任務へ向かう車内は、いつも賑やかだった。

運転手がその役割を放棄しかけるくらい、絡んで、騒いで、笑って。

それを懐かしく思うほどに、ハンドルを握るホリィの後ろは静かだった。

乗っているのはニアとレヴィアンスだけ。人数は少ないが、普段はこの二人が車内を盛り上げている。

ニアの妹であるイリスのことは、ホリィもよく知っている。彼女が誘拐されたという事態に、自身も不安と焦りを抱えている。

だから、わかる。ニアの不安はそれ以上で、誰よりも焦燥していることも。

でもそれだけじゃない。この場の雰囲気を作った要因は、他にもある。

だが今は何も言うべきではないと判断し、ホリィは無言で運転を続ける。

こっちは色々不味いことになってるぞ、と、心の中で離れていった仲間に向けて呟く。

お前らの方はどうだ? ドミノ、オリビア。

 

 

 

三派会は国立会議場で行われる。

この建物は建国時に、国家運営のための法などについて議論するために作られたものだ。

大陸戦争が終結した後、人々に仕事を与えようと、初代大総統とその補佐らが築かせた。

これまで何度も修繕されてその形を保ってはいたが、使われることはほとんどない。

「だって、話し合う計画自体がないものね。意見交換なんて、形式だけにすぎなかった……」

会議場の歴史が刻まれたパネルを指でなぞり、オリビアは溜息をついた。

自分たちが臨むのは、エルニーニャの転換。歴史の流れを作るという大仕事。

尤も、王妃候補であるオリビアには大きな権限はない。だが、意見を述べることくらいはできる。

いや、しなくてはならない。それが自らの使命だから。

「この建物ですら、王ではなく大総統の指示で作られたもの。王宮の歴史なんて、彼らが築いてきた実績に比べれば取るに足りない。

だから私が作る。王国としての真の歴史を……!」

これまでただの飾り物だった王家に、実質的な権限を持つ軍と対等な立場を与える。

軍を知るパラミクスの人間だから、その可能性を提示できる。

「オリビア様」

呼ばれて振り向くと、そこには王派のメッセンジャーが立っていた。

メッセンジャーは各派で用意され、水面下での意見交換や情報共有のために動く。それぞれが最も信頼できる人間を選出し、ことに当たらせているのだ。

「大総統閣下は何て?」

「何も。まずはこちらと、文派の意向を述べよとのことです」

「王がすでにまとめているはずです。それに何か不備でも?」

「それは私が与り知るところではありません」

メッセンジャーに虚偽や隠蔽は許されない。発覚すれば即、罰される。

「そう、ご苦労様」

オリビアは彼を信じて、考えを巡らせるしかない。

大総統なら――ハル・スティーナという人物なら、何を考えるか。

 

