レヴィアンスが大総統執務室に呼び出されたのは、イリスを捜して司令部内を駆け回っていた頃だった。

ニアたちとは別の方向へ行ったため、その間に何があったのかは知らない。

急いで向かった先でニアが青い顔をしていたのも、初めは妹が心配だからだと思っていた。

「ルーファは来ないの?」

ちょっとした疑問を口にしたのは、移動の少し前。

「……うん、呼んでないんだ。今日はレヴィと、ホリィさんだけ」

単に人員を分けただけなら、「呼んでない」なんて言い方はしない。少なくともニアは、そんな言葉は使わない。

「ルーファと何かあった?」

もともと懸念はあったのだ。

表面上はダイと対立すると決めたとき、ルーファの立場は危うかった。

ルーファ自身も、きっと迷いがあった。

それが表に出てしまって、ニアとルーファがぶつかってしまうことは充分に考えられた。

「ルーは……」

しかし、事態はそれよりも深刻になっていた。

ダイのことで衝突したのなら、それを解決すれば済んだのだが。

「ルーには、僕が酷いこと言っちゃったから。今更一緒に来て欲しいなんて、言えないよ」

二人の問題は、当人同士でなければ解決できない。

 

 

司令部から目的地まで、車内はほぼ無言のままだった。

その間ニアの頭の中を巡っていたのは、イリスが誘拐されたことに対する自責の念と、ルーファにぶつけてしまった言葉。

「いなくていい」なんて、そんなはずはない。

助けて欲しかったのに、求めていた救いとは違ったから、言ってしまった。

信じたいものも信じられないものも多すぎて、ぶつかり合って、抑えられなくて。思わず出てしまった言葉だった。

それでも赦されることではない。きっとルーファを傷つけた。

イリスが誘拐されたのだって、自分の所為だ。

日頃から勝手に司令部内をうろついていたから、油断していた。不穏な動きがあることはわかっていたのに、イリスを独りにしてしまった。

気が強く、活発な彼女だが、まだ四歳だ。とても怖い思いをしているだろう。

――全部、僕が悪い。

――だから、僕が助けなくちゃ。

誰かを同行させろといわれ、レヴィアンスを選んだ。ホリィが移動を補助してくれることになった。

しかし、ニアは一人で乗り込むつもりだった。自分の責任に、これ以上他の誰かを巻き込むわけにはいかない。

車が停止した後、ニアは間髪いれずに言った。

「ここからは僕が一人で行く。レヴィとホリィさんは、様子を見て動いて」

イリスの無事もまだ確認できていないし、と続けると、レヴィアンスが頷いた。

「わかった、そうする。無理はするなよ、ニア」

「大丈夫。いってくるね」

父から譲り受けた大剣を背負い、振り返らず進む。

そんなニアを見つめたまま、レヴィアンスはホリィに告げた。

「ボクもすぐに後を追うよ」

「ニアは遠まわしに来るなって言ってたけど?」

「これまでのニアの様子は充分に見た。あんな状態で、一人で行くなんて無茶だ」

そっちはどうする? と目で尋ねると、ホリィは車載の装置を人差し指で叩いた。

「オレは待機」

「了解」

それぞれの役目を果たす為、レヴィアンスはニアの方へ、ホリィはその場で。

人影が見えなくなった頃、まるでタイミングを見計らったように車載無線が信号音を発した。

 

