貴族の家になんて、生まれるものじゃないと思う。

たしかに何不自由のない、裕福な生活がおくれるかもしれない。

しかしその生活は、自分の人生と引き換えだ。

最初から最期まで、自分の意志など存在しない。

生まれたそのときから、自分の前には親が敷いた長い長いレールが用意されている。

そして自分は、そのレールに沿って生きていかなければならない。

親好みの人間に育つように教育を受け、親の決めた学校に行き、親の決めた相手と結婚していずれは家督を継ぐ。

たった一歩でも、そのレールから道を逸れようものならあらゆる手段を講じてでも元のレールに戻される。

そんな人生、退屈なだけだ。

貧しい人々から見れば、それは金持ちの贅沢な悩みなのかもしれない。

それでもオレは、裕福な生活よりも、誰にも縛られることのない自由を手に入れたかった。

 

「おはようございます、アーレイド様」

いつもの使用人の言葉と、窓からの日差しで目が覚める。

今日も退屈な一日が始まると思うと気が滅入るが、起きないわけにはいかない。

仕方なくベッドから身体を起こし、形だけの挨拶をする。

「おはよう、リース」

オレが起きたことを確認すると、リースは深々と頭を下げる。

「おはようございます。アーレイド様、朝食のご用意が出来ております。ご用意が済みましたら、お越しください」

「わかった」

オレが返事をすると、リースはすぐに部屋から出て行った。

それを確認してベッドから降り、部屋に備え付けてあるシャワールームへ移動する。そして軽くシャワーを浴び、服を着替え、部屋を出た。

部屋を出た瞬間、目の前には大理石の廊下が広がる。

オレの家は貴族家系だからこういったことに無駄に金を使いたがる。

オレから見ればただただ金の無駄遣いをしているだけ。ばかばかしくて仕方なかった。

そんな無駄使いの塊を通り過ぎ、ダイニングルームへ向かう。部屋に入ると、オレ以外の人間は揃っていた。

「おはようございます、父様、母様」

軽くお辞儀をして挨拶をしてから、自分の席につく。こうしないと、また両親からの無駄に長い説教を聞かされる羽目になる。

朝からあれを聞かされるのはごめんだ。

「おはよう」

「おはよう、アーレイド。さあ、全員揃ったわね。朝食にしましょう」

その母さんの言葉を合図に朝食が始まる。そして両親の話に適当に返事をしながら朝食を食べた。

それが終わるとすぐに家を出て、使用人の運転する車で学校に向かう。

これがオレの、物心ついたときから一度も変わることのない、退屈な一日の始まりだった。

 

「おはよう、アーレイド君」

自分の教室に入り席に着くと、隣の席の女子が声をかけてくる。

オレが通っている学校はオレみたいな貴族家系や有名財閥の子供が通う学校で、当然彼女もそういった家系の人間だ。

「おはよう」

「ねえ、アーレイド君。今日帰りに遊びに来ない?この間ね、とってもおいしいクッキーを買ったの。よかったら一緒にお茶でもどう?」

「いや、オレはいいよ。他のやつを誘うといい」

「そっか…残念だけど、仕方ないね」

彼女の方を見ずに、言われたことにだけ答える。

オレは学校の人間とかかわるのが嫌でいつもこうして話しかけられても最低限のことしか返さない。

大体の人間はしばらくこれを続けていればあまり話しかけなくなるのに、彼女だけは今もこうして声をかけてくる。

よくめげずに頑張るものだ。

(まあ、それもハイル家の人間との接点を作っておきたいってだけだろうがな)

ハイル家は貴族として正式認定されている家系だ。少しでも関係を築きたいと思うのは当然だろう。

それは彼女だけではなく、クラス中がそうだった。

クラスの生徒たちはみな、上辺だけの「友達」を演じている。

他人からは仲がいいように見えても、それは表面だけ。その奥では常に互いを利用することを考え、それと同時にいつ切り捨てるかを打算している。

そして隙あらば、蹴落として自分が上に行こうとしている者もいた。

オレが他人を遠ざけようとする理由は、ここにある。

こんな常に自分の利益を考えて築く関係など、オレはごめんだ。

オレは損得なしで笑いあったり、助け合ったり、時には泣いたり。ハイル家の名前なんか関係なしに、アーレイド・ハイル個人として接してくれる、そんな関係が欲しかった。

(この環境での生活を続ける限り、叶わないことだとは思うけどな)

自分でも、ないものねだりだということはわかっている。

いずれハイルの名を継がなければならない以上、そんな願いは叶わない。

それが、現実なのだから。

 

