落ちこぼれ、といわれればそれは自分たちのことなのに、周囲から叱責されるのはいつも母だった。自分たちは失笑や嘲笑を感じ取りつつも無視していれば、直接何かを言われるということはあまり無かった。
 母は軍家の出身ではない。実家は有名な商家で、国内最大手の運送会社を仕切っている。しかし両親には軍人としての経験があり、その娘である母もまたかつては軍に籍を置いていた。
 大文卿家としては、それが気に食わないらしい。とっくに啀み合う時代は終わった筈なのに、しつこく軍に敵意を抱き続ける者は存在する。そうしていないと生きていられないかのように、わざわざ敵を設定する。
 本当はもっと勉強ができていれば、いくつかの面倒は回避できたのかもしれない。だが大文卿の子で教育を十分に受けられる環境にいてもなお、そちらの才能を伸ばすには限界があった。
 両親以外の誰もに諦められた。自分たちですらも。――それを認めて部下に採用する、変わり者が現れるまで。


 アルバイト五日目、午前からお客様がいらしていて、ガンクロウ隊長は珍しくずっと執務室にいる。
 双子のノールさんとジュードさんも自席にいて、その様子を見守っていた。俺もできる限り手を止めず、そちらを窺う。
 来客用のソファに座るのは、肩までの金髪を銀のバレッタでハーフアップにした女性。相手を射抜くような紫色の瞳は、どこか隊長と雰囲気が似ている。
 隊長は特に怯むこともなく、自身の琥珀色の髪を手で払った。
「エスト家に保管されていないなんてことがあるか? 二百五十年記念のメダルだぞ」
「見つからないんです。史料は、我が家は全て年代別にきちんと整理していますから、その場所に無ければ私には見当がつきません」
「父親には訊いたのか」
「今は探す気分ではないそうです。なので、報告はもう少しお待ちいただけませんか」
 申し訳ございません、と頭を下げるが、紫の瞳は挑戦的に光っている。ふと浮かんでしまった想像を、隊長が受け取ったかのようにそのまま口にした。
「特殊部隊は信用ならないから預けられない、ということか」
「違います。こちらの言い分を信じていただけないのなら、そういった判断もせざるを得ませんが」
 きっぱりと否定される。では、本当に行方が分からないのだろう――俺たちが収集しなければならない、「エルニーニャ王国建国二百五十年記念メダル」は。
 一番苦労無く借用できるのではと思っていたエスト家に出鼻をくじかれるとは、隊長も予想外だったかもしれない。
「うちも人員を確保しておけるのが今月いっぱいなんだ、早めに頼む」
「承知しました。……信用はともかく、信頼はしてますよ。昔からお世話になっている隊長のことは」
 では、とお客様が立ち上がる。同時に隊長が俺を呼んだ。
「トビ。マリッカ嬢のお見送りを」
「はい!」

 エルニーニャ王国文部管轄文化保護機構特殊事項対策部隊――通称「文派特殊部隊」。国の教育文化関係を仕切る文派の中でも、少し、いやかなり変わった立ち位置の部署だ。
 人員は短期アルバイトの俺を入れてもたった四人。人手は慢性的に足りていないのに、仕事は溢れている。
「変わった上司を持って大変ね、あなたも」
 本日のお客様、マリッカ・エストさんが呆れる程度には大変である。
「変わってはいますけど、俺はなかなか気に入ってます。仕事も、隊長のことも」
「そう言い切るところ、前大総統閣下に似てるわね。親子ってやっぱり似るものなのかしら」
 私は親に似たくないけど、と付け足しながらも、マリッカさんの表情は穏やかだ。先程まで隊長と火花を散らしていたのが嘘のように。
「隊長とは知り合って長いんですよね。俺の父のこともご存知みたいですし」
「ええ。家の関係というのもあるけれど、個人的に前閣下や隊長には幼い頃から度々面倒を見てもらっていたの」
 おそらくはその世代の繋がりなのだろう。隊長は元軍人で、かつて軍を率いる立場にあった俺の父の部下だった。
 マリッカさんの生家、エスト家は軍家だ。エルニーニャ王国の始祖、建国御三家のうちの一つであり、初代から現在まで軍人を輩出し続けている。今はマリッカさんの双子のきょうだいが軍に所属しているという。
 一方でエスト家は、大量の記録を保管している「エルニーニャの史料庫」でもある。そのため軍家でありながら文派との繋がりは深く、武を忌避する古い文派の人たちもエスト家なら例外的に容認しているらしい。
 そこに探す史料がないとすれば、まさに絶望的な状況なのだが。
「メダル、ちゃんと探してるから。でも十分な時間が取れなくて。きょうだいは妙な事件を追っててあてにならないし、父は引きこもりで頼りにならないから、今月中に渡すのは難しいかもしれないけれど」
「大丈夫です。俺がいなくたって、特殊部隊はまわってたんですから。きっと隊長とハルトライム兄弟が上手いことやります」
「ええ、そこは信頼してる。……ああ、そうだ。トビ、あなたにもこれを」
 エントランスまで来たところで、マリッカさんは大きなバッグから本を取り出した。透明の保護カバーが掛けられた小説の単行本は、昨年発売されたものだ。このアルバイトが終わったら、給料で買おうと思っていた。
「レナ・タイラス先生の本! いいんですか、こんなすごいものを」
「献本よ。まめに先生へのファンレターをくれるトビ・ハイルさんがここにいるって聞いて持ってきたの」
 サインも入れてもらったから、と言われて開くと、確かに直筆で書き込まれている。嬉しくて震える手で本を抱きしめ、ありがとうございます、と勢いよく頭を下げた。
 マリッカさんを見送って執務室に戻った俺は、相当浮かれていたらしい。双子から全く同じ怪訝な眼差しを注がれた。
「ご機嫌だね、トビ君」
「それサイン本? さっき隊長も貰ってた」
「そうですよ。嬉しいな、書店で買えば二冊になる」
「え、同じの買うの?」
「え、嵩張るのに?」
「好きなので何冊あっても良いんです。本の売上にも貢献したいし」
 変わってるねえ、と言う双子には、この感覚がわからないらしい。
「嵩張るって言いますけど、お二人はそれぞれで同じ本を買ったりはしないんですか」
「親はそうしようとしてくれたけど」
「おれたちは一つあれば十分だったよ」
 本に限らず、娯楽なら大抵は。兄弟で取り合いなどせず、上手に共有してきたのだという。
 仲の良さは見ていればわかる。発言は互いを補うように噛み合っているし、ステレオで綺麗に揃う。ノールさんの方が少しだけ面倒見がよく、ジュードさんの方が少しだけ甘え上手かもしれない、とは思うけれど。
 いや、今はそれよりもメダルだ。エスト家のメダルが保留になってしまい、インフェリアのメダルは確認中。フォース家からはまだ返答がない。これ以上この件を進めることはできないのでは。
「それじゃトビ君、午後からおれたちは調査に出るから」
「それじゃトビ君、午後の留守番はよろしくね」
「え、そんな予定ありました? 今日は一日事務作業をするって言ってませんでしたか」
 俺が突然の予定変更に戸惑っている間に、二人は資料室に行って、すぐに戻ってきた。「よろしく」と改めて言うので、隊長の許可が下りたのだろう。
「何の調査ですか? それくらいは俺にも教えてください」
「言うまでもないと思ってたけど」
「トビ君ならすぐにわかると思ってたけど」
 双子は顔を見合わせ、にやりとした。まるで悪だくみをするかのように。
「探しに行くんだ、エスト家のメダルを」
 メダル収集は一時休止かと思ったのは、どうやら俺だけのようだった。

