村を抜け出し、初めて外の世界を見る。
今まで見ていたものがいかに小さかったか、街の灯りを見て実感した。
「パロット、疲れてないか?」
「…大丈夫」
日が沈んだ後も輝くレジーナ。
この国の首都というだけあって、大きな町だ。
「さて…ここまで来たは良いけど、今日はどこで寝る?」
辿り着くまで、ずっと野宿だった。
彼らの疲労もそろそろ限界だ。
今日くらいは布団で寝たい。
「ゲティス、どうしたい?」
「オレは…」
自分はともかく、せめてパロットには温かい寝床を。
ゲティスは旅の間、ずっとそう思い続けていた。
閉鎖的な村で二人は育った。
ゲティスは村の子として、パロットは裏切り者の子として。
対照的な二人は幼い頃に出会い、ずっと一緒にいる。
そしてとうとう、村を出た。
軍人になって、外から村を変えるために。
もう二度とパロットのような悲しい者を出さないように。
目指したのは首都レジーナ――この国の中心。
そこで軍人になるための試験を受けるつもりだった。
「ゲティス、本当に大丈夫?」
「大丈夫だって。オレもお前も一生懸命勉強したし、訓練もしただろ」
きっと合格するさ、とゲティスは笑う。
ちょうど空いていた安い宿で、二人は久しぶりに体を休めていた。
「他のヤツになんか負けないさ。とにかく寝ておこうぜ、パロット」
ここまで来たからにはもう安心だ。ゲティスはそう思っていた。
しかし、
「パロット・バースは死んだことになっているが…」
受付の時点で大きな壁が立ちはだかっていた。
村にとって「裏切り者」であるパロットは、文書上ではすでに「殺されている」。
死んだ者が試験を受けられるのだろうか。
「いや、パロットは村でそういうことになってるだけで、この通り生きてるんだよ!」
「しかし…」
戸惑う軍人に、ゲティスは必死で説明する。
けれども努力はむなしく、聞き届けられないというような趣旨の答えが返ってきた。
「仕方ないけど、軍のほうも裏切りが多くて警戒してるんだ」
ここでも「裏切り者」か。
ゲティスの中で何かが音をたてて切れた。
「なんだよ、どいつもこいつも!どうしてこうなんだよ!」
「ゲティス、やめて」
「何で当たり前の権利がパロットにはないんだよ!何でコイツは殺されちまったんだよ!」
「もういい、やめてゲティス」
パロットが抑えようとしても、ゲティスは叫び続ける。
ここまで来たのに。苦しい思いもしたのに。
なのに、どうして。
「どうした、何があった」
騒ぎを聞きつけ、誰かが軍人に声をかけた。
ゲティスはそれもお構いなしに叫ぶ。
「聞いてんのかよ!答えろよ!」
軍人はそれを気にしながら、訪れた者に敬礼した。
「大総統閣下…実は、その…」
一言目が出た時、それまで騒がしかった声がぴたりと止んだ。
ゲティスは聞き逃さなかったのだ。
「大総統」という、この国のトップを呼ぶ言葉を。
「だいそうとう…」
呟くと、大総統はゲティスたちを見た。
綺麗に澄んだ、海色の瞳。
「ん?試験のエントリーか?」
「そうらしいんですが、片方の少年は戸籍上では亡くなったことになっていまして…」
軍人が説明すると、大総統は腕を組んだ。
「片方ってどっちだ?」
「こちらの…名前はパロット・バースというそうです」
大総統の視線がパロットに向かう。
すると、慣れていないせいかパロットはゲティスの後ろに隠れてしまった。
「あぁ、悪い。怖かったか?」
「そうじゃなくて、パロットはオレ以外の人苦手なだけ」
「そうか」
ゲティスの言葉に頷き、大総統は笑った。
とても優しい笑顔。
「出身は?」
「セパル村だ」
それを聞いて表情を変えたのは、軍人の方だった。
「大総統閣下、やはり彼らの受験は…」
「ほら、受験届」
「閣下!」
大総統は笑顔のままで、ゲティスとパロットに用紙を渡した。
「頑張れよ。応援してる」
これが二人と、大総統カスケード・インフェリアとの出会いだった。
用紙に記入した後、ゲティスとパロットは宿に戻り、その場に残った軍人はカスケードに告げた。