退屈な学校での時間が終わると、すぐに門の前まで使用人が迎えに来る。

本当はそれに乗ってすぐ家に帰らなければならないのだが、今日はそんな気分じゃなかった。

そんなに遠くもないし、歩いて帰ることにしよう。そう決めると、少々わがままを言って使用人を追い返した。

まあ帰ってから母さんに小言を言われるだろうが、それは我慢しよう。

今はせっかく手に入れたひとりの時間を満喫しなければ。

とりあえず、公園にでも行こう。確か近くに小さな公園があったはずだ。

オレはいつもより少しゆっくり歩き、街を眺める。そしてお目当ての公園に到着すると、ベンチに陣取り何をするでもなくあたりを見回した。

今はちょうど子供がたくさん来る時間らしい。母親や他の子と遊ぶ子供の姿があちこちに見られた。

(そういえば…公園で母さんと遊んだことなんて、一度もないな)

いつも遊ぶときは屋敷の中か、外で遊ぶにしても敷地内の庭だった。そして遊び相手はいつも使用人たちで、両親と遊んだ記憶など一度もない。

(まあ、今となってはどうでもいいことか)

もう自分は親と公園で遊ぶような歳でもない。こんなこと、考えるだけ時間の無駄だ。

「さて、そろそろ帰らないと母さんがうるさいな」

徐に時計を見ると、使用人を追い返してからそこそこ時間が経っている。歩く時間を考えればもう家に向かわなければ、母の小言がさらに長くなることは必須だ。

アーレイドは仕方なく立ち上がり、家に向かって歩き出すのだった。

 

「母様、ただいま戻りました」

屋敷に着くと、すぐに母親の部屋へ行き帰ったことを報告する。これも、忘れると説教が待っているので欠かさない。

「あら、アーレイド。お帰りなさい。リースからあなたの帰りが遅くなると聞いて心配していたのよ」

「ご心配をおかけして申し訳ありません」

母の言葉にオレは形だけの謝罪を述べる。実際は悪かったなんてちっとも思っていない。

そのあとはいつも通りだった。すぐ帰ってこなかったことへの小言を聞かされ、学校でのことを聞かれた。

それをオレもいつも通り適当にあしらって母さんの部屋を出た。

母さんへの報告が済むと、今度は屋敷での勉強が始まる。貴族の嗜みとしてマナーやピアノなどあらゆる家庭教師が次々と来て、それらが終わるまでは息をつく暇もない忙しさだ。

最後の家庭教師が帰り、夕食を家族でとってようやく自分ひとりの時間が持てる。

部屋でしばらく読書をし、日付が変わる頃にベッドに入った。

これで、またいつもの一日が終わる。目が覚めればまたつまらない明日が始まるが、それまでは穏やかな眠りを楽しもう。

オレはゆっくりと目を閉じた。

 

 

「…レ…ド」

遠くから、声が聞こえる。どこかで聞き覚えのある声だ。

「…レ…イド」

透き通るような、美しい声。

ああ、そうだ。母さんの声だ。母さん、声はきれいだからな。

そんなことをぼんやり考えていると、今度は身体を揺すられた様な気がした。

「アーレイド!」

はっきりと聞こえた声と共に揺すり方が激しくなる。

オレは目を覚ますと、まだ寝ぼけた頭で声のした方を向く。

「…母様?」

目の前には先ほどまで自分の夢の中にいた人がいた。母さんは少し慌てた様にアーレイドの身体をベッドから起こそうとした。

仕方なく母に従い上半身だけを起こす。時計を見ると、まだ夜中の三時だった。

「どうしたんですか、母様?こんな時間に…」

オレがそう言うと母さんは今度はオレの口を塞ぎ、自分の口に人差し指を当てて静かに、というジェスチャーをした。

「静かにして。あなたがここにいることが知られると大変だから」

そう言うと、母さんはオレを備え付けのクローゼットのところまで連れて行く。そしてその中にオレを半ば強引に押し込んだ。

「アーレイド、この中に隠れていて。今ね、お客様が来ているの。お父様がお話をしているけど、わたくしも行かなければならないわ」

「…母様?」

オレは突然の母の行動に頭が混乱していた。こんな夜中に客なんて今まで聞いたことがない。第一、どうしてオレは隠れなければならないのか?