 今から二十三年前、当時の大総統が失踪した。職務の重圧に耐えられなかったとか、実は横領を働いていたのだとか、国内には様々な噂が流れたらしい。
 当の大総統を選出したのは、俺の祖父母だ。彼らはその前の大総統とその補佐であり、厳正に後継者を決めたはずだった。だからきっと悪い人ではないのだろうと俺は思っている。
 ただ、職務の重圧はあったかもしれない。大総統を務めた祖母は、現在のエルニーニャ王国の政治体制を整え、福祉を充実させるためのあらゆる政策を打ち出し、さらには冤罪を無くすために軍の捜査方法を見直すなど、様々な仕事を進めた。
 それを引き継ぎ、推し進め、王宮や文派との連携もより円滑にしていく。他国との関係も良好にしなければならない。強靭な体力と精神力が必要だっただろう。
 だがこれはあくまで憶測。事実として確かなことは、失踪した彼がある女性を伴っていたということだ。その人物はエスト家当主ドミナリオ・エストの妻だった。先程執務室を訪れていたマリッカ・エストさんの母親である。
「失踪時にエスト家から持ち出しがあったことは確かなようだ。みすみす妻と財産を奪われたエスト家当主は世間からのバッシングに遭い、引きこもるようになった」
 BLTサンドのレタスとトマト増し胡椒二種追加バージョンを齧りつつ、隊長は教えてくれた。俺は納得できず首を傾げる。
「非難されるなら、申し訳ないですが当時の大総統と、一緒にいなくなってしまった女性の方では? エスト家当主は被害者でしょう」
 疑問に答えたのは双子だった。
「文句を言いたい相手の姿が見えないんだから、見える方にとりあえず気持ちをぶつけたかったんじゃないの。或いは正義感からの両成敗精神とか」
「エスト家当主は表向きはそんなに悲しんでる素振りは見せなかったそうだからね。最初は可哀想って言ってたかもしれないけど、思ってた反応じゃなかったから手の平を返したのかも」
 二人のBLTサンドはベーコン増しレタス少なめ粉チーズ追加バージョン。実に美味しそうに食べてくれるが、言うことは辛辣だ。
「当主は引きこもってしまったけれど、持ち出されたものは把握してたんでしょうか」
「軍には盗難届が出ている。ただ、まともな捜査がされたかどうかは怪しい。新しい大総統を立てるのに軍上層部は必死だった。人捜しはしたかもしれないが、妻が家の物を持ち出したとなると盗難として受理されているのかも疑問だな」
 少なくとも当時そんな仕事をした覚えがない、と隊長は言う。元軍人だった隊長は、まさにそのとき在籍していたのだ。
 持ち出された物の中に、俺たちが探すメダルがあったかもしれない。可能性としてはゼロではない。なにしろメダルは純金で、エルニーニャ産の金には特別な価値がある。
「もし裏に流れていたとしたら、探すのは困難では。溶かされて原形を留めていなかったら……」
 最悪の展開を考えると、ベーコンの脂とトマトの酸味、レタスの苦味に舌と胃を焼かれるような心地がする。せっかく自分の分はバランスよく作ったのに、どれも主張が激しいような。
「それを確認してくるんだよ」
「まあ任せてよ」
 双子は同時に食べ終わり、同じ動作で口の周りを拭く。しかし、調べるといってもどうやって。まさか失踪した人たちの足取りがわかっているのか。その通りだ、と頷いたのは隊長だ。
「軍からあたればなんとかなるだろう。本人たちの行方はとっくの昔にわかっている」
「そうなんですか?」
「お前の父親が調べたからな。大総統権限により詳細は非公表だが」
 失踪した大総統の後にその座に就いたのは、俺の父レヴィアンス・ゼウスァートだ。滅びた軍家の名で務めを果たせと、任命したのは女王陛下だった。
 こうして改めて考えると、俺の周りは大物だらけで、絡む事件も多い。とんでもない人に拾われ育てられたのだという実感が、今になって湧いてきた。
 出ていく双子を見送ってから食器を片付け、午後の仕事を始めようとした。隊長はやはり珍しく、資料室に戻らない。
「コーヒーが足りませんか?」
「いや。トビ、資料整理の方は順調なんだろう。メダルについてはやることがない」
 だから暇であるというわけにはいかないが、午後からは余裕があった。隊長が手掛けている報告書の手伝いを申し出ようかと思っていたくらいだ。
「無駄話でもしながら、ゆったりと仕事をしようじゃないか」
「……どうしたんですか。なんだか隊長らしくないですね」
 無駄なことは好きではなさそうなのに自分から誘うだなんて。隊長は応接ソファにどっかりと座り込み、持っていた冊子を開いた。
 資料かと思ったら、それは本――俺がマリッカさんからいただいたものと同じ物だった。
「いくら知り合いとはいえ、サイン本なんか滅多に貰えるものではないからな。機嫌が良いんだ」
「……なるほど」
 そもそも隊長が俺を採用したのは、本の好みが同じだったからというのもある。俺は自席で隊長の声に耳を傾けた。


 国内最大の軍施設である中央司令部までは、文部施設のある地区からは徒歩では少々かかる。資料を運ぶ都合も考え、双子は大抵車で移動する。
「話が通じる人はいるかな。センテッド君がいれば早いと思うけど」
「苦虫を五十匹くらい噛み潰したような顔をされそう。大総統の捜査記録なら、先に閣下にあたった方がいいんじゃない?」
 お喋りは止むことがない。長時間黙っていることができない性分の二人にとって、常に的確に通じる会話ができる相手がいることは幸運だった。
 双子で良かった。たとえ、どちらも同じくらいの「落ちこぼれ」でも。

