データなんかなくったって

証拠なんかなくったって

最後に呟く言葉はどうせ同じだったと思う

「あぁ、やっぱり」って。

 

アーシェがそこに辿り着いたのは、つい最近。

グレイヴが確信を持ったのもまた、同じ頃。

スタート地点はどちらも「十五年前の三月」だった。

「お父さんが西から、叔父さんが東からそれぞれ中央に配属された。

その時の書類で、叔父さんがしてしまったことは大体わかっちゃうのよね」

女の子らしい丸みのあるデザインのノートパソコンは、ディスプレイに文章を映し出す。

そのデザインに似つかわしくない言葉が並ぶ。

首謀者は殺害される。犯人は追い詰められ発砲しようとしたが、殺害される。肩から腹にかけて斬り殺される。

東方司令部管轄区域で起こった事件のいくつかは、こんな風に締めくくられていた。

「これ全部…父さんなんだね…」

改めて見ると、信じたくなくなる。

全部軍のでっち上げだと思いたくなる。

中央司令部に来る前のブラック・ダスクタイトが、何をしていたか。

それに関わるもの全てを、娘であるグレイヴは拒絶したかった。

けれども、昔からよくあった誘拐未遂や、以前あった事件はそうさせない。

彼女は自分の身を守るためにも、知らなければならなかった。

「父さんのしたことは…もっと前にあったことに起因してるの」

「うん。叔父さんが二歳の時の…あの事件ね」

アーシェが次のファイルを開く。

水商売の女が残酷な方法で殺される事件があった。三十二年前のことである。

被害者はブルニエ・ダスクタイト、そして、

「犯人はラインザー・ヘルゲイン…お父さんと叔父さんの父親で、私たちの祖父にあたる人」

その祖父は十五年前に死んだ。手をかけたのは息子たちだった。

「…私ね、また怖くなっちゃったの」

ファイルを閉じ、アーシェはこぼした。

「真実を知って意識してしまうことで、今度は私が誰かを傷つけてしまうんじゃないかって。

悪人だとか、そんなのは関係ないの。ただ…」

「アーシェ、もういい」

同じ言葉を二年前にも聞いた。

その時のアーシェの涙を、グレイヴは忘れることができなかった。

彼女を守ろうと思って、結局守りきれなかった。

アーシェのことを考えて、というよりも、自分の悔やみから彼女の言葉を遮った。

「…ごめん」

「なんでグレイヴちゃんが謝るの?」

「………」

行き着いた真実に、辿り着いた理由に、

彼女らは未だに困惑していた。

自分たちが求めたものなのに今更、と思う。

「情けないね…私」

「アタシもよ」

月は雲に隠れたまま、光を落とすことはない。

 

穏やかで、暖かくて、

だけどどこかぎこちない。

リーガル邸は時折このような雰囲気になる。

それは大抵ブラックが訪れている時だ。

実際全体は自然なもので、アルベルトとブラックの間だけに僅かな違和がある。

リアはそれを心配しながらも、いつも通りに行動する。

「リヒト、コーヒー持っていってくれる?」

「姉さんがいなくなってから僕の役目だね」

「そうね。アーシェも最近なかなか帰ってこないわよね…」

始めの頃はよく帰ってきて、一緒にお茶を楽しんだりした。

その度にリアは過去の自分を振り返り、もっと祖母や妹たちに会いに行けばよかったなと思った。

アーシェがいれば、夫と義弟の間の違和も少しは薄れた。

親としてこんなことを考えるのはいけないとは思うのだが、リヒトがあの二人に近付くと違和が一層強くなるように感じた。

リヒトのブラックに対する態度が、どことなくよそよそしいような感じがする。

気のせいだと思う。思いたい。もう家族が壊れてしまうのは見たくない。

「リアちゃん、元気がないわね」

「お義母さん…大丈夫です、私…」

「あの子達に一言言ってやればいいのよ。はっきりしろって」

アルベルトの母ハルマニエは、全てを知っている。

その上でこう言うのだ。

彼らも「その時」はきたのだと思っている。だけど踏み切れない。

リヒトはそれを敏感に感じ取っている。

解決策は一つしかなく、その結果起こることは大人たちがサポートするべきだ。

「本当のことをアーシェたちに言うにしても、言わないにしても、中途半端なままじゃ駄目よ。

じゃないとまた悲劇が起こるわ」

「…そうですね…」

だけど、踏み切らせるためにはどうしたらいい?

