綺麗だと思った。

だから、壊したくなかった。

それなのに、どうして。

 

冬だった。

外には雪、室内には暖房。

全く、冬だった。

「寒…」

廊下を歩いていて、独り言。

口に出すと力が抜けて、余計に冷気に敏感になる。

冬なんかなければいい。こんな思いをする季節なんかいらない。

ドミナリオは常々そう思っていた。

それを言うと必ずホリィに

「この冬越えれば卒業だろ、辛抱しようぜ」

と元気よく言われる。

何だってあの男は元気でいられるんだろう。

きっと頭の中にカイロでもあるに違いない。

そう考えると、少し可笑しかった。

「失礼します」

笑いをこらえながら事務室に入ると、暖かな空気に包まれる。

ずっとここにいて、この幸せを享受し続けられたらいいのに。

卒業関係の書類をとりに来ただけだから、すぐに出なければいけない。

「ここに判が捺してあることを確認してね。…試験に合格したら、あなたは中央司令部勤務になるから」

卒業試験はそのまま軍の入隊試験になる。

冬を越えたら卒業、ではなく、まず試験なのだ。

ホリィはそれをわかっているんだろうか、とドミナリオはため息をついた。

ドミナリオ自身は合格する自信がある。いや、合格しなければならない。

軍人家系エスト家の跡継ぎとして、不合格など許されない。

それを考えると憂鬱になる。

本当は軍人になんかなりたくないのに。

「失礼しました」

再び冷気の中に自分の身を放り出す。憂鬱になったところで、余計なストレスがかかる。

今日何度目かのため息をつこうとしたところで、

「あの」

初めて聞く声が、ドミナリオを呼び止めた。

 

凛とした、女の子だった。

長い黒髪が綺麗に揺れている。

背はほんの少しだが彼女の方が高い。

会ったことがないのに、知っているような気がした。

「何…か?」

言葉を選ぶ。彼女には冷たい態度をとってはいけないと感じた。

「職員室の場所を教えて欲しいんですが」

「職員室なら…」

言いかけて、やめた。

「案内します」

ここで場所だけを教えるよりは、自分が連れて行ったほうがいい。

そうしたかった。

ドミナリオが歩き出すと、彼女は素直についてきた。

傍にいる。

それを意識するだけで、寒さを忘れた。

職員室までの廊下が、もっと長ければよかったのに。

そう思ったのも初めてだった。

――何を考えているんだ、僕は。

慌てて思いを否定する。

彼女に変に思われていないだろうかと気にする。

ちらりと覗き見た表情は、さっきと何一つ変わっていない。

――大丈夫、かな

少し安心したところで、職員室のプレートが見えた。

 

慣れた引き戸を開けて、漸く彼女に感じたデジャヴの正体がわかった。

似ているんだ、あの人に。

「どうした、エスト」

出入り口からよく見えるところにいた、大総統史担当教諭。

彼女は彼にそっくりだった。

「父さん」

彼女が言う。

呼ばれた彼は珍しく驚いた。

「グレイヴ?!お前何しに…」

「お弁当届けに来たの。今日は直接渡したかったから」

ドミナリオはそこで初めて彼女の持っている包みの存在に気づいた。

どうして気づかなかったのだろうと、自分で不思議に思う。

「あー…わかった。手間取らせたな」

「たまにはいいでしょ」

彼女が笑う。気をつけなければわからないくらい、小さな表情の変化だけれど。

素直に綺麗だと思った。

同級生のオリビアに感じるものとは全然違う、「綺麗」。

「ありがとうございました」

元の表情に戻って頭を下げる彼女に、ドミナリオは何も言えなかった。

ちょうどそこへレンカ・ミスト教諭が来て、彼女に話しかける。

「あら、グレイヴちゃん!職員室まで来るなんて初めてね」

「お久しぶりです、ミストさん」

ミスト教諭と彼女が話している間に、ドミナリオは彼に話しかけた。

「ダスクタイト先生、あの子…」

「あぁ、オレの娘。グレイヴって名前だ」

道理で似ているわけだ。それにしても似すぎだと思ったが。

「お前より一つ年下だな。…にしてもアイツの方が身長は高いか」

年下だったのか。大人っぽいから、上かもしれないとも思っていたのに。

彼女はミスト教諭と挨拶を交わした後、職員室を出て行った。

礼を言われた時に「どういたしまして」くらい言うべきだったと、少し後悔した。

「エスト、食うか?」

ダスクタイト教諭に視線を戻すと、可愛らしい袋が差し出されていた。

中にはチョコレートが入っていて、甘い香りがした。

「一つだけだからな。グレイヴをここまでつれてきた礼だ」

あぁ、とドミナリオは思う。

今日は十四日だったっけ。

「いただきます」

一粒口に運んだ。

甘くて、少し苦かった。

コーヒー好きのダスクタイト教諭の為に作られたもので、ドミナリオの為じゃない。

少し切なくて、でも、嬉しかった。

「あ、ドミノ君…いたの?」

今度は知っている声に呼ばれた。オリビアだ。

その手にはリボンのかけられた包み。

紅潮するオリビアに、ドミナリオは意地悪く笑いかけた。

「じゃ、僕は退散するから」

「…あとでドミノ君にもあげるから、みんなには内緒よ?」

「わかってる」

特にホリィには言えないな、と思ったが、口には出さなかった。

職員室を後にして、オリビアがダスクタイト教諭に包みを渡しているところを想像しようとした。

ダスクタイト教諭がどんな表情をするのか見てみたかった。

それを考えると…彼女に行き着く。

あのかすかな笑みを、もう一度見たい。

「グレイヴ・ダスクタイト…か」

またいつか会えるだろうか。

…いや、もう奇跡でも起こらない限りないだろう。

自分はもうすぐ卒業しなければならないんだから。

 

それから一年半後、ドミナリオは軍人になっていた。

階級は曹長。かなりの実績を上げているため、もうすぐ尉官になれるかもしれないと噂されていた。

けれどもそれはエスト家では当たり前のことで、寧ろ父親には追い立てられていた。

先月の入隊試験で、インフェリア家の息子が入隊した。

昔何があったのかは知らないが、とにかく父はインフェリア家にライバル心を抱いている。

もともとエスト家はインフェリア家を勝手にライバル視してきた。ドミノはそれに加わる気は無かったが、やはり気になる。

だけどその日はそれ以上に気になることがあった。

「…あ」

今月の入隊試験で、新たに加わった人員。

その中に、彼女の名前を見つけた。

「…グレイヴ・ダスクタイト…」

奇跡でも起こらない限り、再会することはないと思っていたのに。

その後、ある事件で彼女に間接的に関わることができ、そのおかげで准尉に昇進した。

ただ一つを除いては、上手くいっていた。

 

ダイ・ホワイトナイト大尉――去年問題を起こして謹慎処分をくらった軍人。

彼の下に、彼女は配属されていた。

ドミナリオが唯一納得のいかないことがそれだった。

何故わざわざ彼女を危険にさらすのか。それが許せなかった。

オリビアは大尉をいい人だと言った。ホリィはそれをそのまま信じた。

自分だけは信じない。この手で彼女を守りたい。

だから、言った。

彼女と任務に向かうことのできたあの日に。

自分がどんなに嫌な奴になっても、彼女をあの男から引き離すことができれば。

しかしそれは失敗し、さらには自分が大尉の下につくことになった。

「…いいよ、それでも」

少し彼女に近づけた。引き離すチャンスはできた。

「彼女を守るのは僕だ」

 

恋だなんて思っていない。

ただ、綺麗だから壊したくない。

自分が守り通したい。

それだけ。

 

 

Fin