どうしてこんなことになってしまったんだろう。

今目の前に広がるのは眩い金色と、大量の鮮血。そして多数の人間だった塊。まさに地獄絵図。

その地獄絵図を作り上げたのは、私。そばには先ほど知り合ったばかりの三人の軍人。彼らはただ呆然と私と目の前の惨劇を見つめている。

「どうしてこんなことになってしまったんだろう…」

誰にも聞こえない小さな声で呟く。

今の私の頭は、それだけでいっぱいだった。

いったいいつ歯車は狂い始めたのだろう。

 

私が真実を知ったとき?

私が剣技を習おうと決めたとき?

アスリック様が私を引き取ったとき?

それとも、もっと前?

 

目の前に、私の育ての親だった人が倒れている。

彼が動くことはもうない。

だって…たったいま、私が殺めたんだから。

彼の心臓に、私がこの短剣を突き立てた。

後悔はしていない。私は自分の意志を貫いただけなんだから。

でも、考えずにはいられない。

彼を殺さずに済む方法が、あったかもしれないということを…。

 

 

私が戦術を身につけようと決めたのは、11歳の時だった。

今までアスリック様に良くして頂いたのだから、自分も彼の役に立ちたいと思ったのだ。

そんな時、彼が村に帰ってきた。

私が小さい頃、世話役兼ボディーガードとして面倒を見てくれていた人がいた。今は首都のそばにある街で教師として働いている彼が、たまたま村に帰ってきていたのだ。

彼が私の世話をしてくれていたのは、6歳くらいまでなので当時はよくわからなかったが彼は剣の腕が立つらしい。

彼は数日でまた街に帰ってしまうと聞いていたから私は毎日彼に稽古をつけてほしいと頼みに行った。

「お願いロウェル、あなたにしか頼めないの」

「そう言われましても…アスリック様が心配されます。それに、お嬢様には剣は必要ないでしょう?」

ロウェルは困った表情を見せるが、こっちも引くわけにはいかない。

「お願い。私はアスリック様のお役に立ちたいの。彼をお守りしたいの。

でも、アスリック様やまわりのボディーガードに頼んでも私には必要ないの一点張りで…もうあなたにしか頼めないのよロウェル」

私達は数日この会話を繰り返している。でも、私はわかってる。最終的には、いつも彼が先に折れてくれる。今回もそうだった。

彼はため息とともに肩をすくめて見せる。

「…わかりました。まったく、お嬢様は一度決めたら絶対に意見を変えませんからね。数年経って変ったかと思いましたが、私の考えが甘かったようです」

「それじゃあ!」

「はい、あなたに稽古をつけましょう。ですが、私はもうすぐ街へ帰らなければなりません。そこで、条件があります」

「なに?」

「お嬢様には、私と一緒に街に行っていただきます。そこで稽古をしましょう。アスリック様には、お嬢様はしばらく私のところでお勉強をするからとお伝えします。もちろん、アスリック様にそのようにお伝えする以上、お嬢様にはお勉強もきちんとしていただきます。それでよろしければ、稽古をつけましょう。いかがですか?」

「いいわ。私、あなたと街に行く!」

どのような条件を出されようと、私の答えは決まっている。勉強しなければいけないのは少し嫌だけど、アスリック様のお役に立つためには勉強もしなければいけないのだから、一石二鳥だと思えばいい。

私の答えが初めからわかっていたのか、私の言葉を聞くと彼はにっこりと微笑んでくれた。

「では、屋敷に行ってそのことをアスリック様にお伝えしましょう。お嬢様も今日はもうお帰りになられたほうがいい。私と一緒に参りましょう」

「わかったわ」

そうしてその日はそのまま屋敷に帰った。

そしてその日の夜、アスリック様が私の部屋に来た。

アスリック様はロウェルのところなら安心だと言って私が街に行くことを許してくれた。

 

 

そして数日後、私はロウェルと一緒に街に行った。

彼は自宅に着くと早速稽古をつけてくれた。

「では、まずは護身術から始めましょう。きちんと身体を動かせないと、次のステップには進めませんから」

そう言って、彼は何も知らない私に基礎から丁寧に教えてくれた。その日のほとんどは、基礎を覚えることで終わった。

私は教えてもらったことを全然できなくて落ち込んでいたけど

「できていないなんてとんでもない!お嬢様はむしろ物覚えがはやくて驚かされていますよ。今日も、予定していたメニューより少し先まで進めましたからね」

そう言って、励ましてくれた。それが、とてもうれしかった。

「今日はもうこれで終わりなの?」

褒められたことが照れくさくて照れ隠しに言うと、彼は「少し待っていてください」と私に言い残して奥の部屋へ行ってしまった。

彼の行動の真意がつかめず、なんだろうと首を傾げていると手に何かを持った彼が戻ってきた。

「これを、お嬢様に差し上げましょう」

彼が私に手の上のものを差し出す。それを覗き込むと、小さな剣がのっていた。

「こんな短い剣、どうするの?あ、もしかして折れちゃったの?でもちゃんと鞘に収まってるし…」

私はあまり武器などを見たことがなかったので、剣といえば大きな長いタイプのものしか思い浮かばなかった。

こんな短い剣を出して、冗談のつもりなのだろうか?

そんな私の様子を見て、ロウェルは笑いを堪えているようだった。

「お嬢様、これは折れてはいないですよ。短剣を見るのは初めてですか?これはこれで、ちゃんと武器として使えるんですよ」

「こんなに短いのに?」

私は彼の上にのった剣を受け取り、鞘から抜いてみる。やはりとても短くて戦闘に使えるとは思えない。

「普通の剣をご用意しようかとも思ったのですが、お嬢様ではきっと重くて扱えませんからね。私の使い古しで申し訳ございませんが…」

「これ、あなたのなの?」

確かに、よく見るととても使い込んであるようで小さな傷が目立つ。

それにしても…

「これも少し重いね。こんなに小さいのに」

軽く片手で振ってみる。やっぱり重い。これではすぐに腕が疲れてしまう。

「まあ、そうでしょうね。それは私用に作られたものですから。でも、一応軽いほうなのですぐになれるはずですよ。お嬢様の当面の課題は、その剣の重さに慣れることです。本当はもう少し後にお渡ししようと思っていたのですが、まず武器の重さに慣れていただかなければ次に進めませんから」

「次って、まだ初日なのにずいぶん気が早いのね」

私が言うと、彼は少し肩をすくめた。

「まあ、そうかもしれませんね。でも、やっておいて損はないですよ。とりあえず、空いている時間に少しずつ慣れてください。お嬢様は踊るのが得意なので、短剣を持ちながら踊ってみるのもいいかもしれませんね」

「わかったわ。やってみる」

彼から受け取った短剣を握り締める。私にどこまでできるかわからないが、とにかく今は彼に言われたことを精一杯こなすだけ。

私はその日の稽古が終わると、部屋に戻って早速剣を持って踊ってみた。でもそれは私が想像していた以上に難しくて、やはりすぐに腕が疲れてしまうし、腕や身体に剣があたって落としてしまうこともしばしばだった。