リアにできることは…

…あぁ、なんだ。さっき答えを貰ったじゃないか。

ただ、それを彼らのことだからと遠ざけてしまっていただけで。

「リヒト、おばあちゃんと一緒に二階に行っててくれない?」

マフィンを小さなかごにつめ、リヒトに渡す。

リヒトはかごを受け取り、黙り込んだ。

「…どうしたの?」

いつもなら、すぐに返事をするのに。

リアがしゃがみ、リヒトと目を合わせる。

すると、彼ははっきりと言った。

「母さん…僕はともかく、お祖母ちゃんはいた方がいいと思う」

そしてリアは、リヒトに感じていた違和の本当の正体を知る。

多分彼は知っているのだ。

感じ取っていただけじゃない。

「リヒト、あなた…」

「僕は二階に行っていたほうがいいならそうするけれど、お祖母ちゃんは当事者っていってもいい立場。

ちゃんと話し合って決めたほうがいいんじゃない?」

リヒトは内気なのだと思っていた。けれどもその認識は誤っていて、彼は気を使っていたのだった。

リアは彼を抱きしめる。自分たちが情けなくて、謝りたくて、よく頑張ったねと言いたくて。

「…僕は、どうしたらいい?」

「そうね…あなたが何をどのくらい知っているのかは、話したほうがいいかもしれない」

その光景をハルマニエは笑顔を浮かべて見ていた。

「明日は紅茶とコーヒーと…大きなアップルパイが必要ね」

そう呟いて。

 

アーシェの部屋の電話が鳴ったのは、そろそろ寝ようかと思った頃だった。

「リヒト?どうしたの、こんな時間に…」

『明日、帰ってこれる?』

ちょうどシャワーを借りていたグレイヴが戻ってくる。

「どうしたの?」

「あ、グレイヴちゃん…リヒトがね、明日帰ってこれるかって」

「アタシはどっちにしろ家に帰るんだから、アーシェが決めなきゃ駄目よ」

「わかってるけど…」

今実家に帰るのは、アーシェとしては気まずかった。

でもそれはきっとグレイヴも同じで、しかも彼女はもともと寮住まいではない。

「…わかったわ。明日帰るから、そう伝えて」

『グレイヴ姉さんも一緒に来て欲しい。父さんたちが、大事な話があるって』

その言葉は、二年前にも聞いた。

「大事な話」と言われ、あの時は何を聞いた?

グレイヴの名前が出てきて、「父さんたち」というくくりがあって。

それはつまり、

「リヒト…確認していいかな」

『何?』

「それって、私の入隊理由に関係すること?」

精一杯の遠まわし。けれどもリヒトは即座に答える。

『そうだよ』

その時がきた。

タイミングが良かった。

「グレイヴちゃん…」

「…覚悟はできてるわ」

全て終わったら、どうしよう。

泣くかもしれない。苦しいかもしれない。

だけど、それ以上に。

「もう、知らないふりはできないんだね…」

強くならなくてはならない。

真実を受け止め、それでも自分はここに生まれたのだと胸を張るために。

 