そんなことを考えていると、急に部屋の外が騒がしくなった。オレは言いようのない不安を覚える。

きっとその感情が顔に出ていたのだろう。ふとオレを安心させるように母が微笑んだ。

「大丈夫。あなたは絶対に守るから。何があってもここから出てはダメよ」

そうしてクローゼットを締めようとする母の手を、ぎゅっと掴む。

「母様…行かないでください」

母の手を掴む手に、自然に力が入る。このまま母を行かせてはいけない気がした。

母は客だと言っているが、外の騒ぎからして嘘だということは明白だ。きっとただならぬ事態が起こっているのだろう。

ここで手を離してしまえばきっと二度と会えなくなる。

たとえあまり好きではない人でも、母は母だ。二度と会えなくなるなんて、ごめんだった。

懸命にすがるオレに母は少し困ったような表情を浮かべ、すぐにぎゅっとオレを抱きしめる。

「あなたなら大丈夫。きっとわたくし達がいなくても生きていける。お願い、あなただけは生き延びて。

それから、もうハイルの名に縛られる必要はないわ。あなたはあなたの好きなように生きなさい」

そしてオレの手を離し、再び微笑んだ。

「愛してるわ、アーレイド。最期まで母親らしいことをしてあげられなくて、ごめんなさい」

「か…」

母様、そう呼び止める前に目の前が暗くなった。

クローゼットが閉められ、少しして部屋のドアの開閉音がした。

「母様…」

ひとり呟き蹲る。部屋の外では相変わらず喧騒が続いている。銃声音や怒鳴り声、叫び声が聞こえる。

それを聞きながら、オレはただただ自分の無力さを悔やむことしか出来なかった。

 

 

あれから、どのくらい時間が経っただろうか。今は先ほどまでの喧騒がうそのように部屋の外は静まり返っている。

母に出るなと言われているが、いつまでもここにいるわけにもいかない。オレはクローゼットを少し開け、部屋の様子を窺った。

部屋の中には、誰もいない。音を立てないようにクローゼットから出た。そして本棚から本を一冊取り、裏にあるスイッチを押す。

すると壁の一部がスライドして通路が出てきた。この屋敷には各部屋に隠し通路がある。

使うのは初めてだが、屋敷の外に続いていると教えられているから、進めば何とか外には出られるだろう。

今はとにかく、このことを誰かに伝えなければ。

オレは意を決して歩を進める。しばらく歩くと、大きな扉が現れた。その扉を開けると夜の景色が目の前に広がる。

どうやらここは屋敷のちょうど裏側らしい。屋敷は塀で囲まれているので正面に回り、門から外に出る。

そして軍に助けを求めようと夜の街を走り出したときだった。

突然後ろからすごい爆発音と、ガラスが割れる音がした。

驚いて後ろを振り向く。するとそこには、信じられない光景が広がっていた。

「屋敷がっ!」

先ほどまで静まり返っていた屋敷が轟音と共に赤い炎に包まれていた。庭の植木などにも燃え移り、あっという間に炎は広がっていく。

あそこには、まだみんながいるはずだ。このままでは、みんな死んでしまう。

「母さん!父さん!」

オレは来た道を引き返す。それと同時くらいで、遠くからサイレンが聞こえた。誰かが通報したのか、軍が来たようだ。

たくさんの軍人が車から降りてきて、すぐに消火を始める。

「ハイル家の方ですか?ここは危険です。さあ、こちらへ」

近くにいた軍人が駆け寄ってきた。すぐにオレをその場から離そうとする。

オレはそれを振り払って叫んだ。

「オレはいい!中にまだ母さんたちがいるんだ。頼む、助けてくれ!」

「落ち着いて!とにかくあなたは安全なところへ非難してください」

そう言うと、彼はオレを他の仲間に預け消火活動に加わるべく走り出す。

オレはその彼と燃え盛る赤い炎をただ見ていることしかできなかった。

そんな無力な自分が悔しくて、悔しくて、自然と溢れてくる涙をとめることなど出来なかった。

 

 

