仕事が終わってから、練兵場で昼間の続きをした。

くたくたになって外に出ると、満天の星空だった。

「あんなにすごい雨だったのにね」

「そうだな」

いつまでも、この綺麗な空を眺めていられたら。

その願いは遠く、儚かった。

 

いつもと同じように、あまり期待せずに郵便受けに手を突っ込む。

けれども手が何かに触れて、紙でできた四角いものを取り出す。

宛名はルーファ・シーケンス。送り主は不明。

そのまま放置するわけにも、読まずに破り捨ててしまうわけにもいかず、仕方なく部屋に持って帰る。

「ルー、それ何?」

真っ先に気づいたのはニアだった。

わからない、と答えようとしたが、

「ラブレターだったりしてね。ルーファはモテそうだしー」

レヴィアンスがそう言って茶化すので、これを小突いてから。

「そんなわけ無いだろ。大体誰がそんなもの送るっていうんだよ」

「んー…可能性がありそうなのは…」

「レヴィってば…」

ニアがたしなめようとしているが、その表情は楽しそうだ。

そんなものなら良かった。

照れて、からかわれて、しばらく話のネタになるくらいなら。

部屋で封筒を開けて、裏切られたような気がした。

「………」

短い文章だった。

簡潔に、用件だけが記されている。

けれどもその数行は、ルーファを縛りつけるには十分なものだった。

「どうしたの?ルー」

「いや…」

なんでもない、わけはない。

そうでなければ、こんな険しい表情はしない。

ニアが隣に座って、顔を覗き込む。

「どうしたの?」

もう一度。

ゆっくりと息を吐き、できるだけ動揺を鎮めて答えた。

「さっきの手紙、俺の本当の両親を知ってるって人からだった」

ニアが息を呑んだのがわかった。

ルーファ自身も信じられない。

名も無い差出人は、小さな子供を孤児院に預けた匿名の人物を知っている。

しかも詳しいことを知りたければ、と電話番号を書いていた。

時計だけが、音を響かせる。

しばしの沈黙は、手紙の内容を一層意識させる。

ルーファは生みの親の顔を覚えていない。

生まれて一年経たないうちに孤児院に預けられ、四歳でシーケンス家の養子になった。

親として意識できるのは、育ててくれたグレンとカイだ。

今更「本当の両親」なんて、実感がわかない。

だけど、興味がないわけではない。

「電話、してみようかな…」

ポツリと呟く。

すぐにごまかすつもりだった。

「僕は、あんまり賛成できない」

ニアがこう言うまでは。

「ニア…?」

「どうやってルーのことを知ったのかとか、書いてあったの?」

彼は真剣に問いかけていた。

気軽な答えを期待していたのに、それは得られそうに無い。

「…書いてない、けど」

「だったら用心した方がいいと思う…何があるかわからないし」

「何」って、何だよ?

そう聞き返すこともできないほど、その表情が…

「…わかった」

手紙を封筒に戻し、机の引き出しへ。

「夕食にするか」

ニアに笑いかけると、ちゃんと同じように返してくれた。

ホッとしながら思い出す。

彼が自らの罪に傷ついたあの日の表情を。

 

だから、ニアが寝てからこっそりと。

布団を抜け、部屋を出て、外の公衆電話まで走った。

意識すると、知りたくなってしまった。

自分の本当の親が何者で、何故自分を置いていったのか。

今日までその顔を思い出せずに過ごすことになってしまった、その原因がわかるのなら。

それに、

「これは俺のことだ。ニアには…」

最後まで口にすることはできない。どうしてもあの表情を思い出すから。

けれども、思ってしまった。

震える手でボタンを押す。

指定された番号を、間違えないよう、順番に。

受話器から聞こえる音に、心臓が過剰に反応する。

一回、二回、

『お待ちしておりました』

三回目のコール音を待たずに、知らない声が言った。

『やはり電話してきましたね、ルーファ君』

どうしてわかったのかなんて、今は些細なことだった。

声を絞り出す。

「誰…ですか…?」

拍動の音が、自分の身体を越えて外に響いているようだ。

やましいことは無い。無いはずだ。

ただ、自分のことを知ろうとしているだけ。

『貴方のお父さんの仲間だった…ではいけませんか?』

「それじゃ曖昧すぎます。名前を聞かなければ信用できません」

『しかし貴方はご両親のことを知りたいのでしょう?

