忘れられないことがある。
忘れろといわれても、これだけはと思うことがある。
それが大切なことだから、忘れることなんてできない。
想いを抱えて、終わらない道を歩く。
「この馬鹿大佐!」
病院に来たツキにカスケードが最初に言われた言葉はこれだった。
「何だよいきなり…」
「人に散々心配かけて、また怪我して帰ってきて、こんなのどうやって隠蔽工作しろって言うんだ…」
ツキの言うとおり、今回の一連の事件は隠蔽しなければならないのだ。
個人的なことで動き回った挙句大事に発展し、一人敵側についていたなんてことがバレたら確実にクビだ。
「悪いな…本当に、ごめん」
「仕方ないのはわかる。でもメリテェアの苦労も考えろよ」
メリテェアは今回のできごとを全て事故として処理している。
何をどうすればそんな処理になるのかはわからないが、すんなり通ったようだ。
「多分大総統閣下辺りは何があったか読んでるな。でなきゃこんな事にはならない」
「アルは?」
「アルベルト少佐?…あぁ、手術中だからまだわからない」
右手を切り落とした状態で何分も放置され、移動までしていた。
助かる見込みは低いという。
「何もばれてないみたいだから軍側の処置は特にないけど、現場仕事は無理になるだろうな。
落ち着いたら俺と同じ事務職につくことになると思う」
「そうか…」
犠牲が大きすぎる。
カスケードが知る限りでも、二人。
アルベルトと、……
「ツキ」
「ん?」
「ニアさ…結局助けられなかった」
「…そうか」
一生忘れない。
あの時見た笑顔は、とても綺麗だったから。
忘れられるはずがない。
「また一緒に生きたかったんだ…一緒に…」
左耳が悲しく光る。
声を殺して雫を落とすカスケードの背に、ツキはそっと触れる。
今のうちに泣いておけ。
そしたらまた笑えるようになる。
手術中のランプはなかなか消えない。
一分でさえ遠く感じる。
斬った瞬間が忘れられず、思わず顔をしかめた。
「ブラック君」
「…リア」
「コーヒー持ってきたの。飲む?」
ちゃんと無糖よ、と少し笑って、リアはブラックの隣に腰掛けた。
「さっきまで西に行ってたの。処理とか報告とかグレンさん達に任せてきちゃった」
「西?」
「うん。アクトさんの産まれた家に行って、それからオレガノさんって人の家に行ってきたの」
「…無事なのか?アクトと…あの傷」
「怪我はしてるみたいだけど、大丈夫だって。…たくさん人が死んじゃったけど」
「そうか」
どこも必ず犠牲は出ている。
犠牲なしに終わらせる方法はなかったのだろうか。
どうしたら誰も傷付かずにいられるのだろう。
「…リーガル少佐、これから大変だね」
「そうだな…不便だよな」
「違うわよ。リハビリよリハビリ。指動かせるようになるまでも結構大変なんだから」
まだ手術中で上手くいくかどうかもわからないのに、もう元に戻ると決め付けている。
いや、信じているのだ。
「確かに不便だけど、リーガル少佐は大丈夫よ」
「…そう、か」
どうして自分が嬉しくなるのだろう。
リアが言っているのはアルベルトの事であって、ブラックのことではない。
なのに、嬉しかった。
「リア」
「何?」
「…なんだ、その、…なんというか…」
「?」
言い馴れない言葉を言うのはなんだか恥ずかしくて、もどかしくて。
言葉にするまでに時間がかかる。
「その…」
「ブラック!お前グレンさんだけじゃなくリアさんにも手出してるのか?!」
言葉にならない言葉だが、遮られるとムカツク。
しかも遮ったのがカイであるなら、なおさら。
「いつオレがこの女に手ぇ出したんだよ、このバカイ」
「うるさい、まっくろくろすけ。…グレンさん連れてこなくて良かったよ」
「グレンは?」
「メリーの手伝い」
「で、お前は暇人か」
「これが仕事なんだよ。よりによってブラックの様子見て来いなんて、グレンさんってば酷い…」
「あぁ、オレもお前に見られたくなんかねーよ」
「なんだよ人がせっかく来てやったのに」
「もう、二人とも!…全く、顔を合わせるとこうなんだから」
やっと日常に戻ってきたような感じがする。
あの非日常的な世界から、漸く解放されようとしている。
長い戦いが、漸く終わろうとしている。
赤いランプはまだ消えないが。
「ありがとうございます、グレンさん。クレインさんもクライスさんもお疲れ様です」
メリテェアの入れてくれた紅茶が妙に美味しかった。
空が白みかけているのが窓から見えた所為かもしれない。
「結局一晩中起きてたんだな…」
欠伸をしながらグレンが呟く。
「オレなんかクマできてるよクマ!」
「でも元気そうじゃない、バカ兄」
「……クレイン、もうちょっと兄をいたわろうぜ」
「眠くなってきたわ」
「………」
ベルドルード兄妹の漫才も心なしかスローペースだ。
「これで終わるといいのですけれど…」
「終わるさ。アルベルトさんの手術が終われば一段落…」
無線の信号音が鳴り始めたので、グレンは言葉を切って応じる。
発信元はこちらへ移動しているようだ。
「はい、エルニーニャ王国軍中央司令部です」
『南方のスクロドフスカです。…キルアウェート曹長は…?』
聞いたことのある名前だ。ツキの名前を知っているということはさっきまで連絡をとっていたのだろう。
「今キルアウェートは出られません。リルリア准将に代わりましょうか」
『お願いします』
人物名をメリテェアに伝えると、急いで丁寧に受話器を受け取った。
「スクロドフスカ大佐、両中佐は…」
メリテェアの言葉で、グレンはやっと思い出した。
前にアクトが言っていた。従姉が南方で大佐をやっているのだと。
「…えぇ、こちらもなんとか。…はい。…はい、了解しましたわ」
メリテェアは丁寧に受話器を置き、微笑んだ。
「ディアさんとアクトさん、あと一時間ほどで戻られるそうですわ」
「そうか。…本当に終わったんだな」
「…そうだといいのですけれど」
メリテェアにはまだ不安が残っているようだった。
それが何に対するものなのかはよくわからないが、まだ何かあるような気がしてならなかった。
レジーナ目指して車は走る。
ショックの抜けきれていない状態での運転は危険だと思い、マーシャが安全運転でディアとアクトを送り届ける。
「マーシャ」
「なぁに?」
「遅い」
「これを期にスピード狂から脱却しなさい」
あくまでも安全運転。
疲れながらも退屈そうな後部座席がミラーに映る。