 ノールとジュードの生家であるハルトライム家は文派の長であり、学術機関の代表を務める家だ。その家名を戴く者は学問に秀で、人々を文の力で導くのだと、先代大文卿や周囲の人間は常に主張している。
 先代の昔からの心配事は、その理念から逸脱する者が存在していることだった。一人は彼の末娘で、周囲のことなど気にしない様子で自分の好きな研究をしていた。だがまだ文の範疇であったため、論文を手酷く批判しようとする程度で許している。
 もう一人は、その能力を高く評価していたはずの、とても優秀な孫だった。あらゆる科目の頂点を制した学生だった彼は、当然国内最高峰の大学に入学した。
 ところがその事実を利用し、孫は祖父に楯突いた。許されるはずのない恋人を連れてきて、反対を押し切り結婚してしまった。
 孫の妻となったその女性は、文派の上層が長年疎ましく思ってきた、軍の人間だった。その名をアーシェ・リーガルという。
 アーシェはしかし軍家の人間ではなかった。リーガル家は国内最大手の運送会社を営む商家であり、文派にとってもなくてはならない存在だ。博物的価値のある物品を運ぶ際にはリーガルの協力が必要不可欠であり、ある意味では都合の良い繋がりができる。孫ウェイブロードは、そのことも逆手にとったのだった。
 軍家出身ではないが、彼女は軍人だった。武器を手にし、野蛮な犯罪者を同等の野蛮な方法で制圧する人間だ。しかもかなりの腕利きだという。
 単なる野蛮人なら丸め込むことはできたかもしれない。だがアーシェは、文派が軍に抱く偏ったイメージとは異なり、実に聡明な女性だった。大文卿は逆に孫夫婦に斥けられ、その座を譲ったのである。
 とはいえ、権限はウェイブロードにあるのだから、軍人娘が勝手なことはできないだろう。そう思われていたが、またしても認識は覆される。ウェイブロードは大文卿に集中していた権限を分散し、一部をアーシェに与えた。王宮、軍、文派の三派が協力して政治を行うという方針を強化するため、軍との連絡役としてアーシェを起用したのだ。その他、博物館の運営なども彼女に移譲された。
 実際、彼女は公の場で元軍人として振る舞うことをしなかった。文派の者として働き、よく学び活かした。次第に彼女を認める者も増えてきた頃、待望の跡継ぎが誕生した。双子の男児――ノールとジュードである。

 ハルトライムの子は文派の人間として英才教育を受けることが当たり前であり、それによって能力を伸ばし優秀な頭脳を持つことも約束されていた。なによりあのウェイブロードの子なのだから、双子も高い能力を持つものだと誰もが信じて疑わなかった。
「文法なんか飽きちゃった」
「算数なんか飽きちゃった」
「机でじっとしてるのはやだ」
「座ってると手や足がむずむずする」
 そう言って二人で暴れ回り、家庭教師を悉く失望させる子供たちは、今までハルトライム家に存在しなかった。
 まったくいなかったわけではないが、すぐに厳しく矯正されて立派な人間になったものだった。それがノールとジュードは、いつまでたっても「良い子」にならなかった。
 当然曽祖父は怒り狂った。そして因果関係を双子の母親に結びつけ、頻繁に彼女を叱責した。躾がなっていない、ハルトライムの嫁なら子供の面倒くらいまともにみられないのか、など顔を合わせる度に怒鳴り散らした。
 だが、双子は母が落ち込んでいる姿を見たことがない。それどころか、怒る祖父に対して「申し訳ございません」と頭を下げたこともない。
「悪いことはしてないし、別にノールとジュードがわざと悪戯を繰り返しているわけでもないでしょう」
 いつだってそう笑って、じっとしていられない子供たちを連れて出かけ、色々なものを見聞きし体験させてくれた。
 文法はわからないが、話すことと読み書きは同年代以上に達者になった。算数はわからないが、二等分は得意だった。
「さあ、ここでなら思いっきり駆け回って良いからね! なんてったって、私は大総統閣下のお友達なんだから!」
 そして母とその友人の計らいで、誰もいない軍の練兵場を使わせてもらえることがあったためか、運動能力は飛躍的に伸びた。
 幼いながらも双子は、自分たちは文派の家に生まれたけれど、本質はこちらなのだと悟っていた。勉強は嫌いではないが退屈で落ち着かない。曽祖父の与える教科書は興味をひくような内容ではなく、動きながら母と学ぶ方がよほど身になる。
「母様、弓を引いて」
「母様がばーんって的を射るのが見たい」
 そして何より、元軍人である母はかっこよかった。
 アーシェの弓は百発百中だから、と見ていたゼウスァート閣下も楽しそうに言う。双子の憧れの対象は、もはや文派ではなかった。
 学校で他の子供たちと共に学ぶようになってからは、母と出かける機会も減ってしまった。母も忙しく仕事をこなし、練兵場をこっそり借りることもなくなった。
 じっとしているのが苦手な双子は、学校での成績は良くなかった。学力はトップであることが求められるハルトライムの子なのに、下から数えた方が早い。読み書きも計算もできないわけではないのだが、大人が求めるような答えを出せなかった。
「ノールとジュードは学校でいつもふざけているそうだな。テストもまともに受けられないとは、ハルトライムの面汚しだ!」
 曽祖父がそう怒鳴るのを、何度聞いたことだろう。しかし、双子に直接向けられるのではなく、全て母が受けるのだ。
「あの子たちは至って真面目ですよ」
「どこがだ?! 解答欄に書くのは正答のみだ、屁理屈ではない! しかも二人揃って同じ答えを書くとは愚かの極みだ!」
 どんなに席を離していても、思考の仕方が同じなのでノールとジュードの解答はほぼ揃う。それも大人たちに不気味がられる要因だった。
 母のためにきちんとしようと努力したこともあったが、肌に合わない方向の努力は続かない。父に相談しても、寡黙すぎて明確な答えが得られない。それでいい、という一言のみが返ってきた。
 同年代の子供相手なら、双子は人気者だった。ハルトライムに連なる他の人のように偉ぶらず、新しい視点を紹介して共有してくれる、面白い仲間として受け入れられた。そうして双子を様々な相談相手に選ぶ子供たちも多かった。
 相談に乗るというのは、相手の情報を得るということだ。知り得た個人情報の漏洩はいけないことだと、両親や母の知人らから教わっている。そのうえで双子を頼る子供たちからは、周りの大人たちに関する事情や本来なら誰にも知られたくはなかったであろう秘密を引き出すことができた。
「ねえ、ジュード。あの人の考え方は見えたよね」
「ねえ、ノール。だったらあの人には、こうやって振舞ったらいいんじゃないかな」
 大人の人となりやその背景を知ることで、双子は少しずつ人付き合いの仕方を心得てきた。すなわち裏をかき、相手が好ましいと思う答えを先んじて用意することを、徐々に可能にしてきたのである。
 すると母への小言や嫌味も減り、いつまでも執拗いのは曽祖父だけになっていった。情報を得て詳しく調べ、それを利用することは彼らの処世術であると共に、最愛の人の負担を減らすことにもなったのだ。
 先回りをすることにより溜まったストレスの、解消法も確立させた。母が弓を引く姿に憧れた二人が選んだのは、競技用のクロスボウだ。あくまで競技用だと言い張りつつ、本当に愛用しているのは軍でも使用されるもので、こっそり届出をして所持の許可を得た。
 母や、軍人時代に銃を使用していた経験のある母方の祖父に、その扱いや上達方法を教わった。勉強よりも覚えが早かった。
 不思議な魅力こそあれど、学力は依然として「落ちこぼれ」である。なんとか進級し、進学し、やっとのことで迎えた高校三年生の春。
「母様、新しい仕事を立ち上げるんですか?」
「母様、次は何を始めるんですか?」
「文化保護機構に新しい部署を設けるの。ずっと必要だなって思ってたのよ」
 文派が軍との協力を強固にするための玄関口であり、同時に自ら身を守るための独自の砦。曽祖父の持っていた権限が双子の父に完全に移譲された今、ようやく実現できる。
「来週、職員の採用面接をするの。私と、新部署の隊長で人員を決める」
「隊長?」
「誰?」
 母が直接管理をするのではない。聞いた名前も知らないものだった。
 メイベル・ガンクロウ――はたしてその人は、信用に足る人物なのだろうか?

