戦いから一夜明け、疲れも完全に取れないまま。

それでも彼らはその役割を果たすために、ここにいた。

軍人としての誇りを胸に、今日も歩いていく。

 

伍長組は司令部内の修復作業にあたっていた。

事件自体の処理は主に尉官以上の仕事で、どんなに関係が深くともニアたちは関わらせてもらえなかった。

これも大総統が今後を考えて判断したことなのだが、特にニアとレヴィアンスは自責の念もあり、この配備に納得できていない。

軍を辞めなければいけないのではないかとも思っていたが、誰もそんなことを言わない。

大総統も、その補佐も、ルーファやアーシェ、グレイヴ、ダイですらも。

ところで、今日の時点では、事件の処理にダイは関わることができなかった。

傷は塞がったとはいえ、彼の失った血液量は酷いものだった。ドクターストップがかかったのである。

つまり事件の深部にいた六名は、誰一人として今日開かれた会議内容を知らないのだ。

中央司令部が襲撃されたことはエルニーニャ国内だけでなく、大陸全土を揺るがす大事件となった。

それがどのように処理され、深部の人間はどう処分されるのか。それはニアたちにとっても重要なことなのに。

「気になるけど、今はこうしてお片付けかぁ…」

「僕がやっちゃったことだから、責任持ってやるけどね…」

レヴィアンスとニアは先ほどからずっとそわそわしている。

自分たちのことはもちろん、親たちのことも、彼らは心配でならなかった。

「大丈夫だって。大総統に任せよう」

ルーファがそう言って頭を軽く叩くので、ニアとレヴィアンスは頷いた。

そうだ、今は信じるしかないのだ。

「…まぁでも、ニアは派手にやったよな。片付け全然終わんないや。

レヴィが付けてくれた傷もまだちょっと痛むし…」

「う…ごめん、ルー」

「それはもう謝ったじゃんかー!ルーファってば性格悪いなぁ!」

「冗談だよ。…こうやって、笑って済ませられるようにしていこう」

まだまだやらなければいけないことはたくさんある。

今は目の前の、自分達に任せられた仕事に専念しよう。

 

軍壊滅が阻止できても、アーシャルコーポレーションの遺産が奪われることがなくても、彼女達の戦いは終わっていない。

血脈と、復讐の連鎖――後者は自分の手で断ち切ることができる。グレイヴはこれを終わらせるために戦っていく決意をした。

しかし血脈は気にしないか、受け入れてしまわない以上どうしようもないことだった。

全てが血脈で決まるということはないだろう。それはルーファが証明してくれた。

それでもアーシェにはまだ、僅かな不安が残っていた。

「私たちの戦いは、自分達との戦いで…それはきっと、一生続いていくものだと思う」

担当箇所の片づけ中、偶然グレイヴと二人きりになったとき、アーシェはそう言った。

長い戦いは、独りでは辛くて倒れそうになるかもしれない。でも、今の彼女らには希望があった。

いつか大切な人を失うこともあるかもしれないという不安は、「いつか」のこと。

今はちゃんと仲間がいて、家族がいる。

「もし私が戦いに負けそうになってしまったら…」

「その時はアタシが助けるから、アーシェはいつものアーシェでいなさい」

そう言ってくれる大切な人がいる。

「じゃあグレイヴちゃんが辛い時は、私が助けるよ。…それとも大尉の方がいい?」

「アーシェ!」

皆で助け合っていけば、不安な「いつか」は来なくて済むのではないか。

一つの大きな戦いを越えて、皆が揃った後は、そう思える。

アーシェは、そう思っていた。

でもグレイヴは、皆がそろっている時間がもうすぐ終わってしまうことを知っている。

一人が遠くに行ってしまい、きっとこちらに戻ってくることはなくなってしまうのだろうということを。

アーシェにも話したはずなのに、彼女は何も言わない。

忘れているのか、気を遣っているのか。一つの大きな戦いが終わったことに安堵して、それを考えていないのかもしれない。

「…アーシェ、アイツは、いなくなるんだよ…」

誰の方が良いとか、そんなことじゃない。

ただ、傍にいて欲しい人が、一人いなくなるだけ。

「かもしれないって、そうならないかもって、グレイヴちゃん自分で言ってたよ。

私はあの大尉が、グレイヴちゃんや私たちを置いていくなんて、ちょっと考えられないかな」

「…アーシェは、アイツのことそういう風に思ってるんだ?」

「うん。一度私たちの指導を辞めようとしたことがあったじゃない。あの時も戻ってきてくれたから」

そうか、前例があるんだった。

本当に行ってしまうのかは、まだ分からない。

本人から確かな言葉を聞くまでは、確定的ではないのだ。

「大尉、医務室にいるはずだよ。病院やお家だと抜け出されるからって」

アーシェがくすっと笑ったので、グレイヴも同じように笑った。

ここは大丈夫だから、行っておいでよ。

そんな彼女の気遣いと、怪我をして動けないほどなのに抜け出す可能性があると思われるダイに対して。

 