「まだ始めたばかりだし、きっとできるようになるよね」

 

自分を励ましつつ、また踊る。私は時間の許す限り毎日踊り続けた。

もちろん、きちんと勉強もした。ロウェルとの約束だったし、何より始めてみると面白い教科もあってロウェルとの勉強の時間も楽しみのひとつになっていた。

そうして街に来てから半年が経って、私はようやく次のステップに移ることになった。

 

 

「さて、お嬢様。剣の重さには慣れましたか?」

「ええ、もちろんよ。見ててね」

私はロウェルから少し離れて、彼の前で踊って見せた。

ずっと練習したおかげでもう腕が疲れることもないし、身体にぶつけて剣を落とすこともない。

私はロウェルの前で完璧な踊りを披露して見せた。

そして私が踊り終えると、彼は盛大な拍手をしてくれた。

「素晴らしいです、お嬢様。毎日練習していらっしゃるのは知っていましたが、まさかここまでとは…。これなら、踊り自体をあなたのスタイルにできるかもしれませんね」

彼が私に歩み寄り、そして微笑む。

「では、予定通り今日から剣を使った稽古を始めましょう。まず、基本からお教えいたします」

「はい、よろしくお願いします」

彼の笑みに、私も満面の笑みで返した。

 

 

こうして私の稽古は順調に進み、私の14歳の誕生日。大方の稽古を終えた私は一時的に村に帰ることになった。

「ありがとうロウェル。ここまででいいわ」

村の入り口まで来て、彼の車から降りる。三年ぶりの村は、何も変っていなくてとても懐かしかった。

「では、私はこれで。1週間後、またお迎えに参ります」

「わかったわ」

彼に手を振って、屋敷に向かう。その途中、村のみんながお帰りと声をかけてくれてとても嬉しかった。

自然と笑顔になる。

屋敷に入って自分の部屋に荷物を置き、すぐにまた部屋を出る。

彼に自分の帰りを伝えなければ。

「アスリック様、お元気かしら?」

三年ぶりに会う親。ずっと連絡を取っていなかったから会うのがとても楽しみだ。

彼の部屋まで来て、ドアを開ける。いつもはきちんとノックをしてから入るのだが、早く会いたい一心でその日はノックを忘れていた。

だがそれが、いけなかった。そのせいで、私は真実を知ってしまった。

「アスリック様、なぜラディアをこの村においておくのです?!

ドアを少し開けた瞬間、中からボディーガードの声が聞こえてきた。

私は耳を疑った。

 

なぜ村においておくのか。

 

彼は確かにそう言った。

 

どういうこと?私は村にいてはいけないの?どうして?

 

私は金縛りにあったかのようにその場から動けなくなった。

この先の会話を聞いてはいけない。きっとよくないことが起こる。

私の中で警鐘がなるが、身体は言うことを聞かない。

部屋での会話がどんどん私の耳に入ってくる。

「それに、せっかく彼女がロウェルのところで暮らしていたのに村に帰ってくることを許すなんて!いったいどういうおつもりですか!このまま彼女をロウェルのところにおいておけば、彼女が真実を知る可能性が大幅に低くなります。それに、あなたに危険が及ぶ事だって…!」

真実?いったい何のこと?それに、私がアスリック様に危害を加えるって言うの?そんな訳ないじゃない。だって、彼は私の命の恩人なのに…。

 

私の頭はわけのわからない事だらけでショート寸前だった。彼らの会話はなおも続く。

「大丈夫だ。ラディアが両親のことを知ることはない。それに、私は彼女のことを本当の娘だと思っている。自分の娘を信じられない親は、たとえ血を分けた親子であっても、親失格だよ」

私の両親のこと?そんなの知ってる。両親は私をこの村に捨ててどこかへ行ってしまった。そう言っていた。アスリック様が。

「しかし…!」

「心配いらんよ。彼女の両親が儀式の生け贄になって死んだことは絶対に彼女に知られることはない」

彼のその一言で、私の思考は完全にショートした。

 

死んだ?私の?生きてるんじゃなかったの?儀式の生け贄?

儀式って、あの儀式?

 

この村には古くから儀式がある。

日にちは変るが年に一度、村の娘を生け贄として神獣さまに捧げる儀式。

確か、今は村に娘が足りなくて外から来た人を生け贄にしている。

今の会話で行くと、おそらく母親が生け贄になり、父親は殺されたことになる。

そうなると両親を殺した首謀者は…

 

「…アスリック様」

 

そんな…そんな…

彼を尊敬していたのに…感謝していたのに…守りたいと思っていたのに…

でも、彼のせいで私は両親の顔を知らない。本当の家族を知らない。彼のせいで…

 

その瞬間、彼への感情が一気に変った。

敬愛や尊敬という感情はもうない。

あるのはただ、憎悪だけ。

そしてこの日、私は彼に復讐することを決めた。

「ごめんなさい。あなたには死んでいただきます。アスリック様…」

スカートの上から右足の太ももに触れる。そこには、ロウェルからもらった短剣が固定されていた。

本当は、この剣で彼を守るつもりだった。ずっと、ずっと。

なのに…

「その剣を、一度も彼のために使わないで終わるなんて。彼を殺すために使うなんて…皮肉だな」

そう呟いて、彼女は自分の部屋に戻っていった。

アスリックに会うという、当初の目的を果たせぬまま。

 

 

翌日、彼女はアスリックの部屋にいた。彼が使用人と共に屋敷を離れている間に忍び込んだのだ。

両親のことを知るために。

「アスリック様は几帳面だから、必ず儀式のことを記録に残してるはず…」

彼が帰ってきたときに部屋に入ったことがバレないように、物音を聞きつけて使用人が来ないように、慎重に部屋を物色する。そうして部屋を探すこと十数分。ようやく見つけた。

古ぼけた、分厚い手帳を。

手帳を開いてみると、彼が村長に就任してからの儀式の記録が事細かに書かれていた。

私はページをめくり、十数年前の記録を探す。

 

「…あった」

 

私の両親のことと思われる記述。

そこには三人の親子が旅行途中にこの村に立ち寄ったこと。娘が足りなくその年の儀式が遅れていたため母親が生け贄に選ばれたこと。その後偶然二人に生け贄の祭壇までの地図を見られてしまったこと。地図を見てこの村に疑問を持った二人があろう事か一度で地図を覚えてしまい祭壇を見られてしまったこと。そのため村の真実が外に漏れることを恐れた彼が男を殺し、女を当初の予定通り生け贄としたこと。そして最後にあまりにも幼かった私を殺すことはできないとそのまま彼が私を引き取ったことが書かれていた。

 