事前に指示されていた場所には、古くなった小屋が並び、その傍らに男が一人立っていた。

三十あるいは四十代くらいか。無表情で、目だけがニアを追っている。

「インフェリアか」

低い声が、名を呼ぶ。

「はい」

「こっちだ」

男の後について小屋へ入って行くと、地下へと続く階段が見えた。

階段を下りていく男を、今ここで倒すこともできる。しかしイリスの安否が判らない以上、それは良策ではない。

靴が階段を踏む音と、頭に響くような自分の心音を聞きながら、ニアは男の後ろを歩く。

床に足が着いたところで、辺りを見回した。小屋の大きさに比べ、とても広い部屋だ。

正面の壁際には、ビデオにも映っていた椅子がある。その横に、彼女はいた。

映像と同じ不敵な笑みを湛えてこちらを見つめる、栗色の髪の少女。

「来たよ。……妹を返して」

ニアが告げると、彼女は首を横に曲げて、とても可愛らしく笑った。

それからニアを連れてきた男に目配せする。

男は応えるように言った。

「俺からの要求は二つ。一つは人間兵器ニア・インフェリアの身柄。

そしてもう一つは、エルニーニャ軍が危険薬物の運搬ルートを一本見逃すことだ」

ニアが睨むのに一切怯むことなく、男は続ける。

「一本だけで良い。それだけでお前の妹は解放される。断れば殺すがな」

その一本でどれだけの人が苦しむことになるか、ニアとてわかっている。

イリス一人の命か、多くの人の命か。天秤にかけるなんて、ニアにはできない。

「……じゃあ、こうしよう。一つ目はなしだ。妹と一緒に、お前も解放してやろう」

「ちょっと……!」

少女が男を不満げに睨む。だが男は彼女を一瞥すらせず、ニアに返事を迫った。

「どうだ」

「……」

元々自分の身柄など、あとでどうにでもするつもりだった。

だから状況は変わらない。イリスか、見知らぬ大勢か。

男が機械を放り投げ、それが床を滑ってニアの足にぶつかる。無線機だった。

「司令部に合わせてある。俺の要求を受け入れるなら、それで大総統補佐に連絡し、運搬を認めると言わせろ」

迷うニアには、それを拾い上げることもできない。

――僕の所為でこうなったのに、何一つ決められないのか。

手が震える。この手で大勢の人を苦しませるか、妹を殺すか。

そこまで考えて、ふと思う。イリスの安否を、自分はまだ確認できていない。

「妹は、無事なのか」

考えたくはないが、もしもイリスが死んでいたなら、選択肢は減る。大勢を優先すればいい。

イリスが生きているなら、力ずくで奪還すればいい――これが最善手だ。

「妹の無事が確認できたら、取り引きに応じる」

男は少女に、無言の合図を送る。

少女は舌打ちし、奥の部屋へ向かった。

「安心しろ、お前の妹はちゃんと生きている。でなければこんな取引はしない」

「そうじゃなきゃ困るよ」

男の言葉を聞きながら、ニアはすでに臨戦態勢をとっていた。

背の大剣でいつでも相手を叩けるよう、敵の位置を確かめ、自分からの距離を測る。

「連れてきたわよ」

少女が何かをひきずって戻ってくる。

よく見るとそれは、髪は乱れ、項垂れて、肌は痣に染まっている、幼い女の子だった。

「イリス!」

「息はしてるわ。ちゃんと吐いたものが詰まらないように、気を遣ってあげてたのよ。感謝してね」

栗色の髪を揺らし、少女が笑う。

ニアは今すぐ剣をとって少女に叩きつけてやりたかったが、拳を強く握り、手のひらに爪を立てて堪えた。

「イリス」

代わりに、今できる限りの優しい声を、妹へ送った。

「お……にい、ちゃん……?」

微かな声で、返答があった。意識はある。

この妹は、本当によく耐えてくれた。

ホッとしたのも束の間、少女が鈴のように美しい、しかし今は耳障りな声で急かす。

「早くダグラスの要求呑まないと、この子殺しちゃうよ」

少女の片手にはナイフ。もう片方に人質。あの場所までの中間には、男が立っている。

男を相手にしなければ、あの場所には辿り着けない。それでは絶対に間に合わない。

――無理だ。一人じゃ無理だったんだ。

一人で行くと決めたのに、それでは何もできないなんて。

イリスを見る。虚ろな赤い瞳が見える。

ニアが一人でできることは、足元の無線を拾い、司令部へ呼びかけることだった。

 

ニアの後を追ったものの、当然簡単にはいかない。

イリスの安否が確認できるまで自分の存在を相手に知られないように、レヴィアンスは細心の注意を払わなければならなかった。

並ぶ小屋のどれかに、敵が潜んでいる可能性は充分にある。気付かれないよう目的の小屋まで辿り着くのは難しいだろう。

ダガーを構え、様子を窺う。僅かな物音も聞き逃さないつもりで、神経を研ぎ澄ます。

――確実にいるな。

ニアたちが小屋へ入ってから、外へ向けられていた注意は小さくなったようだ。

その隙をつければ、追うことは不可能ではない。

――別の方向に注意を向けさせれば、駆け抜けていけるかも。

足元には石が転がっている。それをいくつか拾い、風が吹くのに合わせて放り投げた。

自分が通りたい方向とは真逆に、石が転がっていく。地面や壁にぶつかると、それに反応して、小屋から人が出てくる。

ただ石が風で転がるだけだと判断されれば、次第にそちらには目を向けられなくなる。

その前に目的の小屋まで駆け抜けなければ。

石に惑わされる者の目をすり抜け、レヴィアンスは素早く入り口の小屋へ辿り着く。

内部の様子を確認してから、静かに侵入した。

階段の下に人の気配を感じ、ニアたちがそこにいると確信する。

小屋の中は殺風景だったが、小柄なレヴィアンスが隠れられる場所がないわけではない。

音をたてないように、詰まれた木箱の後ろに身を寄せた。床に耳をつけると、何とか下の様子が聞こえる。

「イリス!」

ニアが妹を呼ぶ声がする。

「息はしてるわ。……」

誰かの声から、イリスの安否は確認できた。ただ、口ぶりから決して無事ではないことが窺える。

下へ降りるタイミングを見計らいながら、レヴィアンスは続けて耳を澄ませた。

物騒な台詞で、ニアが不利な状況に立たされていることがわかる。

イリスを、そしてニアを助けるには、適切な機が必要だった。

 

