知っています、この感覚を。

知っています、この後悔を。

知っています、この涙を。

 

夢じゃなかったんだな、と思った。

胸部から腹部にかけての痛みが、全てを肯定していた。

腕も、暫くは動かせなさそうだった。

白い天井、という表現はありきたりだが、他にどう言えばいいのか。

それしか見えないのだから、言いようがない。

「ルーファ、起きたのか」

「母さん…」

漸く白以外の色を見る。

戸を開けて部屋に入ってきたのは、綺麗な銀色。

ルーファが寝ているベッドのすぐ脇に置いてある椅子に、彼は座った。

「痛むか?」

「ちょっと」

「今ラディアが来てくれる。そうしたら楽になるからな」

穏やかな笑顔。どうしてその表情を父には向けないのだろうといつも思う。

そこでルーファは気づく。

日常に戻ってきたのだと。

「母さん、ニアは?」

「怪我がないようだから家に帰ったそうだ。

ついでに人質になってた村の人も解放されてる」

「そっか…良かった」

本当に?

本当に、そう思っているのか?

「母さん、俺…だめだったよ」

良くない。ちっとも良くないじゃないか。

目に見える怪我がないだけで、本当は…

「守りたかった…でも守れなかった」

弱かった。

このままでは、何一つ守れない。

「強くなりたい…もっと強くなりたいよ…!」

強ければ、心配をかけずに済んだ。

ダイのサポートだってもっと上手くできたし、

ニアだってあんな行動に出ることは無かった。

強さが欲しい。

 

現在地に気づいて、何とか抜け出せないかと考えた。

しかし痛みに邪魔され、考え付く方法は実践不可能と判断せざるを得ない。

病院は嫌いだ。嫌なことを思い出す。

「…っ痛ぇな…畜生」

誰もいない場所では、素に戻ってしまう。

この自分は嫌いなのに。

ごまかしてでも、騙すことになっても、この自分は隠したい。

隠したかったのに。

「ニアとルーファは…俺のこと嫌いになったかな…」

昔の任務でもそうだった。

あれから随分と怖がられて、近付かれなくなった。

「きっと知られるな…アーシェやレヴィ…グレイヴにも…」

今更何を恐れている。

もう何もかもが遅いんだ。

独りの方が自分に合っているんだ。

「…馬鹿みたいだ」

「本当に馬鹿ね」

独り言だと思っていたら、自分以外の声がした。

ドアに視線を向けると、黒髪の少女。

「グレイヴ…いつから?」

「たった今」

どうしてここに、とか、何で君が、とか、尋ねることがあるはずなのに。

何故か声が出ない。

呟きはほとんど聞こえていないだろう。

それでも、任務のことを聞いていれば。

「アタシの知らない間に大怪我して…どれだけ驚いたかわかる?」

いや、聞いていればこんな風に訪ねてきたりはしないはずだ。

いつものように振舞おう。

「心配してくれたのかい?」

「ち、違うわよっ!アンタに何かあったら、頼んだデータが…」

「それならもう終わってる。素直じゃないな、グレイヴは」

「黙れ!怪我人はおとなしく寝てなさい!」

「添い寝してくれたらね」

「誰がするか!」

このまま知らないでいてくれたらいいのに。

そうしたら、この時間がずっと続いて…

続いて、どうする?

復讐は果たせないままじゃないか。

「…気分が悪い。外出てくる」

「寝てなさいよ」

「病院は嫌いだから、ここにいるほうが酷くなるよ」

「アンタが動くとアタシが面倒なの。アクトさんに頼まれてるんだから」

あぁ、それでか。

「大人しくしていろ」イコール「ここから動くな」ということ。

それをグレイヴに頼むとは、母もなかなか卑怯な手を使う。

「わかったよ、安静にしてる」

「そうしなさい」

六つも年下で、階級も下なのに。

それを全く意識しない。

多分互いの認識が、年齢や階級とは関係ないところにあるんだろう。

「二人っきりだな。まるでカップルだ」

「全快したら斬るわよ」

「全快したらってところが優しいな。それじゃいつまで経っても治らないけど」

どこへ向かえばいいんだろう。何をとれば良いんだろう。

用意された選択肢は、暗すぎる闇と眩しすぎる光。

 

机の上だけでなく、床にまで散乱する書類。

全てが一つのものに関連する、重要なもの。

何かを探すためでもなく、ただ部屋を埋めている。

「…ハル、お前…」

大総統室に戻ってきたアーレイドは、その光景に愕然とした。

それ以上言葉も出ない。黙っていると、ハルが先に口を開いた。

「書類なんか何の役にも立たない。でもボクはそれ以上に役に立たなかった」

モノクロームの世界に、真っ暗な言葉。

後悔なんてものじゃない。

「ハル…」

彼は自分を恨んでいた。

「何が大総統だ、国のトップだ!ボクは結局全部を危険にさらしてるだけじゃないか!

