懐かしい感覚だ。

そんなに遠い昔ではないのに、自動車の巻き上げる砂煙は妙に新鮮だ。

あの時耐えられなかった長い時間が、今はとても短い。

南方殲滅事件から、九ヶ月。

 

「アクト、寒くない?」

後部座席からマーシャが話し掛ける。

「大丈夫。やっぱり南って暖かいんだな」

「うん。赴任してきた時暑くてびっくりしたくらいよ」

「暑すぎんだよ南は…」

「ディアは暑がりすぎ」

こういう状況は初めてだ。

マーシャがアクトを訪ねてくることはなかったし、二人が会う時ディアはいなかった。

実際、マーシャがいるという状況自体がディアにとって初めてだった。

「ディア君、ちょっとスピード出し過ぎてない?いくら何もなくてもちょっと怖いわよ」

そんなこと言われても。

普段はスピード狂のアクトに遅いと言われているのに。

「マーシャ怖いの?百二十キロしか出てないのに」

「アクトの感覚がおかしいのよ」

よく言ってくれたマーシャ!と内心ガッツポーズをするディア。

しかしアクトは不満そうな表情をしている。

「百二十キロなんて遅い…」

この車はそれが限界なのに。

 

南方司令部のあるマードックに向かう前に、あの村に立ち寄ることになっている。

南方殲滅事件で壊滅した、あの村だ。

追われているかもしれない状況では危険な賭けだが、確かめたいことがあった。

ボトマージュがどうやってアスカの細胞を手に入れたか。

アリストなら何か知っているかもしれない。

しかし、アスカがクローンとして戦いの道具になっていることを知らせるのは酷だ。

何とか知らせずに進めたい。

「村長さんとアリスト、どうしてるかな…」

「アリストは何とかなってるだろ、多分」

村の再興には時間がかかる。他に人がいるならいいが、二人ではとても無理だ。

「軍も支援しようとはしたけど、拒否されたのよね。

もう軍の力は借りないって…強い調子で言われたわ」

「マーシャ、アリストに会ったの?」

「えぇ、一度だけ。素敵な子ね、あの子」

マーシャはにっこり笑った。

車をもうしばらく走らせ、アクトの機嫌が直角になろうかという頃に停める。

あの時も着いたのは夕方だった。

窓から明かりがこぼれて、とても綺麗だった。

しかし今はその明かりが一軒分しかない。

「アリスト君。アリスト・クレイダー君、いるかしら?」

マーシャがドアを軽くノックすると、ドアの向こうから大人びた声が聞こえる。

「どなたですか?」

「南方司令部大佐マーシャ・スクロドフスカよ」

「…軍の人に話す事はありません。お帰りください」

アリストはあの事件以来、軍と関わりを持ちたがらないという。

あの時アリストは軍を辞めたが、事件に関わったものとして一応の処分は受けた。

今後一切軍に入隊することは許可されない、と。

しかしそれはアリストにとっては都合が良かったらしい。

「彼、軍人が嫌いになってしまったみたい。前に会った時も、ちっとも目を合わせようとしなかったの」

マーシャが小声で言い、残念そうに溜息をついた。

軍人が嫌い。ディアやアクトもその中に入るのだろうか。

もう話はできないのだろうか。

「マーシャ、おれがやってみる」

もう一度話がしたい。

嫌いでもいい。言葉を交わすことができれば。

「アリスト、おれだ。アクト・ロストートだ」

ドアの向こうに語りかける。

気配が、動いた。

「スクロドフスカ大佐に話は聞いた。もう一度話がしたい」

ドアノブが回った。

隙間から光が漏れ、そこに影が立つ。

変わらない少年が、アクトを見ていた。

「…本当に、アクトさん?」

「本当だ。…久しぶり、アリスト」

「本当に、本当なんですね」

アリストはやっと、ほんの少し笑う。

しかしその向こうの影に気付き、再び表情をこわばらせた。

「…ディアさんも、来たんですね」

「悪ぃな、来ちまって」

「いえ…良いんです」

顔を合わせるとどうしても思い出してしまう。

血を流しながらも微笑んでいた、幼い少女を。

「どうぞお入りください。…スクロドフスカ大佐も、どうぞ」

「ありがとう」

ドアは静かに閉まった。

アリストはこの家にたった一人で住んでいる。

妹を失い、村の人々もいない今、誰が一緒にいてくれるというのだろう。

「村長さんは?」

「亡くなりました」

「…そうか」

この村にはもうアリストしかいないのだ。

軍の支援も断り続け、自分だけで村を元に戻そうとしている。

「村長さん、どうして?」

「………」

アクトが尋ねると、アリストは黙り込んだ。

言いたくないのだろうか。

「何があった?」

さらに尋ねると、席を立ってしまう。

よほどのことがあったのだろうか。

何がアリストを独りにさせたのだろう。

「…アクトさん、ディアさん、アスカの墓に行きませんか?」

「アスカちゃんの?」

突然の提案。アクトは落ち着いていられたが、ディアは戸惑う。

行かなければならない。しかし、行くのが怖い気がした。

「ディア、行くか?」

クローン体のアスカの言葉が、頭から離れない。

しかし、

「…行く」

行って謝らなければならないのだ。

理由はどうであれ、殺してしまったのは自分だ。

「では行きましょう。スクロドフスカ大佐はここでお待ちください」

アリストはあくまでも事件を知る人物しか連れて行かないつもりだ。

マーシャのことは信用できないらしい。

 

