既視感ではなく、確かに既視だった。
それはあの時の繰り返し。
ユロウがダスクタイト家を訪れた時、一人娘の姿はなかった。
ずっと部屋にこもりきりだということだ。
「お母さん」
「何?」
隣に座る養母は、ユロウの声に優しい表情で応えてくれる。
しかし、それもどこか不安定だ。
だから、訊けなかった。
「お兄ちゃんはどうしたの?」と。
けれどもアクトはわかっていた。
ユロウはダイの弟で、唯一傍にいる肉親だ。心配ではないはずがない。
なんと言って良いのか迷っていると、台所から声がした。
「コーヒーと紅茶どっちか選べ」
「紅茶。ユロウの分は砂糖も」
「わかった」
ブラックはアクトの急な申し出を即受け入れ、こうして家に入れてくれた。
ハルからの電話があったあと、ディアが「ダイと二人で話したい」と言い、今に至る。
去年も同じようなことがあった。その時はたしかユロウを買い物に連れて行って時間を潰した。
「紅茶」
「ありがとな。…ブラック、突然で本当にごめん」
「それ以上気にしたら追い出すぞ」
素直じゃない口調に、彼の優しさがある。
アクトは少し笑って、カップに口をつけた。
ユロウもカップを両手で包み込む。
「熱いから気をつけろよ」
「うん。でもぼく猫舌じゃないから大丈夫だよ、ブラックさん」
本当なら、もっと和やかにこの会話ができたのに。
どこか引っかかっていて、少し重い。
「…こんばんは」
「グレイヴちゃんだー。こんばんはー」
漸くグレイヴが部屋から出てくる。やはりどこか元気がない。
彼女はブラックの隣に腰掛け、俯いた。
「…アクトさん、あの…」
「ダイのこと?」
「…はい」
昼間、病院にグレイヴが来た。
ダイとルーファが怪我をして任地から帰ってきたということで、心配してきてくれたのだろうとアクトは思った。
軽い気持ちで「ちょっとダイが大人しくしてるように見ててくれる?」というと、グレイヴはあっさりと引き受けた。
意外なほどに、素直だった。
「アタシ…酷いことしました。思い出したくないことわざわざ思い出させて、彼に辛い思いをさせました」
グレイヴが帰ってから、ダイの様子がおかしかった。
ダイは詳しく話さなかったが、ここに来て漸くその理由がわかった。
「そっか…わかった」
「ごめんなさい!アタシ…余計なことして…だからアクトさんたちはここに来たんでしょう?」
「直接的な関係はないよ。でもダイには影響あったみたい」
ダイは単独行動をとると言った。部下とも上司とも組まないと大総統に宣言した。
それがアクトに伝わり、ディアに伝わり、そして…。
「グレイヴが気にすることはないよ」
「でも…」
「明日から普通に振舞ってくれればいいんだ」
でも、ダイは?
グレイヴが普通に振舞えても、ダイは以前とは違う行動をとるかもしれない。
今までとは違う日々が、しばらくは続くだろう。
申し訳なさそうな表情のグレイヴを、ユロウは黙って見つめていた。
疲れているはずなのに眠れなかった。
それが自分だけではないことは、隣に声をかけてわかる。
「ルー、起きてる?」
「起きてる」
確認してから、ニアは寝返りをうってルーファの方に向いた。
いつもより距離が近いのは、ニアのベッドに二人で寝ている所為だ。
インフェリア邸に余分な布団がないのでそうなってしまったのだが、子供二人なのでとても狭いということはない。
「…怖くて寝れないんだ、僕」
「そっか…じゃあ手でも繋ぐ?」
「ふぇ?」
「いや、俺が小さいとき母さんがしてくれたんだけど…やっぱり恥ずかしいよな、ごめん」
何言ってんだ俺、とルーファは笑ってごまかそうとしたが、不意に手に温かいものが触れた。
「…繋いでてくれる?」
「あ…あぁ」
面食らったが、今度は嘘のない笑顔で答える。
たまにはこういうのも悪くない。
「ニアって弟みたいだなーって思うんだ」
「えー、僕ルーと同い年だよ?」
「いや、弟いたらこんな感じなのかなって。俺、兄弟とか望めないから」
「そっか…でもなんか納得いかない」
膨れるニアは、さらに幼く見える。
