何かが変われば、新しいものに反するものも現れる。

ただそれだけのことだった。

規模が国という大きなものだったという、それだけの。

 

何も言えなかった。二人が二人ともそうだったから、車内はとても静かだった。

レヴィアンスの呼び出しに応じたルーファは、それが何を意味するのかをずっと考えていた。

いや、考えずともうっすらとわかっていた。

軍から離れた場所で、自分一人を呼び出して。良いことがあるわけでは絶対にないだろう。

その不安を、隣でハンドルを握るダイもわかっていた。

彼はもっとはっきりとした予想を立てていたが、それを再び口にすることは憚られていた。

彼にしては珍しいことであったが、それほど予想が外れて欲しいと願っているということだ。

これがあたってしまったら、彼は部下を一人、もしかすると二人失うかもしれないのだから。

「ここでいいのか?」

漸く口を開いたのは、約束の場所に到着した頃だった。

停車した場所は木々に囲まれていて、月明かりがほとんど届かない闇の中。

ルーファは無言で頷き、車を降りた。

「いそうか?」

「…わかりませんね」

やっと発した言葉は、ずっと黙っていた所為か掠れていた。

草を踏む音だけが暗い中で小さく鳴り、不気味さをかもし出す。

「ダイさん」

「なんだ」

「やっぱり、レヴィは俺のこと嫌いでしょうか」

「…俺が知るわけないだろ」

本人がいない、意味のない問いだった。

もしここで肯定されれば、これからのことに集中できたかもしれない。

否定されれば、これからのことに希望を持てたかもしれない。

そのどちらも、ダイは与えることができない。彼はレヴィアンスではないのだから。

「車、ありがとうございました」

「あぁ」

ここから先はルーファ一人の、いや、きっとルーファとレヴィアンスの二人の戦いになるのだろう。

一層深い闇の中へと進んでいくルーファを、ダイは見えなくなるまで見つめていた。

その間何もせずに待っていてくれた背後の影に、この時だけは感謝した。

「別れは済んだか?」

その声の主が誰であるかわかっても、一言返す余裕はあった。

「一生の別れじゃあるまいし…律儀に待たなくても良かったのに」

「そんな卑怯な真似はしない」

「はは…そうかよ」

乾いた笑いの後に、相手へライフルの銃口を向けた。

向けられた方は微動だにせず、口の端に笑みを作っていた。

「お前にとって罪もない子供にクスリを盛ることは、卑怯じゃないのか?」

「若気の至りじゃないか。赦せよ」

「赦してたまるか、クソジジイ」

火蓋が切られた。

ダイがずっと望んでいた復讐の時が、とうとう訪れてくれたのだ。

 

静寂の中、木々のざわめきが不安を一層煽る。

約束通り、一人で来た。レヴィアンスは現れるのだろうか。

ルーファは辺りを見回し、それらしき影を探した。

だが、自分以外の人間の気配は全く感じとれない。

本当に電話の主はレヴィアンスだったのかと、疑いたくなるほどに。

「レヴィ、いるのか?!」

呼んだのは確認のためだけではない。闇の中に一人で立っているのが怖かった。

誰でもいいから、この場に来て欲しかった。

それに応えるように、ひときわ大きな葉擦れの音が聞こえ、ルーファはその方向へ目をやった。

だが、その直後、頬に鋭い痛みが走った。何が起こったのかわからぬまま手を当てると、ぬるりという感触。

血を流させたのは、見覚えのあるダガーナイフ。それで漸く、彼が来たのだと覚った。

「レヴィ…」

小柄な体格。しかし、その手に握られたダガーナイフの狙いは正確だった。

次も外すつもりはない。いや、もっと確実に仕留める。そんな心情が眼光から伝わってくるようだった。

いつもと同じ鳶色の瞳なのに、普段の彼が持つ明るさなど一切持ち合わせていないようだ。

レヴィアンスは真正面に立って、ルーファを静かに見据えていた。

「ちゃんと一人で来てくれたんだ」

口の端だけで笑うレヴィアンスの、その目は冷たいままだった。

「約束だからな」

ルーファは頷いた。それから、訊ねたいことがたくさんあった。

どれから訊けばいいのだろう。今までどこにいたか?それとも、どうしてこんなところに呼び出したか?