昨晩から部屋を空けていたオリビアが戻ってきてから、二人は出掛けた。

いや、この表現は本来ならおかしい。

「アーシェの家、久しぶりね」

「そうね。…私が帰らなかったから、なんだろうけど…」

あまり寝付けずに今日を迎えてしまった。

どのように事が語られるのか、

それを自分はどのように聴くのか。

「せめてニア君たちと話せればよかったんだけど…」

「ルーファとレヴィはニアの家に行ったんでしょ?」

「そうみたい」

「暢気なもんよね…」

ニアが兄になるのだとか、そういう話を聞いた。

自分たちの件もそういう嬉しい知らせだったら、どんなに良かったことか。

どうしようもないことだけれど。

「アーシェ、アタシがついてるから」

「…うん。私にはグレイヴちゃんがいるもんね。

グレイヴちゃんには大尉がいるし」

「何でアイツが出てくるのよ!」

それでもせめて、その時までは。

こうしていつものように笑っていたい。

その時が過ぎた後も。

 

大好きな匂いがした。

大好きな笑顔があった。

「おかえり、アーシェ」

「ただいま、お母さん」

「グレイヴちゃんもいらっしゃい」

「お邪魔します」

こんなに暖かいのに、一歩踏み出すたびに拍動が聞こえるような気がする。

体が震える。

「アーシェ」

「大丈夫」

暫く訪れることのなかった、自分の育った場所。

それが怖いなんて、馬鹿みたいだ。

アーシェはそう自分に言い聞かせる。何度も繰り返して。

居間に着くと、大好きな人たちがいる。

「アーシェ、グレイヴ、よく帰ってきたわね」

祖母が微笑む。

血のつながりがないのに、この人はグレイヴのことも孫として扱ってくれる。

昔は本当の祖母だと思っていたくらいだ。

「おばあちゃん、ただいま」

「ここはアタシの家じゃないけれど…一応、ただいま」

「あら、あなたたちは姉妹みたいなものじゃないの。そんなこと言わないで」

祖母との会話に区切りがつくころを見計らってか、ちょうどいいところで、

「お帰り、姉さん」

少年が現れた。

「リヒト、ただいま。いい子にしてた?」

「…子供じゃないんだから」

「子供でしょ、アンタは。もう少し年相応でもいいんじゃないの」

「グレイヴ姉さんだって人のこと言えないよ」

アーシェの弟、リヒト。グレイヴも数えて三人姉弟のように育ってきた。

一番末であるはずの彼がアーシェを、そして間接的にグレイヴをも軍に送り出すことになった。

事をよく知る一人でもある。

「父さんたちは今書斎にいるよ。戻ってくるまでお茶でも飲んでたら?」

「うん。お母さんのアップルパイ、久しぶりだもんね」

何の変哲もないリーガル邸。母、祖母、弟がいて、アーシェがいてグレイヴがいる、平和な光景。

けれども、拍動は周りに聞こえているのではないかというほど大きくなっていた。

「おいしい!やっぱりお母さんのアップルパイが一番好き!」

「そうね。伯母さん、今度教えてくれますか?」

「いいわよ。任せてちょうだい」

本当は味なんてわからない。いつもなら本当のことなのに、今日はどこか曖昧な言葉。

階段を下りてくる音が聞こえたときには、物を飲み込むことも難しくなり始める。

最後の一口もろくに味わえず、その姿を見た。

「お父さん…」

「おかえり、アーシェ」

穏やかに、そして辛そうに、

彼は微笑んだ。

 