「…そういえば、アルベルト・リーガルって中央にいるのよね?」
退屈を紛らわせるために、知り合いの名前を出してみる。
案の定、その反応は大きい。
「アルベルト?」
「中央で少佐やってるぜ」
「三月まで西にいたのよ。その時私も西にいたから知ってるの。
話したことはあまりないけど、有名だったわよ、彼」
「有名?」
漸く街並みが見えてくる。
ここまでくれば後三十分ほどでつくだろう。
「そう、彼には二つ名があってね。
“不死身のリーガル”って」
「すっげぇ名前。あのアルベルトがか?」
「えぇ。…まぁ世間一般のニュアンスとはちょっと違うけどね」
「違うって?」
信号に従って車を停止させる。
マーシャは後部座席に目を向け、微笑む。
「彼が不死身なんじゃなくて、事件に関わった人がね。
彼に任せると連続殺人もそこで止むの。
それ以上の犠牲が出ないのよ」
西にいたときはそんなにすごい奴だったのか。
ラインザー事件の時の執念を思い出して、少し頷けた。
あの事件は犠牲者が出続けたが、あれだけだったらしい。
車が再び発進し、話が止む。
「アルベルト、無事かな…」
アクトの呟きは、中央の冷気に溶けた。
ランプが消えた。
心臓が大きく波打つ。
開く扉と、医師の表情。
「どうしてあんな正確に…」
向こうで誰かの声が聞こえた。
「…無事なのか?」
ブラックの声は、自然と震える。
担当した医師が以前カスケードの手術に当たった者だったので少し不安だった。
しかし、医師は言う。
「そうでなければ笑えません」
確かな微笑で。
「…本当に?」
「本当に。現場任務は無理ですが、事務ならこなせるくらいになりますよ」
「本当に、本当なんだな?!嘘つくんじゃねーぞ!」
「嘘ついてどうするんです。あとは本人にかかってますよ。
それにしても一体何で切ったんだか。神経にも余計な損傷がなかったし…」
あの時の判断は間違っていたかもしれない。
しかし、助かったのなら。
「良かったね、ブラック君。私カスケードさんに知らせてくる」
リアが早足で去ったあと、カイがぼそりと呟く。
「良かったな」
それから何もなかったようにリアの後を追った。
二人が遠ざかるのを見ながら、ふと思う。
後姿になら言えるかもしれない。
ゆっくり口を開いて、聞こえないような小さな声で。
「…ありがとう」
言ってから、カイには言ってないからな!と心の中で言い訳した。
コンコン、と軽い音が響く。
ゆっくり扉が開くと、長い金髪が見えた。
「ご苦労様です、ツキさん」
「リアさん」
「ツキさん、カスケードさんは?」
「カイも来てたのか。カスケード今漸く寝たとこだからそっとしといてやってくれるか?」
「…今?」
そっと近付くと、少し長いダークブルーが広がっているのが見えた。
今までずっと眠れなかったのだろうか。
ふと左耳に目をやると、銀色が光っていた。
それが何を意味するのか、リアにはなんとなく分かった。
「辛いんですね、カスケードさん」
「さっきまで寝ては起きての繰り返しだったんだ。
夢見たんだろうな…多分」
何が起こっていたのかはわからない。
しかし、また失ってしまったことに対する苦しみはそう簡単には晴れないことは知っている。
「…ツキさん、アルベルトさんの手術成功したそうですよ。
カスケードさんが起きたら伝えといてください」
「わかった」
極力音を立てずに部屋から出て、閉じたドアの向こうを見る。
「リアさん、カスケードさん起きて…」
カイが言いかけたのを、リアが首を横に振って制止する。
「寝てたことにしておこう。カスケードさんだって疲れてるのよ」
静かにその場を離れ、報告のために司令部へ戻る。
もしかするとディアたちも帰ってきているかもしれない。
怪我をしているらしいから手当てが必要だろう。
「アル…無事なのか」
ゆっくり目を開けて、ツキに確かめる。
肯定が返ってくると、少し笑みが戻った。
「そっか…良かった」
ニアだけではなくアルベルトまで失っていたら、本当に立ち直れなかっただろう。
ツキは色々な意味で安心していた。
「さて、俺もそろそろ戻らなきゃな。
カスケード、そこにオレンジ置いといたから適当に食べとけよ」
「サンキュ」
病室を去るツキの姿を見ながら、オレンジに手を伸ばす。
味はわからなかったが、喉の渇きは癒えた。
「あ、アクトさんお帰りなさーいっ!」
到着するとハルが腕をぶんぶん振りながら迎えてくれた。
その後ろでアーレイドが軽く片手を挙げている。
「ただいま、ハル」
アクトがハルの頭を撫でてやると、嬉しそうに笑った。
「俺には何もねぇのかよ」
「ディアさんもついでにお帰りなさい」
「ついでかよ!」
「アーレイドぉ、ディアさん怖いよー」
「オレのハル虐めないでくれますか?」
「虐めてねぇよ」
張っていた糸が漸く緩む。
日常生活に戻ってきた。
「あ、カスケードさんは病院にいます。アルベルトさんもさっき手術終わったそうです」
「手術?!」
思い出したようにアーレイドが言うと、ディアとアクトは同時に叫んだ。
カスケードが怪我していることはマーシャから聞いたが、アルベルトのことなど一言も聞いていない。
「…そうか、夜中でしたからね。アルベルトさん大怪我して帰ってきたんです」
「大怪我って…酷いのか?」
「俺はよくわかりませんけど、一応手術は成功したみたいです」
怪我はしているが、生きて帰ってきた。
それが確認できただけでも、まだ良い。
「病院誰かいるか?」
「ブラックさんがいるみたいです」
「わかった」
戻ってきてすぐなので疲れているはずなのに、ディアとアクトは真っ直ぐ病院へ走った。
怪我もしているとか聞いていたはずだが、そんなそぶりは全く見せない。
「全く、あの子達は…」
何時の間にか、呆れたように、しかし嬉しそうに呟く女性がいた。
「お姉さん、誰ですか?」
ハルが尋ねると、彼女はにっこり笑った。
「アクトの姉です。…これで帰りますから、インフェリア大佐に宜しくね」
停めてあった車に乗り込んで走り去る彼女を確認し、アーレイドとハルは屋内に戻った。
「アーレイド、あとでカスケードさんのとこ行こうね」
「あぁ」
今は残った仕事を片付けよう。
似合わないな、というのが最初の感想。
「歩いた方が良いと思ったんだけど…」
「だからって松葉杖使ってまでうろうろしなくても良いだろ。
カスケードさんはもっと安静にしてるべき」
