俺はホワイトナイト家の長男として生まれた。
ダイと名づけたのは母親で、綴りは”Day”。
日々を大切に生きるようにと願いが込められているそうだ。
確かに今俺は日々を大切に生きているつもりだけど、それは目的があるからだ。
他人にはその響きはおぞましく聞こえる。
俺が軍人になったのは”復讐”のためだ。
俺が四歳の時、弟のユロウが生まれた。
先天的に免疫力の弱いホワイトナイトの血が遺伝したらしく、何年かは病院通いが続いた。
けれども、ユロウは辛そうな顔は見せなかった。
「お兄ちゃん、本読んで」
「何が良い?」
そんなのんきなやり取りをしていた、俺八歳、ユロウ四歳の年。
この年が俺にとって「大切な日々」の始まりだった。
ユロウや父さんが病気がちなため、俺は医者になろうと思っていた。
俺が治療法を見つければ、二人だけじゃなく多くの人が助かる。
図書館や病院を回って医学書を読ませてもらい、知識を身に付けていた。
七歳の時から学校にも通っていて、一般常識くらいはわかっていた。
母さんが軍人をやっていたことは知っていたけれど、軍人には興味がなかった。
「ダイ、飲み物買ってきてくれる?お母さんユロウについてるから」
「わかった」
検査のために入院中のユロウを見舞って、飲み物を自動販売機で買う。
これはいつものことで、何か特別なことがあるなんて考えていなかった。
ついでに読ませてもらっていた本を返そうと思って、飲み物を買ってからナースセンターに立ち寄る。
馴染みの人に挨拶して、そのまま出てくる。
出てきた所で医者にぶつかった。
「…いってぇ…あ、ごめんなさい」
俺はそう言って医者の眼を見た。
嫌な眼だった。
俺のことを軽蔑してるんだとすぐわかる。
「病院をうろちょろしてるガキだな」
「…そうですけど」
「あまり動くな」
眼に加えて命令口調。俺はすぐにそいつが嫌いになった。
嫌いだけれど、声の重さには惹かれるものがあった。
「母さん、飲み物」
ユロウの病室に戻り、飲み物を手渡す。
冷たい缶に触れた温かい手と、俺に向けられる優しい笑顔。
「ありがとう、ダイ」
「ちょっと出てきていい?」
「いいわよ。他の患者さんに迷惑かけないようにね」
背を向けて、惹かれる闇へ。
早足で廊下を進む。
重い声を捜す。
単なる好奇心だ。あの男には何かあると思い、その「何か」を突き止める。
探偵気取りの子供は見つける。
重い声を陰に聴く。
「…は順調か?」
よく聞き取れない。
「はい、結果から確実に使えるものだと判断できます」
別の声だ。何の話だろう。
「そうか。これならそのうち軍を潰せる。
しかしまだ実験が必要だな。次は大人だ」
「そうですね」
何だって?
潰す?軍を?
実験って?
「しかし、503号室の患者…親も子も馬鹿だな。
違う薬を投与されていることに全く気づかない」
503号室?
「本当ですね。ホワイトナイト…いや、マグダレーナもかつての力は無いということですか」
「あの女は軍人時代に私の大事な部下を何人も刑務所送りにした。
今度は私があの女の大事な息子を地獄に送ってやる」
地獄に送る?
ユロウを…実験台に?
ユロウが殺される…!