三派会はそもそも、王派と軍派、そして市民による会議だった。

市民の中でも法に詳しく的確な意見を述べられる者が代表となり、彼らが「文派」を名乗るようになったことが現在の「三派」に繋がっている。

その筆頭こそ「大文卿」ハルトライム家だ。

「初めまして、ドミナリオ君」

エスト家とハルトライム家は古くから、かなり限定的ではあるが、親交はあった。

しかしドミナリオが相手方の次期当主と会うのはこれが初めてだ。

若干の緊張を抑え込みながら、差し出された右手をとる。

相手は微笑み、名乗った。

「俺はウェイブロード・ハルトライム。大文卿の孫にあたる」

「改めまして、ドミナリオ・エストです。エスト家の十八代目です」

ウェイブロードとはそれほど年齢が離れていないはずだが、ドミナリオには彼が妙に大人びて見えた。

「それと、もう一人。うちのメッセンジャーを紹介しておこうか」

ウェイブロードが「いいよ」と呼びかけると、扉が開いて、少年が一人入ってきた。

黒く長い髪を結い、背筋はぴんと伸ばし、藍色の瞳で真っ直ぐにこちらを見つめている。

「お久しぶりです、エストさん」

「どこかで会いましたか?」

「はい。五年前に、リーガル邸で。……それとも、僕が見かけただけだったのでしょうか」

ドミナリオは一度だけリーガル邸を訪れたことがある。五年前に、大きな事件でリーガル邸の護衛についたのだ。

しかし少年の姿は記憶にない。どこかで見たような雰囲気を纏ってはいるのだが、それがどういうことかまではわからない。

二人を窺っていたウェイブロードがふっと笑って、種明かしをしてくれた。

「彼はリヒト・リーガル君。軍に在籍してるアーシェ・リーガルさんの弟だ」

「アーシェの?」

なるほど、と思う。それならリーガル邸で会っていてもおかしくないし、雰囲気も頷ける。

だが、彼が何故文派のメッセンジャーなどしているのだろうか。ドミナリオがその疑問を口にする前に、リヒトが言った。

「ウェイブロードさんは僕の義兄なんです」

「義兄?」

「そうなる予定、かな。俺がこの作戦を成功させたらだけど」

ウェイブロードは微笑を崩さぬまま、不穏当な言葉を続けた。

「ドミナリオ君、俺は大文卿の掲げる主張に全面的な賛成はしていないんだ。寧ろ馬鹿げているとすら思っている」

「……!」

ドミナリオは絶句する。

大文卿の主張は、軍支配の否定。さらに軍制度を撤廃し、政治権限を文派に委譲させることを望んでいる。

それは大文卿本人から聞いており、軍支配に納得できないドミナリオもそれを受け入れるつもりだった。

しかしその孫が、いずれは大文卿の地位に就く人間が、その主張を馬鹿げていると言う。

同じ文派のトップなのに、その考えには溝があった。

「では、ウェイブロードさんの目的は?」

「文派の政治関与は俺も望んでいるし、立場も軍と対等にはして欲しいと思っている。

けれども軍の撤廃までは必要ないだろう。国の運営は王派を含めた三派で協力して行うべきだ」

実際現在の国家運営は軍に任せきりのところがあり、他派に権力を委譲したところで、実践するには経験が圧倒的に足りない。

祖父の考えが焦りと怒りのあまり浅はかになっていることを、ウェイブロードは常々心配していた。

「どうせゆくゆくは俺が大文卿になるんだ。俺の考えを優先させて欲しい。……爺様にだって、邪魔はさせないよ」

ウェイブロードの笑みを作った目に、ぞっとするような冷たい光が見える。

何が彼をそうさせるのか。それを思うと、ドミナリオの好奇心が疼いた。

「俺の考えを通すために必要なのが、メッセンジャーであるリヒト、そしてドミナリオ君だ。俺たちの共通点が何かわかる?」

「共通点? ……文派であるというだけではなく?」

ふと、リヒトの言葉が頭を過ぎる。彼はウェイブロードを「義兄」と言った。とすると、彼は。

「ウェイブロードさん、あなたはアーシェの何なんですか」

「彼女が成人したら、妻に迎えるつもりだ。……そう、俺たちは全員、アーシェと繋がりがあるんだ」

文派の鍵が、まさか部下であった少女だとは。ドミナリオは苦笑する。

本来、文派は市民代表だったのだ。そしてアーシェは軍に属しているが、リーガル家自体は商家。裕福な市民だ。

無理やりなこじつけすらまかり通ってしまうほど、世間は狭い。

「アーシェはこのことを知らないけれど、それでいい。こんなことはさっさと解決して、軍人と結婚するなんてとんでもないとか言ってる老害には引退してもらう」

そして思った以上に、ウェイブロードはとんでもない男のようだ。

その片腕であるリヒトも、単にアーシェの弟であるという理由だけでここにいるわけではないだろう。

「俺に協力してくれるね、ドミナリオ君?」

笑みを湛えたまま再び右手を伸ばすウェイブロードが、ドミナリオの最も苦手とする人物と重なった。

あの従姉妹はちょっと異性の趣味に問題があるんじゃないか、などと思いながら、ドミナリオはそれに応えた。

「それにしても、今日はよく喋るんですね。義兄さん」

リヒトの呟きは耳に入らない。

 

実際に会議での発言権があるのは、オリビアやドミナリオたちではない。

各派の代表、つまり文派なら大文卿、王派なら国王代理の大臣、軍派なら大総統だ。

他の二派と違い、メッセンジャー以外に人を連れてこなかったハルには、大きな重圧がかかっていた。

いつもならそれを分け合える相手には、今は総大将を任せている。

他派は自ら用意した協力者らの言葉も武器にできるが、軍派はハル一人でそれに対抗しなければならない。

何も策が無いわけではない。ただ、それが本当に通るのかと問われれば、自信はなかった。

三派会を開き、各々の考えを述べ、新しい国家体制を作っていくことが今回の目的だ。

しかしこの計画は、失敗すれば、軍の地位をこれまでよりもはるかに下のものとしてしまう怖れも孕んでいる。

それでも、と進めてきた。

ノーザリアをはじめとする諸国の脅威に立ち向かうには、エルニーニャのまとまりきれていない部分を一つにする必要がある。

これまで以上に強固な国をつくり、運営していく。他国に揺るがされない、強国エルニーニャを再生する。

そうすることを提案してきたのは、ダイだった。

「大総統の勝手な国交」に対する反発から、日頃からの大総統政への疑問を爆発させる。

いつもどこかしらが開催を渋ってきた三派会を、開かなければならないものにする。

その機会を利用して、国家運営の転換を図る。

軍派には不利な状況だが、その方が他派を煽りやすい。そうして開催を受け入れさせ、有利な方へ導いていく。

「でも……」

ハルの溜息の理由は、この「有利な方へ導く」というところにある。

ここまで軍の立場を悪くした上で、有利にしていくのは難しい。

一体どれほどの要求をクリアしなければならないのか、想像するだけで頭が痛くなる。

王派と文派は共に、自らの地位向上を望んでいる。対等な立場ならばこちらも是非受け入れたいのだが。

文派はわかりやすい。大文卿は文が頂点であるべきだと主張している。

王派は公言こそしないが、いずれは軍を抑えて頂点に、と考えているようだ。

それをいかにして止めるか。最も肝心な部分はハルにかかっている。

「できるのかな、ボクに……」

不安に満たされて震えた体に、その時、ドアを叩く音が響いた。

 

