ごめんね、ごめんね、ごめんね、…

今でも夢で響く声。

うっすらとしか覚えていないのに。

 

俺が孤児院に入れられたのは、家の都合だって聞いた。

仕方ないことだけど、やっぱり辛かった。

あの時の痛みは今でも覚えている。

親の顔は覚えていないのに。

 

「ルーファ、遊ぼう」

「ダメだよ、ルーファはオレたちとは遊ばないよ」

孤児院ではいつもそう言われていた。

周りに同じくらいの年の子はいっぱいいたのに、俺はどうしても溶け込めなかった。

一緒に遊ぶ気にもなれなかった。

「ルーファ君、皆と遊んできたら?」

大人はそう言うけど、そんなに簡単なことじゃない。

俺は一日の大半を独りで過ごしていた。

 

軍を退役して、二年くらい。

別の言い方をすれば、二人で暮らし始めて二年くらい。

とはいえグレンの実家は両親だけでなくメイドがたくさんいるので、「二人」という言い方は不適切だ。

「グレンさん、おかえりなさい」

「あぁ…」

フォース社の社長となった現在、グレンの帰宅は遅い。

薬局を営んでいるカイは、それをずっと待っている。

申し訳ないような、嬉しいような。

「お義父さんがもっと早く帰ってくるようにって言ってましたよ。

襲われたら大変だって」

「二年前まで軍人やってたんだ。心配ない」

「もしものことがあったらすぐ俺を呼んでくださいよ」

「そんなに大声は出ない」

「…いや、無線渡したじゃないですか」

出会ってから十二年、自分たちはあまり変わらない。

周りは大きな変化があったのに、自分たちには何も無い。

「カスケードさんから子供自慢の電話がありました」

「いつものことだろ」

「リアさんから納品はいつにするかって」

「後で電話する」

「それと…」

「まだあるのか」

ネクタイを緩め、深く溜息をつく。

グレンが周りの変化を感じるのは、こうして知り合いが連絡してきた時だ。

付き合いの長いリアが結婚したと思ったら、いつのまにか二児の母になっていた。

頼りにしていた上司が、子をもうけると同時に大総統になった。

かつての部下は、二年前に養子をとって人の親になった。

一番意外な人物が最も早く父親になってから、もう五年になる。

「…リーガルさんのお宅ですか」

『あぁ、グレン君。ちょっと待って、今リアさん呼ぶから…』

こうして電話をかける間にも、

『グレンさん、わざわざごめんなさい。…あ、ちょっと待って。

アーシェ、リヒトと遊んでてくれる?』

向こうから「家族」が聞こえて、

「…大丈夫か?」

『えぇ、夫も娘もしっかりしてくれてますから。

それで、納品はいつが良いかしら』

電話を切ったあとに、妙に切なくなる。

それを紛らわそうとして、先ほどのことを思い出した。

「カイ、さっきの続き」

「続き?」

「何か言いかけていただろう」

「…あぁ、そうですね」

笑みを浮かべてはいるが、カイの表情はいつもと少し違った。

瞳が真剣だ。

「最後は、俺からなんです」

「お前から?」

「はい」

昔から何か大事なことを話すとき、グレンはこの瞳を見てきた。

告白された時も、自分を慰めてくれた時も、

一緒に暮らすことを約束した時も。

今度は…?

 

「グレンさん、子供欲しくないですか?」

 

子供?

子供って、子供か?

