五年前の司令部襲撃の際、関係した裏の者全員の身柄を拘束することは不可能だった。
逃げおおせた者は今も国内に潜伏しているか、あるいは外国に逃亡を果たしていた。
彼らも軍の目を盗み、隠遁しようとしていた関係者だった。
頃合の地下部屋を見つけ、そこでほとぼりがさめるまでをやり過ごそうと潜り込んだ。
しかしそこには先客がいた。人間が一人、部屋の隅の大きなカプセルに眠っていた。
そこを訪れた男は、それがクローン保管用のカプセルであることを即座にさとった。
眠っているのは、十代後半と見られる少女。長年裏で活動し続けてきた男には、彼女が何者であるかもわかった。
少女の名はマカ・ブラディアナ。かつて殺人という罪を犯し、投獄された人物。
刑務所を出た後、彼女は知識を貪り科学者となった。裏でのみ動き、表に洩れぬよう技術を高め続けた。
その結果がクローン。彼女自身、その技術によって生き永らえることに成功した。
自らの記憶を自身のコピーに受け継がせ、半永久的に生き続ける。そうして彼女が目指すのは、憎き者の血を引く全てを不幸に導くこと。
少女はその為だけに、二十年の眠りから目覚めた。
カスケードが連絡を受けた時、ハルはとうに司令部を離れていた。
自分の力で頑張りたいから、というハルの判断だったのだが、カスケードからすれば心配が募るばかりだ。
今回のことは、カスケードも経験したことのない事態。ハルがどう乗り切るのか、簡単に和解できるものなのか、誰もが計りかねていた。
「イリス、これから司令部に行くけど、来るか?」
「うん!」
娘を背負い、いつも通りに出かける。背後から妻の「いってらっしゃい」の声。
この日常が続けられるのか、変わってしまうのか。いずれにしろ、この数日が歴史の中で大きな意味を持つであろうことは間違いない。
「ニア、大丈夫?」
午前中、少しの間事務室から姿を消していたニアを、レヴィアンスは心配していた。
アーシェとグレイヴから「具合が悪そうだった」とは聞いていた。実際、ニアの顔色はあまり良くない。
「大丈夫だよ。朝から色々あったからね、疲れちゃっただけ」
ニアの返事に、それなら無理もないかと納得しようとする。
しかし心配が全く無くなるわけではなく、今はそれ以上を聞かずに様子を見ようと一人結論付けた。
そして様子がおかしいのはニアだけではない。
「ルーファも、さっきから元気ないよね」
「……そんなことないさ」
ニアはともかく、ルーファは明らかに何か隠している様子だ。
語られない以上、それが重大な問題ではありませんようにと願うしかない。
ただでさえ大きくは国の危機、小さくは班の危機なのだ。何か問題があるならば、早期に解決した方がいい。
けれども言いたくないのなら、無理に聞き出すことは解決に対して逆効果だ。
気にしない振りをして、言ってくれるのを待つほうがいい。それが今のレヴィアンスの判断だった。
いつものように楽しい昼休みとはいかないようだ。自分達だけではなく、周囲も。
佐官以上の者は、眉を寄せながら何やらこそこそと話をしている。
時々聞こえてくる単語は、ほとんど耳にしたことのないものだ。入隊試験のために歴史を学んだ時以来だろうか。
齧ったパンの味もわからないほどに、司令部全体が緊張に包まれている。
――お母さん、大丈夫かな。
友を、そして母を思いながらも、レヴィアンスは何もできない。今はその時ではないから。
父はいつものように、大総統補佐官と話があるようだ。
一緒にいてもかまってもらえずつまらないので、イリスは父から離れて兄を探しに行く。
司令部の構造は少し複雑になっているが、何度も訪れているイリスにとっては自分の家を歩き回るようなものだ。
この時間帯、兄達がどこにいるのかもきちんと把握している。
食堂へまっしぐらに走っていき、そこで食事をとっている兄とその友人の姿を捉えると、人にぶつからないよう気をつけながらスピードを上げた。
「おにいちゃーん!」
「イリス、また父さんから離れて……。勝手にうろうろしちゃいけないって何度も言ってるでしょ」
「だいじょうぶ!おにいちゃんのところにいるもん!」
「全然大丈夫じゃないんだけど。お昼ご飯は食べた?」
「たべてきたよ!」
