴィッシアは頭を下げる。

「ミジェア」は薄く笑い、アフェッカーとラヴィッシアを見た。

そして、

「ディア・ヴィオラセント、久しぶりだな」

その声で、ディアを硬直させた。

「…何でここにいる…?」

ディアは目を見開き、暑くも無いのに汗を滴らせた。

重圧と、不信と、目の前の真実。

「何でお前がここにいるんだよ、ボトマージュ!!」

叫びに対しても、不敵な笑みを返すだけ。

 

ヤークワイア・ボトマージュ――彼は南方殲滅事件を指揮したとして裁かれ、刑務所にいるはずだ。

なのに何故ここにいるのか。しかも、「救世主」とまで言われて。

「そんなに睨むな、ヴィオラセント。…君の兄と姉は私を慕ってくれているのに」

「慕う?!馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ!兄貴、姉貴、そいつは悪い奴でミジェアなんかじゃねぇ!」

「悪い奴?貴様が言えた事か、ヴィオラセント?貴様も少女を殺しただろう」

「……っ」

何も言い返せない。事実に反論した所で、自分の罪をごまかすこと以外の何物にもならないことはわかっている。

ボトマージュの方が多く罪のない者を殺したことも事実だ。

上司ならそれを言って自分を庇うかもしれない。相方もきっとそうするだろう。

しかし、当事者がそれを言ってもやはりごまかしにしかならないのだ。

「私はこの日を待っていた。貴様を絶望に陥れ、そして消す」

「待ってください!ミジェア様、どういうことですか?!」

叫んだのはアフェッカーだった。ボトマージュは煩わしそうに顔をしかめる。

「僕達はミジェア様がディアに会いたいと仰ったから連れて来たんです!

なのに…消すとはなんですか!」

「あたし達の弟をどうなさるおつもりですか?!」

弟を想う気持ちは支配されていないようだが、安心はできない。寧ろ危険を感じる。

「兄貴、姉貴、もういい!下がっ」

「これだから感情のある人形は面倒なんだ。…全く、あの方も何を考えているのか…」

ボトマージュはアフェッカーとラヴィッシアに近付く。一歩、また一歩と、ゆっくり。

「待て!兄貴と姉貴には手ぇ出すんじゃねぇ!」

ディアは駆け寄り、二人の前に立つ。ボトマージュはしかめていた顔を歪ませる。

企みを含んだ笑みは、作戦の成功を示す。

「頭に血が上っているな。…冷静な相方がいないと、こうも簡単なものか…」

「?!…っがは…ぁっ!!」

何が起こったのかわからないまま、ディアは足を崩す。

「ディア!」

後ろで兄と姉の言葉が重なって聞こえる。

それが、最後だった。

 

胸部から腹部にかけて、右から左へ走る斜めの赤。

床は同じ色に染まり、崩れた足には力が入らない。

呼吸が荒くなる。

「…ボトマージュ…お前…っ!」

「まだ言葉を発すか。…まぁ、このくらいは予想していたがね。

まだ死んでもらっちゃ困る。最高の絶望を味わってから消えてもらう」

最高の絶望は、背中への衝撃となって襲い掛かる。

「が…っ」

血塗れの床に身体が押し付けられる。身動きが取れない中、必死で衝撃の元を確認する。

わかっていた。こうなるかもしれないことは、来る前から予測していた。

けれど改めてそうなってみると、やはり痛い。

眼が虚ろな兄の足の下、眼の虚ろな姉の振り上げる鈍い光を見た。

光が背に突き刺さる。うめいて、抜き取られて、また突かれる。

「…く……あ…」

「兄と姉に殺されるんだ。貴様も本望じゃないのか?