何にもできなかった昔と、何一つ変わらない!なんでここにいるのかわからないよ!

ボクなんかいなくなっちゃえばいいんだ!何にもできないボクなんか…っ!」

実現してしまった最悪の事態。予想できたのに防ぐことのできなかった責任。

蓄積した痛みは一気に溢れ、ハルを壊した。

いや、まだ完全に砕けたわけではない。

まだできることがある。

アーレイドはハルに近寄り、彼の腕を掴んだ。

「痛…っ!何するの?!」

力を込めて掴んで、引き寄せた。

いきなり抱きしめられて、ハルは困惑する。

それをアーレイドは無視して、抱きしめる腕にさらに力を込める。

「責めるんだったらオレを責めろよ」

「なんで?!だってボクは」

「お前はオレが補佐だってこと忘れてる。

お前が苦しんでるのに、オレは何もしなかった。

無責任な言葉をかけるばかりで、ちゃんとお前を支えられなかった」

ハルもアーレイドも、まだまだ未熟だ。

だけどそれは言い訳にもならない。

起きてしまったこと、過ぎてしまったことを悔やんでもどうしようもない。

自分を恨んで壊しては、元も子もない。

「幸い、オレ達にはまだチャンスがある。本当ならこれでおしまいなのに、チャンスが残されてるんだ。

それってどういうことかわかるか?オレ達にはこれからやるべきことがあるんだよ。

そこから目を背けて後ろばっかり見てても駄目なんだ」

守れなかったことを後悔しても、それはもう遅いこと。

だから何が何でも守らなければいけない。

今回はそれができなかったけれど、まだ守るべきものはある。

なかったはずの「次」が、用意されている。

「ハル、お前は大総統なんだ。一番最初に前を向かなければならないんだ。

今しなければならないことをすることが、オレとお前の罪滅ぼしなんだよ」

「………」

次があるから今度こそ守ろう。

次の次はないと思おう。

今はそうやって前を向かなければ、何一つ動かない。

ハルは黙って泣いていた。アーレイドに抱きしめられたまま、見られないように。

 

