何を考えればいいのか、何を信じればいいのか、
そして何をすればいいのか。
自分にとって本当に大切なものは…
そもそも、どうして医者嫌いのダイの部屋に医学書があったのか。
もとは彼も、その道を志していたからに他ならない。
病弱な弟を助けたいと思っていた、純粋な気持ちが昔はあった。
それが今は、復讐心になっていた。
医学書はいつか遂げる復讐のために、相手の手口を読むためのものになった。
全ては自分の憎しみ。いつの間にか本来の想いが薄れてしまっている。
「ユロウ」
「え、あ…どうしたの?お兄ちゃん」
「俺の部屋、入った?」
「………」
助けたかった、守りたかった、その人のことを責めるほどに。
「入ったんだな」
「…うん」
「どうして」
ダイが部屋に入ってきたとき、ユロウは背中に何かを隠した。
もうそんなことをする必要はない。知られてしまったのだから。
「これ…」
ダイの本棚から消えていたもの。
やっぱり、そうだった。
「お前、医者嫌いだろ」
「…僕、」
「なんでそんなもの持っていったんだ」
「お兄ちゃん、僕は」
「どうしてお前がそんなもの読んでるんだよ!」
ユロウの言葉の先を、聞きたくなかった。
聞いたらきっと、自分が今までしてきた全てのことが否定される。
何を今更。もう何度となく否定されて、それでもそのことを考えてきたんじゃないか。
けれども根本となった人から言われることは、あまりにも。
「…お兄ちゃん、僕は…また学校にいこうと思うんだ」
遠まわしでも分かる。どうしてそうしたいのか、すぐにわかってしまう。
一度は自分も、そうなろうと思ったのだから。
「学校でちゃんと勉強して、…お医者になろうと思ってる」
理由なんて聞かずとも分かる。
実の父親は不治の病に倒れ、今も闘病中だ。
そのせいで自分たちは今、ここにいるのだから。
ダイがユロウを助けたかったように、
ユロウも父を助けたい。
その気持ちが分からないわけはない。
「お兄ちゃんがお医者嫌いなのは分かってるよ。それが僕の所為だってことも」
ユロウは何も悪くない。お前は被害者だ。
そう言いたいのに、声が出ない。
「だけど…僕はもう大丈夫だから。だからお兄ちゃん、」
顔を上げた弟の純粋な眼が、胸に痛かった。
すでにダイが失ってしまったものを持って、ユロウははっきりと言った。
「もう、復讐なんて考えないで」
分かっていた。自分の目的はすでに「弟のため」というところから大きく外れていたのだと。
これをユロウの所為にするなら、自分はとても卑怯な人間になる。
もはや人としてあることも赦されないのかもしれない。
「…どうして、そのことを?」
「去年、聞いたから。お父さんとお兄ちゃんが話してるの、全部」
「でも、お前」
「盗み聞きしてたんだ。ごめん」
その場にはいなかったけれど、ユロウはちゃんと知っていた。
一年前の事件で、兄が凶行に出た理由を。
「でも、僕はもう平気だよ。それに、僕がちゃんとしたお医者になればいいって気づいたんだ。
だから、お兄ちゃんはもう…復讐とか考えなくていいんだよ」
違うだろ。
「考えなくていい」んじゃなく、「考えないでほしい」んだろ。
当然だ。身内から人殺しが出るのは嫌だろう。
「僕はお兄ちゃんが優しい人だってわかってる。優しすぎたから、そんなこと考えちゃったんだよね。
でも、もういいんだよ。お兄ちゃんにはもう、苦しい思いして欲しくないんだよ」
違うよ、ユロウ。
優しい人間は、そもそもこんなことは考えないんだ。
人を殺すために生きるなんて、そんな馬鹿なことはしないんだ。
本当に優しいのは、そんな自分を優しいと、怖くないと言える、そんな奴らなんだよ。
俺が復讐心に駆られて見捨てようとした奴らのことなんだよ。
「ユロウ、医者になってどうするつもりだ」
「間に合うなら、お父さんの病気治したかったな。でも、もうあんまり長くないんだよね?」
「知ってたのか」
「分かるよ、それくらい」
理由がなくなるなら、どうしてそれを目指すことをやめないんだ。
そう言葉が出る前に、ユロウは答えていた。
「お父さんが助けられなくても、お父さんと同じような人はきっと助ける。
そうじゃなくても、僕は…人を助けたいんだ、この手で」
まだダイと比べても小さな手を、ぎゅっと握り締める。
その姿は、普段の甘えたなユロウとは違う。
いや、もうあの頃のユロウじゃないんだ。彼はもう、兄の陰に隠れている幼い少年じゃない。
「僕は色んな人に助けられて生きてこられたから、今度は僕の番なんだよ。
僕にできることで、幸せの連鎖を作れたらって。そんな夢を、今は持ってる」