軍を壊滅させ、国を乗っ取るという目的で動いていた裏。

裏を撲滅しようと考えながらも、それに中枢を乗っ取られ、軍壊滅に協力してしまったイクタルミナット協会。

それぞれに加担してしまった人物の処分はどうするか。

一般人の中には、いっそ軍をなくしてしまおうという考えもないわけではなかった。

一方で、協会に少しでも関わったことのある人々の迫害が始まる可能性が充分にあった。

この事件の処理は長くかかりそうだ。

「これで軍と裏と協会の敵対関係は深くなっちゃったし…これからもまだ何かありそうだよね」

協会は表面上解散することとなったが、宗教が完全になくなるということはまずありえない。

今後も細々と信仰を続けていくのだろう。

「どうするんだ?」

「一つずつ片付けていくしかないよ。何かあったらその度に処理して、今回のことで傾きかけた軍の権威を取り戻さなきゃ」

大総統は軍の統括者。何があっても軍側の人間として振舞わなければならない。

けれども、いつか軍はなくなるだろうと、ハルは予想していた。

ずっと未来のことになるかもしれない。自分達の見届けられない将来、この国から軍はなくなるのではないか。

それが何者かの侵略に負けてのことか、それとも世の中が平和になったために廃止されるのかはわからない。

「アーレイド、ボクはあと何年ここにいるのかな」

「十年以上はいろよ。まだお前の夢、完全に叶えたわけじゃないんだろ」

「うん…そうだね」

もしも自分が統治している間に、この国が平和になったら。軍を保つ必要はなくなったら。

今は軍を保たなければならない。軍が関わった事件を綺麗に処理しなければならないから。

それがこの椅子を受け継いだ自分の使命だから。

だが平和になったら、その使命はもう終わりだ。ここを離れ、軍を解体し、平穏無事に過ごせるかもしれない。

誰も辛い戦いをすることのない、そんな未来ならいい。

「ハル、そろそろ会議の続きだ」

「そうだね。…じゃあ、行こうか。アーレイド」

この事件の終わりが、平和への一歩となりますように。

たとえさらなる戦いの始まりとなったとしても、その戦いが終わったら平和になると信じて。

――建国の英雄と讃えられた、ワイネル・ゼウスァートも、そう願って戦っていたのかもしれない。

平和のために軍をつくり、その頂点に立っていた。

昔も今も、平和への思いはきっと変わっていない。

「レヴィはボクたちの子どもに、なるべくしてなってくれたのかもね」

「…そうかもな」

 

