自分が誰だとか相手が何だとか

そんなことはもう、どうでもいい。

ただ、怒りを振り下ろすことが恐ろしくて。

 

「裏組織」――軍関係者なら一度は耳にする言葉。

いつから存在していたかははっきりしない。

知られるようになったのは、アーシャルコーポレーションが秘密の研究を始めてからだ。

凶悪事件の一部に関わっているということもあり、軍にとっては「最大の敵」。

そして、ある一人の少年にとっても憎むべき相手だった。

「今度は何を企んでいる?薬物だけが目的じゃないだろう」

ダイの問いに、暗闇から答えが返る。

「薬物など下らない。そして真の目的を知る必要はない」

「いや、聞かせてもらう」

右手には軍支給対人用ライフル。銃口は敵に真っ直ぐ伸びる。

見えているものは一つだけ。

「久しぶりに接触できたんだ。手に入り得る情報は全て奪う」

異様な恐怖を持つ光景を、ニアとルーファは離れて見ていた。

視界に映る上司は、すでにいつもとは違う人間になっていた。

「大尉って…あんな人じゃないよね…?」

ルーファの袖を掴むニアの手が震えている。

すぐにその言葉を肯定してやればよかったのに、ルーファにはできなかった。

ただ目の前のできごとを把握するのに精一杯だった。

裏組織とダイの間に何かがあった。それは会話からもわかる。

何があって、ダイはここまで裏組織を憎むようになったのか。

知る必要はないかもしれない。知られたくないかもしれない。

軍の関係なのか、個人の関係なのか。

そんなことを思う間にも、動かない問答は続く。

「答えろ」

「その必要はない。…煩いが、ここでは殺せないのが残念だ」

「何故だ」

「命令でね。今回は殺すな、ただ捕らえるだけでいいとのことだ」

漸く動きだす。

ダイは引き金からほんの少し指を離し、次の言葉を引き出そうとする。

「誰を捕らえるんだ」

本当はわかっていた。

ここに来るはずの人物が標的。

だとすればルーファではない。彼の代わりにレヴィアンスを連れてくるという選択肢もあった。

必ず来ることになっていたのは、

 

「インフェリア。…ニア・インフェリアを捕らえる」

 

ダイでなければ、彼しかいない。

前大総統の息子である、ニアしか。

 

前大総統カスケード・インフェリアは、裏組織として存在していたものの一つを壊滅させた。

間接的にではあったが、結果はそうなった。

カスケードが大総統に就任している間、中規模のテロが二回起こった。

首謀者はおそらく裏組織関係者だと考えられている。

深い因縁の中、今までニアが狙われなかった方がおかしいのだ。

今回の任務は、舞台をこの村とすることでニアを呼び出し易くしていた。

依頼したのは村人ということになっているが、もし最初からシナリオが用意されていたのだとしたら。

「村の人に何をした」

「人質をとらせてもらった」

単純な答えは、怒りに満ちた者を踏み切らせるのに充分なものだった。

指は躊躇無く攻撃の合図を銃に送り、響く発砲音は空気を大きく振動させ、割り崩していく。

「お前達はいつもそうだ!弱いものを苦しめて、悲しませる!」

言葉は闇の中へ消える。

手ごたえは、無かった。

「そうした方が楽に大きなダメージを与えられる。賢いやり方だ」

「賢いだと?!卑怯なだけだろうが!お前達なんかいなくなればいい!」

再び撃とうとするダイを、闇は嘲る。

「殺すのか?」

「あぁ、殺す!殺してやる!お前達なんかこの世界から消えちまえ!」

冷静さなどカケラも無い。

ダイはダイではなくなっていて、ニアとルーファはそれをどうすることもできない。

二度目の音が鳴らされた。

鮮血が散って、地面を濡らした。

 

音の先には何も無かった。

 

「私情で任務にあたるなど、軍人としては不合格。…そう言われたことはないか?」

漆黒のローブを纏った者が、そう言った。

握っていたナイフを引き抜くと、そこから溢れる赤は静かな流れを作る。

「ダイ…さん…」

土の上に横たわった彼を呼んでも、返事はない。

「大尉…」

傍観していただけで何もしなかった。

飛び出そうとしたときはすでに、とか、

あっという間のできごとで、とか、

そんな言い訳は通用するはずがない、現実。

「死んではいない。この後は彼の生命力次第だが」

本当に止めるのは無理だったのか?