病院に着いてカスケードの病室を尋ねようとした所で本人が来た。
ディアは吹き出し、アクトはかなり呆れていた。
「一人でいると暇でさ」
「待ってれば行ったのに。看護師さんから聞いたけど、体中撃たれたんだって?」
「自分でもよく動けたなって思う。無我夢中だったんだよな、あの時は…」
そう言いながら笑っているカスケードの横顔は、どこか寂しそうだった。
左耳に輝くものの所為かもしれない。
ニアに会って、結局どうなったのか。
経緯はわからなくても、結末は読み取れた。
「カスケード、松葉杖部屋におけよ」
「それ部屋にいろって事か?不良は俺を監禁するつもりなのか…」
「誰がお前なんか好き好んで監禁するかよ」
しかし、いつものように振舞おうとすることができるならばまだ良い。
本当に何もできないほど落ち込んでいるよりは、まだ良いケースを想像できるから。
たとえそれが別れであっても。
「部屋にツキが置いてったオレンジあるんだ。アクトは食っていいけど不良は駄目だからな」
「喧嘩売るなら買うぞコラ」
「ディア、怪我人にそういうこと言わない」
「俺だって一応怪我人だっつーの…」
病室までゆっくり歩く。
何度も互いの存在を確かめながら。
生きて再会できてよかった。
病室に入ると、一人しかいなかったはずの部屋にもう一つベッドが追加されていた。
そして見慣れた人影が。
「ブラック…」
「どこ行ってたんだよ怪我人が。
…帰って来たのか、アクト」
「あぁ、さっき」
「ブラック、俺を無視すんなよ」
「あ、いたんだ」
「このクソガキ…」
このやり取りを見て、ベッドの上の人物が笑う。
ディアとアクトにとっては、実に久しぶりの再会だ。
「アルベルト、お帰り」
「やっと帰ってきたか」
「はい…ディア君とアクト君も、お帰りなさい」
穏やかな笑顔。
黒髪が揺れ、ライトグリーンが澄んだ輝きを見せた。
「アル、医者の説明受けたか?」
「大佐こそ」
「俺は大丈夫。…で、何て?」
カスケードの言葉に頷き、アルベルトは布団から右手を出す。
包帯が巻かれ、痛々しい。
手首の少し上辺りから指先までしっかり隠れていて、当分は動かせない。
「怪我って…手?」
アクトが心配そうな表情をしたので、アルベルトは慌てて返す。
「あ、大したことないんです。死ぬよりずっとマシですから」
「そりゃそうだけど…」
「何でそんな怪我したんだよ?包帯の所為でどうなってんのか全然わからねぇけど…」
ディアがそう言った途端に、アルベルトは俯いてしまった。
ブラックの表情も、暗くなる。
「…マズかったか?悪ぃ、今のなかったことに」
「オレが斬った」
狼狽するディアの言葉を遮って、低い声が言う。
「…え?」
思わず訊き返した。
そんなはずはない。彼にできるはずはないのだ。
「ブラック、お前何言って」
「オレが斬ったんだよ。こいつの腕斬り落としたんだ」
アルベルトも、否定しない。
その代わり、静かに語り始めた。
「斬ってもらったんです。こうでもしないと僕は死んでました。
僕は爆弾につながれていて、装置を壊せば軍が全滅、そのままだと僕が死んでしまうっていう状況にあったんです。
どちらも無事でいられる方法が、これしかなかったんです」
ニアの言っていた「罰」とはこれか。
カスケードには状況が想像できた。
ディアとアクトもなんとなくわかったようだったので、アルベルトは続けた。
「ブラックはすごく苦しかったんです。僕のために、すごく痛い思いをしてたんです。
僕の痛みに比べたら、ブラックの方がずっと…」
「勝手なこと言ってんじゃねーよ」
震える声が遮った。
「お前の痛みと比べるな。お前の方が何日も何日も苦しんできたんだろうが。
オレはたった数十分だった。お前の方がずっと、ずっと…」
言葉が途切れる。
続けられずにいると、温かい重さを頭に感じた。
「もう良い。…もう何も言わなくて良い」
カスケードがそっとブラックを撫でる。
「辛いこと無理して思い出さなくて良いから。
そんなことしなくても、十分苦しんでるんだから。
アルは助かったんだ。それで良いだろ」
救われるべきではないのに、また救われた。
どうして生かされるんだろう。
泣きそうになるのを堪え、ブラックはカスケードの手から逃れる。
「重いんだよ、手。人を子ども扱いしやがって…」
「じゃあ抱きしめてやるか?」
「何でそうなるんだよバカスケード!」
「もう…ブラックやめなよ。大佐もあまりブラックをいじめないで下さい」
「いじめじゃないぞ、アル。これはスキンシップだ」
「じゃ俺もスキンシップっつーことで」
「っ何す…このセクハラサディストがっ!」
「いってーな、何すんだよアクト…」
「不良は駄目だな。セクハラ大魔王だもんな」
「うるせぇんだよ青一色のくせして!」
このあと看護師から「静粛に」とお叱りを受けたことは言うまでもなく。
苦しんで、苦しみぬいて、
悲しくて、辛くて、
出会いがあって、別れがあって、
始まりがあって、終わりがあった。
漸く全てが過去になった。
慌しくも落ち着いた司令部では、クリスマスの予定なんかを話す声がよく聞こえる。
あと一週間あるというのに、特に女の子達はその話題で持ちきりだ。
「カスケード大佐はクリスマスに何か予定ありますか?」
刑務所職員モンテスキューの姪であるシィレーネ・モンテスキュー伍長が話し掛けてくる。
「クリスマスか…なんかアクトが集まらないかとか言ってたけど、シィちゃんもくるか?」
「良いんですか?シェリーさんも一緒ですよ?」
シェリーさんというのはシェリア・ライクアート准尉のことで、シィレーネの友人だ。
「良いんだよ。たくさんいたほうが楽しいだろ?」
「やったぁ!じゃあ私たちのこと、アクト中佐に言っといてくださいね」
「了解」
そうか、もうそんな時期なんだな、としみじみ思う。
親友と二人で過ごしたクリスマスを思い出した。
今ここにニアがいれば、あの頃のように一緒に雪だるまを作ったりしただろうか。
…いや、考えても仕方のない事だ。
彼はここにいないが、ずっと傍にいると言ってくれたのだから。
「カスケード、頼みあるんだけどよ」
ディアの声で我に返る。
溜息をつきながら振り向き、おなじみの台詞。
「なんだよ不良」
「不良って言うなっつってんだろ。
ちょっとアクトと外出てきてぇんだ」
「外?…あぁ、そうか…今日誕生日か。一時間で戻って来いよ」
「わかってるって、それくらい」
