終わらせよう。
誰よりも強い想いを、その胸に抱いて。
驚かないはずがない。
病院にあんなに警備を配置しておいて、中には誰もいないなんて。
しかしよく考えてみれば、警備は一般人。軍人の影はほとんどなかった。
謀られた。大総統室だけでなく、昔の仲間だったという者たちの住居も盗聴しておくんだった。
いや、そんなことに意味はないだろう。それに、今更。
ここに来てしまった自分たちの結末は明らかだ。
「当然覚悟はできてるんだよな?」
いつの間に後ろに控えていたのか、警備員の男が笑った。
違う、あれは一般警備員の目じゃない。元大総統補佐とも言えない。
「うわぁぁぁあっ!!」
あれは、獣だ。
作戦は大総統室に集合した時からすでに始まっていた。
そのときには病院の人員を退避させ始めていた。
安全なルートは、今となっては非正規ではあるが優秀な情報源に確保を頼んだ。
かつて諜報担当だった者だ。それを逆手にとることも難しくはない。
必要資金は軍から、そして幾つかの貴族家や商家から援助が出ている。
特に警護が必要な者は、他の患者や病院スタッフとは別に護られている。
関係のないものを巻き込まないようにという配慮も含んでの判断だった。
語られたものとは大きく異なる作戦の実態。作戦の確認は、情報の撹乱が主な目的。
要するにあの集まりは、
「半分フェイクだったんですよ」
向こうの出方を待っているだけでは駄目だ。大総統はこちらが先手を取るつもりで指揮を執っていた。
「ハルはいつの間にあんな風になったんだろうなって、さっきも話してたんです」
「皆さん、すごいんですね」
特別な警護――リーガル家の地下シェルターで、ブラックの妻スノーウィーは護られていた。
彼女だけではない。各自家にいることとされていたはずなのに、家主以外の人物が多くいる。
スノーウィーと会話をしていたカイも、その一人。
「お前は誰に許可得てオレのものに話しかけてんだよ」
「そっちこそグレンさんに近付くなよ、まっくろくろすけ」
恒例のカイとブラックの睨み合いが、ここはまだ安全だということを確かめるものになっている。
その様子を見ながらグレンが溜息をつき、傍らにいた家主に謝った。
「すまないな、使わせてもらって」
「いいえ、ここは護るための場所ですから」
「でも本来はレスターさんを、だろう?」
リアの父レスター・マクラミーが刑を終えた後のことを考えて作られたのが、このシェルターだった。
かつては裏のハイテクノロジーに係わっていた人間だ。出所してからもいつ狙われるか分からない。
「それだけじゃないですけど…とにかく、みんなの役に立てて良かったです」
リアがにっこり笑ったので、その場はそれでよしとする。
けれどもそんな彼女の手にも武器が握られていて、尋常じゃない現実に引き戻される。
「アルベルトさん、ここの耐久性は?」
「正直言って、わからない」
「それでいいのかよ、馬鹿兄貴」
あっさりと答えるアルベルトに、ブラックが素早いツッコミをいれる。
しかしそれに対して返ってきた答えは、
「だって年月にして途方もない数字だったから。桁を忘れちゃって」
という別な意味で恐ろしいものだったため、これ以上は深く追究しなかった。
安全性が確かならばそれでいい。
「…すまないな」
ブラックの呟きを、スノーウィーは聞き逃さない。
「それ、何回目?私は全部了解した上でここにいるんだから、もう言いっこなしよ」
ここ、というのはこのシェルター内だけを指しているわけじゃない。
彼らがここに至るまでの日々、その全てを言っている。
「嫁さんもそう言ってるだろ。大体謝るブラックはなんか気持ち悪い」
「お前に言われたくねーよ、バカイ」
「いい加減にしろ。…ほら」
つかの間の平和は、頭上から降ってきた音に破られる。