拾い上げた無線機が、妙に重く感じた。

ニアにはイリスを解放させるために、要求を司令部へ伝えることしかできない。

もしも要求が却下されれば、やはりイリスの身は危ないままだ。なんとか相手の隙をついて、力ずくでいくしかない。

要求が受け入れられれば、イリスは解放されるはずだ。しかし軍の対応に新たな問題が生まれる。

つう、と汗が流れていくのを感じる。震える指で、発進ボタンに触れる。

「早く」

少女が急かす。その声が、ニアに覚悟を強いた。

ボタンを押すと、暫しのノイズの後に声が聞こえた。

「エルニーニャ王国軍中央司令部です」

「ニア・インフェリア中尉です。ハイル大将をお願いします」

「どうした?」

待機していたのか、本人だったようだ。ニアは一瞬息を呑み、続ける。

「イリスを誘拐した犯人から、要求があります」

こちらを見る相手の様子を窺いながら、それを告げる。

アーレイドが考え事をする時の、ほんの少しの間の後に、ただ一言返ってくる。

「要求を呑む」

彼は今この瞬間の人命を優先した。

わかりました、と無線を切り、こちらを見つめる男へ言う。

「要求は受け入れられた。イリスを返せ」

「……良いだろう」

男が少女に放してやれと言うと、彼女は無表情でイリスを突き放した。

床に転がる妹に駆け寄り、その体を抱きしめる。

傷と痣だらけの肌を撫でてやると、イリスは弱々しく笑った。

「……おにいちゃん」

「よく頑張ったね……」

イリスはホッとしたのか、そのまま目を閉じる。呼吸と心音から眠っただけであることを確認し、ニアは立ち上がろうとした。

顔を上げて、少女を見て、気付く。

彼女が銃を構え、正確にこちらを狙っていることに。

「次は私の要求ね」

なんて可愛らしい微笑だろう。こんな状況でなければ、きっと見惚れていた。

しかし、今は死神にしか見えない。

「あんたたち二人とも、死んで」

引鉄にかかる彼女の指が動く。

ニアは足も手も動かない。

ここまできて、大切な妹を守れず、自分も死ぬのか。

重大な決定を人にさせたまま、後のことを知らずに。

「ニア!」

諦めて目を閉じたりすることはなかった。

だから、すぐにわかった。

自分が一人じゃなかったことが。

「痛ぁ……」

忌々しそうに顔を歪める少女。音を立てて床に落ちる拳銃と、紅玉の飾りが美しいダガーナイフ。

振り返ったニアの視線の先には、共に来てくれた姿があった。

「レヴィ!」

「ニアもイリスも、よく頑張ったね」

階段の上から飛び降り、着地も華麗に決めてみせる。

レヴィアンスはずっとこの時を待っていた。イリスが解放され、ニアの手に戻ったこの瞬間を。

物陰から飛び出し、階段を少し下りたところで、ニアたちに銃口が向けられている場面に出くわしたのだ。

少し遅れていたら悲惨なことになってたな、と内心思っていたが、それは表に出さない。

手元に残っているダガーを構え、立ち上がったニアと共に相手と対峙する。

「イリスを抱えたままじゃ動けないでしょ? ボクに任せなよ」

「ここに留まってても大丈夫だよ。大剣はリーチが長いし」

「それもそうか」

少女が憎々しげにこちらを睨みながら、銃を拾って構えなおす。

男も銃を取り出し、戦う姿勢をとる。

相手の得物を叩き落すことができれば、こちらの勝ちだ。

レヴィアンスが床を蹴り、火蓋が切って落とされる。

 

 