「やっぱり、昨日のことは本当だったんだ…。アスリック様が…殺したんだ…」

両親は殺されたが不幸中の幸いか、私だけは生かされた。

私が、両親の仇をとらなくちゃ。

「でも…」

問題はいつ実行に移すかだ。彼の周りには常にボディーガードと使用人が数人いる。

きちんと計画を立てて慎重に行動しなければ。

「当面は、私が真実を知ったことがバレないようにしないと」

私に残されている時間はあと6日。6日後にはロウェルが迎えに来る。一度街に帰ってしまえば、もうあと数年は村に戻ってこれないだろう。

それまでに、計画を立てなければ。

使用人たちにバレないように部屋に戻り、計画を立て始める。しかし、やはりいい方法が見つからなかった。周りにいるボディーガードたちがどうしても一番の障害になってしまう。

結局、いい方法を思いつかないまま数日が経ってしまった。

 

 

そして5日後。明日にはロウェルが迎えに来てしまうという状況に追い込まれてしまった私に、チャンスがやってきた。

たまたま買い物に外に出たときに、見慣れない車を見つけた。

「おばさん、あの車どうしたの?」

お店のおばさんに聞いてみる。すると彼女は笑顔で教えてくれた。

「ああ、ついさっき男女の三人組がこの村に来てね。なんでも旅の人達だって言うけどかなり若かったねぇ。ラディアちゃんと大して年は変らないと思うよ」

「そうなんですか」

私はもう一度車を見る。とても高そうな車だ。こんな車を私と同じくらいの年の、しかも旅人が買えるのだろうか?

「そういえば、女の子はとっても可愛らしい子だったねぇ。長い金髪がとても綺麗で。きっとあの子、もう少ししたらすごい美人さんになるだろうね」

その思い出したように呟かれた彼女の言葉に、私は驚いた。

金髪?少女で金髪?もしかしたら、これは最後のチャンスかもしれない!

「おばさん!」

「なんだい?」

「その三人組、どこに行ったかわかりますか?!

「さあ?でも、屋敷の方向に歩いていったからその辺にいるんじゃないかい?」

「あと、今年の儀式ってもう終わってますか?!

「儀式?まだ終わってないよ。今年も遅いねぇ。そろそろだとは思うんだが」

「ありがとう!」

おばさんから買った品物を受け取り全速力で屋敷に戻る。

金髪の少女が来た。儀式はまだ終わっていない。

ということは…

「必ず今夜、儀式が行われる!」

少女はこの村にとっては極上のささげ物だ。もし屋敷に行っていたとしたら、必ず彼に説得されて屋敷に泊まることになるだろう。

そして儀式ために彼が祭壇に行ったとき。それが絶好のチャンス。あそこなら、何をしても絶対にばれない。

「ついに、ついに来た!」

彼を殺すための、最初で最後のチャンス。絶対に逃さない!

 

 

屋敷に戻って確認すると、やはり彼らはここに来ていた。今はアスリック様と会っているらしい。

私は部屋に戻りアスリック様が来るのを待った。今まで儀式のときは簡単な手伝いをしていた。今回も、必ず手伝うことになる。

しばらく待つと、彼が私の部屋に来た。

「ラディア、準備をしてくれ」

私は何の準備ですか?と聞く。だが、本当はわかっている。彼が言っている準備とは…

「今年の儀式の準備だ。先ほど三人の旅人が来てな。今年は良い儀式になりそうだ。彼女は最高の生け贄だよ」

彼が言う最高の生け贄とは金髪の少女のことだろう。私の胸は高鳴る。

「わかりました。まず何をしましょう?」

「とりあえず村の前に止っている車にあるものを屋敷に運んでくれ。目に付いたものはすべてだ」

「わかりました」

彼に返事を返して屋敷を出る。そして村の外に向かった。

 

 

ピッキングで車の鍵を開け、ドアを開ける。するとその中には

「…何もないわね」

車の中に物はほとんどなかった。あるのは少量の食料と深緑色の小さなポーチだけ。

「とりあえずは、持って行かなきゃ。命令に逆らったら怪しまれちゃう」

私はポーチと食料を持って屋敷に戻った。

 

 

その日の深夜。順調に準備が進み、とうとう本格的に儀式が始まろうとしていた。アスリック様とボディーガードたちが彼らの部屋に向かう。

しばらくして、深夜とは思えないほど屋敷が騒々しくなる。私の部屋は彼らの部屋の近くのため、会話が聞こえてきた。

 

どうしてこんなことを!?

 

ここに来た時に言っただろう!本当に非常事態のとき以外武器は使うなと!

 

グレンさん!カイくん!

 

少女の叫び声が聞こえた後、また屋敷は深夜の静けさを取り戻した。それを合図に、私は屋敷の地下牢に向かう。

私が地下牢についたすぐ後、アスリック様が入ってきた。金髪の少女を抱えて。

その少女は同性の自分から見ても本当に綺麗だった。本当はこの年なら可愛いと言うのだろうが、私はやはり「可愛い」ではなく「綺麗」だと思った。

少しの間私が見惚れていると彼が話しかけてきた。

 

「ラディア、この子の手当てを頼む。少し手荒にしてしまってな。あと、あとでこのドレスに着替えさせてくれ」

 

そう言うと、私に純白のドレスを差し出す。汚れがひとつもない真っ白なドレスは彼女の金髪にとてもよく似合いそうだ。

「はい、わかりました」

私はドレスを受け取る。アスリック様はそのまま彼女を抱えて地下牢の奥に入っていった。おそらく一番奥の頑丈な牢に入れるのだろう。

少しすると、彼が戻ってきた。そして私に鍵を渡す。

 

「では、頼んだよ。私は祭壇の準備をしなければ」

 

彼が地下牢から出ると、私は彼女が入れられている牢へ入った。先ほどの騒ぎからすると、彼女もどこか怪我をしているはずだ。見た目は特に外傷がないので身体に触ってみる。そして頭に触れたところでようやく怪我を見つけた。

「いくら私が治療できるからって、ここまで強く殴ることないじゃない。相手は女の子なのに…」

自分の手のひらを見ると、少し血が滲んでいた。私は彼女の傷に手をかざして意識を集中する。そして少しすると、自分の手が熱くなってきて白い光が灯る。しばらくそのまま手をかざし、彼女の傷が治ると手を離した。

「さて、私も少し準備してこなくちゃ」

牢に鍵をかけ、屋敷に戻る。彼らの部屋から武器を回収してこなければ。

部屋に入ると、かなり荒れていた。彼らの会話からして抵抗はしなかっただろうからボディーガードたちが派手にやったのだろう。

私は落ちている武器を見つけるとひとつずつ拾っていく。そしてムチを拾ったとき、偶然見てしまった。あのマークを。

「これって…」

ムチの柄に描かれているもの。それは、ライオンだった。この国の。エルニーニャ王国のシンボル。

それが武器に描かれているということは…

「まさか、軍人!?