走らなければ。
知らせなければ。
母さんに知らせて、早くここから出て、ユロウを助けなければ。
早く…
「盗み聞きはいけないな、ダイ・ホワイトナイト」
「!」
重い声は俺の頭の上から降る。
「仕方ない、計画は中止だ。すでに十分なダメージは与えてある。
お前の弟は長時間陽の光にあたることは出来ない。
一生暗闇で過ごせ…私の同胞のように」
重い声は笑う。
笑いながら去っていく。
震えて何もできない俺を嘲り、足音は響く。
何もできないまま男を病院から逃がしてしまい、
ユロウの障害は治ることがなく、
俺は自分を責め、男を憎んだ。
会話からして裏の世界の者であることは間違いない。
裏に手を出せるのは、
奴らに直接復讐できるのは、
「母さん、俺…軍人になる」
ごめんな、ユロウ。
俺にはこれしかできないんだ。
軍の怖さを知っている母さんは反対した。
父さんもあまり行かせたくないといった。
だけど俺の心は決まっていた。
奴を殺す。ユロウが負わされた障害以上の苦しみを与えて。
そんな事家族には言えないから、表向きは「強くなりたい」だ。
嘘じゃない。足が竦んで何もできなかった俺が求めたのは、強さだ。
結局俺は学校を辞めて軍人になるための勉強や訓練を始め、十歳になったら試験を受けるつもりだった。
そうして二年が経つ。
ユロウは一時間も外に出られないまま、
父さんと母さんは俺を心配しているまま、
そして俺は、重い声を脳裏に聴いたまま。
今年の試験は精鋭が揃っていると聞いたが、まさかここまでとは。
大総統になって三年だが、こんなにレベルの高い試験は初めてだ。
「甲乙つけがたいな…」
「決めるんだったらさっさと決めやがれ。俺は帰りてぇんだよ」
「焦るなって。不良は本当にせっかちだな…」
「不良って言うんじゃねぇ!」
大総統カスケード・インフェリアとその補佐ディア・ヴィオラセント大将は、試験の一部始終を見ていた。
いや、ちゃんと見ていたのはカスケードだけで、ディアはさっきから欠伸ばかりしている。
「不良、今年の受験者にマグダレーナの息子がいるらしいぞ」
「だから不良って…
…マグダレーナの息子?」
「あぁ。名前わかんないけど受けてるらしい」
名簿はあとで試験官から受け取ることになっている。
結果が出なければ名前を確かめることはできない。
「もうそんな年か?」
「らしいな。…まぁ、そのうちわかるだろ」
カスケードは再び試験会場の方に目をやった。
ディアはそっぽを向いてまた欠伸をした。
会場では、赤茶色の髪の少年が自分よりも大きな相手を一瞬で組み伏せていた。
軍から試験の合格通知が届いた。
母さんはそれを見て、よく頑張ったわね、と微笑んだ。
父さんはいなかった。病院で検査を受けているらしい。
元々体は弱かったし、年だから仕方ないと思っていた。
ユロウは俺の合格を歌って祝ってくれた。
「お兄ちゃん、おめでとう!」
俺が軍人になるといったきっかけを知らない、無邪気な笑顔。
どうして自分が光の下に出られないのかも知らない。
「じゃあ、父さんに合格を知らせに行ってくるよ。ユロウは?」
「…僕、行かない」
「そう…?」
ユロウは入院生活が長かったから、病院が嫌になったんだと思っていた。
だけど俺はもっと早く怯えた表情に気づいてやるべきだったのかもしれない。
どちらにしろ、憎悪が増すことには変わりないけれど。
父さんに知らせにいって帰ってきてから、いつもと同じように食事をとった。
だけど、
「電話だわ」
ベルの音に母さんの声が重なって、スリッパの足音が続く。
声を遠くに聞く。途切れたあと、スリッパの音が通り過ぎていった。
「ダイ、お母さん病院行ってくるから!ユロウのことよろしくね!」
玄関から聞こえてきた声は焦りを含んでいた。
ユロウが「病院」に過剰な反応を示したのがわかった。
「父さんに何かあったのかな…」
俺が呟くと、ユロウは席をたって俺の傍に来た。
裾をぎゅっと掴んで、震えている。
「やだよ…怖いよ…」
「ユロウ?」
「やだ…お父さんも怖い目に合うの?僕やだよ…」
「怖い目?」
ユロウはこくんと頷き、俺の腕を掴んだ。
顔が青い。
「昔…入院してたとき、お母さんがいない間に病院の先生が来たんだ。
それで怖いこといっぱい僕に言ったんだ」
「怖い、こと?」
「僕が死んじゃうとか、お母さんが悪い人だとか、他にも…。
お父さんも病院で言われてるの?」
そんなの初めてきいた。
当然だ。ユロウはこのことを父さんや母さんにも言ってなかったんだ。
今、初めて話した。
ユロウは病院が嫌なんじゃない。怖いんだ。
多分言ったのはあの男だ。
ユロウに身体的障害だけじゃなく、心にも深い傷を負わせたあの男。
俺はユロウを抱きしめた。
きっと恐ろしい眼をしているであろう自分をみられないために。
「ダイ、軍人寮じゃなくて下宿に行ってちょうだい」
病院から返ってきた母さんが俺に言った。
「なんで?…大体下宿なんてあるの?」
「できたばっかりのがね。お母さんの知り合いがやってるの。
そこにユロウも入れるわ」
「ユロウも?!何で?!」
俺はわかるけど、ユロウまで入れる必要無いじゃないか。
まだ六つなのに、親元から離すっていうのか?!