アクトの誕生日に上着を買ってやるんだとか言っていたっけ。
確かに早くしないと店は閉まるだろう。
微笑ましく思っていると、向こう側からも声が聞こえてくる。
「一時間で戻ってくる。その分後で取り戻す。だから頼む」
ブラックだ。珍しいことに人に頭を下げてまで頼んでいる。
頼まれているクリスも困惑しているようだ。
「わかりましたから、頭を上げてください。
あなたがブラコンなのはよくわかってますから」
「ブラコンじゃねー!」
あ、いつものブラックだ。
そう思うとつい吹き出してしまう。
これからもたまにブラックをクリスの下で働かせてみようかなどと、いたずら心も湧いてくる。
「…とにかく、一時間で戻るから許可出してくれ」
「はいはい」
許可を得たブラックはすぐに事務室を出て行った。
アルベルトはまだ病院にいる。
片手しか使えないのでブラックも心配なのだろう。
責任も感じているはずだ。
「ブラック君ってあんな人でしたっけ?」
こちらの視線に気付いたのか、クリスがすぐそこに来ていた。
「まぁ…人に頭下げるようなタイプではなかったかもな」
アルベルトのことは前から大切に思っていたんじゃないかと思う。
なんだかんだ言って、あの二人はやはり兄弟だ。
「クリス、あいつの分の仕事も頼む」
「わかりました」
「ついでに俺の分も頼む」
「いいかげんにしてくださいね、大佐」
机の上には何時の間にか書類が積まれていた。
よく見るとさっきの倍になっているような気もする。
「…不良め…後でアクトにグリンピースでも用意してもらうか…」
クリスマス前の街は賑やかで、親子連れも多い。
父と母と子供の三人で仲良く歩いている姿を見ると、アクトはそこで立ち止まる。
「…アクト」
「ん、何でもない。大丈夫」
「まだ俺何も言ってねぇよ。…気になるのか?」
「大丈夫だって」
オレガノから届いた写真は、寮の部屋にある。
しかしアクトの机に入れられているだけで、飾ってあることはない。
「ディア、これ。これが良い」
「これか?…うわ、こっちで着るには暑そうだな…」
「向こうでは?」
「ちょうどいいくらいじゃねぇか?寒かったらマフラーでも巻いてりゃ良いだろ」
誕生日には上着を。
フィリシクラムから「正月休にノーザリアへ遊びに来い」という手紙を受け取った時から、ずっと約束していた。
やっと全てが一段落して、こうして約束を果たせる。
ゆっくり誕生日を祝えないかもしれないとも思ったが、その心配はなくなった。
「一万八千エアーになります」
「高っ!」
「二万入ってるんだから足りるだろ」
「残り二千エアーじゃ酒買って終わりじゃねぇか。タバコ買おうと思ってたんだけど…」
「この機会に禁煙しろ。…はい二万」
「二千エアーのお返しになります」
「うわホントに買いやがった…」
「買ってくれるって言ったのそっちだろ」
この日常が心地良い。
一緒に笑える日々が愛しい。
「アクト」
「何」
「誕生日おめでとさん。…生まれてきてくれて、ありがとな」
生きているから感じられる、この温かさ。
父と母を始め、たくさんの人がくれた命。
「おれも…ありがとう、ディア」
自分から手放すことは、絶対にない。
生まれてきて、生きてきて、良かったと思える。
出会えてよかったと思える。
たとえ、失っても。
「…兄弟だな、あれ」
ディアがふと公園を見ると、笑いながら駆け回っている子供が三人いた。
兄らしき子、姉らしき子、そして、弟らしい小さな子。
兄と姉は弟を本当に可愛がっているらしく、弟が転ぶと大怪我でもしたかのように慌てた。
「兄貴と姉貴がそのまんま小さくなってるみてぇだな」
「ああいう人だったの?」
「あぁ。過保護で、俺が転んだりするとああやって騒いで…」
最期まで弟を守ろうとしていた。
最期まで笑っていた。
本当は、二人の結末なんてまだ見たくなかった。
「…ディア?」
アクトが顔を覗き込んでくる。
さっきアクトも幸せそうな家族を見て足を止めていた。
同じような状況なんじゃないかと心配しているのだ。
――心配されるほどじゃねぇよ。
そのまま肩を掴み、口付けた。
「……っ!何をいきなり…」
顔を赤くして慌てて離れるのが面白い。
「人の顔を覗き込むとこうなるんだよ。わかったか」
「こんな道の真ん中で…ってあの子達見てるし!」
よほど恥ずかしかったのか、普段普通にしてることなのにこのときばかりは走って逃げ出す。
「待てよ!ったく、キスくらいなんだってんだ」
歩いて後を追おうとして、子供をちらりと見た。
弟を目隠ししている兄を見て、少し笑えた。
「…将来はあいつも図々しくなるかな」
自分で言っておいて、それはないか、と思った。
病院に通うのも慣れてしまった。
本当は慣れたくなんかないが、自分の所為なのだから仕方がない。
カスケードが退院してからは個室になっている病室へ急ぐ。
「起きてるか、馬鹿」
ノックも何もせずに入る。
声をかけられた方は気にしておらず、寧ろそれはブラックが来たという合図になっている。
「馬鹿って言わないでよ…」
アルベルトは苦笑しながら、左手を軽く振った。
「右は?」
「経過良好だってさ。予定より早く治りそう」
まだ包帯に包まれている兄の右手を、ブラックは凝視する。
斬り落としたのにまたくっつくとは。
「この国の医療ってすげー…」
「ブラックが上手くやってくれなかったらくっつかなかったよ。
お医者さんだって言ってたじゃない、奇跡だって」
アルベルトはにっこりと笑う。
「ブラックは奇跡を起こせるんだよ」
「奇跡かよ」
「僕から見たら素晴らしい実力だけど」
「…人の腕斬り落として、実力も何もねーと思う」
褒められてるんだか、そうじゃないんだか。
褒められているとしても嫌な褒められ方だ。
未だにこれで良かったのかと思う。
もっと別の方法も探せばあったんじゃないかと考え続けている。
いつも、今更何を、と思いやめるのだ。
「ブラック、クリスマス何欲しい?」
「は?」
「だから、クリスマス」
いきなり何を言い出すのかと思った。
この状況でクリスマスなんて、よく考えられるものだ。
「馬鹿じゃねーの?そんなこと考えてる暇あったら早く治せ」
「えー…だって会ってから初めてのクリスマスなのに…」
確かにそうだが、今はそんなことを言っている場合ではない。
でも、
「…わかったよ、考えとくから」
嬉しそうな顔が見たくなったから、とりあえずそう答えておく。