確か、ロウェルとの勉強中に彼が豆知識程度に話していた。軍で支給された武器にはこのマークがあると。

あわてて他の武器も見る。剣にはどこにもなかったが、銃にはマークがあった。

「三人のうち二人が軍人?でも確かロウェルが、軍人が使う武器は私物もあるって言ってたし。二人も軍人がいるのに一人だけ一般人とは考えられないから三人ともそうだと考えたほうが自然ね…」

車を見た時点で旅人にしてはおかしいと思っていたが、まさか軍人だったとは…。

それにしても、自分にとっては最後のチャンスだったのに相手が軍人だなんて、なんて運がないのだろう。

いくら祭壇でしたことがばれないからって、そばには必ず彼女がいる。軍人相手では絶対に逃げられない。でも…

「やっぱりやらなくちゃ。両親のために。私のために」

いざとなったら、彼女達も殺してしまえばいい。どうせボディーガードたちも殺すのだから同じだろう。殺した後は祭壇の中に放置すれば探せない。あそこは迷路なんだから。

「…そろそろ戻らなくちゃ。彼女が起きちゃう」

自分の部屋に回収した武器を置いて地下牢に行く。すると、彼女はすでに目を覚ましていた。現状が把握できずうろたえているようだ。

 

「おはようございます、リアさん」

牢に入って挨拶をする。アスリック様に聞いていたので三人の名前は知っていた。

「あなた、誰?」

「この屋敷の人間です。アスリック様からあなたのお世話をするように言いつかっています」

私は牢の鍵をかけなおし、彼女の隣に座る。

「ねえ、あなた、名前なんて言うの?」

私が座ると突然彼女が話しかけてきた。彼女は少し落ち着きを取り戻したようだ。

でも軍人なのにこんなに警戒心がなくていいのだろうか?それとも、現状を把握しようとしているのかもしれない。

「ラディア…ラディア・ローズです」

「へー、じゃあ、ラディアちゃんでいい?」

「はい」

やっぱり警戒心がないのではないだろうか。私に話し掛ける彼女はとても無邪気に見えて、いくら軍人でも普通の女の子なのだと思わせる。

そうして少しの間会話をすると、彼女はふと思い出したように聞いていた。

「そういえば、私殴られたんだけど、その傷がもうないの。あなたが手当てしてくれたの?」

「はい。私、治癒能力があるんで、ちょっとした傷ならきれいに治せます」

私には、なぜか治癒能力があった。私だけなのか、両親もそうだったかはわからない。私は自分の能力についてあまり知らないが、アスリック様が言うには私の能力は発展途上で、年齢を重ねるごとに能力が向上し成人するとどんなに酷い傷でも治せるようになるらしい。

「へー、すごいね」

そう言う彼女の瞳は輝いている。やっぱり私の能力は珍しいから好奇心をくすぐられるのだろう。その様子を見て、私は彼女の目を見られなくなった。少し俯く。

「でも、私はあんまり嬉しくないんです」

「なんで?」

「だって、私だけこんな変な能力があるなんて、嫌じゃないですか」

両親がどうだったかはわからない。でも、もし両親がこの能力を持っていたのだとしても今はいない。この能力を持った人間は、私だけ…。

それに、この能力で得をしたことなんて一度もない。自分の怪我は治せないし、この能力のせいで悪魔と呼ばれたこともある。

でも彼女は

「そんなことないよ。私はとてもいい能力だと思うよ?だって、もし将来大事な人ができて、その人が怪我とかしちゃった時に治してあげられるじゃない。少なくとも私はその能力欲しいな」

そう笑顔で言う。私はこの能力の話をしてそんな答えを返した人をはじめて見た。それを聞いた瞬間、自然と口が動いていた。

「リアさんは、大事な人がいるんですか?」

すると彼女はとても幸せそうな顔をして、とても優しい声で、呟いた。

「うん。いるよ。絶対に死なせたくない人…」

そう言う彼女がとても幸せそうで、うらやましくて、訊いてみた。

「私にも…できるかな」

「できるよ。そのときにためにその能力、大事にしなきゃね」

「はい」

彼女の笑顔は、とても素敵だった。

私はこのとき初めて、この能力の本当の使い方がわかった気がした。そして、心から大事にしようと思えた。

「リアさん、お水はいかがですか?」

しばらく話して彼女に勧めてみる。ずっと話をしていたのでのどが渇いているはずだ。

「そうね、お願いしていいかな?」

「はい。じゃあ、持ってきますから少し待っててくださいね」

私は地下牢から出て屋敷の厨房に向かう。そして水をコップに注ぎ、錠剤を一錠入れる。少しすると、錠剤は完全に水に溶け、透明の液体になる。

「リアさん、どうぞ」

地下に戻り彼女にコップを手渡す。彼女はお礼を言ってそれに口をつけた。すべて飲み干し、私に返す。

「ありがとう、おいしかったわ」

「いいえ」

受け取ったコップを脇のテーブルに置く。そして変化はすぐに出た。彼女がうとうとし始める。

「あれ、どうしてかな?すごく眠たい…」

「少しお休みになったらいかがですか?」

「うん…ごめん、そうさせてもらうね」

彼女はそう言うとすぐに眠ってしまった。それを確認して私はアスリック様から受け取ったドレスを彼女に着せる。

「ラディア、準備はできたか?」

私がドレスを着せ終えたころ、アスリック様が地下に来た。祭壇の準備が整ったのだろう。

「はい、ちょうど今終わったところです」

「そうか」

アスリック様は彼女を抱えて牢を出る。でも…

「あの…」

なぜか私は出て行こうとする彼を呼び止めていた。

「どうした?」

「…いえ、なんでもないです」

「そうか」

そう言うと、彼は階段を上がっていった。それを黙って見つめる。

私は今、何を言おうとしていた?彼女とは知り合ったばかりだ。どうなろうが、自分には関係ない。そもそも彼を殺すために儀式は不可欠だ。彼女一人の犠牲で、自分の目的は達成できる。

『私はとてもいい能力だと思うよ』

関係ない、私には。彼女は生け贄になるんだ。

『少なくとも私はその能力欲しいな』

うるさい、うるさい。彼女一人の犠牲ですべてがうまくいくんだ。私の、最後のチャンスなんだ。

『そのときのためにその能力、大事にしなきゃね』

「最後の…チャンスなのに…」

どうしてこう予定外のことばかり起こるのだろう。神様は、自分にチャンスをくれたのに邪魔ばかりする。まるで初めから成功させる気がないかのように。

(こんな意地悪するくらいなら、最初からチャンスなんてくれなければ良かったのに…)

牢から出て、地上に向かう。まずは、彼らを助けて協力を要請しなければ。

 

待っててくださいね。必ず、助けますから。あなたは、絶対に死なせたりしませんから…。

 

