それはわざわざ軍で取り扱うほどのことではない。

だけど、相手が有力貴族だから断りきれなかった。

それだけではなく、

「あの子達の実力見るのにちょうどいいんじゃない?」

そう思ったから、引き受けた。

 

ぺたん。

これが何を表す音かというと、訓練の時の音である。

「ニア…お前さぁ…」

ここ、エルニーニャ王国の首都レジーナにある中央司令部で、伍長を勤めているルーファ・シーケンスは深い溜息をついた。

その対象は、地面に倒れている同僚の少年。

いや、倒れている訳ではない。

「腕立て伏せ一回くらいはできるようになれよ」

「だってぇ〜…」

この腕立て伏せもできない少年が、ニア・インフェリア。ルーファと同じく伍長である。

これでも入隊試験はトップクラスだったのだ。

「腕立てできない軍人なんて聞いたことない」

「だって難しいんだよー」

「どこがだよ」

ニアの泣き言に、ルーファは容赦なくツッコミを入れる。

軍人たるもの基礎体力がないとまったく話にならない。

一体ニアはどうやって入隊したのだろう。

「そんなだから前大総統のコネだとか裏口入隊とか言われるんだよ」

「気にしてないもん」

「…顔にものすごく気にしてるって書いてあるけど」

ニアの父親は先代の大総統、カスケード・インフェリアだ。八年しかその職についていなかったが、とても慕われていた。

彼が大剣を扱う大男(ただ単に長身なだけ)であることはよく知られている。

しかし、その息子がニアだということは名前を聞かないとわからない。

父と同じダークブルーの髪と海色の眼も、偶然としか見られない。

「ニアは余計な力入れすぎなんだよ。もっと力抜いたら?」

「力抜いたら支えられない」

「抜き方間違ってるんだよ」

訓練が始まってから溜息つきっぱなしのルーファは、元中央司令部在籍軍人の息子だ。

そのためか実力は高く、今年度の入隊試験のトップである。

入隊してすぐニアと親しくなったが、まさか腕立て伏せもできないとは思わなかった。

「ニアができなかったら何故か俺がダイさんに怒られるんだから、頑張れよ」

「うん。ルーが怒られないように頑張るよ!」

ニアはルーファを「ルー」と呼ぶ。初対面の時に決めたらしい。

こういうところは父親に似ているのに、何故体力は受け継がれなかったのだろう。

ルーファが何十回目かの溜息をついた時、後ろに誰かが立った。

「少しはできたか?」

「だ、ダイさん!!」

「大尉!」

神出鬼没な上司、ダイ・ホワイトナイト大尉。

誰かと何かを話している時、この人が現れなかったことはほとんどない。

今回は訓練の指導だったから現れてもおかしくはないのだが…

「そ、それがまだ一回も…」

今は現れないで欲しかった。

ニアは困った顔をしているだけだが、ルーファは目をそらして冷や汗をかいている。

彼にとってダイは「軍で最も苦手な人」だった。

「そうか…どうしてだろうな」

ダイはにこやかに言うが、その裏には何か真っ黒なものがぐるぐると渦巻いているような気がする。

それを敏感に感じ取ってしまうルーファだからこそ、この人とはあまり関わりたくない。

「残って十回できるまで頑張ってみろ。ルーファ、ニアの指導宜しく」

「…はい」

確かダイも入隊した時はトップだったと聞いた。

まさかとは思うが、ライバル意識なんか持たれてたら大変だ。

「俺一生あの人に虐められるのかな…」

「どうしたの?ルー」

「…なんでもない」

ルーファは再び、しかし今日で一番深い溜息をついた。

 