父さんのことが心配で怯えているのに…
「お父さんね、病気だったの。お医者さんは空気のいいところで療養するようにって」
医者の言うことなんか信じられない。
「お父さんのことで、お母さんは忙しくなるわ。ダイも傍にいないってなったらユロウが寂しがるもの。
だから、ユロウと一緒に下宿に入って欲しいの」
親がいないほうが寂しいよ。
ユロウだって体が弱いんだから、一緒に療養しても良いじゃないか。
だけど何も言えなかった。
母さんの表情が、あまりにも悲しそうだったから。
多分母さんもわかってるんだ。
「…わかった」
「ありがとう。早速明日行くから、支度してちょうだい」
「急だね」
「えぇ…ごめんね」
どうせ荷物はまとめてある。
ユロウの準備を手伝えばいいだけだ。
「ユロウ、母さんから聞いたか?」
「うん」
案の定落ち込んでいる。俯いて、膝を抱えて座っている。
「準備しよう。俺も手伝うから」
「…うん」
ユロウは父さんと母さんが大好きだ。
離れたくないだろうに。
そう思っていることを察したのか、ユロウは俺の方を向いて言った。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんがいれば、僕寂しくない」
たった六歳なのに、気を使ってる。
辛い思いを押し込めて、俺には笑顔を作る。
「…準備、しようか」
明日になったら、この家とはお別れだ。
新築特有の匂いがする。
まだ人が入っていない下宿には、母さんの知り合いがいる。
俺達はそう聞かされていた。
「優しい人だから大丈夫よ。…まぁ、口は悪いけど…」
不安だ。
一体どんな人がいるんだろう。
ユロウと顔を見合わせている間に、母さんが呼び鈴を鳴らした。
「マグダレーナさん!」
母さんを旧姓で呼ぶ声は低め。
だけどドアを開けたその姿は、とても綺麗だった。
「来るって言ってたから、待ってたよ」
「ありがとう。ごめんね、突然…」
母さんも綺麗だけど、目の前にいる人はそれとは少し違った綺麗な人だ。
後ろで束ねた金髪がふわりと揺れて、紫の眼は澄んでいた。
「中入って。…その子達、子供?」
「えぇ。それにしてもエプロン似合うわね。すっかりいい奥さんじゃないの」
「やめてよ…」
母さんが言ってた「口の悪い人」ではなさそうだ。とても優しそうに笑っている。
家の中に通された俺達は、下宿の人が注いでくれたジュースを飲みながら母さん達の話を聞いていた。
母さん達のいるテーブルには、母さんとさっきの人ともう一人怖そうな人がいた。
左頬には大きな傷、目は何かを睨んでいるようだ。
けれども少し父さんに似ていて、俺にも似ていた。
「実はね、夫が病気なのよ」
母さんが話し出すと、金髪の人は真っ直ぐ母さんの方を向いた。
けれども傷の人は少し目線を逸らしている。
「医者にも言われたんだけど、夫には転地療養が必要だと思うのよ。
でも療養にしても介護役が必要でしょ?」
「それで、マグダレーナさんは旦那さんと一緒に行くんだ?」
金髪の人は話を理解しているようだ。
母さんは頷いて続けた。
「そうなのよね…だから、ディア君とアクト君にお願いがあるの。
二人はもう夫婦みたいなものだから、いいでしょう?」
「なんだよ、お願いってのは」
やっぱり口が悪いのは傷の人の方らしい。
嫌だな、こんな人のいる下宿は…。
そんなことを思っていたら、母さんが本題に移った。
「うちの子二人、暫く預かって欲しいの」
その言葉が出た瞬間、その場の空気が固まった。
金髪の人も、傷の人も、目を丸くする。
「ちょっと待て!うちにガキ二人もかよ!」
先に言葉を発したのは傷の人だった。
「あら、人の子供に向かってガキだなんて失礼ね」
母さんの言うとおりだ。
俺はジュースを一口飲んで、母さんの次の言葉を待った。
反論はそれ以上せずに、本題に戻っていく。
「上の子は軍の入隊試験受けて合格したから、明々後日から出勤するわ。
下の子がまだ六歳なのよ」
「そっか…マグダレーナさんの子供、軍人になったんだ」
金髪の人は感心している。母さんを呼ぶのは相変わらず旧姓だ。
だけど口が悪いよりはずっといい。
「養育費は送るわ。だから、頼んでいいかしら」
「わかった。何とかやってみる」
俺達のことも、あっさり承諾してくれた。
「アクト、お前子供の世話できるのかよ!」
傷の人が怒鳴る。どうやらアクトというのは金髪の人の名前らしい。
ということは、傷の方がディアか。
アクトさんはディアさんの言葉に冷静に返した。
「お前が手伝ってくれればいいんだ。
おれ子供欲しかったし、ちょうどいいだろ」
欲しかったしって…つくらないの?