それが幸せの連鎖なら、ダイが作り出そうとしていたのはなんだろう。
不幸を続けていくことだけだ。
自分が報復に出ることで、さらなる報復がないとは言えない。
現に、その不幸の連鎖で苦しんでいる人がいるじゃないか。
自分はその人に、「守りたい」と…そう言ったんじゃなかったか。
「お兄ちゃん」
「もういい。お前のことはよくわかったよ」
足早にユロウの部屋を出た。
これ以上置いていかれるのは怖かった。
「母さん、知ってたの?」
ドアの横に立つ人物に、視線を向けずに尋ねる。
さっきからずっとそこにいたのは気づいていた。
「知ってた。お前が仕事でいない間、ユロウは一人で勉強してた」
「…一年前から?」
「もっと前。おれに何度かサクラさんに会えないかって訊いたりもした」
「そうか…」
変わらず臆病なままだったのは、自分だけ。
みんな先へ行ってしまう。弟も、部下も、みんな自分よりずっと強い。
「母さん」
「何」
「俺って弱いな」
本当は、ユロウの部屋を出る前に言うべきことがあった。
たった一言、いつもの調子で告げればよかった。
それすらもできずに、話を冷たく遮った。
「本当に、馬鹿だ」
兄として、最低だ。
本当は誰よりも、弟の成長を喜ぶべきなのに。
自嘲するダイの頭を、暖かな手が触れた。
「ダイは未熟者だ」
ストレートな表現が、優しい声色で語られる。
「それはつまり、まだまだ成長の余地があるってことだろ」
語りながら、微笑んでいた。
いつのまにかその目線は、ダイよりも低くなっていた。
「…いいの?これ以上成長して」
「ちょっと悔しいけど、ディアにはまだまだ及ばないだろ。あと十センチは伸びないとな」
「そうだな…」
身長だけじゃない。経験は養父母よりもずっと少ない。
そこに至るにはまだ遠い。けれどもアクトは今、言ってくれた。
自分はまだ成長の余地がある。これからでも間に合う。
だったら、これ以上遅れてしまわないように、やることは決まっている。
「母さん、ユロウを学校に通わせてやってくれ」
「そのつもり。もしお前が反対しても、通わせようと思ってた」
「意地が悪いね、母さんは」
「そうじゃないと相手の嗜虐心そそれないから」
普段は父に向ける笑顔。
未熟だと言いながらも、母は確かに自分を認めてくれている。
だったら、応えるしかないじゃないか。
「…あのことだけど、俺が自分でカイゼラさんと話したい」
「その方が良いな。ディアに任せるとまた怒鳴りあいだし、文書で返すにしてもうまくいかないだろ」
未熟でも、やらなきゃいけないことがある。
今更復讐をやめるわけにはいかない。そこまで自分を切り替えることはできない。
これは自分の復讐だ。ユロウは関係ない。
「…ごめんな」
ドア越しで、聞こえているかも分からないけれど。
決着を諦めきれない。後戻りはできないんだ。
ユロウが医者を志していることは、ディアも知っていた。
当然といえば当然のことだった。知らなかったのはダイだけ。
知らなかったのではなく、認めたくなかったのだろうと思う。
しかし、もう認めない理由はない。これは自分の過去との決着だから。
あとは自分自身がどうするか、だ。
「お前の言い分は分かった」
話を聞き終えても、ディアは目を逸らさなかった。
「それが曲げられねぇってんなら、それでいい」
「ありがとう、父さん」
「昔から言い出したらきかねぇしな」
誰に似たんだか。
そう言って、笑った。
「カイゼラの奴に電話繋いでやるから、ちゃんと話せよ」
「わかってる」
ディアが席を立ちかけたとき、電話が鳴った。
アクトがとり、相手を確認する。そして、
「ダイ、大総統閣下から」
それが仕事の電話であることを告げた。
「こっちから連絡する手間が省けたな」
差し出された受話器を受け取りながら、ダイは呟く。
順序は逆になったが、どうせ話すのなら今でも変わらない。
何を言われても、ダイの考えは同じだ。
「何か」
『裏と協会が手を回してきた。接触したのはインフェリア伍長ではなく、他の伍長四人』
何の前置きもなしに、事実だけが告げられる。
余計な時間をかけている暇はないということ。
『裏はシーケンス伍長とダスクタイト伍長に、協会はハイル伍長とリーガル伍長にそれぞれ接触した。
ダスクタイト伍長は負傷して、今病院にいる』
とうとうニア以外にも手をかけたか。目的は分からないが、こうなってはいよいよ彼らが戦わなければならない。
すでに負傷者も出ている。しかもよりによって、グレイヴだ。
受話器に負荷がかかる。力を込めすぎた手が震える。
『詳しいことは明日話すから、今は休んで欲しい』
「そうやって俺を引きとめようって思ったんですか」