慣れた居間なのに、他人の家のような感じがする。

これから始まることをわかっていて、落ち着けない。

それでも、

「ごめん、突然…」

その言葉に耳を傾けることを余儀なくされるのだ。

「でも、聞いて欲しい。…また辛い思いをさせるけれど」

アーシェは頷く。

グレイヴがその手をとって、正面を見つめる。

「まず、僕とブラックの昔の話から」

アルベルトは語る。

自分とブラックが兄弟でありながら、母親が違うこと。

その理由も、初めて出会ったときのことも。

「僕らは父親を追っていた。

その父親が、東方諸国連続殺人事件の犯人であるラインザー・ヘルゲイン」

はっきりとその名が告げられる。

調べて辿り着いた事が、全て正しかったことを確認する。

そのラインザーを葬ったのが、誰であったかも。

「殺したのはオレだ。…ずっとそれだけを目的として生きてきた」

ブラックが口を開く。

グレイヴは自分の父親から目を逸らさない。

「その前にも何人も殺した。全部犯人を親父と重ねてやったことだ。

そのせいでグレイヴを危険にさらすことになった」

グレイヴはいつか聞いた言葉を思い出す。

「人殺し」――自分を誘拐した彼らは、そう言っていた。

憎しみは連鎖する。本人にそのつもりがなくても。

「僕たちは父親を殺した。

父親と思いたくなかったけれど、あの人がいなければ僕らが存在しなかったのは確か。

僕らが殺人という罪を犯したということも事実」

アーシェの震えはいつの間にか止まっていた。

彼女は父の眼だけをまっすぐに見ていた。

あの日のように泣きたくないから。

長い沈黙が続いた。

短くて長い話は、全て語られたのだ。

誰もが口を閉ざす静寂。

それを破ったのは、アーシェだった。

「ずっと…背負ってきたんだね」

彼女が決心したのは一年前。

出口がわからず立ち止まるより、出口を探すことを選んだ。

そのために軍人になった。

「私はお父さんとお母さんの子供。これも揺ぎ無い事実。

私はこの家に生まれたこと、後悔なんかしないよ」

自分から真実を求めた。

手にしたものはとても恐ろしかった。

だけど全てを知ったとき、支えてくれる人がいた。

「アタシも、自分の生まれを恥じたりなんかしない。

父さんのした事は許されることじゃないけど、アタシは父さんの娘であることを誇りに思ってる」

グレイヴは二年前のアーシェを知っている。

あの泣いていた少女を知っている。

出口を探すものを助けたくて、その途中で自分の出口を探すことを決めた。

色々なものを見た。色々なことを聞いた。

そうして、今の自分がある。

「お父さん、話してくれてありがとう。

娘を信じてくれて…ありがとう」

そう思えるようになったのは、支えがあったから。

どんなに辛くても、次の日には忘れさせてくれる笑顔があったから。

だからここまで壊れずにこれた。

あの時よりも強くなることができた。

「父さんたち、知ってたんでしょう?アタシ達が調べてること」

「薄々は、な。確信を持ったのは昨日だ」

「昨日?」

「リヒトが全部話した。…散々責められた」

アーシェとグレイヴは顔を見合わせる。

また、リヒト。

アーシェを軍人にしたのもリヒトで、父らに全てを語らせたのもリヒト。

「子ども扱い…できないね」

「もっと年相応になるべきよ。

てことは、リヒトは先に全部知ってたのよね?」

「うん、僕とブラックが話してるのを聞いたらしい。

ずっと一人で抱え込んでたんだよ」

親失格だね、と苦笑するアルベルト。

アーシェとグレイヴは、自分たちは姉失格だと返す。

結局セッティングはいつもリヒトだったというわけだ。

「そこにいるんでしょう…出てきたら」

グレイヴの言葉に応じて、少年は戸の陰から姿を見せる。

「昔からかくれんぼは苦手だったな」

「グレイヴちゃんが鬼になると強いからね。

そんなことより、リヒト、」

アーシェはすっと席を立ち、

弟を優しく抱きしめた。

「ありがとう…私の弟でいてくれて」

彼がいなければ、きっと迷ったままだったから。

リヒトは姉にされるがまま、すこし頬を紅くする。

「僕は姉さんたちを助けたかった。それだけだよ」

「それが嬉しいの。ね、グレイヴちゃん」

グレイヴが笑みを浮かべて頷くと、リヒトはうつむく。

それが彼の最上級の照れ方。

 

もう怖くなかった。

また、みんなで笑い合えるいつもの日常に戻れる。

 

「姉さん、全部わかったんだし…もう良いよね?」

「何が?」

「軍、やめない?」

 

いつもの、日常に。

 