あれから、数週間がたった。オレは今、街の孤児院にいる。

あの事件で家も家族もすべてを失ったオレは、引き取り手が決まるまでこの孤児院で暮らすことになった。

今頃、ハイル家と縁のある貴族や財閥の人間たちが、誰がオレを引き取るかの話し合いをしているのだろう。

しかし、そんなものは決まらないだろうことは目に見えている。一族どころか使用人たちまで皆殺しにされた家系だ。

そんなところの人間、誰も引き取りたがらないだろう。

だが世間体を気にするあいつらは自分たちの株が落ちるのをおそれて見て見ぬふりをするわけにもいかない。

つまり、板ばさみ状態なわけだ。

もし引き取り手が決まったとしても、世間体だけで引き取ったのだから上手くいくわけがない。

そんなところ、頼まれなくたってこっちから願い下げだ。

「どうして、こんなことになったんだろうな…」

孤児院で自分に与えられた部屋の中、ひとり呟く。

確かに、自分は自由を求めていた。しかし、それはこんなのじゃない。両親や多くの人間の命を奪ってまで、自由が欲しいとは思っていなかったのに。

そんなことを考えていると、ふいに部屋のドアがノックされた。

「…どうぞ」

そう返事をすると、すぐにドアが開けられた。中に入ってきたのは、この孤児院の院長だった。部屋に入ると、すぐに彼は用件を伝える。

「アーレイド君、君にお客様が来ているよ」

「オレに?…誰ですか?」

「名前は言わなかったが、君と同い年くらいのかわいらしい女の子だったよ。君に会いたいそうだ」

「…わかりました」

オレは仕方なく院長について部屋を出た。今はあまり人に会いたくないが、わざわざオレを訪ねてきたのなら追い返すのも気の毒だろう。

院長についてしばらく歩き、着いたのは応接室だった。

「さて、私はここで失礼するよ。終わったら教えてくれ」

そう言うと、院長はオレを一人残して行ってしまった。オレは溜息をつき、応接室のドアを開ける。するとそこには、意外な人物が待っていた。

「おまえ…」

そこには、学校で唯一オレに懸命に話しかけてきていた、あの女子がいた。

「こんにちは、アーレイド君」

「どうしてここがわかったんだ?」

「ニュースであの事件のことを知って、あなたもいなくなってしまったから私心配になって…。

それで、お父様に頼んで調べてもらったの。どうしてもあなたに会いたくて」

彼女は申し訳なさそうに言う。きっと勝手に他人のことを調べたことに多少の罪悪感があるのだろう。

でもそんなことよりも、オレは彼女の行動が不可解だった。

「どうして、オレに会いに来たんだ?」

そう聞くと、彼女は何かを決意したように頷いて口を開いた。

「ねえ、アーレイド君。うちの養子に入らない?」

「…養子?」

彼女の突然と提案に、半ば唖然とする。いったい、どうしてそんな話になるのか?

確かに今の俺には引き取り手がいない。しかしどの貴族たちも俺を引き取るのを本当は嫌がっている。

それなのに、どうしてオレとほとんど関係のない彼女がそんな提案をしてくる?