簡易的な墓地を事件のすぐ後に作っていたはずだ。

あまりにも死者が多かったため、屍が幾重にも折り重なって埋められている。

アスカの墓だけはそこから少し離れた、アリストの家に近い方にある。

村が大好きだったアスカをどうしてやるべきか考えたが、やはり自分の側においておきたかった。

「ここがアスカの墓です」

懐中電灯に照らし出される、小さな墓石。

埋められたのは九ヶ月前だ。

南方は雪が降らないため、土が露わになっている。

「…最近掘り返したのか?」

黒く新しい土が上にあるのを、アクトは不審に思う。

アリストは頷き、しゃがみ込んだ。

「でも掘り返したのは僕じゃないんです。…掘り返されたんです」

「掘り返された?」

「はい。村長はそれを止めようとして、殺されました」

アリストの指が地面に触れ、土をなぞる。

「知らない人たちがここに来て、アスカの墓を掘り返そうとしました。

村長はそれを止めようとして、彼等に撃たれて…」

「何のためにそんなことを?」

「わかりません。…ただ、アスカの身体を少し取っていきました。

まだ朽ちずに残っていたものを、丁寧に選び取っていました」

アリストの言う「知らない人たち」が一体誰なのか、ディアにはわかってしまう。

わかりたくはなかったが、実際に取られたものがどう使われたか見てしまった。

「アリスト、お前アスカが取られんのを黙って見てたのかよ」

「足を撃たれて身動きが取れなかったんです。武器は軍に全て没収されていましたし…」

「言い訳すんじゃねぇ!何で止めなかったんだよ!」

「ディア!」

アリストに掴みかかるディアを、アクトが制止する。

「アリストを責めるのはやめろ。

アリストだって辛かったの、わかるだろ!」

「アクトさん、良いんです。確かに言い訳でしたから…」

アリストは顔を上げ、ディアに向き直る。

逃げない、という意思が感じられる。

「僕は怖かったんです。殺されるんじゃないかと、怖くてたまらなかった。

だからアスカを見捨てたんです。

僕は自分のことしか考えてない、意気地なしなんです」

本音なのだろう。眼がそう言っている。

「だから…責められるのは当然なんです」

アリストは自分を戒めていた。

だから、今更ディアが責める必要はない。

「わかった。…悪かったな、八つ当たりして」

「八つ当たり?」

「いや…こっちの話」

本当は全然「こっちの話」ではないのだ。

アスカが戦いの道具に使われているのだから、アリストにも関わりはある。

しかしそれを言う訳にはいかない。

アリストもまた、自分を責めてしまうだろうから。

知らせないためにも、もうこの村を出なければ。

「アリスト、これからも一人でやっていくつもり?」

「はい。…やっぱり軍には頼れないです」

「どうしても、か?スクロドフスカ大佐も信じられない?」

「軍の人間はどうしても…。アクトさんやディアさんは別ですけど」

これもアリストの心の傷だ。軍が嫌いというよりも、恐怖症なのだろう。

アリストの目には軍は「破壊するもの」として映ってしまった。

そうでないことを伝えなければ、伝えることができなければ、アリストの心の傷は癒されない。

「スクロドフスカ大佐はさ、おれの姉なんだ」

「…アクトさんの?」

「正確には従姉だけど、一緒に暮らしてたこともあるし姉みたいなものだ」

驚いた表情のアリストに、アクトは微笑む。

「信じてくれないかな。今のおれがあるの、彼女のおかげだから」

温かい笑みだ。アリストが暫く感じていなかった、柔らかなもの。

手を伸ばして、思わず抱きしめた。

「ア、アリスト?」

「僕は…やっぱり軍は信じられません。

でもアクトさんは信じられるんです。

アスカに心からの愛情をくれた、あなたなら…」

本当は一人でいるのだって怖い。

誰かに頼りたい時もある。

アリスト・クレイダーは、意思も感情もある人間なのだから。

「あなたが言うなら、スクロドフスカ大佐とも話してみます」

「…そっか」

それがアリストの助けになれば良い。

今の南方軍なら、大丈夫だ。

「とりあえず放してくれる?」

「あ、すみません。つい…」

「ついじゃねぇよ、人のもん勝手に…」

「アクトさんってディアさんの所有物なんですか?」

「いや、違う」

「違わねぇよ!」

あとは倒すだけだ。

全ての始まりを、終わらせる。

これ以上悲しみが増えないように。

 

「テレーゼか?…あぁ、暫く帰れないよ。アクトも一緒だ。

一人にしてすまない。すぐ帰るようにはする」

妻への電話を終え、オレガノは電話ボックスの壁に寄りかかった。

今回失敗すれば、妻にはもう二度と会えなくなるだろう。

――怖いのか?私は…

笑いがこみ上げてくる。

もともと彼女を死に追い詰めたのは自分だ。

今妻として存在しているテレーゼは自分が作ったクローンだ。

自分の都合のいいように精神を操作した、人形。

元の彼女の性格を残して、記憶もいくらか植え付けてある。

その中にかつてに親友の姿はない。

しかしオレガノの中には三人で笑っていた二十三年前が存在する。

妻も息子も持っていない過去を、自分だけが持っている。

絶命した二人が血の海に沈んでいるのも、はっきりと見ることができる。

今でも夢に見る。二人が自分に笑いかけるのを。

その時、テレーゼの腕の中には生後間もない子供がいるのだ。

消さなければいけない。忘れなければいけない。

そうでなければ、一生一人で苦しむ。

「父さん」

呼ばれなれた言葉に、オレガノは漸く我に返った。

「…あぁ、すまない。今戻る」

目の前にいるのは、髪を切ってさらに親友の子に似てしまった我が子。

失敗すれば、この子も失う。

「アクト、早く髪伸びるといいな」

「どうして?」

「ロストートに似てしまったからな。これでは紛らわしい」

「大丈夫。どうせもうすぐ僕一人になるんだから」

そうだ。成功させれば良いんだ。

そうすれば苦しむ必要はない。

失わずに済むんだ。

しかし、髪は早く伸びて欲しかった。

どうしてもそこに、過去を見てしまう。

 

人間の欲望は尽きない。

一つ手に入れば、次は、次はと増えるものだ。

軍に入れば昇進だけを求め、自分を恐れる部下に優越感を覚える。

ゆくゆくは軍部といわずこの国全体を、そして世界を支配してやるつもりだった。

そのためなら他人を蹴落とすのを躊躇わない。むしろ踏みつけることを楽しみにした。

だから、自分より強いものは消さなければならなかった。

ボトマージュは頂点に立つためだけに邪魔者を排除してきたのだ。

本当は三月に、村とともにディア・ヴィオラセントを消してしまうつもりだった。

傷の男。中央の喧嘩屋。無敵のサディスト。

強く、名が知れ渡っているというだけで不快な存在だった。

誤算だったのはディアの他に南方に来ていたもう一人の存在だった。

「…アクト・ロストート…奴の所為で私の計画には時間がかかってしまった。

脱獄のために得体の知れない者の下につくなど不快極まりない…っ!」

今度こそディア・ヴィオラセントを消す。

アクト・ロストートはオレガノ・カッサスとその息子に任せれば良い。

カスケード・インフェリアもそのうち消えるだろう。

「邪魔者がいなくなった後はこの私が頂点に立つ。

あの得体の知れない存在も、不快なクローンも、邪魔なものは全て消してやる…!」

そうやって大将まで上り詰めたのだ。

自分にできぬことなどない。

「特にニア・ジューンリー…奴は苦しめてやらねば気がすまない。

クローンの癖に人間様を見下しおって…。

カッサスの息子も見ているだけで不快だ。奴の顔を潰し、焼き払ってやる」

誰に語るでもない、欲望と狂気の独り言。

包帯を巻いた顔に浮かぶ邪悪な笑みを、懐かしい場所へと車が運ぶ。

 

「もう行ってしまうんですか?」

アリストの表情は寂しそうだった。

やっと一人じゃなくなったのに、また残されるなんて。

「ごめんな。全部無事終わったら、また来るから」

一人の寂しさはアクトにもわかる。

アリストの頭を優しく撫で、車に乗り込んだ。

「またな、アリスト」

「はい」

互いに微笑み、車のエンジン音が響く。

ディアがアクセルに足をかけ、踏み込もうとした時だった。

「…この感じ…」

ディアの神経に伝達される感覚が警告する。

奴が来た、と。

「すげぇ殺気だ」

「間に合わなかったか…」

「いや…まだ間に合うぜ!」

急にアクセルを踏み込まれ、車は大きく揺れた。

マーシャが悲鳴をあげて伏せ、アクトは窓から身をのりだす。

「ディア、アリストが見つかったら!」

「…チッ」

フルスピードの方向転換に、車体は大きく傾く。

砂を巻き上げ、轟音をあげ、再び村の方へ戻る。

「アリスト、乗れ!」

ドアを開けて手を伸ばすアクトの手を、アリストは戸惑いながらも掴んだ。

勢いよく車内に引き込まれ、頭を打つ。

「いった…どうしたんですか、一体」

「お前の身が危ないんだ。…本当は巻き込みたくなかったけど…」

何の邪魔にもならない所で決着をつけたかった。

アリストを乗せたまま村から離れ、何もない荒野で急停止する。

「大丈夫か?アリスト」

「大丈夫です。…それよりスクロドフスカ大佐が…」

やはり女性にはきついらしい。すっかり気を失っている。

「マーシャは…多分大丈夫だろ。それよりアリスト、絶対に車から出ないで欲しいんだ。

何があっても外を見ないで、シートの下に隠れていて欲しい」

「え、どうして…」

「いいから隠れてろっつってんだろうが!絶対ぇ外見んじゃねぇぞ!」

アクトの言葉にさらに困惑するアリストを、ディアが怒鳴りつける。

何が起こっているのかはわからないが、言うことを聞かなければならないというのはわかる。

アリストは後部座席の下に伏せ、ドアが開いて閉まる音を聴いた。

 