いずれにしても、問うことはできなかった。

「それじゃ、始めようか」

レヴィアンスがそれを遮るように、そう言ったから。

「何をだよ。話つけたら帰るぞ、レヴィ」

ルーファがそう返したのは、これ以上レヴィアンスの言葉を聞くのが怖かったから。

すでに血に濡れた頬は、そんな言葉は無駄だと知っているのに。

当然レヴィアンスの答えはこうだった。

「帰れないよ」

闇の中で、あの楽しかった日々に別れを告げるように彼は言う。

「ボクはゼウスァート、キミはアストラ。…もう、帰れないんだよ」

そこにいたのはルーファの知っているレヴィアンスではなく、初代大総統の血をひく少年――レヴィアンス・ゼウスァートだった。

そしてルーファもまた、レヴィアンスと笑い合っていられるような者ではなく、暗殺者の子ルーファ・アストラとしてそこにいなければならなくなった。

再びダガーナイフがルーファを目掛け飛んでくる。訓練での遊びのような手合わせではない。

これはゼウスァートの生き残りが、暗殺者アストラへ復讐するための舞台。血塗られた歴史に幕を降ろすための儀式。

彼らが友として時間を共有していなければ、あまり滞ることなく遂行されたはずの裁き。

戦えない理由が全くなければ、こんなに苦しむことはなかった。

「レヴィ、やめろ!」

眉間を狙ったダガーの刃を、ルーファは剣で止めた。

最悪の事態を想定して持ってきていた剣だったが、やはり使わざるを得なかった。

「何だ、ルーファも戦う気だったんじゃない。だったら遠慮はいらないね」

「違う!これはお前と戦うためなんかじゃなくて」

「言い訳はみっともないよ、ルーファ・アストラ。君の一族は何人もの人間を殺してきたのに」

レヴィアンスの言葉とは思えない響きに、ルーファは力を奪われた。

人をからかったり、感情的になって喧嘩腰になることはよくあることだ。けれども、こんなに冷静に、そんなことを言われるなんて。

彼は本当にレヴィアンスなのだろうか。そっくりな別人だったら、少しは心が軽くなるのに。

「レヴィ、お前…そんな奴じゃなかっただろ…」

「ルーファの親がボクの親を殺していなければ、こんな風にはならなかっただろうね」

つい最近までは、そんなことは互いに知る由もないことだった。

裏や協会と関わることで、知らなくてもいいことを二人とも知ってしまったのだ。

「ボクの親だけじゃない。ゼウスァートが歴史から消えたのは、アストラに暗殺されたからだった。

こんな連鎖は、ボクたちで終わりにするべきなんだよ」

レヴィアンスは素早く屈み、ダガーの刃先をルーファの腹部に向けた。

 