 中央司令部に到着した双子を出迎えたのは、予想通りの苦々しい表情だった。
「ありゃー、虫何匹食べたの?」
「ありゃー、百匹くらいばりばり食べた?」
「何の事だか知らんが、冷やかしならさっさと帰れ」
 双子こそが虫であるかのように手で払うセンテッド・エスト准将は、しかしメダルの話を聞くと目つきが変わった。
「……たしかに、あの人は我が家の物を持ち出した。そのいくつかは軍で把握し回収したと、前閣下から父が報告を受けているはずだ」
「あ、やっぱり軍で保管してる?」
「軍は返却を申し出たが、多くは父が受け取りを拒否しているんだ。文書の価値などわからない人は、まず我が家の史料になど手を出していないだろうと」
 だがセンテッドが知るのはそこまでだ。何が持ち出され、後に押収され、エスト家に戻らなかったのか。それは父から教えてもらうことができなかった。
 メダルであれば、文書などとは違いわかりやすい「宝物」だ。家になければ軍か、あるいは。
「閣下に伺いを立ててみよう。大総統執務室の資料室に、記録くらいはあるだろう。……マリッカめ、どうして先にこちらに相談してくれなかったんだ」
「それはセンテッド君が忙しかったからだよ」
「センテッド君が変な事件ばっかり追ってるからだよ」
「変じゃない。一応貴様らも気をつけろ。狙われているのは作家ばかりだが、資料を提供する側も無関係とは限らない」
 文句なのか注意なのか、はたまたその両方か。機嫌が悪そうに小言を投げつつ、センテッドは双子を大総統に会わせてくれた。
 ちょうど少し手が空いたのだという大総統フィネーロ・リッツェは、話を聞くや否や大総統専用の資料室にセンテッドと補佐大将ルイゼン・リーゼッタを向かわせた。
「建国記念メダルといえば、五百年記念のときにも作られたあれか。実物をイリスの父さんに見せてもらったことがある」
 待っている間に、フィネーロは懐かしげに目を細める。双子は大総統執務室の柔らかなソファから身を乗り出した。
「インフェリアの二百五十年のは見たことないんですか」
「すまないが、そちらは知らないな。以前にも作られていたというのも、僕は今初めて知った」
 メダルの存在自体があまり有名ではなく、だからこそ展示して知らしめたいのだ。国民に王宮と軍と文派が協力することはけっして前例のない先行き不安な試みではなく、これからも歩みを止めずに進めていくことが大事であると認識してもらうために。
 新三派政の宣言から来年で三十五年だ。だがこれだけの時間をかけてもなお、それぞれに融通のきかない連中が居座って互いの文句を言っている。そうして肝心なところで動かない。
 それは母たちが作ろうとしてきた、そして自分たちが発展させようとする未来の妨げになる。かといって一方的に排除するというのも違う。できるだけ多くの人に、この国で生きることに対して安心してほしい。その一助として、文派にできることをやろうとしているのだ。――落ちこぼれにもできることを。
「記録はあった。これは押収品リストだ」
 ルイゼンがファイルを持って戻ってきた。その後ろでセンテッドが眉間に皺を刻み腕組みをしている。あまり良い結果では無さそうだ。
 テーブルに置かれたファイルには「極秘」の印があり、取り出した書類には前大総統レヴィアンス・ゼウスァートのサインがある。まだ彼が大総統になったばかりの頃の、いくらか丁寧な筆跡だ。
 了承を得てノールが書類を捲る。ジュードがそれを覗き込み、二人でリストを隅から隅まで読み頭に入れていく。
 けれどもメダルもしくはそれらしきものは、とうとう最後まで見つからなかった。
「持ち出したのは宝飾品ばかりだったようだ。史料にはほとんど手をつけていない」
 ルイゼンの言う通りなら、メダルは今もエスト家のどこかにあるはずだ。マリッカがそのうち見つけてくれるかもしれない。だがそんな希望を打ち砕くような文面が、次の紙面にあった。
「待って待って。一部は既に売却されているって書いてありますよ」
「待って待って。つまりリストに載っていない持ち出し品があるということですよね」
「そういうことだ。そして何を売ったのかというのは、持ち出した本人たちは把握していない。つまり」
 センテッドが深く大きく溜息を吐く。
「家になければ、そのメダルはとっくにこの世に存在していない可能性が高い」
 ――もし裏に流れていたとしたら、探すのは困難では。溶かされて原形を留めていなかったら……。
 トビの懸念がさらに現実味を帯びてくる。フィネーロとルイゼンは残念そうに目を伏せた。
 メダルが失われている場合は、その経緯を調べて報告書を作り、さらに簡素にきれいにまとめたパネルを展示に出す。加えて現存するメダルを元にレプリカを作って置くことになるが、その手続きも行わなければならない。
 双子にとっては苦手な作業だ。彼らがメダル探しに躍起になるのは、その事態をできる限り避ける意味もある。
 動けなければ、十分に働けない。ここでも落ちこぼれになるなんて、絶対に嫌だ。
「どこに売ったのかくらいはわかる?」
「把握してないなら、まとめて売ったんだよね?」
「ああ、引き取った店のリストはある。ただ、前閣下が調査できたのはそこまでだな」
 ルイゼンが取り出した書類を、ジュードがひったくるように受け取る。ノールは店名と住所を確認し、頷いた。
「うん、憶えた。でもこの三つのうち、二つはもう店をやってないね」
「流れた先も追わなきゃ。もしかしたら裏に辿り着いちゃうかも」
「おい、無茶はするなよ。裏が絡む厄介事はこちらの領分だ」
 咎めるような低い声が、センテッドの心配の表れであることは知っている。ハルトライムとエストの付き合いも、軍御三家ほどではないにしても長いのだ。
 だから双子はにやりと笑い、軽い調子で応える。
「大丈夫! おれたちは文派特殊部隊だからね」
「大丈夫! おれたちには隊長とトビ君もついてるからね」
 呆れる軍人たちは、しかしこの双子の実力が折り紙付きであることも承知している。彼らの「隊長」のことならなおさらだ。
「ん? ……トビって、職員増えたのか」
「たしか前閣下の長男が同じ名前だな。まさか」
 大総統と補佐大将が頬を引き攣らせたのを見て、双子はますます愉快になった。