顔は包帯で隠されていたが、その眼が語っている。

包帯の解けた口元は、無気味な笑いを形作る。

夜の闇の中でも、はっきりと浮かび上がる。

「アクト、あれがミイラ男だ」

「へぇ、そうなんだ」

台詞と表情が合わない。敵を睨む眼。

剥がされる白い帯に覆われた禍々しさが解放され、その眼に応える。

「再び南方で会おうとは…ヴィオラセント、貴様はここを死に場所に選んだのか」

「死に場所だぁ?ふざけんじゃねぇぞ、卑怯者」

相手がどうしてくるかはわかっている。

闘うのはボトマージュではない。

「卑怯とは心外だ。作戦と言って欲しいね。

…さぁ、ショーの始まりだ」

ボトマージュの後ろから影が二体、真っ直ぐにこちらへ向かってくる。

片方は男性、もう片方は女性。

見慣れた色と同じ色。

「…やっぱり兄貴と姉貴か」

「あの人たちが?似てるといえば似てるけど…」

「あの二人は俺が相手する。…お前は」

「わかってる。後ろだろ」

ディアが駆け出すと同時に、アクトは振り向きざまにしゃがみこむ。

襲い掛かるアスカの蹴りをかわし、短剣を持つ細い手を止める。

「アスカちゃん、戦っちゃ駄目だ!」

「ジャマ…シナイデ…」

戦闘のためだけに生成されたクローン。

ディアを苦しめるためだけに選ばれた身体。

心を揺るがすためだけに発せられる言葉。

「アスカちゃん、お兄ちゃんは君が戦うことなんて望んでない!

君も本当はこんなことしたくないはずだ!」

アリストに隠したかったのはボトマージュの存在だけではない。

アスカがこんなことに利用されているのを、見せたくなかった。

 

さすがは兄妹だ。息が合っている。

たとえ、感情がなくても。

無表情で繰り出してくる攻撃を、反撃せずにかわしていく。

「やっぱ傷つけるわけにはいかねぇからな…」

傷つけられる訳がない。

相手はクローンとはいえ、自分を庇おうとしたこともあった。

昔と変わらない、兄と姉そのものだった。

ディアにとって血の繋がった家族は彼等だけだ。できることなら生かしておきたい。

そして、また昔のように一緒に時間を過ごしたい。

居場所はいくつあってもいいものだから。

「……っ!いってぇ…」

肩にかすった刃物が、赤い液体を滴らせている。

「よく切れるな、オイ…」

眼に光のない兄に声をかけるが、反応はない。

あんなに自分を愛でていた兄が、容赦なく襲い掛かってくる。

幼い頃は自分が転んで膝をすりむいただけでも大騒ぎしていたのに。

兄に続いて姉が攻撃してくる。

女性ならではのしなやかさと速さで翻弄し、正面から短剣で刺しにかかる。

昔は優しく笑いながら食事(グリンピース抜き)を作ってくれたが、今は表情のない仮面が張り付いている。

二人の攻撃を横にかわし、ディアはバランスを崩して倒れかけた。

「…の野郎っ!」

体勢を立て直そうとして、兄と姉の耳に気付いた。

見覚えのあるものが見える。

「洗脳装置…あれさえ取りゃ…!」

正気に戻り、二人とも生かせるかもしれない。

助けられるかもしれない。

しかし短剣は容赦なくディアを襲い、赤い線を幾重にもつけていく。

かわすだけでは体力を消耗するだけだ。

ならば。

「…ちょっとばかし乱暴するが、許してくれよ」

パーツをばらして装着していたライフルを素早く組み立て、

銃口をターゲットに向けた。

「悪ぃな、兄貴、姉貴…」

二つの影が襲い掛かると同時に、一発、二発。

 

銀色のナイフを握り締め、アクト・カッサスは標的を捉えていた。

遠くに小さく見える影は、自分とよく似ている。

誰か他の者と闘っているようで、許せない。

「父さん、行っていい?」

アクトは自分だ。二人も要らない。

それだけを考えてここまで来た。

「行きなさい…アクト」

父の声に車を飛び出し、標的に向かって走り出す。

アクト・ロストートの元へ。

「僕が残るんだ…僕が本当のアクトなんだ!」

そう教えられて育ってきた。

自分こそが真実だ。

 

「アリスト君、出ちゃ駄目よ」

マーシャが手首を掴んでいる。

「わかっています。…でも…」

言いつけを守らなかった。どうしても気になり、外を覗いてしまった。

「なんで…ボトマージュ大将がいるんですか…?」

刑務所にいるはずの人間が、どうしてここに存在するのか。

あの男は南方殲滅事件首謀者として捕まり、ここにいられるはずがない。

「それに…アクトさんと一緒にいるあの子は…」

アリスト自身が守ろうとして壊してしまった少女によく似ている。

背格好は違うが、あの髪、そして一瞬だけ見えたあの顔は確かに妹だった。

「アリスト君、あの子がアスカちゃんだって言うの?」

「はい」

「アスカちゃんは十歳じゃないの。あの子はどう見たって十五か六よ」

「でもアスカなんです。僕にはわかるんです」

「じゃあなんでアクトを襲ってるの?アスカちゃんならそんなことはしないはずよ」

「それがわからないんです。それが…」

アリストは下唇を噛んだ。

納得がいかない。あれは確かにアスカなのに、違いすぎる。

アスカなら全てを愛する優しい少女のはずだ。

しかし目に映る光景は、それとは全く反するものだ。

「アスカ…」

見つめる姿は、踊るように短剣を振るっていた。

 

アクトが何度呼びかけても、アスカは応えない。

無表情のまま、ときおり呟くだけだ。

「アスカちゃん…戦いたくないよ、おれ…」

お守りのナイフが手元にないと辛い。

大丈夫だ、と自分に語りかけてくれる温かさがない。

弱気に畳み掛けるようにアスカは切りつけ、アクトの右頬に一文字の傷をつける。

肌を伝って落ちていく赤が感じられる。

「ジャマ…ジャマ…ドケテ…コロスノ…」

短剣を振り上げたアスカの影は、自分の何倍も大きく見えた。

「コロ…スノ…!」

刃の風を斬る音が耳を掠めていく。

掠めて、そのまま、停止した。

「アスカ、やめるんだ」

少女の身体を後ろから抱きしめる、大人びた少年。

「お前はこんなことする子じゃない。…そうだよな?」

誰よりも彼女を愛した、兄。

「アリスト…」

「すみません、言いつけ破って。でも、アスカは僕の妹なんです」

アスカの一番好きな人。

「ジャマシナイデ…ジャマ…」

アリストの腕から逃れようとするが、できない。

短剣で斬りつけても、束縛は解けない。

「アクトさんはディアさんの所に…」

「アリストは?!」

「アスカと話をさせてください。話せる状態じゃないけど…話したいんです」

矛盾ではない。アリストなら、もしかしたら。

「本当は…巻き込みたくなかった」

「僕はアスカの兄です。巻き込まれないでどうするんですか」

もがくアスカの動きが、段々鈍くなってきた。

「頼んだ」

今は走ろう。アリストの想いを無駄にしたくない。

銃声も響いた。

 

