知った真実は、忘れたいほど痛くて。
それでも受け止めようと思うまでに、たくさんの時間が必要だった。
今はもう大丈夫。
そう言い聞かせて、次の真実を求め始めた。
必要なものはカバンに詰めた。
今日、ここを発つ。
「姉さん」
軍入隊の日と同じようにかけられる声。
アーシェは同じ笑顔で応える。
「どうしたの?リヒト」
「…いなくなっちゃうんだね」
弟は、笑わないのに。
「お休みの日には戻ってくるよ。
永遠のお別れじゃないんだから、そんな顔しないで」
彼はこんな答えを求めているのではない。
それはわかっている。
「お母さんに送ってもらわなきゃいけないから、もう行くね」
「…うん」
リヒトの頭を優しく撫で、アーシェは部屋を出た。
後姿を見送りながら、リヒトは迷っていた。
こんなことなら、真実を話してしまえばよかっただろうか。
アーシェが知ろうとしている、「父の真実」を。
リヒトは全て知っていた。
全て聞いてしまった。
自分達には、二人の犯罪者の血が流れていることを。
一人はアーシェも知っている。
もう一人は…
「知らないままのほうが良いのに…」
思い返すほどに痛む、ジレンマ。
桃色のキャリーバッグを引いて、新しい生活の場へ。
今日から軍人寮での生活が始まる。
「お母さんはラディアさんと同じ部屋だったのよね?」
「そうよ。ラディアちゃんとは楽しく生活してたわ」
かつて寮で生活を送っていた母に付き添ってもらい、アーシェは荷物を部屋に運び込む。
二人部屋なので、階級が同じくらいの誰かと同室になる。
「いい人だと良いわね」
「うん。でもきっといい人よ。
お母さんいつも言ってるじゃない、全てが悪い人なんていないって」
だからきっと大丈夫。
そう信じて、まだ一人の部屋を片付ける。
アーシェが寮に来た一時間後、男子寮にニアとルーファが到着した。
「ルーと同じ部屋だー!」
「そうだな。これからよろしく」
「うんっ!」
楽しそうに荷物を運ぶ二人の後ろに、二組の家族がいた。
楽しそうに、懐かしそうに、笑いあう。
「懐かしいな、寮」
「そうですね」
「よく皆で集まりましたよね」
カスケード、グレン、カイ――全員元寮生だ。
あの頃は仲間のほとんどが寮にいて、何かあれば鍋パーティだった。
子供達も仲間が増えれば、そんなことをするのだろうか。
「そういえばカスケードさん、ニアが寮に入るのよく許可しましたね」
「いい経験になるんじゃないかと思ってな。俺も寮だったし…」
カイとカスケードが話していると、車内にいたはずのシィレーネが隣で笑った。
「本当は一晩くらいショック受けてたんですよ。
ニアが家からいなくなるーって」
「ちょ、待てよシィ!それは内緒に…」
「へぇ、やっぱりそうなんですか。親バカ全開ですね、相変わらず」
時は流れた。時代は変わった。
あの頃とは違う生活をしている自分達がいて、
あの頃からは考えられないほど立派になった人達がいる。
そういう者の背中を見て育った子供達は、これからどんな道を歩むのだろう。
その歩みを途中で邪魔されないよう、自分達親には何ができるだろう。
「荷物運び終わったよ」
「片付け手伝ってー」
少なくとも自分達が作ってしまった因縁だけは、背負ってしまうことの無いようにしなければ。
「それじゃ、戸締りとか気をつけろよ」
「セレスティアさんに迷惑かけるなよ」
引越しを終え、口々に言う帰り際。
いちいち返事をしながら、ニアとルーファはこれからのことを考える。
もう、近くに親はいない。
帰ろうと思えば帰れるけれど、随分遠くなった気がする。
「これからは自分達で何とかしなきゃな」
「そうだね」
そう言って顔を見合わせた二人を、
「ニアくーん、ルーファくーん」
高いトーンが呼んだ。
「アーシェちゃん!」
ニアの声で、帰ろうとしていた大人たちも足を止める。
そして、少女の後ろにいた女性を見た。
「リアちゃん!」
「お久しぶりです、カスケードさん。
グレンさんとカイ君はそうでもないわね」
リアの優しい笑顔は昔と変わらず、彼女の娘にも受け継がれているようだ。
「アーシェちゃんのお母さん?」
「そうよ。初めまして、ニア君」
「こんにちは、リアさん」
「こんにちは、ルーファ君」
ルーファは何度か会ったことがあるが、ニアは初めてだ。
アーシェとよく似ている事に、少し驚く。
これまでに会ったのはルーファの両親とレヴィアンスの両親、そしてダイの養母。
血が繋がっていない親子ばかりを見てきたニアにとって、見た目がそっくりな親子は新鮮だ。
大人は話しながら帰り、子供も寮の建物に入る。
新しい生活が始まる。
そういえばリアちゃん、あの事アーシェちゃんに話したのか?