ライフルは弾丸を撃ち出す前に、銃口を地面へと逸らされた。

硝煙の中、男はライフルを掴みながらにやりと嗤った。

「おいガキ、私が憎いか」

九年前、ダイを嘲った時と同じ笑みで問う。そこまでされて、肯定しない理由はなかった。

「憎いに決まってるだろ。俺の弟にあんなことしやがって!」

銃が使えないのなら、まだ手はいくらでもある。ダイは自由を奪われたライフルを捨て、ナイフを手にし、男を斬りつけた。

近距離戦ならこちらの方が都合もいいだろうと、とっさに判断したのだ。

しかしそれは大きな間違いだった。ライフルの銃身は男に掴まれていたのだから、放してしまうと男の手に渡ってしまうことになる。

一時的に激昂したダイの判断力は、正しくもあり誤ってもいた。怒りにまかせなければ、こんな単純なミスはするはずがなかったのに。

「私に傷をつけることができたのは褒めてやろう」

ナイフは確かに近距離では有利だ。しかし、その近距離だからこそ銃の狙いも定まりやすい。

ライフルの銃口は、今度はダイの胸にぴたりと押し当てられていた。

「褒美に、お前の銃で撃ち殺してやろう。…あれから少しは賢くなったかと思っていたが、愚かなままだったな」

「…愚かなのはどっちだよ」

間を空けずに撃たれていれば、ダイはそこで終わっていた。

ここは外だ。いくらでも逃げ場所はある。無駄口を叩くほどの時間を与えられれば、すぐに脱することができる状況だ。

ただしあまり離れすぎれば、やはりダイが不利のままだ。こちらにはナイフしかないのだから。

だったら逃げ場所は一つ。銃弾を浴びず、且つ相手に確実な一撃を与えられる場所。

ダイは即座に男の後ろにまわり、ナイフを振り上げた。

「そうそう、そうやって楽しませてくれないと」

だがそれも男の想定範囲内。いつまでも銃を構えて無駄話をしているわけではなく、ダイの動きに合わせて振り向き、刺される前に蹴り飛ばした。

これでまた銃の射程範囲。ダイを反撃できない体勢にし、今度こそは勝負をつけられる。

起き上がろうとしたダイの目には、銃口の深く暗い穴が映っていた。

 

世界暦二七一年、大総統として初めて、王の代わりにエルニーニャ国内の政権を握ることとなった、ゼウスァート家の人間が暗殺された。

ゼウスァートはそれで滅ぼされたものだと、誰もが思っていた。

だが彼らは表舞台から姿を消しただけで、その後も血筋を絶やさず生きてきた。

暗殺者がエルニーニャ王国の暗部で動いていたアストラ家の人間であると知っていながら、仇を討つこともせずに隠れていた。

再びアストラ家の人間によって、最後の一人を遺して殺されるまで。

「歴史の上ではいつも敵同士だった。今ではお互いに最後の一人。やっと終わらせられるんだよ」

今は亡き軍家の末裔として、レヴィアンスは戦っている。

相手が友であっても、その身体に傷をつける。

「戦わずに終わらせる事だってできるだろ!」

腹の痛みに耐えながら、ルーファは声が届くことを願っていた。

自分が暗殺を生業とする家の人間であるとしても、今はそうだと思っていなかった。

連鎖はすでに終わっている。生みの親が彼を手放した時に。

あの日からルーファは、もうアストラではなくなっていたはずだった。

それはレヴィアンスも同じこと。ゼウスァートに生まれたことを知らずにいたなら、こんな戦いにはならなかった。

けれどもレヴィアンスはかつての家を背負い、ルーファは今を見ている。

この食い違いをどうにかできないだろうか。戦わずに済む方法はないのだろうか。

彼らが友人同士であったからこそ、その可能性はいくらでもあった。

しかしレヴィアンスがそれらを捨てざるを得なかったのだ。

「レヴィ、もう…もうやめよう。こんなところで争っている場合じゃないだろ」

どうしてレヴィアンスがこんなことになってしまったのか、ルーファにはわからない。

誰に何を言われようと、レヴィアンスはレヴィアンスのままでいると思っていた。

「今は、ニアを助けなきゃいけないんだ。だから一緒に行こう、レヴィ」

現大総統の子として胸を張り、軍で出会った友人を大切にするレヴィアンスであると思っていた。

ルーファのその考えは間違ってはいない。だが、それゆえにレヴィアンスにはもう一つの戦う理由があった。

「ニアを助ける…?何言ってるの?」

大切な友を敵に渡したのは、誰だったか。

アストラは裏に生きた一族だ。軍と対立する勢力にいた。

レヴィアンスはルーファへの疑いを、完全には捨て切れなかったのだ。

「ルーファさぁ、ニアを裏に渡しといて、よくそんなこと言えるよね」

「…それは」

「またいつこんなことがあるか分からないから、ボクはルーファを倒してからニアを助けに行くことにしたんだ」

ぶつかるナイフと剣。暗い森に響く金属音。

木々のざわめきとの不協和音は、まるで今の心情のよう。

誰かを想う気持ちは同じ。それなのに、一致しない。

こんな戦いをすることでしか、己の想いを貫けない。

「信用できないんだよ!ルーファになんかニアをまかせられない!」

「俺一人じゃどうにもならないから、レヴィにも来て欲しいんだ!」

「信用できない人間と一緒に行けるわけないだろ?!ニアはボクが助けるよ!」

重なった不運が、二人の間に大きな溝を作っていた。

埋められないものではないはずなのに、どんどん深みに嵌っていく。

 