彼らがいるはずの地下牢に行くと、話し声が聞こえた。彼らにも睡眠薬を嗅がせていたのだが、本来の時間よりずいぶん早く目覚めたようだ。

地下牢は音が響く。特に私はハイヒールのため音を隠すのが難しい。本来は音を隠して歩くものだが、今は自分の存在を隠す必要がないので普通に歩く。

すると彼らが私の存在に気づいたのか、会話がぴたりととまった。気にせず彼らの牢の前まで行く。

「はじめまして。グレンさん、カイさん」

少し声を抑えて挨拶する。彼らもそれに答えてくれた。

「はじめまして」

「はじめまして。早速で悪いけど、君は誰だい?」

カイさんが聞いてきた。初めから話そうと思っていたので、話を振ってくれるのはありがたかった。

彼らからすれば、現状を把握するための無意識の質問だったのだろうが。

「私はラディア・ローズ。ラディアと呼んでください。あなたたちの監視役です」

彼らの警戒を少しでも和らげるため正直に話す。実際、リアさんの監視が終わった後は彼らの監視をするように言われていた。

「えーと、じゃあラディア。俺たちのほかにもう一人金髪の女の子がいたはずなんだけど、その子がどこにいるか知らないか?」

カイさんが私に聞いてきた。しかしその聞き方は教えてくれるはずないけど念のために聞いておくか、程度のものだった。

「もちろん、知っています。というか、私はあなたたちにそれを教えるために来たんです」

「…?どういうことだ?」

「少し待っていてください。この牢のカギと…あなたたちの武器を持ってきます。そのあとで、ゆっくりとお話をしたいと思います」

彼らにそう言い残して牢を出る。彼らが目覚めてからカギと武器を持ってこようと思っていたので、今は手元にない。

できるだけ話をしたらすぐに祭壇に行ける状態にしておきたかった。

自分の部屋に戻ると彼らの武器とリアさんの服を抱え、また牢に戻る。そして彼らの牢のカギを開け、中に入った。

「まず、ここがどこか一応言っておきたいと思います。ここは私の家の地下にある牢屋です。そして私は今からあなたたちを助け出します。ちなみにあなたたちの傷の手当をしたのも私です」

彼らがこの牢に入れられたすぐ後、アスリック様には内緒で彼らの手当てもしていた。傷を見たら、どう考えても放っておくのはよくないほどの強さで殴られていたから。

「…どうして俺たちを助けてくれるんだ?俺たちと君とは初対面だろ?それに手当てをしたとしても、短時間でこんなにきれいに治せるものなのか?」

まあ、彼らにしてみれば当然の質問だろう。私はできるだけ詳しく話した。

彼らを助ける理由、自分はこの村の出身じゃないこと、治癒能力のこと、どうしてもリアさんを助けたいこと、そしてこのままでは彼女が生け贄にされてしまうこと。

もちろん、村の儀式のことも私の知っていることはすべて話した。

彼らは、驚きながらも何とか納得してくれたようだ。

「で、リアは今どこにいるんだ?」

「リアさんは、今はおそらく生け贄の祭壇にいるはずです。生け贄の祭壇は村のはずれにある丘の上の建物です。…ご覧になりましたか?」

「ああ、見たよ。確か十年前まで鉱物を加工するために使われてたって言ってたね、ここの村長が。てことは、あれは大ウソだったってことだな」

「まあ、そうですね。実際は、あそこは大昔から生け贄の祭壇として使われているんです。ですから外から見るとただの廃墟ですけど、中はとても立派に造られています。もちろん、行かれるのなら道案内は私がします。あの中の道はすべて覚えていますので」

「ああ、もちろん行かせてもらうよ。こっちもリアがいないといろいろ困るからな」

彼らからはそう返事をもらえた。これで、彼女を助けやすくなった。でも、私は本来の目的を忘れてはいけない。リアさんを助けて、そして…。

そのためには、今ここで確認しておかなければ。真実を。

まあ、彼らが軍人だからといっていまさら何かが変るわけではないかもしれないけれど…。

「そういえば、あなたたちはいったい何をしにこの村に来たんですか?」

「え?村長から聞いてないのかい?俺たちはただの旅人だよ。別に何か目的があってきたわけじゃない」

やはり彼らはあくまでも旅人だと答えた。予想はしていたが、武器のことを知っている私には自分たちが軍人だと認めたも同然だ。

私は少し笑みを浮かべつつ追い討ちをかける。

「ウソですよね。軍人であるあなたたちが目的もなしにこんな所に来るはずがないですもん」

!!どうしてそれを!?

彼らははっきりと自分たちが軍人だと認めた。ここからは、話に少しだけウソを混ぜる。

「あなたたちの武器を見たときに気づいたんです、軍から与えられた武器には必ずどこかにエルニーニャ王国のシンボル、ライオンのマークが刻まれています。そしてあなたたちの武器には、剣以外にはグリップのところにそれがありました。こんな首都から離れた村だと知らない人がほとんどですけど、私はアスリック様に拾っていただく前は首都の近くに住んでいたんです。だから知ってるんですよ。それと、あなたたちを捕らえたあとにあなたたちが乗ってきた車を見たんです。それを見ると旅をしているわりには車が汚れていませんでしたし、素人の私が見てもとても高そうな車でした。ただの旅人があんな高そうな車を買えるわけがありませんよね?」

 

私がすべてを話すと、グレンさんが小さな溜息をついて答えてくれた。

「まったく、君の洞察力は軍人に向いているよ。君の言う通り、俺たちは軍人だ。俺が中尉、リアが少尉、カイが准尉だ。そして俺たちが今回この村に来た理由はこの村の視察のためだ。上官の命令でね。おそらくあまり首都との接触がないこの村の状況を知ることで、今後この村との交流を深めるかどうかを検討するつもりなんだろう。財源はしっかりしているからね、この村は」

