「健康診断」――体を動かす軍人にとって、重要なものだ。
エルニーニャ軍では十五歳以下の軍人の健康診断を司令部の医務室で行う。
「ルー、健康診断って入隊の時にやったよね?」
「最近のデータの方が重要だから、関係ないんじゃないか?」
身体測定と検診で構成される健康診断。
これをもとにしてこれからの仕事も決まってくる。
「とっても健康なら任務とかが少し多くなるのよね。
日頃から気をつけないと、昇進とかできないね」
「そうだね。任務の功績があると階級上げ易いってお母さんも言ってたし」
レヴィアンスの母、つまり大総統がそんなことを言ったらしい。
いくら息子だからってネタバレが多いとまずいのでは。
ルーファは不安になるが、ニアとアーシェは感心している。
「とにかく、明日の健康診断って結構大切なものなんだよね。
だから今日はぐっすり寝て、明日に備えようよ」
「そうね。…それじゃ私は帰るね」
「ばいばい、アーシェちゃん」
「また明日な」
アーシェは女子寮に駆けて行き、他の三人は男子寮に入っていった。
テーブルの上に牛乳。
とにかく飲みまくるニア。
ルーファは目の前の光景に唖然とした。
「…何してるんだ?」
「牛乳飲んで背を伸ばすんだよ」
「今からじゃ無理だろ」
「そうなの?!」
ニアは本気だったらしい。
ルーファは呆れて息をつく。
「そんなにたくさん飲んだら腹壊すぞ」
「大丈夫。僕お母さんの料理十年食べ続けてきたし」
ニアがとんでもないことを言ったような気がするが、ルーファはなかったことにした。
「俺にも牛乳ちょうだい」
「だめ!ルーがこれ以上大きくなったら僕追いつけないよ!」
「………」
変なライバル心を持たれているようだ。
ルーファは仕方なく牛乳を諦めた。
アーシェは風呂で悩んでいた。
女の子らしい悩みだ。
「なんでかなぁ…。お母さんもグレイヴちゃんもあるのに…」
寮で同室のオリビアから胸囲を測る話を聞いて、ふと気がついてしまった。
母は言うまでもなくダイナマイト、グレイヴはアーシェと一歳しか違わないのにスタイルがいい。
自分は…
「い…いいもん、そのうちお母さんみたいに…」
言い聞かせてみるが、やはり少し不安になる。
「ボク昨日いっぱい牛乳飲んだから、少しは背伸びたかも」
お前もか!とレヴィアンスにツッコみつつ、ルーファは日程を確認する。
医師が来るらしい。しかも、名前を見ると知っている人。
「なんだ、クリスさんか」
「ルー、お医者さん知ってるの?」
「俺の父さんが薬局やってるだろ?その関係でよくうちに来るんだ」
女子の欄には別の名前があった。
ファミリーネームに見覚えがある。
「…インフェリア?」
「あ、サクラおばちゃんだ。女子の担当なんだね」
「ニアの知り合い?」
「親戚だよ。お父さんの妹」
世間は狭い。いろいろな関係がわかる度に、ルーファは思う。
「でもおばちゃんは軍医じゃないんだけどなぁ…」
「そうなのか?」
「うん。十三年位前に軍医辞めて小児科医になったんだって」
人には色々あるらしい。
それを全て知ることは出来ないけれど。
大総統室では早めに来ていた医師と大総統とのチェス対戦が繰り広げられていた。
「こんなに苦戦したの久しぶりだよ…」
「ボクもまだまだ負けてないってことですね。アーレイド君とはどうなんですか?」
「アーレイドは弱いんです。レヴィの方が最近は強いかもしれません」
「ハル、最近ちょっと毒吐いてないか?」
「吐いてないよー」
笑っている間に時間は訪れる。
クリスは時計を確認し、席をたった。
「それでは、ボクはそろそろ」
「はい。お願いします、クリスさん」
チェスは結局勝負の行方を濁らせたまま。
いよいよ健康診断が始まろうとしていた。
「…ハル、あいつはどうするって?」