私の名前は目的ではない』

用心した方がいい、という言葉を、今更反芻する。

 

誰かが、呼んでいる。

それはきっと自分の名前で、この後に続く言葉は知っている。

謝罪と別れは、何を意味していたのか。

ただ単に、置いていくことに対してだけじゃなくて…

「ルー、起きてよ!」

「…ニア?」

夢の中で響いていたのは、ニアの声だったのか。

時計がいつもより進んでいる…のではなく、どうやら寝坊したらしい。

「ルーらしくないよ。いっつも僕が起こされる方なのに…」

文句を言いながらも、ニアの顔はちょっと嬉しそうだ。

立場は逆転しているけれど、いつもと変わらない朝。

昨夜のことなんて無かったみたいに。

…みたい、に。

「…ニア、俺…今日は休む」

「え、何で?具合悪いの?」

「そうなんだ。だから…」

あの声は、夢じゃない。

あの光景は、現実だった。

ほとんど覚えていないはずなのに、あんなにはっきりと見えた。

どうしてそうなったのか、その理由まで。

「朝ごはんは?」

「あとでセレスさんに頼む」

「そう…」

ニアの心配が痛い。

それが嘘に向けられているから。

「じゃあ、僕…」

ドアに手をかけようとして、

「ニア?」

彼は、止まった。

数秒の沈黙が重くて、取り繕わなければならないような気がして、

「早く行かないと、遅刻するぞ?」

あがいてはみたけれど。

「僕、用心した方が良いって言ったよね?」

全部、無駄だった。

ニアは最初からわかっていた。

「裏とか協会とか色々危ないのに、何で隠れて電話したの?ルーらしくない」

「ニアには関係ないだろ…俺のことなんだから」

「もしものことがあったらどうするの?!罠だったりしたら」

「ニアにはわかんないだろ!!」

何もかもわかっているなら、もうごまかす必要は無い。

ごまかしたところで、どうなるってわけでもない。

「ニアは本当の親が誰だか知ってて、ずっと一緒にいられたじゃないか!

しかも前大総統だから、何も悩む必要なんか無いよな!」

溢れるものは止められない。止める方法がわからない。

「ニアに俺のことなんかわかんないんだよ!

本当の親を知らなくて、………っ!」

ばたん、と。

言葉が出ないまま遮られた。

痛いほど握り締めた拳は、どこにもぶつけられることなく解かれる。

頭の中に声が響く。あの無機質な声が。

「貴方の親は暗殺者です」と。

 