グレイヴの運転で、車は目的地へと順調に進んでいた。

助手席にはダイがいた。彼はあくまで、情報提供者であり案内人だ。エルニーニャ軍の車を運転するわけにはいかない。

そして後部座席にルーファとアーシェ。

二人ほど欠けていて、運転者が異なるが、この状況は五年前を懐かしく思い出させた。

「この先に旧住宅街がある。かつては前科持ちで表に堂々と出られない者が、身を寄せ合って暮らしていたらしい」

現在は国の政策などもあり、使われていないことになっている。

しかし誰も住んでいないということを、誰かが直接確認したわけではない。

忘れ去られた場所が良くないことに利用されていることは、よくある話だった。

「そこにダグラス・アストラがいるんですね」

「仲間と一緒にな。若い女もいるようだ」

ダイの持っている情報は、危険薬物に関する報告以外では音声だけだ。

どのくらいの人数が待ち構えているかなどは不明。着いてすぐに戦えるよう、心構えが必要だった。

「ニアとイリスは無事だろうか」

「大丈夫よ、きっと」

不安げなルーファに微笑むアーシェ。しかし彼女も、先ほどから弓を握り締める手に汗が滲んでいる。

到着するまで耐えてくれるか。レヴィアンスとホリィもいるので、それほどの心配はいらない……と思いたい。

「グレイヴ、無線」

車載無線が信号音を発する。ダイから無線機を受け取り、発信元を確認する。

「ホリィさん?」

「あ、もしかして運転グレイヴちゃん?」

ホリィの車載無線からだ。

後から行くということは、ホリィが出発する前に伝えてあった。

わざわざ連絡を入れるということは、何か動きがあったのだろうか。

「はい、今向かっています。そちらの状況は?」

「ニアとレヴィが、イリスのところに行ってる。オレは色々あって残ってるんだ」

「色々?」

「そのことについては追々。できるだけ急いでくれよ。戻ってこないから、戦闘になってる可能性が高い」

「了解しました」

通信内容は車内に響く。

ルーファは拳を握り締め、窓の外へ視線を向けた。

――きっと、償うから。

――だからそれまで、持ちこたえてくれ。

この祈りは、届いているのだろうか。

早く知りたい。

 

 

拳銃には弾数という制限がある。全て撃たせてしまえば、相手に隙が生まれる。

こちらは装填の必要などない、剣とナイフ。取り落とすことのない限りは、攻撃手段を失うことはない。

跳びあがったレヴィアンスが男の真正面に躍り出るのと、少女がニアに向けて弾丸を撃ち出したのはほぼ同時。

男が銃を構えた瞬間、レヴィアンスは横へ飛退く。反射的に男は引鉄にかけていた指の力を抜く。

レヴィアンスの舌打ちは金属音に掻き消される。ニアが大剣で少女の弾を防いだ音だ。

少女がニアのみを狙うことで、対戦カードが決まる。その場から動かないニアに少女が迫り、男は動き回るレヴィアンスを目で追う。

至近距離で引鉄に力を加える少女からイリスを庇い、ニアが大剣を振るう。少女はすれすれでそれをかわし、憎々しげにニアを睨んだ。

一方でレヴィアンスは飛び跳ねながら、時折相手の射程に入り、撃たれる前に素早くその場を離れる。

いつもはそうして相手を翻弄し、懐に入ってダガーで斬りつけるというスタイルをとっている。

しかし男は冷静だった。惑わされることなく、レヴィアンスの姿を目だけで確認する。

引鉄には指をかけたまま。レヴィアンスが立ち止まれば、一切の無駄なく引鉄を引くことができるだろう。

――疲れるのを待ってる……?

男の鋭い眼光が身に刺さる。威圧に屈した瞬間、弾丸に貫かれることが見えている。

――そうはいくか!

突然、ぴたりと止まる。途端に銃声が鳴る。

予想通り、男は躊躇なく弾丸を放ってくれた。壁を蹴って、すんでのところで逃げる。

これで一発。あと五発分浪費させれば、レヴィアンスが反撃できる。

そうでなければ、男に触れることも難しかった。

その間にも銃声が部屋に響く。少女が二発、三発と撃ち、その全てをニアに弾かれていた。

男は戦い慣れしているようだが、少女は銃の扱いもやっとらしい。

その上激昂していて、残弾数にまで気が回らないのか。四発目、五発目も防がれる。

ニアはそこから一歩も動いていない。妹を抱えながら、ただ大剣を構えているだけだ。

「……イライラする」

少女が呟く。ニアは応えないが、言葉は耳に入ってくる。

「あんた、もう死んだじゃない! なんでいるのよ! 爪に引き裂かれて、炎に焼かれて、それでもまだ私の邪魔をする!」

ニアには理解できない言葉を並べ、喚きながら最後の一発を放つ。

「……何のことかわからないけれど」

大剣でそれを弾くと、ニアは少女を見据えた。

「もう弾、入ってないよね。大人しくしてほしいな」

真っ直ぐな海色に射抜かれ、少女は身動きが取れない。

手から銃を零し、床に乾いた音を響かせた。

ニアは大剣を降ろし、項垂れる彼女に近付く。

そして、先ほどまで武器を握っていた彼女の右手をとった。

少女の稚拙な戦いには目もくれず、男はまだレヴィアンスの動きだけを追っていた。

傍らから続いて響いた破裂音に重ねるように、二発、三発目を撃たせることができた。それでもまだ三発残っている。

そしてレヴィアンスの動きは、先ほどより明らかに鈍ってきていた。

――全部撃たせるなんて、悠長なこと言ってられないな。

部屋の隅に、少女に投げたダガーがまだ転がっているのが見える。

あれを拾えば、手元に残っているものと合わせて四本。不確実な手はできれば使いたくなかったが、動けなくなるよりはいい。

立ち止まらずにダガーを構え、男の手を目がけて放つ。

空を切り真っ直ぐに走るそれは、容易く叩き落されてしまう。

間髪いれずに、走りながらもう一投。払われて床に落ち、部屋の隅へ滑っていく。

三投目が男へ届く前に、初めに放ったダガーを拾い上げ、放る。男は連続して襲いくる刃の動きを止め、床へ葬る。

全てのダガーが床に転がり、レヴィアンスの手にはもう武器がない。

武器はなくとも、まだ動ける。

男が視線を、レヴィアンスからダガーに移したその刹那が勝負だった。床を、壁を、蹴って瞬時に男の真横へ。

飛来するダガーに気をとられていた男には、とっさにレヴィアンスに標準を合わせることができない。

宙を撃った銃は、レヴィアンスの踵に叩き落され、床を転がった。

レヴィアンスの体は重力に従って男の足元に着地し、払われたダガーを拾い上げて、男の懐へ飛び込んだ。

 

