二十年経った今でも夢に見る。
あの時の色は、決して記憶から消えない。
お父さんはあの日そう言った。
目的地は遠い。
感覚が余計に遠ざけていた。
行きたくない。でも、行かなければならない。
不安の色を隠す事が、ニアにはどうしてもできない。
「大丈夫か?」
ルーファのこの言葉を聞いたのも、もう何度目だろうか。
その度に頷き、それからまた黙り込む。
ダイは何も話さなかった。ただ前を見て、アクセルを踏み続けるだけ。
村まではまだかなりの距離があった。
命じられた任務はある村の視察だった。
状況は二十年前の視察によく似ていた。
二十年前、同じ村に視察に行った二人の軍人がいた。
そして一人はそのまま帰らぬ人となった。
一人は生き延び、悔やみ、失った悲しみから暫く抜け出せずにいた。
すべて過去の話。
今は…そうならないという確証は、もちろん無いのだけれど。
何も無いと信じたい。信じるしかない。
心情を無視した天気。ここそこで見られる秋の花。
周囲はどうしてこんなに平和なのだろう。
「連絡は?」
大総統の声に、レヴィアンスは振り向く。
「今のところありません」
「…そう」
レヴィアンスを残していったのは、ダイの配慮か。
それとも暗なる抗議か。
読み取れない思いを感じながら、ハルはレヴィアンスの隣に座った。
「レヴィ、ダイ君は何て言ってた?」
「…二十年前と十五年前に事件があったって。
前大総統…ニアのお父さんは、それで大変だったって」
「カスケードさんの名前を出したの?」
「ううん、軍人とか当時の大佐って言ってた」
説明は至って事務的だったらしい。
それに安堵していいのか、不安を持つべきか。
「ニア君は?」
「わかんない。ボクには何も言ってなかった」
「…そっか」
何も言っていなくても、なんとなくわかる。
同じ名前を持つ者がそこで殉職している。その者は父の親友だった。
条件が揃いすぎている。
その条件を揃えてしまったのはハルだ。
依頼主はニアを指名していた。入隊間もない伍長にも関わらず。
カスケードとも相談した。
一時はニアを行かせることを断ろうという話にもなったが、そうしなかった。
裏組織が動き出していることもわかっていて、任務と称し送り出した。
今回の件に裏組織が関わっているかは定かではないが、おそらくどこかで繋がってはいる。
「レヴィ、連絡が来たら必ずボクに知らせて。
それと…アーシェちゃんたちが帰ってきたら、この任務の説明をして欲しい」
「いいの?」
「皆に関わることだから。…話さなきゃいけないんだ」
十五年、いや、それ以上の長い因縁の歴史。
インフェリア家だけを見れば六十八年も続いているのだという。
アーシェルコーポレーションの歴史だけでも四十五年ほどになるらしい。
それほどにもこの鎖は堅く、痛いほど締め付けて逃がさない。
世界暦五百二十三年は、終わりの年になるだろうか。
なれば良いが、子供たちはまだ幼い。きっと「終わり」はまだ来ない。
「ハル、連絡は?」
「まだだって」
大総統室に戻ってきたハルは、俯いたまま立ちすくむ。
アーレイドが肩に触れようとすると、ゆっくりと口を開いた。
「…ねぇアーレイド、ボクはやっぱり間違ってるよ…」
「ハル…」
「ボクは子供に重荷を背負わせてる。辛い思いをさせてる。
こんなことで大総統って言えるの?!人の親だって胸張っていいの?!」
きっと言えない。胸を張れない。
崖下に放り込んで、罠を用意して、這い上がって来いと冷酷に言い放つ。
それで脱落しても、自分は後悔しかできないのだ。
自分で仕掛けたくせに、遅い懺悔を繰り返すのだ。
「何で黙ってるの?!何とか言ってよアーレイド!!」
責めて欲しかった。責めて、子供たちを連れ戻して、もう何もしなくて良いと言って欲しかった。
責任をすべてハルに被せて、子供を救って欲しかった。
「ハル…何て言って欲しいんだ?オレに何が言えるっていうんだ?」
「アーレイド…?」
「同罪の奴が何言ったって仕方ない。
今更間違ってましたなんてカスケードさんたちにも言えない」
アーレイドだって同じ気持ちだ。
全部大総統に任せて何もしなかったと、責められた方がずっと楽だった。