「来たようだ。…まだ連絡がないってことは、初めからここが目的だった連中だろう」
もう一度装填を確認し、グレンはシェルターの天井を睨んだ。
「ここもいつ見つかるかわかりませんね」
「見つからないようにしたつもりだけど、連中は鼻が利くだろうから」
ここでやり過ごせる時間も、そう長くはないだろう。
訪れてほしくない時に備える。
相手が裏であれ協会であれ、目的は明らか。
リーガル邸――正しくはマクラミーに用があるのだ。
元社長レスター・マクラミーは獄中だが、彼の研究や作り出した兵器は軍、そしてこの場所にある。
娘のリアが祖母や妹の身を案じて、父の所持品の一部を引き取ったのだ。
現在は彼女とその夫が厳重に保管している。
敵の行動はアーシャルコーポレーションの遺産を手に入れるため、あるいは遺産を消すため。
そこには人間も含まれる。
「アーシェ・リーガルが狙われた理由が、それだと?」
「そうじゃないかということでした」
それだけではないだろうけど。
グレイヴにはわかっている。アーシェと、そしてリヒトに流れる血のこと。
そして、それは自分も同じであること。
「関係するもの全てを葬るつもりなんだ…爆弾の一つでも仕掛ければすぐなのに」
なんでもないことのように、ドミナリオは吐き捨てる。
無神経な物言いにグレイヴは反感を覚えるが、彼の真意がわかりそれは引っ込んだ。
「わざわざ人をよこして、時間稼ぎのつもりなんだろうね。だとしたら本当の目的は別のところにあるってわけだ」
「…目的って、例えば?」
「軍から人を遠ざけて、大総統の首を狩るとか」
君たちへの接触もそのためのものだったんじゃない?
そんな飛びすぎているような話も、この状況なら納得できる。
途切れがあっても、それを受け入れなければならない状況。
「ニア・インフェリアが攫われたって話も、大総統の意識をそっちに向けるためだと思うよ。近しい人間だからって他人の心配ばっかりじゃやられる」
「そうですね…」
じゃあ、こんなところにいる場合ではないのでは。
すぐにでも司令部に戻るべきだ。
「そんなことを言っている場合でもなくなってきたね。踊る時間が来た」
「…舞台は敵の手の平の上、ですか?」
「そういうこと」
数多の殺気が静寂に浮かび上がる。
銃を握り、柄に構え、迎え撃つ用意を万端に。
「裏の人が君を殺そうとしてるんだっけ?」
「はい。うちの家族を全滅させると、お金が入るそうです」
当然そんなことをさせるつもりはない。父も、母も、自分も。
「もし僕が君に傷を付けさせなければ、僕は大尉を超えられると思う?」
「え」
容赦なき銃声一発、呻く者に着弾したのがわかった。
リーガル邸戦、開始。
病院の侵入者が少なくなってきたところで、リーガル邸警護班が動いたんだと知らされた。
これは俺の予想だけどな、という当てにならない言葉付きで。
「てことは今頃、ドミノが戦ってんだろうなぁ…」
「ドミノ君だけじゃないわ。グレイヴちゃんもきっと今頃…」
軍の病院警備班はほとんどがリーガル邸にまわされ、ホリィとオリビアは数少ない残りメンバーとしてここにいる。
軍が手を下すまでもなく、警備員によって気絶した人の山が作られていく。
それを片っ端から拘束するだけの単調な仕事。なるほど、下級兵が多く残された理由が分かった。
「先生、大丈夫かなぁ…」
「大丈夫だろ。先生だけじゃなく、皆強いんだからさ」
「…さっきの警備の人もすごかったよね」
「全部殴り倒すとか、ある意味人間じゃないよなぁ…ユロウの父ちゃん怖え…」
ここが片付けば司令部班の応戦だ。今のうちに休んで、備えておこう。
このまま忙しくならなければいい。
救護班が暇なのは、誰も傷を負っていないということだから。
