それぞれの道が交わることになるなんて、そのときは知らなかった。
桜が咲いていた。
今年も綺麗だ。
「エスト家の名に恥じぬよう、一年間立派にな」
その言葉で淡いピンクがどす黒く見える。
「聞けばインフェリアは息子に軍人をやらせる意思がないという。
奴が大総統を辞めさえすれば、エスト家繁栄のチャンスなのだ」
父の言葉は、ドミナリオには雑音にしか聞こえない。
黙れ、黙れ、黙れ。
その念は時間によって叶えられる。
「父上、そろそろいってきます」
ドミナリオにとって、自分の家がどんなものであるかなどどうでもいいことだ。
小さい頃から聞かされてきた言葉も、邪魔なものでしかなかった。
エスト家はインフェリア家と並ぶ軍家系だ。
ただ一つ違うのは、軍人学校に行くか行かないか。
ドミナリオはエスト家の伝統通り軍人学校に通う。
本当は普通の学校に通い、普通に進学し、学者の道に行きたかった。
けれどもそれは許されないのだ。
「…眩しい」
春の暖かな陽射しさえも、彼には嘲笑に見える。
ごく普通の一般家庭で、特に裕福という訳ではない。
それでも金のかかる軍人学校に入れてくれた両親に、ホリィは感謝していた。
「父ちゃん、母ちゃん、オレ絶対軍人になるから!」
「はいはい。早くしないと遅れるよ」
「入学早々遅刻なんて、有名人の第一歩踏み出しちまうぞ」
母は総合病院の看護師、父は大会社勤めではあるがヒラ社員。
エリートばかりが入る軍人学校には、あまり似つかわしくない家庭。
しかしそんなことは全く気にせず、グライド一家は最高の春を迎えていた。
「じゃ、いってくるな!」
元気に飛び出していったホリィを待ち受けるのは、何なのか。
誰にもわからないが、誰にとっても楽しみだ。
代々王家に仕える貴族として、気品溢れ且つ強い女性に。
王の権限が強くない国だが、パラミクス家は誇りを持って後継ぎを育てていた。
「お母様、行って参ります」
オリビアは一般人の衣装に身を包み、礼服姿の母に挨拶した。
母は微笑むだけで、何も言わない。
それでいい。言葉などかけられては、本心が出てしまう。
教養とはいえ、オリビアは軍人になる勉強をすることに抵抗があった。
どうせ十八歳になれば強制的に辞めさせられ、家を継がなければならない。
こんなことをして意味があるのかと思っていた。
外には送る車。桜をのんびり眺めることは叶わないらしい。
「せめて車をゆっくり走らせて」
「それはできません。あまり時間が無いのですよ、お嬢様」
自分の意思は全く無視されている。それに気付いたのはつい最近。
これで良かったのかもしれない。
学校に行くということだけを考えれば、窮屈な世界から抜け出せることになる。
軍人養成専門学校――卒業すれば軍に入ってすぐに伍長になれる。
金がかかるため、通えるのは裕福な家のものばかりだ。
教育面に関してはしっかりしているのだが、生徒のエリート意識が強いため問題が多い。
卒業して軍に入った後、下の者に対し粗暴になったりするケースが多々ある。
そうなると何故か教師への批判が痛い。
「今年の生徒はしっかりしているといいですね」
女性教師レンカ・ミストは、隣の机で名簿を見ている男性教師に話し掛けた。
「しっかりしてようがしてなかろうが、オレたちに責任はないです」
尤もな台詞を吐いて、男性教師ブラック・ダスクタイトは名簿を閉じた。
彼は担任を持つわけではない。ミストの受け持つクラスの副担任だ。
担任の話も出たが、それは何故か全力で拒否した。
「ダスクタイト先生、そろそろ入学式ですよ」
「あぁ…行きますか」
今年もきっと波乱だ。親が苦情の電話をしたり、生徒が調子に乗ったり。
毎年のことで、慣れてしまった。
退屈な式典のあと、漸くクラスメイトと話す時間ができる。
しかし、ドミナリオには周囲に溶け込もうとする意思が無い。
笑いながら自己紹介をする周囲の名前はどれも聞いたことのあるもので、
ここに集まっている者の身分の高さを感じた。
「エスト氏のご子息ですよね?」
不意に話し掛けられ、ドミナリオは視線だけを声の方に向ける。
名士主催のパーティに参加した時に見かけたような顔だ。あまり覚えてはいないが。
「やはり軍家系ですね。このようにクラスメイトになるのも何かの縁だ。仲良くしましょう」
そんな縁は要らない。ドミナリオは無視しようと視線を逸らす。
「君、その態度はどうかと思うよ」
相手は機嫌を損ねたらしい。
ドミナリオはさらに言う。
「悪いけど、仲良くしたくない」
「何だと!人がせっかく仲良くしてやろうとしているのに…」
「それが嫌なんだ。あっち行ってくれる?」
できれば誰とも関わりたくない。
だから遠ざけようとした。
それなのに、
「ちょっときついんじゃない?」
近付いてくる奴がまだいるとは。
「お前さ、クラスメイトとちょっとくらいは仲良くなってやれば?」
余計なお世話だ。
「だったら君が仲良くなってやりなよ」
「よし、わかった」
彼は頷き、ドミナリオに話し掛けていた貴族の子に手を差し出した。
「オレはホリィ・グライド。よろしく」
「なんだグライドって…聞いたことも無い」
貴族の子は差し出された手を叩き、眉を顰めた。
「庶民と仲良くする趣味はないんだ。…山猿は山猿とじゃれていろ」
やっぱりな、とドミナリオは息をつく。
こういう奴だから付き合いたくなかったのだ。
しかし、ホリィと名乗った少年は首を捻って言った。
「お前友達欲しい訳じゃなかったのか?」
わかっていないのか?