 

いささか乱暴な停車の後、アーシェとルーファが、続いてダイ、そしてグレイヴと順々に外へ出る。

ホリィが無線を切り、片手を挙げた。

「ホリィさん、状況は?!」

「あいつらはまだ戻ってない。戻ってくる気配もないな。でも……」

言いながら、車の後部座席から運転席へ荷物を移す。

「イリスちゃんの身柄は多分確保済み。オレたちが迎えに行っても問題ないだろ」

その言葉に、ルーファは剣の柄を握り締める。

「ニアたちはどこに?」

「ここから少し歩かなきゃいけないんだ。そんなにのんびりしてられないから、オレたちは車で突っ込もう」

ホリィの運転する車に移り、全員が得物の最終確認をする。

「ダイさんはあくまで案内役ですから、できるだけ手出しはしないように」

「はいはい。お手並み拝見といこうか」

「できるだけ」という言葉を忘れないホリィに軽く返し、ダイは助手席のドアを閉めた。

急発進した車は、地を蹴り風を切り、文字通り目的地へ突っ込んでいく。

錆の浮いた小屋が立ち並ぶ、その間の細い路地が見え出す。後部座席の三人はシートベルトにしがみつき、これから襲うであろう衝撃に備える。

「ダイさんも掴まっててくださいよ!」

ホリィが言うや否や、車がひっくり返りそうな勢いでブレーキがかかる。タイヤは地面を滑り、車体は歪に回転する。

「ちょっと荒すぎるぞ、お前!」

「口閉じないと舌噛んで死にますよ」

乱暴な運転から暫く縁遠かったダイの抗議は、運転手にあっさりと流される。

自然の物理法則に任せるがままになった車は、派手に小屋の壁をぶち破り、漸く停まった。

これだけ盛大なパフォーマンスをしたのだから、人が集まらないはずはない。

「何だ?!」

「軍だ、軍の車だ!」

こちらへ敵意を向ける、いくつもの眼差し。

ハンドルを握っていたホリィの手は、もう剣の柄にあった。

相手が得物を構えたのを確認し、

「行くぞ」

軍人たちは車から飛び出した。

そのあとからダイが溜息を吐きつつ降りる。車体に寄りかかり、繰り広げられる舞台を眺めた。

群衆を割って道を作るのは剣の使い手。相手の武器を叩き落し、手足を封じて自由を奪う。

ホリィは重く、グレイヴはやや軽い斬撃を繰り出すも、同じ師をもつ二人の動きはよく似ている。

洗練された無駄のない動作が、目前の敵を次々に屈服させていく。

そうして描かれるシンメトリーが、この戦場の美しい花となる。

同じく剣を振るうが、二人に比べ動きが多いのがルーファだ。

しかし彼にも無駄な動作は何一つない。相手を翻弄し、引き付けて弾き返す。

見事なカウンターの連続は、くらう者を、そして見る者を圧倒する。

子どもだと思って油断したことを、敵の誰もが後悔していた。

しかし今更自棄になろうとも、逃げようとも、彼らの手を抜けることはできない。

暫く見ぬ間に恐ろしいほどの成長を遂げていた元部下たちに、ダイは目を、耳を、奪われていた。

そのため、突然耳を掠めていった強風に、反応が一拍遅れる。

いや、それは風ではない。振り向けば、矢が貫通した手を呆然と見つめる男がいた。

彼が青い顔をして倒れる音に被せて、「危ないですよ」と可愛らしい声。

いつの間にそんなところへ移動したのか、壁際にそびえたつコンテナや木箱の山の上で、弓を構えたアーシェが微笑んでいる。

「背後には気をつけてくださいね、ダイさん」

「……お前も結構危ないぞ、アーシェ」

「安心してください。私、百発百中ですから」

彼女はそう言うが、コンマ一ミリでも外せば耳に穴があくかもしれなかった。

動かなければ殺られるかもしれない。敵ではなく、同行者に。

この恐怖から逃れる為には、自分も参戦した方がよさそうだ。

懐からナイフを取り出し、手近な相手から片付けていくことにする。

「あーあ、できるだけ手を出すなって言ったのに」

台詞は呆れ口調だが、表情は待ってましたと言わんばかりのホリィ。

脇から迫っていた金属パイプを一瞥して斬り払い、持ち主を床に伏せさせる。

「アーシェ、わざとじゃないでしょうね……」

こちらは完全に呆れながら、しかし背後の敵を即座に斬り捨てるグレイヴ。

「しっかし、こんな狭い場所に何人いるんだか。道だけ作って、ルーファを先に行かせた方がいいな」

「そうですね。……ルーファ、聞こえる?!」

グレイヴの声が耳に届き、ルーファはそちらへ意識を集中させる。

「地下への階段がある小屋を探しなさい! ここはアタシたちが片付けるから!」

「わかった、ありがとう!」

敵に吐かせたらしい情報を頼りに、ルーファは走る。

行く手を阻もうとした者には、アーシェの矢が降り注いだ。

ルーファの付近を片付けるのに夢中な彼女の足元や背後は、ダイがライフルで狙撃し掃除する。

先ほどのお返しのつもりだったが、アーシェは知ってか知らずか平然と矢を射続けていた。

「アンタも行きなさい」

動く人が減って、随分と移動がしやすくなっていた。

グレイヴがダイの後ろに来て、囁く。

「犯人は危険薬物に関わっているんでしょう? アンタも自分の仕事をしてきなさい」

「……そうさせてもらうよ」

最後にもう一人、弾丸で片付けてから。ダイもルーファの後を追った。

 

 