責められることで自分だけ楽になり、子供の心には重い衝撃の痕を残したまま。
そんなことは赦される筈が無い。
かと言って衝撃をこれ以上大きくし、傷を広げることもまた罪なのだ。
ともに傷つけば舐め合いになる。それでは駄目だ。
大人として、上司として、親としてできることをしなければ。
「多分、今連れ戻しても、このままここで待っていても…後悔はすると思う。
後悔しないように生きるっていうのは、結局のところ難しいんだ。
誰も傷つけず傷つかない道を探すことも作ることも、容易くはない」
「………」
「今は連絡を待とう。事態が起こる前には…遅くても悪化する前には必ず連絡してくる。
ダイ・ホワイトナイトはそういう奴だ。もちろん、ルーファとニアも。
最悪の事態は絶対起こさせない。これだけは約束しただろ」
「…そう、だね…」
怖いんだ。本当に怖いんだ。
失って、壊れてしまう事がとても怖いんだ。
そうならないようにできることをしなければ。
「後悔はするかもしれないけど、最悪の後悔だけはしたくない」
二年前のあの日、託されたじゃないか。
そしてハル自身誓ったじゃないか。
「大切なものは何が何でも守り抜く。…だからボクは行くよ、アーレイド」
まだ明るい。予定よりもずっと早く着いてしまった。
あんなに遠く感じたのに、まだ陽は落ちていない。
永遠を断ったのはダイが車から降りた音だった。
民家の戸を叩くと、若い女性が少し驚いた顔をして出てきた。
「早かったんですね」
「はい。…ホワイトナイトと申します。この二人はシーケンスとインフェリアです」
「…インフェリア…さん?」
女性はニアをしげしげと見る。
ニアも戸惑いながら見つめ返した。
女性は柔らかく笑い、懐かしむように目を細めた。
「やっぱり海の色をしてる。お兄ちゃんの子供さんなのね」
彼女は十五年前、村で倒れた軍人の介抱をした。二十年前もだ。
あの頃は「軍人のお兄ちゃん」の子供と会うことになるなんて、考えたことも無かった。
「お父さんは…ここに来たんですよね」
「来たよ。辛そうに泣いていた。だけど強かったよ」
来訪者を居間に通し、彼女はお茶を淹れてくれた。
不安の中の、温かい時間。
ニアは少し冷静に思考をめぐらせる事ができた。
二十年前、カスケード・インフェリアとニア・ジューンリーがここに来た。
ニア・ジューンリーはこの地で倒れた。
その五年後、カスケード・インフェリアは再びここに来たという。
父が十五年前にここを訪れた時のことは、ニアはよく知らない。
父が以前語ってくれたのは、二十年前のことまでだった。
二十年前、何があったのか。
何故父はここで負傷したのか。
ダイに訊けばすぐにわかることだ。しかし、訊くのは怖かった。
今訊いてしまったら、司令部に戻れなくなるような気がした。
嫌な不安だ。縁起でもない。
「ニア」
「…ん、なに?ルー」
「心配するなよ。俺もダイさんもいるんだから」
不安を読み取られていたらしい。
ルーファは人の気持ちに鋭い所がある。
「心配してないよ。ルーがいてくれれば全部大丈夫!」
「俺は無視かい?ニア」
「もちろん大尉がいてくれたら心強いです」
「…ルーファより格下にされたような気がするな」
「そんなこと無いですよダイさん。ニアはちょっと言葉が足りないだけです」
慌てて、笑って、平和な時間。
終わって欲しくない。終わらせない。
この先に待ち受けている何かを乗り越えれば、こうしてずっと笑い会える日々がある。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。
村に到着したという連絡はハルに伝わり、そこからインフェリア家、シーケンス家、ヴィオラセント家に伝わった。
連絡を受けて、カスケードは二十年前のあの日を思い出していた。
世界暦五百三年四月二十四日、別れはあまりにも突然だった。
いや、自分がニアの異変に気付かなかっただけだ。兆候はあった。
失い、悔やみ、空虚な心はすべてを忘れられる何かを求めていた。
求めた結果、一人の少女を傷つけた。
その傷はカスケードを脅かすまでに大きくなってしまった。
大きくなった傷に、さらに刃を入れた。傷は連鎖した。
