エルニーニャという国は、幾度もの統合政策をとってきた。

周囲の小国を合意の下で取り込み、現在の広大な国土を形成した。

その「合意」が、果たして小国の民全員の総意であったのか。

現在、片手で首都からの恩恵を受けつつ、もう片方の手で首都へ刃を向けている地域が存在する。

自分達はかつての「合意」を認めていないのだと主張する。

ゲティスとパロットの故郷であるセパル村も、そんな元小国であった。

 

 

 

故郷を離れて十年、一度も帰ったことはなかった。

村を視察に行った他の誰かの報告から、その間の様子はうかがうことができた。

相変わらず首都を好まず、表面上は拒む。しかしながら結果的に首都からの援助に頼らざるをえない。

ゲティスたちが村を離れた時から、ほとんど変わらない状況らしかった。

そして今日、漸くそれを自分の目で確認することになる。

「パロット、ここから歩こう」

車を村から離れた場所に停め、ゲティスが荷物を降ろし始める。

ゲティスの言葉に従い、パロットも自分の持ち物を簡単にまとめる。

「また、石、投げる?」

「そんなことさせない。パロットはオレが守るから」

村にいた頃、パロットは「裏切り者の子」として迫害を受けていた。

両親が村と我が子を捨て、首都へ生活の場を移したためだ。

一方ゲティスは、両親をキメラの襲撃によって失ったあと、人々の手厚い保護を受けた。

立場の違う二人が出会い、共に過ごしてきた。そして誓ったのだ、村を変えると。

「行こう」

「うん」

今の自分たちにそれほどの力はないかもしれない。

ただ、これが始まりになれば。

そんな思いで、彼らは再び故郷の土を踏んだ。

 

「ゲティス! ゲティスなのか?!」

「大きくなったねぇ!」

村の人々はすぐに、成長したゲティスに気付いた。

そして、その後ろにいた、成長したパロットにも。

「お前、まだあの子と一緒にいたのか」

「うん、ずっと一緒にいた。仕事じゃ一番息の合うパートナーなんだぜ」

仕事って、軍の? この子が軍に?

そうざわめく人々から守るように、ゲティスはパロットを背に庇う。

やがてゲティスと、俯くパロットの耳に、懐かしい声が届いた。

「帰ってきたのか」

「じいちゃん、ばあちゃん……」

ゲティスに温かく接し、パロットに辛くあたった、老夫婦。

彼らはパロットの祖父母だった。

「お爺様、お婆様」

「おや、お前も来たのかい。親のところで暮らしてるんじゃないかと思ってたよ」

「……」

パロットの呼びかけには冷たく返す。

あの頃と変わらない。十年の月日が流れたはずなのに、まるでこの場所だけ時が止まっていたように。

「そんな言い方はやめてくれよ。パロットはあんた達の孫だろ」

ゲティスも言い返すが、老夫婦はまるで聞こえていないかのように振舞う。

「ゲティス、長旅で疲れたろう。うちにおいで、食事にしよう」

「おい、話を……」

「ゲティス」

なおも喰らいつこうとするゲティスを、パロットが止める。

きっと何を言っても無駄だろうと思っていた。

ゲティスは一旦口を噤んだが、彼が変えたかったのはこの状況だ。

ここにいる間に少しでも、パロットの存在を皆に認めさせるつもりだった。

 