それが嘘ではないと分かっていながら、嘘であってほしかったと思う。
この言葉は、その表れだ。
『今はそんなことを言っている場合じゃない』
「えぇ、わかっています。でも明日なんて悠長なことを言っている場合でもありません」
今、はっきりさせておかなくては。
最悪の事態が起こってしまった。だがそんなことは関係ない。
答えは、もう決まっている。
「俺はノーザリア移籍の話、受けます。これから直接スターリンズ大将に言うつもりです」
電話の向こうで、息を呑むのが分かった。
ここで黙って時間が過ぎるのは無駄だ。ダイは言葉を続けた。
自分の決心の一切を大総統に告げ、最後に念を押す。
「俺はこの考えを改めるつもりはありません。誰が何と言おうとも、これが俺のあるべき形ですから」
導き出したものは貫く。
自分の全てをかけてでも。
受話器を置き、その場をディアに譲る。
「父さん、頼んだよ」
「あぁ」
電話は国際ネットワークに繋がる。
呼び出し音が鳴っていたのはほんの僅かだったが、長い時間であるように思えた。
ノーザリア軍の最高権威と、軍人として話す。
それは意外にもプレッシャーだった。
『先日の返事が聞けるということだが』
ディアの故郷であるノーザリアには、年に数回行っている。
そのときの自分は客であり、一般人だった。
だからカイゼラもそう接してくれていた。
しかし今は軍人として、一国の責任者としての彼と話をしなければならない。
相手の声が重く、静かだ。
「結論を述べさせていただきますと、移籍はお受けいたします」
『そう言ってくれると思っていた。君の働きに期待しているよ』
「しかし」
話を終わらせてはいけない。意思を全て伝えるまでは、電話を切られるわけにはいかない。
ディアを見る。
彼は自分を見守ってくれていた。
この七年、父としてそうしてくれていたように。
ダイは頷いて、発した。
「こちらの面倒が終わるまでは、猶予をいただきたいのです」
自分が軍人をやってきた理由を捨てるわけにはいかない。
だから、決着をつけるためにノーザリアには行く。
しかしその前に、どうしても成さなければならないことがある。
守ると誓った。
誓ったのに、守れなかった。
だけどまだチャンスはある。
本来ならば望むべきではないチャンスだけれど、いや、だからこそ。
厳しい戦いに巻き込まれていく部下をおいていくなんて、今までの恩を仇で返すことはしない。
助けられた。だから、助ける。
この戦いの指揮は、自分だ。
「大切なものを守ることもできずに、軍人なんか名乗れません。
俺はそれができるまで、そちらに行く資格はないと思っています」
昔からずっと聞いているじゃないか。
大切なものは何が何でも守りぬけ。あとで後悔しても遅いんだ。
このままエルニーニャを離れれば、自分はきっと後悔する。
たとえ戦いが勝利で終わっても、そのときあるはずの笑顔を見ることができない。
負けたら――それは言うまでもないことだ。
最後までともに戦い、見届けたい。
それが、ダイが出した絶対の答え。
『…私は緊急事態だからこそ、君を呼んだ。それなのに猶予をくれとは、君は何か勘違いをしていないか?』
重い声は言う。
猶予など与えられるはずがない。事は一刻を争う。
『私は君の能力を評価している。エルニーニャのほんの一部で起こっている事など、君にはもったいないと思っている。
だからこそノーザリア軍で、国全体に関わる大問題に取り組んでほしいと考えた。
君はそれでは不満なのか?』
「不満ではありません。寧ろ望んでいたことです。しかし、俺にはそのほんの一部も重要なんです」
『何故それに拘るのか。一国と個人で天秤がつりあうと、本気で思っているのか』
つりあうわけがない。
そんなこと、あるはずがない。
だって、それは同じ天秤の両端に分けて載せることが不可能なものだ。
人が国を作る。だから、国は人だ。
国のための犠牲者なんて、そんなのは間違ってる。
だからこそ、戦った人がいる。
――俺を育てたのは、誰だ。
きれいごとだと、所詮全てを救うことなど不可能だと言われても。
そんなことは分かっている。分かっているから、それを目指す。
不可能を可能にするために、生きている。
「カイゼラ・スターリンズ、お前の国は俺さえいれば救えるものなのか」
必死であがいて、なりふり構わず走って、求め続ける。
「ノーザリアはそれほどまでに弱い国か!ノーザリア軍はそれほどまでに役立たずか!」
何が何でも手に入れたいものがあるから、何が何でも守り続けたいものがあるから、
「どうしても俺が必要だってんなら、全てをさっさと終わらせてそっちにいってやる!