「セパル村出身なんて、大総統の椅子を狙ってるってことじゃないですか。危険ですよ」
「危険かどうかは試験で判断する。出身地で人を決め付けるのはやめろ」
カスケードはそう言って去っていった。
昔から変わらない精神が、彼への信頼であり反感の元でもあった。
翌日の入隊試験で、ゲティスとパロットは好成績をおさめた。
自信はあったが、軍人になれるかどうかは別問題だ。
「あの村の出身だと…やっぱり落とされるんだろうか」
ゲティスもパロットも、村の事情は知っていた。
国をのっとるために軍に入り、強引な手段を使ってでも上に行こうとする。
全ては自分たちの尺度に国を合わせるため。
「パロット、軍人になれなかったら…オレたちどうする?」
今まで考えもしなかったことを、ゲティスから口にする。
パロットはそれだけで不安に満たされてしまう。
「やだ」
「うん、オレも嫌だよ」
もしだめだったら、村に戻るか。
いや、戻ればパロットはまた裏切り者扱いだ。今度こそ追放されるかもしれない。
「あの大総統…信用できるかな」
あの時見せてくれた笑顔が本物なら。
今日の試験を見て、実力を認めてくれたなら。
それを願うしかなかった。
「戻りたくないだろ、パロット」
「…うん」
固く手を繋いで目を閉じても、不安は消えない。
夜が明けても、互いになんとなく元気がないことがわかった。
もしだめだったときの保険として、
「パロット、仕事探しに行こう」
ゲティスはレジーナで働きながら暮らすことを考えていた。
「…仕事?」
「そう、次の試験までここに住むんだ。今回も次もダメだったら、諦めて働く方に専念しよう」
あの村には戻らない。
ゲティスはパロットを幸せにしたい一心で、その考えを曲げなかった。
しかし
「ゲティス…だめ」
「え?」
「諦めるなんて、だめ。村…変えたい。だから、軍人、なるんでしょ?」
パロットは最初の目的を忘れていなかった。
村の体制を変えるために、軍人になる。
つまり最終的にはあの村に戻るのだ。
「もし…だめなら、村帰ろう?」
「でもそれじゃパロットが!」
「パロは…いいよ。痛くても、我慢できる」
強がりを言うな、とゲティスは思う。
本当は辛いくせに。痛いのは大嫌いなくせに。
でも言い返せなかった。
「パロは、ゲティスと一緒なら大丈夫」
そう言って笑うから、パロットがあまりにも強いから、
言い返せなかった。
ゲティスが暫く俯いて黙っていると、パロットは顔を覗き込んできた。
「ゲティス?」
申し訳なさそうな表情。
パロットは何も悪くないのに。
こんなんじゃだめだ。
「…いってみよう」
ゲティスは顔を上げ、言った。
疑問符のついたパロットに、さらに告げた。
「大総統に訊きに行ってみよう。オレたちがどうなるのか」
「行くの?本当に?」
「あの人なら答えてくれそうな気がするんだ」
嘘を吐かれたら暴いてやる。そして村に帰ってから恨んでやる。
パロットの手を引いて、早足で宿を出た。
向かう先は中央司令部。
いきなり「大総統に会いたい」と言っても、会わせてはくれない。
それは当然のことなのだが、今のゲティスは納得しない。
「どうしても大事な用があるんだ!」
「閣下は忙しいんだ。大事な用なら伝えておくから…」
「それじゃ意味ないんだよ!」
困り果てた受付が、ゲティスとパロットをつまみ出そうかと考え始めた時、
「どうしたんですか?」
淡い赤紫の髪をみつあみにした青年が、受付に声をかけた。
穏やかで綺麗な笑顔が印象的だ。
「中将!あのですね、大総統閣下に面会したいという者たちが…」
「会わせてあげればいいじゃない」
そして彼はあっさりと受付の言葉をひっくり返すのだった。
にっこりと笑っているものだから、余計にたちが悪い。
「しかし閣下はお忙しいのでは…」
「さっき暇そうにあくびしてたよ。今ハイル中将が文句言いながら相手してる」
仕事ぎりぎりまでやらない人だから、と客の前で暴露する。