項垂れた少女が、声を漏らした。細い肩を震わせながら、短く、断続的に。

その向こうからも音が聞こえた。ごき、という鈍い音。

「あああぁぁぁぁあぁあああ!」

続いた悲鳴に、少女の声が大きくなり、重なる。

「くっ……くぅ、うふふ……っ」

叫びの聞こえた方を見て呆然とするニアに、追い討ちをかけるように。

「あっははははは!! 馬鹿じゃないの、馬鹿なんでしょうね!!」

少女の笑い声と、呻きながら床に伏すレヴィアンス。

その声に、光景に、ニアの五感が侵食されていく。

一瞬のできごとだった。

男に届こうとしたレヴィアンスの攻撃は、しかし掠ることもできなかった。

ダガーを持った右手は男の左手におさまり、急激に速度をつけて引っ張られた。

床に叩きつけられる前に、レヴィアンスの右肩は外れていた。容赦なく重なる痛みが、これ以上動くことを許さない。

右肩を押さえようとした左手は男の右足で床へ押さえつけられ、左足にとてつもない力で踏みつけられる。

「……あっ、……ぐ」

悲鳴すらあげられない激痛。おかしな方向へ曲がった左腕。

男はレヴィアンスから攻撃手段と戦意を、完全に奪ってしまった。

「レヴィ!!」

「銃さえなければ勝てると思った? 軍人のくせに考えが甘いんじゃないの?!」

ニアが名前を呼んでも、少女の高笑いに掻き消されてしまう。

それに刺激されたのか、イリスが意識を取り戻す。

「……ん」

「あら、おはよう」

目を覚ましたイリスが見たのは、大好きな兄の絶望的な表情と、怖ろしい女の愉しそうな笑顔。

それから、

「そしてさようなら」

彼女の左手にある、隠されていたもう一丁の拳銃。

「イリス!」

ニアがとっさにイリスを突き飛ばし、被弾を回避させる。

だが床に倒れこんだイリスには、二発目を避けられるだけの体力はなかった。

ニアが少女に体当たりし、弾道をずらす。イリスには当たらなかったが、自分と離れてしまった。

少女が再びイリスを捕らえれば、ニアはもう攻撃できなくなる。脇には男も控えている。

「おにいちゃん……」

妹の声に、鼓動が早く、大きくなる。

怯える妹を、倒れた仲間を、ニアが一人で守らなければならない。

「……イリス、レヴィのところへ行くんだ。そうして、僕からできるだけ離れるんだよ」

たとえここにある全てを壊してでも。

自分が壊れてしまっても。

「おにいちゃん?」

イリスの呼びかけは、もうニアには聞こえない。

ただならぬ雰囲気を察し、力を振り絞ってレヴィアンスの方へ向かう。

「ダグラス!」

少女はイリスを止めるよう、男に命じる。

しかし男は動かなかった。いや、動けなかった。

少女の声が耳に届く頃には、もうニアが目の前にいたのだから。

自分よりずっと背が低いはずの少年が眼前に迫る。深海の瞳に飲み込まれ、男は一切の反応ができないまま衝撃を受けた。

全身の痺れが大剣の重さと肩に深く刻まれた傷によるものだと理解した頃には、二回目の攻撃を受けていた。

三度、四度と大剣を叩きつけられながら、頭のどこかで冷静な自分が言う。

そうだった、これが人間兵器の力だ、と。

五年前に目の当たりにしたはずだった。だが、遠くから見るのと実際に味わうのとでは大きな違いがある。

今まさに、自分が殺されるという恐怖。しかしながらその圧倒的な力に対する畏怖すらこみ上げる。

そして少女もまた、身動きが取れずにいた。

先ほどまで無傷だった男の身体が、少年の手で血に染められていく。目前の地獄を、受け入れられずにいた。

彼女自身、遠い昔に人を殺した経験がある。しかし今ここで起こっている出来事は、その時の状況とは全く違う。