結局腕立て伏せはできないまま昼休みになってしまい、ニアとルーファは食堂で昼食をとっていた。

「何でできないんだろうな」

「何でかな…お父さんは僕を乗せたままできるのに」

「…今でも?」

「今でも」

この親子間の体力差は一体なんなんだ。

年齢や体格の違いはあるだろうが、それにしたって。

ルーファが呆れていると、後方から可愛らしい声がした。

「ニア君、ルーファ君、お昼一緒に食べて良い?」

「アーシェちゃん!」

「あぁ、アーシェか」

声の主に、ニアもルーファも笑顔になる。

弁当の包みを持ってニアの隣に座った女の子は、アーシェ・リーガル伍長。

二人の同期で、彼女の母であるリア・リーガルはルーファの育て親と親しい。

「アーシェ、今日も弁当?」

「うん。お母さんのお弁当美味しいの」

「いいなぁ、アーシェちゃん。僕のお母さんお料理爆発するから…」

「…ニアの母さん、いったいどんな作り方してるんだ?」

三人とも自宅から職場に来ているが、もうすぐ寮の手続きをとるつもりだ。

寮にいたほうが緊急時の出動にも対応できるため、都合が良い。

「寮入ったらアーシェちゃんも食堂のごはん?」

「ううん。グレイヴちゃんが作ってきてくれるって」

グレイヴ・ダスクタイトはアーシェの従姉だ。同じく軍人で、伍長としてここに在籍している。

今年度入隊試験の女子トップだが、

「…あれ、グレイヴちゃんじゃない?」

「今日も大尉と一緒なのね」

「違う、あれどう見たってからまれてる」

どうやらダイに気に入られているらしい。

「グレイヴ、昼食一緒に…」

「嫌。アタシアーシェと食べるから」

「そんなこと言わずに…」

「言う」

アーシェの話によると、グレイヴはあの手のタイプに慣れていないだけらしい。

「でもあれはかなり嫌がってるよな」

ルーファの呟きは誰にも聞こえなかった。

「グレイヴちゃん、こっちだよー」

アーシェが手を振って彼女を呼び、事態は一応沈静化する。

「やっと落ち着いた。ありがとう、アーシェ」

「グレイヴちゃんとお昼食べたいって言ったの、私だから」

ようやく楽しいランチタイム。のんびり会話しながら昼食に手をつけようとしていた。

しかし、

「てやーっ!」

「ひゃあぁあっ?!」

ニアが思い切り背中を叩かれ、おかしな声を上げた。

叩いた本人は軽く当てたつもりだったので、ここまで反応されるとは思っていなかった。

「ニアってばビックリしすぎー」

「…何すんのさレヴィ…」

今にも泣き出しそうなニアに、驚かせた犯人は笑う。

彼はレヴィアンス・ハイル。ニア達と同期の伍長だ。

「ちょっと触っただけだもん。

それは良いとして、お母さ…じゃなかった、大総統閣下が呼んでるよ」

彼は現大総統の息子でもあり、命の伝達役として動く事がある。

「ニアだけか?」

ニアの背中を撫でながらルーファが訊く。

「ううん、ルーファとアーシェとグレイヴも。大尉はたった今先に行ったよ」

「ダイさんも?」

このメンバーで呼ばれるのは初めてだ。

大総統職務がらみでニアだけが呼ばれたり、伝達でレヴィアンスだけが呼ばれたりということは度々あった。

しかし、まとめて呼ばれるのだからいつもとは少し違うのだろう。

「レヴィ君、大総統さん何かご用事あるの?」

アーシェが弁当を包みながら訊く。レヴィアンスは少し首を傾げた。

「よくわかんない…。こんなの初めてだし」

疑問を抱きつつも、彼等は大総統室へ向かった。

すでにダイは到着していて、その向こうに大総統とその補佐が見えた。

「お母さん、連れて来たよー」

大総統室にレヴィアンス達が入ると、大総統はにっこり笑った。

しかし、すぐにちょっと怒った顔になってレヴィアンスを叱る。

「お母さんじゃなくて、仕事中は大総統だよ」

「あ、ごめんなさ…じゃなくて、もうしわけありませんでした」

「わかればよろしい」

大総統ハル・スティーナはまた笑顔に戻り、軍人六人を横一列に並ばせた。

「今日呼んだのは、大事な任務を任せようと思ったからなんだ」

ハルは大総統補佐アーレイド・ハイル大将から書類を受け取り、読み上げ始めた。

「えっと…東区画に住む貴族階級の方からの依頼で、ペットを捜して欲しいって」

「ペット…ですか?」

ダイが怪訝そうに言う。

「そのくらいだったら軍に頼まなくても…」

「ボクもそう思ったんだけどね。先方は軍じゃないと駄目だって言ってるんだ。

そのペットが高級らしくて、さらわれた可能性もあるからって。

本人に会って詳しい話を聞いてくれる?」

金持ちの道楽か。

ついそんな言葉が出そうになるが、それを抑える。

「それと…ホワイトナイト大尉以外は初めての任務だから、ちゃんと大尉の言うこと聞いてね。

依頼人に失礼のないように、頑張ってきて」

「はい!」

初任務――この響きが好奇心の強いニアとレヴィアンスにはとてもかっこよく聞こえた。

目を輝かせる二人に、ルーファは不安を覚える。

暴走しないだろうか、と。

 