二つの影が動きを止め、その向こうでボトマージュが足を崩す。

両足の腿に突き刺さった弾丸と、滲む赤。

忌々しそうにこちらを睨む眼に、ディアは口元だけの笑みを返す。

「ザマねぇな。元南方大将サマがよぉ…」

「貴様ぁ…ッ!」

動きを止めた兄姉から洗脳装置を抜き取り、踏み潰す。

これできっと。

「ボトマージュ、負け認めて帰りやがれ。中央軍呼んでやるからよ」

「…これで勝ったつもりか」

「んだと?」

洗脳装置は地面で砕けている。

兄と姉はゆっくりと動き始め、両腕をだらりと下ろして体側につける。

異様な空気。

「…何だ?」

何かが起こる。何かが。

「ディア、避けろ!」

「あ?!」

アクトの声に振り向きかけ、左頬を掠める冷気に触れる。

「冷てぇ…っ?!」

頬を伝う生暖かいもの。

古傷から血が流れるはずはない。

傷の上から、また傷。

「…何で…」

赤い雫と光。

兄の眼にはまだ光がない。

「装置ぶっ壊したじゃねぇか!」

「まだわからないか?それは囮だ」

馬鹿め、とボトマージュが笑う。

「そんな簡単に解けるわけがなかろう」

「この野郎…!」

ボトマージュを睨みつけている暇はない。すぐに兄姉のコンビネーションが襲ってくる。

どうしたら解ける?

どうしたら救える?

光のない眼に光を戻すには、どうしたら良い?

昔、光のない眼に初めて綺麗な紫を見たことを思い出した。

あれは、どうして?

 

自分の声の所為で、しなくても良い怪我をしたんじゃないだろうか。

そんなことを気にしている場合ではない。

ディアが戦っている間、自分も戦わなければならないのだ。

「…遅いな、カッサス」

「待たせるのも戦法だよ、ロストート」

鏡のようだ。向こう側はまるで違うのに。

「オレガノさんは?」

「車の中。父さんが出ることないし」

「それもそうだな」

瞬間、二つの風が交じって金属音が響く。

美しい銀色と地味な光がぶつかり、同じ色が近距離で向かい合う。

淡い色の紫水晶は互いを映す。

「今日こそオリジナルになる。…望みを叶える」

「オリジナルとかコピーとかやめない?お前がおれになれるわけないだろ、カッサス」

「黙れロストート!お前を消さなきゃ父さんが苦しむんだ!」

二人同時に飛び退いて間合いを取り、対称的に動く。

円の上を動く二つの点のシンメトリー。

「オレガノさんが苦しむってどういうことだ!?」

「お前には関係ない!今僕が言えることは、鏡は要らないって事だけだ!」

金色が揺れ、銀がぶつかり、紫に映る。

互いに互いの母の面影を見る。

「鏡じゃない。おれとお前は全然違う!」

「そう、違う。僕の方が強いってところで決定的にね」

「そうじゃない。おれとカッサスでは何もかもが違うんだ」

刃を跳ね除け、砂を蹴って、構えを直す。

出会ってから考えていたが、言えなかった。

アクト・カッサスがアクト・ロストートになれない理由。

「僕がクローンと人間のハーフだからか?だから違うって言うのか?

お前だって同じじゃないのか?だから同じ顔なんじゃないのか?!」

「…カッサス、お前、オレガノさんから何も聞いてないのか?」

「何も?母さんがクローンで父さんが人間なんだろ?

それ以外に何があるって言うんだ」

理由を口にすることを躊躇わせる。

何も聞いてない。何も話されていない。

オレガノは昔のことを息子に語らなかった。

「どうして…」

もしかして、オレガノは――

「そんなこと話してる暇なんかないだろ、ロストート」

意識が別の方へ向いている間に後ろへ回られていた。

刃の先端を背に感じる。

「…油断した」

「闘ってる最中に?本当にお前は軍人か?」

「後ろは慣れないんだ。いつもは任せてるから」

「そう…」

どうでも良いというような冷めた口調と、背に引かれる線。

古傷と重なりながら、痛みは降りていく。

「そろそろ終わろうか。いつまでも続けてるのは面倒だ」

「…いや、」

刃など気にしない。気にならない。

痛みは痛くない。

傷が深くなるのも気にせず、振り向いてナイフを突きつけ返す。

背から体側にかけて赤い口をあけているものは感じない。

「まだ終わらせない。お前にはわかってもらう」

「…何を?」

「真実」

オレガノが何も語らない理由は、よく知っている理由と同じかもしれない。

彼があとで後悔した者ならば――。

 

逃げ惑うことしかできないが、それが最善の方法。

他に何ができるというのだ。傷つけることなどしたくない。

傷つけられない。自分には撃てない。

「兄貴!姉貴!いつまでそんなことやってんだよ!」

届かない声を届くと信じるしかない。

闇の底から声が聞こえても。

「甘いな、ヴィオラセント。撃ってしまえば楽になるぞ」

嫌な笑いだ。ボトマージュを狙おうとすると、兄と姉が立ちはだかってそれを阻むのでできない。

さらに短剣を振るってディアの傷を増やし、痛めつける。

切り傷と刺し傷だけが増えていく。指の先から血が滴った。

一筋が地面に染みて、砂を黒く染めた。

「俺は殺さねぇ…もう殺したくねぇんだよ!」

あんな思いはもう二度としたくない。

赤く染まった手を硬く握り締め、

「許せよ」

向かってきた兄の腹に一発入れた。

人間の身体と全く同じ感触。

クローンと人間の何が違うのだ。

兄は衝撃に足を崩しかけた。

よろけたが倒れはしない。

姉の突きをかわして、隙を見て脇に入る。

姉は同じ攻撃で気を失い、ふらりと地面に横たわった。

「さすが俺の兄貴だな…大抵の奴は姉貴みたいに伸びちまうのに」

殴るだけでも罪悪感が胸中を満たす。

手を出さずに終わらせたかった。

「兄貴…目ェ覚ませよ…」

できることなら、もう一度家族として暮らしたい。

フィリシクラムにもちゃんと紹介して、

アクトとの関係も話して、

昔のことを語りながら過ごしたい。

馬鹿みたいな夢だ。それでも今最も叶えたい夢だ。

振り回されても良い。恥ずかしい話にも付き合ってやる。

もう一度笑い合いたい。

「クローンでも何でも良い!俺の事覚えてんなら、ちゃんと目ェ見て話せよ!

…このバカ兄貴がぁっ!」

こんなことでしか想いを伝えられない。

伝わるかどうかもわからない気持ちを、拳でしか表現できない。

捻くれて育ってしまった。しかし、それは誰の所為だ?