自分達には何もできなかったのか?

「さて…任務にあたろうか」

過ぎたことを言っている暇は、今はない。

今やるべきことをやらなければ、軍人になった意味はない。

何のために軍人になった?

人を守るため、助けるためじゃないのか?

だったら守ろう。助けよう。

「ニア、銃を構えてろ。でも撃つな」

「ルー…?」

ダイを助けなければいけない。しかしそのためには障害が一つ。

ニアを狙う、裏組織の人間。

「ニアは俺が守る。ダイさんを刺した奴になんか、ニアは渡さない!」

ルーファは漆黒のローブを睨む。

父から剣技を習ったのは何のため?

今日、この日のためだ――!

「任務の邪魔だ」

吐きつけられる言葉がどんなに冷酷でも、怯むものか。

「あぁ、邪魔してやる!遂行なんかさせない!」

 

ハルのように予知能力が無くとも、嫌な予感を持つことは誰にでもある。

夜中の中央司令部にグレンとカイが出向いたのも、そもそもは予感のためだった。

カスケードに連絡したが、シィレーネを落ち着かせるために少し遅れるということだった。

「ごめんなさい…ボクがしっかりしていれば…」

「ハルに謝られても仕方ない」

グレンの突き放したような言い方を、カイが補足する。

「ハルは今現場にいないんだから、どうすることもできないだろ?」

「でも…ボクは大総統です。全てはボクの責任です」

「違うよハル。責任ってのは悔やむことじゃない。これからどうするかを考えることだ」

いつも笑顔のカイが、真剣な瞳でハルを見つめる。

叱って諭す、かつての上司。いつのまにかハルの方が社会的な立場は上になってしまったけれど、気持ちは昔と変わらない。

ハルにとって、仲間は兄であり姉であるのだ。

どんなに時が経って、どんなに状況が変わっても、それは不変。

「とにかく、現在の状況を知る必要がある。ですよね、グレンさん」

「そうだ。無線が使えないなら他の方法をとるしかないな」

そしてこの二人が息の合うパートナー同士であることも、少しも変わっていない。

ハルの緊張が少しずつとけてきたことに、アーレイドは僅かではあるが安堵した。

机の上の地図を見て、カイは十五年前の記憶を引き出す。

任地である村は、カスケードを迎えに一度行ったことのある場所だ。

「時間はかかりますけど、直接行くっていう選択肢もありますね。

俺とグレンさん、それからもちろんカスケードさんも村への行き方は知ってます」

「もしもの時のためにハルとアーレイドは残っていた方がいい。行くなら俺たちだ」

もう一度カスケードと連絡をとるために、カイは電話の受話器を持ち上げた。

その間にグレンはハル達と話をする。

「無線が使えないということは、すでに敵に会っているだろう。無傷であるということはまずない」

「グレンさん、行っているのはあなたの息子ですよ」

「だから言ってるんだ」

アーレイドは失言したと感じ、同時にグレンの覚悟を知った。

彼も元は軍人だ。同じ道を歩む我が子が危険な目にあうことは最初から承知だっただろう。

それでも心配はする。大切な者が傷つくのは嫌だから。

しかし嫌なことを避けるために、子供の望んだ道を絶つ事はしたくない。

どの親も同じだ。愛しているからこそのジレンマがある。

日々が覚悟だ。何があっても、後戻りはできないのだから。

「どうせ誰かが迎えに行かなければならないんだ。俺とカイで行く」

「お願いします」

もし現場に行ったのがレヴィアンスだったなら、自分にも親としての覚悟が必要だった。

そうじゃなかったから、上司としての覚悟だけで済んでいるのだ。

もちろんこんな言い方は不適切で、失礼だ。しかしそれが正直な気持ちだった。

「カスケードさんは後で合流するそうです。俺達は出発しましょう」

「あぁ。…ハル、アーレイド、後は任せろ」

扉が閉じられれば、後は祈るしかない。

無線が繋がるように調節しながら、待つしかない。

それが今、残された者にできること。

 