ゲティスとパロットは目を丸くして立ち尽くし、受付は影を背負って突っ伏した。
「というわけだから、大総統閣下のところに彼らを連れて行きます。
誤解のないように言いますと、これは疲れ果てているハイル中将の救済措置ですから」
伸ばされた色の白い手。導くのは微笑。
ゲティスとパロットは呆然としつつも、彼についていくことにした。
「中将なんだ?」
ゲティスが呟くように尋ねると、彼は頷く。
「そうだよ。ボクの名前はハル・スティーナ」
「スティーナ中将、大総統に会わしてくれんの?」
「うん。ボクの相方が大総統室で待ってるから、迎えに行かなくちゃいけないし」
遠慮も礼儀も欠いたゲティスの質問に、ハルは同じ表情で答えてくれる。
パロットの人見知りもいつもより激しくないようだ。
「さ、ここだよ。ちょっと待ってね、君たちが来た事言ってくるから」
大きな扉と、そこがどんな場所かを示すプレート。
間違いなく、そこは国のトップがいる部屋だった。
ハルが入っていったあと、廊下に残されたゲティスとパロットは緊張することを思い出した。
いや、パロットはずっと緊張していたのだが、ゲティスは完全に忘れていたのだ。
「この中に大総統がいるんだよな…」
「うん」
初めて会ったときは優しそうだったけれど、改めて会ったら全然別人になっているかも…。
そんな不安を抱きつつ、二人は扉を見つめていた。
暫くして扉が開き、ハルが顔を覗かせる。
「入ってきていいよ」
大きな扉の向こうに、恐る恐る踏み込むと…
「なんだ、この前の受験生か」
先日とちっとも変わらない、大総統カスケード・インフェリアがいた。
ゲティスはホッとして力を抜き、パロットはゲティスの後ろからそっと顔を出す。
「今日はどうした?」
「大総統に訊きたいことがあって」
「訊きたいことか。なんだ?」
カスケードは明るく笑っているが、その脇にいる軍人はむっとしていた。
バッジの色がハルと同じなので中将だろう。
ブロンドの髪を束ねている彼は、カスケードを不満気に見ていた。
それに気づいたパロットはゲティスの後ろに隠れてしまうが、ゲティスは特に気にしてはいないようで
「あのさ…」
話を切り出していた。
「オレたち、セパル村の出身だけど…試験に合格できてんの?」
しかもかなりストレートに。
なのに動じない。大総統も、中将二人も、全く動じずにゲティスたちを見ていた。
「そっか、あんなこと言われたら不安にもなるよな。判定は公平だし、出身で落とすようなことはまずないけど…」
「けど、なんだよ。今受かってるのかそうじゃないのかを確認させて欲しいんだけど」
「もしダメだったら?」
「もう一度受ける。何度でも受ける。村に帰らなきゃならないなら、また村から受けに来る」
即答するゲティスと、それに満足そうに頷くカスケード。
横でブロンド髪の中将が棚をあさる。探し物はすぐに見つかり、カスケードに手渡された。
「えーっと…ゲティス・レガートとパロット・バースだよな」
「…なんで名前がわかったんだ?」
「人の顔と名前を覚えるのは早いんだ。…お、あったあった」
それはおそらく試験結果についての書類だろう。
それを見て、カスケードがニッと笑う。
「寮にするか?下宿って手もあるけど…」
「は?」
それから一週間ほどして、新入隊員が軍に集まる。
大総統からバッジを受け取った者は、これから始まる新しい生活への期待に満ちていた。
そして、
「黄土色ってさー、なんか地味じゃないか?」
「派手が良い?」
「そういうわけじゃないけど…」
ゲティスとパロットも、たった今バッジを受け取った。
三等兵からのスタートだが、軍人になれたことには変わりない。
目的に一歩近付いた。
「ゲティス、何使うの?」
「オレは銃だな。パロットは?」
「部屋のビン…あの中身使う」
「あぁ、そういえば草漬けてたっけ」
「あれ、針に塗る。刺すと痺れる」
「…そういうことか」
喋りながら廊下を歩く二人を、遠くから大総統と中将二人が見ていた。
これからの期待をかけるように。
Fin