笑っていると治りも早いというし。
ブラックがコーヒーを買いに行っている間、アルベルトは昨日のことを思い出していた。
母が来た。
ブラックが知らせたらしい。
母は何も言わなかったが、ブラックは多分右手の怪我について話したのだと思う。
自分が斬ったと、そう言ったのだと思う。
しかしアルベルトはわかっていた。
母はブラックの辛い気持ちを理解してくれている。
二人とも帰ってきてくれてよかった、と言っていた。
「…早く包帯取れないかな…」
暫くは手を動かせないだろうと聞いた。
指一本もやっと動かせる程度で、そこから徐々に自由を取り戻していく。
完全に元に戻ることはないかもしれないが、それでも軍にはいられる。
現場に出ることはできなくても、事務なら。
「早く治って、ブラックを安心させなきゃ…」
罪の意識にとらわれている事は知っている。
それを少しでも軽減してやりたい。
他の自分を心配してくれた人のためにも、早く復帰したい。
「コーヒー買ってきた」
ドアが開く音と同時に、ブラックが言った。
「ありがとう。砂糖とミルク入れてくれた?」
「これでもかってくらい入れてやった」
治ったら、またブラックにコーヒーを奢ろう。
砂糖を入れたりしないように気をつけなければ。
もうすぐ一時間経つというのに、出かけたものが帰ってくるような気配はない。
「アーレイド、これお前に任せた」
「馬鹿なこと言わないで下さい」
「冗談なのに…」
「カスケードさんのは冗談に聞こえない」
なかなか進まない書類と格闘していると、事務室のドアが開いた。
さっきからドアが開く度に帰って来たのかと思って見るが、全部違った。
今回も違ったのだが、
「大佐、よろしいですか?」
書類からは逃れられるようだ。
「どうした?メリー」
「ツキ曹長のところへ。…緊急事態ですわ」
「緊急事態?」
どうやら書類以上に大変なことが起こったらしい。
メリテェアとともに急いでツキのいる部屋へ行くと、電話で何か話していた。
「…はい…あ、今来ました。代わります」
ツキが受話器を差し出し、深刻な表情のまま相手の名を告げる。
「刑務所の…モンテスキューさん」
「モンテスキューさん?」
受話器を受け取り、呼びかける。
「もしもし?」
『インフェリアさん、こちらで預かっていた例の彼女が…』
電話の向こうで告げられる言葉は、傷を再び甦らせた。
「…わかりました。今すぐ伺います」
電話を切り、眉を顰める。
まさか、まだ終わっていないとは信じたくないのだが。
「カスケード、何だって?」
「サイネ…マカ・ブラディアナが消えた」
「消えた?!」
軍に公表せずにマカを拘束するため、施設を貸してくれるようにモンテスキュー氏に頼んでいた。
今まで刑務所にいたボトマージュがクローンであったことがわかってから、彼にだけは真実を話していた。
そこでマカのことも極秘で頼んだのだが、そのマカが忽然と姿を消したらしい。
「ちょっと行ってくる!」
「気をつけてくださいね」
今になってまだ終わっていないというのか。
そんなことがあってたまるか。
車を走らせながら、ニアの言葉を思い出す。
感情や記憶のあるクローンは、延命措置が必要。
もしそれができずに消えてしまったなら、これで本当に終わりなのだが。
嫌な終わり方だが、この先事件が明るみに出ることはなくなる。
「モンテスキューさん」
到着してすぐ彼の姿を見つけ、駆け寄った。
「インフェリアさん…こちらへ」
施設から少し離れた小屋に招かれる。
ここなら誰も聞く事はない。
「脱出したようなんです。…格子が何時の間にか外されて…」
「脱出…ですか?」
もし今回の事件のことを暴露されたら。
「これから何があるかわかりません。用心してください」
「…わかりました。ありがとうございます」
不安がよぎる。
もし軍に知られれば、その時はどうすれば良いだろう。
もうごまかすことはできない。
戻ってからメリテェアには報告した。
彼女も不安がった。しかし、
「でも、彼女の発言で軍が動くとは思われませんわ。
このまま何もないことを祈っていましょう」
今はそれしか出来ない。
油断のできないまま時は過ぎた。
クリスマスも年末も過ぎ、新しい年が来た。
冬が終わり、春が来ようとしても、
何もないままだった。
次第に危機感は薄れていき、ほぼ普通に過ごしていた。
三月の終わりにはアルベルトも復帰し、左手だけで見事な働きを見せていた。
毎日変わらない日々が続く。
同じような毎日の連続。
「うわぁ、綺麗ですねー!」
「本当、とっても綺麗」
桜が満開だった。
ひらりと落ちる花弁をキャッチして、ラディアははしゃぐ。
「リアさん、お花見しましょう!こんなに綺麗なんですよ!」
「そうだね。皆誘ってみようか」
もう四月なのだ。
あの事件から四ヶ月が経とうとしている。
そして、
「今月だよな、ニアさんの命日」
一緒に書類を整理しながら、ツキが言う。
「あぁ、二十四日。…早いな、もうそんな時期か」
ニアとの一番最初の別れから、もう六年になる。
時が過ぎるのは早いものだ。
「俺もいつのまにか二十四なんだよなぁ…」
「そろそろ見合いでもすれば?」
「父親にも言われた」
他愛もない話。
色々なことが「過去のこと」として語れるようになった。
「過去」で終わらせたくないものもたくさんある。
「カスケード、花見酒でも」
「それ良いな」
「現在」に繋がっているものが、あまりにも多い。
この場所にいて、たくさんの人と出会って、そんな風に過ごせてよかった。
そう思える、自分の居場所。
「ニアにとっても…ここは居場所だったんだろうか」
「え?」
「いや、こっちの話」
そしてまた時が過ぎる。
「カスケードさん!」
桜もほとんど散ってしまった四月の終わり、ちょうどニアの墓参りから戻って来た時だった。
「グレン…何だよそんなに慌てて」
「メリーが大総統に呼ばれて…あの事件のこと、もう一度詳しく聞かせろって」
「事件?事件って…組織のか?」
「はい。メリーは事故として処理していたはずなのに、事件って言われたみたいで…」
露見したのか。
一体どこから。
「それで、メリーは?」
「何とかごまかそうとしたけど、駄目だったって…
これ以上はメリーが軍を辞めることになるかもしれません」
メリテェアは自分のために働いてくれていた。
事件に直接の関係がないのに、どうして辞めなければならない?