再びメッセンジャーが訪れたのかと、オリビアは溜息を吐きながら振り向く。

自分からは伝えたいこともなく、向こうからの報告も大して身のあるものではなさそうだと思っていた彼女には、しかしその来客は意外なものだった。

「どうぞ」

「……失礼します」

耳慣れた声。扉の向こうに見えた金髪。

自分を捉える紫の瞳を、オリビアは確かに知っている。

「ドミノ君?! どうして……」

軍にいるはずの友人が、ここに来られるはずのない彼が、部屋に立ち入る。

ドミナリオは俯き、歯切れ悪く返した。

「文派に、付いたんだ。今は、その……メッセンジャーとして来た」

先ほどまで、彼らは互いに相手がここにいることを知らなかった。

ドミナリオはウェイブロードから聞いて、オリビアはこの再会で、現在の状況を確認することとなった。

「私たちはバラバラになってしまっていたのね」

「うん。今軍に残っているのは、僕らの中ではホリィだけ」

道は分かたれた。けれども、その志は?

オリビアはそれを問う意味も込めて、ドミナリオに尋ねる。

「ドミノ君、文派のメッセンジャーなんでしょう? 私に何か用があったんじゃないの?」

「僕の用じゃない。大文卿の孫から、君に頼みがある」

ウェイブロードのことは、オリビアも知っている。

現在大文卿に最も近い人間であり、また軍ともアーシェを通して関わりのある人物。

その彼が、こう言う。

「三派が協力路線をとるよう、王派の代表に提案してくれないかと」

「……そういうこと」

大文卿本人ではなく、ウェイブロード個人の頼みであろうことはすぐに理解した。それが大文卿の言う「理想」と乖離しているのは明らかなのだから。

「対等な立場での協力ということなら、確かに王派と文派に利があるわね。少なくとも、今までに比べれば状況が随分良くなる」

「ウェイブロードさんもそう言っていた。それが大文卿に通じないということも」

「文こそ頂点って考えの人だものね。……その話を持ってきたということは、ドミノ君はウェイブロードさんのメッセンジャーだと思っていいの?」

「一応は」

曖昧な返答から、ドミナリオ自身がその立場に納得していないことを読み取る。

文派に付いたのは、彼が大文卿と同じ考えであったから。元々軍人になることにすら疑問を抱いていた彼のことだから、それでも仕方がないと思う。

「ドミノ君」

オリビアは彼女自身の思いを伝えることにした。

ウェイブロードに、というよりも、目の前にいる人物に。

親しい友に聞いて欲しかった。

「私も三派が対等な立場になることを望んでいたの。そうなるべきだと思うわ。そうして初めて、この国は新たなスタートに立てる」

ごまかさず、全て話したかった。

「誰かが頂点になるとか、そういうことはその向こうにある。そして私は、向こうのことを考えた上でその申し出を受け入れる。

エルニーニャが王国として、誇りを持って大陸に存在するためには、必要なことだわ」

王国として――それがオリビアの思い。

三派の協力は決して馴れ合うということではない。そんな彼女の答えを、ドミナリオは受け取る。

「……そうか、そうだね。これは国の為に必要な起点だ」

「でしょう?」

他派に譲歩するわけではない。目的の為にそれが要るのだ。

全てが、そして自分も、我侭で動いているんだと。ドミナリオは解し、認めた。

 

「国は人によって作られ、存在します。そして僕らも、貴方も、人です」

ハルのもとを訪れ、そう語ったのはリヒトだった。

彼もまた、姉の助けになりたいという、それだけの理由で動いている。

それを聞いて、ハルは息を吐く。

「我侭、か。そう言われるとそうかもね」

国を揺るがす対立が、たった一言で片付けられてしまうなんて。

しかもそれは、きっと誰にも否定できない。

軍の立場を保ちたいというのも、様々な理由はあれど、結局は「我侭」。自分がそうしたいのだ。

「……極論ですが」

「うん、かなり極論。でも、リヒト君のおかげで少し楽になったよ」

「楽に?」

「相手を押さえつけることも、こっちが譲歩することも、考えなくていいんだって思えた」

兼ね合いは必要だが、こちらが一方的に折れる必要はない。

まずは互いにぶつけてみるしかない。元々そのつもりで三派会を開こうとしたんじゃないか。

「楽になっただけで、根本的な解決にはなっていないけど。それでもさっきよりは、ずっと強気になれたよ」

我侭だと思えば、怖れは軽くなる。誰もが子どもの頃から持っているものと向き合うだけだ。

「リヒト君、ウェイブロード君に伝えて。協力路線提案、ボクも乗るよ。そしてきっとそこに繋げる」

「はい、宜しくお願いします。……王派はともかく、大文卿はちょっと手ごわいかもしれませんが」

「承知の上だよ。今はあの人が一番我侭を言ってるからね」

これまでは軍が我侭を通してきたけれど、とハルが笑う。

やっと、笑った。

 

 

それぞれが私を主張する、子どもの喧嘩のような大人の会議。

三派会が、動き出した。