過去は変えられない。過ぎてしまったことだから。

運命は変えられる。抗うことで道は拓きも閉じもする。

 

激しい雨で屋外訓練は中止となった。

その代わり、増水した川への警戒が強くなる。

「僕が軍人になるってお父さんに言った日も、こんなふうに雨が降ってたよ」

ニアがぽつりと言った。

午前中の仕事が終わり、いつものように食堂で集まっていた。

窓からは灰色の世界と非情な打音。

もう少し雨が弱ければ、傘を差してでも外に出るのに。

「あーもう退屈だよー!ルーファ、チェスやろチェス!」

「何で俺なんだよ…」

「ルーファがこの中では一番手ごたえあるから!」

レヴィアンスは携帯用のチェスセットを取り出し、セットする。

その間にルーファはアーシェに話し掛ける。

「今度のパーティ行くか?」

「レジーナの社長さんが集まるのよね。いつもみたいにお父さんだけ行くんだって」

「うちも母さんだけ。子供にはまだ見せたくないんだろうな…」

「大人の世界って難しいものね」

二人とも親が大会社の社長なので、たまにこんな話をする。

二人の間でしか通じない話だ。

だからチェスの駒を並べていたレヴィは少し不機嫌になる。

「ルーファ、準備できたよ」

「よし、やるか」

雨音が強くなる。

堤防が決壊する恐れがある、と誰かが言った。

 

ダイが大総統室を訪れた時、ハルは電話中だった。

アーレイドが合図をしたのでとりあえず入室したが、聞こえてくる言葉は尋常ではない。

「たぶん、一連の事件は全て裏絡みです。薬物も新しいものが増えてますし…」

増加する危険薬物関連の事件は、すでにエルニーニャ全域で最大警戒レベルの扱いになっている。

新薬が次々に開発され、調査は困難になっていた。

「カイさんとクリスさんにも協力してもらってるんですけど、それでも追いつかなくて…」

知っている名前が出る。ということはハルの電話の相手は昔の上司だ。

多分、前大総統。

「…あ、今からですか?じゃあ、よろしくお願いします」

漸く受話器が置かれ、ダイはハルの笑顔を見る。

「ごめんね、待たせちゃって」

「いえ…堤防の方に行かなくていいのであればいくらでも待ちますよ」

「話が終われば堤防の方に行ってもらう」

「大将、俺を過労にする気ですか?」

「お前なら大丈夫だ」

冗談は豪雨に呑まれ、本題が告げられる。

さっきの電話で話していたのであろう事が繰り返される。

「危険薬物関連は、最近ものすごく増えてる」

「知ってます。…それなのに俺は関係の薄い任務をさせられましたね」

結果、裏取引ルートについて復習する事ができたが、やはりダイには納得がいかない。

いつまで伍長組の引率をしなければならないのか。

嫌な訳ではないが、自分がわざと本題から遠ざけられているのが気にくわない。

「やっぱり追いつかなくなってきたんだ。もしかすると、協力してもらうことになるかも」

「…協力?」

「そう」

ハルはアーレイドに指示して、棚の書類を持って来させる。

書類の名称は「遠征任務参加許可証」。

「ホワイトナイト大尉、君の遠征を考えることにした」

「…漸く、ですか」

「でも、一人は駄目だよ。将官を同伴させることになる」

遠征が許可されても、やはり監視付という事か。

一度恨みを露わにした者は、信用されない。

「個人ではいけませんか?」

「大尉、自分の立場をわかっているのか?」

「アーレイド、待って。そう言うと思ってもう一つ用意してあるから」

ハルは机の上からもう一つの書類を取ってくる。

遠征許可証ではないが、同じくらい重いもの。

「…これは俺に見せていいんですか?」

「上司だから見ておく必要はあるよ」

指定されている場所は国内、しかもレジーナからそう離れていない村。

かつて視察に行った軍人が一人、そこで殉職している。

事件は二十年前、それが完全に解決したと言えるようになったのは十五年前。

公にはなっていない。

「遠征とは言えないけど、そこから依頼が来てる。これは君にリーダーを任せるよ。

他のメンバーは彼と、…シーケンス伍長かハイル伍長のどちらかを連れて行って」

さっきの電話のダイが聞いていなかった部分は、きっとこの話だったのだろう。

相手が前大総統なら、その可能性は有り余るくらいある。

「今日は雨ですね。…しかも豪雨」

「任務の日には綺麗に晴れるって」

「そうですか」

雷鳴が響き、闇を浮かび上がらせる。

 

