忘れようと思った。
あまりにも悲しい光景だったから。
中尉に昇進したばかりのゲティスと少尉のパロットは、ある任務に参加することになっていた。
その詳細が書かれた書類を、寮の部屋で声に出して読む。
「なになに…危険薬物取引の取り締まり?」
「村まるごと取引」
「…パロット、その言い方面白くて緊迫感無いぞ」
ある小さな村に危険薬物の製造者が集い、大規模な取引を展開させようとしている。
その情報が入ってすぐに軍は動き出し、明日は現地に向かう。
何班かに分かれるらしく、ゲティスたちの班もすでに決められていた。
「お、オレとパロットは同じ班だな。良かった」
「ゲティス、もう一人いる」
「ん?」
班はそのリーダー、つまり自分たちの先頭に立つ人物との三人構成だった。
パロットが指差したその名は、そこそこに知られるものだった。
「ホワイトナイト大尉?…この前大尉に昇進した、あの人か?」
「優秀?」
「そう、優秀で上からの風当たりが強いってさ。大総統に認められる実力らしい」
この人がリーダーかと思うと緊張する。
ゲティスは礼儀などというものが苦手なので、下手なことを言わないか不安だ。
パロットは口下手ではっきりとものを言いにくいことが不安。
しかし、
「まぁ、大総統と繋がり深いなら滅多なことできないだろうし、大したことないよな」
ゲティスの楽観的な発言で、パロットもホッとする。
上司についてほとんど何も知らない二人に待っている翌日が、どんなものかも知らないで。
任地はレジーナからそう遠くない、けれども平原を一つ越えたところにある小さな村。
相手に逃げられないよう私服で、他の班とまとまることのないように気をつけなければならない。
ゲティスとパロットの所属する班は出動が最後の方だった。
尉官ならば後に回されるのは仕方のないことなのだが、今回班長となる人物はそれに苛立っているようだった。
ゲティスとパロットに先ほどから威圧的な笑みを向けている、ダイ・ホワイトナイト大尉――彼が班長。
こんなリーダーに気軽に挨拶しようものなら、刺々しい返答をされて震えることになるだろう。
それを出会ってすぐに察してしまった二人は、自己紹介もろくにできないままうつむいて黙っていた。
「…時間だ」
ダイが呟き、車に乗り込む。ゲティスとパロットは後を追い、後部座席についた。
エンジンの音と少しずれて、運転席から声が聞こえた。
「何もしなくていいから」
突然の言葉が何のことだか、二人にはさっぱりだ。
顔を見合わせて首をかしげると、上司はもう一度言った。
「お前たちは何もしなくて良い。俺の邪魔だけはするな」
最初からこの台詞。全くあてにされていないどころか、邪魔者扱い。
これにはゲティスも納得がいかず、勇気を振り絞って尋ねた。
「どうして何もしなくて良いと?」
返答は溜息。心底呆れたような、いやな響き。
「俺の仕事だから、お前たちは手を出すな。…そういうことだ」
ダイは初めから単独行動をとるつもりだった。
彼にとって部下は余計な足枷であり、あって欲しくないものだったのだ。
ゲティスもパロットもそれを理解し、これ以上何も言えないことを悟った。
この班を作った作戦総指揮を心の中で恨むしかなかった。
出発からずっと沈黙を保つ車内。
何か言えばダイに睨まれるのではないかと思うと、ちょっとした会話もできない。
特にゲティスには喋れないという状況は辛い。
普段から無口なパロットに話しかけているため、それが当たり前になってしまっていた。
そろそろ我慢も限界、というところで、ザザッという音がした。
それが何を意味するのか、軍人である彼らには考えるまでもなくわかる。
音を混ぜながら聞こえてきたのは、
「ホワイトナイト班は待機だ。尉官に突入を任せるわけにはいかない」
未来あるものを守ろうとしての言葉だった。
走行中の車内に響く、無線の声。責任感の強い佐官からのもの。
ダイは応えなかった。言葉も、行動も。