だけどこれから、きっと来る。リーガル邸で戦闘が始まったと連絡があった。
「リアさんたち、無事だと良いけど…」
ラディアの呟きは、傍にいたアーシェに届く。
同じ気持ち。皆無事でいてほしい。
母にも、父にも、弟にも、
もちろん、従姉である彼女にも。
戦うことを恐れた自分は、ここで待つことになった。だけど祈るだけじゃ何にもならない。
「アーシェちゃんも、心配なんだよね」
優しい声に呼ばれ、顔を上げる。ラディアは微笑んでいたが、僅かに切なげなものを含んでいた。
「傷ついてしまったものを見るよりは、そうなる前に護りたいもの」
同じことを思っていた。
治癒の力を最大限に活用することのできるラディアだが、その能力を使うということは誰かが血を流したということ。
力を使わずに済むのなら、どんなにいいだろう。
「…私、自分の戦いをしようと思いました。でも…」
アーシェには何の力もない。けれども自分が何をしてしまうかわからないから、現場に行かずここに残っている。
ここに残って戦おうと決めた。しかしそれはとてももどかしい。
皆は戦っているのに、自分は待っている。
待ちたくもないものを待っている。
「グレイヴちゃんたち、大丈夫かな…」
アーシェは知っている。グレイヴは強いけれど、傷つきやすい。
グレイヴだけじゃなく、皆が弱さを持っている。
その弱さを克服するように戦っている。
今、アーシェ自身は何を克服しなければならないのか。
自分が本当にしなければならないのは、なんだろう。
「負傷者が来てしまったようです」
クリスの声で我に返る。とうとう怪我人が出たようだ。
「やはりリーガル邸ですね。マクラミーの遺産はまだ無事のようですが、いつどうなるかもわかりません」
「もし手が届いてしまうことがあったら、リアさんたちも戦わなきゃいけないんですよね」
「リアさんとアルベルトさんはそう言ってましたね」
家族が戦いに出てしまうのも時間の問題。
大切な人が傷ついたところなんて、見たくない。
「クリスさん、負傷した人ってどのくらいの傷なんですか?」
「貴女の能力があれば十分完治できる程度です。…今のところは」
戦いが長くなればなるほど負傷者は増えて、怪我は重くなっていくと予想される。
ラディアの治癒は精神力を必要とするため、怪我人が多くなればなるほど治療が間に合わなくなる。
戦いを早期に終わらせ、負傷者を最低限に抑えることが求められる。
「さて、アーシェさん」
クリスは少女の目線にしゃがみこみ、真っ直ぐに彼女の眼を見た。
「貴女の矢は相手の死角から攻撃することが可能です。混戦状態の時は非常に有用だとボクは思うのですが」
それを今言うということは、彼の示す道は。
「クリスさん、アーシェちゃんは…」
「どうしますか?」
ラディアの言葉を遮って、答えを求める。
解ってくれている。アーシェがどう返すのかを、確信を持って予想した上で訊いている。
だったら、乗り越えるしかない。抱いている恐怖を振り切って、大切なものを護らなければ。
「いってきます」
最も恐れるのは、このシェルターが見つかってしまうこと。
ここが知られないために多少の撹乱を行っておくことを、初めから作戦として考えていた。
敵が屋敷の扉に手をかけたことを確認し、アルベルトは周囲に目配せした。
この場所に近づけないよう、自分たちの存在をもっと遠くに確認させる。
危険な賭けだが、軍人の警護と自分たちが培った力を信じるしかない。
銃を手にしたグレンは振り向き、少年と目が合った。
いや、合わせた。
「リヒト君」
「…はい」
それまで黙っていたところに突然声をかけられ、リヒトは硬直する。
グレンはかまわず言った。
「君は、ここで家族を護れ。…できるな?」
幼い少年には酷だが、今はそうしてもらう他ない。
だが、リヒトは即答できずにいた。