…話しました。リヒトにも。
アルは?
何も話してません。ブラック君と相談はしてるみたいなんですけど…。
アーシェと同室になる者はまだいない。
他に誰もいない部屋に、ディスプレイの明かりとキーボードの音だけが在る。
アーシェが探すものはまだ見つからない。
「…どうしてなのかな…」
呟いた言葉は虚。
一日が始まる。
違和感のある始まり。
「一人で大丈夫?」
「大丈夫よ。でもちょっと寂しいから、グレイヴちゃん遊びに来てね」
家族に会わない生活で、仕事だけがいつもと同じ。
昼休みに男の子達がチェスをしている間、アーシェとグレイヴは静かに会話していた。
「アーシェ、寮に入ったのって…やっぱり調べるため?」
「うん。家から出ないと調べにくいから」
「…そう」
アーシェは父のことを調べている。
誰も語らない真実を求めている。
そのために軍人になった。
「あとね…お母さんのお父さんのことも少し調べてるの。
アーシャルコーポレーションがどんな会社で、どんな事をしてしまったのか…」
「そこまで?」
「これはちゃんと知っておかなきゃならないなって思ったの。
私、社長だった人の孫だし…」
アーシェの背負っている重いものを、グレイヴは複雑な思いで見ている。
手を貸したくてもどうすればいいのか分からず、途方にくれている。
その日の教練は午後からだった。
基礎訓練の時間、アーシェとグレイヴは周囲をさほど気にしない。
自分の事に集中している。
その間に噂は広まっていく。
捻じ曲げられて、拡大していく。
訓練終了後にそれは起こってしまった。
「リーガルさん、ちょっといい?」
数人の女子に呼ばれ、アーシェは首を傾げる。
「なあに?」
「いいから、ちょっと来なさいよ」
空気が不穏だ。
何かしただろうか。
アーシェは言われるままに彼女たちについて行った。
着いた場所は、寮の建物の陰。
よほどのことがない限り、人は来ない。
「リーガルさん、何で軍人やってるの?」
太陽の光が遮られ、周囲は薄暗い。
「何でって…」
「あんたにやる資格あるの?」
雲が空を覆い始める。
光が射さない。
「あんた、アーシャルコーポレーション元社長の孫って本当?」
男子の教練が終了する号令が聞こえた。
「何で…知ってるの?」
「どうだっていいでしょ?事実なら事実って言いなさいよ」
「なんで犯罪者の孫が軍人やってるわけ?」
「スパイじゃないの?」
「違うよ!」
「極悪人の血が流れてるんなら、あんたも悪人じゃないの?」
「軍に入れたのも金積んだからとか?たしか家は大会社よねぇ」
「うわ、アヤシー」
「違う!それにおじいちゃんも…本当は悪い人じゃないもの!」
「悪人庇ってどうすんの?やっぱりスパイなんじゃない?」
昼の会話を聞かれたのだろうか。
それにしても、酷い言い方。
何も知らない人に、こんなこと言われたくない。
だけど、これ以上返せない。
「何であんたみたいなのが軍にいるのか理解に苦しむわ。
さっさとやめてほしいわね」
遠くなる声は、胸に突き刺さって抜けない。
痛くて動けない。
ニア、ルーファ、レヴィアンス、そしてアーシェは仕事を終えて帰路についていた。
とはいえ寮まではたった二分。
「レヴィも寮だったの?」
「うん。やっぱり早く出動できなきゃね」
「俺たちのとこ遊びに来いよ、チェス持って」
「ボク負ける気無いよ?それでも良いなら遊びに行ってあげる」
はしゃぎながら歩く男の子達の後ろで、アーシェは昼間のことを思い返していた。
――さっさとやめてほしいわね。
自分はここにいてはいけないのだろうか。
祖父の血を継いでいるというだけで。
「アーシェ」
「!…なあに?ルーファ君」
慌てて笑顔を作る。暗い顔は見せたくない。
「アーシェも来るか?チェスやりに」
自分の事を思ってくれる人に、落ち込んだ自分を見せたくない。
心配させたくないから。
「やりたい!行っていいの?」
「あぁ。良いよな、ニア」
「うん!」
「ねぇ、ボクの意見いらないの?」
「レヴィも大歓迎だろ?訊くまでもない」
一緒に笑っていれば、気も紛れる。
笑えるから大丈夫だと、自分に言い聞かせられる。
翌日は朝から笑顔を作らなければならなかった。
何もなかったように振舞わなければ、心配されてしまう。
女の子達の側を通った時に躓いて転んだのも、
訓練の時に何度もぶつかられたのも、