車は運転手の感情を表すように呻った。
「うわっ」
「…っ!」
パロットがゲティスにしがみつく。
急激に上がったスピードに二人とも困惑し、
それから、思った。
この人は命令を無視するつもりなんだ。
前方を走っていた他の班を追い越す。
一台、二台、そして三台目に近付く。
「たっ…大尉!まずいっすよ!」
震えるパロットをしっかりと抱きながら、ゲティスは叫ぶ。
聞こえていないはずはない。
でも、聞いていなかった。
初めから聞くつもりなどないのだ。
「大尉ってば!」
それでもゲティスは声をあげる。
せめてスピードを緩めさせなければ、パロットが怖がる。
三台目を追い越す。周囲を見る余裕など、この車内の誰にもない。
銃声に車が激しく回転するまでは。
漸く景色が止まる。ゲティスのシャツに顔を埋めていたパロットは、恐る恐る離れる。
「…どうしたの?」
「今追い越した車…上官だったみたいだな」
小声で会話が交わされた直後、数人が車に近付いてきた。
見覚えのある顔は、少佐。
「ホワイトナイト、どういうことだ」
静かで重い問い。しかし、答えはない。
少佐の目がゲティスたちにも向くが、答えられるはずがなかった。
溜息が聞こえた。この後に続くのは、やはり降任の命令だろうか。
「後続の二台にも急ぐよう言ってください」
口を開いたのは少佐ではなく、ダイだった。
反省もなければ、言い訳もない。
彼は至極冷静に言った。
その言葉で少佐は何か気づいたのか、表情を呆れから真剣なものに変える。
素早くホワイトナイト班の車の無線を取り、全班に向けて告げた。
「目標はすでにこちらに気づいている!
包囲を固めろ!後続車両は砲撃に注意しろ!」
直後、爆音が響いた。
大型火器による攻撃は、ホワイトナイト班の後ろを走っていた車両の進行方向前方に命中。
ダイがスピードを上げずそのまま車を走らせていれば、確実に大怪我していた。
もしかすると命がなかったかもしれない。
「少佐、タイヤがパンクしてるんですが」
砲撃によってできた小規模のクレーターを呆然と眺めていた少佐は、ダイの言葉で我に返る。
「あ、あぁ…すまなかった。しかし待機班なら…」
「ここで待ってたら死にます。そのくらいの判断は子供にだってできますよ」
「む…では…」
少佐が全て言い終わる前に、ダイがゲティスとパロットに微笑みかける。
「少佐の車両に乗せていただけるそうだ。荷物を持って移動しろ」
さっさとしろ、という圧力を込めて。
少佐車両が現場に到着した時には、大半が軍によって身柄を確保されていた。
しかしまだ内部で戦っているものや、軍から逃れる方法を画策しているものが残っている。
そして、
「どうやら人質をとっているらしい。村人が十数名、あの建物に捕らわれているということだ」
相手の要求は軍の引き揚げだが、もちろん応じるわけにはいかない。
突入しようにも、包囲と確保に回しすぎて人手が足りない。
「ホワイトナイト大尉、君の班の待機は解除だ」
「でしょうね」
それを初めからわかっていたかのように、ダイは言う。
ゲティスは指示を仰ごうとしたが、パロットに止められた。
「また、邪魔って言われる」
彼は言っていた。
「俺の仕事だ」と。
「…だからって、黙って見てろってのかよ」
「上司の命令。パロたち、手は出せない」
「納得いかないな、オレは。班の待機が解除になったんなら、これはオレたちの仕事だ」
ゲティスはわかっていた。
先ほどのダイの乱暴な運転が、自分たちを救うものであったことを。
自分の身だけを守るなら、気づいた時点で車から降りればいい。
けれどもダイはそれをしなかった。
単なる足の確保なら、一人で他の車両に乗り込めばよかった。
でもそうしなかった。
「それにあの人だけじゃ人質の救出は無理だろ。あの人の攻撃形態、たしか遠距離型だし。
中距離のオレと近距離のパロットで、ちょうどバランス良いんだよ」
ゲティスがダイの方へ向かい、パロットは後を追った。
