本来尉官などは触れることもできないはずの資料を手にする。
これは特権であると同時に、責任。
贖罪の為のプロセス。
「大総統閣下、ありがとうございました」
「ううん、そっちこそご苦労様。
薬物の詳しい情報については、あとで科学部に訊いてね」
さらには、防止のための策なのだ。
大総統室を後にしたダイの手には、新しい封筒があった。
去年から数えて、これで幾つになっただろう。
中身は危険薬物事件に関連する資料と、現在わかっている裏社会の動向についての資料。
本来なら佐官に渡されるレベルの、詳細に記述された書類の数々。
一年前の出来事の結果、それらは容易に手に入るようになった。
裏を返せば餌だ。これをやるからもう暴れるなよ、ということ。
大総統にそんなつもりはないが、そういうことにも繋がるのだ。
しかし、これはダイ本人が求めたことであり、そのことについて毒を吐くのはナンセンスだ。
にもかかわらず、数回理不尽に吐きつけたことがあるのはダイ自身も反省している。
容易に手に入るようになった理由はこれだけではない。前大総統とダイの養父のおかげでもある。
彼らが事情を解さなければ、多分今頃自分は軍人ではなかった。全てを悔やんだまま生きていたかもしれない。
今でも目的を追えることに感謝しなければならない。
それなのに先日、また短気を起こした。それを部下に収められたというのが少し悔しく、しかし嬉しくもある。
そういうわけでダイは機嫌がよかった。
グレイヴにいつも以上に絡んで、強烈な肘打ちをくらうほどに。
彼女にその肘打ちを教えたのが自分の養母だということを、彼は知らないのだが。
「グレイヴ」
そしてまた話しかける。当然睨まれるが、それでもダイは爽やかな笑顔を浮かべ続ける。
「…何よ」
「明日休みなんだって?俺とデートでも」
「アーシェと過ごす予定なの。誰がアンタと…」
後半が小声になる。彼女のそういう態度をダイはかわいいと思う。
それを言えばまた腹部に重い痛みがくるのだろうが。
「それは残念だな。どっちにしても俺は明日も仕事なんだけど」
「じゃあ真面目に仕事しなさいよ、この爽やか上司」
それは悪口なのだろうか。
今日もこんな風に話すことができる。
この日常を終わらせようとした自分が、愚かに思える。
グレイヴと別れ、ダイは事務室に向かう。これからはひたすらデスクワークだ。
それが一段落ついたら射撃場にでも行こうかなどと思っていたら、
「大尉」
後ろから声をかけられた。
「…珍しいな、声をかけてくるなんて」
空色と闇紫が、緊張した面持ちで立っていた。
きっと声をかけるだけでも、かなりの勇気を必要としたのだろう。
「で、何か用?」
「用があるのは大尉の方だと思うけど」
「相変わらず言葉遣いがなってないな、レガート中尉」
「…思いますけど」
笑顔の圧力。大抵のものはこれで屈してしまう。
ゲティスとパロットも、一年前に出会ったときからそうだった。
「何で俺がお前たちに用があるんだ?」
「新しい部下に話も何もなしって事はないと思…いまして」
ぎこちなく丁寧語を使うゲティスがなんだか面白い。
このまますぐにデスクワークというのも癪だったので、
「それもそうだな」
ダイは二人に第三休憩室へ行くよう命じた。
この時間なら使うものは多分いないはずだ。普段から自分と伍長組が占領しているようなものだし。
早足で話の場へ向かうダイ。それをゲティスとパロットは抜かすことの無いよう追った。
案の定休憩室に人はおらず、少し広い(施設内では狭い方)部屋で三人は机を囲んだ。
「新しい部下…といっても去年一度組んだしな。特に話すことはない」
ダイがいきなり話を始め、いきなり終わらせる。
しかし席を立たないということは、お前たちが言え、ということだ。
ゲティスはパロットと顔を見合わせた後、ダイに向き直る。
「この前、オレは一年前のことをグレイヴちゃんに話した。
そんで大尉は、単独行動をとろうとした。
これって話したオレが悪いんだよな」
敬語なし、省略箇所多数。話し方としては悪い例だ。
けれどもダイがため息をついたのは、そのせいではない。