六人が大総統室を出た後、アーレイドは息をついた。

「本当に大丈夫か?」

「何が?」

「子供行かせて、先方が怒らないかって事だよ。

相手が相手だし…」

アーレイドの心配そうな声に、ハルは数時間前のできごとを思い出す。

依頼人が物凄い剣幕で電話してきたのを、何とかなだめたのだ。

「大丈夫じゃない?何かあってもダイ君いるし」

「それが心配なんだよ」

「どうしようもなくなったらレヴィが連絡くれるよ。大丈夫、大丈夫」

ハルの余裕の構えに、アーレイドも不安を忘れようと思った。

だけど、胸騒ぎは収まらない。

 

ダイの運転でレジーナ東区画の住宅街へ車を向かわせる。

車内ではニアとレヴィアンスが任務について話していた。

「ねぇねぇ、高級なペットってどんなのかなぁ?」

「んー…こんなの?」

ニアはメモ帳とペンを取り出して、さらさらと何かを描いた。

「…贅沢そうな犬だね」

レヴィアンスはその絵にそう感想を述べた。

「まぁ、一般的なイメージだな」

ルーファもメモ帳を覗き込んで言う。

「ニア君、絵上手だね。今にも唸り声が聞こえそう」

「ほんと?ありがとう、アーシェちゃん!」

アーシェがニアの画力を褒めると、ニアは嬉しそうに笑った。

一方、後部座席の賑やかさをよそに運転席と助手席は黙りこくったままだった。

「緊張してる?」

ダイがようやく沈黙を破るが、グレイヴは窓の外を見ている。

しかし、無視しているわけではないようだ。

「別に」

短くではあるが、答えている。

「これから任務は増えるから、今回で慣れておくといい」

「言われるまでもないわよ」

会話は成り立っているから、問題はない。

それ以上を求めるのは、今はやめておいたほうが良いだろう。

依頼人の家はもうすぐそこだ。

「これから依頼人に会うから、失礼のないように」

「はい!」

後部座席から元気な声が聞こえる。

さぁ、ミッションスタートだ。

 

「ワタクシのメアリーちゃんを捜し出して!一刻も早くよ!」

宝石まみれのふくよかな女性が大声を張り上げる。

きちんと挨拶する余裕もなかった。

「落ち着いてください、ライチュアーさん。あなたのペットは必ず見つけ出します」

落ち着き払ったダイの言葉に、依頼主の女性ライチュアーは泣きながら椅子に座った。

椅子は大きく音をたてていて、あと数回座れば壊れそうだった。

「それで、メアリーちゃんでしたっけ。写真か何かありますか?」

「もちろん。ワタクシ、メアリーちゃんとはたくさん写真を撮ってますもの」

ライチュアーはそう言って、テーブルの上にアルバムを積んだ。

五冊のアルバムをダイ以外の五人が一斉に開くが、すぐに閉じたくなった。

「ダイさん、これ…」

ルーファが小声で言う。

「一体どこにペットが写ってるんですか?」

どうやらライチュアーの身体が大きすぎて、ペットの姿が隠されてしまっているようだ。

身体の一部は見えるが、はっきりと写っていない。

「カワイイでしょ、ワタクシのメアリー・アリナリア・ベルグランデッシュ・リールちゃん」

見えねぇよ!つーか名前長ぇよ!

ツッコみかけるが、相手は依頼人だ。ここは我慢しなければならない。

しかしこれではあんまりだ。ダイは仕方なく確認する。

「申し訳ありませんが、メアリー・アリナリア・ベルグランデッシュ・リールちゃんを単独で撮った写真はありますか?」

覚えたのかよ!とルーファは内心ツッコミを入れる。

「単独?ああ、これなら…」

ライチュアーはポケットから写真を取り出し、見せた。

確かに単独で、綺麗に写っている。

本来なら、初めからこれを出せ!とツッコむところだ。

しかし、ペットを見てツッコむにもツッコめなくなった。

耳らしいものが見当たらない頭、単純なつくりの顔。

よく見かけるこの生き物は…

「これ…ねぁーですか?」

「あら、そんな貧相な名前で呼ばないでちょうだい。

メアリー・アリナリア・ベルグランデッシュ・リールちゃんよ」

ライチュアーはそう言うが、写真の生物はねぁーとしか言いようがない。

「ねぁーならよく見るよね」

「どこが高級なのかなぁ…」

「しーっ!聞こえちゃうよ…」

ニアとレヴィアンスがひそひそ話しているのを、アーシェが止める。

幸いライチュアーには聞こえていなかったようで、何事もなかったように話は進んだ。

「…わかりました。保護したら軍から連絡します」

こうして、初任務「ねぁー捜し」が始まった。

 