心配せずとも、貴様の身体はエルニーニャに送ってやろう。

あの男はきっと自分を責め、自らを破滅に追い込む。

…そうなればあの方のシナリオは完璧な形で完成する」

背から圧力が消えた。虚ろな気配は五歩ほど離れたようだ。

「…こって…だよ…」

声を絞り出すと、ボトマージュは驚いて見せた。感心したように声を上げ、嫌な笑いは浮かべっぱなしだ。

「まだ話せるか。信じられない生命力だ」

「あの男って誰だよ!」

自分でも信じられない。こんな深手でよくこんな声が出せるものだ。

「散々あの方の邪魔をしてくれた者だ。…わからずとも貴様は死ぬ。問題は無い」

「あの…方って…」

「それも同様、貴様が知ってもどうしようもない。

…まぁ、冥土の土産くらいはくれてやろう。私は慈悲深いからな」

ふざけるな、村を破壊して何が慈悲だ、と言おうとしたが、もう言葉は出なかった。

「アフェッカー、弟を担いでやれ」

ボトマージュの指示に、アフェッカーは黙って頷く。

どこにそんな力があるのかと問いたくなるほど、軽々とディアを担ぎ上げる。

ボトマージュが歩いていくのにラヴィッシアが、そしてアフェッカーが続く。

――そういや昔も兄貴に担がれたっけ…

動かない体で、思いを巡らす。

 

幼い頃、よく兄弟で散歩をした。

右手を兄に、左手を姉に預け、家の傍の道を歩いた。

「ディア、疲れたらあたしが抱っこしてあげるからね」

「ラヴィッシア、たまには僕にさせろよ」

「にーちゃ、ねーちゃ、あれ」

兄と姉の話を中断させて、ディアは木陰を指差した。

「…エレガントだ!」

アフェッカーはとっさにラヴィッシアとディアを自分の後ろへ隠した。

エレガントという名の凶暴な大型犬がそこにいたのだ。

近所の家から逃げ出したらしい。名前に似つかわしくない獣の狩猟本能がこちらへ向けられる。

「ラヴィッシア、走れ!」

アフェッカーはそう叫び、ディアを肩に担いで走った。

全く逆効果の行動を取り、追われ、漸く立ち止まる頃には汗だくだった。

「…はぁ。大丈夫だったか?ラヴィッシア」

「あたしは大丈夫。…ディア、怖くなかった?」

ラヴィッシアはそう言って弟の方を見、動きを止めた。

アフェッカーもディアを見たまま固まる。

ディアはただ一人笑っていた。

よほどスリルを楽しんだのか、明るく笑っていた。

「…あぁ可愛いなぁ僕の弟は!」

「あたしの弟でもあるわよ!…本当に可愛い!」

ディアを抱きしめるアフェッカーの腕と、ラヴィッシアの笑顔。

 

いつ壊れてしまったんだろう。

何故壊れてしまったんだろう。

 