親戚を、家族を、傷つけたこともある自分が、本当に護れるのか。
困惑していると、左肩に温かな手が触れた。
いつも家族を支えている、強い手が。
「リヒト、大切な人を傷つけたくないなら…」
ここにいて、しっかり護っていて。
戦いに向いているとは思えないくらい、優しい表情でアルベルトは告げる。
そんな父が戦うのだから、自分はその言いつけを守らなければならない。
――僕だって、父さんと母さんの子だ。
――姉さんの、弟だ。
「できるよ」
やるしかないじゃないか。
それが自分にできることなら。
「そういえば、手は大丈夫なんですか?」
カイが尋ねると、アルベルトは笑みを浮かべ答える。
「グレン君に訊くといいよ」
「どういうことです?」
相手に気取られないよう、声を潜めて、機会を狙って。
「引鉄は左手でも引けるからな」
家屋には弾痕を残さぬよう、細心の注意を払って。
始まりの合図が、鳴り響く。
人の流れを断つ。流入する影を斬り伏せる。
撃たれた何かが崩れる光景。現存する小戦争。
圧され救われ、立て直し振るう。これを何度繰り返しても終わらない。
人間は無限ではないから、どこかに切れ目が見えるはずなのに、未だにそれは遠かった。
「グレイヴ、後ろだ!」
届く声に振り向けば、鈍い輝きが頭上に翳されている。
とっさに振るった刀は、その身を赤く染めた。
――嫌な感触だわ。
アーシェが恐れる気持ちがよくわかる。けれども自分はここで立ち止まるわけにはいかない。
この戦いには自分も含め、家族全員の命がかかっている。
何かが救えるなら他の命を奪ってもいいのかという問いは、この場では知らないふりをしなければならない。
ただ自分が護りたいものを護るために、血を流す肢体を重ねていく。
「まだ生きてるから大丈夫だよ」
いつの間に傍に来ていたのか、ドミナリオが呟いた。
彼の放つ銃弾は常に相手の急所を外す。それが最も尊敬する師の教えだから。
心がけていることはグレイヴと同じ。誰も殺さない。殺したくない。
「ドミノさんは、父の教えを受けてるんですよね」
「そう。だから先生とその家族を護る」
素早く装填を完了し、再び破裂音を響かせる。
刀は襲い来る者を斬り裂いて、紅い花を咲かせた。
「でも君を護りたいのは、それだけじゃないから」
一言を塗りつぶす喧騒と銃声、風の音。
遠くでよく似た、しかし聴きなれない音がした。
大人たちの戦いも始まったらしい。
「…嫌だな」
すでに退いた人まで巻き込むなんて。
その人たちに、自分が人を斬る姿を見せるなんて。
こんなこと、早く終わってしまえばいいのに。
追われていることには、司令部を離れた時から気づいている。
自分も狙われている身だ。単独行動をとればどうなるかなんて、とっくに解っている。
一人で数人を相手にするのは難しい。できるだけ早くリーガル邸の人員に合流しなければ。
相手も合流されれば始末しにくくなるとわかっているだろう。そろそろ攻撃を仕掛けてくるはずだ。
――相手って誰?
アーシェを狙うのは協会だから、相手はその人間のはずだ。
この事件を起こしたのは協会か。しかし、ニアを攫ったのは裏だという。
それぞれ別個の事件?いや、タイミングが合いすぎる。
協会は裏社会を撲滅するために存在するが、裏は協会に対し何を思っているのか。
何らかの方法で利用できるとしたら。
軍を潰すための策を講じることができたとしたら。
――今私を追っているのは、誰?
そもそも、裏の手段を嫌う協会が軍人を襲うだろうか。
確かに自分に流れる血は忌むべきものかもしれない。しかし、殺害という手段を用いるならば裏に同じ。
これは本当に、協会の思惑なのだろうか。
不意に、衝撃。肩を裂く激痛。
――しまった、考え事なんかしてるから…!