「今年も一番最後にって。説得したけどだめだったらしいよ」
「大怪我したらどうするつもりなんだ…」
測定の列に並ぶ少年兵たちは、互いに勝っただの負けただの言い合っている。
騒がしい中、ニアたちも話していた。
「僕もルーみたいにおっきかったらなぁ…」
「ニアもそのうち伸びるだろ。成長期に十センチとか二十センチとか…」
「ボクだってあと何年かすればニアを追い越しちゃうもんね」
「レヴィには負けないよ!今僕の方が全然高いし!」
「いや、わからないよ。もしかしたらレヴィはものすごく伸びるかもしれない」
「そうだよ!…ってあれ?」
今、本来なら聞こえるはずのない声が聞こえなかったか。
今回の診断対象は十五歳以下。十七歳なら病院で検査を受けているはず。
「…ダイさん、何してるんですか?」
ルーファの胃が痛み出す。
「俺は手伝い。記録係なんだけど…今ここで身長測る人と代わってもらってもいいんだよ?」
「代わらないで下さい」
この人がやったら思い切り頭を痛めそうな気がする。
検診で胃に異常が見つかったらダイの所為だとルーファは思う。
レヴィアンスとニアはこそこそと話していた。
「大尉ってどこにでもいるよね…」
「気がついたら近くにいるよね」
今日も先が思いやられる。
一方女子は。
「グレイヴちゃん、また身長伸びたの?」
「そうみたい」
「胸囲も…」
「…どこ見てんのよアーシェ」
すでに測定を終え、アーシェとグレイヴは検診の列に並んでいた。
女子の検診担当医はサクラ・インフェリア。
レジーナ総合病院の小児科医で、もと軍医だ。
「次の人」
「はい」
アーシェは目の前の女医を友人に重ねた。
初めて会った人なのに、初めてという気がしない。
「アーシェ・リーガルさん?」
「はい」
眼鏡の奥の優しそうな瞳。
その色は海の色。
診察をしながら、女医は言った。
「ニアがいつもお世話になってるわね」
「え、ニア君?」
色を重ねた友人の名をきいて、アーシェは驚く。
ニアと同じ色の女医は微笑む。
「私はニアの叔母よ。ニアは楽しそうに友達のことを話してくれるの」
「叔母さん…ですか?」
「そう。アーシェちゃんのこともいっぱい話してくれるの。
とっても可愛い子だって聞いてたけど、想像以上ね」
「そんな…」
ニアが自分のことをそんなふうに話していたとは。
アーシェは頬を染め、床を見る。
「今にお母さんによく似た美人になるわよ、あなた」
「え、あの…む、胸も少しは育ちますか?」
「きっとね。まだ十歳なんだから、そんなこと気にしなくてもいいのよ」
クスクスと笑う女医は、ニアと色は同じでも雰囲気は違う。
アーシェは顔を上げた。
「あの、ありがとうございました!」
「どういたしまして。何か気になる事があったらお母さんを通して私に言って」
思いがけない出会いにドキドキしながら、アーシェは頷いた。
次はグレイヴだ。先日病院に行ったのもあり、顔見知り。
「足の具合はどう?」
「大分良くなりました」
「無理しちゃだめよ。また怪我したら私があなたのお父さんに怒られちゃう」
冗談を言いながら、診察は進む。
グレイヴの後も多くの受診者と話した。
サクラは仕事を終えた後、ホッと一息つく。
「…さて、あと一人ね」
誰もいなくなった第一医務室を出て、第二医務室へ。
男子の検診は速いペースで進んでいた。
手馴れた軍医が担当をしている。
「失礼します」
ルーファが彼の前に立ったとき、彼は笑みを浮かべた。
「ルーファ君ですか。元気そうですね」
「それだけで診察終わらせないで下さいよ」
「カイさんが診てるからボクが診る必要無いでしょう」
「そんなこと言わないで下さい」
ルーファは何度もクリスに会っている。
幼い頃から、父の所に訪れる彼を見ていた。
「異常はないですね」
「胃にも?」