それともできないんだろうか。
そんなことはどうでも良い。
母さんがにっこり笑って言った。
「じゃ、決まりね。お願いね、二人とも」
「わかりました」
俺達が下宿で世話になることが決定し、母さんは帰っていった。
俺達二人がその場に残された。
ユロウが俺の袖を掴んで、母さんの背中を見ていた。
いい子にするのよ、という言葉と、
頭を撫でていった温かさが、いつまでも残った。
「君達、名前は?」
アクトさんが笑顔を浮かべて訊いた。
「ダイです。弟はユロウ」
「そっか。ダイはしっかりしてるんだな。
ユロウは…やっぱりお母さんいないと寂しい?」
ユロウの表情を見てすぐに察した。
頷くユロウの頭を撫でながら、アクトさんは続ける。
「そうだよな、寂しいよな。でも偉いよ、我慢して」
優しい声。ユロウの袖を掴む手が少し緩んだ。
「我慢しないで泣いてもいい。ここで泣けなかったらお兄ちゃんと二人になったときでもいい。
感情を押し込めたら辛いから、ちゃんと吐き出さないと」
「…うん」
母さんみたいだ。
アクトさんには、そういう温かさがある。
「僕大丈夫だよ。ありがとう、お姉さん」
ユロウがそう言うと、アクトさんはなぜか苦笑した。
「どういたしまして。…そういえば自己紹介まだだったな。
おれはアクト。あっちにいる怖いおじさんがディア」
「誰がおじさんだ!」
アクトさんの一人称が「おれ」であることを気にする間もなく、ディアさんが怒鳴る。
「ったく、何考えてんだよ」
「そんな態度とるなよ。子供が怖がる」
「うるせぇ!…ガキども、さっさと寝ろよ。明日早いからな」
第一印象から最悪だ、この人。
アクトさんは最初からいい人そうだ。
「ごめんな。…でも、あいつも本当は優しいんだ」
その言葉、本当に信じて良いんですか?