「俺たちの子供ですよ。アーレイド達も養子いるし。

お義父さんたちも世話役の人たちもいるし、養育不可能では無いです」

「育て方とか…」

「その点では周りに先輩がたくさんいますよ。あとは試行錯誤です」

「大体どこで子供を…」

「アーレイドに孤児院紹介してもらったんです。もう連絡とってありますから、明日行ってみましょう。

大きな取引とかないでしょう?」

決定済みなら最初からそう言え。

グレンは深く溜息をついたが、今回は「好きにしろ」とは言えない。

それに、

「わかった。明日行ってみる」

もしかすると自分も変われるかもしれない。

 

孤児院の子供は、先生以外の大人に会うことがない。

たとえ本当の親が訪ねてきたとしても。

ただ、一つだけ例外がある。里親が現れた時だ。

俺たちを引き取る意思がある人には会える。

その里親で良いかどうかは、俺たち子供が決めることだから。

 

窓の向こうは大きなホールになっていて、子供達が遊んでいた。

こちらに全く気付かない所を見ると、窓ガラスはマジックミラーらしい。

「先ほども言いましたが…」

孤児院の院長は子供達を愛しげに見つめている。

「子供を育てるのだという自覚と、子供に対する愛情…

これがなければ、里親と認めることはできません」

「わかっています」

何度同じ言葉を聞き、同じ答えを返しただろう。

院長は本当に子供を大切に思っているのだ。

グレンは僅かに不安を感じ、カイの袖を引っ張る。

カイは振り返って、優しく微笑んだ。

大丈夫ですよ。

昔からの笑みが、そう言っている。

安心感を得て、グレンはそっと手を下ろした。

その直後だった。

「グレンさん、ちょっと」

今度はグレンの袖が引っ張られる。

「何だ」

「あの子…あの一人でいる子、わかります?」

カイが指しているのは、ホールの隅で俯いている子供。

周りから離れ、一人座っている。

「あの子、かわいいですね。グレンさんにちょっと似てる」

「かわいいのは確かだが…似てるか?」

「似てますよ」

言い合う二人の隣で、院長が笑う。

「ルーファですか。…あの子は大人しくて、周囲と上手く関われないんです」

「そうなんですか…」

「ますますグレンさんに似てますよね。

俺と会った頃は周りと関わろうとしなかったじゃないですか」

「…そうだったな」

あの子供は独りでいるには幼すぎる。

支える事ができないだろうか。

彼の親に、なれないだろうか。

窓の向こうを凝視する二人を、院長はしばらく見ていた。

そして、何かを決心したように、頷いた。

「ルーファに会ってみますか?」

「…え?」

「良いんですか?」

「えぇ、あなた達がルーファの親になるなら」

躊躇う必要などどこにもない。

即座に頷くという行動しかとるつもりはなかった。

 

俺が先生に呼ばれた時、周りには誰もいなかった。

皆遊びに夢中で、俺がホールを出て行ったことなんて知らなかったと思う。

先生に連れられて、初めての場所についた。

一度も入ったことのない部屋は、狭いけれど明るかった。

そして、

「ルーファ、挨拶しなさい」

見たことのない大人が二人いた。

「…こんにちは」

「こんにちは、ルーファ」

笑顔で返したのは黒髪の人。

その隣にいる銀髪の人は黙ってこっちを見ていた。

「この人たちはルーファと話がしたいそうだよ」

「ぼくと?」

どうして俺なんかと、って思った。

初めて会う人なのに。

「それじゃ、先生は他の用事があるから行くね」

俺と大人二人を残して、先生は部屋を出て行った。

どう振舞ったら良いのかわからない。

俺が戸惑っていると、黒髪の人が話し掛けてきた。

「ルーファは何歳?」

「…もうすぐよんさい」

何でそんなことを訊くんだろう。

そんなこと知ってどうなるんだろう。

「あ、まだ自己紹介してなかったな。

俺はカイ、こっちの人はグレンっていうんだ」

俺にそんなこと教えてどうするの?

俺はそれに対して、どう答えればいい?