「悪いと思ってるのか?」
「思ってる。オレは余計なことをした」
「それでどうするつもりだった?」
ダイの声のトーンは、軽くもなく重くもない。
その平坦さが逆に不気味だ。
「あ…謝ろうと」
「謝ってどうなるって事じゃない」
言葉を遮る台詞さえも、同じ調子。
「そう…だよな。そうですよね」
これ以上の言葉は、ゲティスには思いつかない。
話はそれで終わりか?とダイが眼で訊いてくる。
終わりにしてしまおうかとゲティスが思い始めたとき、
「何で、あんなこと?」
口を開いたのは、パロットだった。
「何で大尉、あんなこと?」
一年前の出来事は、腑に落ちない。
何故犯人に暴力を振るったのか、その理由が知りたい。
忘れようと思った。触れないようにしようと思った。
けれども、
「グレイヴ、話した。それ、大尉に何か伝えたかったから」
あの時彼女はそれを振り切った。
「話さなくていい。でも、パロたち疑問。
なかったことにしても、いい」
ダイはため息をつくことも目を逸らすこともせず、ただ沈黙していた。
パロットはしばらく彼と視線を合わせていたが、やがてわかった。
それが、「なかったことにした」という意味であることを。
自分たちに語るつもりはないのだ。
あの事件は「ダイの事件」であり、詳細を誰かに語る必要はない。
「…わかりました」
その一言で、漸く空気はやわらかくなった。
「ゲティス、行こう」
「え、でも…」
「話、おしまい。大尉、ありがとうございました」
「どういたしまして」
ゲティスの背中を押して部屋を去るパロットが見えなくなった後、
ダイは漸く、机に肘をついて、息を吐いた。
一年前、危険薬物取引の取り締まり任務で起こした事件。
犯人を追い詰め、瀕死の重傷を負わせた、あの時。
問題となった行為に至る直前のこと。
ダイは一人で先へ進み、その人物と出会ったのだった。
部屋に人質はいなかった。その男だけが残っていた。
「お前の顔は見たことがあるな」
男はそう言った。
ダイに覚えはなかった。
危険薬物製造者に顔見知りがいないわけではない。しかし、彼は知らない男だった。
「おい、お前の名前は何という?」
「…ダイ・ホワイトナイト」
向こうが自分を知っているということは、ここから何らかの情報を得られるかもしれない。
そう思い、名乗った。
もし名乗らなくとも、事件は起こっていただろう。
男は初めから言うつもりだったのだ。
「ホワイトナイト…そうか、マグダレーナの息子か。どうりで見たことあるわけだ。
あんなチビだったのが、相当でかくなったな」
過去における、自分の立場について。
「九年前、俺は薬を作っててな…
その実験台がユロウ・ホワイトナイトって奴だった」
彼はこれから自分がどうなるか、大方の予想はついていたのかもしれない。
寧ろ挑発して、これ以上ダイを裏に踏み込ませないようにすることが目的だったのかもしれない。
もしかすると、この流れも命令されてやったことだったかもしれない。
過去に今更「かもしれない」をつけたところで全く意味がないのだが、今でなければいつ考えることができただろう。
目の前の男を、ずっと殺したいと思っていた敵の一人だと認識した時、
ダイは全ての理性的な思考を断ち切ってしまっていた。
彼が薬を作っていた。実験台にユロウ――自分の弟が使われた。
その言葉を聞いただけで、すべきことは決まってしまった。
引き金は軽かった。思い通りに撃つことができた。
相手が倒れれば、ひたすらに蹴った。
死ね、死ね、死ね!
お前なんか死んでしまえ!
俺の弟を苦しめたお前なんか、死んで当然だ!
どうせ軍を潰すつもりだったなら、ここで殺すことはこの国にとっても好都合なのだ!
消えろ、消えろ、消えろ!
漸く一人殺すことができるんだ!
最も殺したいと思っていた奴ではないけれど、関わったのなら同じことだ。
このまま体中の血液という血液を全部吐き出し、死んでしまえばいい。
死んでしまえば…
「大尉!何やってるんすか!」
離せ!こいつを殺すんだ!
俺の大切なものを壊そうとしたこいつを殺さなければならないんだ!
復讐しなければならないんだ!
だんっ!