ダイとユロウは部屋にいる。まだ寝付けてはいないだろう。
寝室と子供の部屋は離れているため、声は聞こえない。
「ディア、子供嫌い?」
アクトが着替えながら尋ねる。
ディアは舌打ちしてから答えた。
「嫌いじゃねぇけど…せっかく二人きりだったのに」
「子供に妬いてどうする」
下宿ができたのはつい先日だ。しかしそれまでは三、四年ほどアパートの部屋を借りて二人きりで暮らしていた。
今更そんなことを言っている場合ではない。
「おれは嬉しいよ。子供産めないから、あんなかわいい子達が来て嬉しい」
「俺だって嫌な訳じゃねぇんだ。ただ…」
「ただ?」
言うのを渋るディアを、寝巻きのボタンを閉め切らないまま問いただす。
「…ただ、ダイってガキが俺に似てて気味悪ぃんだよ」
もともとマグダレーナの結婚相手はディアにそっくりだ。年齢は三十歳ほど違うが、髪の色や目の色は全く同じだ。
それに加えてダイはディアと同じ髪型。
父親似のダイがディアとそっくりなのは当然だ。
「向こうも気味悪いと思ってるよ。…あ、子供いるから暫くおあずけな」
寝巻きのボタンに手をかけようとしたディアを制止し、アクトは布団に潜ってしまう。
「どうせ聞こえねぇよ」
「聞こえなくても」
結局はアクトが拒否し続けたので、その夜は何事もなく過ぎた。
朝起きて、周囲の景色が違うことに気づく。
そうだった、と体を起こすと、何か美味しそうな匂いが嗅覚を刺激した。
「おはよう、ダイ」
台所にある笑顔は、母さんのものではない。
「おはようございます、アクトさん」
けれども母さんの姿が重なってしまうのは、きっと朝食の所為だ。
母さんはいつも朝食をしっかり摂りなさいと言い、一日の目安品目のほとんどをそろえてしまう。
アクトさんも似ている。
「ダイ、目玉焼きは半熟?かた焼き?」
「選んで良いんですか?」
「人の好みは知っておかないと、料理作れないから」
俺達の事を知ろうとしているらしい。
お客様は大切にするのか。
「かた焼きがいいです」
「わかった」
正直に自分の好みを伝え、調理を続けるアクトさんを見る。
何か楽しそうだ。
「お兄ちゃん、おはよう!」
「おはよう、ユロウ」
いつものように抱きついてきたユロウの頭を撫でた。
昨日あんなに寂しがっていたのに、そんなそぶりは少しも見せない。
「ユロウ、おはよう」
「おはよう、アクトさん!朝ご飯作ってるの?僕手伝っていい?」
「じゃあお願いしていい?」
「いつも家でやってるから」
「そうか、偉いな」
アクトさんには馴れているようで、自分から手伝いを申し出ている。
子供っていうのは順応が早いのだろうか。
「早ぇな、ガキども」
俺の後ろから声がした。
昨日は怒鳴っていたが、今日は至って普通だ。
「ディア、おはよう。…今日は寝起き良いんだな」
「まぁな」
「ディアさん、おはよう!」
「朝っぱらからテンション高ぇな、ユロウ」
あ、もう名前覚えたんだ。
頭悪そうだけど、そこまでじゃないらしい。
「ダイ、低血圧か?」
「え?」
いきなりこっちに話し掛けないで欲しい。
戸惑いを隠して、そうでもないです、と答えた。
ボーッとしていたけれど、低血圧という訳ではない。
ただ、ユロウがこの家に溶け込むのが早すぎて、
俺だけ取り残された気がしているだけだ。
目の前の三人は本当の親子のようにも見える。
「朝ご飯できたぞ。…ダイ、座って」
「はい」
見えるだけだ。俺とユロウはただの居候なんだから。
家族じゃない。
「今日どっか行くか?」
家族じゃないのに。
「どっか?」
「あぁ。俺仕事明日からだし、ダイも明後日からだろ?