一般の病院の修復はすでに終了し、医療機関はもとの機能を取り戻しているはずだ。

昨夜運ばれてきた怪我人は軍の運営する病院に移送されたため、医務室を使用しているのは彼以外にいなかった。

こんな状況下にあっても、彼は病院嫌いのまま。

「ちゃんと病院行きなさいよ」

「それだけはグレイヴに言われても勘弁だな」

いつもと変わらない――顔色は少し悪かったが――ダイの様子に、グレイヴは安堵した。

昨夜は、後ろから剣が貫通した上に、その後車を運転した、なんて言っていた。

ラディアが傷を塞いだといっても、心配だった。

それが今、こうしていつもの無駄に爽やかな笑顔で(というのはグレイヴの評だが)、応えているのだから。

「…なんか腹立つわね」

「それは多分寝不足の所為だな。俺の横で寝るといい」

「いや」

そんな冗談の相手をしに来たのではない。

ダイは本当にノーザリアへ行ってしまうのか、それだけを確かめたかった。

アーシェは行かないだろうと言った。部下を置いていくような人間ではないと。

しかしグレイヴの知るダイは、目的のためなら手段を選ばないという面も持っている。

真剣に考えるほど、ノーザリアに行くことが彼にとって有効な手段であるなら。

誰にもそれを止めることはできないし、権利もなかった。

「…グレイヴ?何か考え事か?」

「アンタのことよ」

「え?」

意識を目の前の彼に戻すと、嬉しそうに驚いていた。

そこでグレイヴは、自分が犯してしまったミスに気づく。

「ち、違う!アンタのことっていうのは、そういう意味じゃなくて!」

「じゃあどういう意味だよ」

「アンタのことには違いないけど、そんな、変な意味じゃないから!勘違いしないでよね!」

必死で弁解しようとするグレイヴの髪に、すっと大きな手が触れた。

ダイの表情がいつになく真剣なものになっていて、その手を払うことができない。

「俺は」

短くなってしまった髪を撫でながら、彼は口を開く。

「俺は、ずっとグレイヴのことを考えていた」

赤茶色の瞳に冗談めいたものはない。

何も返せないまま、グレイヴは彼の言葉を聞いていた。

「君を守りたいって気持ちは変わっていない。できれば、これからはずっと傍にいて守り通したい。

いつも君が戦って傷つくのを助けられずにいたけれど…」

そうだ、この男はいつだって肝心な時にいなかった。

それなのに、これからなんて。

「もう誰にも君を傷つけさせない。約束する。

…俺はグレイヴのことが、好きだから」

あの時聞けなかった言葉。拒絶してしまった言葉。

それを彼はもう一度、今度は最後まで、グレイヴに告げた。

だけど、その「これから」はあるの?

「…嘘ばっかり」

遠くに行ってしまって、どうやって守ってくれるというの?

「アンタ、もうすぐここからいなくなるんじゃないの?」

この場所から、この町から、この国からいなくなってしまうのに、傍にいて守り通すなんて。

そんなこと、よく言えたものだ。

「ノーザリアに行くんでしょ?そんな約束、できるわけないじゃない!」

もしもここで「行かないよ」と、「置いて行ったりしない」と、言ってくれたら。

勝手な叫びを恥じ入るだけで済んだのなら、どれだけ良かっただろう。

「…知ってたのか」

でも、彼はその言葉を口にしてしまった。

「やっぱり、行くのね」

「行くよ。敵が待ってるんだ」

「そう…」

ほら、やっぱり自分の目的のためなら手段を選ばない。

そうしてまた、肝心な時にいない。いままでも、これからも、ずっと傍にはいてくれない。

それなのに、好きだなんて。

彼が自分を、ではなく。自分が、彼を。

「…でも、すぐには行かない。向こうの冬は厳しいから、春になったらいくつもりだ。

こっちの処理だってまだたくさん残ってるし」

「…そんなこと、いいの?」

「良いんだよ。未熟な奴らを放って行ったら後が怖いからな」

アーシェの言ったことも当たっていた。部下を、自分を、そのまま置いては行かない。

その時が来るまでは、この場所で、傍にいてくれる。

「さっきの言葉は嘘じゃない。どこにいても、俺はグレイヴのことを考えてるから。

あとはグレイヴも俺のことを考えてくれれば、傍にいるも同然だよ」

「屁理屈よね、それ」

「そんな屁理屈でも、成立させてくれないかな」

またその、無駄に爽やかな笑顔。

だけど少し、手が震えている。

彼にもこういうことがあるのだと思って、グレイヴは少し安心した。

素直じゃないのは、きっと自分だけじゃなかった。

「約束、守らないと承知しないから」

「刀でばっさりやられないように気をつけるよ。…で」

「何よ」

「グレイヴからは好きって言ってくれないのか?」

その時医務室の前を通りかかった人は、後にこう語る。

室内から何かを叩くような激しい音と、「ちょっと待て、俺一応貧血で寝てたから!」という叫びが聞こえて恐ろしかった、と。

 