大総統室を出たダイは、すぐに彼女に気付いた。

先ほどまでの自分は隠さなければと、笑顔を作る。

「やぁ、グレイヴ。どうしたんだ?」

いつもならここで嫌な顔をされるが、今日は違った。

彼女から近付いてきて、

「話がある」

と言うのだ。

「…グレイヴ、やっと俺に告白する気に」

「違うわよ!」

あぁ、いつもの彼女だ。

ホッとしたような哀しいような。

「アーシェ達は今第三休憩室に移動したから…食堂が良いわね」

「二人きりで話すのか?やっぱり俺のこと」

「好きじゃないわよ」

「…まだ何も言ってないのに」

食堂にはもうあまり人がいない。重要なことを話しても問題は無い。

いつもは座らない二人用の席につく。

「…話って?」

「頼みがあるの。アタシじゃできないし、アーシェにこれ以上負担かけたくないから…」

グレイヴはカバンからフロッピーディスクを取り出し、テーブルに置いた。

タイトルなどは記入されていない、一枚の板。

「これに二十年位前から十五年位前までの、約五年間分のデータが入ってるの」

「何のデータ?」

「東方で起こった事件で、犯人が軍人に殺されたケースのデータよ」

声が冷静すぎる。必死で堪えている。

このデータは、グレイヴにとって重要且つ辛いものなのだろう。

「…見れないようになってるのよ、軍人のデータ。

でも…誰だかわかってる」

時期でその軍人が誰であるのか推測できる。

グレイヴがここまで想う人物は、きっと。

「関係ない人を巻き込みたくないけれど、アタシじゃどうにも出来なかった。

だからアンタに頼んだの」

「…わかった」

「そこから繋がるものが真実だから、アタシはそれを受け止めなきゃいけない」

「わかったよ。でも無理はするな」

「無理しなきゃやっていけないわ。そのデータを見つけてしまったときも、知らないフリしたかった」

グレイヴは苦しんでいる。

アーシェも苦しんでいた。

たぶんこれから、ニアやルーファ、レヴィアンスも苦しむことになる。

その苦しみを支えられるのは誰だろう。

そのために選ばれたのは、誰だろう。

「グレイヴ、俺は真実しか言わない」

「そうしてくれた方が良い」

「君を傷つけるかもしれない」

「覚悟は出来てる」

「傷ついたら泣いていい。俺が君を受け止める」

自分のことばかり考えている場合ではない。

ダイは守らなければいけない。

上司として、部下を何が何でも守らなければならないのだ。

「…遠慮しておくわ」

こうしていつまでも笑っていられるように。

 

