生まれついて、赤い瞳を持っていた。

それは母と揃いの色で、母と同じ性質を持っていた。

けれども、母のそれよりもずっとずっと強かった。

見た者に恐怖を与えるその眼を、必死で制御しようとした。

結果、意識することで力を弱めることが可能になった。

それができてしまった自分を、逆にこの眼を利用することもできるであろう自分を、イリスは怖れた。

だから、できる限り「いい子」でいようとした。「強い子」であろうとした。

眼は封印し、一般的な「善人」であろうとした。

それでも、その時はやってくる。自身を怪物と呪いながら、力を解放する時が。

 

 

 

 

「忘れてはいないだろうな」

フィネーロに問われ、イリスは首を傾げる。

何か頼まれていたことがあっただろうか。それとも、見回り当番が近いのか。

様々な可能性を浮かべている間に、深い溜息が聞こえた。

「……棍使いに、心当たりがあるのだろう」

呆れたフィネーロの言葉に、イリスは両手を叩き合わせる。

「あぁ、それか!」

「それか、じゃないだろう。やはり忘れていたな」

先日、ルイゼンとバンリが戦ったとき。バンリが棍を慣れた様子で振るっていたので、その型などを割り出せないか、と話していた。

バンリの行動パターンや身元を掴む手がかりになるかもしれない事項だ。

「ごめん、ちょっとごたごたしちゃったから……頭からすぽーんと」

「全く、容量の少ない頭だ」

「だから記憶容量の大きなフィンを頼りにしてるんだよ。言ってくれてありがとね!」

ぱっと明るい笑顔を咲かせるイリスには、フィネーロも文句を言えなくなる。

赤面した態を見られたくないので、顔を逸らしつつ咳払いをした。

「思い出したなら、早く訊いてこい」

「そうだね、行ってくる!」

イリスは席をたち、すぐにルイゼンを捜しに向かう。

その素直さを、フィネーロは気に入っている。彼女のどこが好きかと訊かれたら、きっと即答できる。

ルイゼンやメイベルもそうだ。なにしろみんな、イリスのことが大好きなのだから。

 

心当たりのある場所をまわってみようと、イリスは廊下を早歩きで行く。

途中で顔見知りの上司らと挨拶を交わしたり、後輩に手を振ったり。

生まれた家や、功績を残した兄らのおかげもあって、彼女にはいくらか人望がある。

もちろん、マイナス面もある。妬みや僻みを全く被らないわけではないのだ。

「……やっぱずるいよな、インフェリア少尉」

通りかかった部屋から聞こえてくる言葉も、イリスにとっては聞きなれたものの一つに過ぎない。

「大総統補佐だって? どう考えても贔屓だよ、贔屓」

「見習いって話だけど。でも、実際結構強くねぇ?」

「女ならもうちょっと大人しくしてろっての。あ、あれもう女じゃねぇか」

下卑た笑いが漏れてくる。

言いたい奴には言わせておけばいい。イリスは自分のことを言われたところで、気にしない。

そのまま部屋の前を過ぎようとした彼女の耳に、次の言葉が入ってくる。

「眼も不気味だしな。うっかり見ちまったとき、背筋がぞっとしたよ」

「女じゃなけりゃ、バケモノか。兄の方も、確か人間兵器って言われてたとか……」

自分のことなら聞き流せる。だが、彼らは今言ってはいけないことを言った。

通り過ぎようとした部屋の扉に向かって、イリスは足を振り上げる。

が、その前に横から伸びた手がドアを開けた。蹴りを入れられることを免れた戸の向こうに、下品な笑顔を隠せていない者たち。

そしてイリスの隣には、厳しい表情のルイゼンがいた。

「お前ら、大した功績もないくせに、先輩を器物扱いとは……」

青ざめた彼らに、ルイゼンの睨みが刺さる。イリスの存在も目に入ったようで、非常に慌てているようだ。

「何様のつもりなのか、俺に聞かせてくれないか?」

「ひぃっ!」

「ご、ごめんなさい!」

逃げようとしても無駄だ。出入り口にはルイゼンとイリスがいる。

ルイゼンは彼らに近付き、その胸倉を掴んで、低い声で言い聞かせた。

「先輩には敬意を払え。言って良いことと悪いことがあると知れ。それから、」

手を離すついでに、彼らを壁へ突き飛ばす。頭をぶつけた彼らに、最後の言葉を叩きつける。

「インフェリア少尉は普通の女の子だ、勝てないお前らが未熟なんだよ。わかったらさっさと訓練でもしてこい!」

「は、はい!」

「すみませんでしたぁっ!」

走って部屋を飛び出していく彼らを見送って、イリスとルイゼンは同時に息を吐いた。

「……ありがと」

イリスが言うと、ルイゼンは頭を掻きながら笑った。

「尊敬する先輩をあんなふうに言われたら、俺もむかつくよ。でも失敗したな、あれじゃ俺も未熟者の仲間だ」

「……そうだね」

「いや、そこはそんなことないって言ってくれよ」

イリスにも笑顔が戻ったことを確認し、ルイゼンはホッとする。

軍に入ったときから、イリスには一つだけどうしても許せないことがあった。つまり、兄を兵器と呼ばれること。

今も司令部内で囁かれている、過去の話。何も知らないような人間が伝聞だけで得たその言葉を吐くことを、彼女は嫌った。

ルイゼンを含む彼女の親しい人たちは、そのことをよくわかっている。そして誰も、彼女の兄が兵器だなんて言わない。

同時に、イリス自身が悪く言われることを、彼らは許さない。本人が気にしない分、彼らがそういう人間を叩きのめす。

ルイゼンが間に入った今回など、相手にとってまだマシなケースだ。メイベルならもっと痛い目を見るし、フィネーロならもっと陰湿な仕返しをされる。

そしてその後、相手が医務室に行くようなことがあれば、さらに精神攻撃を加えられるのだ。

 