ニアがルーファとレヴィアンスの間にあったことを知ったのは、昨夜、戦いが終わってからのことだった。

すぐに働かなければならないから少しでも眠るようにと言われて、寮に戻った時。

レヴィアンスが部屋に来て、話してくれた。

「二人とも、もう喧嘩しないでね」

あれから何度目の台詞だろう。

ニアはずっと、ルーファとレヴィアンスの仲を心配していた。

「もう大丈夫だって。祖先のしがらみとかそんなものどうでもいいし」

「ボクも同じく。…でもさ、そんなの抜きにしてルーファと闘ってみたいなって思った」

以前よりも距離が縮まった様子の二人だが、レヴィアンスはなんだか好戦的だった。

どうやらルーファがあまり反撃してこなかったのが、少し不満らしい。

「今度こそ互いに真剣勝負で!」

「そうだな、それも面白そうだ」

「もう二人ともやめてよー…。ルーもレヴィも強いから、冗談じゃ済まなくなるよ?」

レヴィアンスの誘いに乗りかけたルーファを止めようと、ニアはそう言ったのだが。

それが新たな話題を呼び起こしてしまう。

「ニアとも闘いたい。本当はすっごく強いし」

「だよな。将官とか佐官とか倒すし、前大総統とまで互角に闘うなんてすごい」

「やだなぁ…僕、あの状態あんまり好きじゃないんだよ。見境ないから」

矛先が自分に向き、ニアは焦る。

彼があの状態の自分を好きではないのは事実だった。多くの人を傷つけてしまった。

ニアがそのことで落ち込んでいるのを分かっていて、ルーファとレヴィアンスは彼を持ち上げている。

あの状態をニアが制御でき、自由に扱えるようになれば、おそらく最強の軍人になれる。

そしてそのニアを負かせば自分が最強…と、レヴィアンスの中では続いているのだが。

「まぁ、気に病むことはないさ。あれはニアじゃなかったんだ。

ニアとしての意識がないなら、別のものだよ」

ルーファはそう言ってニアの肩を叩く。

叩かれた方は首を傾け、不思議そうな表情で返した。

「なんかルー、屁理屈言うようになったよね。ちょっと大尉に似てきた?」

「いや、そんなことはないだろ…」

苦笑するルーファを、ニアとレヴィアンスは顔を見合わせて笑った。

「ねぇ、何の話?」

「アーシェちゃん!今ルーが大尉みたいだねって話してたんだ」

「アーシェ、ルーファって理屈っぽくなったよね?」

駆け寄ってきたアーシェに、ニアとレヴィアンスが面白そうに言う。

ルーファがそんなことないよな、と問えば、アーシェはくすくすと笑う。

漸く求めていた日常が戻ってきた。

皆で笑い合える日々が、訪れた。

 

ニアとレヴィアンスは、今後の昇進が遅れる可能性があるとだけ告げられた。

軍には今までどおり残ることができるという。

二人は喜んだが、ハルは複雑な心境だった。

その決定の要因が、あまり良いものではなかったのだ。

レヴィアンスの場合は、大総統子息として今後も危険が及ぶ可能性があるため。

その危険から自ら逃れ得る力を身につけるために、今後も軍で育成を図る必要があった。

つまり、ハルがレヴィアンスを早期に軍に入れた理由と同じだった。

そしてニアの場合。今回の件で、多くの者に彼が持つ力を知られてしまった。

再びあの力を軍以外で振るわれるようなことになれば、あるいは今回のように軍に謀反を起こすようなことがあれば、大きな脅威となる。

彼を軍に置いておき、その力を軍のために振るうように教育する必要があるという意見があった。

いざというときはニアを兵器として使うと言っているのと同じこと。

しかしそれを理由にしなければ、彼を軍に留まらせることはできなかった。

ニアを軍から追放して彼の夢を砕くか、軍に留めて有事の際に利用されるか――ハルにとっては苦渋の決断だったのだ。

少なくともハルが大総統でいる間は、ニアを利用するなんてことは絶対にしない。

ならば自分はできるだけ長く、この地位にいなければならない。

少なくともあと十年――ニアが自分で考えて、その力を振るえるようになるまでは。

その後、信頼できる者に大総統職を譲ることができればもっといい。

「アーレイド、あの子達なら大丈夫だよね」

「十年も経てば立派な大人だろ。…オレたちの上司は、十八歳でもうしっかりしてた人もいたぞ」

「うん、そうだね。…そうだよね」

この決定を、カスケードには正直に話すべきだろうか。

我が子が利用される可能性があると知ったら、当然怒るだろう。

それでも彼は、ニアが軍に残ることを許すだろうか。

「話、してみるよ。アーレイド、カスケードさんに連絡して」

言っておく必要はある。「有事」がいつあるのかなんて、予測できないのだから。

それは遠くない未来だということも、今は否定できない。

 