 二日間の休みを経て、アルバイト六日目がやってきた。休みの間は弟妹と遊んだり、いただいた本を読んだりして過ごした。
 休みの前に隊長とした本の話は面白く、ついでに作者についての話もできた。レナ先生は昨年の夏から担当編集者が変わり、以来文体が少し柔らかくなったと隊長は言う。俺はそんなこと、全く気が付かなかった。実際に読んでもわからない。
 実のところ、レナ先生は何度か会ったことがある顔見知りなのだけれど、それでも本人は掴みどころのないちょっと不思議な人だ。隊長はそういったこともわかっているようで、尊敬の気持ちはさらに深まった。
「やっぱりすごいな、隊長って」
「ね、すごいよね」
「ね、びっくりだよね」
 ついこぼれた言葉を、双子に両側から拾われる。驚いて二人を見て、さらに愕然とした。
 二人とも山のような紐綴じ本を抱えている。机に置く際の音も迫力満点で、嫌な予感を一層募らせた。
「あの、これは」
「時間外労働の成果だよ」
「休日労働の証拠だよ」
 だからトビ君、よろしくね。そう言ってにっこりする二人は、もしや悪魔かなにかだろうか。
「これを全部、俺が一人で?」
「まさか。午前はおれたちもやるよ」
「まさか。お昼ご飯まではここにいるよ」
「午後はやっぱり一人ということですね」
 デスクワークが苦手な双子が、午前のたった三時間ほどで戦力になるとはとても考えられない。早くやるべきことと手際を呑み込まなければ、とても終わりそうにない。
 そもそもこれは、何の資料だ。
「ほう、随分と集めたな」
 いつの間に資料室から出てきたのか、隊長が背後に現れる。綴じた冊子を一つ取り、ぱらぱらと捲った。
「さすがにぬかりないな。台帳はほぼ完全な形で残っていたか」
「やっぱりトラブルが怖いからって」
「実際、本当に怖い人とのやり取りもしてたそうです」
「では私も見よう。午後の目的地はできるだけ明確な方がいいだろう」
 状況がわからず混乱する俺を、隊長が呼ぶ。そうして説明されたことによると、どうやらこれもメダル探しの作業のひとつだ。
 紐綴じ本は三つの買取業者(とはいえ二つは既に廃業しているらしい)から預かってきた台帳だ。世界歴五三九年、レヴィアンス・ゼウスァートが大総統に就任した年のものである。
 その前の大総統が失踪した際、伴った女性が持ち出した物を、この台帳から探し出す。
「つまりメダルは」
「他の金品と一緒に売られた可能性が高いんだ」
「この中からそれっぽいのが見つかったらいいね。そうしたら、その後どこに流れていったのかを調べやすくなるから」
 午後からの予定はそれか。だったら急がなければ。隊長が一社分の山を持っていったので、俺も一社分引き受ける。双子には二人で残りの一社を担当してもらおう。
 最優先キーワードは金。重さもヒントになる。売却した人物のサインも拾うが、偽名や偽の筆跡を使う者もいてあてにはならないという。まして今回は持ち出しではあるが、盗品に限りなく近い。
 手書きの台帳の癖のある字を追うため、俺は右目にかかる前髪を除けて耳にかける。露わになった色の異なる両目に、品目が次々に映る。
 隊長と俺は黙って、双子は互いに声をかけながら作業を進める。たまに雑談になっても、隊長はそれを無駄話をするななどと咎めることはしなかった。
 これが双子にとって最も効率の良いやり方なのだと、俺にもわかってきていた。


 新部署の隊長について調べれば調べるほど、従来の文派組織にはけっして登用されないであろう人物であるということが明確になる。
 文派はエルニーニャ王国に暮らす一般市民の代表を自称している。だが一方で、教育を満足に受けることができない人々を見下してもいた。生まれながらにして貧しいのは、先祖が努力を怠ったからだと。成長して働いても食べていけないのは、本人に上昇志向が欠けているからだと。
 もちろん多くの人は――ノールとジュードの両親も――その考えが正しくないということを知っている。教育支援を積極的に行うための施策に力を入れ、人々の未来の選択肢を増やそうとしている。それは上からの施しなどではなく、共に国を運営する者と支え合うためのものだ。
 だがなおも「面倒を見てやっている」「わざわざ金をかけてやっている」などと考える者はいて、結局経済的に豊かな人たちとそうでない人たちを隔てる壁は堆く溝は深い。
 新部署の隊長に抜擢されたメイベル・ガンクロウは、まさに経済的不利にあった家庭の生まれであった。文派が創設し軍が手を加えた奨学金制度を利用して、軍人養成学校に入学。卒業後は二十五歳まで軍に籍を置いていた。
「それがなんで文派組織に?」
「母様はこの人の何を気に入ったんだろう?」
 文派が自らを守るための砦を作るのだと母は言った。しかしこの人物は、双子が調べた通りなら、文派を崩壊させかねないのでは。
 軍人時代のメイベル――当時はブロッケン姓を名乗っていた――は、素行が良いとはいえない人物だったようだ。様々な銃火器を扱えるという特技があったが、その銃口はしばしば同僚に向けられた。自らの邪魔をする者は敵味方関係なく許さない姿勢らしい。
 思想もどちらかといえば反体制寄りなのかもしれない。利用できるものは利用するが、結局は上層から慈愛の笑顔を浮かべつつ下々を憐れみ侮るような人間が大嫌いなのだ。
「そんな人が文派のスカウトを受けるかな」
「母様だからかもしれない。前大総統は母様の友達だから」
 前大総統を信頼していたとしても、メイベルは軍を辞めて名前を変え、首都を出ている。徹底的にそれまでの自分を捨てようとしているようだが、何故戻って来たのか。
 双子は疑問を解消すべく更なる調査を行なった。好奇心は大いにあるが、最たる理由はやはり母だ。子供たちのために常に矢面に立ってきた母が、裏切りに傷つくことのないように。落ちこぼれにでもできる方法で助けたかった。
 そうしているうちにその日はやってきた。新部署は隊長メイベル・ガンクロウと職員六名によって構成され、立ち上がったのだった。
 正式名称は「エルニーニャ王国文部管轄文化保護機構特殊事項対策部隊」だが、些か長いので「文派特殊部隊」という略称があてられた。
 ガンクロウ隊長は首都レジーナを出てから、国内の地方都市や辺境を巡りつつ、考古学や民俗学など大陸文化の研究について学んでいた。それでアーシェが目をつけたそうだが、そもそも文派全体を見ても軍出身者は信用されにくい。学びの経歴よりも軍人であったということが、採用された職員たちも気になっていたようだ。
 加えてこの部署の特殊性である。文派でありながら、必要な場合には武力を行使する。もちろんのこと正当防衛的な行使なのだが、「武」と「野蛮」がイコールで結ばれる文派純粋培養の者たちには受け入れ難いところがあった。
 考え方が食い違う職員を、隊長は短期間で容赦なく解雇した。採用面接などまるで意味がなかったというふうに。
 当然人手は足りなくなり、基本的な事務作業もまわらなくなる。様子を見ていた周囲は「やはり軍出身者は駄目だな」と溜息を吐き、早くも部署の存続は危うくなった。
 母の立場を守らなければ。双子がアルバイトを申し出たのは、その一心だった。