「それと、アルベルトさんも呼ばれたみたいです。
同じ用件だったら…アルベルトさんなら…」
一人で全ての責任を負ってしまう可能性は十分にある。
巻き込まれただけなのに。
「これ以上は…迷惑かけられないな」
どこから発覚したのかはわからないが、事件のことが知れているのなら。
責任をとらなければならないなら、そうしなければいけないのは自分だ。
「ちょ…どこ行くんですか!」
「大総統室!アルいるのか?」
「今行ってると思います!」
駄目だ。これは自分の責任なのだ。
他の者に負わせるわけにはいかない。絶対に。
滅多に通らない廊下を駆け抜け、大きなドアの前に立つ。
扉を叩き、相手の返事を待った。
誰かを尋ねられ、はっきりと答えた。
「カスケード・インフェリア大佐です」
この事件の中心人物の名を。
大総統室から戻る間、向こうから近付いてくる女性軍人に気付いた。
「リーガル少佐」
「…マクラミーさん…」
「大総統から…あの事件についてのお話を?」
俯き、躊躇い、
しかし事実を伝えなければと思い、
「…はい。裏切ったことは話しました」
ゆっくり、頷いた。
「裏切ったって…あれは裏切りじゃ」
「裏切りです。僕が向こうにいたことは変わりないんです。
ここの人を殺そうとしたのも事実です」
挙動不審なアルベルトではない。
朝話し掛けた時はおろおろしてたのに。
「…グレンさんに話聞いて、メリーちゃんとリーガル少佐が呼ばれたことを聞いたんです。
カスケードさんが走っていったことも」
「はい。大佐はさっき来て、今大総統と話しています。
僕は自分のこと以外は話していないので、僕のことで大佐が大変かもしれません」
どうなってしまうんだろう。
カスケードの動き方次第で、周囲は大きく変わるかもしれない。
良くても降格は免れないだろう。
「マクラミーさん、戻りませんか?
大佐が戻ってくるまで、待っていた方がいいです」
不安で満たされていく。
向こう側に見える大きな扉が、とても恐ろしく見えた。
発覚したのは昨日、匿名の電話によってだった。
イタズラだと思ったが、それにしては辻褄が合いすぎていた。
十二月に不自然な報告書を受理していたため、それを調べた所電話の方が自然だった。
報告書を書いたメリテェア・リルリア准将に確認しようとしたが、彼女から正確な情報は割り出せなかった。
電話でアルベルト・リーガル少佐の名前が出てきたために彼にも確認を取ろうとしたが、同じく正確な情報は割り出せず。
しかし、彼は「司令部を狙っていた人間のうちの一人だった」ことは認めた。
法的処分を考えていたところ、カスケード・インフェリア大佐が「全て話す」と申し出た。
その結果、電話の報告がほぼ正しかったことが判明した。
「以上が経緯だ」
淡々と語られた。
全く感情は交えていなかった。
仕事仕様のカスケードでも、ここまで冷たくは語らないはずだった。
しかし、この言葉は彼の口から出たものだ。
「…で、カスケード大佐はどうするんですか?」
ツキが硬く尋ねると、カスケードは少し表情を緩めた。
「事件のこと、個人名はほとんど出してないんだ。
アルは裏切ったんじゃなくて、司令部の危険を回避するために人質になっていたって言い換えたくらい。
報告書もメリーの名を俺が勝手に使ったってことになってる」
そう言いながら、封筒を内ポケットから取り出した。
「…本気か?」
封筒に大きく書かれた文字を見て、ツキはカスケードを睨む。
「あぁ、本気。俺が全責任取れば全て解決するんだ」
「馬鹿言うな!なんでいつもそうやって一人で決めるんだ!」
机を叩く音が狭い室内に響く。
「他の奴がなんて言うと思う?!俺はこんなの許さないからな!」
「そういうだろうとは思ってたけど…でもお前に最初に知らせておきたかったんだ」
ツキの手から封筒を抜き取り、改めて文字を見る。
短い単語だが、今までの自分から考えれば重い言葉だ。
「何で俺なんだよ」
「簡単なことだよ」
ツキとは対照的な、柔らかい笑み。
何でこんな時に笑っていられるんだと、問い詰めたくなるほどの。
「さっさと言え」
「言うのちょっと恥ずかしくてさ。…まぁいいや。言うからな」
ツキは眉を寄せるのをやめ、海色を受け止めた。
出逢って、話すようになって、親しくなって、その間ずっと見てきた色。
その色が、こう言う。
「俺、ツキのこと親友だと思ってる。
だから、軍辞めることも一番最初に伝えなきゃって思ったんだ」
今までただ一人に向けてきた言葉を、自分にも向けられる。
だけど、それと一緒に語られた言葉が嫌だ。
「何で辞めるなんて…」
「どうせ後十年もしないうちに退役だし、そんなに変わらないから。
いろんな奴に会えただけでも俺にとってはいい十四年だった」
「そのいろんな奴が止めても辞めるのか?」
大佐としてのカスケードを見てきた。
部下から見れば頼れる上司で、友人としては少し手のかかる良い奴。
一緒に居て楽しい相手で、いつまでも一緒にいたいと思う。
けれども、軍を去ってしまえば会う機会はほとんどなくなる。
楽しかったことが、「過去」になってしまう。
ずっと継続する「現在」であって欲しいのに。
これからの「未来」であって欲しいのに。
「止められても…俺は軍人向いてないらしいし、これがちょうど良い機会なんだ。
俺がいなくなれば他の奴昇進できるし。
だからいいんだよ、これで」
言いながら立ち上がり、部屋を出ようとする。
これから大総統室か、と、直感的に思った。
「待てよ」
「ん?」
カスケードが振り向いた所に、先ほど軍に届いた封書を投げつけた。
見事顔面にぶつかり、カスケードは蹲る。
「…お前何すんだよ…」
「どうしても辞めるって言うならそれ持ってけ。
あんたにぴったりの再就職先だから」
「再就職…?」
送ってきた住所を見る。
動きを止め、言葉にならない言葉を発したあと、