できることのない、もしかしたらいたかもしれない、兄弟。
もしも弟ができたら、ニアみたいなのがいい。
自分の知っていることを全部教えて、一緒に遊んで…。
「ニア、アーシェに弟いるって知ってたか?」
「前にアーシェちゃんが言ってた。僕たちより二歳下なんだよね」
「会ったことないんだよなぁ…どんなんだろ」
「アーシェちゃんみたいでかわいいよ、きっと」
今度アーシェに相談して、家に遊びに行こうか。
皆で遊べればいい。軍のことは忘れて、子供らしく駆け回ろう。
きっと辛いことなんか全部どこかへ吹き飛んでいく。
「僕もね、兄弟欲しいなぁって思ったことあるんだよ」
「弟とか?」
「んー…何でも良かった。欲しいなぁって思って、お父さんとお母さんに言ったことがあるんだ」
「言ったんだ」
「でも弟も妹も来ないまま、ずっと一人っ子で。
さっきはちょっと悔しかったけど、やっぱりルーのことお兄ちゃんみたいに思えて嬉しい時はあった」
「そっか、じゃあニアは俺の弟な」
「だから悔しいんだってばー」
いつまでもこんな他愛のない話をして、ずっとずっと穏やかな日常が続けばいい。
だけど、きっとそうはいかない。
一度起こってしまったことは、きっと次もある。
もっと強くなろう。そして、今度こそ誰も傷つけないように。
笑っていたら、いつの間にか意識が落ちていった。
だけど決心はここにとどまっていて、しっかり残っていた。
「ずーるーいー!ルーファばっかりずるいよ!」
レヴィアンスは朝から叫ぶ。
ルーファは苦笑し、ニアは目を丸くして、ふくれるレヴィアンスを見ていた。
「ボクだってニアの家に泊まりたかったー!」
「そんなこと言ったって仕方ないだろ…」
「今度レヴィも呼ぶよ」
「ふーんだ。いいもん、ボクは昨日アーシェを独り占めできたし」
「独り占めって…」
いつもの朝。
何事もなかったかのように一日が始まる。
「みんな、おはよう!」
「あ、アーシェちゃん!おはよう!」
「おはよう、アーシェ」
「アーシェの今日の仕事はー?」
大丈夫、何も変わっていない。
誰もがそう思っていた。
「朝から元気ね、アンタたちは」
「あ、グレイヴちゃん」
「おはよう!」
「おはよう」
それなのに、変わってしまっていた。
耳も、目も、その変化をはっきりと捉えてしまう。
「君たち、ちょっといい?」
賑やかな声を途切れさせたのは、深刻そうな眼をした大総統だった。
めったに入らない大総統室だが、慣れ親しんだ感じがする。
それがいつものイメージだったのだが、今日は違った。
空気が沈んで、息苦しい。
「何かあったんですか?」
ルーファが口を開く。
先日の任務の件だろうかとも思っていたが、できるだけ話題にしないように遠回りする。
大総統はそれを汲み取ってか、小さく笑って見せた。
思ってることとは少し違うよ、と眼で語る。
「今日は君たちの上司の件で来てもらったんだ」
「上司?」
そういえば、ダイの姿を見ていない。
まだ本調子じゃないのだろうかと、ニアとルーファは顔を見合わせる。
グレイヴがうつむいたのを、アーシェは見逃さなかった。
「上司って、ホワイトナイト大尉のこと…ですか?」
レヴィアンスがその名を出すと、大総統は頷いた。
「それも含めてかな。君たちの指導担当者が変わることになったんだ」
「え?!」
思わず声をあげる。
それはニアやレヴィアンスだけではなく、ルーファやアーシェも。
グレイヴは顔を上げ、驚愕の表情。
「仮の措置だけどね。しばらくはインフェリア伍長とシーケンス伍長、ハイル伍長の三人とリーガル伍長、ダスクタイト伍長の二人に分かれてもらう。
担当者は今来るから、来てから紹介する」
「待ってください。ホワイトナイト大尉はどうしたんですか?」
感情を抑え冷静に、ルーファが尋ねる。
大総統は言葉につまり、それをみかねた補佐が代わりに告げた。
「結論から言うと、ホワイトナイト大尉が単独行動をとりたいと申し出てきた。
上司とも部下とも関わりたくないそうだ」
「どうしてですか?」
「それはわからない」
これでは納得しろといわれてもできない。