今日ぐらいしか行けねぇだろ」
どうして、そんなこと言うんですか。
「ダイ、ユロウ、どこか行きたい所ある?」
アクトさんもディアさんの突然の提案に賛成しているようだ。
ユロウは水族館に行きたいといい、俺にも話が振られる。
「お兄ちゃんは?」
「…俺は…」
居候している身なのに、労力を使わせてはいけない。
大体家族でもないのに。
「俺は…明後日の準備があるからいいです」
「遠慮すんなって」
「遠慮じゃありません。…ごちそうさまでした」
ここの人たちはいい人そうだ。
だから、自分の嫌な部分を見せたくない。
復讐のために軍に入ったなんて言えないし、嫌なことを思い出す度に燃える目も見せたくない。
「仕方ねぇな…水族館延期」
「お前が言うタイミング間違えたんだろ。落ち着いてからにしろよ」
二人の声が聞こえた。その後にユロウの甘えた声が聞こえた。
結局この家に慣れないまま軍に入隊し、伍長としての日々が始まった。
はっきり言って退屈だった。復讐にはまだ遠すぎる。
訓練もすぐに課題をクリアしてしまうためにつまらない。
「お、やってるやってる」
だから、この声にも一番最初に気づいた。
この国で彼を知らないものはいない。
「大総統閣下!」
俺は慌てて敬礼した。周りの人間がそれに続く。
すると大総統は海色の瞳に苦笑を浮かべた。
「そんな改まらなくても…まぁいいや。
ちょっと見に来ただけだから、気楽にやってくれ」
気楽になんてできるわけがない。この人は自分の立場をわかっているのだろうか。
大総統は暫く訓練の様子を眺めていた。
その間俺は頑張っているフリをしていた。
背中に視線を感じた。
訓練が終わったあとで、視線は確実なものになった。
「ダイ・ホワイトナイトってお前だろ?」
大総統は俺に話し掛けてきた。
「…そう、ですけど。」
「やっぱりそうか。入隊試験トップには、この訓練退屈だろ」
言いようによっては嫌味にも聞こえるその台詞は、彼が言うとちゃんと褒め言葉に聞こえる。
「シェリーカ・ホワイトナイトの息子か…あんな立派な人の息子なんて、幸せ者だな」
「ありがとうございます」
この人が大総統に就任した時、母さんは話してくれた。
この子は私の部下だったのよ、と。
「大総統閣下、質問して良いですか?」
「何だ?」
「母が言っていたんですが、軍に入隊したばかりの頃はサボり魔だったんですか?」
失礼な質問だと思う。でも、この人なら嫌な顔一つせずに答えてくれそうな気がした。
案の定、彼は豪快に笑った。
「そんなこと言ってたのか、あの人…。確かにそうだったよ。
あの頃俺には軍人やってく理由がなかったからな…」
意外だ。この人は軍人になりたかった訳じゃなかったんだ。
それなのになんで大総統やってるんだろう。
「ダイ、お前は真面目そうだからサボりはしないと思う。
でも俺には何か迷っているように見えるんだ」
「迷って、いる…?」
何に?
何でこの人がそんなこと言えるんだ?
だけど、何も反論できない。
相手の立場の所為じゃない。自分でそう思っているからだ。
俺は迷っている。復讐なんて考えで、軍人をやっていって良いものなのか。
「…っと、もうこんな時間だな。可愛い息子に電話しないといけないんだ。
今年で三つになるんだ。可愛くて可愛くて」
大総統はそう言って、俺に手を振った。
遠ざかる大きな影を、見えなくなるまで見ていた。
「おかえり」
そう言ってくれたアクトさんに会釈だけして、俺は部屋に引っ込んだ。
大総統の言葉をずっと考えていた。
俺はどうしたらいいんだろう。
軍だけじゃなく、この家での振舞い方にも迷っている。
ユロウはすっかりこの家の子供みたいで、あまり遠慮していない。
だけど俺はそんな風には振舞えない。どうしても遠慮してしまう。
遠慮して距離を置かないと、ディアさんとアクトさんは俺の心の内を見透かしてしまうような気がした。
「お兄ちゃん、ご飯だよ」
ユロウが呼びに来た。また手伝っていたのだろうか。
俺がいない間、ユロウは何をしていたんだろう。
「今日はね、オムライスなんだよ!」
俺を急かすユロウは楽しそうで、嬉しそうで、
両親といる時と同じように振舞っている。
「どうだった?軍」
母さんみたいに訊いてくるアクトさんに、俺は短く答える。
「大丈夫です」
「そうか」
疑いのない笑顔。
重いものが心に残る。
「今日ね、アクトさんのお友達の人が来たんだよ。
料理習って帰ったの」
「へぇ」
ユロウの言葉にもてきとうな返事をする。
夕飯は美味しかった。でも、重いものはなくならない。
「ただいま」
ディアさんが帰ってきたらしい。それと同時に電話が鳴り、アクトさんが素早く受話器を取った。
「もしもし…あ、どうしたの?」
知り合いらしい。口調からして、かなり親しそうだ。
「うん…わかった、待ってる」
待ってるって…来るのか?
「ディア、カスケードさん来るって」
「何しに来るんだよ」
「何だって良いだろ」
カスケード…大総統と同じ名前だ。
そうとしか思わなかったから、実際に客が来た時驚いた。
暫くして呼び鈴が鳴り、アクトさんが客を居間に連れてきた。
「よ、ダイ」
「…大総統閣下?!」
まさか、本物?