初めに気づいたのはアーシェだった。

寮から出てくるニアが一人だったから、すぐに何かあったんだと思った。

「おはよ、ニア君」

「あ…おはよう」

元気が無い。いつもなら、もっと明るく笑って返してくれるのに。

「ねぇ、ルーファ君は?」

「ルーは…えっと…」

「おっはよーっ!置いてかないでよニアぁ!」

いつもの調子でレヴィアンスが飛び込んできて、ニアがまた笑顔を見せる。

だけど、やっぱり普段とは違う。

「あれ、ルーファは?先行ったの?」

「あ、ルーはね…具合悪いから、休むって…」

歯切れの悪い言葉。

心配からなのか、それともまだ理由があるのか。

「そっか…ルーファ君、風邪でも引いちゃったのかな?」

「後でお見舞いにでも行くよ。いいよね?ニア」

「…うん」

これ以上訊くことはできないまま、今日の仕事が始まる。

ニアはずっとこの調子で、何度か叱られていた。

すみません、と謝る言葉もどこか虚ろ。

ルーファとの間に、それともルーファの身に何かあったとしか…

「おかしいよね、ニア」

「レヴィ君」

作業の合間に、レヴィアンスがアーシェの隣でそう言った。

今朝はただルーファが休みだから落ち込んでいるのかと思ったが、ここまでくるとそうとは思えない。

レヴィアンスも同じことを感じていた。

「よく考えてみればルーファが休むのもおかしいんだよ」

「え…どうして?」

「だってさ、最近のルーファって…ニアのことばっかりだったし」

つまり、それは。

言葉に出さずとも、アーシェにもわかってしまった。

考え得る可能性の一つは、多分確実なのだろう。

何かあって、来られなくなった。

ニアはそれを心配している。

仮定としてはきっと十分。

「レヴィ君、どうしよう?」

「ん…今は何とも。念のためお母さんに言っておくよ。それから」

手を止めて、一拍おいて。

向こう側で俯くダークブルーを見ながら、彼はぽつりと口にした。

「アーシェも気をつけて」

起こった「何か」が協会や裏に関係があるなら、自分たちにもいつ訪れるのかわからない。

 

あんなに感情をぶつけられたのは初めてだった。

ルーファはいつも冷静で、落ち着いていて、伍長組のお兄さんだった。

家族については、そんな振る舞いを忘れるくらい大きなことだったんだろう。

ニアには実の両親がいる。でもルーファは養子で、実の親の顔なんて覚えていないという。

それを考えずに、自分はなんてことを言ってしまったんだろう。

ルーファにとってはチャンスだった。本当のことがわかるかもしれなかったんだから。

なのに自分はそれを非難した。きっとルーファを傷つけた。

いや、ルーファは多分何かに傷ついていた。でなければ休むなんて言わない。

でも結局は同じだ。その傷を抉ったのは…ニアなのだから。

「…どうしよう」

「何がだ」

「?!」

声に驚き、勢いよく振り向く。

何でこの人は、気がついたら後ろにいるんだろう。

「大尉」

「さっきからちっとも片付いていないな。何かあったか?」

「………」

おそらく、ずっと見ていたんだろう。

当然だ。今目の前にある仕事は、ダイに頼まれたものなのだから。

「ルーファがいないからか?…あいつが体調不良で休むなんて珍しいな」

普段から体調管理はきちんとしていると思ったのに、と、何故か笑みを浮かべて彼は言う。

表情なんてどうでもいい。気になったのは、台詞の方。

「大尉は…ルーのことよくわかってるんですね。僕は全然わかんないや…」

「は?お前ずっとルーファと一緒にいるだろう。お前の方がわかってるんじゃないのか」

「わかってなかった。僕はルーのことなんて…少しもわかってなかったんです」

わかっているつもりでいた。ずっと一緒にいたから。

でも本当は、何一つとして理解していなかった。境遇も、想いも。

わかっていなきゃならなかったのに。

泣きそうになるのを必死で堪えて、下を向いて黙って。

そうしている少しの間の後、正面の男はとんでもないことを言った。

「ルーファに虐められたのか?あいつも陰険だな」

さらりと、そんな酷いことを。

「な…っ、ルーはそんなんじゃないです!虐めるなんてことしません!」

反射的に言葉が出た。

だって、そんな人じゃないから。いつも優しくて、頼りになって、陰険なんて言葉は絶対似合わない。

友達を虐めるなんてことは、するわけがないんだ。

「そんなこと言ったら、大尉でも許さないです!」

「はいはい、わかった。もう言わない。…まったく、怒るとカスケードさんみたいだな」

怖い怖いと言いながらも、ダイは笑っていた。

馬鹿にするような嗤いじゃない。本当に穏やかな笑み。

「ニアの方がわかってるじゃないか、やっぱり」

そうして背を向ける。

早く片付けとけよ、と手を振って。

「…大尉…」

あぁ、今のはわざとだったんだ。

でもそれを言ったらきっと、もっと酷いことを言うんだろうな。そんなこと思ってもいないくせに。

ほんの少しだけ心が軽くなる。

その微量の余裕が、ニアに勇気をくれた。

「レヴィ」

「んー、なぁにー?」

「あとで…ちょっと話聞いてくれないかな」

 