そしてとうとう、修復不可能になってしまった。
三度目の別れとなった世界暦五百八年十二月、太陽のような笑顔が最期を告げた。
忘れられないのは赤。
スローモーションで散った赤、自らが流させた赤、燃え上がり全てを呑み込んだ赤。
あの色だけが、頭から離れずに残っている。
「あなた、電話」
シィレーネの声で我に返り、頭の中から赤が消え去る。
「え、あぁ…誰だ?」
「グレンさん。多分連絡の確認だと思う」
電話が終わればまた赤が甦る。
その赤が再び連鎖を引き起こさないように祈る。
また「ニア」を失えば、きっと全てが壊れてしまう。
「グレン、どうした?」
『到着したって聞きましたか?』
「あぁ、無事みたいだな。それに関してはホッとしてるよ」
『俺もです。…連絡を受けたのはカイだったんですけど、あいつも一安心したみたいです』
「だろうな。そういやグレン、仕事は?」
『しながら電話してます』
「お前らしいな。昔からちっとも変わってないよな、俺たち…」
その変わらぬ輪の中に、もしもニアがいてくれたなら。
そうなれば、ニア・インフェリアの存在があるのかどうかわからなくなってくる。
最近、運命というものの仕組みに感心している。もちろん皮肉だ。
『連絡がいっているならいいです。…また電話すると思います』
「いくらでもかけてこい。俺はずっと家にいるから」
『…わかりました。それでは』
声の調子から、気持ちを汲んでくれている事がわかった。
ずっと家にいる。家にいて祈ることしかできない。
祈りが何になると言えばそれまでだ。
カスケードだけじゃない。グレンもそう思っていたということだ。
「…もしもし」
再び電話が鳴り、カスケードは受話器を取る。
今度はディアだった。
『連絡いったか?』
「きたぞ。…ていうか名乗れよ不良。詐欺扱いでいいか?」
『不良っていうんじゃねぇ!…とにかく、連絡きてるなら問題ねぇ』
「グレンからも確認の電話があった。ところでお前は仕事中か?」
『サボった』
「お前らしいな。本当にお前らしい」
『何だよその言い方は』
そういえば、十五年前はこいつも戦っていたんだっけ。
辛い戦いに打ち克ったんだっけ。
そこに至るまでに犠牲は多かった。
しかし、後ろを守る者がいた。支えてくれる者がいた。
「アクトはどうしてる?」
『アクト?…訊かなくても解れよ。本人は大丈夫だって言ってる』
「…そうか」
支えが痛みを我慢している時、抱きしめてやれるのがディアだ。
十五年の付き合いの中で、それはわかっている。
「家族は大切にしろよ。…まぁ、お前なら言うまでもないか」
『カスケード、俺を誰だと思ってんだよ』
「不良」
『不良じゃねぇっつってんだろうが!』
変わらない流れの中で、周りの空気がどんどん変容していく。
逆風に立ち向かわなければならない。
だけど、きっと追い風を吹かせられる。その手伝いが自分達の役割だ。
電話を終えた後、重かった心はほんの少しだが浮力を得ていた。
寝ずの番、何も起こらない夜。
時々差し入れられる紅茶に息をつく。
「ニア、眠いか?」
「大丈夫…です」
大丈夫と言いながらも、ニアは欠伸をごまかせない。
静かだった。
このまま何も起こらなければ、一番良い。
「…昔話をしようか」
何の脈絡も無く、ダイが言う。
「昔話?」
「あぁ、十五年程前の話だ」
ニアとルーファは何も言わなかった。
聞きたいわけではないが、知らないままでいたくない。
十五年前という時間は、彼らにとって特別な意味を持っていた。
自分達が生まれる五年前。親がまだ現役の軍人だった頃。
多くの悲劇が生まれた年。
「十五年前の三月、小さな村が丸ごと消えた。
多くの一般人が殺された、悲惨な事件だった」
「…ダイさん、南方殲滅事件のこと言ってるんですか?」
「そうだ」
ダイがこの話の詳細を知ったのは去年だった。
ある任務を担当し、それに対して異常な執着を見せたことがきっかけだった。
結果、取り返しのつかないことになるところだった。
その時一緒にいた部下は、それからダイを恐れるようになった。
大総統と親しい関係にあったディアたちに伝わるのは当然のこと。
その時、養父に初めて殴られた。
「南方殲滅事件で軍の不祥事が明らかになった。