人々と会話する間、何度かパロットの話を挟んでみた。

けれども誰もが聞こえないふりをして、話題を変える。

だんだんイラついてきたゲティスに、パロットがこっそり耳打ちした。

「もう、いい」

「オレは良くない」

「でも、本題、違う」

パロットの言う通り、ここに来た本来の目的は村の動向を探ることにある。

首都の混乱に乗じて、騒ぎを起こさないかどうか。それを確認しに来たのだ。

ゲティスは渋々と仕事に戻る。

「あの……さ。首都が今大変なのは、皆知ってるよな」

「あぁ、三派の政争が起こってるんだろう」

「いい気味だよ、今まで散々傲慢にやってきたツケが回ってきたんだ」

やはり、そういう認識か。ゲティスは溜息を吐き、次の言葉を搾り出す。

「でも、あまり混乱が続くとさ。この村も困るんじゃないのか?」

セパル村は首都政府に反発し、表向きには援助を拒んでいる。

しかし首都の援助がなければ生活水準を保てない現実があり、そこで村から軍人を出して、物資などを彼らから融通してもらっている。

だからこそ村出身の軍人は重宝されているのだが、この明らかな矛盾をどうにかできないかと思い軍人になったのがゲティスだ。

現在も状況が変わっていないのなら、この問いには困るだろうと思っていた。

だが、返答はあっさりしていた。

「困らないよ。セパルは自活できるから」

「今回のことで独立できるといいねぇ」

ゲティスの知る限り、無理であろうことを簡単に言ってのけた。

「でも、軍から物資をもらって……」

「もういらないよ。だから、ゲティスも安心してセパルに戻ってくるといい」

「また一緒に暮らそう。首都政府の狗なんかやめてさ」

知らないうちに、何かがあった。村が変わるきっかけがあった。

それが何なのか、ここまで自信を持たせたのは何なのか。

「……どうして、自活ができるようになったんだ?」

「住めばわかるよ」

「だから戻っておいで」

ここですぐに明かすことはできないのか、人々は笑顔のままごまかした。

怪訝な表情のゲティスの背中にぴたりとくっついて、パロットが周囲の様子を窺う。

誰もパロットを痛めつけないが、見ようともしない、不自然で冷たい空間だった。

 

村を歩けば、誰もがゲティスを懐かしがる。そして誰もがパロットを目に留めた瞬間に視線を逸らす。

「パロット、ごめんな。辛い思いさせてさ」

ゲティスの言葉に、パロットは首を横に振る。

「ゲティス、一緒。パロ、平気だよ」

にこ、と笑うパロットに、ゲティスは寂しげに微笑む。

いつだって、彼はそう言ってきた。二人で色々なことを乗り越えてきた。

だからこそ、本当は「平気」なんかではないこともわかっていた。

パロットが今でも痛みに怯えていることを知っていて、それでもそこから完全に解放してやることができない自分に、ゲティスは苛立っていた。

そしてパロットも、そんなゲティスを見透かしては、弱い自分を情けなく思っていた。

「……あ、あれ何だろうな。新しい畑ができてる」

気持ちを切り替えようと、ゲティスは遠くに見えた土地を指差した。

昔は農具の倉庫があった場所だ。それが綺麗に片付けられて、何か作物を育てているようだ。

「そういえば、自活できるって言ってたな。あれ、関係あると思うか?」

「行ってみる?」

「だな。ちょっと走ろうか」

苛立ちを、不安を、振り切るように走る。

幼い頃はよく二人で駆けたものだ。同年代の子ども達がパロットに石を投げてくるので、逃れる為に村を、挙句の果てにははずれの山まで走り回った。

虐げられていたパロットをどんなに庇っても、不思議とゲティスがやっかみを受けることはなかった。

――今にして思えば、皆がゲティスに優しすぎた。

親が怪物に殺された、かわいそうな子だからだろうか。

浮かんだ疑問について考える前に、足が止まった。目の前に、膝ほどの背丈の草が整然と並んでいたから。

「やっぱり畑だ……」

「……ん」

自分達が出て行った後に作られた、新しい畑。

何を育てているのかとゲティスが口にする前に、パロットがしゃがみこんだ。

「パロット?」

「ゲティス、これ、駄目」

植物に詳しいパロットが、青ざめて言う。

彼には一目見てわかってしまったのだ。

「視察、見逃したのも、仕方ない。よく似てる、でも、違う」

「どういうことだ? これって一体何の畑なんだよ」

「これは……」

そしてゲティスにも、全てが解った。

確かにこれが、この村の自活を可能にするであろうこと。

しかし同時に、村を、国を、破滅させる可能性があること。

「……オレたち、村を変えたかったよな」

悔しくて、奥歯を噛締めた。

「もう、遅かったのかな……。最悪の方向に、進んじまったのかな……」

風が畑を撫でていく。

一見、それはただの牧草のようだ。視察に来た軍人も、きっとそう思った。

だが、パロットの目はごまかせない。これは危険薬物の原料になる、毒草だった。

これだけあれば、取引によって多大な富を得ることができるだろう。

 