ルーファが食い下がろうとしたところで、ノックの音が響いた。
「失礼します」
アーシェとグレイヴにとっては馴染みのある声。
部屋に入ってきたのは、五人。
先頭に立つ空色の髪の少年が、大総統に向かって敬礼した。
「ゲティス・レガート中尉、並びに…えーっと…まぁいいや。とにかく五名参りました」
適当な挨拶に、空色の少年の後ろで闇紫の髪の少年がため息をつく。
「わざわざご苦労様」
「来るだけならどうって事ないけど…何か用ですか?」
ゲティス・レガート中尉は完全に礼儀を省き、大総統に向かい合った。
その後ろにパロット・バース少尉、ドミナリオ・エスト准尉、ホリィ・グライド曹長、オリビア・パラミクス軍曹が並ぶ。
「突然で申し訳ないけど、君たちに伍長五人の指導を頼みたいんだ」
大総統がそう告げると、入室してきた五人に動揺が走る。
いや、一人だけ――ドミナリオだけは少しも動じなかった。
「その五人ってホワイトナイト大尉の担当じゃ…」
「急遽君たちに任せることにしたんだ。
レガート中尉、バース少尉はインフェリア、シーケンス、ハイルの三伍長を、
エスト准尉、グライド曹長、パラミクス軍曹はリーガル、ダスクタイト両伍長をお願いしたい」
「いくらなんでも突然すぎますって!」
ゲティスが抗議しようとするが、ドミナリオがそれを止めた。
「いいじゃないですか、別に。…僕はかまいませんよ」
「ドミノ、お前なぁ…」
「ゲティス、ここ喧嘩する場所じゃない」
パロットにたしなめられ、ゲティスは仕方なく大総統に向き直る。
そして納得のいかないまま、命を承知した。
その様子を見ていたニアたちは、混乱したまま従うしかなかった。
簡単な自己紹介のあと、ルーファは疑問に思っていることを新しい上司に言った。
「ホワイトナイト大尉は誰とも関わりたくないそうです。どうしてだと思いますか?」
ゲティスは腕を組み、眉を顰めた。
「そうだな…オレもあの人のことはよくわかんないからなぁ…」
「去年一緒に仕事した。でも、それっきり。パロたち、今回のことわからない」
パロットも補足する。
ニア、ルーファ、レヴィアンスはこの二人の下に編成されたが、三人とも納得していなかった。
明確な理由なしに、突然ダイが単独行動をとるなど信じられない。
「…前にもあったんだよ、同じようなこと」
そこへこの言葉が出て、ニアは思わず聞き返した。
「同じようなこと…ですか?」
「あぁ、去年の任務のあとだったかな。あの人、誰とも組まなくなったんだ。
その代わり大総統によく呼び出されてたみたいだけど」
「去年何があったんですか?」
レヴィアンスが尋ねると、ゲティスは曖昧な表情をした。
何かまずいことを言ったというような、そんな顔だ。
パロットはそれで何か気づいたのか、ゲティスに耳打ちする。
「ゲティス、もしかして…」
「…多分、な」
ルーファはこの二人に不審を抱いた。
絶対に何か知っている。その「何か」はきっと去年に関係がある。
「何があったんですか?去年何かあったんですよね?」
「あー…悪いな、今は話せない。それとオレたちと無理して組むことないからな」
話を切り、ごまかして、ゲティスとパロットは行ってしまった。
残された三人は顔を見合わせて、頷いた。
「どうしちゃったんでしょうね、大尉」
オリビアがため息をつく。
アーシェにはわからない。だから、何も答えられない。
だけど、答えられるかもしれない人物は知っている。
彼女はずっと様子がおかしかった。だからきっと知っているはず。
「…あれ?グレイヴちゃんは…」
「グレイヴならドミノにどっか連れていかれた。あいつグレイヴに惚れてんじゃないかなー」
ホリィが冗談めかして言うと、オリビアがむっとした。
「ドミノ君は違うわよ。大体、グレイヴちゃんは大尉となんかいい感じなのよ?」
「え?そうなのか?」
「私の研究ではきっとそうよ」
「…オリビア、ドミノに似てきてないか?」
上司二人の話は、アーシェの耳には全く入っていない。
グレイヴがドミナリオに連れて行かれた。
一体どこに?それは何のため?