とっさに男の足を払い、撃たれることは免れた。

だが倒れたときに足を捻ったのか、立とうとすると激痛が走る。

動くと悪化することは分かっているが、そんなことも言っていられない。

立ち上がらなければこっちが殺されるのだ。

ライフルは依然男の手の中。ダイはそれを常に警戒しながら戦う必要があった。

「私と戦うのは楽しいか?」

追い詰められかけているダイに、男はいかにも愉快だというような口ぶりで訊ねる。

まだ余裕がある相手が忌々しい。

「全然楽しくないね。早く俺に殺されろよ」

「それが軍人の言うことか。こんな奴を雇っているなんて、エルニーニャ軍も堕ちたものだな」

「他の甘い奴らと一緒にするな。堕ちてるのは俺一人で充分だ」

男が高く笑った。何がおかしいのかわからず、ダイは顔を歪める。

弟のことを、母のことを、自分のこれまでの事を思い返すと、目の前で何故か笑っているこの男が憎らしくてたまらない。

足が痛むことを忘れ、男に斬りかかった。しかしそれは容易にかわされ、後に残るのは自分へのダメージ。

「お前も充分甘いだろう、ダイ・ホワイトナイト」

背後から降る低い声。九年前と何一つ変わらない、ずっと恨んできた声。

「自分と同じ場所に、大切な部下を立たせたくない。そんな甘い考えが伝わってくる」

それが心を見透かすように言うものだから、ダイの苛立ちは募るばかりだ。

「今、お前の部下が危機にある。そしてお前の目の前には私がいる。

私を倒して仲間をも救おうなどと考えれば、お前は私に対し全力を尽くさずに死ぬことになる」

そうだろうな。その通りだよ。仲間のことを――ニアたちのことを気にしているからこんなことになる。

生きて、全部零さないように帰りたいなんて考えるから。そうしてあの子の笑顔を見たいなんて欲張っているから。

自分の望みは何だった?軍に入ったのはどうして?

全ては目の前の男に復讐するためだったじゃないか。

けれども、復讐なんて考えるなとか、そんなことばかり言う奴らがいるから。

自分はどうやら、変わってしまったらしい。憎んだ男に耳を貸すような、甘っちょろい人間に。

「…あぁ、じゃあもういいや。お前を倒すことだけに専念するよ」

仲間への情は、今はいらない。男への復讐心も、どこかへ置いておこう。

自分自身に決着をつけるためだけに、今は動こう。

どうせあいつらは大丈夫だ。なんといったって、このダイ・ホワイトナイトの部下なのだから。

「…そうだ。そうしてくれないと面白くない。これでやっとお前と戦える」

男はライフルをダイへ放り、自分の剣を抜いた。

 