仕事に戻ろうと廊下を歩いていたニア達が会ったのは、見慣れた色だった。

こちらに気付いて片手をあげるその人物に向かって、ニアは走る。

「お父さん!なんでここに?」

前大総統カスケード・インフェリア――ニアの父。

「ちょっと大総統に用があってな。いやぁ凄い雨だな」

「この雨の中来たの?」

「雨が降ろうが槍が降ろうが来るぞ。…いや、でもさすがに槍はキツいか…」

カスケードは冗談を言っているが、この雨の中来るのだからよほど重大な用だ。

ルーファは胸騒ぎを覚える。

「どうしたの?ルー」

「いや、何でもない」

「ちゃんと飯食ったか?ルー」

「食べました」

親子揃ってあだ名で呼ばれると、ルーファとしてはおかしな感じがする。

しかし他の事に気を取られても、胸騒ぎは収まらなかった。

「アーシェちゃんとレヴィは元気か?」

「はい」

「元気だよ!雨のせいで退屈だけどね」

おかしいと思っているのは自分だけだろうか。

ルーファの不安が拡大していく。

「僕、お父さんと話してから行くよ。だからアーシェちゃんとレヴィは先に行ってて」

「わかったわ」

「早く来なよ、ニア」

アーシェとレヴィアンスがその場を離れ、そこにいるのはニアとルーファとカスケードの三人だけ。

「ルーはここにいて欲しいな」

「…あぁ」

いつものニアの笑顔だ。

やはり感じていないのだろうか。

…いや、

「お父さん、大総統さんに用って何?」

ニアも気付いていた。

滅多に見せない表情が、在る。

「こんな中来るんだから、とっても大切なことなんだよね」

声音も、いつもの子供っぽさがほとんど無い。

「最近大きな事件が続くから、相談してたんだ」

「危険薬物の?」

「そうだ」

海色の対話が深い。

ルーファは呆然と見ていることしかできず、そこに立ちすくむ。

「…そっか。お父さんはやっぱり慕われてるんだね!」

「いや、結局アーレイドに色々言われて終わったんだけどな。

全く、あいつも大総統補佐になってから昔以上に真面目になって…」

急に重い空気が晴れて、思わず膝を崩しそうになる。

今のは一体、何だったんだ。

「じゃあ、俺はそろそろ行くからな」

「うん。お母さんによろしくね」

「あぁ。気をつけろよ、ニア。ルーファもな」

特に変わらぬ様子で別れる親子。

さっきの時間が信じられないほど、あっさりしている。

「じゃ、行こう。ルー」

「あ、あぁ…」

歩き始めるが、さっきの感覚が残って足が重い。

上手く動かない。

「…あのさ、ニア」

「なに?」

「さっき、なんで俺だけあの場に残したんだ?」

アーシェとレヴィアンスは先に行かせたのに、ルーファだけ引き止めた。

ニアに意図はあったのだろうか。

「んー…怖かったから、かな」

「怖かった?」

「お父さんがここにいるってことは、深刻な事が起こってるってことでしょ?

軍が深刻なら、僕達にだって関わってくる」

足が止まった。

海色が見つめる。

「むしろ僕達に関わるから、お父さんはここに来たんだよ」

始まろうとしている。

何かはわからないが、外側から扉を叩く者がある。

 

雨は降り続いていた。

大分弱くはなっていたが、今日も低年齢層の屋外訓練は無理だ。

「アタシとアーシェは任務があるから、今日と明日はいないわ」

「そういうことなの。階級が上の人たちばっかりだから緊張するなぁ…」

女の子二人がグループから外れる。

今日は男子だけで昼を過ごすことになりそうだ。

「アーシェがいないと華がないよね」

「…レヴィ、アーシェのこと気になるのか?」

「だって、お姉ちゃんできたみたいで楽しいから」

「お姉ちゃんって…同い年だろ?」

「ん、…まぁ、そういうことになってるね」

レヴィアンスの意味深な言葉を気にする時間は、神出鬼没な声によって無くなる。

「恋はまだ早いだろ」

「…ダイさん、いつからそこに?」

「さっきから」

いつもそうやって現れるんだからこの人は。

ルーファは溜息をつきかけて、ダイが持つ書類に気付いた。

「…それは?」

「仕事の書類だ。明日任地に行く」

ダイはテーブルに書類を置き、文面を読み上げる。

「村の視察を命じる。なお、怪物が出るという報告があるため、真偽を確かめること。

現れた場合は村人の安全のために最善の方法をとるように」

やや婉曲して書かれてはいるが、ようは「怪物退治」だ。

ルーファが思い出すのは「センヴィーナの悲劇」。

そしてニアが思い出すのは…

「この村、お父さんが行ったことある」

「え?!」

ニアの発言に驚いたのは、ルーファとレヴィアンス。

よく考えれば視察なのだから行っていてもおかしくはない。

しかし、

「ここでお父さんの親友が…ニアさんが亡くなったんだ」

この事実が、運命の悪戯を感じさせる。

いや、これはきっと必然。

「…二十年前、グリフィン型のキメラがこの村を襲った。

その時に傷を負った軍人が殉職した」

ダイは淡々と語る。

「そしてその五年後、一部の者しか知らない事実だが…当時の大佐がこの村で負傷した。

この二つの事件には関連があったが、公にはされていない。

そして今回も怪物だ。全て繋がっている可能性は否めない」

ここまでくれば、もうわかっている。

カスケードの「気をつけろよ」の意味は、ここにあったのだ。

 

「今回の任務は俺とルーファとニアでやる。レヴィアンスはここに残って連絡役だ。

武器の手入れを必ずしておけ」

 

まだ訓練でしか使ったことのない、軍支給四十五口径銃。

見つめながら、ニアは思う。

この任務がどんな意味を持つのか。

「ニア、明日の任務のことだけど…」

ルーファが声をかけて、漸く我に返る。

「うん、何?」

「明日の任務、本当に大丈夫か?」

心配そうなルーファに、ニアはにっこり笑って見せる。

しかし、その表情はすぐに崩れてしまう。

「…ニア?」

「怖いよ」

はっきりとした、しかし、僅かな怖震を伴った声。

震えの止まらぬままの声は続ける。

「本当は僕達がやる任務じゃない。こういうのは尉官以上の仕事だって聞いたことがある。

それなのに僕達に任されて、お父さんも多分知ってる」

嫌な予感がするんだ、とニアは言う。

不安げな表情は、ルーファを思考の海に沈める。

こんな時、自分に何ができるのか。

「ニア、俺がついてる」

「ルー…」

「だからお前は大丈夫って答えてればいいんだよ」

無責任な台詞かもしれない。

相手の気持ちを理解して言っているとは自分でも思えない。

結局何もできていない。

けれど、

「…ありがとう、ルー。いっぱい元気出た!」

一瞬でも、太陽のような笑顔を見られるのなら。

「頑張ろうな、明日」

「うん!」

夜が空を覆い、光はぼんやりと照らす。

闇の先の未来は見えない。

 