考えている時間ももったいなくて、アーシェは走り出した。
「アーシェちゃん、どこに行くの?!」
「グレイヴちゃん捜してきます!」
嫌な予感がした。
ドミナリオが悪い人というわけではない。
ただ、グレイヴの精神状態があまりよくない。
今何かあったら、壊れてしまうかもしれない。
「ううん…壊れたりしない。グレイヴちゃんは強いんだから…」
そんなのは言い聞かせているだけに過ぎない。
彼女の脆弱性も、アーシェはよく知っている。
中庭に入ろうとしたとき、求める姿が見えた。
とっさに建物の陰に隠れて、様子を伺う。
「…だから言ったじゃないか」
「でもそれがどうして近付いてはいけないことになるのか、アタシにはわからないです」
何の話だろう。
アーシェはできる限り集中し、細部まで聞こうとする。
「あの人に関わると危険なんだよ。これで良かったんだ」
「アタシから関わるのをやめたわけじゃないです。アイツは自分から離れて…」
「だったらなおさら関わる必要はない」
関わる、危険、離れる…
――まさか「アイツ」って、大尉のこと?
――でもどうしてドミノさんが「関わる必要はない」なんて言うの?
「僕は君を危険な目に合わせたくない。あの人に関わって傷ついて欲しくない」
「どうしてですか?」
「理由が必要?」
「………」
アーシェが思い返すのは、ホリィの何気ない言葉。
あれが真実なのではと、ふと考えてしまった。
ドミナリオの気持ちはわかる。けれども今展開されている状況は、従妹として許せないものがあった。
「…あのっ!」
これ以上大切な人を混乱に陥れないで。
その一心で、アーシェは二人の前に出て行った。
「アーシェ?!アンタどうして…」
「リーガル伍長、何のつもり?」
グレイヴは驚いているが、ドミナリオは冷静だった。
そこにいたのは最初からわかっていたというように。
しかしアーシェは怯まない。怯むわけにはいかない。
「あの任務の日からグレイヴちゃんの様子がおかしいんです。
…これって、ドミノさんのせいだったんですか?」
言い訳なんてしない。聞きたいことだけを言葉にする。
強く相手を見つめる瞳は、意志の宿ったライトグリーン。
「アーシェ、違う!これは…」
グレイヴは否定しようとするが、
「そうだよ。僕が彼女に情報を与えたから」
冷たい声が、肯定を返した。
「情報ってなんですか?」
「ホワイトナイト大尉がいかに危険な人かってこと」
短い答えははっきりしていて、深く刺さってくる。
「そんなこと…グレイヴちゃんに言ったんですか?」
グレイヴはもっと長く鋭いものをその心に受けたはずだ。
アーシェはグレイヴの手をとり、引っ張る。
「行こう、グレイヴちゃん。でたらめなんか真に受けちゃダメだよ」
「アーシェ…違う」
「何が違うの?…とにかく、ここにいたってしょうがないよ。
ドミノさんも来てください。ちゃんとお話したいです」
この表情は誰に似たのか。
アーシェの怒りは静かな迫力を伴っていて、逆らえそうになかった。
司令部中を捜し回った。
外出してはいない。休みでもない。
きっとどこかにいるはずだと、手分けして捜した。
そしてとうとう見つけた。
「大尉!」
ニアが呼ぶと、ダイは一瞥しただけで去っていこうとした。
それをルーファが引き止める。
「ダイさん、待ってください!俺たち納得いかないんです!」
「…何が」
「ボクたちに何にも言わないで離れてくことだよ!」
レヴィアンスの言葉に、ダイは舌打ちする。
それでも引かない覚悟が、ニアたち三人にはあった。
「どうして単独行動を?」