カバンの中に覚えのない紙屑がいくつも入っていたことも、
全て偶然だということにした。
近くにいる人に気付かれないように、明るく振舞った。
特にグレイヴの前で。
「アーシェ、なんか変じゃない?」
「え、何で?」
「なんか無理して笑ってるみたい。自然じゃないような…」
「そんなことないよ。私はいつもと同じよ」
昔から一緒にいるから、僅かな変化でも気付かれてしまう。
ごまかしてはいるが、明らかに不審がられている。
「何でもないならいいけど、具合悪かったら休みなさいよ。
あの爽やか上司も近々仕事あるっていってたし」
「大尉のこと普通に呼んであげようよ…」
本当のことは気付かれていない。
気付かれる訳にはいかない。
グレイヴならきっと、自分を守ろうとしてくれる。
そうなったら彼女も傷ついてしまうかもしれない。
――ごめんね、グレイヴちゃん
大切だからこそ、打ち明けられない。
寮に帰ってからも嫌がらせは続いた。
無視されたり、偶然を装った攻撃を受ける。
吐きつけられる言葉はエスカレートしていく。
「いっつも男といるけど、どうやって媚売ってんのかしら」
「さすが犯罪者の血をひくだけあるわよね。
お姫様でも気取ってるの?」
直接言わず、しかしアーシェに聞こえるように話す声。
気にしないふりをすればまた別の言葉が背中に刺さる。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
一人の部屋で唱える言葉は、泣きたい気持ちを抑えるため。
負けたくない。負けちゃ駄目。
ここでやらなければいけないことがあるのだから。
「大尉、宜しいですか?」
出勤して五分、ダイは少女の声に呼び止められた。
普段知り合い以外の女子に呼ばれるときは大抵
「これ読んでください!」
と手紙を渡されたりするのだが、
「何か?」
「お話したいことがあります」
彼女は何も持っていなかった。
「…ところで君は?」
「はい、私はパラミクスといいます。バッジの通り軍曹です。
話したいことというのは、大尉がよく一緒にいる女の子のことなんです」
真剣で、どこか心配そうな眼。
「黒髪の子?」
「いいえ、金髪の」
「アーシェが何か?」
「実は、彼女…」
アーシェの不自然な笑顔のことを、グレイヴはずっと気にしていた。
伯父や伯母にも尋ね難く、一人彼女のことを考えていた。
――やっぱり何かあったんだろうか
具合が悪ければそう言う筈だ。
昔からアーシェはグレイヴに隠し事をしない。
何でも話してくれたはずなのに。
――アタシじゃ頼りないのかな…
話して欲しいのに。無理して欲しくないのに。
思いをめぐらせているところに、誰かの手が自分のに重なった。
「スタートボタン押してなかったよ」
「!」
忘れていた。自分はコピーを頼まれて、原稿枚数を入力したあとボーっとしていたらしい。
屈辱なのは、それを気付かせたのがダイであること。
「何でここにいるのよ!」
「仕事だから。…それ以前に君にコピー頼んだの俺だよね?」
それすら忘れていた。意識していなかった。
アーシェのことで、頭がいっぱいだった。
「…別にサボってた訳じゃないわ」
「分かってるよ。君は考え事をしていたんだろう?」
爽やかな笑顔から目を逸らす。
しかし、すぐに視線を戻さざるをえなくなった。
「アーシェのことを考えてたんじゃないか?」
「?!」
読まれていたのか。
でも、どうして。
驚愕と不審の入り混じった表情に、ダイは言った。
「最近アーシェの様子が変だった。君はそれを心配していた。
アーシェに何が起こったのか、君は知らない」
「アンタ、知ってるの?!」
「まぁね」
どうして知っているのかは、この際どうでも良かった。
そんなことを考える余裕などなくなった。
真実を知ったとき、存在したのは怒りだけ。
「コピーは終わったわ。…外出てくる」
早足で去るグレイヴを見送ったあと、ダイは周囲を見回した。
求める姿はない。捜さなければ、間に合わない。
タイミングよく休憩中だった女子数名は、グレイヴが現れてすぐに表情を変えた。
「話がある」
「…何よ、なんか文句でもあるの?」
「今日はお姫様のお守りしてないんだ?」
クスクスと沸く声は、グレイヴが睨むと止んだ。
「アンタたち、アーシェに何言ったの?」
「べっつにー」
「本当の事言っただけよ」
「何言ったか言いなさいよ。それとも場所変えようか?