パロットにもわかっていた。ダイはただの意地悪い上司ではない。
だけどそれ以上に、もっと深い何かがある気がしてならなかった。
「俺の仕事」という言葉には意味がある。
そしてそれは自分たちが知るべきではないと、パロットは直感していた。
その直感はゲティスには届かない。
彼はダイという個人にではなく、上司に接しようとしている。
「大尉、オレたちはどうすればいいですか」
「待機」
「班の待機は解除されました。オレたちも動くべきです」
「建物の中にいる敵は軍とは違う意味で戦闘のプロだ。死ぬかもしれないのに行く気か?」
「オレだって軍人だ!そんな覚悟はとうにできてる!」
敬語も忘れて訴える。しかしダイは少しも表情を崩さない。
「レガート中尉はこう言っているが…バース少尉はどうだ?」
ゲティスの後ろにいたパロットに問う。
もう迷っている場合じゃなかった。
ダイがどのような人物であれ、任務にはあまり関係がない。
自分だって軍人なのだから。
「行きます」
強く言い切ると、ダイは二人に背を向けた。
「勝手にしろ」
ゴーサインは出た。
「了解!」
優先すべき目的は人質の救出。
余力があれば犯人を捕まえる。
ゲティスとパロットはそう考えていた。
それが命令でもあったから。
当然この時の彼らには、ダイの真の目的などわからない。
建物は何かの倉庫のようで、小さな部屋がいくつかあった。
他の数班と共に部屋を確認しつつ、時折襲い掛かる相手を倒す。
たしかに相手の見た目は戦闘のプロだった。少なくとも得物は。
しかし、それを扱いきれないならどうしようもない。
「…眠ってて」
パロットが素早く相手の背後に回り、その首筋に針を刺す。
彼の手製の麻酔針だ。
パロットだけではどうしようもない場合、ゲティスが応戦する。
ゲティスが相手を蹴り倒した後、パロットが麻酔針をうつ。
そのコンビネーションは他の班の者も認めてくれた。
ただ一人、ダイだけが見向きもしないようだった。
どんどん先へ進んで行き、他の者には一瞥もくれない。
その背中を見ながら、ゲティスはぽつりと呟く。
「パロット」
「何」
「大尉さ…何であの時」
しかし、全部言い終わらないうちに敵に遭遇する。
先ほどと同じように捌こうと、ゲティスとパロットは身構えた。
だが、今度は数が多かった。
今ここにいるメンバーの二倍以上。
「ゲティス、そっち!」
「頑張れよ、パロット!」
それぞれで相手をしようと分かれる。
相手の狙いがそれだと知らずに。
「!」
パロットに絡みついたのは、長い鎖。
身動きがとれず、針も使えない。
「パロ…ぐっ!」
それに気をとられたゲティスは、相手に腹部を強く殴られた。
よろめく体に、間髪入れずに入る拳。
他の者も自由を奪われていて、今動けるのはただ一人。
「おい、お前…その銃を捨てろ」
敵の一人がダイに告げる。
彼はそれに大人しく従い、ライフルを床に置いた。
「これで遠距離攻撃は不可能だな。お前たちは全滅ってわけだ」
先ほどからダイは一歩も動いていない。
ずっと銃の標準を合わせようとしていた。
つまり、これでもう戦う術はない。
誰もがそう思っていた。
「…確かに遠距離攻撃は不可能かもな」
ダイが不敵に笑うまでは。
「重い荷物を降ろさせてくれて、逆に助かったよ」
刹那、何があったのかそこにいる誰もが判別しかねた。
ただ、敵が重力に引っ張られて、体を床に預けた。
全ては心理作戦。
遠距離専門のふりをして、切り札を隠す。
どこに隠し持っていたのか、その手にはいつの間にかナイフが握られ、
敵の体には打撲と切り傷。
そこにいる者はただその光景を見つめるしかなく、
ちょっとした運動を終えたダイは再びライフルを手にし、先へ進む。
「パロット、大丈夫か?」
「ん…大尉、すごかった」
「…だな」
流石は大尉だ。けれども、もっと早く助けて欲しかった。
ゲティスがそう思ったのを読み取ったのか、