ゲティスが声をかけると、村の年長者たちがすぐに集まった。

危険薬物のことは、軍には連絡していない。

これ以上の混乱を招くことを危惧してというのもあるが、何よりまず村の人々に罪を認めて欲しかった。

「あっちの畑で育ててるの、栽培が禁止されてる草だよな」

ゲティスの発言に、人々は一様の反応を返す。なんのことだ、と。

「皆は自活できるって言った。その根拠は何だ? あの草があるからじゃないのか?」

静まり返る場を、パロットはゲティスの後ろから見守る。

ただ認めて、あの畑を焼いてくれれば良い。そうしてこの村にとって最善の道を、もう一度考えてくれれば。

二人はそう思っていた。

「不正をしても、この村の将来の為にならない。だから」

「ゲティス、村じゃない。国だよ」

畑を処分してくれと言う前に、その言葉に遮られた。

人々の目があまりにも冷ややかで、パロットは震える。

ゲティスはパロットを庇いながら、彼らの瞳を受け止めた。

「セパルは国なんだ。属国扱いが続き、自由になれないままエルニーニャに取り込まれてしまったが、国だった。

私たちは私たちの国を取り戻したいだけだ」

「でも、そのために不正をするのは」

「こんな方法しか取れないようにしたのは、私たちから国を取り上げた首都政府だ」

「首都が傾いたのは、神の思し召しなんだ。私たちは今こそ国を取り戻すんだ」

「国だけではない、王をも再びたてられる」

一人ひとりは静かに話していても、全員の声が重なればざわめきになる。

低い声がゲティスたちを包むが、ここで怯むわけにはいかない。

ゲティスは人々を睨み、静かにしろと一言怒鳴りつけてやるつもりだった。

けれども、できなかった。

「神はゲティスを返してくれた」

「王をこの地に返してくれた」

にわかには理解しがたい言葉が混ざっていて、思考を酷くかき乱されたから。

 

 

ゲティスの両親はキメラに殺された。

そのキメラが何者であったのか、ゲティスは知らないまま育った。

知らないまま、人々に愛でられ育てられた。

 

かつてセパルが国であった頃、神獣信仰があった。

セパルが国としての形を失い、人々が首都を恨むようになってから、信仰は強いものになった。

のちに神獣の復活と称してキメラが生成され、信仰にあるとおりの儀式が行われた。

生贄を捧げ、神獣に守られた「強き者」を生み出す儀式だ。

当初、生贄として選ばれたのは子を生したばかりの夫婦であった。

しかし彼らは逃亡し、残された赤子は「裏切り者の子」として烙印が与えられた。

儀式は代わりの生贄を用いて、数年間続けられる。

最後に王の末裔であった女性とその夫が捧げられた。

遺された子どもが、信仰にある「強き者」とされた。

そして「裏切り者の子」が、今後「強き者」に降りかかる災いを一身に受ける身代わりとして、虐げられながら生かされた。

どれだけ痛めつけても他所から干渉されないよう、表向きは生まれてすぐに死んだことにして。

 

ゲティスが王で、パロットはその身代わり。

人々は初めから、王がこの地に戻るのを待っていたのだ。

戻ると信じていた。それが「神の導き」だから。

 

 