アンタたち、寮の裏好きなんでしょ?」
「変えたいなら変えて良いよ」
「あの女が何言ったか知らないけど、私たち悪くないしー」
今ここでひっぱたいてやりたかったが、それはまずい。
以前上司を蹴り飛ばした時に、一応厳重注意を受けている。
それにしても、女子達は意外とあっさり移動してくれた。
嫌な予感がした。
「犯罪者の孫」――二年程前にアーシェが突きつけられた事実。
彼女が悩んでいた時、グレイヴは側にいた。
震える彼女の手を握っていた。
だから、それを加虐原因にしている者は許せない。
何も知らないくせに、と思う。
「アーシェがどれだけ苦しんでたか、わからなくても想像はできるんじゃない?
それともアンタ達の頭はそれすらできないほど悪いの?」
「あんたこそ想像力ないの?いくら庇っても、あの子に犯罪者の血が流れてるのは変わりない。
いつ裏切るかわからないものを排除するのは当然のことじゃない」
「アーシェは裏切らないわ」
「そう思ってるのはあんただけだったりして」
笑いつづける女子の一人は、近付く影に気付かなかった。
気付いた時には衝撃を受けていて、頬に痛みを感じていた。
「…ったぁい!何すんのよ!」
「このくらいで騒ぐの?アーシェはもっと痛いのよ」
「うるさいわね!犯罪者とグルのくせに、偉そうなこと言わないでよ!」
叩き返そうとする手を振り払い、グレイヴは相手を睨む。
守らなければ。
もう二度と、大切な人を傷つけたくない。
「アーシェに謝りなさい」
「犯罪者に謝る理由なんてないわ。
それより、私にばかり気を取られてていいの?」
「は?どういう意味…」
少女は笑っていた。
そのわけに気付くのが、遅すぎた。
芝生に倒れている人物が誰なのか、すぐにわかった。
ずっと一緒にいてくれた人を、見間違うはずはない。
「グレイヴちゃん!!」
周りにいた女子を突き飛ばし、アーシェはグレイヴに駆け寄った。
足に残る打撲傷が、何が起こっていたかを克明に表していた。
「あらごきげんよう、お姫様」
「家来を助けにきたの?感動的ねー」
寮の建物の陰に積まれていた金属のパイプが、少女達の手にあった。
少し長めで重いものだが、軍人である彼女たちには容易に扱える。
それをわかっていて、人を傷つける道具にした。
「…違うよ…」
結局、大切な人を巻き込んでしまった。
もっと早く来ていれば、
もっとうまく隠していれば、
もっと気をつけていれば…
「こんなの違うよ…グレイヴちゃんは関係ないのに…」
傷つくのは、自分だけでよかった。
「どうして私のことで、他の人まで傷つけたの?!」
傷を痛いと思わないほど、強くあればよかった。
「私一人なら平気。でも、おじいちゃんのことや…
グレイヴちゃんまで傷つけるなんて、そんなの違うよ!」
ごめんね。
巻き込んじゃって、ごめんね。
「私の大切な人を傷つけないで!