樹齢はどのくらいになるだろう。ここで起こった色々な出来事を、ずっと見守ってきたのだ。

そんな中庭の大木には、いつもの姿が無い。

「で、話って何さ?こういうとこに呼び出されるなら、相手は女の子が良かったなぁー」

「レヴィってばぁ…」

レヴィアンスが茶化すが、それが気を使ってのことだとニアにはわかっていた。

だから、こっちも少し導入を入れることにした。この雰囲気を急には壊したくない。

「ここで、初めてルーと会ったんだ。ルーが木から降りてきて、お互いに名前を言って。

そうして僕たちは友達になった」

「へぇ…色んなことがあるんだね、この木。ルーファのお母さんもよく登ってたんだってさ」

「じゃあルーが木に登るのはお母さん譲りなんだ」

この場所が好きだ。

思い出の場所だし、何より勇気をくれるから。

これまでの様々なことを耐え忍んできたこの木から、力を分けてもらえるような気がしたから。

「…あのね、レヴィ」

「ルーファのことでしょ?」

もう、わかってくれていた。いや、わからない方が不思議なんだろう。

レヴィアンスだけじゃない。きっとアーシェやダイだって。

「実は…ね、ルーは具合悪いんじゃなくって、その…」

言葉を選びながら、拙く話す。

昨日届いていた手紙のこと、ルーファのとった行動のこと、

そして、今朝のこと。

傷つけたかもしれない。傷を抉ったかもしれない。

何もわかっていなかった自分を、許してもらえるなんて思えない。

許してもらおうなんて、思わない。

「…ルーファの気持ち、わからなくもないけどね。ボクも本当の親のことなんて知らないし」

レヴィアンスもまた養子で、生みの親の顔を覚えていない。

話すときは慎重に言葉を選んだつもりだった。

「ニアはルーファが危険な目に遭うのが嫌だったんだよね。

でもルーファは本当のことを知りたくなった」

「知りたくなるのは当然だよね…」

「まぁね。ボクだって同じことがあったら同じ行動をとるかもしれない。

…でも、ボクを育ててくれたのは今の親だって事実は変わらない」

だからあんまり意味があることじゃないなぁ、とレヴィアンスは言う。

でも、それなら、ルーファのあの態度は。

「人それぞれだと思うけど…でもボクは何か腑に落ちないなぁ。

ルーファだったらちゃんと気持ち切り替えられると思う」

だとすれば、よほどショックだったのか。

告げられた言葉が、それほど重いものだったのか。

それをわからずにあんなことを言ったなら、やはりニア自身にも罪はある。

「あ、ニアはあんまり自分を責めないようにね。

ボクたちは軍人だけど、子供なんだから。こんなことだってあるよ」

今まで無かった方がおかしいくらい。

だから気に病むことなんてないんだよ。

レヴィアンスの言葉が、勇気を出してよかったと思わせてくれる。

今まで我慢していた涙が、頬を流れた。

「あとでルーファに謝ればいいと思うよ。そしたらルーファも謝る。

それでいったん解決、あとはルーファの気持ち次第」

「そう…かな」

「そうそう。でももしものことがあるから、お母さんには報告しとく。

それとこの話、ルーファの家族には言っちゃだめだからね!」

背の低いレヴィアンスが、とても大きく見える。

出会ってから数ヶ月で、こんなにも成長していたんだ。

「レヴィは…すごいね。同い年なのに、ずっと大人に見える」

「ん?…あー、本当の親がどうこうっていうのは、ずっと前に通った道だから。

それでもあえてニアを落ち込ませるとしたら…」

「?」

レヴィアンスはとてとてと寄ってきて、ニアの耳に顔を近づける。

にやりと笑って、

「ボク、実はニアより二歳年下なんだよね」

衝撃の事実を告げた。

「ええぇえぇぇえぇ?!」

「声が大きい!…今のとこ知ってるのはアーシェとニアだけ。他には内緒だよ」

「で、でも大総統…」

「お母さんはそれを承知でボクを軍人にしてる。…まるで大きな事件が起こるのを予想してたみたいに」

目を丸くして口をパクパクさせているニアを、レヴィアンスは面白そうに眺める。

もう少しこのリアクションを楽しみたかったが、

「レヴィ」

名前を呼ばれて、その時間は終わってしまう。

「…あ」

「大総統さん」

渡り廊下から歩いてくるのは、ハルだった。

レヴィアンスが駆け寄っていき、ハルは立ち止まる。

「何?」

「ちょっと急ぎの用事があるんだけど…」

「りょうかーい。そういうわけだから、後でねニア」

「うん」

ハルについて行ってしまうレヴィアンスの後姿に、

「ありがとう、レヴィ!」

ニアは大きな声で投げかける。

それに応えるように手を振って、レヴィアンスは建物の中に消えていった。

一人になった中庭で木を見上げると、光がこぼれて綺麗だった。

「…あれ」

木の葉の影を見て、何か違和感に気づく。

それが何なのかは、よくわからなかった。

 