「おいおい、ハルトライム兄弟。テストも大人しく受けられないのに、デスクワークができるの? 特殊部隊だっけ、今のところ野蛮な案件はないって聞いたけれど」
 それだと退屈じゃない? そう言ってにこにこするのは、クラスメイトのジョナス・スロコンブだ。何が面白いのか、この男は大抵笑っている。
「デスクワークは面白くない」
「資料整理は超退屈」
「ほら見なよ。それに、あの隊長とやらも随分と横暴らしいじゃないか。軍出身者っていうのは嫌だね、なんでも力業で解決しようとする」
 軍出身者という大きすぎる主語でものを言うのも随分と力業だと思うが、双子には言い返す気力もなかった。
 アルバイト一日目にして、双子は大量の資料書類と対決した。黙々とナンバリングとファイリングを進めなくてはならず、少し喋ると他の職員に注意され、続かない集中力と襲い来る眠気はミスを誘発する。
 終業前につける記録を見て、隊長は一言「効率が悪すぎるな」と吐き捨てた。どうやらここでも双子は落ちこぼれたらしい。
「用がないならあっち行ってよ、ナスコンブ」
「おれたち疲れてるんだから放っておいてよ、ナスコンブ」
「僕のことをナスコンブと呼ばないでくれって何度も言ってるだろう! その変な呼び方、いよいよ後輩たちにも広がり始めたんだけど?!」
「よかったね、有名人じゃん、ナスコンブ」
「大陸中に名を馳せてね、ナスコンブ」
 今日も放課後はアルバイトだ。喧しい同級生の相手をするのに、体力と精神力を割いてはいられない。
 自分たちが言い出したこととはいえ、憂鬱な気持ちで職場に向かう。ぼんやりしながら執務室の前まで行くと、そこに腕組みをしてこちらに鋭い眼光を刺し込む人物――ガンクロウ隊長が待ち構えていた。
「ノール、ジュード。今すぐ資料室に来い」
 早くも解雇か。双子は顔を見合わせ、互いに諦めの表情を確かめた。
 資料室の奥は隊長の作業スペースらしく、ソファにテーブル、端末などが設置してある。さらに向こうには大きな機械が入っていた。
「仕事がやり難そうだな」
 立ったまま、隊長が切り出した。正直に言うか、誤魔化すか。双子が考えている間に、隊長は続ける。
「別に辞めてもいい。私は一人でも十分だからな」
「いや、一人は無茶でしょ」
「いや、隊長が倒れるでしょ」
 思わず同時に言ってしまうと、呆れたような声が「ステレオで喋るな」と返した。
「お前たちは、どうしたら効率よく仕事ができると思う。他の奴らは関係ない、自分たちならどうなのかを言え」
 自分たちなら。これまで何度も「この方がいい」と訴えては斥けられた考えを、はたして言っていいものだろうか。
 先回りして望んでいそうな答えを探すことはできた。静かにして、隊長の邪魔をしないこと。だがこれは「自分たちなら」とは真逆の答えだ。
 動き回って、お喋りをして、いつの間にか片付いている。それが最も良い方法なのだと、わかってくれる人はそうそういない。遊ぶんじゃない、真面目にやればもっとできるはずだ、と叱られるのが常だった。
「おれたちは」
 先に口を開いたのはノールだった。ジュードより少しだけ面倒見が良くて、けれども少しだけ諦めが早い。
「じっとしていることができません。おれはジュードと喋りながら、動き回りながら、作業をするのが一番やりやすいです」
「変かもだけど、そうなんです。おれもノールと喋って動いて、あと、書類より何か調べに行く方が得意!」
 ジュードが続いた。ノールより少しだけ甘えていて、けれども少しだけ粘り強い。
 隊長は二人をしばらく見ていたが、やがて「そうらしいな」と頷いた。
「私のことを色々勝手に調べたんだろう。経歴や生家のことなどとっくに知っているのだと、大文卿夫人から聞いている」
 双子は目を丸くした。隊長に、そして母にまで、自分たちのしていたことがばれている。これはもう解雇だな、と視線だけで言い合った。
 しかし隊長は、ハスキーな低音で続けた。
「だからお前たちを採用したんだ」
 言葉の意味を頭で理解したのも同時。双子は勢いよく顔を上げ、隊長の表情を見た。
 涼しい目をして、よく見ないとわからないほど僅かに唇の端を持ち上げた、その人を。


 台帳にめぼしいものがあれば、付箋をつけて書き出しておく。俺の担当分だけで既に三十を超えた。金はよく売られ、そして買われる。
 メダルくらいの大きさ重さのものは多い。ここからさらに絞り込まなければならないのだが、どうやって。
「ノールさんとジュードさんの方は、いくつぐらい見つかりました?」
「無いよ。多分ここには売られてない」
「無いよ。一緒に売ったものとの整合性が取れない」
 整合性。そうだ、そのことを忘れていた。メダルは他の宝飾品と一緒に、まとめて売却されたのだ。単独や少数で引き取られているものは除外してもいい。
 すると付箋はかなり減った。その後も同様に見ていく。
「私の方は終わった。ここには売られていないようだ」
 隊長が最後の台帳を閉じる。だとすると、もうここにしか望みはない。双子のお喋りが遠く聞こえる中で、俺は台帳を捲り続け、そして。
「……あの、きっと、これだと思います」
 メダルと同じ重さ、大きさ、形の金。何より書き添えられた特徴――「Est」の彫り込み。これを書いた人は、この品が本当に引き取っていいものなのか、少し疑ったのかもしれなかった。
「トビ君、お手柄!」
「トビ君、やっぱり天才!」
 双子が俺に両側から抱きつき、それから隊長に言った。
「午後から調査に行きます」
 不敵な笑みに、隊長も同じく返す。
「行ってこい」


 ノールは運転席に、ジュードは助手席に。そのジュードの膝の上には大きな荷物がある。いつでも使えるように手を添えておくことは、隊長から学んだ。
 エスト家のメダルでほぼ間違いないであろうものは、廃業した業者から預かった台帳から見つかった。トビにさらに探してもらっているが、今のところ車載無線に連絡はない。
 ということは他にめぼしいものが無く、且つ誰かが引き取ったわけでもなさそうだ。少なくとも短くはない期間、業者が保管していたことになる。
 廃業後、多くの品は他所に流れているはずだ。メダルが最後まで残っていたなら、その行方を捜索する必要がある。一番楽なのはまだ業者の手元に残っていることだが、その望みは薄そうだ。
 それでも双子が対象を追いかけられること、調べて手掛かりを掴めることを、隊長は評価してくれている。じっとしていられない性分も、それならやりやすいようにやれと認めてくれた。
 ――私がそうさせてもらっていたから、上に立つなら参考にしようと思っていた。
 そんな簡潔な理由で。
「面白いよね、巡り合わせって」
「だよね。軍人時代の隊長がやりやすいように動けていたのは、前大総統が認めてたからだもん」
「その子供がおれたちと仕事をしてくれている。なんだか、おれたちはとても幸運だよね」
 認めてくれる人へも、見えないものへも、感謝は仕事で返す。ノールはアクセルを踏み込み、ジュードは荷物にかけた手に力を込めた。
 廃業した元業者に改めて話を聞くと、かつて引き取った品物は全て他所に流したそうだ。良い報せとしては、その「他所」が特定の一箇所であること。悪い報せとしては、そこが裏組織に絡んでいるらしいということ。
 危険だからもう深入りしない方がいい、と元業者から止められたが、特殊部隊としてはここからが本業だ。早速車載無線で隊長に状況を報告する。
「おれたちは先に乗り込みます」
「軍に連絡をお願いします」
「わかった。生きてろよ」
 了解、と軽い調子で返事をして、次の場所へ。現在も営業を続けている、とある買取業者に接触しなければならない。
 メダルはどうなっているのだろう。トビが懸念していた通り、とうに溶かされてしまっているかもしれない。裏の何らかの資金源となっているのかも。
「奇跡ってあると思う?」
 ノールが訊ねる。
「わりとよく起きてるよ」
 ジュードが答える。