「え、リヒト…」

アーシェは考えていなかった。

それでもう軍にいる理由がなくなるなんて、思っていなかったから。

けれどもリヒトからしてみれば、それで全ておしまいなのだ。

姉が傷つきに行くことは、もう必要のないこと。

「この前、怪我した人とかいたんだよね。姉さんにはそんなことになって欲しくない。

だからもう軍は辞めて、うちに帰ってきて欲しい」

「でも、私…」

「アーシェ姉さんもグレイヴ姉さんも、これ以上辛い思いをして欲しくない。

僕が父さんたちに話したのは、姉さんたちに軍を辞めさせるためだ」

リヒトはずっと後悔していた。

アーシェに軍入隊を勧め、グレイヴがその後を追ってしまったことを。

結果、二人は軍で辛い目にあった。

リヒトは大切な人を守りたかった。でも、守れなかった。

全て自分のせいだと思った。

「もう辞めてよ…軍なんて、いつどうなるかわからないんだから」

だから今度こそ終わらせようと思った。

自分で幕を開けたのだから、幕を引くこともできるはず。

「そうだ…まだ全部じゃない。一つ残ってる。

終わらせなきゃいけないんだから、話さなきゃいけないよね」

リヒトの視線がブラックに向く。

その意味を、ブラックはわかっていた。

「あぁ…そうだな」

「ブラック、その話は」

「アルベルトは黙ってろ。これはオレの謝罪だ」

リヒトが求めているのは、もう一つの真実。

何故アルベルトがアーシェやリヒトを抱き上げることができないのか。

力の入らない不自由な右手の理由を語ること。

「オレは十五年前、アルベルトの右手を斬り落とした。

その後遺症で、今も力が入らない」

「ブラック、もういいから」

「オレの所為なんだ。…すまなかった」

このことだけは、知る術がなかった。

軍でも特に隠蔽されていた事件での出来事だったから。

アーシェもグレイヴも、さっきまでの全ての感情を忘れた。

「どう、いう…」

「違うんだよ、ブラックは僕を助けるために」

「もっと別の方法があったかもしれない。それを見つけられなかった」

あの温かな右手は、一度失われたものだったのだ。

実の弟の手によって。

「…リヒト、どうして言わせたの?」

アーシェは静かに問う。

「これで全部。…姉さんが軍で調べることは、もう何もなくなった」

リヒトは抑揚のない声で答える。

ぱん、と音が一つ響いた。

頬に手を伸ばすリヒトの目には、涙を浮かべたアーシェが映っていた。

「ねえさん…?」

「ごめんね、叩いて。

でも…それは違うの、リヒト」

確かに始めは調べるためだけだった。

だけど、今は違う。

「今のは…ちょっと余計な話だったと思います。

黙ってて良かったことだと思うんです」

アーシェはグレイヴの隣に戻る。

戸惑ったままの従姉に、目で謝った。

それから、

「私は軍に居続けようと思います。

仲間が大変なことになってるから、私は助けなきゃいけない。

助けてもらった分を返さなきゃいけないんです」

はっきりとそう言った。

「姉さん…」

「リヒト、今日のことが全部私に軍を辞めさせるためだとしたら、それは違う。

これは私が知りたいことだっただけ。

軍に関係はあるけれど…やっぱり、家族のことなの。

軍は軍で、私のやるべき事がまだあるの」

今までは、自分のために。

これからは、誰かのために。

アーシェがグレイヴに向くと、グレイヴもまた頷くのだった。

「アタシはもともとアーシェを守りたくて軍に入ったけど、それだけじゃなくなった。

もっと強くなりたいし、それで周りを助けられれば本望よ」

だから、まだ終わらない。

今日の出来事は、一つの区切りに過ぎない。

「ごめんね、リヒト。これからは暇を見て帰ってくるから」

「そうじゃない。そうじゃなくて、僕は」

「わかってるよ」

アーシェは手を伸ばし、リヒトの頭を撫でる。

昔よくしたように、優しく。

「信じてくれないかな。私は、もちろんグレイヴちゃんだって、絶対に無事で帰ってくる。

リヒトに会いに、元気に帰ってくるから」

アーシェの手にグレイヴの手が重なる。

「そういうことよ。アタシは実家通いだから来ようと思えばしょっちゅう来れるし。

アンタに寂しい思いはさせないわ」

ちゃんと年相応なんじゃない、と彼女は笑った。

リヒトは泣きも笑いもしなかった。

ただ、アーシェとグレイヴの服をしっかり握って、頷いた。

 