寮での部屋は両親と離れていて、レヴィアンスはほぼ一人で生活している。

誰もいない時間というものは退屈で、とても嫌なものだ。

特に今日は嫌なことの後だから、もっと嫌だった。

母はずっと沈んでいるし、父は難しい顔をして何かを考えていた。

レヴィアンス自身も悔しさを感じていた。

「何でボクじゃなかったんだろ…」

ルーファが行かなければ自分が行くはずだった。

そうすれば、ルーファは傷つかなかった。

「でも大尉が傷つかないっていう保証はどこにもないんだよね、結局…」

きっと自分が行っても何もできなかった。

もしかしたらニアも無傷では済まなかったかもしれない。

レヴィアンスを司令部に残すというダイの判断は、果たして正しかったのか。

「…そもそも正しいとか間違ってるとかの問題じゃないよね…」

ベッドに寝転がって考える。

幼いけれど大総統と補佐を両親に持つのだ。少しは思考が働く。

それを中断させたのは、礼儀正しいノックの音だった。

「はーい、誰ー?」

「レヴィ君、私」

「アーシェ?!どうしたの?」

ドアの向こうにあったのは、金髪とライトグリーンの瞳だった。

彼女はレヴィアンスを見て笑ったが、やはり元気がなかった。

「部屋入りなよ。…ニアたちの話でしょ?」

「うん」

アーシェが部屋に来るのは初めてではないのに、少し緊張した。

テーブルを挟んで座り、少しの間静かになる。

「…レヴィ君は、昨日のこと知ってるんだよね」

先に言ったのはアーシェだった。

レヴィアンスは頷いて答える。

「うん。でも肝心な時に部屋に戻されたから、詳しくはわかんないよ」

「皆は大丈夫なの?」

「ルーファと大尉は怪我したみたいだけど、ニアは無事だってさ」

「それは知ってるの。私が言ってるのは心の問題」

やっぱりそこか。

体の傷はしばらくすれば治る。治癒能力を持つ知り合いがいれば、外傷はすぐに完治する。

だけど心の傷はそれぞれで、一生を費やすこともある。

治らないことに苦しんで、自分から命を絶つ人もいるくらいなのだから。

「皆きっと辛いよね…」

「だろうね」

「レヴィ君も、でしょ?」

「はは…ちょっとね」

ごまかすように笑うが、乾ききっている。

さっきまで考えていたことが、アーシェには全部読まれているようだった。

「私…何ができるかな」

「何もしなくていいと思うよ」

「…どういうこと?」

だからこれ以上は触れないで、いつものように接して欲しい。

辛い記憶に楽しいできごとを上書きすれば、どんどん重なっていく。

そしていつか、辛い記憶は小さくなる。

「いつもみたいに一緒にいるだけでいいよ。アーシェがいるとみんな和むし。

ニアなんかは特にそうじゃないかな」

「…そっか。そうよね」

まだ元気なわけではないけれど、アーシェに笑顔が戻る。

これでいい。笑ってさえいれば、元通りになる。

「ありがとう、レヴィ君」

「なんでアーシェがお礼言うのさ。ボクの方がずっとずーっと感謝してるのにー」

「どうして?」

「アーシェが来てくれたからに決まってるじゃん。ボク、アーシェ好きだもん」

「そう?ありがとう」

「だからお礼はボクが言うんだってばー」

皆揃ったら、また笑いあおう。

皆でお昼を囲んで、お喋りしたりふざけあったりしよう。

 

赤と黒のコントラストは、病院の持つ白さとは正反対のように思われる。

しかし、彼女の佇まいはまるで聖女。

生まれ持ったヒーリング能力は、今や神の域。

「ルーファ君、痛くない?」

「もう平気です。ありがとうございます、ラディアさん」

丁寧に礼を言うルーファに、ラディアは笑顔で応えた。

この綺麗な女性が元は軍人で、しかも一度に三十人を相手にできるという猛者だったなど、ルーファには想像できない。

両親は嘘をつかないから本当のことなのだろうが、ラディアの微笑からはそれを信じがたい。

「こんなにいっぱい怪我して…そこまで親に似なくていいのに」

「悪かったな、悪影響ばかり与える親で」

「別にグレンさんのことだけ言ってるわけじゃないですよー」

昔からの仲間。最高レベルの信頼。

そこに到るまでの道のりに、何があったのか。

ルーファは考えるより先に口にしていた。

「ラディアさんは母さんたちに助けられたって言ってましたよね」

「うん。どうしたの?急に」

「そのときの話、詳しく聞かせて欲しくて…」

どうすれば「助けること」に繋がるのか、そのヒントが欲しい。

「私が話していいのなら話すけれど…」

「余計なことは省いて話せよ。全貌を知るにはまだ早い」

「わかりました。…それじゃ、話すね」

ラディアが語り始めたのは、十八年前の話。

自分を救い、決心させた言葉があったこと。

ルーファは彼女の過去を心に刻み、

「ラディアさん」

「何?」

「俺も…助けられるかな」

起き上がって、窓の外に目をやった。

 

手に残るのは硬い感触。

記憶を支配するのは、真っ赤な色。

久々に帰った家で、母が泣いていた。

泣いて自分を抱きしめた。

それがまるで責められているように感じた。

暗くした部屋に閉じこもって、これまでを何度も頭の中で再生する。

どこまでも赤い。赤くて、紅くて…

その世界をつくったのは、紛れもなく自分。

「ニア」

「入ってこないで!」

ドアを開けた父に、背を向けたまま叫ぶ。

誰も近づけたくない。

また傷つけてしまうかもしれない。

あの時、体が軽かった。信じられないくらい疾く動けた。

夢中で剣を振るって、人を殺そうとしていた。

「ニア、少し話をしないか?」

お父さん、もし話の最中に僕が斬りかかったらどうするの?

それでも話をするっていうの?