もう昔となってしまったあの日、子供が一人、孤児院の前に放置された。

母親はその子の頭を撫でながら呟いた。

いつになったら迎えに来られるのかしら、と。

父親は首を横に振って答えた。

もう会えないものと思いなさい。この家に生まれたことを恨む日が来てしまわないよう、この子をここに預けるのだから。

このまま夫婦に育てられれば、子供はいつかたくさんのものを失うことになる。

それを考えての、苦渋の選択だった。

ならばせめて、最初で最後の贈り物をこの子に。

そう思い、子供の衣服に小さな紙切れをしのばせた。

そこには、子の名が記されていた――ルーファ、と。

さようなら、ルーファ。母親が言う。

これであなたは、血塗られたアストラの家から解放されるのよ。

ごめんなさい、ルーファ。

あなたの成長を見届けることができなくて。

夫婦は子供を残して、静かにその場を去っていった。

またある日のこと、子供が一人、孤児院の前に放置された。

生まれたばかりの赤子を、父親は辛苦の表情で手放した。

こうしなければ、お前は生き延びられないんだ。

お前はどうか、自由な人生を送ってくれ。

彼は自分がもうすぐ暗殺者の手によって葬られることを予測していた。

妻はすでに殺された。彼に大切な子を託し、逝ってしまった。

この子だけは救わなければなるまいと、父親は懸命に走り、ここにたどり着いたのだ。

ゼウスァートの人間じゃなくなれば、この子は殺されずに済む。

一族が滅びても、この赤毛で繋がる親子の絆は途切れない。

さようなら、愛しいわが子。

いくら泣いても、もう抱き上げることはできない。

早くここから去らなければならない。

赤毛の男の姿が消えた頃、そこを暗殺者が通りかかった。

彼は赤ん坊の命を奪うことはしなかった。

そこに自分がかつて捨てた子の面影を見て、ただ生きて欲しいと願った。

それで、アストラとゼウスァートの物語は終わったはずだった。

終わった物語の続きを強引に書こうとする者がいた所為で、しがらみから解放されたはずの子供達が戦っている。

信じることを忘れかけ、刃を交え、血を流す。

もうすぐ、物語の続きの終わりが訪れようとしていた。

「アーシェに言ったんだ。血がどうこうとか、そんなのは関係ないって」

衣服は裂け、そこかしこから血が滲んでいた。それでもルーファは、レヴィアンスに反撃をしなかった。

「もう終わったんだよ。今の俺たちは、アストラでもゼウスァートでもないんだ」

友に帰ってきて欲しかった。暖かな日々を取り戻したかった。

ルーファ・シーケンスとして、レヴィアンス・ハイルとして、日常に還りたかった。

「ルーファはそう思ってても、ボクは違うんだよ。今のボクはレヴィアンス・ゼウスァートで、ボクの認識するルーファはルーファ・アストラなんだ。

ボクが決着をつけなきゃ、終わらないんだよ」

レヴィアンスはダガーナイフを振り上げ、ルーファに狙いを定める。

「じゃあね、ルーファ。これで歴史はおしまいだよ」

二つの一族が、真の終焉を迎える。

いつか遠い昔に聞いた「さようなら」が、頭の中に響いた。

 

右手にはナイフを、左手にはライフルを。相手の操る剣の動きを読みながら、止めて、斬って、避けて、止めて。

追い詰められない代わりに、相手を追い詰めることもできない。互角の攻防がダイの体力を削っていた。

だがそれは男の方も例外ではない。ダイの応戦に嬉々としながらも、動きは段々鈍くなっていた。

「流石はあのマグダレーナの子だ。軍人としては一流だな」

「そうか。俺からシェリーカ・マグダレーナの血しか感じられないなら、お前は三流だな」

「なるほど、違いねぇな」

ダイの発言は皮肉に対する嫌味のはずだった。だが、相手はそれをあしらいもせず受け取った。

今日まで戦いの準備をしてきたのだと、見せ付けるような返答だった。

「北の暴君――ヴィオラセントの血が入ってるんだったな、お前には」

ホワイトナイトはかつて商家だったヴィオラセント家の分家筋にあたる。

商家となる前――五百年以上も前の大陸戦争時には、北部戦士の要となっていた男の血が、ダイにも流れている。

ノーザリア軍大将カイゼラ・スターリンズも当てにしている血脈だ。

この男がどこで情報を手に入れたかは分からないが、それを力の理由にされるのは腹が立つ。

ダイはダイだ。この力は努力の末に培い、その努力は自分が関わってきた人々によって幇助されてきた。

その全てを無視して、血脈などというもので判断されるのは我慢できない。

大体血脈による人間形成などというものは、完全には認めてはいけないものだった。

認めてしまったら、大切な人たちが苦しむことになってしまう。

「やっぱり三流だな、お前」

振り下ろされた剣をナイフで止め、男の空いた腹にライフルを突きつけた。

引鉄を引くのに躊躇はなかった。相手はずっと辿りつきたいと思っていた、あの男なのだから。

「血脈なんか関係ない。ただ俺を育てたのが両親で、技術を与えたのが養父母だったというだけのこと。

あとは俺の実力だ。…なめんじゃねぇよ、クソジジイ」

いや、単に血脈を持ち出されたことが腹立たしかったのかもしれない。

 