よみがえる記憶を、机を殴りつけることでおし止めた。
もう少し力があったなら、きっと机にひびが入っていただろう。
拳が痺れる。神経が脳に痛みを伝える。
「まだ…終わってない」
だから、話せない。
ダイの復讐は、まだ終わっていないのだ。
それどころか未だに首謀者には会えず、今も資料を読み漁る日々。
しかし時折、特に最近になって思うのだ。
復讐に何の意味があるのか、と。
復讐を遂げたとしても、ユロウの体に残る後遺症が治ることはない。
結局ダイ自身の自己満足にしかならない。
いや、満足するかどうかもわからない。
全てが終わったとき、得るのは一体なんなのだろう。
達成感か、それとも虚無感か。
一年前の事件の後に感じていたのは、なんだっただろう。
何を感じる間もなく、事情を聞いた養父に殴られた。
殴られたのは初めてだった。
それから、こう言われた。
「人を殺して苦しむのはお前自身だ」と。
そして語った。
自分たちは苦しむことを知っているから、ダイにはそんなことになって欲しくないのだと。
ダイはその時、昔あった悲しい事件の詳細を聞いたのだった。
しかしそれでも復讐を辞めようと思うことはできなかった。
最近復讐に疑問を感じるのは、きっとニアたちのせいなのだ。
彼らが入ってきてから、自分の中で何かが変わってきたような気がする。
接していくうちに、自分はこれでいいのだろうかと思うようになってきたのだ。
ふと思い出すのは、先日の出来事。
殺すなどと物騒な言葉を吐いた自分に、ニアがはっきりと言った。
「怖くないです」と。
あんなことがあっても自分を上司だと認めてくれる部下がいる。
それなのに、まだ復讐が目的なのだろうか。
「当然だろ…そのために軍人になったんだ」
呟いても、胸の辺りが何故か気持ち悪い。
もやもやとしたものが晴れない。
「ただいま」
一日の仕事を終え、漸く帰宅する。
とたとたと足音が聞こえ、笑顔の弟が現れる。
「お兄ちゃん、お帰り!」
いつものことだ。それまで感じていたもやもやも、一時だけ切れ間を見せる。
「ユロウ、今日の夕飯は?」
「今日はえびピラフだよ。お兄ちゃん、好きでしょ?」
「それはラッキーだな」
元気に笑うユロウだが、日中は日傘がないと外に出られない。
夏はほとんど屋内にいなければならず、天気の良くない日に漸く買い物にいける程度。
これが、過去に実験台となってしまったことの後遺症。
あのまま薬の投与が進められていれば、もっと酷くなっていた。
ユロウ自身は薬の事は知らず、ただ体が弱いからこうなのだと思っている。
養父母は去年の事件がきっかけで知ることになったが、ユロウ本人には何も告げていない。
このまま何も知らずに、ずっと幸せならいい。
ダイはそう願う反面、黒く渦巻くものを消せない。
いつか知ることとなるかもしれない。その時ユロウは悲しむだろうか。
去年のことだって、ユロウが知ったらどうなるかわからない。
喜ばないことは確かだ。
そこまでわかっているのに、どうして復讐を忘れることができないのだろう。
「ダイ、どうした?」
部屋に入ってからいつまでも出てこないダイを、養母が呼びにきた。
ダイは笑って首を横に振る。
「なんでもない。あ、ピラフはえび多めで」
考えていたことがばれないように。
「自分でやれよ…本当にディアに似てきたな」
「あんまり似てるって言わないで欲しいんだけど」
いつも通りの会話。大丈夫だ。
食事をとって、風呂に入って、さっさと寝てしまおう。
明日も仕事だ。伍長組は休みだが、尉官以上は働かなければならない。
気持ちを切り替えなければ。でなければまたゲティスやパロットが余計な心配をする。
見慣れたものの少ない職場はつまらない。
元々周囲からの評判があまり良いわけではないダイにとっては、今日のような日は退屈で仕方ない。
「大尉、お時間宜しいですか」
しかし今日は事情が違うらしい。
普段話しかけてくることなどない彼が、明らかな敵意を向けて立っている。
「…何だ」
「話があります。昼休み、中庭に来てください」
それだけを伝え、ドミナリオはさっさと行ってしまう。
確かエスト家のライバルはインフェリア家ではなかったか。
いつの間に自分に矛先が向いたのだろう。
「面倒だな…」
ダイはため息をつき、作業を再開した。
こんな日に敵視されると、あしらえない。
昼休みの予定は思いがけず埋まった。
何故あんな目で見られるのか、理由はわからない。
けれども聞いてみれば単純なこと。
その時間になり、その場所に来て、一言発する間もなく告げられた。
「ダスクタイト伍長にかまわないでいただけますか」
意外だ、と思った。
そんなことを言われる筋合いは…なくは、ない。
「グレイヴの父さんの教え子だったっけ、お前は」
恩師の娘に特別な想いでもあるのだろう。
その考えはすぐに肯定される。
「そうです。僕は先生の生徒であることを誇りに思ってます。
だからこそ、その娘である彼女を危険にさらすあなたが許せない」
恩師の娘だから、というだけじゃないらしい。
ドミナリオがあんじているのは「彼女」で、許せないのは「あなた」。
抱える想いが同じだとわかって、ダイは一瞬苦笑する。
「そうだな、俺も許せないよ」
「ふざけないでください」
「ふざけてなんかいない。
肝心な時に彼女を守れないくせに、いつも彼女の傍にいる俺が嫌いなんだろ?