借りてきた写真をカラーコピーして、六人全員が持つ。

これからどうやって捜そう。

「ポスター作って貼る?」

アーシェが言うが、グレイヴが首を横に振る。

「依頼人は一応高級って言ってるから、内密に進めた方が良いんじゃない?」

「そっか…」

どこから捜したら良いだろう。

いなくなったのは昨日だというから、それほど遠くには行っていない筈だ。

「まずねぁーの習性を調べたら?」

ルーファの提案に、ニアはぽんと手を叩く。

「そっか、習性がわかれば捜す場所を絞れるかもね!」

「そのとおり。ダイさん、図書館行って調べてきます」

ルーファは歩き出そうとしたが、ダイに止められる。

「ちょっと待て。ねぁーについてなら図書館よりも良い調べ方がある」

「?」

ルーファとニアは考え込んでしまうが、レヴィアンスは何かわかったようで「あ」と声をあげる。

「そっか、そうだよね。図書館で地道に調べるより早いし」

ダイとレヴィアンス以外状況が把握できないまま、車に乗り込んだ。

向かった先は軍施設

…の近くの、下宿「ひかり」。

「ただいまー」

ダイはここに住んでいる。

「お帰り、お兄ちゃん!」

ダイの声をきいて走ってきたのは、彼の弟のユロウ。

「早かったんだね」

「いや、仕事中。母さんいる?」

「いるけど…後ろの人たちは?」

ユロウはニア達と初対面だ。当然ニアたちも彼の事を知らない。

ダイはちょっと笑うと、紹介を始めた。

「こいつらは俺の部下。

青いのがニアで、薄茶なのがルーファで、金髪の子がアーシェ、赤っぽいのがレヴィアンス。

それから…」

グレイヴを紹介しようとして、彼女がいないことに気づいた。

長身の彼女が見えないはずはない。

「アーシェ、グレイヴは?」

「外にいます。グレイヴちゃん、おいでよー」

アーシェが呼ぶと、グレイヴは警戒した様子で玄関に入ってきた。

どうやら「ダイの家」という意識があるらしい。

「…この子がグレイヴだ」

「へぇ…。とりあえずこんにちは。ダイお兄ちゃんの弟のユロウです」

ユロウはダイとはあまり似ていない。笑顔に裏がないのだ。

ルーファはホッとしながら、任務のことを思い出す。

「ところでダイさん、ねぁーについて調べるんじゃ…」

「だから連れて来たんだよ。ユロウ、母さん呼んでくれ」

「はーい」

ユロウは走って奥に消えていき、また戻ってきた。

大人を一人伴って。

「ダイ、一体何?」

ユロウに手を引かれて現れたのは、とても綺麗な人だった。

束ねた長い紙がさらさらと流れる。

「えと…大尉のお母さんですか?」

ニアが口を開くと、その人は目を丸くした。

少し考えてから、とにかく上がって、と六人を家の中に通した。

居間は広く、綺麗に片付いている。

ニアはきょろきょろしているが、レヴィアンスは珍しく落ち着いていた。

「…で、どうしたんだ?」

ダイの母親と思われる人は、全員分のオレンジジュースを注いでくれた。

「仕事に協力して欲しくて。こいつら初任務なんだ」

ダイが言うと、その人は感心して言った。

「そっか、もう任されるようになったんだ。頑張ってるんだな、ニアたちも」

突然呼び捨てにされて、ニアはきょろきょろするのをやめた。

知らない人なのに、どうして名前を知ってるんだろう。

ダイが教えたにしても、いきなり呼び捨てはおかしい。

「えと…何で…」

ニアがしどろもどろで言うと、その人は笑って言った。

「知ってるよ。お前がニア、その隣がルーファ、アーシェ、レヴィアンス、グレイヴ」

全員をぴたりと当てる。この人は一体なんなんだろう。

ニアが混乱している中、レヴィアンスはいつもと変わらぬ態度でその人に話し掛けていた。

「アクトおばちゃん、今回の仕事、アクトおばちゃんの得意分野なんだ」

レヴィアンスは知り合いらしい。ニアはルーファ、アーシェ、グレイヴを見た。

三人ともいつも通り落ち着いている。

おろおろしているのは自分だけらしい。

「おれの得意分野?」

「うん。あのね…」

レヴィアンスは写真のカラーコピーをアクトに見せる。

それを見たアクトは、なんだか嬉しそうだった。

「ぬぁーだな」

「ぬぁー?」