第三会議室は第一第二に比べると狭いのだが、二人という人数には広すぎる。

盗聴防止のため何年か前に防音が強化され、今では声が洩れるということはまずない。

「急に呼び出してごめんね」

ハルは申し訳なさそうに笑う。

「うん、大丈夫だよ」

靴を気にするようなそぶりを見せながら、レヴィアンスはできるだけドアに近い位置で止まる。

腰の辺りに触れ、そこにあるものを確認してから

「君が本物の大総統ならね」

ハルを睨みつけた。

睨まれた方は笑顔を崩さない。

「…どうしてそう言うの?」

「軍施設内では、お母さんはボクをハイル伍長って呼ぶんだ。ちゃんとけじめをつけないと駄目だからって。

その辺調査不足だったんじゃない?」

さっき確認したダガーの柄を握り締め、足はすぐに動ける形に。

「君、誰?」

目の前の笑顔が、歪む。

顔はハルだが、ハルならば絶対にこんな表情はしない。

「確かに調査不足だ…後で調査員を叱っておこう」

「なんだ、自分で調査したんじゃないんだ。駄目だよ、人任せは」

「そうだね、覚えておくよ。…でも、わかっていたのにどうしてついてきた?」

「他の人を巻き込みたくなかったから。それくらいは心得てるよ」

目的は何?