司令部からある程度離れ、リーガル邸は見えない。
この場所が最も襲撃に適している。
逃げるしかない。応戦していたらここで果ててしまう。
一刻も早く目的地へ着くことが、今自分がしなければならないこと。
だが銃弾をかわすことなど不可能で、必然的に血は流れる。
痛みは身体を麻痺させ、どこへ向かっているのかも段々霞んでくる。
ここで倒れるわけにはいかないのに。
身体が傾いて、地面が近付く。このタイムロスが相手に発砲を許す。
立ち上がっても、間に合わない。
着弾する。終わってしまう。足を封じられたら、たどり着けない。
「まだ走れるぞ、アーシェちゃん」
「え…?!」
痛みはなかった。足は動く。
後をつけていたのは敵だけじゃなかった。
「ゲティスさん!」
「パロットもいるぜ。ここはオレらで片付けとくから、アーシェちゃんは早く行けよ」
何かが地面に落とされるような音がした。パロットが得意とする即効性麻酔に敵が伏せたのだとわかった。
一人じゃない。仲間がいる。
だから一人にさせない。誰も失わない。
もう一度走り出そう。自分にはそれができる。
「これ、噛む。痛い、なくなる」
パロットが差し出した薬草を受け取り、アーシェは立ち上がる。
「ありがとう!」
この手で守りたい人のところへ、全力で駆ける。
その姿を見送ったゲティスとパロットは、これ以上何者にも彼女の道を邪魔させないようにと地を蹴った。
誘導作戦は成功と言っていいだろう。シェルターから人を遠ざけることはできている。
万が一気づかれ、乗り込まれるようなことがあれば――あの場で戦えるのは、リアとブラックしかいない。
しかし二人とも狙われている身だ。リアなどはマクラミーの娘としての危険を背負っている。
ここで隠し通すことが、グレン、カイ、そしてアルベルトの役目。
三人はここまで、それを見事に果たしていた。
「俺たちもまだまだいけますね」
「軍の邪魔にならないようにしないとな」
普段から鍛錬を怠っていないカイとグレンはもちろん、
「こっちも順調に片付いてますよ」
久しぶりに銃を手にしたはずのアルベルトも。実は周囲がそう認識していただけで、本人は来る戦いに備えていたのだが。
軍を阻むことのないように、彼らは無線を装備して常に司令部と連絡が取れるようにしていた。
本来は指示や報告のためのものだ。まさかその声が届いて動揺することなど、全く覚悟してはいなかった。
『そちらの状況はどうですか?』
聴き慣れた高めの声に、グレンが返答する。
「ラディアか。敵を散らすことはできているが…」
『アーシェちゃんは着いていませんか?』
それは、ラディアと一緒にいるはずの少女の名。
どうしてこっちに、と返す前に、少女の父親が言った。
「やっぱり、来るんですね」
わかっていた。アーシェはきっと痛みを乗り越えて、大切なものを護るための戦いに身を投じる。
一人だけ安全な場所にいることは、彼女には耐えられない。
「まだ着いていません。でも、僕は待ちます」
誰よりも優しくて、強い子だから。父親であるアルベルトは、彼女を信じていた。
狙われてもなお前線に。大総統が汲んでくれた自分の思いを、果たして貫き通すことが出来るだろうか。
敵の流れの一部が自分へ向かっていることで、グレイヴは自分の立場を厭というほど思い知らされる。
皆殺しにすれば金が入る――ダスクタイトに向けられた殺意は、命か金かの目当ては違っても大きいものだということに変わりはない。
自分が刀を振るう度、その殺意は規模を増す。
連鎖を断ち切りたいのに、連鎖を作り出す。自分がここにいる限りは拭えないもの。
頭の中を相反する思いが駆け巡り、動きを鈍らせる。
疲れのせいもあるのは確かだが、それ以上に気持ちが揺れていることを否めない。
「余計なことを考えていたら護れないよ」
「…わかっています」
しかし、自分が刃を他人に向けている以上は、憎悪やそれに伴う復讐に関して何も口出しは出来ないのではないか。
倒れていく人間を見ていると、それは湧いてくる。