 

最低限のことしか言わなかった。

あまり目を合わせなかった。

それでも黒髪の人は俺に話し掛け続けた。

優しい声で、笑顔を浮かべて。

銀髪の人は何も言わなかったし、笑いもしなかった。

だけど、視線が柔らかかった。

知らない人だから、安心はできない。

だけど、知ればずっと一緒にいてもいいような気がした。

こんな感情は初めてだった。

だからあとで院長先生から本当の事を聞いた時、俺は躊躇わなかった。

躊躇う必要がなかった。

もう一度その人たちに会いたかった。

 

「ルーファ」

自分の名前がその時を告げる。

俺はまたあの部屋へ行く。

今度はいくつかのカバンも一緒だ。

部屋には二人の大人がいて、

近寄った俺を抱きしめた。

「…ルーファ」

意外にも、抱きしめたのは銀髪の人だった。

その人は俺の名をはっきりと言って、

「ありがとう」

とてもきれいに、笑った。

「これからよろしく、ルーファ」

黒髪の人も相変わらずの笑顔だ。

俺は今日から堂々と名乗れるんだ。

「ルーファ・シーケンス」って。

そう思うと嬉しくて、自然に笑えた。

自分が笑えるなんて、知らなかった。

「あの」

孤児院から離れた車の中で、俺はやっと疑問を持った。

それまで持たなかったほうが不思議だ。

「グレンさんとカイさんって、どっちが父さんでどっちが母さんなんですか?」

 

自分が住む家の大きさに驚いたことも、

人の多さに驚いたことも、

今では全部過去のことだ。

シーケンスを名乗るようになってから二年、俺はあることに興味を持った。

「父さん、俺にも剣教えて!」

俺の父さんであるカイさんは元軍人で、剣技が得意だ。

腕が鈍らないようにと毎日剣を振るう父さんが、俺にはとてもかっこよく見えた。

…まぁ、普段はいろいろあるけどね。

「ルーファ…剣に興味あるのか?」

父さんは俺の目線に合わせてしゃがんだ。

なんか嬉しそうだ。

「興味ある。やってみたい」

「そっか。…じゃあ教えてもいい」

「やった!」

俺が喜んで駆け回っている間、父さんは何かを考えていたようだった。

でもしばらくすると首を横に振って、空を見上げて頷いた。

何かのまじないかとその時は思ったけど、違うという事がそのうちわかった。

 

「ルーファが剣を教えてくれって言うんですよ」

カイが喜んでいることは明らかだ。

表情にも声にも出ているのだから。

「いつもお前がやっているのを見ていたからな」

「知ってたんですか?」

「あぁ」

ルーファが自分たちのすることに興味を持つのは嬉しいことだ。

それがカイの得意分野であっても、グレンは嬉しい。

ちゃんと見ていてくれてるんだと思うと、二年間親をやってきて良かったと思う。

初めの頃は大変だった。同じ年頃の子供がいる知り合いに何度も電話をかけたりした。

グレンの両親や使用人たちにも協力をあおぎ、何とかここまできた。

それがつい先日「もう一人で寝られる」と言い、今日は「剣教えて」だ。

親バカな元上司の気持ちが少しわかる。

「で、師匠とか呼ばせるのか?」

「どうしようかなと思ったんですけどね…。

俺はそれで礼節を学びましたけど、ルーファはもうしっかりしてるのでやめました」

「父さんと呼ばれたいだけだろう」

「…バレました?」

もっと背筋を伸ばして、子供に誇れる自分になりたい。

そう思えたのは、ルーファのおかげだ。

 

俺は父さんに剣を教わると同時に、薬の調合も教えてもらった。

何かあったときに絶対に役立つから、ということだ。

母さん、つまりグレンさんは、父さんが俺におかしな調合を教えようとすると銃を持ち出す。

父さんはよく撃たれているけれど、ギリギリの所で外してるから問題ない(らしい)