いつものように平和な朝に隣人から伝えられたのは、あまりにも残酷なニュースだった。

輸送の航空機が墜落――乗務員は全員絶望――両親の死亡確認――。

アフェッカーは教授助手になる試験の直前だった。教授助手として働くことができれば、自分も家に金を入れられる。

だからなんとしてでも受からなければならなかった。

両親の死を知ってから豹変し、部屋に閉じこもって出てこなくなった。

ラヴィッシアも心配して、毎日食事を作っては兄の部屋に運んでいた。

「ディア、お兄ちゃんの部屋に…ご飯運んでくれるかしら…?」

疲れきった姉にそう言われたのは、六日目の夜だった。

食事はできていて、アフェッカーのために用意した盆の上にあった。

「ねーちゃん、大丈夫?」

「大丈夫。…お兄ちゃんに、ご飯持ってって…」

こんなに疲れても兄の心配をし、ディアの分の食事まで用意してくれている。

姉の疲れは明らかで、ディアも痛みを感じた。

今自分が出来ることは、頼まれたことをやる事。そう思い、食事を持って兄の部屋に向かった。

「にーちゃん、ご飯」

ドアをノックして呼びかける。返事は無い。

「にーちゃん…?」

そっとドアを開けると、目線より少し上に影があった。

天井から下がる塊は、全てを捨てた抜け殻。

「…にーちゃん…」

それ以上の言葉は出なかった。

見上げる自分の後ろに、いつのまにか姉が立ったことなど気付かなかった。

兄の遺体が近所の人によって火葬にされた後、彼等は姉と大事な話があるから、とディアを家から出した。

放心状態の姉と何を話すというのか。

苛立ちを覚えつつも、ディアは言われたとおりに庭で待っていた。

独りになると兄はもう存在しないということを改めて感じた。

兄を送る間、姉は何も言わなかった。

だからディアも何も言えなかった。

そして今度は別の理由で、言葉が出なかった。

甲高い笑い声が聞こえたかと思うと、家の中が真っ赤に染まった。

炎があがり、その中に人影が見えた。

笑い声は響く。何もかも巻き込んで。

全てが無くなる十分な時間、ディアはただ立ち尽くしていた。

また居なくなるんだな、と、それだけを感じていた。

 

「冥土の土産だ。持っていくが良い」

いつのまにか自分の身体が床の上にあったことに気付く。

指に触れるものがあった。紙の束の感触だ。

大嫌いな、書類の感触。

「研究記録のコピーだ。…そしてこれがコピーを元にして作った結果だ」

兄と姉のことを言っているのかと思った。

しかし、視界の端に見えるボトマージュの指し示すものは、彼等ではない。

水音が聞こえる。朦朧としたまま顔を上げると、青いものが見えた。

巨大なカプセルに液体が満たされている。

その中に、研究の結果はあった。

少女が一人、入っていた。

年齢は大体十歳くらい、髪は長い。

青に阻まれてはいるが、おそらく髪の色は薄い紫。

目を閉じているその顔には見覚えがあった。

「…あ…」

無邪気で、

「あぁ…」

自分を取り巻くもの全てが大好きだった、

「…アスカ…!」

己の罪の象徴があった。

「貴様が殺した少女を私が甦らせてやっているのだ。…最高の土産だろう?」

「…ボト…マージュ…お前…!」

全ては自分を苦しめるため。

そしてそこから別の苦しみを作るため。

そのために命が弄ばれている。

「絶対ぇ…赦さねぇ…」

「その身体で何ができるというんだ?」

見下すボトマージュに何もできない。立ち上がることは勿論、少し動くこともままならない。

頂点に達する怒りも、それを克服することはできない。

 

ここで終わりかよ…

目の前の奴ぶっ飛ばしてぇのに何もできねぇなんて…

それに、まだ、

まだあいつの返事聞いてねぇのに。

好きだって言っても、返事聞けなきゃ意味ねぇんだよ…

ちくしょう、ここで終わったら、

俺が俺じゃなくなるんだ。

そんなん嫌に決まってるだろうが…!

 

「うああああああぁぁぁ!!!」

 

拳に殴った感触が残っている。

夢ではない。

勿論、この大怪我も。

「よく生きてたな、バカ」

「バカバカうるせぇんだよ」

包帯まみれの身体を衣服で隠し、何でもなさそうに振舞う。

カイゼラの言葉にも即座に返事をする。

気を失う直前、ボトマージュを殴った所までは覚えている。

その後の記憶は全くなく、気がつけばノーザリア中央司令部。

しかも記憶が無かったのはほんの数時間らしく、この大怪我なのによくもまぁ、と医者に言われた。

カイゼラとフィリシクラムの話によると、自分は道路の真ん中に放置されていたらしい。

殺すつもりだったのに何故そうしたのかは不明だが、チャンスが与えられたことは確かだ。

「イースに刺された時より短かったな、寝てる時間」

「ひどい怪我ほど早く目覚めるなんてむちゃくちゃだな。さすが私の息子だ」

フィリシクラムはそう言って笑った。

軍用ジェットに乗り込んだ三人は、離陸後に紙の束を見た。

倒れていたディアの傍に落ちていたものだ。ボトマージュの言う所の「冥土の土産」。

「研究資料らしい。ボトマージュが言ってた」

「クローン研究のだな」

カイゼラはページをぱらぱらとめくり、眉を顰めた。

「…ヴィオラセント、直視できるか?」

「あ?何でだよ。」

「お前を襲った脱獄囚はそれを冥土の土産と言ったんだな?