――こんなんじゃ、アイツに顔向けできないな…。
自嘲と血潮の夜は、いつ明けるんだろう。
力尽きる前に、光が射すだろうか。
目の前でまた倒れていく。その傷は自分がつけたものだ。
この手で人に血を流させることに恐れを抱いた従妹の気持ちがよく解る。
どうして今になって、迷ってしまうんだろう。
どうして今になって、この手が震えるんだろう。
――でも、もう何一つ護れないのは嫌だ。
ここで刀を手放してしまったら、きっと後悔する。
大切なものを何が何でも守り抜かなければ、全てを失ってしまう。
それはこの身も例外ではない。まだ消えたくない。生きていたい。
また皆と笑い合いたい。
きっとこれは、一生で一番大きな我侭だ。
自身を中心に光の軌跡を描く。円をつくる刃の残像。
揺れ動きながらも自分が求める夜明けを夢見て、現実のものにしようと駆ける。
これだけは誰にも奪わせはしない。
目の前を拓く事に必死になる。その先にこそ未来があると信じて。
それ故か――背後への反応は、大きく遅れをとってしまった。
痛むのはいつの傷だろう。すでに跡形もないのに、疼くものだろうか。
「ブラック君、大丈夫?」
「何が」
「顔が青いわ」
リアに指摘され初めて気づく。無表情を装っていたのに、しっかり表出していた。
シェルターに残されることは、彼にとって不安を煽るものだった。
外では娘が戦っている。いつどうなるかもわからない危険な状況に身を投じている。
自分や妻と同じように、狙われているというのに。
その心情をリアは察し、スノーウィーに目配せする。
返答は頷き、すなわち肯定。
ここはおそらく安全だ。だから。
「そこから出れば、見つかっても侵入されることはないよ」
「…お前」
私たちは大丈夫だから、行って。
本当に選びたい道を選んで。
「…すまないな」
元々こんなことになったのは自分の責任だと、ブラックは思っている。
過去の所業が招いたものなら、自らの手で終わらせるべきだ。
娘に全てを背負わせるわけにはいかない。むしろ彼女は単なる被害者だ。
シェルターを出て行くブラックを見送り、リアは鞭を握り締める。
あのころ使っていたものは軍支給のものだから、これとは違うものだけれど。
それでも腕が鈍っていなければ、十分に戦えるはずだ。
「…頑張ってね、皆」
私も、頑張るから。
その場所からは戦場がよく見えた。
だから初めに撃つべき標的も、信頼できる人の姿も、素早く確認することが出来た。
告げられた言葉を思い出す。自分に出来ることを果たす。
アーシェの番えた矢は真っ直ぐに的を捕らえる。
それと同時に、大切に想う少女はその父に救われた。
グレイヴの無事を確認できれば良い。アーシェは木から降り、駆け出した。
「父さん?!」
ここにいるはずのない姿に、グレイヴは驚愕した。
場に敵の標的が二人もいれば、動きにくくなるというのに。
半分呆れ、しかしながら半分安堵していた。
「自分が護らなければ」というプレッシャーから、ほんの少し解放される。
「邪魔はしねーよ。すぐに兄貴たちに加わる」
「怒られるんじゃないの?…特にカイさんに」
「アイツの名前は出すんじゃねー」
軽口をたたいている場合ではない。現に、このやり取りの間も賞金狙いを相手にしなければならなかった。
グレイヴはふと、さっき背後にいた者を見た。
いや、正確にはその近くに落ちている矢を。
どうやらもう一人、作戦を無視した者がいるようだ。
よりによって、いつもなら言われたことはきちんと守るような子が。
――まったく、誰が焚きつけたのよ。
自分が狙われていても、そんなことをまったく気にせず何かを護ろうとして。
――アタシたちはどうしようもない愚か者ね。
そう思うと、なんだか色々なものが吹っ切れたような気がした。
ここにいるのは皆愚かな連中。何かに盲目的にとり憑かれた大馬鹿者達。
「アーシェ、アンタもバカよね。司令部にいれば安全だったかもしれないのに」
「グレイヴちゃんこそ、こんなことのために綺麗な髪切っちゃって…おバカさんだよ」
背中合わせで笑う少女たちの、最後の戦いが幕を開けた。