「…こっちこないで。お父さんまで怪我しちゃうよ」

「それはないな。そんな要素どこにもないじゃないか」

「こないでよ!来たら僕…お父さんをこ」

「ニア!」

強い声。二年前に一度聞いたきりの響き。

あぁ、お父さん怒ってるんだ。僕が悪い子だから。

親友を傷つけるなんて、酷い奴だから…

「聞くだけ聞いてくれ。大事なことなんだ」

少し間があった。

それが怖くて、だけど何にも縋れなくて。

その怖れが必要のないものだと、すぐにわかるのに。

「ルーファは無事だ。ダイもあまり酷くないらしい」

「え?!」

思わず振り向く。

父は微笑っていた。

ニアがよく知っている、穏やかな笑み。

「本当に…?」

「ラディの治癒のおかげでな。もう傷はなんでもないそうだ」

「そっか…良かった…」

でも、この「良かった」って何に対してだろう。

もちろんルーファやダイの回復についてだ。

だけど、本当にそれだけだろうか。

もしかして…自分が人殺しにならなかったことにも安堵を感じてはいないだろうか。

そう考えてしまうとやはり怖くて、

「会いに行かないか?きっと会いたがってるだろうし…」

「行かない」

ルーファにあわせる顔もなくて。

「ルーは…きっと僕になんか会いたくないよ」

「どうして」

「わかってるでしょ?!僕は…僕はルーを…っ!」

その先を口にできない。

その代わり、涙が溢れていく。

ぼろぼろと零れて、床にしみをつくる。

カスケードはしばらくそこに立っていたが、そのうち部屋から出て行った。

また真っ暗な部屋に残される。

誰もいない。

みんないなくなってしまう。周りから消えてしまう。

だけどそれは当然のこと。

あんなに酷いことをしておいて、いままでと同じようにいられるわけがない。

「ルー…僕のこと嫌いになったよね…

みんなも僕のことなんか嫌いになるよね…」

ヒトゴロシになるところだった。

なっていなくても、そうなりかけたことは確かなんだ。

ドアがノックされたことにも気づかず、涙を流し続けた。

光が入ってきて、肩をそっと叩かれるまで。

 

医者と話してるのだろうが、どのくらい長い間このままにされているんだろう。

先ほどラディアが治療に来たが、それ以外はずっとドアが開けられることはない。

一つ救いがあるとしたら、傍に彼女がいることくらいだ。

「グレイヴ、帰らないのか?」

「頼まれてるもの、帰れないわよ」

「帰るっていえば帰らせてくれるよ、うちの母さんは」

「だめなの」

はっきりと彼女はそういった。

ダイは怪訝に思う。普段自分を避けるグレイヴが、どうしてここにとどまっているのか。

データのためだけに、ここまでするだろうか。

「…どうしてここにいるんだ?」

本当のことを知りたかった。

グレイヴの気持ちを、聞きたかった。

それが痛みであるとも知らずに。

「一つ、訊きたかったの」

「データのことか?」

「違う。…アタシ、アンタ達が任務に行ってるときに別の任務に行ってたの」

そういえばそうだったっけ。

アーシェとグレイヴはその別の任務があったから、今回のことと関わらなかったのだった。

「その時に聞いたの。去年…アンタが何をしたか」

その言葉が表しているのは、たった一つの事実だった。

一年前、ダイが大尉になったばかりの頃の、あの事件。

どんなに功績を挙げても昇進を遅らされる原因で、人から遠ざけられるようになった理由。

「アンタ…裏と何かあるの?」

「誰から聞いた」

「質問に答えてよ」

「レガート中尉か?あいつも余計なことばかりするな」

「ゲティスさんは何も悪くない。そんなことより質問に」

「そんなに衝撃的だったのかよ、人間の一人くらい瀕死になった程度で」

一年前、関わった任務が裏がらみだった。

危険薬物製造の関係者を追い詰めた。あとは捕まえればいいだけだった。

しかし、ダイはすぐには捕まえなかった。

追い詰めた者を数回撃ち、倒れたところを何度も蹴った。

何度も何度も、繰り返し暴行した。

駆けつけた部下がダイを止めたが、相手は人間でなくなる一歩手前だった。

「話を聞いたならわかったんじゃねぇのか?俺がどれだけの事した人間かってのが。

人を殺しかけておいて、今でものうのうと軍人やってんだぜ?

知ったときどう思った?怖かったか?軽蔑したか?金輪際関わりたくないと思っただろ?」

部下だったゲティス・レガートとパロット・バースは今でもダイと組みたがらない。

このことを知った者は、自分から離れていく。

「何にもならない質問をするな。そのためだけに来たなら出て行け」

「違う!そうじゃなくて…」

「出て行け!…話すことなんか何もない」

グレイヴの目の前にいるのは、確かにダイだ。

初めて会った表情だが、間違いなくダイだ。

「…わかった、ごめん」

ここからは立ち去った方がいい。

彼がそう言うなら、そうするしかない。

「でも…アタシはアンタのことなんかちっとも怖くない」

 

温かかった。

触れる手も、彼の笑顔も。

「…ルー…?」

だけど、どうしてここにいるの?

「泣くなよ、ニア」

どうしていつもの笑顔なの?