知り合いだったのか、この人たち…。
現れたのはダークブルーの髪を束ねて海色の眼で笑う長身の男。
大総統カスケード・インフェリアその人。
腕には同じ色の子供を抱いていた。
「どういう関係なんですか?」
俺はアクトさんに訊いた。
すると、
「おれとディアはこの人の元部下。
ディアなんてついこの前まで大総統補佐やってたんだ」
会社の面接受かって辞めたけど、とアクトさんは付け足した。
そういえば聞いたことがあるような気がする。
傷の男、ディア・ヴィオラセント。
まさかディアさんのことだったなんて。
「アクトさんも軍人だったんですか?」
「まぁな」
「アクトは女装囮捜査のプロだったから」
「カスケードさん!」
そうだったんだ。
…って、え?!
「じょそう…?」
「あぁ、見た目が女っぽいから滅多にバレないんだな、これが」
え、だって、アクトさんって…
「カスケードさん、多分ダイはおれのこと女だと思ってる」
「え?!マジ?!」
思ってるってことは、やっぱり…
「アクトさんって、男の人なんですか…?」
「うん」
あっさり肯定された。
ここに来て四日、全くわからなかった。
「風呂とかは?」
「ダイは弟のユロウと二人で入ってるから。な、ユロウ」
「うん。…僕もアクトさんはお姉さんだと思ってた」
意外とユロウはあっさり受け入れている。
「じゃあディアさんとは友人なんですか?」
「いや、こいつら夫婦以上だな」
「カスケードさん!」
何かもうわけわかんないや。
「カスケード、なんでもかんでも話してんじゃねぇよ」
「悪い悪い。
…それにしても、不良とダイはそっくりだな。本当の親子みたいだ」
大総統はそう言って笑った。
「大体なんで来てんだよ」
「シィが出かけてるから寂しくてさ。ニアも退屈そうだったし…」
大総統が抱いている子供は、自分の父親にしっかりとしがみついていた。
そういえば、父さんは大丈夫だろうか。
病気はどんな状態なんだろうか。
母さん、大変じゃないだろうか。
「ニア、あのお兄ちゃんに遊んでもらうか?」
我に返ると、子供は俺の傍に来ていた。
俺の顔を見上げて、服の裾を掴んでいる。
「ニアっていうんですか?」
「あぁ。可愛いだろ?」
ニアは俺に笑いかけた。
もう少し小さい頃のユロウみたいだ。
「あぁ、そうだ。グレンたちから聞いたか?養子貰うって話」
俺とユロウでニアの相手をしている間、大人たちはそんな話をしていた。
「貰うんだ?」
「らしいぞ。アーレイドとハルも養子とったし、そろそろって」
「あいつらも親か…大丈夫なのか?」
「大丈夫だろ。血のつながりなんかなくても、親子は親子だ。
愛情と根性があれば十分親って言えるよ」
居候を始めてから一ヶ月、母さんから手紙が来た。
内容は俺達の安否についてと、父さんの事。
そして、また一緒に暮らせるのがいつになるかわからない事。
一ヶ月経った時点で俺もユロウも覚悟は出来ていた。
それに、ここでの暮らしは悪くない。
「愛情と根性があれば十分親って言える」なら。
「母さん、おはよう」
そう言われた方はきょとんとしていた。
暫くこっちを見て考えたあと、
「…おれのこと?」
と首を傾げた。
俺が頷くと、朝食の支度を再開しながら不機嫌そうに言った。
「そういうことは実の親に言え。お前のお母さんはシェリーカ・ホワイトナイトさんだろ」
不機嫌そうだけど、どこかに違う感じも混じっている。
「でも、俺にとっては両方とも家族なんだ。
いつも俺達のこと気にかけてくれてるから」
俺がそう言うと、「母さん」は黙り込んでしまった。
「父さん」も同じような反応をするだろうか。もしかしたら怒鳴られるかもしれない。
ユロウには昨夜話してある。産みの親も、俺達の世話してくれる人も、両方親って言えるんじゃないかって。
それじゃ駄目なんだろうか。
俺は駄目だとは思わない。