勝手に死んだそっちの所為だ。

生きて一緒にいてくれればよかった。

どんなに貧しくても、たとえ家を追い出されても、家族でいられればそれだけで十分だった。

「バカヤロー…」

倒れた二体を越えて、敵のもとへ。

これでやっと、まともに戦える。

「決着付けようぜ、ボトマージュ。

卑怯な真似したらぶん殴る」

忌々しそうな歯軋りと、怒りを見せる傷の男。

 

「中央司令部ですか?こちらは南方大佐のスクロドフスカです。

インフェリア大佐につないでいただきたいのですが…」

無線を握る手が汗ばむ。

アリストを止められず、自分一人見ているわけにもいかない。

『インフェリア大佐はただいま出ることができません。用件を伝えましょうか?』

男性の声だ。知らない者に言う訳にはいかない。

「本人じゃないと駄目なんです。個人的なことなので…」

『個人的?…失礼ですが、もう一度お名前を伺えますか?』

「南方司令部大佐、マーシャ・スクロドフスカです」

無線の向こうの人物は数秒沈黙し、それから誰かと話しているようだった。

上層部に連絡されるのはまずい。無線を切らなければ。

「あの、いらっしゃらないなら結構です。また改めますので」

『待ってください。スクロドフスカ大佐はヴィオラセント、ロストート両中佐と一緒でしたよね?

俺は何かあったときの連絡役を任されています』

「連絡役?」

『はい、俺はツキ・キルアウェート曹長です。カスケード大佐から今回のことは聞いています』

用意が良い。ここまでするとなると、カスケードに何かあったのではないかと思う。

ツキの名前はアクトからも度々聞いているので知っている。彼なら信頼できるが、しかし。

「インフェリア大佐はどうしたんですか?」

『…病院で治療を受けています。この後も連絡を取ることは難しいと思います』

「怪我されたんですか?」

『心配ありません。…ただ、治ってもすぐに新しい傷作って来るでしょうね』

向こう側でも何かが始まろうとしている。

嫌な予感がした。どうしようもなく嫌な予感が。

「キルアウェート曹長、インフェリア大佐には心配なさらないようにとだけ伝えてください」

何か大きなものを失ってしまうような気がした。

 

アスカの動きが止まり、アリストは押さえる手を緩めた。

ぐったりとした少女の眼は何もとらえてはいない。

ただその場に座り込むだけだ。

「アスカ」

その名を呼ぶ。

少女は僅かに反応を見せたが、アリストを見ようとはしない。

「アスカ、僕が…わからない、か」

わからなくても良い。

この声が届いて欲しい。

「アスカ、闘うのはもうやめよう。休んで良いんだ」

炎が見える。全てを飲み込み、奪っていった。

その火をつけたのはアリストだ。

「アスカを殺したのは僕だ。こんなことに利用されたのも僕の所為だ。

ディアさんやアクトさんとは闘っちゃいけない。恨むべきは僕なんだ」

少女の明るい笑顔を奪ってしまったのは、兄であるはずの自分。

虚ろな瞳にしてしまったのは、怯えていた自分。

「アスカ…ごめん」

自分と同じくらいの歳の妹の手を、零れた雫で濡らした。

少女は口をゆっくり開き、動かす。

細い指先が頭を撫でるのに気付き、アリストは顔を上げた。

 

ぶつかるたびに一言ずつ。

集中力が分散されるためにスピードは落ちる。

「おれは確かにテレーゼ・ヒルツの子だ」

必然的に傷は増えていく。

「だけど…父親はリヒテル・ロストートだ」

「知ってるよ、それくらい」

「じゃあテレーゼが一度死んだ人間だって事は知ってるか?」

鋭い音に風が跳ね、砂に動きを止める。

「死んだ?母さんが?ふざけるな!」

「ふざけてない。テレーゼは…母さんはおれの目の前で死んだ!」

「僕の母さんはお前の母さんじゃない。僕の母さんは生きてる!」

「そう。まず一つ、それが違う」

体勢を低くした直後に、アクト・ロストートの頭の上を冷気が通っていく。

アクト・カッサスはナイフを振り切る前に足払いをくらい、砂に倒れ込む。

「それから流れてる血が全く違う。おれはロストートの血、お前はカッサスの血。

全然違うんだ、おれ達は」

「それが何だって言うんだ!」

「お前はおれにはなれない。おれもお前にはなれない」

同じ人間ではない。どちらもコピーとは言えない。

両方ともオリジナルで、両方ともアクトなのだ。

名前が同じで姿が似てる。

しかしまったく別の人間だ。

「育った環境も違う。思うことも違う。

だから…こんな戦いは無駄なんだ」

「言ってる意味が解らない」

視線を逸らすアクト・カッサスを、アクト・ロストートは真っ直ぐに見つめる。

本当はわかってるんじゃないか。

何も教えられてこなかっただけで、今わかって混乱しているのではないか。

「おれ…お前に要らないって言われた時、そうかもなって思ったんだ。

おれは傷だらけで、汚れてて、必要無い存在なんじゃないかって」

アクト・ロストートはしゃがみ込んで、アクト・カッサスの目線と同じ高さになる。

まだ眼は合わない。

「だけど言われたんだ。二人いようが三人いようが、俺のアクトはお前なんだって。

そう言ってくれる人がいるから、おれは自分がいらないモノだって思うのをやめた。

カッサス、お前だってそうじゃないのか?」

「違う…僕は…」

「オレガノさんだって、お前の母さんだって、お前をアクトって認めてる。

それでいいんだよ。お前はアクトで、おれもアクトなんだ。

同じ人間じゃないんだから、どっちも消えなくてもいいんだ」

漸く淡い紫が重なった。

困惑の中に、確かな感情が見える。

二人ともオリジナルなんだ。

ちゃんとそれが伝わっただろうか。

「おれって人間は一人しかいない。…お前も同じだ」

伝わっているはずだ。

そういう顔をしている。

「オレガノさんと話がしたい。会わせてくれないか?」

「会ってどうする?…父さんに怪我させたら殺す」

「怪我なんかさせない。オレガノさんはおれの父さんの…リヒテルの親友だから」

目を丸くするアクト・カッサスを起こし、アクト・ロストートは笑みを見せる。

「お前も話を聞いたほうが良い。オレガノさんが話したくなくても、語らせなきゃいけない。

おれが聞いた話にはきっと重要な真実が抜けてるんだ」

アクト・カッサスに戦う気力は残っていない。

戦おうと思えば戦えるだろう。しかし、力が抜けてしまった。

何でロストートは笑えるんだ。

こんなに酷い怪我をして、相当痛いはずなのに、

どうしてこんな風に笑えるんだろう。

「敵…なのに…」

「敵にしたくないんだ。そんなこと、父さんは望まないだろうから。

勿論母さんも…」

 