その後もいろいろなことがあって、それでもここまで立ち直った。
そして今、再び陥れられようとしている」
「危険薬物、ですか?」
「あぁ」
何故今この話を持ち出すのか。
不思議に思う、というところまで行き着かなくとも、ニアとルーファは感づいた。
「この事件も危険薬物に関連してるとか?」
「その可能性が無いとは言い切れない」
十五年前、事件は一本に繋がった。
今回も繋がってしまったら。
「ニアはどのくらい話を聞いてるんだ?」
「お父さんは…事件のことはあまり話してくれないんです」
「そうか…ルーファは?」
「俺が知ってるのはセンヴィーナの悲劇とか…そのくらいです」
「それも村がなくなったんだったな」
あの年に起きたできごとを、自分達はよく知らない。
大人たちがまだ迷っているから。
「大尉は、僕のお父さんが関わった事件のこと知ってるんですか?」
「調べられた範囲では知っている」
「どうやって調べたんですか?」
「事件記録を漁った」
本当はそれだけではないのだが、これ以上は言わない方が良いだろう。
様々な要因から判断したのだが、最も大きな理由は、
時間が無いからだ。
「家の電気を消すように頼んできてくれ。
…どうやら待っていたものが来たようだ」
低い唸り声が響いていた。
機械の無機質さはない。それは明らかに「生き物」だった。
気がつけばそこは知らない場所。小さな家があり、畑があり、森が見える。
その一部が赤く染まっていた。影が二つ、地面に横たわっている。
一つ足りない。どこにいるの?
…え?どうして…
どうしてもう一つの影は、剣を握っているの?
どうして切っ先が、倒れた影に向けられているの?
どうして…!
「どうして?!」
急に叫び声を上げたハルに、アーレイドは驚愕の視線を向ける。
その表情で、ハルは自分がどうしていたのかを悟った。
「ボク…寝ちゃってた?」
「少しうとうとしてた。オレが起きてるから、ハルは休んでて良い」
「そんなの駄目だよ…」
人を危険に晒しておいて、自分は体を休めるなんて。そんな卑怯な真似はできない。
意識をしっかりさせようと椅子から立ち上がった瞬間、頭の中が痺れたように感じた。
寝起きだから?いや、違う。
「…さっきの夢…」
もしかしたら、あれは自分の能力によるものかもしれない。
もしもそうならば。
「アーレイド、ダイ君に連絡取れる?」
「どうかしたのか?何か伝えたいことでも」
「いいから早く!危ないんだよ!」
ハルは幼い頃から時々予知夢を見ていた。
ごく稀なことではあったが、夢は辛いことや危険をハルに報せてきた。
もしさっき見ていた夢が予知夢なら、任務に行った三人のうち二人が危ない。
そして一人は仲間を裏切るかもしれない。
「こんな事あっちゃ駄目だ…実現させちゃ駄目だ!」
仲間同士で傷つけあうなんて、絶対にさせてはならない。
無線が繋がるのを祈る。どうか、無事でいて。
しかし無情な文字がハルを刺した。祈りは途絶えてしまった。
「受信不可能…そんな…」
崩れ落ちかけたハルをアーレイドが支える。彼はハルの反応に全てを察した。
きっと向こうでは「悪質な事態」が何らかの形で表れているのだ。ハルはそれを「見てしまった」。
「連絡しろよ…!」
口にするのは、今となっては無駄な言葉。
爪は服の裾を切り裂き、牙は肉を食もうとする。
種としては明らかに奇妙な、巨大な獣。
「オオカミとはね…もっと合成されたものかと思っていたよ」
肩から血を滲ませ、ダイは口元だけに笑みを浮かべる。
本来ならひっかかれた程度であるはずの傷は、巨大な爪によってばっくりと切り裂かれた大きな傷になっていた。
唸り声に意識を向けて、方向は察していたはずだった。
しかし予想は外れた。森からだと思っていたのだが、実際は反対。
体勢を変えようとしたときはもう遅かった。
利き腕は守ったが、不利な条件であることには変わりない。
「ダイさん、これ以上動かないで下さい!」
「ルーファは黙ってろ。指揮は俺だ」
言い返されるだろうということは、ルーファも解っていた。
ここでダイが退いたら、間違い無く次のターゲットは部下であるニアか自分なのだ。