本当に土産もんだよ、それは」

 

研究対象として五十名ほどの人材確保。

ナンバー01には、妹と弟の生活が平安になることを約束した上で自殺を求めた。

復活による再会を約束、確認した上で同意。

ナンバー0201の妹。真実を告げたが契約を拒否。自宅に放火しスタッフともども焼死。

ナンバー0102の一家に関する書類の処分が同時にできたため、犠牲を伴う良結果としての扱い。

彼等の弟は行方不明。軍入隊の噂を聞くが定かではない。

 

「…これ、本当だと思うか?」

書類を持つ手に力が入り、紙が形状を変える。

このままではディアが破ってしまいかねないため、フィリシクラムは読むふりをして取り上げた。

「ディア、おそらくそれは事実だ。お前は私に兄が死んだ理由がわからないと言っていたが、それならば…」

家族のために命をかけた。そう言えば聞こえはいい。

けれどそんなことは、姉も自分も望んではいない。

「…兄貴の馬鹿野郎…!」

フィリシクラムに家を出ていけと言われたあの日以来、初めて雫が頬を伝った。

そういえば、いつだか尋ねられたっけ。

大切な人一人か、他の大勢の者か、どちらかしか救えないとしたらどうするか。

あの時ディア自身の答えは、「自分一人の犠牲で両方救う」。

兄は同じ事をした。自分一人の犠牲で、大切な者を救おうとした。

それがこんなにも、残された者を苦しませるなんて。

「…死なねぇぞ、俺は…」

ぐしゃぐしゃの紙の束を、フィリシクラムから奪い取り、握り締める。

「絶対ぇ死なねぇからな…!」

繰り返さない。こんなことは、絶対に。

「ディア、お前が死ぬわけ無いだろう」

フィリシクラムが、そっと肩を叩いた。

「そうそう。名誉大将の言うとおり、バカは殺しても死にそうに無い」

「んだとコラ」

カイゼラはディアをからかい、陽気に笑う。

「暴れると傷口開くぞ。急いでるから縫うのテキトーでいいとか言ったのお前だろ」

「マジでテキトーに縫ったのかよ、あの医者」

相当な深手のはずなのに、平気で行動している。

信じられない体力だ。

フィリシクラムやカイゼラだけでなく、医者を含め多くの者が言っていた。

――やはり大馬鹿者だな、我が息子は。

ディアの成長を、フィリシクラムは素直に喜んでいた。

――死ぬわけが無い。馬鹿こそ長生きするものだ。

 

エルニーニャはまだ見えない。

アクトは無事だろうか。

アルベルトとブラックは決着をつけただろうか。

カスケードは…

「…あ、ヤバイ…」

「どうした?ディア」

「あの男…それにアクトが言ってた…」

ボトマージュの言う、「自らを責め破滅に追い込む男」。

アクトが言っていたという言葉――カスケードが危ない。

「…あの野郎…まだ狙われてんじゃねぇか…!」

「あの野郎?」

「ディア、どういうことだ?」

カイゼラとフィリシクラムの言葉は無視し、ディアは操縦席に向かって叫んだ。

「おい、もっと速くならねぇのか!」

「ディア、何を…」

「さっさとしねぇとぶっ飛ばすぞ!」

ディアは勢いよく立ち上がった。

いや、立ち上がろうとした。

行動を阻んだのは、

ぶちっ

という嫌な音と、

「…………っ」

すさまじい痛みと、

「…カイゼラ、血止め」

「名誉大将殿、暫くこのままのほうがバカは大人しいと思いますよ」

衣服にも滲んでくる、赤い色だった。

 

エルニーニャ王国首都レジーナまで、あと約二時間。

胸部から腹部にかけての痛み特に激しく、常人なら危険な状態。

 

 

To be continued…