一般人である私に自分たちの階級や、任務のことまで話していいのかと思ったが、それが彼らにとっての私への誠意の表れなのだろう。

それに私に話すと、彼は目で他の人間には口外するなと忠告してきた。こういうときの目を見ると、やはり彼らは軍人なのだと改めて実感させられる。

「ありがとうございます。本当のことを話して下さって。では話も終わったことですし、生け贄の祭壇に案内しようと思います。準備はいいですか?」

「ああ。とっくにできてるよ」

「俺も、準備はできている」

「では、行きましょうか」

二人の答えを聞いて立ち上がる。早く行かないと、手遅れになってしまう。私の目的も、果たせなくなる。

しかし、

「あ、そうだ。ラディア、ちょっといいかな?」

思い出したように口を開いたカイさんに、呼び止められた。

「なんでしょう?」

「俺たちが乗ってきた車、今どこにある?」

こんなときに何なのだろう?準備はできてるって言っていたのに。もしかして、何か忘れていたのだろうか?まだ睡眠薬が少し効いていて、本調子じゃないのかもしれない。

「…あなたたちの車は、動かしていないので最初に止まっていた所にありますけど…」

「その車の中、見た?」

「ええ、見ましたけど…」

見たも何も、車の中にあったものはすべて私の部屋にある。あの中に、大事なものがあったのだろうか。

「じゃあ、車の後部座席に小さなポーチがなかった?」

ああ、そういえば深緑色の小さなポーチがあった気がする。いったい何が入っているのか、見た目より重かった。

「あ、ありましたけど…」

「それさ、今も車の中にあるの?」

「いいえ、目に見えたものはすべて私の家にあります」

「じゃあさ、それ持ってきてくれない?」

「はい、わかりました」

早く祭壇に行きたかったが、彼が必要なものなら仕方がない。さっき武器と一緒に全部持ってくればよかったかなと少し後悔した。

もう一度部屋に戻り、テーブルの上のポーチを持ってまた地下に戻る。

「これですか?」

私が手渡すと、彼が嬉しそうに笑った。

「ああ、これだ。ありがとな、ラディア」

ポーチを受け取ると、彼は中を確認し始める。

「よし、全部入ってるな」

「そのポーチ、何が入ってるんだ?」

どうやら彼もあのポーチの中に何が入っているか知らないらしい。私もすごく気になるところだ。

グレンさんの問いを聞くと、彼は少し微笑んでポーチをひっくり返して中身を出した。ガラガラと音を立ててたくさんのプラスチック製の小さな箱と大きな箱が出てきた。箱のほかにも透明な液体や何かの葉など、いろいろなものが入っている。どうりで重たいわけだ。

「…薬か?」

グレンさんがひとつを手に取り、中身を見る。

「正確には違いますね。これはまだ薬になる前の段階のものです。いつでもどこでも薬を調合できるように、こうして箱に入れて持ち歩いてるんですよ。今回はラディアがいるから必要ないかもしれませんけど…」

「…おまえ、薬剤師の免許を持ってるのか?」

「いいえ、持ってません。でもうちは代々薬剤師の家系で、俺も小さいときからそういう本を絵本代わりに読んでたんです。そしたらいつのまにか薬を調合できるようになってて…一度調合した薬の作り方は絶対に忘れないのが自慢です」

もしそれが本当ならすごい記憶力だ。もしかしたら、あの地図も私なんかよりずっと早く覚えられるかもしれない。

「…俺からの命令だ。今年のうちに薬剤師の免許をちゃんと取れ」

グレンさんは呆れた様子だった。まあ、当然だろう。腕は確かでも無免許なら誰だって不安だ。しかし

「面倒くさいから却下です。それに、薬剤師の免許取ったら軍の中でそっち関係の場所に行かなきゃならないじゃないですか」

グレンさんの命令はその一言で拒否された。こんなに簡単に命令拒否ができていいのだろうか?なんとなく軍全体に不安を覚える。

いや、きっと彼らだけがこうなのだろう。そう自分を納得させて、彼らを促す。

「あのー、そろそろ行きませんか?早く行かないと、リアさんも心配ですし…」

私の声は遠慮してしまったため少し小さくなってしまったが、彼らにはちゃんと聞こえたようだ。会話をやめ、頷いてくれた。

「そうだな、じゃあ今度こそ行こう」

 

 

 

彼らを連れて、一面の金色の中を歩き続ける。途中、何度も道を曲がる。

「次は右です。後はまっすぐ行くだけです」

祭壇まではもうすぐだ。急がなければと自然と早足になる。

「それにしても、君はすごいな。ラディア。こんな複雑な道、俺でも覚えられるかわからない」

グレンさんが感心したように呟く。確かに私は一度も迷わずにここまで来れた。でも…

「私よりすごい人達がいますよ。その人達はこの建物の地図を一度見ただけで道をすべて覚えてしまったそうです。私は覚えるのに三年かかりました」

ロウェルとの勉強の課題として初めに出されたのがこの祭壇の地図をすべて覚えることだった。本当に複雑で、結局覚えられたのは私がこの村に帰ってくる直前だった。テストしてもらった後、三年で覚えられるとは思っていなかったと彼は褒めてくれた。