「そんなの俺の勝手だろ。お前たちには関係ない」
「勝手じゃないよ!どうしちゃったの大尉!」
「煩い。…ハイル伍長、自分の偉い両親から何も聞いてないわけじゃないだろう」
「理由なんて聞いてないし、本人以外から聞きたくない!ボクたちは大尉から直接、本当のことを聞きたいんだ!」
「生意気言うな。…煩いから俺に近付くんじゃねぇよ」
いつもとは違う口調。いつもより鋭く、暗い瞳。
これ以上踏み込むことを許さないと語っている。
それでも、
「大尉は理由もなしにこんなことする人じゃない。僕たちはそれをわかってます」
ニアは引き下がるつもりなどない。
もちろんルーファとレヴィアンスも。
ダイはそれを睨み、鼻で笑って、見下す。
「ニア、ルーファ、お前たちは見たよな?俺が人を殺そうとしたのを」
先日の任務で、現れた「裏の人間」にダイは殺意を向けていた。
返り討ちにあったとはいえ、それは紛れもない事実。
「この前は失敗だったが、去年は相手を瀕死にしてやった。
俺は二回、人を殺そうとしてるんだよ」
この手で命を奪おうとした。
未遂だが、目的は変わっていない。
いつ本当に殺してしまうかわからない。
「怖いだろ?ガキだもんな、お前ら。
俺に殺されたくなかったらもう二度と近付くな」
言い捨てて、背を向けた。
一切の関わりを絶とうとした。
ドミナリオの話に、アーシェは絶句した。
それが自分の知っている人物のことだとは、到底考えられなかった。
「嘘…だよ」
まさかグレイヴはこんな話を信じたというのか。
そんなはずはない。グレイヴに嘘が通じるはずがない。
だから、これは、
「本当なの。ゲティスさんたちも…アイツ本人もそう言ってた」
「大尉自身が…?」
グレイヴの言葉には、何の嘘もない。
いや、嘘をつく理由などどこにもない。
むしろこのことが嘘であってほしいと、彼女自身も思っている。
「グレイヴちゃんが大尉に言ったから…大尉は単独行動を取るって言ったの?」
「多分、そう」
グレイヴの様子がおかしかったのは、責任を感じていた所為。
それがやっとわかった。
アーシェは俯き、聞いた話を反芻した。
「いくら考えても真実は真実。それは変わらない」
「…わかってます。ドミノさんの言うとおりです」
アーシェは顔を上げる。
そして、
「グレイヴちゃん、私…ちょっとわかった」
「うん。多分アーシェの考えてることは、アタシと同じだと思う」
「大尉は部下を守ろうとして、自分から離れようとしてるんですよね」
ニアの言葉が、ダイの足を止めた。
振り向きはしなかった。だけど、聞いていた。
「大尉は僕たちを巻き込みたくなくて、単独行動しようって思ったんですよね。
怖い自分を見せたくなくて、近付くなって言ってるんですよね」
ニアは知っている。
自分への怖れがどういうものなのか。
「そして大尉は僕たちを嫌ってるんじゃなくて、僕たちに嫌われてるんじゃないかって思ってる。
自分から離れたほうが楽だって思ってる」
「黙れ」
「離れれば僕たちを巻き込まなくても済むし、一番いい方法だと思った」
「ニア、殺されたいのか?」
反応する言葉は鋭いけれど、どこか鈍い。
本当にそうしようなんて気持ちは、これっぽっちも伝わらない。
最初から、そんなものないのだから。
「大尉は僕を殺さない。誰も殺さない。
だから僕は、大尉のこと怖くないです」
ニアが語りかけているのは、昨日のニア。
全てを壊してしまうのではないかと恐れていた、真っ暗な部屋にいたニア。
だからわかる。
乗り越えるために必要なのは、一人になることじゃない。
「僕はこれからも大尉と一緒にいたいんです!