「あなたは私たちの王で、戻るべくして戻ったのだ。あなたの為に国を取り戻そうとしているのに、何故それを罪と言われる?」

ゲティスは絶句する。

パロットが痛みを負ったのも、人々が不正に富を得ようとしているのも、ゲティスの為。

狂信が招いた事件に関わったことは、以前にもあった。あの時は信仰を悪事に利用されていた。

だが今回は、危険薬物の件はわからないが、少なくともパロットの生い立ちに関しては彼らの信ずる教えに則ったものだった。

――オレの所為で、パロットは……。

背後で立ち尽くすパロットを見る。

ずっと一緒だった、唯一無二の親友。彼を苦しめてきた原因が、ゲティス自身。

「パロット、オレ……」

「違う。ゲティスの所為じゃない!」

ゲティスの考えは、パロットに言わずとも伝わる。

これは不幸な偶然が重なっただけで、ゲティスに非はない。けれどもパロットのそんな思いは、今のゲティスには届かない。

これまでの全てが砕かれ、自責の念だけが残ったゲティスには。

それなら、今動けるのは誰だ。

「……やめて」

存在を否定されても、傷つけられても、今この瞬間にゲティスを守れるのはパロットだけだ。

「それ、ゲティスの為違う! 全部全部、あなたたち自身の為だ!」

いつもゲティスの後ろに隠れていた。そうしていれば、ゲティスが守ってくれた。

今度は自分が前に立つ番だ。大切な人の一人も守れなくて、軍人を、親友を、名乗ることなんかできない。

「裏切り者の子よ、我らの王を唆すな」

村の人々がパロットの存在を見止める。

昔から言われ続けた言葉に、腕の烙印がじくりと痛む。

それでも立ち向かえる。そのための勇気を、ずっとゲティスからもらってきたのだ。

「王なんかじゃない。ゲティスは、ゲティス」

「黙れ、身代わりが! お前は王の代わりに災厄を受けていれば良い!」

その言葉に、ゲティスが僅かに反応する。

パロットが虐げられていたのは、ゲティスに降りかかる災いを代わりに受けるという意味合いを持っていた。

ゲティスは知らないうちに、パロットに痛みを与えていた。

より深い闇へと自らを落としていこうとするゲティスの耳に、しかし、それは確かに聞こえた。

「ゲティスの身代わり、なれるならいくらでもなる! パロがゲティスを守れるなら、いくらでも!

だから、全部ゲティスの為って言って、ゲティスの意思を無視して、自分たちの我侭通そうとするの、パロは絶対許さない!」

ずっと一緒にいたのに、こんなパロットは見たことがなかった。

ゲティスはいつだって、パロットは自分が守らなければと思っていた。

仕事上でどれだけの協力を重ねても、やはりその思いは常にあった。

それが、いつの間に強くなったのだろう。叫んで、立ち向かって、ゲティスを守ろうと立っている。

――でも、それはちょっと聞き捨てならないな。

こんなところで、過去のことにショックを受けている場合じゃない。

パロットにとってのゲティスが「王」なんかではないように、ゲティスにとってのパロットも「身代わり」などではないのだから。

「……ありがとな、パロット」

この先自分といることで、パロットはもっと傷つくかもしれない。けれどもそれを怖れて引いてしまったら、パロットの勇気が無駄になる。

「ならなくていいよ、身代わりなんて。誰が何と言おうとパロットはパロットだ」

一緒に村を出た時に誓ったじゃないか。この村を変えること、そして。

「守りたいもののためなら何でもするって、あの時決めたんだ。オレがパロットを守れるなら、どんなことだって乗り越えてやる!」

「ゲティス、パロも同じ。ゲティスと同じ道、進む」

手を取り合って、真っ直ぐに前を見る。

どんな理由であれ、ゲティスにはパロットが必要で、パロットにはゲティスが必要。

それでいい。それだけは、変わらない。

「ずっと、一緒」

 

セパルの人々は、王がこの地を捨てることを許せなかった。

これまでの信仰が、自らの幸福に繋がらないことを怖れた。

「……そうか、これは試練だ」

年長者の一人が、ぽつりと言った。

「首都政府に狂わされてしまった我らの王を取り戻すことが、神に与えられた試練なのだ」

そうか、そうだ、と人々がざわめく。

「狂いを祓わなければ」

「身代わりに請け負ってもらおう」

からり、と音を立てて、誰かが木の棒を持ち込んだ。

各々がそれを握り締め、パロットににじり寄る。

「パロット、いけるよな?」

「できるよ、ゲティス」

二人がやることは決まっている。

この場を切り抜け、鎮めて、軍に連絡。こうなってしまったら、しかるべき対処をするしかない。

エルニーニャ軍人としての仕事をしよう。

 

「ごめんな、この村ぶち壊すぜ。オレたちはそれが、この村の為になると思ってるんだ」

 

誰かによく似た志のもとに。