「こんな時ばかり上司らしくしなくていいのに…」
ルーファはダイを気にしつつ、ニアにも気を配る。
不安そうな表情のままだが、戦う意思は感じられる。
「ニア、大丈夫だな?」
「うん。大尉、僕たちで何とかしますから…」
「入隊して間もない子供が無茶を言うな」
部下の意思がどうであれ、ダイの考えは変わらないらしい。
上司であり年長である自分が、ここで逃げるわけにはいかない。
しかし傷は段々と左腕の感覚を奪っていく。このまま戦えるかはわからない。
「…俺がオオカミの気をひきつける」
「大尉?!」
今は自分にできることをし、直接的なことは人に任せるしかない。
「ニアはオオカミの足を撃て。よろめかせるんだ。ルーファはその後仕留めろ」
指揮は自分だ。責任は全て負う。
「外すなよ」
信じて、任せた。
「…はい!」
返事と銃声はほぼ同時。
ダイのライフルが哭くと、オオカミはその声に狙いを定めた。
作戦の出だしは上々。
獲物に飛び掛ろうとする獣の足に標準が合う。
「いっけぇぇ!」
ニアが引き金を引くと、弾丸が宙を走った。
オオカミの前足を掠めただけだったが、バランスを崩すには充分だった。
一瞬の隙を見切って、ルーファは飛んだ。
この作戦は知っている。いつか聞いたことがあった。
語ったのは確か父だ。
ダイがそれを意識していたのかはわからない。しかしこれならば、ルーファは成功させる自信があった。
「わあぁぁぁぁぁっ!」
喉を震わせ、刃を獣に突き立てる。勢いをつけ、深く刺し込む。
抜くとどうなるかなど考えない。倒すことだけを意識する。
支えを失ったオオカミが地面を響かせるのを聞く。抵抗しないと確信するまでは、安心できない。
「…ルー、終わったの?」
ニアの声で、巨大な体が動く術を失ったことを知った。
これで終わった。案外あっけなかった。
その方がいい。てこずっていたら、ダイの手当ても遅れる。
ルーファは深く刺さった剣を引き抜き、吹き出した血を浴びた。
「ルー…」
「大丈夫だ。俺よりダイさんの方が大変だろ」
怯えながら心配そうにするニアに笑みを見せ、ルーファはダイに近付く。
薬をいくつか持ってきたことを思い出す。傷の消毒と痛み止めくらいならできるはずだ。
「ダイさん、もう終わりましたから怪我を」
「いや、まだだ」
言葉は鋭く遮られた。
血に染まった左腕をだらんと下げたダイに、そんな余裕などないというのに。
「大尉、どうかしたんですか?」
「まだ終わってない。…来る」
言われて初めてわかった。空気がさっきよりも重くなっている。
次が来る。獣か機械か、それとも人間なのかはわからないが、確かに来ている。
まだ戦わなくてはならないらしい。
「誰だ」
緊張した低い声に、
「誰だと思う?」
答えにならない応え。
沈黙の間にも、ダイのタイムリミットは近付いている。
ニアとルーファは敵と味方のどちらを気にすればいいのか混乱していた。
「ルー…」
「俺だってどうすればいいのかわからない」
ニアの声の調子から判断し、先回りする。
本当は不安にさせたくないのに。とっさに出てきてしまった言葉を悔やむ。
わからない?と闇の向こうから嘲われる。
それがたまらなく嫌な感じを持っていて、肌が粟立つのがはっきりわかる。
「ルーファ、ニアを連れて下がってろ」
ダイが漸く口を開く。
「でも…ダイさん、怪我」
「下がっていろと言っている」
上司からの命令は絶対だ。
言葉にはしないが、明らかにそう言っている。
しかしルーファが従った理由はそれだけではない。
今まで半分冗談のように感じていた「黒い渦」が、ダイの声色からはっきりと伝わったのだ。
いや、日常では冗談のつもりだったのだろう。しかし今は違う。
「ルー、大尉は…」
「今は近付かない方がいい。怪我も気にならないほどあの人は…」
あの人は、敵を憎んでいる。
どうして憎める?知っているからだ。
戦っている相手が何者であるか、彼は知っているのだ。
「馬鹿な事を訊いた。お前達が何者かなんて、訊くまでもなかった」
ルーファだけではなく、ニアも感じた。
今この場でダイを止めるのは、自分達では不可能だ。
「”裏組織”…今度の目的はなんだ?」
To be continued…