「お前、これ…」
漸くツキを見た。
笑っている、親友を。
「あんた不器用だから…ここ辞めたらそれくらいしかできないだろ」
最終処分が下され、一人一人命を受ける。
メリテェアは今の階級のまま。しかし今後の昇進が少し遅れる可能性があることを告げられた。
「わたくしがこのまま准将を続けていいと思いますか?」
すぐ傍にいたグレン、カイ、ラディア、クレイン、クライスに尋ねる。
当然返ってくる答えは決まっている。
「メリーがやらなきゃ誰がやるんだ?」
「将官で信用できるの、俺メリーしかいないんだから」
「メリーさんは准将さん!決まってるじゃない!」
「メリテェアがいるから私はここにいるの」
「昇進遅れることないと思うぜ。お前強いしさ」
涙が溢れた。
けれどもすぐに拭って、しっかりと前を見る。
「こんな小娘ですけれど、宜しくお願いしますわね」
アルベルトは軍を辞めることはなかったが、結局降格となった。
少佐ではなく、これから暫くは大尉。
「…ったく、馬鹿じゃねーの?余計なこと言って、降格して…」
「馬鹿って言わないでよ…」
ブラックはアルベルトが大総統に呼ばれて以来、ずっと呆れっ放しだ。
ただ余計なことを言ったからではなく、降格の要素が大きい。
「なんでオレが昇進なんだよ…お前と同じなんてやってられねーよ」
ブラックが大尉に昇進することが決まった。
アルベルトが入院している間の働きが目立ったためだった。
「おめでとう、ブラック。これからも宜しく」
まだほとんど動かない右手を差し出して、アルベルトは言う。
「…ったく…」
叩くのも気が引けるし、そのまま握るのも照れくさい。
何もできないままいると、綺麗な金髪がこちらへ向かってくるのが見えた。
「…リア」
「ま、まま、マクラミーさんっ?!」
慌てて姿勢を正すアルベルトを見て、リアは困ったような笑みを浮かべる。
「そんなに慌てなくてもいいですって…」
「え、あ、はい、すみません…」
顔を真っ赤にしたアルベルトを見て、ブラックは暫くニヤニヤしていた。
が、不意に席を外した。
「ブラック、どこ行くの?」
「コーヒー買ってくる。せいぜい仲良くな、アルベルト」
二人だけを置いて、すたすたと行ってしまう。
二人きりというシチュエーションに、挙動不審なアルベルトの思考はパンク寸前だ。
「あ、あの…その…」
「リーガル少佐、降格になっちゃいましたね」
「…はい」
リアは落ち着いているのに、自分は落ち着けない。
どうして落ち着いて話せる時があるんだろう。
以前は見せたくなかった自分に、何故か頼りたくなってしまう。
おそらく、今の仕事仕様の自分は「許せない」という気持ちを持っていないからだ。
どちらの自分も認めてもらえたからこそ。
「あ、階級変わっちゃったら少佐じゃないんですよね。
リーガル大尉…なんか微妙…」
自分でも両方認められるようになってきて、どちらの自分も自然に出せる。
今はどちらの自分が自然だろうか。
「うん、やっぱりアルベルトさん」
「…はい?」
「呼び方です。リーガル大尉じゃちょっと微妙かなって思ったから、皆みたいにアルベルトさんって呼びます」
「……名前、で?」
元々父が適当に選んだ名前だ。
しかし、周囲が愛情を込めて呼んでくれたおかげで、好きになれた。
そしてまた一人、そう呼んでくれる人が増えた。
「私名前で呼びますから、アルベルトさんも私のこと名前で呼んでください」
「…え、良いんですか?」
「そのための名前ですから」
優しい笑顔。心が開かれる。
この笑顔が好きだ。
初めて見た時から綺麗だなと思っていた。
「…リア、さん」
「もっと普通に呼んでください」
「はい。…ありがとうございます、リアさん」
想いが叶えばいいなんて、もう思わない。
せめて、笑顔を見られたら。
「ところでアルベルトさん、前私に告白してましたよね」
「…え…えぇ?!」
「覚えてません?
…思い出したくないかもしれませんけど、私が危ない目にあった時に助けにきてくれて…
それで…」
そうだった。
ラインザーとの対決の時、勢い余って言ってしまったんだ。
「愛してます」と。
「そ、それは…その…」
「そういう意味じゃなかったんですか?」
「いや、あの、…そういう、意味です」
顔が熱い。
「僕は…リアさんのことが、初めて会った時から…」
よくここまで言えたものだと思う。
「…そっか。アルベルトさん、私のことそんな風に思ってくれてたんだ」
リアはいつもと変わらない笑みを浮かべていた。
それを見ると、一人だけ赤くなっている自分が余計に恥ずかしい。
「で、でもっ!僕は、リアさんと話せるだけで嬉しくて…
だから、友達で良いんです、友達で!」
慌てて言ってしまい、ちゃんと言葉になったかどうかが心配になってくる。
自分の姿は彼女にはどう映っているのだろう。
「…アルベルトさん、私達もうお友達ですよ」
あ、良かった、伝わってた。
…じゃなくて、友達?
「確かに階級は違うけれど、プライベートなら十分友達だと思うんです。
だから、このままで良いじゃないですか。
恋愛はもう少し考えさせてくださいね」
「……はい」
もう少ししっかりしようと、心に決める。
彼女と話してもおかしくないように。
寮の建物の陰に呼び出され、カスケードは一人うろうろしていた。
「何でこんな所に…荷物まとめる時間が…」
「カスケード!」
突然後ろから大声で呼ばれる。
この無遠慮な声は、振り向かずともわかる。
「…不良、呼び出しといて遅刻か」
「あぁそうだよ悪ぃか!」
「悪い。十分も待たされたこっちの身にもなってみろ」
「お前だって俺の身になってみやがれ!納得いかねぇんだよ俺は!」
処分発表のついでにやったアレか、とカスケードは思う。
案の定、そうらしい。
「お前がここ辞めるからって何で俺が大佐なんだよ!