「ニア、座れ」

父のいつになく厳しい表情に、ニアは若干萎縮していた。

両親と叔母、祖父母、母の叔父の視線がいっせいにこちらへ集まり、緊張する。

司令部の修復がある程度済み、ニアが漸く休みをもらえた日、インフェリア家の家族会議が開かれた。

軍に残れるとはいえ、ニアのしたことは本来赦されることではない。

それについての言及があるのだろうと予想はしていたが、家族会議がこんなにも恐ろしいものだとは。

ニアがこうして参加するのは、実は初めてのことだった。

父との一対一の話し合いはあっても、親族が集まることなど滅多になかった。

それにいつも家族会議は父と父方の祖父が喧嘩のように言い合うだけだったのだが、今回は違う。

渦中にいるのはニアであり、ニアが自分の意思を伝えなければならない。

前日に電話で「家族会議をするから帰って来い」と言われ、昨夜はろくに眠れなかった。

ルーファに相談し、眠れない一晩をずっと付き合ってもらった。

今日ここで何も言えなければ、ルーファにも申し訳ない。

「ニア、今回の件でのお前の処分は昇進を遅らせることだった」

「はい」

「軍を辞めるか、地方へ異動ということはなかった」

「…はい」

「これがどうしてか解るか?」

予想外の問いだった。

てっきりニアがしてしまったことについての責任などについての話だと思っていたが、違うらしい。

「処分の理由…?」

「あぁ。俺はハル…大総統閣下から聞いて知っている。そしてここにいる全員に、事前に話しておいた。

あとはお前が考え、意思を言うだけだ」

ニア自身、気になってはいた。なぜ自分とレヴィアンスの処分が、あんなに軽いものだったのか。

レヴィアンスはともかく、ニアは司令部に直接被害を及ぼした。

本来なら軍にいていいはずがない。

「えぇと…解らない、です」

ニアが答えると、カスケードはゆっくり息を吐き、覚悟を決めたようにニアを見た。

そして、言った。

「今後軍に、もしくは国に危険が迫った時、お前は利用される可能性がある」

「え?!」

「軍を辞めれば軍以外に、地方に異動させればその地方に利用され、軍に謀反を働く可能性がある。

お前の持つ力はとても大きなものだ。兵器として利用するのに充分なほどの、な」

例えば、アーシャルコーポレーションの遺産の一つである核兵器。

現在は中央軍とリーガル家が分担して管理しているが、これも他国への牽制の効果を持っている。

ニアの存在はそれと似たようなものと考えて良い。

一人で上層の人間を何人も倒せるような力を持っていて、さらに今後成長の余地がある。

再び裏に目を付けられたり、地方が下克上のためにその力を欲することは容易に考えられる。

もちろん中央がニアを何らかの場合の切り札として利用することも。

「お前は常に監視され、軍から逃れることは許されなくなる。

…でも、今なら。ハルが猶予をくれている今なら、お前は自分の考えで動くことができるんだ」

やっと解った。ニアがここに呼び出され、自らの考えを述べなければならない意味が。

「これでもお前は、まだ軍に残りたいと思うか?」

この問いに答え、自分の進む道を決めなければならない。

「僕は…」

この話を聞くまでは、軍に残れることを喜んだ。

以前と同じように、仲間達と一緒に歩いていけると。

でも、以前と同じではないことを知った。

自分という存在が、軍にとって前よりも重要なものになっていることを知った。

「…答える前に、お父さんたちの考えを聞いていい?」

「言っていいのか?流されたりしないか?」

「分からないけど…あとでああだこうだ言われるの、嫌だから」

ニアの心はもう決まっていた。

けれども、せっかくここにいるのだから、誰かに何か言って欲しかった。

カスケードが隣に座るシィレーネに目配せすると、彼女は頷いて言った。

「私は、利用されるとかされないとかがすごく嫌だし…何より、ニアが危険な目にあうかもしれないのがとても怖いのよ」

「私も同じよ。可愛い甥が兵器扱いなんて…」

サクラも同意見のようだった。

次に口を開いたのは、モンテスキュー氏。

「暴論になるが、こんなことなら君を拘束しておいた方がよほど安全だと思う。

…でもね、どちらにしろ君の自由が奪われるかもしれないのは同じだ」

反論されることを承知で、しかし正直なところを述べたのだろう。この場では、誰も何も返さなかった。

「インフェリア家は軍家だ。だが軍でその誇りを奪われるのなら、辞めることにも反対はしない」

「そうね。ニアが自分の意思で行動できることが、一番良いことですもの」

祖父母もそれぞれの考えを語った。

最後に、父カスケード。

「初めは、お前が軍に入る前に戻れたらって思った。あの時入隊を諦めさせていたらって。

でも、ニアは…もう軍人で、あの場所で大切なものを見つけた。あいつらと離れるのも嫌だろうな。

だからといって軍で兵器扱いされて自由を奪われるのも、嫌だろうし…。

だから結局は、俺の考えもお前の考え次第なんだよ」

それが総意。全ては自分が決めること。

ニアは顔を上げ、決めた答えを言った。

「僕は辞めないよ。だって、一緒に人を助ける軍人になるって…ルーと約束したんだから!