ルーファの戦い方は訓練で何度か見たことがある。

しかし、練習と実践では全く動きが違う。

ニアは本当に銃を構えていることしかできなくて、目の前で繰り広げられる激しい舞踏が脳に焼き付けられていくのを感じるだけ。

光をぶつけ合い、離れ、また火花を散らす。

「子供だと思っていたが、やはり軍人は軍人だな」

闇はそう言ったが、余裕の表情を浮かべていた。

ルーファは対照的に、動きはいいが必死だった。

――強い…!

弱ければ裏の社会で生きていけるわけがない。

たとえ軍人でも、子供では敵うはずがないのだ。

それでも戦う。守るために。

「ニアを連れて行くのは諦めろ!」

剣が大きく一文字を描く。閃光が走る。

しかし相手には何のダメージも与えない。ただ退かせることすらできない。

「こっちも仕事だ。遂行しなければ命がなくなる」

振り下ろした刃は簡単に受け止められ、こちらの体力ばかりが消耗していく。

息は切れ、汗が流れる。構えは不安定になっていき、攻撃の威力も当然落ちる。

こうしている間にも、一人は血液を失っている。一人は怯えている。

守らなきゃ、守らなきゃ、守らなきゃ、

「何かのために戦うというのは、当たり前のことかもしれない」

守らなきゃいけないのに、

「しかし、その当たり前は時に無謀となるのだよ」

どうして体が、

「自分を見極めることすらできずに、人を守るなどおこがましい」

体が動かないんだろう。

「精進することだな、ルーファ・シーケンス」

あぁ、そうか。

剣、弾き飛ばされたんだ。

腕が痺れている…?

違う、斬られたんだ。血が出てるのが見える。

「ニア…逃げ…」

俺、負けたんだ。

守れなかったんだ。

 

今、何が起こったのだろう。

ローブの男はルーファの攻撃を全てかわし、

すばやく近づき、ナイフを振った。

そうしたらルーファは倒れて、

地面が赤くなって。

呆然と立ちつくすニアの方へ、ローブの男が歩いてくる。

何もしなかったから、こうなった。

ニアが動かなかった所為で、ダイとルーファは倒れた。

動いても結果は同じだったかもしれない。けれど、何かが違ったかもしれない。

それなのに、見ているだけだった。

この結果を招いたのはニア自身。

――お父さん、後悔ってこういうこと?

――違うよね。お父さんの言ってた後悔とは違う。

――僕は何かできたはずなんだ。それなのに…

「ニア・インフェリア…随分と弱いものだな」

――そう、弱い。僕は弱いよ。

――強くなくちゃいけない場面で、僕は弱かった。

伸ばされる手。縮まっていく距離。

ルーファは何を守ろうとしていた?何故倒れた?

このまま無駄にするわけにはいかない。

 

僕は戦わなくちゃいけないんだ

 

ローブの男は迷った。

たった今まで、標的は手の届く場所にいたのだ。

それが何故、見えなくなるのか。

答えは単純だが、考えられないもの。

何もできずにぼーっとしていた者が一瞬で移動するなど、どうして考えられよう。

「な…っ?!」

気配が背後に移っていた。

視界に入ったのは剣。

ルーファはさっき倒れたはずだ。あの状態で動けるはずがない。

では、これは誰だ?