イリスを叱りながらも、ニアの表情は和らいでいた。普段の日常とは違う空気の中、彼女はいつもと同じ笑顔を見せてくれる。
ニアだけではなく、ルーファとレヴィアンスも、イリスの来訪に和んでいた。
「イリス、このパン食べる?他の人が食べてるの見てるとお腹空くでしょ」
「ありがと、レヴィにぃ!」
「俺のもやるよ。大きくなれよ」
「ルーにいちゃんもありがと!」
「レヴィもルーもやめてよ、あんまり食べ過ぎるとお腹壊すから」
「だーいじょーうぶー!」
その光景は周りから見ても暖かなもので、緊迫していた空気はほんの少し緩く柔らかくなったようだ。
このまま穏やかな時間が過ぎれば良いのに。そう誰もが思っていた。
そうはならないことを知っていながら。
軍で、王宮で、文士の間で何が起こっているのか、一般市民は詳細を知らされないまま。
この時期にノーザリアから友好大使が来ることはおかしい、ということは解る。
大総統の独断による国交に、王宮と文士達が反発しているのも知っている。
しかし、実際にこの件がどのように扱われているのかなどはほとんど耳に入ってきていない。
報道も偏り、真実が見えない。その困惑は、見回りに出ていたホリィに投げかけられた。
「グライドの坊ちゃん、一体どうなってるの?軍の人たちは何て言ってるの?」
「ごめんな、俺もよくわからないんだ。この混乱で嘘の情報とか詐欺とか出てくるかもしれないから、充分気をつけてな」
ホリィには市民の不安がよく解る。軍家出身でもなければ、商家出身でもない。王宮や文士とも関係がない。彼はそんな一般の家庭から軍に入ったのだ。
満足な情報を得られず、疑念を膨らませる人々の気持ちは、人一倍理解できるつもりだった。
だから現状を尋ねられて、当たり障りのない答えしか返せない自分が、少し嫌だった。
ドミナリオなら、オリビアなら、彼らに何を言えただろう。二人がここにいたら、市民の不安を少しでも和らげることができただろうか。
考えても、二人ともここにはいない。どうなるかなんて、想像することしかできない。
一緒に見回りに出た者も、人々に捕まっては同じ質問を投げかけられて、足止めを食っているのだろうか。姿が見えない。
はぐれてもきちんと仕事をこなし、先に帰ってくれるだろうと思い、ホリィは暫し町の人々との会話を続けた。
見回りの相方が、身包みを剥がされて路地裏に転がされていることなど全く知らずに。
かつて、エルニーニャには変装の名人がいた。幼い子ども以外なら、老若男女問わずほぼ完璧に化けることができた。
彼は探偵を生業としながら、悪事に手を染めたため、二十年前に軍人の手で葬られた。
そして現在、その技を盗んだ者が裏に存在している。彼は先ほど市街地を巡回していた軍人から、軍服と身分証明書を奪ったばかりだった。
それらを身に纏い、見た目をその軍人によく似せ、司令部施設に潜入を試みる。
施設のゲートには監視員が常駐している。軍人の証明であるバッジか、あるいは入場許可証がなければここを通過することはできない。
軍関係者以外で用事がある者は、身分証明書が必要だ。
入場に関する規則はここ五年で厳しくなった。大総統が様々な問題を省みて判断したのだ。
これにより軍関係者以外が軍について知ることは一層難しくなったと批判もあったが、それは別の話。
侵入者にとっては、そんな事実や世論など今はどうでもいいのだから。
人から奪ったバッジを監視員に見せ、本来の持ち主の名前を告げる。すると監視員は彼の姿と登録された顔写真を照合し、間違いなく本人であると断定してくれた。
こうしてすんなりと潜入に成功した彼は、確かな情報を一つ持っている。
カスケード・インフェリアが今この瞬間に、娘を連れて施設を訪れていること。
彼の目的は、その娘の誘拐。命じられたとおりに実行すれば良い。
司令部に、街に、王宮や文の施設に。エルニーニャ中を覆う不安を緊張に変える報告が届いたのは、太陽が高く昇り、全てを照らす頃。
そのニュースは国内全域に衝撃を与えた。
「こちらはエルニーニャ王国特別書記でございます」
テレビから、ラジオから、そして大きな施設を訪れた人間の口から、言葉が流れる。
「これより、三派会を開催いたします。内容とその審議の進行状況及び結果は、私共より皆様へお伝えいたします」