それまでその誇りを保てないというなら、そんな国は潰されてしまえ!」
だからダイは、その道を選んだ。
お前は一体どんな教育をしているんだ。
あぁ?知らねぇな。
自分の父親の故郷に対し、潰されてしまえとは…キレると手がつけられないのは、お前と一緒か。
うるせぇんだよ。流石にあれは言いすぎだと思ったんで、ぶん殴っといたぜ。
ははは、お前が子供のしつけとは。あのバカがよくもまぁ…。
バカとか言うんじゃねぇよ!元はといえばお前が挑発したのが悪ぃんだろうが。
挑発などしていないさ。ただ、お前の子ならば大人しいわけがないと思っただけだ。
変な認識してんじゃねぇよ。…でもよ、
「あいつが俺のことを親父だと思ってくれて、俺があいつの親父でいられることは…何よりも誇らしいと思ってるんだぜ」
拳骨を喰らった頭が痛い。
勢いで暴言を吐いた後、殴られて受話器を奪われた。
あまりに痛かったので、居間のソファに寝転がり、クッションを押し当てていた。
潰されてしまえ、は拙かったか。一応父の故郷だ。
父が大切に思う人たちがいる、大切な場所だ。
「ごめんなさい」
電話を終えたディアに、まず謝る。
「ったく、お前は人の故郷を何だと思ってんだ」
身体を起こすと、空いた隣にディアが座った。
「あんな性格悪ぃやつが大将でも、一応は俺が生まれ育った国だ。潰れるのは困る」
「そうだね」
大切なものを守りたいという気持ちは、自分もカイゼラも同じだ。
ダイは立ち上がり、意志の宿る瞳をディアに向けた。
「それじゃ。父さんの誇れる息子は、もう一仕事してくるよ」
「おぅ、行って来い」
何を考えればいいのか、何を信じればいいのか、
そして何をすればいいのか。
自分にとって本当に大切なものは、何なのか。
答えはいつもすぐ傍にあった。
支えてくれた人たちが何よりも大切で、その人たちを信じて、守り抜くことを考える。
それがダイの「軍人」。
「お兄ちゃん」
「…ユロウ」
駆け寄ってきた弟が、アイロンのかかったシャツと軍服を差し出した。
――用意してくれていたんだ。
ダイが決意表明をしているあいだにやってくれたらしい。
まだ温かいそれを受け取ると、ユロウは昔と変わらない笑顔で言った。
「頑張ってね、お兄ちゃん!」
部屋を出る時に自分が言えなかった言葉を、ユロウは言ってくれた。
だから、こう返した。
「あぁ。お前も頑張れよ、ユロウ」
ダイが全ての目的を果たすためには、絶対に守るべき条件がある。
「必ず生きて帰ってくること」――そうでなければ、意味がない。
もちろんダイだけではない。仲間が一人でも欠けたら、それは全て失敗だ。
「ホワイトナイト大尉、これまでの経緯を説明するよ」
大総統ハル・スティーナは、その日起こった事件を語った。
ルーファ・シーケンスに裏が接触。本当の親が裏に従事していた暗殺者だと告げられる。
暗殺者アストラの子であるルーファに、裏に協力するよう要請したという。
「アストラ家については調査中だけど、暗殺を生業としていたのは確かみたい。
シーケンス伍長が本当にその子供かどうかは、調べるのが難しい」
「親に話は?」
「してない」
あのルーファが暗殺者の子だとは考えられない。
もしそうだったとしても、彼は絶対に裏に協力することはないだろう。
レヴィアンス・ハイルにイクタルミナット協会が接触。
相手はハルに変装し、レヴィアンスに協会への協力を仰いだ。
「ハイル伍長はゼウスァート家の末裔だって、その人は言ったらしい」
「ゼウスァートって、初代大総統のゼウスァートですか?」
「これも確認を取るのは困難だけどね」
これを口にすることは、ハルにとっては辛いことだろう。
それでも今は大総統としての立場が優先だ。表情は変えない。
アーシェ・リーガルにイクタルミナット協会が接触、殺害を企てる。