見下されたという事実を、認めたくないのか?
ドミナリオの興味が、ホリィに向いた。
「心細いから友達欲しい訳じゃないのか?」
「そんなわけ無いだろう。庶民と友達なんて、何の得があるというんだ」
「オレの父ちゃんフォース社の社員だぞ。ヒラだけど」
「ヒラに用は無い。庶民は帰れ」
「学費払っちゃったから帰れないんだよ」
貴族の意地の悪さに屈しない。
ドミナリオが今まで会った事の無いタイプ。
ますます興味が沸く。
「ホリィっていったっけ?」
「ん?」
ドミナリオから話し掛けることは滅多に無い。
しかし、今回はこちらから話し掛けなければチャンスを逃してしまう気がした。
「僕は勘違いした人とは付き合いたくない。
でもホリィはそうじゃないみたいだから、話をしてみたくなった」
ホリィがどういう人物なのか、どういう考えを持っているのか、知りたい。
ドミナリオの研究対象として申し分ない。
「…お前さ」
ホリィが口を開く。
何を言うのだろう。
「友達作ったこととか無いのか?」
友達――親族以外の、血の繋がりのない、親しい人。
今までそんな人いただろうか。
いや、いなかった。
友達という言葉は知っていても、持っていなかった。
「もっと素直に言わないと友達なんかできないぞ」
ホリィのいう「素直」って何だろう。
今まで自分の本当の気持ちは隠してきた。
それを全部さらけ出すことは、今の自分には不可能だ。
じゃあ、どうすればいい?
「…ホリィは友達いたの?」
「いる。近所にたくさん。…まぁ、ほとんどガキだけど」
「君もガキじゃないの?」
「十一だけど…ガキか?」
「…僕の方がガキだったよ。十歳だし」
「へぇ、十歳にしては十歳らしくないな」
どうすれば良いのか、考えていた。
考えているうちに、会話が成立している。
いつのまにかホリィは隣に座っていて、
ある話題について互いの言葉で話している。
「お前、名前は?」
「…ドミナリオ・エスト」
「長いな。ドミノでいいか?」
どうすれば、なんて考える必要は無かった?
深く考えなくても、「関係」は生まれる。
全てを自然に任せていれば、おのずと見えてくる。
それで、いいんだ。
「ドミノ、どうかしたか?」
なんだ、難しく考える必要なんか無かった。
ホリィはもう、研究対象じゃない。
「何でもない。…よろしく、ホリィ」
友達になるって、こういうことなんだ。
その日は一日中一緒に話していた。
とにかく楽しかった。
こんなのは初めてで、ドミナリオは家に帰りたくなかった。
「オレ達の前にすごく可愛い子座ってたよな」
「可愛い子?」
「みつあみの…名前知らないんだよなぁ…」
校舎の前に通っている道を歩きながら、ドミナリオはホリィを見る。
気楽そうに見える。羨ましい。
ドミナリオなら絶対に話題にしないようなことを言い、絶対にしないようなことをする。
「あ、ほらあの子!あそこで座ってる子!」
ドミナリオならいきなり人のところに走っていって声をかけたりはしない。
「どうしたんだ?」
ホリィはみつあみの少女に近付き、彼女の異常に気付いた。
ひざに血が滲んでいる。
「転んじゃって…でも、大丈夫ですから」
「洗って消毒しないと駄目だ。…えーっと…」
ホリィはカバンをあさって、中から水の入ったボトルと消毒液、ばんそうこうを取り出した。
手早く少女の膝に水をかけ、ティッシュペーパーを当てて水をふき取り、消毒液をつける。
「後はばんそうこう貼って…これで多分大丈夫だ」
「あ、ありがとう…」
戸惑いつつ礼を言う少女に、ホリィは笑いかける。
離れて見ていたドミナリオには、今のホリィの行動が意外だった。
「手当て早いね」
「オレの母ちゃん看護師でさ、救急セットは持ち歩けって。
…立てるか?ええと…」
ホリィは少女に手を差し伸べて、まだ名前を聞いていないことに気付く。
少女もそれを察し、ホリィの手をとりながら言った。
「オリビアです。オリビア・パラミクス」
「オリビアか。オレはホリィ・グライド。こっちがドミノ」
「正確にはドミナリオ・エストなんだけど」
「ホリィ君とドミノ君ね。助けてくれて、どうもありがとう」
何もしていないドミナリオにも礼を言って、オリビアは笑った。
始まりは誰にも想像できなくて、誰にでも創造できる。
ゼロから始まる物語が、ここにもあった。
「インフェリアの子」らが軍に入隊する、二年前の話である。
Fin