年寄りすらも、滅多に聞くことのなかった単語。
「三派会」とは、王宮・軍・文士から代表が集い、国の運営に関する重要事項について審議の機会を設けるものである。
最後にこれが開かれたのは、世界暦二七〇年。今から二六〇年近くも前だ。
当時議題となったのは、大総統による政治を認めるか否か。この三派会の決定によって、国のあり方が大きく変わった。
国を治める権限は王から大総統へと移り、王国という名称と王の立場は飾りとなった。
以来、エルニーニャは軍国としてあり続けてきたのだ。
三派会の開催は、国が再び大きく変わろうとしていることを示している。
それは良いことか、それとも――
昼休みの混んだ食堂に駆け込んできた王国書記が告げた内容に、そこにいた誰もが息を呑んだ。
遠い過去のことで、ほとんど聞くことの無い言葉ではあるが、三派会がどのようなものであるかは一般知識として人々に理解されていた。
そのためニアたちも、それが何を意味するかを解する。
「おにいちゃん、なんでみんな困ったカオなの?」
ただ一人、イリスだけが状況を理解できない。まだ幼く、一般知識すらも知らないのだから当然だ。
ニアはイリスをそっと撫で、なんとか微笑を作って言う。
「今、大事な会議が始まったんだ。国が変わるかもしれない、とても大事な会議がね」
少女は兄の言葉に首を傾げて、さらに問う。
「国がかわると、どうなるの?」
それは誰にもわからない。その評価はこの先でしかできないのだから。
いつだって、歴史を評価するのは後の人々。その時のことを実際に経験したわけではなくとも、断片的な記録しかなくとも。
だからニアには答えられない。「困ったカオ」をして、床に視線を落とす。
イリスは兄の様子から、してはいけない質問をしたのだと解釈した。故に彼女の次の行動は、こうなる。
「ごめんね、おにいちゃん。……わたし、おとうさんのとこにもどるね」
「あ、……」
走って去っていく少女を追うことができない。ルーファの考え込むような仕草が、レヴィアンスの眉を顰めた横顔が、周りの空気がそうさせてくれないかのようだったから。
いや、そんなのは後になってからの言い訳だ。ニアはすぐに、この時の自分を後悔することとなる。
同じ頃、アーシェとグレイヴは、休憩室で三派会について確認をしていた。
前回の開催時の状況について思考を巡らせる。入隊試験のために、頭に叩き込んだ内容を思い返す。
「この国が大総統政になったのは、三派会で決定がなされたから……だったよね」
「そう。王家の人間が行方不明になり、その間国内を代理で治めていたのが大総統だったから。正式にその形で国を運営しようって決定したの」
父から可能な限り詳細を学んだグレイヴは、その知識が深い。
だからその後、国のトップとなった大総統がどうなったかも押さえている。
「ただ、それに反対だった者によって大総統は暗殺された。……以来、ゼウスァートは身を潜めることになる」
当時の大総統はゼウスァート家の人間だった。これ以降、ゼウスァート家は歴史の表舞台から姿を消す。
そして今回、軍の代表すなわち大総統は、ゼウスァート家の血を引くレヴィアンスを育てていた人物。
後の人々がこのことを知った時、「歴史のミステリーだ」と騒ぎ、目を輝かせるのだろうか。
今ここに生きている自分たちは、この先が見えずに不安だというのに。彼らにはそれが届かないだろう。
「レヴィ君、大丈夫かな……」
先刻のニアのこともある。班員が不安定なまま、自分たちの役割をこなすことはできるのだろうか。
彼らの抱えるものを、どうにかしてやることはできないのだろうか。
「アーシェ、アイツらのところに行こう。きっと食堂にいるわ」
「うん!」
たとえただの自己満足だとしても、傍にいてやりたい。
少しでも抱えた闇を晴らしてあげられたらと、少女らは少年達のもとへ急ぐ。
移動しながら、グレイヴは思う。――こうなることを、異国の軍人となった彼は見越していたのだろうかと。
三派会の内容は書記の報告によってのみ知ることができる。
当然ながら、一般市民には何が起こっているのかをはかることはできない。
「私たちには、上のやることは何にもわからないね」
そんな町の人々の呟きに、ホリィは胸を痛める。