インフェリア家のダイニングテーブルは、その席を全て埋めていた。

こんなに人が集まることは久しぶりだ。

「わざわざ来てもらって悪いな」

家主カスケード・インフェリアは真剣な面持ちで切り出した。

その後ろでシィレーネが俯いて立っている。

「シィ、座ったほうがいい」

「…座ったら立ち上がれなくなるから、立ったままでいさせて」

震えていることは誰の目にも明らかで、

それでも誰も何も言わない。

「…わかった。じゃあ話を始める」

十五年前に連続して起こった「裏組織関連事件」。

アーシャルコーポレーションが中心となっていた、軍史上最悪の極秘事件。

アーシャルコーポレーション社長レスター・マクラミーは今も服役中だ。

しかし事件は他の者の手で続けられた。

そしてそこに繋がるインフェリア家の因縁、「マカ・ブラディアナ事件」。

カスケードの祖父が軍大佐だった頃に取り扱ったその事件から、カスケードの運命は始まった。

周りを巻き込み、怪我人だけでなく死者まで出した。

「あれから十五年経ったが、因縁はまだ断ち切られていないんだ。

それどころか…何の罪もない子供が危険に晒されている」

展開は思ったよりも早かった。

予想外に裏組織と接触してしまった人物がいたからだ。

最初に接触したのは九年前、病院にて。

それがその人物を現在の位置に至らしめる結果となった。

「ハル、あいつは…ダイは全部知ってるのか?」

「いいえ…でも十五年前の事件については大まかに話しました。

ディアさんとアクトさんも話をしてくれたみたいです」

「俺も詳しいことは言ってねぇよ。つーかアクトにほとんど任せちまった」

「それでいい。あまり詳しいことを話せば負担になる」

今の時点で十分に負担になっている。

その負担の結果もあり、ダイは上級任務にむやみに参加させないために階級昇格を遅らされている。

別の理由もあるが、今は関係がないことだ。

「グレンとカイは?」

「俺達はリアの了解を得てアーシャルコーポレーションの話を」

「まだしたわけじゃないんですけどね」

ルーファはまだ知らない。しかし、これから嫌でも知ることになる。

彼が今のところ、一番ニアに近い。巻き込まれるのは必至だ。

「リアちゃんは…アーシェちゃんに話したんだよな。リヒトにも」

「えぇ。それが原因であんなことになってしまったんですけど…」

「リアさん、もう気にしないで下さい。ボク達も気をつけますから」

リアはアーシャルコーポレーション事件について子供に話している。

しかし、この家に関してはそれだけではない。

「アルは…どうするんだ?」

リーガル家にも因縁が絡んでいる。

「東方諸国連続殺人事件」――最悪の殺人者ラインザー・ヘルゲインは、アルベルトとブラックの実父だ。

「ブラックと話をした結果、全て打ち明けることにしました」

「ごまかしてきた所為で娘が殺されかけた。もう限界がきたんだ」

「…そうか」

最終的には全てが一つに繋がる。

十五年間、繋がった糸は紡がれ続けてしまった。

「レヴィにも少し話そうと思います」

「軍に早く入れたのはそのためもあるんです。

無理をさせることになるけれど…」

子供をわざわざ危険に晒すなんて、親としてどうかしてる。

誰もがそう思っている。

しかし、場合によっては軍にいる事が安全策にもなる。

それを信じるしかない。

「ニアのこと…よろしく頼む」

まずは明日、過酷な運命の序章。

 

誰もが抱える不安をよそに、空はどこまでも青い。

微笑むのは天使か、それとも。

「武器は持ったな?」

「はい」

「レヴィ、連絡頼んだ」

「はい!」

車は走り出す。

窓から見る者は痛みを抑え、

遠くで思う者は祈る。

冷たい石の前に佇む者は、亡き者に託す。

 

覚醒へのカウントダウンが刻まれ始めた。

 

 

To be continued…