訊き返したのはダイだ。アクトは頷く。

「ねぁーじゃないんですか?」

アーシェが訊くと、アクトは説明を始めた。

「ねぁーだけど、縞模様があるだろ?これはぬぁーっていって、すごく貴重なんだ」

どうやらライチュアーが高級と言っていたのは本当らしい。

「さすがねぁーマニア!」

レヴィアンスがそう言ったところで、ニアはようやく理解した。

「アクトさんって、ねぁーマニアの人?!」

「え?」

「お父さんがよくねぁーマニアの人からおかず貰ったって帰ってくるけど、そのねぁーマニアの人?」

ニアの発言に、アクトは苦笑する。

「カスケードさん、おれのことそんな風に言ってるの?

…今度からちゃんと名前で言ってって伝えてよ」

父の名前も知っている。間違いない。

しかしルーファ達はすでに知っていたようで、ニアの言葉にただただ驚いていた。

「ニア、知らなかったのか?アクトさんのこと」

「うん、わかんなかった。大尉のお母さんだなんて知らなかったし」

「ニアは三歳の時にうちに遊びに来たことあるのにな。…まぁ、それは置いといて。

で、ぬぁーがどうかしたの?」

アクトの言葉で本題に戻る。

任務の説明をしたのはルーファだった。

「実は、そのぬぁーがいなくなったんです。飼い主の人が軍に捜索を依頼して、俺達が捜してるんです」

ルーファの説明をアクトは黙って聞いていたが、一息ついて言った。

「できれば、飼うのは止めさせたほうが良いと思うけどね」

「…え?」

予想もしなかった答えだ。

少しは考えてくれると思っていたが、こんなに早く結論を出されるとは。

「何でですか?」

「ぬぁーだから」

「なんでぬぁーだと飼わない方がいいんですか?」

初任務で「飼うなと言われました」なんて、とても言えない。

ましてライチュアーにそう告げれば、恨みをかうのは大総統であるハルだ。

「教えてよ!じゃないとお母さんがあの宝石お化けに食べられちゃう!」

レヴィアンスの必死の訴えに、アクトは困ったように答える。

「うん…ぬぁーはもともとねぁー無しじゃ生きられないんだ」

話によると、ぬぁーはねぁーに寄生しているものらしい。

それを無理矢理剥がしてペットなどにしていては、こうして逃げるのも当然だという。

「じゃあ、アクトさんはぬぁーを依頼主に返さないほうが良いって言うんですか?」

「うん。本当は野良ねぁーと一緒にいるのが一番いいんだ」

そう言われると、その方がいいような気がする。

人間にとってはただの愛玩動物かもしれないが、彼等は生き物だ。

ちゃんとした環境で生きていた方がいい。

「大尉、この仕事やめようよ…」

ニアが泣きそうな顔で言う。

「ぬぁーがかわいそうだよ。この仕事やめよう?」

「でも…」

ダイとしては、仕事をやめることなど不可能だと思っている。

依頼主が軍にかける圧力が心配だからだ。

「レヴィ君、どうにかできない?」

アーシェはレヴィアンスに言う。

しかしレヴィアンスも母の負担を考えると、何も言えなくなってしまう。

「ダイ、おれがその依頼主と話そうか?」

アクトもそう言うが、それでは自分たちが任務を請け負った意味がない。

最後まで責任を持つのが、軍人だ。

「アタシからもお願い」

「グレイヴ…」

どうせ負う責任なら、自分が全て背負ってやろうじゃないか。

「わかった。俺が何とかする」

「大尉!」

「ダイ、いいのか?」

「いいよ。俺が全部責任取るから」

これからの段取りを決めなきゃな、とダイはソファに腰掛ける。

まずハルと相談して、それから依頼人に事情を説明しなければならない。

軍人が私情で動くことは本来なら許されない。もっともらしい言い訳を考えなければ。

「ねぁー」

軍人六人がいろいろ考えているところに、ユロウがねぁーを抱いて来た。

この家の飼いねぁーだ。

「どうなったの?お兄ちゃん」

「あぁ、今依頼人にする言い訳を考えて…」

ダイは言いかけて、固まった。

視界に入ったものは、それを見た全てのものの時間を止めた。

「なぁに?どうしたの?」

首を傾げるユロウが抱いたねぁーには、

縞模様の小さなねぁーがぴったり張り付いていた。

 