「実はね、ちょっと不安だったの」

リアがこっそりこぼした。

「だからハル君とカスケードさんに電話しちゃった。

…だめね、私って。結局あなたもアーシェも、リヒトだって支えられないのね」

その言葉を、アルベルトは遮ることなく聞いていた。

そして、返す。

「それは僕がリアさんを安心させることができなかったって事です。

心配かけて、すみません」

アーシェとグレイヴが、ビーズを繋げて遊んでいる。

リヒトはそれをじっと見ていた。

さっきまでのことなんて忘れたというような、楽しそうな笑顔。

「ただ…あの子達のことは、あまり心配しなくてもいいと思うんです。

もちろん僕らも支えになるべきですけど、もっとたくさんの支えがあの子たちにはありますから」

「…そうね」

昔の自分たちを思い出す。

支えあって、どんなことがあっても信じぬいた。

今、娘たちは同じことをしているのだろう。

仲間がいて、助けたいと思って。

「何て言ってました?ハル君と…大佐は」

「ハル君はカスケードさんに言った方が良いって。

カスケードさんはいつでも話を聞いてくれるって」

「僕も負けないようにしないとなぁ…。昔から何度リアさんをとられてしまうんじゃないかと思ったことか」

「そんなこと思ってたの?安心してください、私が恋愛対象として見たのはアルベルトさんだけでしたから」

アルベルトが顔を真っ赤にしたところで、ブラックが帰ってきた。

一時間ほど病院に行っていたのだ。

「リア、ちょっと手伝え」

「ブラック君、人に物を頼む態度じゃないわよ。お義姉さんって言って欲しいわ」

「お前の方が年下だろうが」

軽口を叩きあいながら、車椅子を押す。

家に入ってきたのは、一時的に退院が許されたスノーウィーだった。

「母さん!」

「グレイヴ、最近お見舞いがご無沙汰じゃないの。母さんどんなに寂しかったか」

「叔母さん、こんにちは!」

「アーシェちゃん、こんにちは。相変わらず可愛いわね」

人が揃い、和やかで賑やかになる。

とても平和な時間。

これがいつまでも続けばいい。

「話したんだって?」

スノーウィーがグレイヴの作ったビーズの輪をいじりながら言う。

「うん。全部聞いた」

「私も初めて聞いたときはびっくりしたけどね。

でも、ますます父さんが好きになったわ。意外とナイーブなのねって思って」

この笑顔をいつまで見れるかわからない。

グレイヴは母と別れなければならないそのときまでを守り抜こうと誓う。

軍人は、大切なものを守るためにあるべきだ。

以前ブラックが言っていた。受け売りだ、ということだが、一体誰の受け売りだったのだろう。

 

一つの区切りがついたあとの休息は、夕方まで続いた。

突然の電話にそれは崩されることになった。

「そんな…本当に?!」

新たなハジマリは、衝撃的な事件から。

「ニア君の叔母さんが刺されたって!」

「サクラ先生が?!」

彼女らは普通の女の子から軍人に戻ることを余儀なくされる。

それが選んだ道であり、進むべき道。

これからは、助けるための戦い。

「行こう、グレイヴちゃん」

「そうね」

 

たとえこの体に流れるのが罪の血でも、

産まれ、生きて、行動する理由を持てることを誇ろう。

そして、自分が誰かに支えられているように、

自分も誰かを支えられるようになろう。

 

「いってきます」

 

 

To be continued...