いつでも跳べるように、でもドアからは遠ざからないように。

これからの行動を頭の中でシミュレーションしながら、相手から視線を逸らさずに。

「別に戦おうって訳じゃない。今日は君に話があってきたんだよ、レヴィアンス君」

「話?聞いてもいいけど、大総統閣下の真似はやめて欲しいなぁ」

「変装は解くなって命令で、できないんだ。…でも自己紹介はしておこう」

それはハルの形のまま、全くの別人を告げた。

「イクタルミナット協会のものです。…君の血脈に非常に興味があり、参上しました」

会議で名前が出た、あの団体。

目の前でニアの叔母を刺した、あの――

「悪いけど、こっちは興味ないよ。大体血脈って何さ」

「イクタルミナット協会は血筋に現れる力を重要とする。

君は素晴らしい血を持っている。大総統の血を…ね」

それでニアは狙われたのか。でも、それなら。

「ボクは関係ないよ。大総統の実子じゃないんだから。

その辺も調査不足だね」

レヴィアンスが狙われる謂れは無い。

血は繋がっていない。力など現れるはずも無い。

「いや、これは十分に調査したよ」

しかし相手は笑う。…いや、嗤っていた。

何も知らないんだね、というように。

「君は大総統の血を持っている。…初代大総統の血を」

「…はぁ?」

何をいっているのかわからない。

初代大総統なんて五百年以上も前の人間と、自分が何の関わりがあると言うのか。

レヴィアンスにかまわず、ハルによく似せた声は続ける。

「初代大総統ゼウスァートの血が、君には流れているんだ」

「そんなバカなことあるわけないじゃん!ゼウスァートって滅びたんじゃないの?!」

そう、確か二百五十年くらい前じゃなかったか。

ゼウスァートは十四代目大総統を出したが、暗殺されてからはその存在を消している。

誰もがゼウスァートは滅びたのだと思っていた。

「それが生きていたんだよ…でも君の本当の両親は、裏の暗殺者に殺されたからもういない。

君がゼウスァートの最後の生き残りなんだ」

滅びたはずの一族の、最後の一人。

それが、レヴィアンス。

「イクタルミナット協会に力を貸してくれないかな?レヴィアンス・ゼウスァート」

手を差し出して、一歩一歩。

近付いてくる者に返す答えは、混乱の中でもすぐに導き出せた。

「貸すわけ無いじゃん。…ボクはレヴィアンス・ハイルだっ!」

たとえそれが真実だとしても。

今までレヴィアンスを育ててくれたのは、アーレイド・ハイルとハル・スティーナ。

それを何よりも誇りに思っているから。

「ニアの叔母さんに怪我させといて、ニアの友達のボクに協力しろ?!ふざけんなよ!!」

ダガーをかまえ、跳躍。相手の後ろに回って、会議室から押し出せば。

何度も描いた。あとはタイミング。

怯んだ隙に背中を押して…

「そう上手くいくわけがないだろ」

着地の瞬間、後回し蹴りを食らう。

衝撃がそのまま机にもぶつかり、逃げることも難しくなる。

「…う」

「協力してくれると言えば、ここで死ぬことは無いんだよ?」

胸倉を掴んで引き寄せられる。

顔が近い。こんなに上手く変装できるなら、もっと使い道があるだろうに。

「あ、でもやっぱりお母さんの方が美人かな」

「…っ!このクソガキがぁっ!!」

机に叩きつけられ、角に打ち付けたのか額に赤が浮かぶ。

でも、ここで怯んだら確実に殺される…!

「そうだ…一個訊くけど」

隙間を探す。小柄を生かせるスペースがあればなんとかなる。

「その、血脈ってのが関わってるのってさ…ボクとニア以外に誰がいるの?」

「協力すれば自ずとわかるよ」

「じゃあ例えば…」

向こうにドアが見える。決まりだ。

相手を捕まえられないのは惜しいけど…仕方が無い。

「ルーファっていう人は、何か関係してる?」

「ルーファ…?」

質問の方は失敗だったかもしれない。

これでルーファに余計な危険があるようなら…本当に申し訳ない。

「…あぁ、アストラの…」

「!!」

今だ、今ならすり抜けられる!

素早くしゃがみこみ、スライディングでドアへ。

相手の反応も追いつけていない。

ドアを開け、外へ…!

「君の勝ち、か。仕方ない、退散しよう。

もう少し考えれば、協力してくれるかもしれない」

意外にも、あっさりあきらめてくれた。

…いや、そうじゃない。さっきの質問は、相手に有利に働いてしまったのだ。

「ルーファ・アストラという少年がいる。…彼は君の親を殺した暗殺者の子供だよ」

それを踏まえた上で、じっくり考えるといい。 

復讐の機会を与えてやろうと言うのだから。

嗤う顔と連動する声が、レヴィアンスに嫌な余韻を残した。

 