「お母さーん!おはよう!」
「ユロウまで…」
「母さん」は苦笑しながらも挨拶を返した。
「メシは?」
「今作ってるだろ」
「父さん」が起きてきた。当然俺とユロウはさっきと同じようにする。
「おはよう、父さん」
「お父さん、おはよう!」
「…は?」
「父さん」は暫く困惑して、寝ぼけてんのか?と言いながら食卓についた。
「寝ぼけてないよ。お父さんは、僕達のもう一人のお父さん!」
「実の父親の立場ねぇだろ。そういうのやめとけ」
「立場ならちゃんとあるよ。俺達はホワイトナイトに生まれて、ヴィオラセントで育ってる。
産みの親も育ての親もどっちも親だよ」
「育ての親って、まだ一ヶ月しか経ってねぇじゃねぇか」
「でもこれから長くお世話になるだろうから。…シェリーカ母さんの手紙、見たでしょ?」
「見たけどよ…」
「両親」とも困惑したまま、朝食をとる。
俺達の言ってること、ちゃんと伝わっただろうか。
感謝してるってことなんだけどな。
「ディア父さん、アクト母さん、これからもよろしくお願いします」
二人のおかげで、だんだんわかってきたんだ。
俺が軍に入ったのは復讐の為だけど、俺が軍人でいる理由はそれだけじゃない。
産んでくれた家族も、育ててくれる家族も、守りたいと思うようになった。
「…子供って、思って良いのか?」
「母さん」が口を開く。
「俺達の息子やるのは大変だぜ?」
「父さん」は意地悪そうに笑う。
「大変でも、息子って思ってください」
「おもってください!」
もう遠慮する必要はない。
血が繋がってなくても、家族は家族なんだろ?
そうやって七年が経った。
十七歳の誕生日、俺は実母からの手紙で実父の病気が治らないことを知った。
しかも一度かかれば十年以上苦しむ重い病。
父親の辛そうな姿を見せたくないが為に俺達はヴィオラセント家で暮らすことになったのだ。
ユロウはまだこのことを知らない。だけど、薄々感づいてはいると思う。
次に実母に会える時、実父はきっとこの世にはいない。
「ダイ、今日入隊試験の試験監督やるんだっけ?」
アクト母さんは俺の弁当を作りながら尋ねた。
七年間欠かすことなく作ってくれた弁当は、昼の楽しみだ。
「まぁね。大尉ともなると仕事多くてさ」
「がんばれよ。…あ、ブラックの娘さんが受けるって聞いた?」
「聞いた。どんな子か知らないけど…」
手渡された弁当は、今日も中身が凝っていた。料理好きな母さんらしい。
ユロウは朝食を作るのを手伝っていたらしく、スープの鍋の火を止めた。
「お母さん、できたよ」
「ありがと。ユロウ、上手くなったな」
「お母さんのおかげ。もっと上手になるから見ててよ!」
あの頃と比べると随分体が丈夫になったけれど、長時間外にいることはできない。
俺はまだあの医者を許してはいない。寧ろ憎んでいる。
そのことでいろいろあったけれど、おかげである種の特別扱いを受けている。
「何で起こさねぇんだよ!今日早番だって言ったじゃねぇか!」
「自分で起きろよ…」
ディア父さんは今日も母さんに呆れられている。
いつもの朝の風景だ。
「父さん、母さんに頼りきりはまずいよ」
「うるせぇ!…ったく、息子のくせに生意気になりやがって…」
「父親のくせに一人で起きれないなんて…」
「黙れ!」
「うるさい、ディア。お前が黙れ」
こんな父さんだけど、この七年の間には何度も助けられた。
俺が今大尉としてやっているのも、五パーセントくらいは父さんのおかげだ。
「それじゃ、行ってきます」
「気をつけてね、お兄ちゃん!
ニア君たちによろしく!」
俺の目的は復讐だ。
だけどそれだけじゃない。
今のこの幸せを守りたい。
そうやって思って、ここまで来た。
さぁ、今日も頑張ろうか。
「ブラックさんの娘さん、すぐわかったよ」
「そっくりだからな。で、どうだった?」
「んー…結構俺好み」
「…そう」
fin