 隊長から渡された防弾チョッキは、丈夫な割に軽い最新式だった。これらの防具や武器、資料室の通信機などは、大文卿夫人が軍から許可を得て仕入れているらしい。
「何者なんですか、大文卿夫人って。父の同期だったというのは知ってますけど」
「弓を引けば百発百中、事務仕事は完璧。本来なら軍も文派などに渡したくはなかった逸材だ。だが大文卿の跡継ぎと熱烈な恋をし、嫁入りしてしまった」
 そういうわけなので、夫人は今でも軍と綿密なやりとりをしている。特殊部隊が不利なく戦えるよう最新の設備を整え、こちらで得た情報は軍と共有する。三派政を重んじる考えから、特殊部隊は存在しているのだ。
 だがそれを快く思わない人々もまだ多い。軍の設備を文部の施設に入れることにはまず非難があるので、通信機器などは資料室の奥にひっそりと置かれることになったそうだ。
「ここの職員も、なにも全員私が解雇したわけではない。他の部署や本部職員にネチネチと嫌味を言われるのに耐えられなかった者もいる。所詮私たちの仕事は、野蛮で汚れたものだ」
 荷物を車に積み込みながら、隊長は語る。しかしそこには怒りや諦めなどのマイナスな感情はないように見えた。
 寧ろ、無表情のまま笑っている。
「それでも隊長は、この仕事が気に入っているんですね」
 助手席に乗り込んだ俺がシートベルトを締めたのを確認し、隊長は車を発進させた。
「これを面白いと思った奴らが、最後まで残ったんだ」
 やはり特殊部隊は変わり者の集まりだ。もちろん、同じように思っている俺も含めて。


 買取業者は双子から話を聞くと、すぐに十五名ほどの破落戸を用意してくれた。下っ端の下っ端らしく銃は支給されていないのか、全員がナイフだの鈍器だのを手にしている。
「うちのお得意様のことを知ってる奴を、逃がすわけにはいかないんでね」
 業者の男はにやにやして、店の奥へと消えていく。ノールとジュードはそれぞれクロスボウを手にし、背中合わせに周囲を見回した。
「奇数だから割り切れないよ。どうする?」
「早い者勝ちじゃない?」
 距離を目測。相手は飛び道具を持たないから、クロスボウはまだ使わなくていいかもしれない。徒手空拳の心得だって、人並み以上の自信がある。
 特殊部隊に最初に採用された人員の、最後の一人は武術を習った経験があった。だが現場で戦うことはできなかった。曰く、本当に一般人に襲いかかってくるとは思わなかった。こんな戦いはフィクションの出来事だと。
 大立ち回りは基本的に軍のすることであり、文派には関係がない。そんなものは野蛮な所業である。だからできなくても当然だ。そう吐き捨てて辞めていった。残ったのは実情を聞いて育った双子だけ。戦うことに何の躊躇もない、人の悪意に臆することのない、もしかすると社会生活を送る人間としては何かしら問題のある自分たち。
 でも、きっとそれで良かったのだ。たとえ親族や同じコミュニティに属する者が「落ちこぼれ」と罵っても、ノールとジュードを認めてくれる人はいた。みんなのために、なんて大それたことは、きっと並の人間にだって、或いはスーパーヒーローにだって難しい。
 最初から、双子の守りたいものはほんの少しだった。そしてそれを守る力は、守りたい人が育ててくれた。
 襲い来る輩を見据える冷静な目は父譲り。逃げずに立ち向かう勇気は母譲り。そして振り上げられたナイフを躱し、相手に蹴りを叩き込む容赦のなさはガンクロウ隊長から学んだ。
 初めて共に戦ったとき、その強さに圧倒された。慣れた手つきで銃火器を扱い、的確に相手の動きを止める。暴れる相手を殺さず仕留めるのは相当高度な技術のいることだと、双子は母から教わっていた。
 ――自分の持つ能力に自信を持つこと、でもけっして驕らないこと。私が彼女を是非とも隊長にしたいと思ったのは、それができているから。
 それこそが「強さ」であり、ノールとジュードもそうあろうとしてきた。
 更なる強みは、自分たちは二人であるということだ。ジュードが背後を取られればノールが即座に助けに入り、ノールが囲まれればジュードが駆けつけて蹴散らす。落ちたナイフは二人で息を合わせて蹴り飛ばした。
「今日はジュードの勝ちだね。おれは七人仕留めた」
「え、ノールの勝ちじゃないの。おれも七人だよ」
 倒れる人間は十四体。あと一人いるはずだ。どこだろうね、と首を傾げ合う双子の背後を、建物の陰から銃口が狙う。撃鉄が起こされ、引鉄にかかる指に力が入った。
「「なーんて、ね」」
 だが銃に慣れない者が物陰で緊張している気配など、双子にはとうにお見通しだ。向けていた背を反すと、すぐさま準備していたクロスボウを構え、トリガーを引いた。