「まだ異常はないですよ」
クリスもまた言葉の裏に黒いものを持っている。
しかし、ルーファにとっては普段ほどストレスにならない。
続いてレヴィアンス。
「昨日牛乳飲んだりしましたか?」
「え、何でわかるの?!背伸びてる?!」
「レヴィ君の性格から言ってみただけです。一日で伸びる訳無いでしょう」
「…クリスさん酷いよ」
大総統子息にも容赦ない。
そしてニア。
「カスケードさんに先日会いましたよ」
「お父さんにですか?」
「相変わらずちゃらんぽらんでしたね」
「…?」
「君はそういう大人にならないように」
「???」
クリスの言動はニアには理解し難いようだ。
診察が終わった後、クリスとサクラは同じ部屋にいた。
サクラがクリスの方に移動してきたのだ。
「あと一人、ですか?」
「えぇ。…あの子は私しか信用してないみたいです」
「ボクなら無理矢理にでも病院に引っ張っていきますけど」
「それができたらどんなにいいでしょうね…彼にとって」
会話を一旦止めると、もう続かなかった。
沈黙の中でドアが開き、最後の一人が入ってくる。
「久しぶりね、ダイ君」
サクラが言うと、彼は会釈した。
「十七にもなって病院に行けないんですか?」
クリスの発言をダイは無視した。
サクラは診察を始めるが、一言も言葉を発さない。
代わりにクリスが言い続ける。
「あの人も病院嫌いでしたね。でも行かないという事は無かった」
「父さんとは関係ありません」
ダイは漸く返す。
「あなたのしていることはワガママです。サクラさんに面倒をかけていると自覚していますか?」
「しています」
「していませんよ。現に今回も病院に行かずここにいる。
君は幼い頃の恐怖にとらわれ続けているだけなんです。
あの人ならそこから抜け出そうと足掻くでしょうが…」
「だから、父さんとは関係ありません」
「少し見習えと言っているんですよ。乱暴な面だけ似ても仕方ないですよ」
「何も知らないくせにテキトーなこと言わないで下さい」
「テキトーなことは言っていません。適当な事を言っているんです」
静かな掛け合いはだんだんと感情を露わにする。
ただしそれは片方だけ。
クリスはずっと変わらぬ調子で言葉を吐く。
「あなたは感情を隠せない人です。あなたが周囲に与える影響は大きい。
他人を縛り付けることの無いよう、気をつけたほうがいいですよ」
言葉は聞き流され、ドアの閉まる音だけが余韻を残す。
真意は伝わらないまま、今日も終わってしまった。
第三休憩室には笑い声が響く。
「僕ちょっと背伸びたよ!」
「ボクだって!絶対ニアを追い越してやる!」
「少し落ち着け。身長なんてそんなに気にすることじゃないだろ」
「ルーはおっきいからそういうこと言うんだよ!」
「ボクらの気持ちはルーファにはわからないよ。
ねぇ、アーシェ」
「え?あ、えーっと…」
いつものように賑やかで、楽しい。
彼らは現在を前向きに過ごしている。
「グレイヴちゃんの身長は?」
「アタシは百四十八センチ」
「グレイヴも背高いよね。いいなー」
「あんまり良くない」
「いいじゃないか。スタイル良いんだから」
ダイは彼らが少し羨ましい。
「大尉?!」
「アンタどっからわいて来たのよ」
「今来たとこだけど。グレイヴのデータ見たいなと思って」
「何言ってんのよ、変態」
「変態だなんて厳しいこと言うなよ」
過去の痛みにとらわれ続ける自分が嫌いだ。
「十分変態だと思う…」
「ルーファ、何か言ったかい?」
「何も言ってません」
その痛みをこのメンバーの前で隠せる自分は、嫌いじゃない。
だけど、いつ見せてしまうかわからない。
やはり人と深く付き合ってはいけない。
自分が昔から少しも成長していないことを知られるのが、怖い。
To be continued…