戦闘の結果、アーシェが相手をおさえた。
相手は現在、軍の病院で治療を受けている。
「協会の人が話せる状態になったら、詳細を聞くつもり。
リーガル伍長の話だと、アーシャルコーポレーションが関係してるみたいだけど…」
「アーシェが戦ったんですか?」
「うん。リーガル伍長自身は今ショックで体調を崩してる」
あのアーシェが、戦った。訓練はしたが、実戦経験はないはずだ。
相手が治療中ということは、怪我を負わせたということ。あの優しいアーシェなら、ショックも大きいだろう。
グレイヴ・ダスクタイト伍長に裏が接触。
相手は確保し、現在は軍の病院で治療を受けている。
グレイヴも怪我をしており、治療中だという。
「これは相手から情報を得ることができた。その結果がこれだよ」
ハルの差し出した調書には、グレイヴの戦いがこれだけでは終わらないものであることを表す確かな証言があった。
「ダスクタイト全滅で賞金か…裏も卑怯な手を使いますね」
「今回捕まった子はブラックさんに復讐したかったみたいだけど、今後はそうじゃない人たちが狙ってくることもある。
ブラックさんの奥さんも危ないかもしれないから、病院の警備を強化してる」
厄介なことになっている。狙われているのが自分だけではない状況は、グレイヴには厳しいだろう。
「金目当ての奴らの中には、薬物関連の人間も含まれてるんでしょうね」
「そうだね。この情報が得られたのは大きな成果だよ」
この言葉はハルの本心ではないだろう。
こんなことよりも部下の負傷を気にしているはずだ。
「これが今回の接触。それと、カスケードさんとブラックさんが調べてくれたのもあって、協会についての資料が追加されたよ」
イクタルミナット協会が最も重要視しているものが「血脈」であるということが確定した。
接触の情報から半ば分かってはいた。それぞれが特別な血を引いている。
ニアはインフェリアの血を、レヴィアンスはゼウスァートの血を。
「でも、アーシェは?アーシャルコーポレーションなんて、最近のことじゃないですか」
「協会は裏に敵愾心を持ってるからね。だから…裏で功績を挙げた者の血は、忌むべきものなのかもしれない」
だから殺そうとした。だけど、返り討ちにあった。
ダイにはまだ、アーシェが狙われた理由があるように感じた。
同じく裏として忌むべき存在が、彼女に繋がっているのだ。
「そして裏…ルーファは利用されそうになり、グレイヴは殺されかけた」
「そしてインフェリア伍長は協会と裏の両方から利用価値があると判断されている。
インフェリアの血脈と、それによる力の覚醒はどちらにとっても重要みたい」
以前の遠征任務で、ニアは突然超人的な能力を発揮したと聞いた。
ダイはその時意識がほとんどなく、憶えていない。しかし、裏の者がニアの攻撃によって負傷したことは知っている。
「あのニアにそんな力があるなんて、信じられませんでしたけどね」
「カスケードさんの子だからな。元々の身体能力も平均以上だったが…」
アーレイドもまだ、ニアの力を完全には信じられないらしい。
黙っていると、ハルが新たな書類を差し出した。
「これは協会についてカスケードさんとブラックさんが調べてくれたもの。
協会のルール、裏との関連、それが繋がった貴重なものだよ」
「ルール?関連?」
ダイがそれを読もうと手に取り、あ、と短い声を上げる。
「エストって…ドミナリオ・エストですか?」
それはエスト家についての調書だった。
ハルは頷き、説明した。
「エスト家も初代大総統補佐で、代々軍人の家系。今在籍しているドミナリオ・エスト准尉はその直系の末裔だよ」
ドミナリオはブラックの元生徒で、その親はカスケードと知り合いだという。
二人がエスト家から聞いてきたことが、この書類にはまとめられていた。
「これ…本当に?」