俺もそう思ってたんだ」
睨まれる。
よくもそんなことが言えるな、と声に出さずぶつけてくる。
「…あなたは、彼女が誘拐された時何をしていましたか?」
「家にいた。連絡が来たのは事件解決後」
「彼女に過去を知られた時、何をしましたか?」
「怒鳴って追い出した」
「彼女を助けもせず、逆に傷つけて、それでも彼女の傍にいるんですか?」
「そういうことになるな」
「どうして彼女から離れないんだ!」
叫びに近い問い。
その答えを、ダイは持っていない。
本当なら、離れるべきなのだから。
自分が復讐を目的としている以上、これからも彼女を傷つけ続けるだろう。
危険にさらし、最悪の場合――。
「…どうしてかは、わからない」
けれども、彼女は言ってくれた。
「我侭にも俺は彼女から離れたくない。
お前の言うとおり、彼女を傷つけるばかりなのに」
彼女は「怖くない」と言ってくれた。
こんな自分を、多分…信じてくれている。
「お前は彼女を守りたい。だから俺に離れろと言う。
けれども俺も彼女を守りたい。だから…」
信じて言葉を交わしてくれる。
信じてそこにいてくれる。
「だから、今度こそ守るし、支える」
きっと、いや、絶対に。
矛盾が生じていることも承知の上で。
「…僕はあなたが嫌いだ」
「あぁ、俺も生意気なガキは嫌いだよ。
だけどお前の心意気には同意する」
「ふざけたことを…」
まだ迷っている。
けれども、絶対的な想いがある。
大切なものを守りたい。
それだけは、何があっても変わらない。
変えることができなかった。
少し前、養父に尋ねた。
「母さんのどこが好きになったの?」
ちょうど養母とユロウが買い物に出ていて、家には自分と養父しかいなかった。
「あぁ?何だよいきなり」
「ちょっと気になって。だって母さんって顔以外は父さんの好みとは違うような気がするし」
「あぁそうだな。胸はねぇし、反応は薄いし、すぐ攻撃してくるし…」
よくもそんなに言えるものだな、と思った。
本当に養母を愛しているのだろうか、この男は。
「でもよ」
しかし一瞬の疑問に、すぐに答えが返る。
「あいつは俺が壊すって決めたんだ。
他の誰にも傷つけさせねぇって、誓った」
それこそが二人の愛なんだなと、ダイは思った。
漠然とした考えだけれど。
「…でも父さんが壊すんだ?」
「そうだな。泣かすのは俺だから、お前はあいつ泣かすんじゃねぇぞ」
「わけわかんないよ、俺には…」
わからないけれど、そういうことなんだろう。
守り抜くことが愛し抜くこと。
そしてそれを養母は受け入れてきた。
養母自身も養父を愛し続けてきた。
「父さん」
「あ?」
「俺、好きな子いるんだよね」
「それくらい知ってる。
つーかお前がブラックのとこの娘に構う度に俺が文句言われてる」
「あ、やっぱりそうなんだ。」
「うるせぇんだよ、ブラックの奴…どういう教育してんだとか。
俺の教育じゃねぇっての」
「俺、父さんの教育受け入れないし」
「んだとコラ」
自分は守れるだろうか。
いや、守らなければならない。
もう傷つけたくない。
それはおそらく「大切な人がいる者」全てに共通しているんだろう。
何が何でも守り抜きたい人がいる。
だから、戦う。
「ホワイトナイト大尉、事件だ」
夕方、大総統補佐が告げたのは、インフェリア邸での事件だった。
サクラ・インフェリアが刺されて重傷を負った。
ニア、ルーファ、レヴィアンスがそこに居合わせていた。
犯人はイクタルミナット協会という、得体の知れない集団。
「…ニアたちは、無事なんですね?」
「あぁ」
「だったら明日から調査を開始します。その協会についての資料はありますか?」
「僅かだがな。…本来なら佐官を指揮とし、尉官以上に任せるが…」
「俺が指揮します。あいつらが納得しないでしょうし、伍長階級の調査参加を許可してください」
「…わかった」
戦わなければならない。
戦う理由があるから。
ダイの役目はそれを支え、共に戦い、
そして、守ることだ。
「何が何でも守り抜きますよ…絶対に」
守りたいのは彼女だけじゃない。
自分を信じて上司と認めてくれた、全ての者を。
銃弾の軌道を全く変えることは、まだできない。
けれども、外したくない狙いがある。
To
be continued...