「へー、その人達って誰?今もこの村にいるの?」

「いいえ、今はもうこの村にはいません。というか、十数年前に死んでしまったそうです」

そう、アスリック様に殺された。私の…

「ふーん」

私とカイさんが話していると、急に後ろを歩いていたグレンさんが足を止めた。それに気づいたカイさんが振り返る。

「どうしたんですか、グレンさん」

「いま…リアの声が聞こえた気がしたんだ」

「…ラディア、ここから生け贄の祭壇までの距離ってあとどれくらい?」

カイさんが今度は私のほうを見る。

「え?えっと…ここからならあと一キロくらいだと思いますけど…」

地図を思い浮かべ、祭壇までの大体の距離を出す。私の答えを聞くと、またグレンさんのほうを見た。

「だそうです。一キロも離れたところから声なんて聞こえるわけないじゃないですか」

「…そうだな」

グレンさんも、私の答えを聞いて気のせいだと思うことにしたらしい。また歩き出す。しかし歩き出してすぐ、また足を止めてしまった。

「今度は何ですか、グレンさん?早く行かないとリアさんが生け贄になっちゃうじゃないですか」

再び足を止めてしまった彼に、カイさんが呆れたように言う。

「…やっぱり聞こえた」

「何がですか?」

「リアの声が聞こえたんだ…リアが危ない!」

「あっ…ちょっと!グレンさん!?もう、なんなんだよ!ラディア、グレンさんを追おう!」

一人で走り出してしまった彼を追う。後はもうまっすぐ行くだけだから迷いはしないだろうが心配だ。

それに、やはり実際にこんなところから声が聞こえるわけがないから虫の知らせというやつだろう。

どっちにしろ、リアさんにも危険が迫っているようだ。

グレンさんが祭壇にたどり着く。私たちも少し遅れて祭壇にたどり着いた。

「リア!」

「リアさん!」

二人が同時に叫ぶ。私も二人の視線の先、祭壇の奥を見ると黒い物体が見えた。そしてその陰にかろうじて見えた長い金髪の少女。

「リアさん!それに…あれは神獣さまです!」

彼女の前にいるものは、一度文献で見ただけだが、間違いなく神獣さまだった。

「グレンさん!それにカイ君にラディアちゃんも…!」

私たちの声に気づいてこちらを見た彼女がうれしそうに叫ぶ。しかし、よく見るとその白い肩からは赤い血が流れていた。

どうやら一足遅かったらしく、彼女はもう神獣さまに襲われてしまったようだ。神獣さまを見ると、大きな爪には彼女のものであろう血がついていた。

「カイ、とりあえずリアから怪物を離すぞ!」

「はいっ!ラディア、リアさんを頼む!」

二人はまっすぐに神獣さまに向かっていく。私は彼の指示に従い、リアさんのところへ向かった。

「リアさん、大丈夫ですか?」

「うん、なんとか…」

そう彼女は笑って言うが、実際はかなり辛そうだ。早く手当てしないと。

「リアさん、こんな状況で言うことじゃないんですけど…少し休んだほうがいいです。そのほうが、私の治療も効きやすくなるので」

「うん、わかった。ちょうど私も起きてるの辛くなってきてたんだよね…」

そう言うと、彼女はすぐに眠ってしまった。かなり辛かったのだろうが、彼らが来て安心したというのもあるのだろう。彼女が完全に眠ったことを確認して治療に移る。

見た目より傷が酷いらしく、今の私では完全に治すことは不可能だろうが彼らが来るまでに少しでも傷を塞がなければ。

目を閉じて手のひらに意識を集中する。そうしてしばらく傷に手をかざしていると、少しだけ傷が塞がった。でも…

「やっぱりだめだ。これ以上は治療できない」

きっとカイさんなら、何とかなるんだろうけど…。

私がお手上げ状態になってしまった、そのときだった。

「ラディア、リアさんの様子はどうだ?」

神獣さまとの戦いを終えたらしい彼らが来た。彼らが来たほうを見ると、神獣さまが倒れていた。

「命に別状はないと思いますけど、出血が酷いです。早く止血したほうがいいですね。…さすがに私でもこれは治療できません。私の能力は発展途上なんです。成人すればどんな傷でも治せるようになるんですけど…」

「そうか」

カイさんは私の答えを聞くとすぐに持っていたポーチからいくつかの箱を取り出し、それをいろいろと混ぜ始めた。

「カイ、止血できそうなのか?」

「はい、ある程度の出血なら止められる薬の作り方を知ってるんで」

カイさんは手を動かしながら答える。しばらく作業を続けたあと、リアさんのところに歩いていった。彼女の額に手をあて熱を測ったあと、肩に先ほど調合した薬を塗っていく。

「これで、傷の方は大丈夫です。あとは傷のせいで少し発熱してるので、ラディアの家に戻ってゆっくり休ませましょう。そこでまた薬を調合します」

「そうか。じゃあ、すぐにここから出よう。ラディア、また道案内を頼む。リアは俺がおぶっていくよ」

グレンさんがリアさんを背中に乗せる。その彼を見て、カイさんがふぅと溜息をついた。きっと彼も気づいていたのだろう。薬を調合している間、グレンさんがずっと心配そうに彼を見ていたことを。

「わかりました。では、行きましょう」

私の返事を聞くと、まずグレンさんが歩き出した。その後に続く。しかし、彼はすぐに足を止めてしまった。きっと彼も気づいたのだろう。

「グレンさん、どうしたんですか?」

彼が足を止めた理由はわかっていたが、気づかないふりをして聞く。

「…誰か来る。それも一人じゃない。最低でも…五人はいる」

そう、彼らが来たのだ。

初めからわかっていた。だから決めていた。決戦は、ここでと…。

確かにここで事を起こせば絶対にばれないからという理由もあった。しかし、それだけではなかった。

彼らは、儀式が終わったであろう頃合を見計らって生け贄を確認するためにここに来るのだ。

だから、待ち伏せするにはここが一番だった。

私たちが見つめる中、数人のボディーガードや使用人とともに現れた。彼が…

「カーネギーさん…」

「おやおや、こんなところで何をやっているのかな?第一、どうやって牢屋から出てきたんだ?監視役のラディアがいただろう」

彼はグレンさんたちの姿を確認すると、出口のそばで足を止めた。

私は一歩前に出て答える。

「私がこの人たちをここまで案内してきました。アスリック様」

「ラディア!?なぜお前がここに!?まさか、その者たちに脅されてここまで案内させられたのか?」

彼は驚きの表情を浮かべる。私がここまでの道を知っていることに対しては驚いていないようだ。おそらく勉強の内容に関してはロウェルからの報告を受けているのだろう。でも、私が剣技を習っていたことは知らないはずだ。これだけは、彼に頼み込んで秘密にしてもらっていたのだから。

「いいえ、私は自分の意志でグレンさんたちを逃がし、ここに案内しました。リアさんを助けるために…」

私の声は自分でも驚くほど静かだった。彼を目の前にしてもっと感情が出るかと思ったが、逆に冷めていくようだ。まるで、自分で何かを無理やり抑えているかのように。

「そんなことをしたら神獣さまのお怒りをかうぞ!ラディア、いまからでも遅くはない。こっちに来るんだ!」

その言葉に、私は満面の笑みを浮かべた。そして彼を怒らせるために、とどめの一言を放つ。

「イヤです。それに、神獣さまのお怒りをかうことはありません。だって、神獣さまはもう死んでいるんですから」

「なんだって!?

彼は私の言葉に驚きを隠せないようだ。まあ、村長として当然だろうが。

「本当だよ。そこに黒い塊が倒れてるだろ?」

私の後にカイさんが続く。彼は無意識のようだが、アスリック様が怒る要因を増やしてくれた。

カイさんが指差したほうを見て、彼の表情がどんどん怒りを含んだものになっていく。

「貴様ら…許さんぞ!よくも神獣さまを!それにラディア、お前にもあとでゆっくりと罰を与えてやろう!お前たち、やれ!」

狙い通り彼が怒ってくれた。周りのボディーガードたちも相当怒っている。

私にとっては好都合だ。怒ってくれたほうが、相手の行動が読みやすくなる。そう、ロウェルが教えてくれた。

彼の命令でボディーガードたちがゆっくりと武器を取る。それを見たグレンさんたちも武器を抜こうとした。でも、それではダメだ。私がやらないと意味がないのだから。

「待ってください。私に…やらせてください」

「…闘えるのか?」

グレンさんが心配そうに聞いてくる。大丈夫だ。私には、ロウェルがいたんだから。

「はい。アスリック様には内緒で、鍛えていたんで」

私が言うと彼はしばらく私を心配そうに見たが、少し息を吐いて私に譲ってくれた。

「…無理はするなよ。やばそうだったらすぐに言え」

「ありがとうございます」

彼にお礼を言い、ゆっくりとスカートの裾を上げる。そして太ももに固定していた短剣を取り出した。

とうとうこれを使うときが来た。実践は初めてだが、そんなことは言っていられない。今日この時のために、私はここにいるんだから。

ガードマン達がゆっくりと近づいてくる。

おちつけ、大丈夫だ。実践は初めてでも、ロウェルと何回も手合わせをした。自信を持って、ラディア。あなたはできる。

そう言い聞かせて、深呼吸をする。その瞬間、先ほどから抑えられていた感情が一気に爆発した。

彼らが一気に走り出し私に向かって武器を振り下ろす。それらがあたる寸前に攻撃を避けた。

彼らには突然私が消えたように見えたのか、一瞬隙ができた。それを見逃さず、攻撃を仕掛ける。

「ぎゃっ」

短いうめき声を上げてガードマンが倒れた。すぐさま彼の心臓に短剣を突き立てる。

彼が動かなくなるのを確認してそれを引き抜く。そして今度は一番そばにいたガードマンのところに走り、彼の喉に短剣を突き立てた。

さらに残りの二人の使用人に向かって走る。そこでは二人同時に仕留めるため、踊りの動きを利用して彼らの喉を切り裂いた。

「…すごい」

私が動きと止めると、カイさんの声が聞こえた。その声で我に返ると、私の周りは真っ赤な血と先ほどまで人間だった塊が転がっていた。

できたんだ。私…あの人達を殺したんだ。この剣で。

残るのは、彼だけ…。

私は彼のほうに向かった。あとはあの人を殺すだけ。それで私の復讐は終わる。

「ひっ」

彼のそばまで行くと、なんとも情けない声を上げて後ずさった。これが、私が尊敬していた彼の姿なのか…。

私の知っている彼は優しくて、威厳があって、みんなから慕われて…

「ラ…ラディア、私が悪かった。お前に罰は与えない。あの者たちも逃がしてやろう。だから許してくれ」

必死に私に許しを請う。こんなのはアスリック様じゃない。私の育ての親じゃない。私の尊敬した彼は、もういない。

彼の言葉を無視して私はさらに彼に近づく。

(さよなら、アスリック様。最後に…一言だけ)