額の寸前で、刃はぴたりと止まっていた。

時間が止まったような気がしたが、風と草木の音がそれを否定した。

レヴィアンスが手を下ろし、ルーファへの一切の攻撃を止める。

ゆっくり息を吐いて、一言。

「ごめん」

いつもの、でもほんの少し神妙な、そんな口調でレヴィアンスは言った。

「痛かったよね、ルーファ。ごめん」

「レヴィ…」

突然のことで、ルーファはまだ混乱していた。

さっきまでぶつけられていた痛みを伴う言葉は、全て夢だったかのようだ。

瞬きを繰り返すだけのルーファに、レヴィアンスが草を一掴み差し出す。

噛むと痛みが止まるんだって、という言葉を、ルーファは素直に信じた。

「…どうしたんだ?急に」

草を受け取って、訊ねる。

「ニアを助けられなかったルーファにイラついてたのは本当だよ。

これでアストラとかゼウスァートとかの歴史を終わらせるのもね」

真剣にルーファを見つめる鳶色の瞳からは、攻撃性は感じられない。

ただ淡々と、心情を明かしていた。

「わかってたよ。ルーファは暗殺者となんか関係ないって。

だけどここは、こうするより仕方なかったんだ」

草むらから大人の影が覗いていた。

レヴィアンスがそれを睨んだ時、ルーファはさっきまでの戦闘の真の意図が見えた気がした。

本当の敵は、レヴィアンスではない。

「ルーファ、協会と裏はグルだよ。裏の人間が協会に入り込んで、教祖として振舞ってたんだ!」

「何だって?!」

真実を聞くのと、レヴィアンスが影へナイフを向けたのは同時。ルーファはとっさに応戦した。

レヴィアンスの戦いはずっと協会の人間に見張られていたのだ。いや、正しくは協会に入り込んだ裏の人間だ。

従うふりをしてルーファと戦い、見張りを油断させるつもりだった。

ついでにルーファへ自分の気持ちを吐き出してしまって、心の中のもやもやをすっきりさせたかった。

「ごめんね。でも、やっぱりボクは子供だから。文句を言いたい時だってあるんだよ、ね!」

見張りを一人倒す。レヴィアンスがナイフで敵を突いたのと、ルーファが剣で斬りかかったのは同時だった。

「じゃあ俺も子供だから言っていいよな。レヴィ、お前の言葉、結構傷ついたぞ!」

見張りはあと二人。何かあっても相手は子供だと思って、あまり配置していなかったようだ。

それが命取りだとは知らずに。

「ごめんってば!…でも、ボクはやっぱり軍には戻れないや。あれだけのことしたんだから、大人しくゼウスァートの生き残りとして生きてくよ」

「何言ってるんだよ、お前はレヴィアンス・ハイルだろ!…そう言わなきゃ、ニアには通じないじゃないか。それに」

あと一人ずつなら、分担して相手をすればいい。子供だが軍人だ。

常日頃、理不尽なほど厳しい訓練に耐えているのだから、これくらいは余裕をもって乗り越えなければ。

でなければ、鬼のような上司にまた嫌味を言われてしまうかもしれない。

「お前、現大総統と補佐の跡継ぎだろ!しっかりしろよ、ハイル家長男!」

「…そうだね、シーケンス家の息子には負けたくないしね!」

早く邪魔者を倒して、一緒にニアを助けに行こう。

そのためにも負けられない。こんなところで足止めなんてまっぴらごめんだ。

「お前はゼウスァートを…大総統の血脈を捨てるのか…!」

足元で、倒れた男が呻いた。

レヴィアンスは当然、というように返す。

「ボクの友達が、ボクはレヴィアンス・ハイルだっていうんだ。信じるしかないでしょ!」

雑魚の相手も、建国の英雄と暗殺者の物語も終わった。

さぁ、最後の物語を終わらせに行こう。

「ニアは司令部にいると思う。あいつらの本当の目的は、軍の壊滅だから」

「よくわかんないけど…それならダイさんに車を出してもらえばいいよな」

「本当に大尉使ったんだ…すごいね、ルーファ」

二人は足並みを揃えて駆け出した。

向かう先に待っているのが、どんな状況かも知らずに。

 