おかげで銃の扱いも覚える事ができた。

俺の生活はそんなふうに時間を進めていく。

その中で俺は、目標を見つけた。

きっかけは父さんとの会話だった。

「ルーファは何で剣術を学ぼうと思ったんだ?」

休憩中にそう訊かれて、俺は少し考えて答えた。

「やっぱり、強くなりたいからかな…。

剣を振るってる父さん、かっこよかったし。

いつか父さんを超えられたらなって思ってる」

そう言った俺に、父さんは少し笑った。

それから少し真面目な顔つきになって、

「何で俺を超えたいんだ?」

と訊いた。

「ええと…父さんに認められたいし、そのくらいの実力があったら大切な人を守れるなって思って」

父さんは空を見上げながら聞いていた。

少し、苦笑していた。

「ルーファ、後者を先に持ってこようか。俺に認められたいってのは、ちょっと違うから」

「え、なんで?」

答えは暫く返ってこなかった。

空に何かを尋ねているような父さんの横顔を、俺はただ見つめていた。

答えを返す時、父さんは笑っていた。

「ルーファはそんなこと考えなくていい。俺はもうルーファを認めてる。

それに、俺を超えるっていうのももう果たしてるよ」

「え、でも…」

「実力はあとでついてくるものだよ。剣士としての誇りがあれば、自然に超えられる。

その誇りで、ルーファはもう俺を超えてる」

その言葉を語る父さんは、何かを懐かしむような眼をしていた。

「だから、間違っても俺の剣術の真似はするなよ。

わからないことは真似から始めてもいい。だけど、そこから先は自分で考えて作っていかなきゃならない。

剣術に限らず、真似ばっかりだと力が上がらなくなる」

「自分で…?」

「そう。ルーファはルーファのやり方でやれ。俺とも、グレンさんとも、他の誰とも違うものをルーファは持ってる」

他の誰とも違うもの。

俺のやり方で、力を上げる。

父さんの言葉で、俺は決めた。

自分のやり方で、父さんや母さんみたいな立派な人になる。

でも父さんや母さんとは違う。俺なんだから。

自分で学んで、得て、ものにしていく。そうすればきっと、何を目指しても自分でいられる。

目指すものも、決まった。

 

八歳の誕生日、俺は母さんと一緒に庭の木の上にいた。

小さい頃から二人で登っていて、よく世話役のエルファに心配されたりした。

降りた時に父さんを下敷きにしたこともあったっけ。

母さんと二人で話をしたい時は、昼間なら大抵木の上だった。

「今日は何だ?」

「…人生の話」

「重いな」

真面目な話だからね、と言って、俺は母さんの眼を見た。

そして、ずっと思ってきたことを告げた。

「母さん、俺…軍人になる」

父さんも母さんも元軍人で、それがどれほど危険かわかっている。

だけど、それで得た物の大きさも知っている。

反対の心配よりも、賛成の期待が大きかった。

「…やっぱりな」

母さんはそう言って、息をついた。

「やっぱりって…」

「お前が剣術を習い始めた時から、いつかはこの日が来るんじゃないかって思ってた」

真剣な銀色が、俺を見つめ返す。

「危険だ。大怪我したり、もしかしたら二度とこの家に帰ってこられないかもしれない」

「わかってる」

「親より先に死ぬのは最大の親不孝だ」

「わかってる」

「後悔しないな?」

「しない!」

反対されたら自分でどうにかするつもりだった。

どうしても軍人になりたい。

それが、俺の選んだ道だから。

「…ルーファ、俺は軍人になる時に家を出たんだ。

父さんや母さんに心配かけたけど、今はあの時の行動を後悔してはいない」

「母さん…」

昔俺を抱きしめた時の笑顔で、

「お前もきっと、守りたいと思える大切な人を見つけられる。

俺は信じてるからな」

俺の頭を優しく撫でてくれた。

「父さんにもちゃんと話せよ」

「うん!」

 

そして俺は俺の道を歩み始める。

その二年後、俺は軍に入った。

そして、

「僕、ニア・インフェリア!君の名前は?」

父さんと母さんが信じてくれた通り、

「…ルーファ」

大切な人に、出会えた。

「ルーファ・シーケンス」

その人にこう名乗れることが、今の俺の自慢。

この先どうなるかはわからないけれど、きっと笑っているはずだ。

まだ見えない未来の向こうで、大切な人たちと。

 

Fin