結局何もせずに時間が過ぎていく。

本当の親は暗殺者で、裏に従事していたのだと告げられて。

信じられなくて、自分の行動を後悔して、それを全部ニアにぶつけてしまった。

ニアは何も関係ない。だから、ああして怒鳴られるのも間違っている。

心配してくれたのに。身を案じてくれていたのに。

それなのに…

「………っ」

布団に爪を立てる。

本当なら自分自身を戒めるべきだ。だけど、どうしたらいいのかわからない。

「ごめん…」

呟いても、誰も許してくれない。だって、本当にひどいことをした。

もう、ニアも帰ってこないかもしれない。

寮に帰らずとも、彼には本当の家族が待つ家があるのだし…

…あぁ、またこんなことを考える。

「ルーファ君?入っていいかしら」

「…え?」

ノックの音に気づかなかった。呼びかけられて漸く我に返って、ドアを開ける。

「セレスさん…」

「ご飯食べに来ないから心配したのよ。はい、お昼ご飯」

朝の分持ってこられなくてごめんね、と言い、セレスティアはお盆を机に置いた。

食欲が無くても食べられるように、という配慮が見える食事。

しかし、それすらも口に入れる気にはならない。

「ルーファ君、何か辛いことがあったのかしら?」

思いつめるような表情をしていたらしい。セレスティアに尋ねられ、ルーファは慌ててパンを手に取る。

「無理しなくていいわよ。食事はゆっくりね。

…ニア君とけんかでもしたの?」

「けんかじゃ、ないです」

あまりにも自分が一方的だったようで、けんかなんて言葉は似合わないと思った。

あんな態度、親友として…友達として、失格だ。

「俺が悪いんです。ニアの気持ち、ぜんぜんわかってなくて…

自分のことしか考えてなくて、ニアを傷つけた」

こんなことになるなら、最初からニアの言うことを聞いていれば良かったんだ。

何も無かったことにして、いつもと同じ日常を過ごしていれば良かったんだ。

「俺…ニアを親友だって言っておきながら…馬鹿だよな…」

セレスティアが隣にいることも忘れて、泣いた。

ぼろぼろと零れる涙が、服に染みる。

こんな小さな染みなんて、ニアが負ったであろう傷に比べたら。

「…ね、ルーファ君。こんなことはね、よくあることなのよ」

「…セレス、さん…?」

いつの間にか、ハンカチを差し出されていた。

優しい笑みが言葉を続ける。

「私もたくさんの人を見てきたけれど、全くけんかをしない子なんてほとんどいないわ。

年がら年中けんかばっかりって子たちもいたし…

グレン君とカイ君みたいに、いつもはからかってるだけなのがたまに大喧嘩になっちゃうことも、全体から見れば珍しくなかったのよ」

「…父さんたちらしいですね」

「でしょう?」

くすくすと笑いながら、ハンカチを頬にあててくれる。

「でも、謝ればそれでおしまい。忘れたことにしちゃうの。

友達って、そういうものだと思うわ」

だって、あなたが知っているあの人もその人も、みんなけんかして仲直りして。

そうやって関係を強くしていったのよ。

セレスティアがそう語ると、説得力があった。

たくさんの人と関わってきた彼女だからこそ、自然に言えるのかもしれない。

「謝って済むことなのかな…」

「ニア君なら大丈夫よ。ルーファ君のこと、とてもわかってくれてると思うから」

「でも、俺はニアのことわかってなくて…」

「あら、そんなこと無いわよ。ニア君のことをわかっていなきゃ、代わりに調味料をかけてあげるなんてことできないでしょう?

私ニア君はてっきり辛いの苦手かと思ってたけど、よく考えたらあの子ってカスケード君の子供なんだものね」

そうだ、ニアは意外にも辛いものが好きなんだ。

だから辛さが足りないといつもちょっと不満げになる。

そういうときは調味料を足してやるか、思いっきり甘いものをあげるといいんだ。

これを知ってたのは、もしかして自分だけだったんだろうか。

「ニア君のことよくわかってるわよ、あなた。誰よりもね」

「そうかな…」

自分の知っているニアだったら、謝ったらどう言うだろう。

…きっとニアも謝るだろう。それが何のことかわかっていなくても。

そして何事も無かったように、冷蔵庫の奥に隠してあったお菓子を持ってきて。

ちゃんと知ってるんだからな、どこに何が隠してあるのか。

「食事はゆっくり、ね。…人間関係も、ゆっくりでいいのよ」

セレスティアが部屋を出た後、ルーファはパンを齧った。

夕飯はニアと食べよう。きっとその方がおいしいから。

 