「油断させて、まとめてやっつける。大尉の作戦」
パロットはそう言って、かすかに笑った。
「わかってるよ…でもオレたちがやられることが前提の作戦なんて、納得いかない」
それだけが悔しい。
結局あの人は単独行動なのだ。
「行こうぜ、パロット」
「うん」
まだ敵はいる。人質も救出できていない。
ここからは絶対に気を抜かないと、心に決めた。
それからは幾分か順調だった。
人質も救出し始め、あともう少しでこの倉庫は制圧できる。
全員がそう思い始めた中、ダイの姿だけが見えなかった。
「大尉は?」
ゲティスの問いに答えられるものはいない。
ただ一人、行方が知れない。
「オレちょっと捜してくる」
「人質、先。大尉、すぐ来る」
「まぁ、そうだよな…」
パロットに止められ、ゲティスが人質を外へ誘導しようとした、その時。
銃声が数発。
そう遠くない場所から聞こえた。
「…今の…」
パロットが呟いた直後、ゲティスは走り出した。
音のした方へ、猛スピードで駆けていく。
「ゲティス?!」
パロットもそれを追い、走る。
いやな予感がしていた。
ただ相手が威嚇したというだけならいいのだが、それで済まない気がした。
一つわかったのは、そこにダイがいるということ。
奥の部屋を目指して、廊下を駆け抜ける。
ドアの取っ手に手を伸ばし、届き、しっかりと握りしめ、
その光景を、
その声を、
その臭いを、
その冷たさを、
その身に感じた。
「…たいい…?」
違う、そんなはずはない。
そんなことあってはならないのだ。
しかしそれは現実。
彼は床に倒れた血まみれの男を、
蹴って、蹴って、蹴って。
うめき声など全く無視して、
ただひたすらに殺意だけを向けていた。
「た…大尉!」
そこで我に返ることができたのが自分でも信じられなかった。
ゲティスはダイを止めようと、その体に組み付く。
「大尉!何やってるんすか!」
その言葉に反応して、ダイが振り向く。
パロットははっきり見た。
ゲティスも、見た。
ダイの眼は理性を失っていて、獣のようで、
しかし少しも輝いておらず、底なし沼のように真っ暗だった。
「どうした、何があった?!」
他の班の者が呼んだのか、上官が駆けつけて来た。
その後は、ゲティスもパロットもよく覚えていない。
任務は成功ということになっている。
危険薬物に関わる多くの者を逮捕できたという点では、確かに大成功なのだ。
けれども、ゲティスとパロットにとっては後味の悪いものだった。
任務から戻ってきて一週間後、噂を聞いた。
「ホワイトナイト大尉の処分、決まったらしいな」
「…パロも聞いた」
二ヶ月の謹慎と、昇進をかなり遅らせることで決着がついた。
人を一人瀕死に追い込んだ割には、とても軽い処分。
大総統ハル・スティーナの思惑はゲティスたちにはわからない。
だけどそれ以上に、何がダイをあんな行動に走らせたのかがわからなかった。
「危険薬物関連にさ、…執着してるらしいんだ」
今回の任務を通して聞いたことだ。しかし、あそこまでするほどの強い執着だ。
彼に何があったのか、自分たちには知る由もない。
それから彼と組むことはなく、すれ違って挨拶をしても気づかないふりをされた。
「…なぁ、パロット」
「わかってる」
忘れよう。あの時のことは、もう口にしない。
あんなに悲しい光景は、二度と思い出したくない。
時折脳裏によみがえっても、それは夢だったのだと言い聞かせた。
それなのに、運命は残酷で。
思い出して語る日は、再び来てしまう。
「このことは、忘れてくれないかな…」
そうは言ったが、おそらく彼女は忘れることはないだろう。
自分たちと、同じに。
だけどそのことが新たな始まりになるとは、全く予想していなかった。
できるはずもなかった。
「君たちは今日からホワイトナイト大尉のもとで仕事してもらう。
それじゃ、頑張ってね」
大総統の思惑は、相変わらず計り知れない。
あとは、これからの話。
Fin