「なんで…」

「ラディアさんのおかげで病院抜け出せた」

「そうじゃなくて、僕が言いたいのは…」

「わかってる」

優しく頭を撫でるルーファは、幻じゃない。

だけど、ニアには彼の存在が信じられない。

それでも彼は言うのだ。

「俺はニアに会いたいからここに来た」

「どうして?僕、ルーを…」

「偶然そうなっただけだよ。…俺は、ニアに人を斬って欲しくなかっただけ」

「偶然とかそんなのどうでもいいよ!結果的にルーは僕の所為で大怪我したじゃない!」

「もう怪我してない。…俺よりもニアのほうが辛いだろ?」

「そんなはずないよ!ルーの方が痛い思いして、僕は無傷で…卑怯で…っ」

「そう思ってるから辛いだろ」

涙の向こうに見えるのは、何よりも自分を気遣ってくれる親友の姿。

「ニアは悪くない。頑張ったよ」

強くて、優しい人。

「もっと早く頑張ってれば、ルーを傷つけなかったよね…

大尉だって、怪我しないで済んだかもしれないよね」

人を助ける軍人になろうと思った。

ルーファに「一緒にしよう」と言った。

だけど、目標に近いのはルーファの方だ。

遠いなら、近付けばいい。

止まらずに進めばいい。

「ルー、傷つけてごめんね」

泣いてなんかいられない。

「僕、もっと強くなるから。だから…」

「あぁ」

差し伸べられる手。

それがあるから、前に進める。

「一緒に目指そうな、人を助ける軍人」

もう一度スタートを切る決意。

仲間のおかげで得られたもの。

「ルー、どこか痛いトコない?」

「大丈夫大丈夫。ニアこそ平気か?」

「ルーは自分の心配してなきゃだめ!僕のことなんかいいでしょ!」

「怒ることないだろー」

罪は背負っていかなければならない。

だけど、支えてくれる人がいるから立っていられる。

 

「カスケードさん、特別指揮官をやって欲しいんです」

その日の夜に呼び出され、ハルからこう告げられた。

「あなたじゃないとダメなんです。…やってくれますよね」

「やらなきゃダメなんだろ。やるさ」

「ありがとうございます」

特別指揮官は緊急時にしか配置されない。

前大総統とはいえ、一般からの配置はさらに異例だ。

「ハル、もう大丈夫なのか?」

「…アーレイドに言われましたから。それに、ボクが頑張らなきゃ皆に申し訳ないです」

「パートナーの力ってのは偉大だな」

感心するカスケードだったが、すぐに表情を厳しいものに変えた。

ハルの差し出した書類は、今回の事件をまとめたもの。

現場での一部始終が綴られていた。

「…これ、ルーファが?」

「はい。ボクが頼みに行く前にまとめておいてくれたみたいです。

でもカスケードさん、よく見てください。それを書いたのはルーファ君だけじゃないんです」

ハルに言われてもう一度書類に目を通す。パソコンで作成されているので一目ではわからなかったが、ところどころ文体が微妙に違った。

「…ニアも書いたのか?」

「はい。…パートナーの力って偉大ですね」

「だな」

ルーファのおかげでニアはもう一度頑張ることにしたらしい。

今日は二人ともインフェリア家で過ごすといっていた。

このこととニアの立ち直りで、シィレーネの喜びも二倍のようだった。

「これからも辛いことがあるんだろうな…」

「でもあの子達なら大丈夫かもしれないって思いました。

レヴィもアーシェちゃんと何か話したみたいで、ちょっと元気になってましたし」

「うんうん、まるで昔の俺たちだ。

支えあっていろいろなことを乗り越えてきた昔を思い出して、カスケードは嬉しそうに笑った。

ハルも笑顔を見せたが、机の上のもう一つの書類が目に入ると表情を陰らせた。

「ハル、どうした?」

「あの…もう一つの方、見てください」

ハルが示したのは、紙一枚分の短い文章。

カスケードはそれにざっと目を通し、眉を顰めた。

「…あいつ、本気で言ってるのか?」

「多分もうボクじゃ説得できません。アーレイドが話をしようとしたんですが…」

「家には行ってみたか?」

「向こうで一度話してからということになりました」

形式にのっとって丁寧に書かれているそれは、請願書というにはあまりに乱暴な内容だった。

今回のことが原因だと思われるが、本当にそれだけなのだろうか。

「今頃ディアのところは大荒れだな」

「でしょうね。アクトさんはユロウ君連れてブラックさんの家に行ったみたいです」

ダイの単独行動表明。今後一切部下とも上司とも組まないという意思。

大丈夫かもしれないと思ったのに、ひび割れた部分は確実に大きくなっていた。

 

 

To be continued...