この目標に、兵器だとかは関係ないよ。僕がどれだけ頑張るかなんだから。

それに今の大総統さんがいる間は、僕が利用されるなんてことないと思うし。

もし何かあっても、僕には僕を助けてくれる人たちがたくさんいるから大丈夫!」

支えてくれる人たちがいる。言葉を聞いてくれる人たちがいる。

それなら何があっても、問題はないんじゃないか。

それがニアの答え。

カスケードがニアの頭をくしゃくしゃ撫でて、さっきまでの雰囲気がまるで嘘だったかのように笑った。

「よし!それなら頑張れ!そこまで言えたら、お前は良い軍人になれる!」

「良いお兄ちゃんにもなれるわ。…ね」

シィレーネがお腹を撫でながら微笑んだ。

ここからまた、ニアは新しい物語を始めることになる。

自分の目標を達成するために、仲間達と歩んでいく物語を。

 

大総統室には北からの客が訪れていた。

ノーザリア王国軍大将、カイゼラ・スターリンズが直々に出向いたのだ。

もちろん、いつダイをノーザリアに移籍するかの話し合いのためである。

「ダイ・ホワイトナイト大尉、事件は終わったようだが」

「何を仰っているんですか。まだ後始末や部下への仕事の引継ぎが残っています。

それに俺は先日大怪我をして、血を大量に失ってるんですよ。ノーザリアの雪の中で、貧血で倒れたら死にます」

矢継ぎ早に言うダイに、ハルはつい笑みを零す。

カイゼラが表面上ダイを説得している風を装うために、わざと苦い顔をしているのも知っているから余計に。

「しかし輸血してもらったんだろう」

「えぇ、養母から。でもそのおかげで養母が最近貧血気味なんですよ。俺が傍にいてやらないと」

「言ってることがさっきと違うな。

…まぁいい、君の弟が医者志望だそうじゃないか。弟に任せたまえ」

「本音を言うと彼女ができたので当分こっちを離れたくありません」

「今から無理やり引っ張っていきたくなったんだが」

「やだなぁ、本音っていうのは半分冗談ですよ」

仮にも一国軍のトップと、大尉の会話である。

まるで漫才のようなやりとりに、ハルとアーレイドは笑いをこらえきれない。

…いや、アーレイドは少し、カイゼラを気の毒に思っていた。

一方でカイゼラは、こんなやりとりを聞かせられる大総統と補佐が気の毒になりかけていたので、そろそろ漫才を切り上げようと考えていた。

「それで、君はどのくらい猶予が欲しいんだ」

「そうですね…後始末、引継ぎ、それと戸籍のこともありますから…来年三月までは時間をいただきたいです」

「いいだろう」

長すぎるくらいの猶予だが、カイゼラは許した。

相手は口達者で生意気な大尉とはいえ、まだ十七歳の子どもだ。

それにノーザリア軍に移籍すれば、彼には少々辛い日々が待っているだろうから。

過剰な期待とよそ者への侮蔑に晒される前に、こちらでの生活を思い切り楽しんでおけばいい。

 

エルニーニャの比較的暖かな冬が過ぎようとしていた。

その間にニアの母のお腹は大きくなって、ニアが兄になる日は段々と近付いていた。

レヴィアンスはより一層訓練に励むようになり、あの事件さえなければ昇進できたのではないかと噂されていた。

その一方でルーファが昇進した。今では軍曹で、ニアたちの上司だ。

アーシェは近頃、ルーファとよく話すようになった。会う度に積極的に話しかけているようだ。

グレイヴはあまり変わらない…ように見えて、来るべき日に備えていた。

ダイのことについて、彼女はアーシェにすら黙っていたのだ。

だから三月の初めに、掲示板に張られた報せにはグレイヴ以外の誰もが驚いた。

「ルー、これ…」

「嘘だよな…?」

最初に見つけたのはニアとルーファだった。

そこへレヴィアンスが来て、同様の反応をした。

「ねぇ、これどういうことなの?!」

「わかんない…でも、公式の文書だよね…」

アーシェはグレイヴに振り返り、知ってたの?と訊ねた。

グレイヴは無言で頷いた。

「何で…何で言ってくれなかったの?!」

「アイツが言うなって…このことを知ってた全員に、黙っているように頼んだみたい」

「グレイヴちゃんはそれでいいの?!ちゃんと大尉に気持ち伝えたの?!」

「…ごめん、それも言ってなかったね。もう大丈夫なんだよ。もう…」

「グレイヴちゃん…」

二人の間で何があったのかも、アーシェは知らなかった。

誰も、何も、知らなかった。

 