殴る気なんて失せてしまう。

一発喰らわせてやるつもりだったが、できなくなってしまった。

「悪かった…私が悪かったんだ…だ、だから…助けてくれ…

兄も姉も元に戻すし、アスカももう操らない。だから…」

胸倉を掴んだ途端に、こんなに情けなく懇願されては。

口はへの字に曲がり、眼は恐怖に怯えている。

自分が今まで怒ってきた相手はこんなにも小さかったのかと、ディアは呆れてしまう。

「そこまで言わなくても殺しゃしねぇよ。兄貴と姉貴…それとアスカを元に戻せば、それで良い。

その後は大人しく監獄入ってろ」

「わかった…わかったから放してくれ…もう何もしない。元に戻すから…」

これがあのボトマージュか。

しかし、やっと終わる。

また家族と一緒に暮らせるかもしれないし、アスカももしかすると幸せになれるかもしれない。

アリストが車から降りてきたのは知っている。あのアスカとも上手くやれるはずだ。

「さっさと元に戻せ」

「そう焦らないでくれ」

ボトマージュがポケットから何かのボタンを取り出して、押した。

それで元に戻るというのだろうか。今は信用するしかない。

もしハッタリなら殴る。

「これで元に戻るはずだ。貴様の兄も姉も、アスカも…」

ボトマージュがそう言ったとき、倒れていた二人がゆっくりと体を起こし始めた。

赤味のかかった茶色の髪が揺れ、

同じ色の瞳には輝きが見える。

確かに、光を見た。

「…兄貴、…姉貴…?」

恐る恐る口にする。

これでまた襲い掛かってきたらどうすれば良いだろうか。

いや、そんな心配はない。

「ディア…?」

確かに彼等は、

「ディア、なの?」

姉ラヴィッシア・ヴィオラセントと、

「ディア、君は…」

兄アフェッカー・ヴィオラセントだ。

「ディア、どうしたんだこんなに怪我して!痛くないかい?!ディア!」

「可哀相なディア…すぐに手当てしてあげるからね!あ、でも薬も包帯もないじゃない!」

このノリがそうであることを物語っている。

「兄貴、姉貴、俺は平気だから」

「平気なわけないじゃないか!僕の可愛いディアがこんなに傷だらけで…誰がこんなことを!」

「ひどいわ!あたしのディアが血を…!」

お前等がやったんだろうが、と言いそうになるのを抑え、抱きつかれてもされるがまま。

これから毎日こうなんだろうか、と思うと、自然と笑えてくる。

「兄貴、姉貴、腹痛くねぇか?」

「お腹?…そういえばあたし少し苦しいわ」

「僕もだけど…ディアの怪我に比べたらたいしたことないよ!」

悪ぃ、それ俺なんだ。と言いかけてやめる。

また家族で暮らせる。そしたらあの脳天気な上司も愉快な部下達も紹介して、

大切な人に引きあわせて。

「あのさ、兄貴と姉貴に会わせたい奴いるんだ。会ってくれるよな?」

「あぁ、会うさ!ディアの友達ならきっといい人なんだろうな」

「そうね。楽しみだわ」

「いや、友達っつーか…恋人?」

「何だって?!ディアが…ディアがそんな…っ!」

アフェッカーはショックを隠し切れない様子だ。いや、ショックを受けすぎじゃないか。

それに対してラヴィッシアは嬉しそうだ。

「そう、恋人なの…。どんな素敵な子かしら〜…

ディアの選んだ子だからきっと良いお嫁さんになるわよね」

嬉しそうな分真実が伝えにくい。この流れで結婚できませんなんて言えない。

「駄目だ!兄さんは反対だからな!どんなに可愛くても兄さんは結婚なんて認めない!」

だから結婚できないんだって、と心の中でツッコむ。

漸く終わったんだ。

後は幸せな日々が続くに違いない。

皆で一緒に過ごせる。

 

目の前に並んだのは、そっくりな二人。

当然だ。両方母似なのだから。

「アクト…アクト君…」

「オレガノさん、お久しぶりです」

血塗れの方が、そう言った。

「アクトは怪我していないのか?」

「していません。…アクトを休ませてあげてください。疲れてるでしょうから」

息子の代わりにアクト・ロストートが答える。

二人並ぶと双子のようだ。親は違うのに。

自分の息子はまるでロストートの弟だ。

「父さん…オリジナルになるのやめるよ」

アクト・カッサスが小さな声で呟いた。

「何だって?」

「僕、ロストートになりたくないです。…僕は父さんの息子…アクト・カッサスなんです」

「それはそうだ。しかし」

「なれないんです、ロストートには。生まれてから過ごした年月が違いすぎる」

確かにアクト・カッサスは作られて間もない。テレーゼを作ってからずっと後のものだ。

「僕は何も知らない。父さんの過去も、母さんが本当はどういう人なのかも。

…ロストートの父親のことも、僕は何も聞いていない」

「それは…」

オレガノは俯く。口にするのが怖い。

認めてしまうのが怖い。

だから話さなかった。話せなかった。

話して都合のいい事もないし、このままで良いと思っていた。

しかし、妻の姿を見るたびに、息子の顔を見るたびに、

「苦しんでいたんじゃないですか?」

「…アクト君?」

「本当は辛かったんじゃないですか?

父さんはあなたの親友だったんでしょう?!」

アクト・ロストートには父のことを語るオレガノが本当に楽しそうに見えた。

妬んでいるようには見えなかった。

「親友…親友なら妬んだりしないさ。殺したりもしない。

リヒテルは親友ではない」

「そうじゃない。オレガノさんは親友じゃなければ良かったって思ってるだけです。

父さんを自殺させたのも足がつかないようにってだけじゃなく、自分で手を下したくなかったからじゃないんですか?」

「違う…僕は…」

「父さんはあなたと親友だった!」

「違う!親友ならどうして僕は苛立っていた?!どうしてテレーゼを諦めきれなかった?!」

「それはオレガノさんが人間だからです」

意外にもあっさりと答えを返される。

人間だから?

どういう意味なんだ、それは。

オレガノはアクト・ロストートを真っ直ぐに見つめる。

テレーゼ・ヒルツと同じ顔だが、その瞳の強さはリヒテル・ロストートだ。

目の前に、リヒテルがいる。

「人間だから、感情が抑えられない時だってある。

人間だから理性もあるけれど、どうしようもないことなんていくらでもある。

そのくらいオレガノさんは母さんを愛していた」

学生時代によく語り、熱心な眼に向かい合った。

あの頃のリヒテルが、ここにいる。

「苛立っても、一緒にいたんでしょう?

一緒に笑って過ごしたんでしょう?