少女は、マカ・ブラディアナは、あれほど速くは動けない。大柄な男を叩き伏せることもできない。

それを躊躇も容赦もなくやってのけるこの少年は、まさしく人間兵器と呼ばれるに相応しいと理解した。

その間にイリスは、レヴィアンスのもとへ辿り着く。

「レヴィにぃ……」

「……う、……イリス? 今、何が起こってるの?」

両腕を封じられ、レヴィアンスは体を起こせない。首だけを動かし、ニアに目を留めた。

「うわ、ヤバ……止めなきゃ……っ」

あのままでは殺してしまう。そうしたら、後悔するのはニアだ。レヴィアンスはそれをよく知っている。

それに、今ここには彼女がいるのだ。

「レヴィにぃ……おにいちゃんは、違うよね?」

彼女は見たくないはずだ。いつも優しい兄が、あれほどまでに豹変し、手を血に染めているなんて。

「おにいちゃんは、ヘイキなんかじゃないよね……?」

ニアだって望んでいないはずだ。自分の行動が妹を泣かせるなんてことは、絶対に。

「ニアぁ……っ!」

声を絞り出す。激痛に耐えながら、彼の名を呼ぶ。

当のニアは、男が動かなくなったのを確認し、顔を上げて視線を少女へ。

「ひ……っ」

引き攣った表情で後ずさりする少女へ、ニアは歩みを進める。

「やめろ、ニア! もういいから!」

レヴィアンスの声は耳に入っていないのか、何の反応も示さない。

座り込んだ少女の正面に立ち、大剣を振り上げる。

「やめろってばぁあ!!」

制止の声などないかのように、宙を斬り、少女へと降りる刃。

レヴィアンスとイリスは、思わず目を閉じる。

少女の悲鳴が響いた。

 

 

地下への階段がある小屋は一つではない。

明確な場所を知らないルーファとダイは、何度もはずれを引く羽目になった。

「失敗したな。一人くらい拉致して来ればよかった」

「拉致はしなくても、せめて情報がもっとはっきりしていれば良かったんですけどね」

一刻も早く見つけなければならないという焦りと、見逃すのではないかという不安。

二人でいると、つい苛立ちを相手にぶつけてしまいそうになる。

それを必死で抑えながら、小屋を一つ一つ覗いていく。

「ルーファ、お前はあっちを見て来い」

「もう上司でもない人に指図されたくないです」

「部下でない奴の文句を聞く筋合いもない」

「元々こっちの文句なんか聞く耳持たなかったじゃないですか」

本人たちはこれでも抑えているつもりなのだ。

これでは埒が明かないと思うが、他に方法がない。何度目かのはずれを引いて、ダイは舌打ちと共に足元の石を蹴った。

蹴られた小石は小屋の壁にぶつかり、音を立てる。

「……ダイさん」

「何だよ」

「今、どこにあった石を蹴りました?」

先ほど、ルーファも同じ行動をとった。細かい小石がばらばらと壁にぶつかる音を聞いた。

この辺には粒のような石しかないと思っていたが、ダイの蹴った石は結構な大きさがあった。

よく見ると、このラインの小屋の付近に一つずつ、同じくらいの大きさの石が転がっている。

だが全ての小屋の近くにあるわけではなく、途中からぱたりと見られなくなる。

これらはレヴィアンスが侵入の際に投げた小石だった。

ルーファがそのことを知るはずはなかったが、妙に気になったのだ。

「こんな時に石なんか見てる場合か」

「ダイさん、静かに。……何か聞こえませんか?」

自分たちが来た方でも大立ち回りをしているが、それとは異なる声と音。

知っている声が、知っている名を呼ぶのを、小石のある場所と逆の方向に聞いた。

「急ぐぞ」

「はい!」

案の定小屋には階段があり、音が、そして声があった。

 

 