その日の業務が終わって、寮でアーシェと別れて。

ニアとレヴィアンスは二人で廊下を歩いていた。

「…謝って、終わりにはならないよね」

「してくれると思うよ。だってルーファだから」

「うん…そうだね」

いつもなら、すぐに許してくれる。

今日は許してくれなくても…きっと普段と同じに戻れる。

顔を見たらまず、ごめんねって言おう。

部屋の前に立って、ドアを開けて、

「ルー」

「…ニア」

そして、

「「ごめんっ!!」」

二人同時に、謝った。

「…あ」

「……」

それが、何だかおかしくて。

レヴィアンスも交えて、三人で笑った。

ドアが開いて、廊下に声が響いているのもかまわずに。

「ルー…本当に、ごめんね」

「いや、俺が悪かった。ニアは心配してくれたのにな」

「これでめでたしめでたし、だね!」

それから三人で話をした。

今日の仕事のこととか、明日は何をしようかとか、とりとめなく。

「あ、そういえばレヴィ…それどうしたんだ?」

ルーファがレヴィアンスの額を指差す。

大き目の絆創膏が貼ってあって、痛々しい。

「今頃気づいたの?」

「いや、気にはなってたけど…タイミングがさ」

「なんか転んだんだって。レヴィもドジだよね」

目の前で笑いあう二人にはとても申し訳ないけれど。

レヴィアンスは、躊躇いがちに切り出した。

「あの…さ、これ、転んでできた傷じゃないんだ」

昼間の、誰も知らない事件のことを。

自分が初代大総統の末裔であったことを、話した。

「でも無事だったから、そんなに気にすることじゃないんだ。ボクも甘かったし…」

「何言ってるの?!レヴィが怪我したのって、僕のせいでもあるよ!」

「ごめんな、俺がちゃんと行っていれば、もしかしたら…」

「あぁもう!そうやって自分が悪いって思わないでよ!

これはボクのことなんだから。二人が悪いことはないんだよ」

黙ってしまうニアとルーファに、レヴィアンスは明るく振舞ってみせる。

絆創膏が気になるならはがす、と言ったらルーファに止められた。

「…でも、なんかびっくり。レヴィが初代大総統の血をひいてるなんて」

「ボクも信じられなくて、休憩中に図書館行ってみたりしたんだけどさ。

結局事実かどうかはわからなかったよ」

「そうか…レヴィは協会からだったのか」

ルーファの表情が真剣なものになり、ニアとレヴィアンスは息を呑む。

彼も、電話で聞いた話を語り始めた。

「俺は裏からだった。…父親が暗殺者だったらしい」

「暗殺…?!」

「………」

ニアは驚きと恐怖の混じった声をあげ、レヴィアンスは無言で俯いた。

「それで、父親がそうだったから手を組まないか…と。もちろん組む気なんかない。

それに、俺の両親は今の父さんと母さんだって思えるようになった」

「うん…そうだよ」

ニアがルーファの手をとる横で、レヴィアンスはその言葉を口にした。

聞き取れたのが不思議なくらい、小さな声で。

「名前…なんていうの?」

それが暗殺者の父親のことであるとすぐにわかり、ルーファは少し間をおいて言った。

「アストラ…っていうらしい」

「…そう」

レヴィアンスの中で、信じたくなかったものが繋がった。

そんなことは知る由もなく、ニアとルーファは話題を変えて話を始めた。

 

血脈信仰にのっとるわけではない。

私はそんなものを信じてはいない。

ただ、国が危機を避けられたのは誰のおかげか知られ始めている。

その中で――たとえ分家でも――君を招くことは望まれていることなのだ。

ノーザリア使者からの書類の三枚目には、そう記されていた。

ダイはその部分だけを何度か読み、ため息をついた。

どう調べたのかは知らないが、自分の姓であるホワイトナイトは、偶然にも世話になっているヴィオラセント家の分家筋らしい。

道理で自分と養父が似ているわけだ。分家だとしても、少しは同じ血が流れているのだから。

「血脈信仰…か」

イクタルミナット協会が血脈信仰であるということは、資料と大総統の話でわかった。

まさかそれに近いものが自分にも関わってくるとは思わなかったが。

「分家だろうがなんだろうが、俺はヴィオラセントじゃないのに…」

そんなことで望まれても仕方が無い。しかし、そのおかげで復讐の機会が得られたことには感謝する。

皮肉なものだ。人を殺すことにトラウマを持つ人間に世話になった自分が、人を殺すために呼ばれているのだから。

もちろん養父は許さなかった。殺すことではなく、ノーザリアに行くことをだ。

今はこっちのことがあるだろうと譲らなかった。

でも、これを逃したら復讐の機会を一つ失うことになる。

行くか、留まるか。この二択を、告げられた時点では迷わなかった。

部下たちを見ていて、揺らいでしまった。

「…邪魔だな」

やっぱり一人でいればよかった。そうしたら、こんなくだらない感情に惑わされることは無かったのに。

守りたいものなんて、作らなければ良かった。

余計なことを考え始めたのが嫌になり、気を少しでも紛らわせようと本棚に手を伸ばす。

と、医学書が数冊なくなっているのに気づいた。

 

 

To be continued...