殺せないほど父さんのこと大切だったんでしょう?」

リヒテルの言葉とオレガノの言葉をあわせて、学生時代のレポートは成り立っていた。

二人一緒にやってきた。

いつも一緒だった。

テレーゼと会ってからも、ずっと。

離れていてもいつも気にかけていた。

一緒に過ごした日々を懐かしく思っていた。

親友としての三人が壊れるのが怖かった。

「…泣いたんだ、あの日」

そうだ、思い出した。

「リヒテルとテレーゼは笑っていた。

僕は翌日にはリヒテルを殺さなければならなかったのに、リヒテルは笑いながら言うんだ。

三人一緒で良かったって」

テレーゼが幼い息子を抱きながら、頷いていた。

リヒテルが注いでくれた酒が飲めなかった。

「揺らいでいたよ。でもやらなければ僕が殺された。

自分可愛さに親友を殺したんだ。

テレーゼも死に追いやって…都合よくクローンにして、子供を作って…」

培養液の中のテレーゼは美しかったが、何かが足りなかった。

足りないと思いながら時間が過ぎ、子供を作っても不足感は残っていた。

何が足りないんだろう。

本当はわかっていた。

「テレーゼを僕の望むままに作っても、子供を作っても、そこに笑顔が足りなかったんだ。

テレーゼの笑顔は僕と子供とリヒテルに向けられるもので一つ。リヒテルがいないなら三分の二でしかない。

リヒテルがいないから、学生時代を語りたくなっても語れなかった。

忘れようとしていたけど、忘れられなかった」

楽しかった。あの頃は三人でいることが何よりも楽しかった。

今更悔やんでも、時は戻らない。

「アクト君、君を消せばあの頃の痕跡は全てなくなると思っていたんだ。

だけど僕の記憶にはあの頃が生きていて、消えないんだ」

消えるはずがない。

あの頃が自分を作ったのだから。

あの頃がなければ、自分はなかったのだから。

「オレガノさん、ありがとうございます」

「…え?」

「父さんのこと忘れないでいてくれて、ありがとうございます」

礼を言われてはいけない人間なのに、

親友の息子は親友の眼で言う。

あの日と同じ涙が流れた。

長い苦しみから、漸く救われる。

「ありがとう、アクト君。…本当にありがとう」

リヒテルが親友でよかった。

リヒテルの子に会えてよかった。

「あっちに行きませんか?そろそろ全部終わってる頃だと思います」

「…そういえば妙に静かだ。ロストート、ボトマージュさんも来てたんだよな?」

「来てた。ディアが決着つけたんじゃないかな」

「決着…本当にそうだろうか?ボトマージュは執念深い。ただでやられるとは…」

不安がよぎった。

何もなければいいのだが。

 

アスカの目には光が宿り、アリストの髪を撫でる指には優しさがあった。

大人っぽくなってはいるが、彼女はアスカ・クレイダーだ。

「アスカ…」

「お兄ちゃん、ただいま」

笑顔には面影がはっきり残っている。

「もう一度会えたね」

淡い紫の髪が揺れる。

「アスカ…本当にアスカか?」

「うん。ちょっと大きくなったけど、お兄ちゃんの妹のアスカ。

信じてくれる?」

「信じるさ…信じるよ…」

ぎゅっと抱きしめる身体は温かい。

昔小さなアスカを抱き上げたことを思い出す。

小さくても、成長しても、アスカはアスカだ。

「…お兄ちゃん、もう一度会えて、嬉しかった。

とってもとっても嬉しいよ。…でも…」

引き離される体。二人の間に風が吹く。

アスカの目が、潤んでいた。

「でもね、私ここにいちゃいけないの。

私はもう死んじゃってるし、この身体は作り物だから」

「アスカ…何言って…」

「お兄ちゃんとちゃんと話せたって事は、私がもう一回眠らなきゃいけないって事なの。

スイッチが押されたって事だから…」

「スイッチ?」

アスカはすっと立ち上がり、アリストを見下ろした。

深呼吸して、にっこり笑って、

「お兄ちゃんが一番好き。一番好きだから、生きて欲しいの。

絶対だよ、約束」

そう言って、雫を散らして走り出した。

誰もいないほうへ、人間のものではない速さで、

遠くへ行ってしまう。

「アスカ…アスカっ!行くな、アスカ!」

もう二度と会えない。

アスカは今度こそ遠くへ行ってしまう。

また守れないのか?

また何もできないのか?

「アスカぁぁぁぁっ!!!」

走り出したが、間に合わなかった。

笑顔だけが、頭に残る。

 

そのとき走った閃光を、

そのとき響いた爆音を、

その場にいた誰もが感じていて、

誰もが訪れる結末を知った。

 

「…何かしら、今の…」

明らかにあれは爆発だった。

一体何がどうなったのか、マーシャには解らない。

とっさに無線を手にして、ツキに繋いだ。

「キルアウェート曹長ですか?…今、何かが爆発して…」

『何かって…無事なんですか?!』

「わかりません。無事だと良いんだけど…」

心配だが、ここから離れられない。

待っていなければならない。

 

オレガノにはすぐにわかった。

あの爆弾はボトマージュが作って、

クローンに埋め込んだものだ。

起爆スイッチで全て作動するようになっているはずだ。

「ボトマージュ…とうとうやってしまったか…」

「オレガノさん、あれは…」

「クローンの体内に爆弾が仕込まれていて、スイッチを押すと時間差で爆発する。

ボトマージュはクローンを道具としか思っていない」

「…ディアは?!ディアは無事なんですか?!」

「それを今から確かめに行くんだ。ロストート、急ごう」

ディアは無事だろうか。

アリストは巻き込まれてはいないだろうか。

後者だと、爆発したのは――

 

ディアはその光景を呆然と見ていた。

膝をつくアリストが見えた。

アスカの姿は、どこにもない。

「…何なんだよ…今の…」

アフェッカーとラヴィッシアの表情にも変化が現れた。

何かを思い出して、しかもそれがとても辛いことであるような。

「バカめ…これだから人の情というのはくだらない」

低い声が愉快そうに響いた。

笑うボトマージュに、ディアは素早く掴みかかる。

「お前何をした!アスカは…アスカはどうなった!」

必死の形相のディアに、ボトマージュは高笑いする。

さも可笑しいというように、狂ったように笑い続ける。

「見ただろう、今の光景を!…あの忌々しい小僧は生かしてしまったがな。

貴様もアスカのようになる!あのように人生を終えるなんて、素晴らしいと思わないかね!」

まさかさっきのスイッチは、クローンを正気に戻すためではなく、

まさか…

「起爆…スイッチか…?」

「今更気付いたか!私が作ったクローンにはすべて爆弾を仕掛けてある!」

高笑いの中、考えが巡る。

まさか、アフェッカーやラヴィッシアも。

「どうせ捨て駒だ。不要なものは排除するに限る!」

捨て駒だと?

死んだ後も苦しみを与え、傷つけ傷付き、不要だから排除、だと?

完全にぶちキレた。

固く結んだ拳を振り上げ、

思い切り振り下ろした。

「無理矢理戦わせて、要らなくなったら捨てて、お前は命を何だと思ってやがる!」

散々利用しておいて、結局捨て駒だと言い捨てる。

そんなことが赦される筈がない。

「…命だと?」

折れた歯を吐き捨て、口から血が溢れたままボトマージュは笑う。

「クローンに命などあるのか?奴等は初めから捨て駒だ。

クローンを生き物とする方がおかしいのだ」

「生きてんだろうが!アスカだって、兄貴だって姉貴だって、生きてんだろうが!

お前が生かしたんだろ?!おかしいだろ!」

「クローンは捨て駒だ。死んで当然、それが役目だ。

安心しろ、ヴィオラセント。貴様の兄と姉は最期の別れができるよう、リミットを長くしてある」

「……っクショウ…」

せっかく終わったと思ったのに。

せっかく一緒に生きられると思ったのに。

こんな終わり方はあんまりだ。

「兄貴…姉貴…」

何も言わずに俯く二人。

何とかならないのか。

助けることはできないのか。

「ディア!」

息を切らしながらの声が聞こえる。

「アクト…」

「お兄さんもお姉さんも…ってことは今の、アスカちゃん?」

「そうらしい。」

覇気がない。

このまま行けばディアは兄も姉も失うのだ。

かける言葉がない。

「ボトマージュ!どうして実行したのですか!」

叫んだ初老の男性と、その後ろにその子。

ボトマージュは彼等を見てまた笑い出した。

「カッサス…息子もいるか。

これはいい舞台だ。全員消えろ」

「どうしてかと訊いている!」

「そう興奮するな、カッサス。

…貴様の妻はもう黙ってるぞ」

「何だって…?!」

オレガノの表情に、ボトマージュの機嫌は最高潮を迎える。

アクト・カッサスが震え、まさか、と声なしに呟く。

「貴様の妻は私の作った雑魚どもに殺されているはずだ。

クローンなんぞ妻にするからこういうことになる」

「そんな…よくも…よくも母さんを!」

アクト・カッサスがボトマージュに殴りかかろうとし、

乾いた音に、動きを止めた。

「懐には拳銃を忍ばせておくものだ。」

ボトマージュがニヤリと笑うと、細身の身体が崩れた。

「アクト!」

オレガノが息子を抱きかかえ、

アクト・ロストートが駆け寄って叫ぶ。

「カッサス、駄目だ!死んじゃ…」

「…ロストート、やめよう、この呼び方」

「何言って…」

「だって…二人いようが…三人いようが…アクトはアクト、だろ?