国がどうなるのか、自分たちの生活がどうなってしまうのか、見当がつかずにただ時を過ごすなんて、そんなのは辛い。
「ごめん」
今は、これしか言えない。
「悪いようにはしない。良い方向にいくように、オレたちも何とか頑張る。だから、……今は、信じてくれないかな」
こんなことしか、伝えられない。
あぁ、悔しい。
静かな混乱の中、司令部に侵入した人物は標的を見つける。
一人きりでとぼとぼと歩く、幼い少女の姿を。
「こんにちは、イリスちゃん」
愛想よく話しかければ、彼女は顔を上げて返してくれる。
「こんにちは」
「どこへ行くのかな?」
「おとうさんのところ」
「……そう」
これを逃したらチャンスはない。
イリスがちょこんと頭を下げて、通り過ぎようとした瞬間。
彼は少女を押さえ込み、口を塞いで、そのまま共に窓から脱出した。
その早業を目撃した者はいない。攫われた少女も、理解できないまま。
彼は実にスムーズに、その任務を成し遂げた。
王国書記からの報告は、話がある程度進み、まとまってからではないともたらされない。
三派会開始の報せを大総統執務室で受け取ったカスケードは、共にその場にいたアーレイドに、溜息混じりに言った。
「これ以上ここにいても、ただ時間を食うだけだな」
「そうですね。オレたちは何もできませんし、一旦解散した方が良いかもしれません」
ハルの決断で開かれた三派会だ。アーレイドも、そしてカスケードも、事前にこうなることは知っていた。
アーレイドからカスケードへの連絡は、すでにハルが行ってしまった後だったが。
「イリスを迎えにいって、家に帰るよ。何かあったらすぐに報せてくれ」
「もちろんです」
大総統執務室を後にし、カスケードは真っ直ぐに食堂へ向かう。この時間なら、ニアたちはまだ食事をとっているだろう。
今はそんな気分ではないだろうが。
案の定、食堂にいたニアたちの表情は沈んでいた。やはりと思いつつ、その近くを目で探す。
しかし、そこに娘の姿はなかった。
「ニア、イリス来なかったか?」
「来たけど……父さんのところに戻るって、さっき出てったよ」
「おかしいな、大総統室にいるってわかってるから、すぐに来ると思うんだが……入れ違いになったかな?」
「結構時間経ってるよ。寄り道してるのかな……ちょっと捜してこようか」
「じゃあ俺も行くよ。手分けした方が早い」
「ボクも手伝う。司令部の中広いしね」
ルーファとレヴィアンスも、おそらくこの空気の中にいたくなかったというのもあるだろうが、協力を申し出てくれた。
すぐに見つかるだろうと、軽い気持ちで食堂を出る。
だが、ニアたちと別れたルーファの胸には、一つの疑念が湧き上がってきた。
ニアが狙われているとしたら、彼の周囲に危険が及んでもおかしくはないのでは。
「……まさか、な」
呟いてはみるものの、ルーファはその不安を植えつけた張本人が目的のためなら手段を選ばない人間だと「知っている」。
彼の捜しものはそう考えた瞬間に、少女から青年へと変わっていた。
司令部では、イリスはちょっとした有名人だ。しかしそうでなくとも、十歳未満の子供が施設内をうろつくことなど滅多にないので、誰かしらの目に留まるはずだ。
それなのに、今日に限ってイリスを見た者はいない。いても、それはニアと別れる前の姿だ。
食堂を出てからの彼女の足取りは、いくら聞き回り捜し回ってもわからない。
「どこ行っちゃったんだよ……」
ニアの頭を過ぎるのは、午前中に見たビデオの内容。
自分が狙われているということは、周囲も同様であると考えるべきだ。以前にもそういうことはあったのだから、気をつけなければいけなかった。
もしもイリスに何かあったら。
「あぁ、もう……僕って本当に……」
壁に頭を打ちつけてみる。こんなことをしても解決しないし、戒めにもならないことは解っているけれど。
「本当に、どうした?」
それでも、彼の目に留まることはできたようだ。
「ダイ、さん……」
「何かあったのか、ニア」
異国の軍服を着てはいるが、その表情は間違いなく、ニアがよく知るダイだった。
後輩のことを想ってくれる、頼もしい先輩だ。
「ダイさん、イリスを見ませんでしたか?!」
「お前の妹か?見てないけど……」