「おまえ、自分が言ったことの意味、ちゃんとわかってるのか?みんなオレを引き取るのを嫌がってるんだぞ?一族を皆殺しにされた家だ。

そんなところの生き残りを引き取ったら自分たちにも害が及ぶかもしれないから…」

「わかってるわ。両親も、そう言っていたから…」

「つまり、両親は反対してるんだな」

オレがそう言うと、彼女は言葉を詰まらせ俯いてしまう。しかし、またすぐにがばっと顔を上げた。

「でも、大丈夫!ちゃんと私が説得するわ。あなたさえ頷いてくれれば私、頑張るから!」

彼女は必死で訴えてくる。しかし彼女の話でいけば説得できるとはとても思えない。もとより、どこかの家に行く気など初めからなかった。

彼女の提案を聞いたときから、答えは決まっている。ただ、話も聞かずに断るのは悪い気がしただけ。

「ありがとう、でもオレは大丈夫だから。アンタの気持ちだけもらっておく」

「でもっ!」

「アンタの家族は反対なんだろ?なら、ここでオレが頷けばアンタに迷惑がかかるだけだ」

「……」

「アンタもオレにこだわる必要はない」

彼女にそう笑いかける。たぶん、彼女があまりにも思いつめた顔をしていたから、少しでも楽にしてやりたかったんだろうな。

しかし、彼女は突然泣き出してしまった。次々と涙がその瞳から溢れ出す。

「お、おい…」

突然の出来事に、対処が出来なくなる。どうしていきなり泣き出すんだ?オレの戸惑いを感じ取ったのか、彼女は懸命に話し出した。

「ご、ごめんね。私…何の力にもなってあげられなくて」

「…なあ、どうしてオレにこだわるんだ?」

彼女のここに来てからの必死さを見て、オレはどうしても聞いてみたくなった。彼女とオレに深い関わりはない。

ただ学校でクラスが同じだっただけだ。

オレのその問いに、彼女は少し微笑んで答えた。

「友達だもの。助けたいって思うのは、当たり前でしょ?」

「…友達?」

「そう、友達。あなたはそうは思ってなかったかもしれないけど、私にとっては大切な友達だから…」

「…そうか」

彼女の答えに、オレはただただ驚くことしか出来なかった。オレは彼女に友達として接したことは一度もない。

なのに彼女は、オレを友達だと言った。

先ほどの養子の話だって、今となってはハイル家と関係を深めたところで意味がない。彼女が得をすることは何もないのに、オレに話を持ってきた。

つまり損得は関係なしに、オレに会いに来たのだ。

「…私、もう帰るね。両親が心配するわ。突然来てごめんなさい」

オレがそれ以上何も言おうとしなかったからか、彼女は徐に立ち上がった。そしてオレに一礼をして部屋を出ようとする。

「…なあ」

その彼女を、自然と呼び止めていた。これだけは、言わなければならない気がしたから。

「なあに?」

彼女が振り返る。オレは少し照れくさかったが、正直に気持ちを伝えた。

「今日は来てくれてありがとう。今まで冷たい態度とって、悪かったな」

オレが言うと、彼女はここに来て初めて満面の笑みを浮かべた。

「気にしないで。私、いつものあなたが一番好きだったから」

その彼女の笑顔は、とても綺麗だった。

 

彼女を孤児院の外まで送り、院長に面会の終了を伝えて部屋に戻った。

部屋に用意されている小さなベッドに腰掛ける。

「いつまでもここにいるわけにもいかないから、そろそろ本気で考えないとな」

ひとり呟く。これ以上ここにいる気もないし、貴族たちが話し合いを終えるのを待つ気もない。

早く自分で生活が出来る環境を整えなければ。

「かといって、やりたいこともないしな…」

いままでハイルの名に縛られすぎていたのか、自分は外の世界をあまり知らない。かといって、ハイル家の人間として生きていく気もない。

「さて、どうするか…」

そう口に出したとき、母の最期の言葉が頭をよぎった。

あなたの好きなように生きなさい。

彼女は確かにそう言った。しかし、今は自分がなにをやりたいのかさえわからない。

「自分の好きなようにって、一番難しいことなんだな」

今まで自分は常に自由を求めていた。親や世間に縛られることのない自由な生活。でもその環境が与えられて初めてそれが難しいことだとわかった。

あの事件がなかったら、一生わからなかっただろう。

オレはあの事件。自分の命が危険に晒された時、たくさんのことを知った。自分の無力さ、両親から愛されていたんだということ。

そして、くじけそうなときに懸命に励まそうとしてくれた友達の大切さ。

「またあの環境を作れば、何かわかるかな」

死と隣り合わせの、あの状況。あれを作り出すためには…

そう思考をめぐらせたとき、ひとつの選択肢が現れた。

「…軍か」

常に危険が伴い、いつ死が訪れるかもわからない職業。あそこなら、何かを見つけられるかもしれない。

「今は他に思いつかないし、とりあえずやってみるか」

オレは一人呟くと、部屋を出た。

 

それからの行動は早かったと思う。すぐに院長に話をしに行き、半ば強引に入隊試験を受けた。

入隊試験では貴族の嗜みとして覚えさせられた知識が意外と役に立ってくれて、初めて貴族の生まれということに感謝した。

結果は何とか合格。合格通知が来るとすぐに寮に入る手続きをとり、身支度を整えた。

もともとあの日焼けてしまってオレのものは何もないから、カバンひとつで十分だった。

孤児院を出る前に、院長に挨拶に行く。

「院長、今までお世話になりました」

「ああ。私としては行かせたくないが、君が自分で決めたことだ。精一杯頑張りなさい」

「ありがとうございます。じゃあ、行きますね」

オレは一礼して、ドアノブに手をかける。しかしふとあることを思い出した。

「院長、ひとつだけ伝言をお願いできますか?」

「伝言?」

「ええ。ありえないとは思いますが、もし貴族や財閥の誰かが俺を引き取りに来たらこう伝えてください。

『あんたらの世話になる気なんか初めからない。オレは俺の人生を生きる』って」

そのオレの言葉を聞いて、院長は一瞬だけ驚いたような表情を作ったがすぐにクスクスと笑い出した。

「ああ、わかった。伝えよう」

「一字一句間違えずにお願いします。あと、聞かれても絶対にオレが軍に行ったことは言わないでください」

「ああ、わかっているよ」

「じゃあ、今度こそ行きますね。さよなら、院長」

「ああ。さよなら、アーレイド君」

その院長の笑顔を背に、オレは孤児院を出た。

明日から新しい生活が始まる。ハイル家の人間としてではなく、アーレイド・ハイル個人としての生活が。

無力なオレにどこまで出来るかわからない。でも、無力だからこそ出来ることもあるかもしれない。

新たな生活に思いを馳せて。

今このときが、本当の人生の始まり。