 隊長と俺が現場に到着したとき、双子は以前と同じように囲まれていた。相手の人数は十名程と少ないが、大ぶりのナイフを手にしている。周囲にはさらに十五名程、男たちがのびていた。
 双子を囲む者たちがこちらに気づくや否や、隊長は用意していた銃で撃つ。その隙に双子も動き、十名は瞬く間に地面に伏した。
「店主は中にいるのか」
「逃げたかもしれないです」
「でも中を探しましょう」
 隊長の指示で、俺とノールさんはこの場に残ることになった。隊長はジュードさんを連れて、店舗の中へと入っていく。
 車に積んでいた救急セットと縄を出してきて、倒れている人たちの手当てと拘束を行うのが俺たちの仕事だ。逃げられても死なれても困る。軍ですら、相手がどんなに凶悪犯だったとしても、殺してしまえば罰則がある。特殊部隊とはいえ一般人に等しい俺たちが相手を死なせるわけにはいかない。
「トビ君、縛るの上手だね。そういう趣味があるの?」
「どういう趣味ですか。父を手伝って荷運びをするので、紐の扱いに慣れてるだけです。ノールさんこそ手当ての手際が良いですね」
「ジュードと一緒に暴れまわった後始末は、自分たちでやらなきゃならないから。必然的に色々覚えたし、慣れたよ」
 軽口を叩きながら、ノールさんが止血をした人を俺がまとめて縛ることを繰り返す。様子を見ていると、血を流している人も傷はさほど深くはないことがわかる。隊長と双子の仕業は絶妙だった。
 計二十五名を拘束し終え、建物の様子を窺う。店主を探すのを手伝うべきだろうか。物音は聞こえるが、人の声はしない。
「もうすぐ軍が来るだろうし、待ってようよ」
「そうですね。事情を説明する必要があるでしょうし」
 ノールさんに頷き、建物を離れかけたときだった。砂利を踏むような音がしたので、俺はそちらを見やる。
 知らない男がボストンバッグを持って、そっと立ち去ろうとしていた。もしやと思うのと、ノールさんがその正体を呟くのは同時。
「店主だ」
 隊長がその人物を、しかも荷物付きで逃がしてやる筈がない。そう考えたのは自分の足がすっかり動き出してからだ。
 走ってくる俺の姿を見止めた男はぎょっとして、足をもつれさせながら駆け出そうとした。だが砂利と荷物に阻まれ、上手く動けないようだ。つまづいたところで俺の手が届く。
 掴んだ手を男の背中に回し、締め上げる。地面に落ちたバッグからは、小さな金属が大量に詰め込まれているような重い音がした。
 追いついたノールさんは何故か大笑いし、荷物をあらため始めた。
「またもやお手柄だね、トビ君」
「これくらいしかできないので」
「これくらい? 謙遜しなくてもいいんだよ」
 バッグからは金でできた宝飾品が大量に見つかった。関税を逃れる形で国外に流したとしたら、恐ろしく稼げるだろう。或いは国内で悪事を働く、その資金源としても十分だ。
「ねえトビ君、本当に謙遜はしないでね。これでそんなことされたら、おれたちは立場が無くなっちゃうよ」
「そんな大袈裟な」
 苦笑した俺に、ノールさんは金細工を一つ掲げて見せてくれた。
 丸くて、丁寧なライオンの彫り物をされたそれには、エストの名と250という数字が刻まれ、夕陽を受けて輝いていた。

 隊長とジュードさんが建物から出てきたのと、軍の到着はほぼ同時だった。今回は俺も聴取を受けなくてはならず、帰りが遅くなりそうだと祖父母に連絡をした。
 中央司令部で待っていたのは、大総統フィネーロ・リッツェと補佐大将ルイゼン・リーゼッタ。この二人については父からもよく話を聞いている。イリスさんの元同僚、父の元部下だ。彼らをこの地位に就けたのも父だった。
「トビ、大きくなったな。俺たちが会ったのは、たしかお前がレヴィさんのところに来てすぐの頃だった」
 もう随分前だな、とルイゼンさんは懐かしそうに笑う。彼はその頃からあまり変わっていないようだ。
「体つきもがっしりしてきたな。昔は痩せていたから心配だったが」
 フィネーロさんは少しやつれたかもしれない。大総統の仕事はさぞかし大変なのだろう。
「でもなあ、仕事は選べよ。あの隊長と双子に付き合える人間はそうそういないぞ」
「なかなか厄介な性格だろう。困ったことがあったら、こちらにも相談してくれて構わない」
 溜息混じりに、けれどもどこか楽しそうに言うのは、彼らもまた隊長に付き合い続けた人たちだからだ。隊長がイリスさんと同期なら、そういうことになる。
「しかしガンクロウ隊長、トビが来ているなら、もっと早くに教えてくれても良かったんじゃないか」
 フィネーロさんが視線を後方にずらし、はじめて隊長の聴取が終わったことに気がついた。少し疲れた表情で、隊長は返す。
「私はカリンが教えているものだと思っていた。トビは昨年の秋にもアルバイトに来ていたし、そのときはカリンが仕事を持ってきていた」
「仕事の話はしないんだ、お互いに。なにしろ一年の四分の三は別居状態だ」
 名前から薄々気がついてはいたが、隊長の妹のカリンさんは、フィネーロさんの妻だった。つまりあの人は弁護士であり大総統夫人なのだ。ということは、隊長も一応大総統の身内なのである。
「さて、トビ。お前も聴取を受けてこい。すぐに終わるだろうがな」
 せいぜい大手柄を取ったくらいだ、と隊長がにやりと笑う。双子はまだまだかかりそうで、時折どこかの部屋から「座ってるの飽きたー」と声が聞こえた。

 アルバイト七日目。応接用のソファには、再びマリッカさんの姿があった。隊長と向かい合い、ミルクをたっぷり入れたコーヒーを飲んでいる。
 エスト家のメダルは鑑定中でここにはないが、どうやらマリッカさんは軍にいる双子のきょうだいから発見の報せを受けたようだ。
「お願いがあるの」
 コーヒーカップをそっと置き、マリッカさんが隊長に告げた。
「メダルが本物でもそうじゃなくても、私たちは構わないから。父に確認させるのは待ってほしい」
 借用するためには、本来の持ち主であるエスト家当主に確認してもらったうえで、契約書にサインを貰わなければならない。ではどうするのか、と俺と双子は耳をそばだてる。
「父が自分で確認しようと出てくるまでは、見せないでほしい。あの人もいいかげん、自分から動いてくれないと」
 回収された品の返却を拒否したその人が、今度こそ自らの意思で事実に向き合えるように。ただ受け入れて諦めるのではなく、きちんと決別するために。マリッカさんはそう言った。
「もしかしたら、父はずっとあのままかもしれない。そうしている間に、私たちきょうだいが新しい当主になって、メダルを引き取ることになるかも。それはそれで仕方ないと思うのだけど、だけど私たちは」
 走る言葉を切り、ほんの僅かの躊躇いで唇を噛む。隊長はずっと黙っていて、微動だにしなかった。
「父に、私たちをちゃんと見てほしいの。母が残していったものではなく、父の息子と娘なのだと、認めてほしい。メダルも同じ。あれは母が持って行ってしまったものではなくて、ずっと父のものなの」
 存在すら知らなかった、しかし作られて以降代々受け継がれてきたはずのメダル。そこにマリッカさんたちは、俺には計り知れない、一縷の切なる望みをかけている。
 親子でありながら遠い存在であった父に、自分たちは同じ道の上にあるのだと認めてほしい。独りではないのだと、わかってほしい。
「あなたたちの仕事に支障をきたさないよう、借用契約のサインは私が代理で」
「ああ、そうしてくれ。当主殿には、確認したくなったら文派特殊部隊まで来いと伝えるように」
 面倒な親だな、と隊長は呆れていたが、一方でその声には優しい響きがある。双子も微笑みながら頷き合っていた。
 美しい字でサインをし、マリッカさんは大きく息を吐いた。
「それにしても、仕事が早いのね。さすが特殊部隊」
「それが売りですから」
「早く幅広くがモットーですから」
 双子がにこにこと返し、隊長にまた「ステレオで喋るな」と叱られる。ところが今回は、その後に「だが」と続いた。
「こういった対応ができるのは、ノールとジュードの機動力のおかげだ。それは認めている。だから信用してくれるとありがたい」
 隊長のいつになく優しい言葉に、マリッカさんは目を細め、双子はこっそり手を叩き合う。その光景は俺の胸に温かいものと熱いもの――喜びと達成感を湧き上がらせた。
 俺には何ができるだろう。隊長のように、ノールさんとジュードさんのように、自信を持てるようなものを見つけたい。