「大尉っ!」

彼の姿を大総統室の前で見つけ、ニアたちは駆け寄った。

ダイはエルニーニャ王国軍の軍服をきっちりと着ていて、胸には国章と階級章も光っている。

どこからどう見てもエルニーニャの軍人だ。

彼がノーザリア軍に移籍するなんて、信じられなかった。

「ダイさん…掲示見ました」

「あぁ、あれな。ノーザリアから頼まれたから、ちょっと行って来る」

「なんで黙ってたのさ!」

「ギリギリまで隠しておく方が面白いだろ」

「面白くないよ!」

ニアたちにとっては突然のことだ。

もっと一緒の時間を大切にしておけばよかったとか、もう少しだけならダイの言うことを聞いても良かったとか、そんなことばかりが頭を巡る。

「大尉…行っちゃうんですか?」

「あぁ、今挨拶もしてきた。明日の朝には発つよ」

「急すぎるよ…」

今にも泣きそうなニアと、

いつもの元気をなくすレヴィアンス、

そして黙ったままのルーファ。

ダイは俯く三人に溜息をついた。

「そういう顔するから言いたくなかったんだよ。もっと早くに言ってたら、ずっとそんな感じで過ごしてたかもしれないだろ。

本当に面倒な奴らだな、お前達は」

それから、いつも溜まり場になっていた第三休憩室へと向かった。

話すなら馴染んだ場所の方が良いだろうと思ってのことだ。

でもこの場所も懐かしいことでいっぱいで、ニアの涙を止めることはできなかった。

「泣くなって…」

「だって、大尉…」

「泣いたらいい兄貴にはなれないぞ。…最後に今まで黙ってたこと全部暴露していくから、許せよ」

「え、まだ黙ってたことあったの?!」

いち早く食いついてきたのはレヴィアンスだった。彼らしいといえばらしい。

ニアもルーファに宥められ、ダイの話に耳を傾けた。

「まず一つ目。グレイヴは俺の彼女だから、俺がいない間に手を出さないように」

「…嘘だぁー」

レヴィアンスが信じられないといった顔をする。

たしかアーシェがグレイヴもダイを好きだと言っていた気がするが、その時も信じられなかったくらいだ。

「あとで本人に聞いてみろよ。あ、アーシェは知らないはずだからやめとけよ」

「アーシェも知らないって、そんな珍しいことがあるんですか?」

「だって付き合ってるのに俺だけノーザリア行くっていったら、アーシェに怒られるじゃないか」

「…ダイさん、あなたって人は…」

ルーファが呆れたところで、黙っていたことその二が公開された。

それは移籍の裏事情ともいえる話だった。

「俺、今日からダイ・ホワイトナイトじゃなく、ダイ・ヴィオラセントになったんだ。

向こうの名誉大将と繋がりがある人間なんだってことをはっきりさせるために、ヴィオラセント家に入ったからなんだけど」

「あ、じゃあディアおじちゃんと正式な親子になったんだ!元々親子みたいだったけど」

「え、じゃあユロウさんは?」

「ユロウはホワイトナイトのまま。今となっては一人息子だし、流石に巻き込むわけにはいかないからな」

姓を変え、国を変え、彼はここからいなくなる。

そういえば最近、訓練の指導が随分厳しかった気がする。いつもの気まぐれだと思って気にしていなかったけれど。

それは最後に残しておきたかったものなのかもしれない。

「大尉、またエルニーニャに来ますよね?」

「グレイヴがいるから来る」

「グレイヴだけー?ボクたちはー?」

「ついでに会ってやるよ」

「ダイさんらしいですね、その返事」

さよならではなく、また、と言って。

ダイは翌日、エルニーニャを去っていった。

 

 