「大っ嫌いです」

これまでにないくらいの笑顔で、彼にしか聞こえない大きさで言った。そして短剣を振り上げる。

「やめるんだ!ラディア!」

グレンさんの静止の声が聞こえた。でも、関係ない。これが私の生きてきた意味なんだから。

彼の心臓に、深く深く短剣を突き立てた。そしてすぐに引き抜く。引き抜いた瞬間、大量の血が飛び金色の壁と床を赤く染めた。私の身体にも血が飛び散る。

頬についた血が温かくて、心地よかった。

そのまま彼を見ていると二、三度魚のようにビクビクと跳ねて、それから動かなくなった。

「ラディア…どうして…」

グレンさんが、私に近づいてきた。彼らの前でこれだけの人を殺したのだ。きちんと話さなければならないだろう。

それが、彼らを利用したことへの私なりの…謝罪。

「私…リアさんを助けたいからあなたたちを助けるって言いましたよね…」

「ああ」

「実は…あなたたちを助けた理由はもうひとつあったんです」

「それは…どんな理由だい?」

グレンさんのあとに、カイさんも近づいてきて聞いてきた。私は、あえて彼の方は見ずに話した。

「私、ここに来る前に家で『親に捨てられてアスリック様に拾っていただいた』って話しましたけど、本当は親に捨てられたんじゃなくて、親が殺されたんです。…アスリック様に」

「…続けてくれ」

「それを知ったのはほんの数日前でした。それまでは私、本当にアスリック様に拾っていただいたんだと思っていました。けど、あることをきっかけに真実を知ってしまって…ここに来る途中で、地図を一度見ただけでこの道をすべて覚えた人の話をしましたよね」

「…ああ」

「その人が、私の両親だったんです。でも、両親はこの村の生まれじゃなくて…この村に家族で旅行に来たとき、たまたま両親は見てしまったんです。ここの地図を…それで村の秘密がばれることを恐れて口封じのために殺したんです。その頃私はまだとても小さかったので、殺されずこの村で育てられました。でもそのことを知ってしまって、私は戸惑いました。アスリック様をずっと尊敬していたので…でも、アスリック様のせいで私は両親の顔も知らない…その想いがアスリック様に対する尊敬を上回りました。それで、復讐するためにアスリック様を殺すことを決心したんです」

「そうだったのか…」

「…私を連行しますか?中尉さん」

リアさんを助けると決めたときから、覚悟はしていた。初めは全員殺してしまえばいいと思っていた。でも、そんなことはできない。彼女の仲間を、殺すなんて…。

それに、私の目的は達成できたのだ。もし裁きを受けることになっても、後悔はない。

私は彼の返事を待った。しかし返ってきたのは意外な答えだった。

「…リアを助けるのを手伝ってくれた人…友達を売るようなことはしない」

それだけ言って、彼は出口に向かう。カイさんもその後に続いた。

私は、答えがあまりにも意外すぎてしばらくその場から動けなかった。

目の前であれだけの人を殺したのに…私の目的のために利用したのに…

彼らは私を、友達と言ってくれた。

嬉しくて嬉しくて、涙が溢れてきた。あわててそれを拭ってグレンさんたちのもとに走り出す。彼らと一緒に歩いている間も涙はとまらなかったが、彼らは気づかないふりをして歩いてくれて、それがまた嬉しかった。

 

 

 

「ラディアちゃん、本当にありがとう」

屋敷に戻ってすぐ、カイさんが薬を調合して彼女に飲ませた。たった数時間前のことなのだが彼の薬は良く効くらしく、ベッドに横になったままだがこうして元気になって私と話をしている。

「私にはお礼なんていらないです。だって、あなたが私にそうさせたんだから…」

「へ?そうなの?私…あなたに何かした?」

彼女は心当たりがないと首を傾げる。まあ、当然だろう。彼女にしてみれば、当たり前のことを言っただけなのだから。

私は笑顔で彼女の手を取る。

「ええ、リアさんは私にとてもいろいろなことを教えてくれました」

あなたのおかげで、この能力を大事にしようと思えたんだから。今日だって、あなたのために能力を使った。心から、治って欲しいと思った。今回はあまり役に立てなかったけど、私の力はどんどん強くなるから。これからは、多くの人を助けるから…。

「リアさん、ありがとうございました」

「…なんだかよくわからないけど、あなたが私を助けてくれたことでチャラよ」

そう言って彼女は私の手を握り返す。そのあと、しばらく二人で笑いあった。

これからは新しい自分のために、生きていこう。

 

 

 

「ラディア、悪いね。わざわざ村の外まで見送りさせて…」

カイさんが申し訳なさそうに言ってくれた。でも、いいんだ。だって、私も…

「いいんです。私もここから出るところなので…」

「ラディアちゃん、この村出ちゃうの!?

「はい、アスリック様と神獣さまを殺してしまった以上、私はこの村にはいられません。この村のことはあまり知られていないので、少し遠い街に行ってそこで暮らそうと思います」

この村のことを知っているのは、本当に近くの村や町だけ。少し離れてしまえば、普通に暮らせるはずだ。

「そう…気をつけてね」

「はい。では、私はこれで」

彼らにそう言って歩き出す。しばらく歩いて、またもと来た道を少しだけ戻る。すると、ちょうど彼らが出発するところだった。動き出す車を見送る。

「さよなら、みなさん」

そして軽く手を振った。その途端、堪えていた涙が溢れ出す。

彼らにはああ言ったが、本当は不安で不安で仕方なかった。行くあてもないし、新しい街でうまくいくかもわからない。

「うっ…ひっく…」

その場にしゃがみこみ嗚咽を漏らす。

早く行かなきゃ。もうすぐロウェルが迎えに来てしまう。

わかってはいるが、どうしても足が動かなかった。

「ごめんなさい、もう少し。もう少しだけ…」

泣かせてください。今思いっきり泣いたら、明日から頑張るから。

胸を張って生きられるように、頑張るから。

だから…

 

もう少しだけ…泣かせてください。