また怒りに負けたんだなと、ダイは痛みの中で思っていた。

戦いに夢中になって、背後の気配に気付かなかった。ちっとも成長していない自分に、苦笑さえ洩れる。

「さすが裏…滅びてなかったんだ、クローン技術って」

記憶と意思を持つクローン。十五年前になくなったはずの、裏の技術の結晶。

完全に消えたわけではなく、技術を扱える人間がいればいつでも復活させることができた。

ダイを背中から貫いた剣を握っていたのは、本物の敵――オーガダンと呼ばれる男だった。

今まで戦っていたのは彼が作った、彼自身のクローン体。

何をしても、何を言っても、全くの無意味だったということか。

「お前はよくやったよ。クローンとはいえ私を相手にして、互角に戦ったんだ。今後が楽しみだよ」

「今後ってことは…俺を生かしといてくれるんだ…?」

「この傷で死ななければな。生きていればどうせ北に来るのだろう?その時また戦おうじゃないか」

「そうだな…今度は…」

ずるりと剣が引き抜かれ、ダイは膝を崩す。血溜まりが地面の草を呑み込んでいった。

「今度は、絶対殺してやるよ」

生かしておいたことを、せいぜい後悔させてやる。

そう闇に溶けていった男へ吐き捨てた。

それから、

「…さっさと戻ってこいよ、ルーファ、レヴィ」

ここに来るはずの部下を待つことにした。

彼らを乗せて司令部に戻り、身体に開いた穴を塞がなければならない。

あの男との再戦のために。

 

血塗れになったダイに、ルーファとレヴィは驚いて駆け寄った。

待っているだけだったはずなのに、大怪我をして車によりかかっているなんて。

「ダイさん、何があったんですか?!」

「大尉、大丈夫?!」

「…お前ら、遅い。俺を死なす気か」

心配する部下に普段の調子で文句を言い、ダイは立ち上がった。

こんな傷で運転しようとするなんて無茶だとルーファは思ったが、これ以上言うとまた怒られるのだろう。

「レヴィ」

「何?大尉」

「勝手に家出するな、馬鹿」

「…うん、ごめんなさい」

それに、この雰囲気をぶち壊すのも失礼だ。

ダイは格好をつけるのが好きだから。

「辛かったら運転代わりますよ」

「部下に無免許運転させたら俺が罰されるだろ。…行き先は司令部でいいな?」

さぁ、帰ろう。自分達の居場所へ。

最後の戦いの地へ。

「司令部にニアがいるんだよな?」

ルーファの問いに、レヴィは力強く頷いた。

「確かに聞いたからね。ニアを使って司令部を襲撃するのが最終的な目的みたい」

元々裏と因縁の深いインフェリア家の人間だから、ニアを利用することは計画のうちだったようだ。

大総統に近い人間をかき回し、内部に混乱を起こして分散させてから、さらに軍の人間をその壊滅に使う。裏が好んで使う手口だ。

今司令部にいるのは救護班と、大総統、大総統補佐、そしてカスケード。

ニアが利用されているとなると、軍側の人間は動き難いはずだ。

「俺はもう動きたくないからな。…お前らガキ連中で何とかしてくれると助かる」

「わかってますよ」

「任せて、大尉」

裏は今回、多くを狙いすぎた。

その分多くの力を動かすことになると、彼らは予想していただろうか。

その力が集まって大きくなり、巨大な敵を作ってしまったことに気付いただろうか。

「軍を…俺たちをなめんなよって、ちゃんと言ってこいよ」

「了解!」

最終決戦に向けて、闇の中を車が走る。

もうすぐ全てに結末が訪れる。