恐る恐る目を開けたレヴィアンスは、その光景に驚愕した。

ニアの振り下ろした大剣は、少女に届いていなかった。

あれほどまでの攻撃を受け、完全に動かなくなったと思ったあの男が、ニアの攻撃を止めていた。

また、少女も驚いていた。たとえ攻撃を受けていなかったとしても、男が命令なしにそんな行動を取るとは思っていなかったのだ。

「……彼女には、手を出すな」

低い声が、呟くように言った。

そうしてニアを見る男の目に、レヴィアンスは何故か既視感を覚える。

男のことは全く知らないはずなのに、どこかで会ったような気がしていた。

大剣の刃は男の腕に深く食い込んでいて、ニアはそのまま動かない。

男の目を見て、まるで戸惑っているかのようだった。

「どうして……」

だがそれも少女が声を発するまで。それを合図に、ニアは大剣を男から引き抜いた。

抑えられていた血液が一気に男の腕を流れ出し、床を赤く染めていく。

そしてニアはもう一度、少女へ向かって大剣を振り上げた。

「ニアっ!!」

けれども、今度は下ろされない。

ニアが力を暴走させた時、いつもそれを止めていた声がしたから。

いつだって傍にいた彼が、ニアの腕をとったから。

「そこまでだ。……あとは、俺たちにまかせろ」

優しい声で、ニアの瞳に光が戻る。

「ルー、なんで……」

ニアの手から力が抜ける。ルーファは大剣を支えて受け取り、床に置いた。

そして、男に告げる。

「その傷じゃ、もう抵抗はできないだろう。ダグラス・アストラ」

男は静かに頷いた。

しかし、少女は我に返って叫ぶ。

「冗談じゃないわ! まだ終わってないのよ! インフェリアの子を殺すまでは……」

「お前じゃ無理だ」

少女の言葉を遮ったのは、異国の軍人。

「ダイさん……」

「ニア、お前またやりすぎたな。そいつは生かしておいてもらわなきゃ困るんだ」

「ごめんなさい……」

ダイが男に近付き、傷の具合を確認する。死んでもおかしくないくらいなのに、生きていてくれるのは助かった。

「詳しい話はあとで聞く。まずはここから出るぞ」

「ちょっと待ちなさいよ!」

なおも喚く少女に、ダイは呆れて息を吐く。

しかし少女は不敵な、しかし焦りも含んだ笑みを浮かべ、言った。

「ダグラスの要求が受け入れられたことを、忘れてないでしょう?」

「あ……」

ニアの表情が曇る。

この場は切り抜けられても、まだ問題は残っていたのだ。

「実は、危険薬物の運搬ルートを一本見逃すって要求を、大総統補佐が受け入れたんです」

イリスの身柄と引き換えだったために、やむをえなかった。

そう説明しようとしたとき、階段の上から声が降ってきた。

「その大総統補佐ってのは、こんな声じゃなかったか?」

ホリィの後ろに、アーシェ、グレイヴが続く。

敵を片付け、漸く追いついたのだ。

ホリィは階段を下りながら、種明かしを始めた。

「ニアからの通信は司令部を経由して、オレの車載無線に通じていたんだ。

要求を受け入れると言ったのは大総統補佐じゃなく、そのモノマネをしたオレだったってわけ」

もしも音声が録音されていても、分析すればすぐに偽者だとわかる。

味方をも欺き、軍側は犠牲なくイリスを救うことができたのだ。

「良かった……」

「もしエルニーニャが要求を受け入れても、俺が許さなかったけどな」

ダイがレヴィアンスを支え起こしながら言う。

後にはへたり込む少女と、どこかすっきりしたような表情の男。

軍にはホリィらが連絡済だ。これで誘拐事件は終わり。

レヴィアンスをグレイヴに任せ、ダイはホリィと共に男に肩を貸す。

ルーファとアーシェは少女の腕をとり、階段を上がろうとした。

「一つ、頼みがある」

男が口を開く。

「奥の部屋に、クローン保管用のカプセルがある。あれも運んで欲しい」

「クローン?」

「その子……ラヴェンダは、クローンだ。……それがなければ、死んでしまう」

「……わかった、約束する」

まずは怪我をした人間を運んでから、と言いおいて、少女と男を連れ出す。

それからグレイヴが、レヴィアンスを支えて後を追う。

一番後ろに、イリスを背負ったニアが続いた。

「ごめんね、イリス。怖い思いをたくさんさせたし、嫌なものも見せちゃったね」

沈んだ声でそう言うニアに、イリスは首を横に振り、返す。

「ううん。助けに来てくれてうれしかった。ありがとう、おにいちゃん」

笑顔でしがみつく妹に、兄の心は救われる。

「おにいちゃんはやっぱり、ヘイキなんかじゃない。わたしの大好きなおにいちゃんだよ」

その言葉が、何よりも嬉しかった。

 

 

応援として来た軍人らに、犯人グループと怪我人を任せる。

イリスだけは本人の希望でニアと一緒にいたが、車に乗り込むとすぐに寝てしまった。

「女の子だから、痣とか早く治さないと」

そう言って妹の髪を撫でるニア。彼を見つめながら、ルーファが口を開いた。

「ニア、ごめん」

その声に、ニアは振り向く。今日一日が長すぎて、久しぶりにルーファの顔をまともに見た気がした。

「また肝心な時に、ニアの助けになれなかった」

「そんなことないよ。それに、謝らなきゃいけないのは僕の方。……酷いこと言って、ごめん」

いなくていいなんて言ったのに、ルーファは来てくれた。

暴走した自分を止めてくれた。

「ルーは、必要だよ。僕はルーがいなきゃ、自分を抑えることもできない。来てくれてありがとう」

手を重ねて、目を見て。

「こんな僕だけど、これからも一緒にいてくれる?」

訊ねるニアに、ルーファははっきりと答える。

「俺が一緒にいたいんだ」

遠くに夜の街が見えてくる。

さぁ、一緒に帰ろうか。