「…という訳で、メアリー・アリナリア・ベルグランデッシュ・リールちゃんを普通のねぁーと一緒に飼ってください。

そうすれば逃げることはありませんから」

メアリーちゃんことぬぁーはねぁーにぴったり張り付いていて、剥がれそうになかった。

剥がすのもかわいそうなので、そのままライチュアーのもとに連れてきたのだ。

しかし、

「イヤよ。こんなみすぼらしいものとメアリー・アリナリア・ベルグランデッシュ・リールちゃんを一緒にだなんて…」

「このねぁーはよくしつけてありますから、失礼はいたしません」

「それでもイヤよ。さっさと引き剥がしてちょうだい」

ライチュアーはぬぁーだけを欲しがっていて、まるで聞く耳を持たない。

「さぁ、早く。そんな雑巾はいらないわ」

彼女のこの一言で、ダイは我慢の限界点を突破した。

「おい、いいかげんに」

「いいかげんにしなさいよ!」

しかし、ダイが言う前にそれを遮った者があった。

「グ…グレイヴちゃん?」

従妹のアーシェも驚いている。

こんな彼女は滅多に見られない。

「もうやってらんない。アンタに飼い主の資格なんかない!

生き物を雑巾呼ばわりするなんて、アンタのほうがよっぽどみすぼらしいよ!」

「グレイヴ…」

こうなってしまってはもう後戻りはできない。

しかし、どうなってもいいと思った。

このあと叱られるかも知れないが、心は晴れ晴れとしていた。

「あなたみたいな小娘にそこまで言われる筋合いないわよ!」

ライチュアーは憤慨したようで、グレイヴの腕を掴んで彼女の頬を叩こうと自分の腕を振り上げた。

「やめろっ!」

しかし、その行動はニアとルーファ、レヴィアンスに止められた。

「オバサン、少し大人になりなよ!」

「子供に逆上して手を上げるなんて、最低だ」

「今のはオバチャンが悪いよ」

ライチュアーは忌々しそうに舌打ちし、吐き捨てた。

「あぁもう!いらないわよそんなもの!そっちで処分して!」

言い方は最低だが、こちらにとっては都合がよかった。

ダイはぬぁー付きのねぁーを抱き上げ、冷静に言った。

「では、失礼します。…今回の任務は失敗ということにしますから、報酬等は結構です」

六人はその場を後にした。

ライチュアーは何かブツブツ言っていたが、誰も聞いていなかった。

 

司令部に帰ってきた六人が最初に聞いたのは、怒声だった。

「依頼人怒らせてどうする!公僕が私情で動くなんて許されるわけないだろう!」

息子のレヴィアンスも滅多に見ない、怒りのアーレイド。

上司として当然の態度ではあるが、やはり恐い。

「すみませんでした。責任は全部俺にあります」

「全くだ。大尉、お前がついていながらこんな…」

「まぁまぁ、いいじゃない。アーレイドも少し落ち着いてよ」

ハルはアーレイドの袖を引っ張ってなだめる。

そして六人の方を向き、少し恐い顔をつくって言った。

「私情で動いたのは軍人としてあってはいけないことだよ。それはわかってるよね。

まして依頼型任務で依頼人を怒らせたら、軍自体の評判が下がるんだよ」

「…申し訳ありません」

彼等がすっかり落ち込んだのを見て、ハルは表情を緩めた。

反省しているなら、これ以上叱ることはない。

「でもね、君たちはそのぬぁーにとっては恩人なんだよ。

それは胸張っていいからね」

この言葉に、ダイはホッとし、ニアとアーシェとレヴィアンスは手を叩きあって喜んだ。

ルーファは笑みを見せ、グレイヴは抱いているねぁーとぬぁーをそっと撫でた。

「ねぁー」と一声、のんきな鳴き声。

「アーレイド、どうしたの?」

「…いや、鳥肌が…」

「もうちょっと我慢してね。もうすぐアクトさんが引き取りに来るから」

 

初めての任務は、表面上は大失敗という形になった。

しかし、任務に参加した彼等の中では大成功ということになっている。

 

ところでその夜の下宿「ひかり」では。

「おい、一匹増えてねぇか?」

「気にするな。寄生してるから二匹で一匹」

 

 

To be continued…