一人しかいない。

剣を振るっているのは、間違いなくニアだ。

手にしているのはルーファの剣だが、違和感がない。ニアの父の所為だろう。

大剣を得物としていたカスケード・インフェリアと、今のニアは酷似していた。

とっさに斬線を避け、男は呟く。

「しかし剣を使えるという話は聞いていないが…」

ニアの武器は銃のはずだ。剣が使えるとしても、しばらくは握っていないはず。

それなのに、まるでずっと剣を使い続けてきたかのように動く。

反撃不可能。避けるだけで精一杯。

ある種の薬物が投与された可能性もある。しかし調べる術はない。

信じられないスピードで走り、跳び、斬りかかる子供。

そう、相手は子供なのだ。僅か十歳の幼い少年に、自分は今負けようとしている。

そうか、こういうことだったのか。だから「ニアをつれて来い」と命が下されたのだ。

この小さな体にこんな力があったことを、上の者達はいつ知ったのだろう。

「ぐっ…ぁ…」

一太刀がこんなに重いのだということを、どうやって知ったのだろう。

「げほ…っが…はぁっ…」

なんということだ。

子供に殺されるなんて。

ニアが剣を振り上げ、冷たく鋭い海色をこちらに向けるのが見えた。

父が温かく浅い海ならば、子は深海だ。

風は斬られ、赤が散る。

世界の動きが非道くゆっくりに見えた。

 

気がついた時にはもう遅かった。

ぬるい液体が肌に不快感を伝え、

網膜に展開される映像は赤く、そして、

親友の色をしていた。

「ニア…殺しちゃ、だめだ…」

どうして。

動けなくなってしまったはずなのに。

ルーファはニアと敵の間に両手を広げて立っていた。

たった今負った大きな傷で、その身体を染めて。

「…なんで…僕…」

今まで何をしていたのか、ニアにはわからなかった。

どうして敵が地面に這いつくばっているのか、

どうして自分がルーファの剣を持っているのか、

どうしてルーファを斬ってしまったのか。

ぐらりと傾き、そのまま地面に横たわる友。

身動きの取れない敵。

ここは本当に、自分がいるべき場所なのだろうか。

夢ならいいのに。そうしたら、覚めたら全て元通りで、いつものように皆と騒ぎあって、楽しい時間を過ごす。

それなら良かったのに。

でもこれは、紛れもない現実。

「………っ!!」

ふと気がつくと剣の切っ先はルーファに向いている。

怖くなって、慌てて放った。

「やだよ…こんなの…」

傷つけたのは、紛れもなくニア自身だ。

全身の力が抜ける。何もかもが真っ黒に見えた。

滲んだ景色の中で、誰かが近付いてくる音が聞こえた。

声が響いた時には、もう何も感じなかった。

 

無線が呼んだ。

ハルが素早くとり、相手を確認する。

「グレンさんですか?!」

『いや、俺』

カイだった。

任務に行った三人とは結局連絡は取れず、グレンとカイからの通信を待っていた。

これで漸く状況がわかる。

『ハル、病院の手配頼むよ。軍の負傷者が二人、それとよくわかんないのが一人』

「負傷?!誰がですか?!」

「!」

ハルの声にアーレイドと、遅れて到着していたカスケードが反応する。

カスケードが来たのはグレンたちが司令部を離れてから十分ほど後だった。

それまでの話を聞いても、必死で冷静を保っていた。

「…わかりました、病院の方は任せてください」

ハルがそう告げて無線を切るや否や、カスケードは尋ねる。

「負傷者って…」

ハルは俯いていた。泣くのを堪えようとしているようで、肩は震えていた。

それでも、事実は告げなければならない。

「ルーファ君とダイ君。…ニア君は無傷みたい」

「それってどういうことだよ」

「わかりません…でも、ボクの夢がそのまま当たってしまっていたら…」

苦しそうに絞り出す声。

親でさえ、いや、もしかすると親だからこそ想像できなかった結末。

溢れた涙が落ちて、痛みをじんわりと広げていく。

「あとどのくらいで帰って来るんだ」

「走行中みたいでしたから…あまりかからないと思います」

帰ってきてもすぐに話を聞くことはできないだろう。

誰かが傷ついていても、苦しんでいても、待っていることしかできない。

人への心配と自分への苛立ちが混ざりあう。

「十五年前も、オレたちはこんな気持ちでした」

アーレイドが呟く。

「カスケードさんを待っているときです。…あの時だけで十分だと思ってたのに…」

電灯が微かに点滅した。

夜明けはまだ遠い。

 

To be continued…