「どこにもいないんです!父さんのところへ戻るって言って、僕から離れて……それっきり、誰も見てないんです!」
「そういうことか」
胸に縋るニアの背を、ダイは落ち着かせるように優しく叩きながら言う。
「だったら、ここで悩んでいても時間の無駄だろう。一応どんな格好をしていたか教えろ、俺も捜すから」
「はい……ありがとうございます」
「それと、外に出た可能性は?」
「出ないように言ってはいますけど、ないとは言い切れないです。活発な子なので」
イリスの特徴や、行動の可能性を確認しながら、ニアは懐かしさを覚えていた。
まだダイがエルニーニャにいて、自分たちの上司であった頃。あれからダイは変わっていない。
本質は自分のよく知る彼のままだと、確信していた。
「じゃあ、外を見てくるか」
「はい!」
安心してついていけると思った。それなのに。
「ニアから離れろ!」
その言葉が、それを止める。
振り返るニアの目に映るのは、怒りと焦りに染まったルーファの姿。
彼の目はダイを見ている。真っ直ぐに、睨みつけている。
状況を理解できないうちに、ルーファが再び怒声をぶつけた。
「ニアをどこに連れて行く気だ。イリスはどこにいる?!」
「何言ってるの、ルー?今からイリスを捜しに」
「そいつがイリスを攫ったんだよ!」
聞こえた音を何度も繰り返す。意味を確かめる。
イリスを、攫った。誰が?そいつって、この、隣の?
見上げたダイには、怒りも焦りもない。ただ無表情でルーファを見ていた。
「ニア、そいつから離れるんだ」
ルーファの言葉を信じればいいのか、ダイに頼ればいいのか。
動けないニアに、低い声が小さく届く。
「捜してくるよ。時間の無駄だ」
離れて去っていくダイを追いかけようとするが、ニアの腕はルーファに掴まれ止められる。
「ルー、どうして……」
「あいつはニアを狙ってるんだ。だからきっとイリスも」
「そんなことないよ!ダイさん、一緒に捜してくれるって言ったよ?!大体、僕が狙われてるなんてどこで聞いたの?」
「……それは」
いや、こんな問答はどうでもいいんだ。今は一刻も早くイリスの無事を確認したい。
こんなのは、「時間の無駄」だ。
「もういいよ。僕、行かなきゃ」
「ニア、一人じゃ」
「ごめん、今はルーと一緒にいたくない。イリスを捜してくれないなら、ルーなんていなくていい」
腕を掴んでいた手を振り払って、ニアは廊下を駆けていく。
それを呆然と見送って、ルーファはたった今投げつけられた言葉を反芻する。
「いなくて、……いい」
そう言われるに足る間違いを、たった今犯した。
優先すべきは何だった?それは明らかに、ダイを責めて逃がすことじゃなかった。
アーレイドが犯行声明を受け取ったのは、イリスは軍施設の敷地内にはいないと判断された頃だった。
イリスを誘拐したのがビデオの主と同じであること、そして彼らがどこにいるかが、それによって漸く判明した。
彼らの要求は一つ。ニア・インフェリアを寄こすこと。
「要求を呑むか?」
アーレイドの短い問いに、ニアは即座に頷いた。
「イリスは僕の妹ですから。僕が迎えに行きます」
「解った。でも、一人では行かせられないな」
「だったらレヴィについてきてもらいます」
挙がった名前がいつもと違うことに、アーレイドは怪訝な表情を浮かべる。
それに気付いたニアは、泣きそうな笑みを作って続けた。
「今は、ルーと一緒にやれる気がしません。……それとね、父さん」
訳を問い詰めようと口を開きかけたカスケードが、一言も発さないうちに遮る。
何も言わせまいと、痛々しい笑顔で告げる。
「イリスは必ず助けるから。僕に任せて、父さんは待ってて」
自分の過ちは自分で何とかするよ。
手足と、発言の自由は奪われた。
目だけがあたりの様子を捉え、そこにいる人間を睨むことを許されていた。
イリスの視界には今、見慣れない部屋と、微笑む少女がある。
「ようこそ、インフェリアの子」
その微笑にも、言葉にも、親愛の情は感じられない。
ただこの状況が愉快だから笑っているのだと、幼い少女にも解った。
「睨まないで頂戴ね。……その瞳、とても気持ちが悪いから」
見えない刃がイリスの胸を深く刺す。
早く、誰か来て。
怖いところから連れ出して。
――おにいちゃん、わたしを助けて。