世界暦五二八年、夏。

その日は本当に綺麗な青空だった。

五大国の国家関係――主にエルニーニャとノーザリア間が不穏だという噂が流れていたが、それでも郵便は届けられる。

「おにいちゃん、お手紙!」

黒髪の幼い少女が、ポストカードを差し出す。

それを受け取った少年は、海色の優しい瞳で笑った。

「ありがとう、イリス」

そうして、無邪気に笑う妹の頭を撫でてやった。

ニア・インフェリアは、この日、十五歳の誕生日を迎えた。

家で誕生日を祝おうと父が提案したため、今日は実家に戻っている。

ルーファとレヴィアンスは後で来るという。それまで家族との団欒を楽しめ、ということだった。

アーシェとグレイヴは、来るとすればおそらく夜だろう。彼女らは最近忙しい。

そして、この手紙の差出人――ダイは、今もノーザリアだ。エルニーニャに帰ってくることはほとんどない。

だから今年も、こうしてバースデーカードを送ってくれる。

「ニア、ちょっと来い」

カードを眺めていると、父に呼ばれた。じゃれつくイリスと手を繋ぎながら、声のした方へ向かう。

父は庭にいた。

「何?」

「これ、持ってみろ」

父が指したのは、彼の愛用していた大剣だった。

鍛冶屋から受け取ってきたばかりなのか、しっかりと磨かれている。とても二十年以上前のものだとは思えなかった。

「…重いよね、これ」

「慣れろよ。今度からお前の得物はそれだ」

ニアは一瞬、自分の耳を疑った。

これは父が親友の形見として、ずっと大切にしてきたもののはずだ。

そんなに簡単に、人に渡して良いのだろうか。

「でも、これ…」

「お前が十五になったら渡そうって決めてた。親友のニアがそれを持つようになったのも、十五歳の誕生日からだったんだ」

「銃からいきなり剣に転向なんて…」

「お前は剣も使えるだろ。知ってるんだぞ、ルーに教えてもらってたこと」

「う…」

それは事実だった。ニアは基本的に銃を使用しながら、剣にも興味があった。

父はルーファの指導のことを、カイ経由で聞いたのだろう。大人のネットワークは未だに侮れない。

「いいの?使っても」

「使え使え。お前が持ってるならニアも満足だろう。誕生日と中尉昇進祝いだ」

「…ありがとう」

先日ニアが中尉に昇進したことも祝ってくれた。

嬉しくなって剣を振ってみようかとも思ったが、すぐ傍に妹がいて危ないのでやめた。

明日にでも練兵場で、ルーファに相手をしてもらおう。

そんなことを考えていたら、ルーファとレヴィアンスの姿が見えた。

「いらっしゃい」

「家族の時間は過ごせたか?」

「まぁね。今大剣貰った」

「うそっ、それおじさんの?!いいなー、ニア」

五年前からずっと、この三人組は仲がいい。

多少関係は変わったりもしたが、このメンバーでつるんでいる時間は相変わらず長い。

ルーファの方がニアより早く昇進していたが、今は同じ中尉だ。

レヴィアンスは少尉。昇進できる力はあるのに、何故か一歩引いている。

「そういえば、ダイさんから手紙来たよ」

「あっち今大変だろ?よくそんな余裕あるな…」

「大将変わってからどうしてるんだろ。何も言ってない?」

「そういうことは書いてないよ。下手したら検閲されちゃうかもしれないし、気を遣ってるのかもね」

ダイは今、ノーザリア軍の准将らしい。スターリンズ大将がその地位を剥奪されたため、右腕だった彼は大きな影響を受けているだろう。

しかし手紙などでは、そのようなことは一切触れていなかった。

こちらから送る手紙も、その心配を書くことができない。情勢はあまり良くない方へ動いていた。

 

夜になってから、アーシェとグレイヴが到着した。

アーシェは現在准尉。彼女はますます母に似て、ファンクラブができるようにまでなっていた。

それを撒いていたために遅くなったのだが、彼女自身はその自覚がない。

「グレイヴちゃんが回り道して遅くなっちゃったの」

「仕方ないじゃない。色々あるのよ」

グレイヴは少尉になっていた。彼女も美人ではあるのだが、相手がいるためにアーシェほどは言い寄られない。

これで全員。五年経っても、仲違いすることなく過ごしている。

これから起こるどんなことも、一緒に乗り越えられるような仲間達だ。

「それじゃ、始めようか」

何年経っても、何があっても、きっとずっと笑っていよう。

この暖かさをいつまでも、自分達の手で守っていこう。

それが、彼らの約束。

 

輝ける時を、共に歩いていこう。

明日へ向かって、真っ直ぐに。