「エスト准尉はこのことについて知らなかったみたいだけどね。
その父親のセントグールズさんは、確かに協会と接触したことがあった」
二年前、協会はエスト家に接触していた。血脈信仰について説き、ドミナリオを協会に協力させるよう説得したという。
しかし、
「センちゃんはそれを断ったんだな?」
「当然だ。ドミナリオの頭脳を裏撲滅のためだけに使おうなど、馬鹿げている」
セントグールズは初代大総統補佐エスト家の誇りを守った。
軍人の仕事は裏撲滅に限らない。もともとはそんな仕事はなかった。
全てのことを含めて、国家とそれを作る人間を守るのが軍人だ。
カスケードはそれに同意した。
「そうだな、軍人はそうでなくちゃならない。さすがセンちゃんだな」
「で、協会が接触して来なくなったのは?」
ブラックが次の話に移行させる。
セントグールズははっきりと答えた。
「ドミナリオが十一歳になってからだ。奴らは十歳以下を洗脳の適齢としている」
「それは本当か?!」
「軍人の場合は最初の一年が肝だ。軍に入ったばかりでまだ知識も経験も浅い状態に、裏の悪事だけを吹き込むと」
「協会の裏撲滅意識ができあがる…ってか」
鳥肌が立った。こんなことが、二年前にすでに行われていた。
そしてそれに、今は自分の子供が巻き込まれている。
「エスト、こんな話を聞かせてすまないな」
「いいえ…僕も軍人ですから」
ドミナリオはこのことについて一切知らなかった。
その頃の協会は親を説得して、その同意の下で人材を育てていたようだ。
現在は違う。本人に接触し、なんとしてでも協会に引き込もうという動きが目立つ。
力の覚醒を狙い、関係のない人を傷つけることも厭わない。
「考え得るのは協会と裏との関係、そして軍の動きが関わっているということですよね」
「ドミノ、そりゃどういうことだ?」
「エストが言いたいのはつまり、軍が裏を制することができなくなってきて、協会がそれをもどかしく思ったという流れか?」
「はい、先生の言うとおりです」
そして協会は軍に接触する。人材を引き抜き、裏に確実に対抗できることを目指す。
そして一方では、軍に属する危険因子を滅する計画を始動する。
「軍が裏を制することができなくなっているその原因が、近年の危険薬物取引にある。
一方の取引を囮にしてもう一方の取引を遂行する、二重の策なども増えてきている」
セントグールズの言葉に、カスケードはうなだれる。
元大総統としては、この事態に責任を感じざるをえない。
「インフェリア、貴様がいじけても何にもならんだろう」
「そうだよな、センちゃんの言うとおりだ。しかし根底に危険薬物か…これでなんとか繋がったな」
全てが一つに収束する。
そしてこの一つを叩けるのは、現役軍人。
「…確かにこれは貴重な調書ですね」
最終的に、それはダイの執念にも繋がっていた。
やはりこれは、自分が関わっていかなければならないものだったのだ。
「あいつらのおかげでここまで辿り着いたんだな…」
現状を皮肉るような言い方だが、それはダイの素直な気持ちだった。
「そういうことだ。お前の敵がエルニーニャにいるかノーザリアにいるかはわからないが、どちらもお前が関わることが求められている」
「大将…」
普段呆れるか怒るかばかりだったアーレイドが、そう言う。
今まで勝手なことをしてきたから、多分その仕返しを込めたつもりだったんだろう。
「俺、必ずこれを解決しますから」
周囲に支えられた彼の決意は、固い。
真夜中の寮は静寂に包まれている。
特に年齢の低い者はほとんどが眠っていて、揺すっても起きない。
部屋に誰かが入ってきたくらいでは、目覚めることはない。
経験を積んで気配を察知できるようになれば良いのだが、それができないうちは気づけない。
音もなく忍び寄る影が、標的に手をのばした。
To
be continued...