お前の代わりなんかしたくねぇからな!」
「いいじゃないか、昇進だぞ昇進」
「うるせぇ!お前の抜けた後ってのが嫌なんだよ!」
抜けるからには大佐に一人指名して行けと大総統に言われ、カスケードは即答した。
それがディア・ヴィオラセント。
「納得いかねぇから一発殴らせろ!」
「それで気が済むんなら殴れ」
「…お前、人の事ナメんのも大概に…っ!」
固く握った拳はストレートにカスケードの頬へ
ぶつかる前に止められた。
「な…っ?!」
「気が済むんなら別に殴ってもかまわないけど、俺痛いの好きじゃないんだ。
だからさ…」
受け止めた拳を振り払い、構える。
「やってみろよ。…本当に殴れるかどうか」
カスケードは笑っていた。
本気で喧嘩したことなどない。殴り合いなんてこれが初めてだ。
「…おもしれぇ」
ディアもニヤリと笑い、再び構えなおした。
殴り合いにしてはどちらも当たらず、高レベルな闘い。
アクトはそれを見ても、ただ見てるだけ。
「あーあ…楽しそう」
「アクトさん、止めなくていいの?」
ハルが心配そうに尋ねるが、アクトは首を横にふる。
「やめろって言ってもやめないだろうから」
「…確かに」
アーレイドは呆れて溜息をつき、ハルを連れて先に行ってしまう。
アクトだけが立ち止まって、二人の喧嘩を見ていた。
「…カスケード…やるじゃねぇか…」
「一回…ディアとは闘ってみたかったんだ。
特に…スターリンズ大将が連敗だったって…聞いた時は、じゃあ俺は勝ってやるって…思った」
「そうだな…」
二人同時に倒れこみ、互いに笑った。
アクトはそこで漸く二人に近付く。
「お疲れ」
「お前なんでここに居んだよ」
「ギャラリー」
「…一人かよ」
乱れた息を整え、流れた汗を拭う。
「俺、カスケードに訊きてぇ事あったんだ」
「ん?」
「昔、オヤジがエルニーニャで起こった火事で子供一人助けてんだ。
それがニアだったって事、お前知ってただろ」
ディアが気付いたのは先日の資料集めのときだ。
資料室にあった十五年前までの事件資料の中に、それがあった。
ノーザリア大将フィリシクラム・ゼグラータ、火災から子供を救う。
助けられたのはニア・ジューンリーという十歳になる少年。
「あぁ、知ってた。フィリシクラムさんもこのカフス見て気付いたしな。
アクトにも話してあったんだけど、お前だけ知らなかったのか」
「…アクト、お前…」
「カスケードさんが不良には言うなよって」
実は繋がっていた。色々な所で、自分達が出会うことは示唆されていた。
辿ってみればそういうことはいくつもあるものだ。
「だからなんだよな、ディアを大佐にって言ったの。
フィリシクラムさんの意志継いでるお前ならって思ったんだ。
ニアの目指した人を助ける軍人はフィリシクラムさんだから」
カスケードは立ち上がり、笑う。
「あと頼んだぞ、ヴィオラセント大佐」
色々な人を支えてきた、太陽のような笑顔。
それがエルニーニャ王国軍中央司令部から消えて、もうじき二ヶ月になる。
ツキだけが見送りに行かなかった。
すでに別れは済ませた、と言って。
カスケードさん、お元気ですか?
本当はディアが手紙書く番だったけど、あいつは字が汚いので代わりにおれが書いています。
カスケードさんがいなくなってから、やっぱり少し司令部が寂しくなりました。
でもみんな相変わらずです。
先にあの事件についての追加をしておきます。
電話をした奴は逃げ出したマカ・ブラディアナからメモを受け取り、
それに書いてあるとおりの日にち、時間で電話をし、
書いてあるとおりの内容を話したそうです。
マカの行方はわかっていませんが、カスケードさんが言っていたとおりなら、多分もう…
それでは近況報告をさせていただきます。
グレンたちやツキたちは皆で別に書くって言っていたので、おれは近いことだけ書いときます。
まず、アルベルト。
右手がだいぶ回復してきたようで、キーボードくらいなら叩けます。
最近はリアとよく話してるけど、いつの間に挙動不審にならなくなったのやら。
事あるごとにカスケードさんの事を気にしています。
ブラックは最近総合的なツッコミに徹しています。
アルベルトだけじゃなく、ディアにまでツッコんでます。おれもツッコまれました。
アルベルトから貰ったらしいロザリオは毎日つけてます。
そうそう、いつのまにかブラックってアルベルトのこと呼び捨てにしてるんだよな。いつからだろう。
ブラックもよくカスケードさんの事気にしてるみたい。
で、ディア。
この前とんでもない名前を付けられてました。
「暴れインフェリア」。本人かなり嫌がってるけど。
でもどこかカスケードさんと似てるんだよな。おれから見てもそう思う。
カスケードさんのほうが何倍もいい人だけど。
そしておれ、アクト。
日々ヴィオラセント大佐のセクハラを受けています。どうにかしてください。
先日囮捜査してきました。また女装でした。もういいかげん嫌です。
あぁ、そうだ。お守りナイフ、マーシャが見つけて届けてくれました。
カスケードさんずっと気にしてくれてたから、早く知らせなきゃと思って。
ディアから手紙を書く順番剥奪したのも実はそのためが大きいです。
以上、おれ達の近況報告でした。
それじゃ、最後に一言。
カスケードさん、准将昇進おめでとうございます。
イストラに配属されてからまだ二ヶ月くらいなのに、すごいよね。
そっちはラインザー事件以来犯罪が多いんだってね。
危険だから誰も行かなくて、それでエルニーニャに応援が来てたことはこの前ツキに聞いてはじめて知りました。
だからカスケードさんは降格しないでそのままイストラ行きだったのかって、今更納得。
怪我とかしないで、病気もしないで、
ピーマンちゃんと食べて、
元気に過ごしてください。
「インフェリア准将、着任式遅れますよ」
「ん、あぁ…悪いな、ナナツちゃん。今行く」
「それ、エルニーニャからですか?」
「あぁ。あと二通あるから着任式サボる」
「…まぁ、いいんですけど。私は行きますからね」
この物語は、終わらない道の中のほんの一部。
人生の中の、僅かな部分に過ぎないもの。
それでも、忘れられない想いがあるもの。
Fin