さっき、君は僕を…そう呼んだし」

この期に及んで何を言い出すのか。

でも、それが望みなら。

「…アクト」

同じ名前の君を、

「ありがとう…呼んで、くれ…て」

君の名前で、呼ぼう。

「また…会お…う…アクト…」

また一人、消えてしまった。

「さぁ…そろそろタイムリミットだ。

アフェッカー、ラヴィッシア、行け」

ボトマージュの声にアフェッカーとラヴィッシアはゆらりと立ち上がる。

短剣を握り締め、ディアたちに向かう。

「兄貴、姉貴、どうしたんだよ!

アクト、おっさん連れて逃げろ!途中でアリスト拾ってけ!」

「ディアは?!」

「すぐ行く!」

信じるしかない。アクトは頷くと、オレガノを立たせようと語りかけた。

「オレガノさん、行こう」

「…あぁ」

息子の遺体を地面に置き、髪に触れてから立ち上がる。

置いて行くつもりらしい。

「…良いんですか?」

「また作ろうとしてしまうから。…だから、ここから妻の元へ送ってやるんだ」

「でも」

「頼む…このままにしておいてくれ」

このまま野ざらしなんて、とも思う。

だけど、オレガノのことを思うならその方が良いのだろう。

別れを告げて走り出す。

再び会おう。もっと別の形で。

ディアはアフェッカーに押され、ラヴィッシアをかわし、段々とボトマージュから遠ざけられた。

ボトマージュを巻き込まないようにしているのか。

「兄貴!姉貴!」

おかしい。さっきと動きがまるで違う。

本当に遠ざけるだけのようだ。

ある程度離れたところで、二人は攻撃を止めた。

「…何だよ」

眼は正気だった。

しかし、寂しそうに光っている。

「ディア、あなたの恋人に会えないわね。

会いたかったのに残念だわ」

ラヴィッシアが溜息をつく。

「姉貴…いや、実はもう会ってんだ。あの…金髪の、撃たれなかった方」

「そうか、あれがディアの…美人だな。でも兄さんは認めるつもりはなかったぞ」

アフェッカーは笑うが、本当の笑顔ではない。

「ディア、本当は君と一緒に暮らしたかった」

「俺も…そう思ってた」

「でもできなくなっちゃったわね」

「そんなことねぇよ!」

そんなことなければ良かったのに。

「ディア、君には支えてくれるたくさんの人がいる。だから独りじゃない。

僕達がいなくても、君はここまで立派に成長した」

「だからもう良いわね?ディアはディアの道を、しっかりと生きて」

「んだよそれ…何言ってんだかわかんねぇよ!」

もしかして、二人は――

「じゃあね」

 

何故戻ってきた!もう時間だというのに!

時間だから戻ってきたんです。

ミジェア様、いきましょうか。

私は死にたくない!この世界を手中に…

 

閃光は眼に焼き付き、風にあおられる。

辺りは昼間のように明るくなった。

音など聞こえただろうか。

スローモーションの無声映画のようだった。

 

寝付けるわけがない。

夜中だというのに、ずっと起きていた。

アリストの家の明かりは消えることがない。

負った怪我は手当てをし、それ以外には軽く食事をとる程度。

ときおり誰かがポツリと言葉を発す。

「また…アスカに命を貰ってしまいました」

アリストはそう言った。

「だからその分この村の復興に力を尽くそうと思っています。

アスカが大好きだった村を、甦らせたいんです」

オレガノもここに残ることになった。

アリストの手伝いをするという。

「もうどこにもいけないからね。息子も妻もいないから」

本当は罰を受けるつもりだったが、今回のことが露見しないようにこのような処置となった。

マーシャはアリストと徐々に信頼関係を築き、村の復興に協力したいと再度申し出た。

「二人だけじゃ進まないわよ。…私じゃ、駄目かしら?」

「では不都合が出た場合に宜しくお願いします」

そして、二人は。

「兄貴がお前のこと美人だってさ」

「…女だと思われてたかな」

「かもな」

南の空に星が輝く。

外にいてもそれほど寒くはない。

「…あのよ」

「何」

「過去は変えられねぇんだよな」

「…うん」

過去には戻れない。

過去は変えられない。

失ったものは取り戻せない。

わかっている。

「何が何でも…か。できなかったな、また」

失ってばかりで、何を得たのだろう。

これで本当に良かったんだろうか。

「後味は悪いけど…終わったんだよな」

「あぁ。いろんなもん犠牲にして、やっと終わったんだ」

これで本当に救われたのだろうか。

「おれ女なら良かったな」

「は?」

「女だったら子供産めたじゃん」

「なんだよ急に」

アクトの突然の発言にディアは戸惑う。

今まで散々女に見られるのが嫌だと言っていたくせに、急に女なら良かったなんて。

何かの前触れかと思ったが、

「おれが女なら、お前との間に四人くらい…かな」

「そんなにか?」

「絶対生まれ変わりだと思うんだ。だから四人」

どうやら終わった後だからこその考えらしい。

「じゃあ一番上は男か?名前アフェッカーって付けんのかよ。呼びにく…」

「二番目が女の子、ラヴィッシア」

「三番目は…男か?女か?つーかアクトって紛らわしくねぇ?」

「それはそうだよな。で末っ子がアスカ」

もしも、だ。実際産めるわけがないのだから、こんな話はしてもしょうがない。

しょうがないのだが、つい考えてしまう。

「…街歩いてたら会うんじゃねぇ?生まれ変わりくらいさ」

「会えると良いな。…会いたい」

ありもしない未来と、あるのかどうかもわからない未来。

そして、

「アクトさん、ディアさん、中入りませんか?」

「んだよアリスト、邪魔すんなよ」

「邪魔したつもりはありません。アクトさん、村復興計画書いたんですけど見てくれますか?」

「見る」

必ず実現させようとしている未来。

過去は変えられない。だから、未来に希望を。

「生きるぜ、俺」

「ん?」

「生きろって言われたんだ。死んでたまるかよ」

「…おれも生きる。アクトの分も生きる」

「紛らわしいな」

悲劇の後に空が輝く。

当分酒は飲めないだろう。

酔わなくても涙は流れていくのだから。

 

南十字が輝いていた。

己の信じるもののために行けと。

この世界に生まれ、ここにいる限り、

強く生きろと星は言う。

 

耳元で囁くものがある。

いつまでも悲しみに暮れている場合ではない。

 

 

To be continued…