大尉はすごく部下思いだから、自分で背負おうとするけど…
僕たちだって荷物は持てます!」
必要なのは仲間の手。
温かく差し伸べて、痛みを分かち合ってくれるもの。
「アタシはアイツのこと、全然怖くない。
それどころか、わからなかったものが少し見えてきたような気さえする」
突然現れて、単刀直入に用件を伝えるダイ。
アーレイドはそれに目を丸くし、ハルは明るい笑顔を見せた。
「そっか、単独行動やめるんだ!良かった良かった!」
「しかし何故突然…?」
「わざわざ自分から危険に向かっていこうとする未熟な部下を、放っておけるわけないでしょう」
あのあと、ダイはニアにデコピンを一発食らわせた。
これでも怖くないのか?と言ったら、
怖くないです!と涙声で言っていた。
思わず笑ってしまった。
あまりにも子供で、必死で、だけど自分よりずっと強い。
もう少し見ていたくなった。
「ご安心ください。一度編成しなおしたものを崩すなんて手間はかけさせません」
「え、じゃあどうするの?」
「レガート中尉ら五人もまとめて叩きなおします。一度俺と組むの嫌がりましたからね、あいつら」
いつものダイだ。ハルは笑顔で頷くが、アーレイドは胃が痛い。
「従って昇進も遠征も当分いりません。部下も昇進させないようにお願いします」
まさかニアたちもこんな圧力がかかっているとは思うまい。
ダイが出て行った後、ハルは嬉しそうに言った。
「ねぇ、何がダイ君を元に戻してくれたのかな」
「さぁな…オレは不安要素が増えた気がする」
「アーレイドってば…」
アーレイドの胃以外は平和が戻った。
夕方、業務終了直前で、グレイヴは彼に気づいた。
「…あ」
「やぁ」
いつもの爽やかな笑顔が、清々しいほど癪だ。
だけど今日ばかりは無視するわけにもいかず、グレイヴはダイに近付いていった。
「何?」
「いや…言いたいことがあって」
「早く言いなさいよ」
相手がいつもの態度だから、こちらもいつも通りに。
それはちゃんと伝わっているようだ。
「グレイヴ、今日食事でもどうだい?」
「無理。今日はアタシがうちの食事当番なの」
「ブラックさんだって料理できるじゃないか」
「当番なんだからサボるわけにいかないわ」
「…仕方ないな、じゃあここで言うよ」
手が触れた。
いや、触れたなんてもんじゃない。
「ちょ…っ!いきなり何?!」
ダイに手をとられ、グレイヴは動揺する。
いつものグレイヴならここで蹴りをくらわせるところだが、今日は何故かできない。
それは、次の言葉のせいもあったから。
「ごめん。せっかく心配してくれてたのに、酷いことを言った」
言葉だけじゃない。
その瞳が真剣だった。
「…アタシも、ごめん。アンタの過去、勝手に…」
「いや、いいんだ。だって、グレイヴは俺のこと怖くないんだろ?」
この状態で微笑まれて、グレイヴの頬が赤く染まる。
窓から夕日が射しこんで、ごまかしてくれていた。
「こ…怖いわけないでしょ!アンタなんかよりずーっと怖いものなんていくらでもあるんだから!」
「へぇ、グレイヴも怖いものってあるんだな。じゃあ今度何が怖いか調べようか…」
「何言ってるのよ!やめなさいよね!」
いつものやりとり、いつもの関係。
壊れかけたものは修復すればいい。
それは難しいけれど、少しの勇気と気持ちでできること。
「大尉とグレイヴちゃんって仲良しだねー」
「ああいうのラブラブっていうんだよね」
「…違うと思うぞ、レヴィ」
「グレイヴちゃんはモテモテだなぁ…でも私の方が誰よりもグレイヴちゃんの事知ってるもんね」
陰から覗かれていることにも気づかない、楽しそうな二人がいた。
単独行動とるとかぬかしやがったんだってな。
殴るんなら殴れば?
殴らねぇよ。お前の好きにしろ。
…は?
どうせお前が何言ったって、ついてくる奴はついてくるんだ。
…来ないよ
いや、絶対来るぜ。つーかお前が放っておけないと思うかもな。賭けてもいい。
やめときなよ、勝負弱いくせに…。万が一父さんが勝ったら何でもいうこときいていいよ。
言ったな?約束破るんじゃねぇぞ。
「あーあ、何命令されるかな…」
To
be continued...