悪いことが許せないからってそうするのも悪いことよ!」
「悪いこととか、あんたに言われたくないよ!」
少女の振り上げた金属パイプに、アーシェは反射的に目を閉じる。
でも、殴られても構わなかった。
それで終わるなら。
「………?」
しかし、衝撃はなかった。
恐る恐る目を開けると、そこには見知った色があった。
「女の子がこんなもの振り回すなんて、感心できないな」
「大尉!」
さっきアーシェを呼びに来て、それからどこへ行っていたのか。
驚いていると、別方向から女性の声がした。
「あなたたち、人に怪我をさせるのが軍人のすることだと思っているの?」
みつあみの少女の階級バッジは深緑。軍曹だ。
寮に来てから見たことはあったが、こんなに近くでは初めてだ。
「近々大総統閣下から処分が下されるでしょうね。大尉が報告してくださるそうよ」
金属パイプは取り上げられた。
雲間から光がさした。
大総統室の空気は重い。
アーシェが語った事件の真相は、十五年前の事件を知るものには辛かった。
アーシャルコーポレーション事件――リアの父が起こした、胸の痛む事件。
「ごめんね、アーシェ…」
電話で呼び出されたリアは、アーシェを抱きしめてそう言った。
何度も繰り返し、涙を流した。
「どうしてお母さんが謝るの?お母さんのせいじゃないのに」
「私の責任よ。アーシェは強いから受け止めてくれるって思って、結局辛い思いをさせちゃったもの。
どんなに強くても、まだあなたは子供なのよね。重すぎれば支えきれない」
昔リア自身が辛い現実を受け止めきれなかったように、アーシェも押しつぶされそうだった。
もっと大人になってから、少しずつ語るべきだった。
「ごめんね…本当にごめんね…」
「もう良いの。お母さんは気にしなくて良いの。
だって私、おじいちゃんのこと尊敬してるもの」
「…アーシェ…どうして?」
あんなに辛い思いをしたのに、原因となった祖父を「尊敬してる」。
涙の瞳に映ったのは、娘の笑顔だった。
「おじいちゃんは悪いことをしたけれど、ちゃんと償ってるんでしょう?
自分のしたことを反省できる人は、もう悪いことはしない。
もう悪い人にはならない」
誰に似たのだろう。
こんなに前向きで、強くて。
生まれてから十年、ずっと見てきた姿は、
いつのまにかこんなに大きくなっていた。
「アーシェ…」
「それにね、重くて支えられなかったら、一緒に支えてくれる人がいるもの。
グレイヴちゃんも、ニア君もルーファ君もレヴィ君も、あと大尉も。
お母さんと同じだよ。一緒に支えてくれる人がいるから、私は負けないの」
負けないどころか、きっと乗り越えていける。
何があっても、仲間がいるから。
「立派になったね、アーシェ」
「お父さん!」
アーレイドに連れられ、父アルベルトが漸く到着した。
無理をして会社を抜け出してきたのだろう。
アーシェは駆け寄り、思い切り抱きついた。
「グレイヴちゃんの診察が終わったって。病院に行く?」
「ほんと?グレイヴちゃん、大丈夫?」
「大丈夫だよ。…リアさん、行きますか?」
「えぇ。…ハル君、アーレイド君、連絡ありがとう」
「いいえ、寧ろ申し訳なかったです」
挨拶をして、リアとアーシェは大総統室を出た。
アルベルトだけが残され、ハルの前に立つ。
「ハル君、一つ頼みがあるんです。…本来はセレスティアさんに言うべきなんでしょうけど…」
病院から帰ってきたアーシェは、自分の部屋の前に荷物が置かれていることに気付いた。
誰か引っ越してくるのだろうか。
これからの同居人として。
昼間のことなどもあって少し不安になるが、それはすぐに解消された。
「アーシェ・リーガルさんね」
この声は聞いた事がある。
今日、あの時聞いた声。
「あなたは…」
アーシェに微笑みかけ、みつあみの少女は名を告げた。
「オリビア・パラミクス。階級は軍曹よ。
これからよろしくね、アーシェちゃん」
差し出された手は温かく、ホッとした。
アーシェと同じくらいか、少し年上に見える同居人。
「一つ謝らなきゃいけないことがあるの」
彼女は急に切り出した。
「何ですか?」
「私、あなたが傷つけられていることを知っていながら助けなかった。
言い訳はしないわ。本当にごめんね」
心からの謝罪であることは、眼でわかる。
アーシェは優しい微笑みで応えた。
「謝らないで下さい。オリビアさんは大尉に助けを求めてくれたじゃないですか。
大尉から聞きました。私のこと心配してくれてたって」
「アーシェちゃん…ありがとう」
一つ乗り越えて、新しい日々が始まった。
その一方で、壁を乗り越えられずに苦しむ者がいる。
To be continued…