幼い頃から、姉妹同然に育ってきた。
共に過ごした時間は強い絆となり、どんなことがあっても二人でなら乗り越えられると信じた。
弧を描いて風を斬り、薙ぎ払う。真っ直ぐに空を裂き、討ち倒す。
互いの動きを、息遣いを、心調さえも読み取って。
目指す景色へたどり着くことを邪魔する者は、何人たりとも赦さない。
「アーシェ、多分コイツらの目的は…」
「わかってる、おじいちゃんがつくったものやその情報でしょう?でなきゃこんなに人を送ったりしない!」
ついでに邪魔者を消してしまえば、敵は大きな力を手にすることになる。
不幸中の幸いは、核兵器に関する文書は軍が機密として預かっていることか。
ここが守りきれなくても、軍が占拠されなければ最悪の事態は避けられる可能性があった。
だが、アーシェとグレイヴにとって、この場所はそれだけのものではない。
大切な人とかけがえのない時間を過ごしてきた居場所だ。
「父さん、こっちは大丈夫だから!早く行って!」
ブラックには他の大人への合流を促し、自分はもう大丈夫だと示した。
グレイヴの言葉が充分信じるに足るものであることがわかっているから、ブラックは襲い来る雑魚を掃除しつつその場を離れた。
追ってくる者がいれば、彼らは不幸になってしまうだろう。その先には多くの戦いを経験した人間が待ち構えているのだから。
アーシェは家に近い位置にいる敵を倒していた。得物の特性上、遠くの者を狙う方が、効率が良かった。
周りはグレイヴに任せ、自分は自分のできることを。もうアーシェは怖れていなかった。弦を引く手に迷いはない。
二人で全てを捌ききることなどできないから、無理はせずに味方に背中を任せる。
これが自分達の戦い方だ。一人で戦うのではなく、仲間と共に運命を乗り越える。
「アーシェ、今よっ!」
「わかってる…行くよ!!」
見通しは大分良くなっていた。あと一人片付ければ、この戦いは終わる。
空は段々と白んできていた。もうすぐ、夜が明ける。
矢が最後の背中に立った。
気を失った追っ手を積み重ねながら、カイはぶつぶつと文句を言っていた。
「勝手に出てきやがって…面倒なことするなよな」
ブラックがシェルターを離れたことが不満だったようだ。その結果、自分達も必要以上に動くことになってしまったのだから言い分は正しい。
しかしこちらも、相手が相手なので謝るはずもない。
「うるせーな。いいじゃねーか、娘を心配するくらい」
「うわ、お前が心配とか…」
いつになっても変わらないのが、彼らのやりとりと戦闘能力。
いや、後者は少し衰えたかもしれない。四人もその場にいながら、敵を一人取り逃がしてしまった。
「あっちは大丈夫だろうか」
「大丈夫でしょう。リアさんも強いですし」
逃げた敵はシェルターの出口の方へ行ったようだが、あそこには番人がいる。
彼女も、そしてその息子も、雑魚に負けるほど弱くはない。
「ここまで来るなんて、この人結構やるね」
すっかり目を回して倒れている人物を見下ろして、リアは息を吐いた。
彼女の鞭捌きは健在で、一人くらいなら余裕で倒せるのだった。
そして功労者はもう一人。リアが戦っている間、シェルターに残されたスノーウィーを守っていた少年。
「ありがとうね、リヒト君」
「いいえ…」
リヒトは俯いて、少し顔を赤らめる。
そして姉はいつもこうして誰かを守ろうと一生懸命なのだということを、解り始めていた。
倒れた肢体を拘束して運びながら、夜明けの空を眺めた。
この戦いの真実はまだわからない。けれども、終わったということだけが、アーシェとグレイヴの心の中を占めていた。
自分の戦いができたということが、彼女らの小さな誇りになった。
「戻ろうか、アーシェ」
「…うん」
まだ最後の仕事が残っている。
真実を暴いて、後始末をしなければならない。
もう一度皆揃って、心から「良かったね」と言うことで、戦いは初めて本当の終焉を迎える。
その頃、もう一つの戦いも終わりを迎えていた。
それで彼らを取り巻いていた全てが、休戦した。