エルニーニャ王国軍中央司令部の医務室には、毒を吐くことを得意とする軍医がいる。

常に辛辣な言葉を使うわけではない。真の毒舌とは、ここぞというときに最も的確な嫌味を言うものだ。易々と相手を誹謗するような馬鹿とは訳が違う。

この軍医は医療だけでなく、毒舌家としての作法と、軍に属するものとして最低限の戦闘技術を師によって叩き込まれた人物なのである。

「ユロウさん、聞きたいことが……って、ぎゃーっ!」

「また倒れてるのか、この人……」

ただし、超虚弱体質。それが軍医、ユロウ・ホワイトナイトなのであった。

床に倒れ伏した彼を助け起こすと、へらっと笑って応えた。

「ごめんごめん……急に立ちくらみが」

「ちゃんと食べてるの?」

「食べられるだけは。……兄さんの相手するのに、エネルギー使いすぎたかな」

そういえば、ダイが帰ってきていた。大方、遅くまで積もる話を消化していたのだろう。

椅子に深く座り、背もたれに体重をのせる、青白い顔の軍医。その近くにあったスツールに腰かけ、イリスとルイゼンはさっそく本題に入った。

「ユロウさん、棍使えたよね」

「棍の扱いについて聞きたいことがあるんです」

「いいよ。もし僕で足りなければ、師匠に連絡つけてあげる」

「ありがとうございます」

ユロウは棍使いであった師匠――前任の軍医でもある――から、基本動作を教わっている。

あまり専門的なことになるとわからないが、今回のルイゼンの問いには答えることができた。

「ふうん……そのバンリって子の動き、エルニーニャ軍の教練で教わる動作が基本になってるかもね」

言葉で表現しきれない部分は、ルイゼンが実際にやってみせながら説明した。

そうしてユロウが下した結論が、これだった。

「僕が師匠から教わったのと同じだ。師匠も最初から棍を使ってたわけじゃないから、軍の教練を基本としてたはずだし」

実際はそれに上司のやり方をかなり足してたみたいだけど、と補足し、ユロウは頷いた。

「ほぼ間違いないと思うよ」

「そっか……基本が軍と一緒なら、教練担当の人から聞いてもいいかもね」

その答えにイリスはただただ感心していたが、ルイゼンは眉根を寄せて呟く。

「軍人学校も、同じ動作を教えるんですかね」

「……いや、違う。軍人学校で先生をやってる友人によると、学校と軍に入ってからの動きにギャップがあって問題になっていたはず」

「じゃあ、余計まずいな」

まだきょとんとしているイリスに、ルイゼンが告げる。

「イリス、あいつが軍と同じ動作をしているってことはだ。あいつが軍人だった可能性があるんだよ」

「あ、そうか!」

あくまで可能性だ。軍人から教わったか、あるいは技を盗んだだけかもしれない。

しかしバンリが実際に軍人だった場合、軍の責任問題が出てくる。軍出身の犯罪者が、未だに捕まっていないということになるのだ。

「まずい、ってルイゼン君は言ったけど。そうでもないと思うよ」

ユロウが人差し指を立て、にっこり微笑む。

「軍のデータから、彼の目的や人格がわかるかもしれない」

「軍のデータ、か……」

ルイゼンとイリスは顔を見合わせ、頷きあう。次にやることが決まった。駄目でもともと、だ。

「僕の兄さんと同じ、何かに執着するあまり手段を選ばなくなったような、単純な人なら楽なんだけど」

「ユロウさんってば……。でも助かったよ、ありがとう」

「ついでにさっきイリスとニアお兄さんに失礼なこと言ってた奴がいたので、後で叱ってやってください」

イリスは会釈をして、ルイゼンは先ほどの失礼な者たちの名前を書いたメモを置いて、医務室を後にした。

ユロウは手を振りながら、電話にもう片方の手で触れた。

 

事務室に戻ったルイゼンとイリスは、メイベルとフィネーロを加えて新しい情報について話した。

バンリが軍に関わりのあった人間かもしれないと告げると、メイベルが即行動を開始した。

「貴族に関係のある事件を担当した奴らから洗っていこう。徐々に範囲を広げていった方が早い」

「ありがと、メイベル」

「じゃあ、メイベルは調べものをしながら聞いてくれ。俺からもう一つ話がある」

全員が揃ってから話すつもりだったのだろう。イリスと二人の時は一言も口にしなかったことを、ルイゼンが切り出した。

「大総統閣下宛に、バンリから予告状が届いた」

「え?!」

身を乗り出すイリスを抑えてから、ルイゼンは詳細を語りだす。

予告状の日付は二日後。とある貴族家のパーティに現れるという内容の下に、バンリの名が書かれていた。

それとともに同封されていたのは、パーティの招待状。その数は四つ。

「招待状には番号がふられ、予告状の裏面にはパーティの内容がわざわざ記してあった。どうやらオークションらしい」

「名前ではなく番号か。貴族の間で行われる極秘オークションの噂なら、僕も耳にしたことがあるが……まさかそれが?」

「招待状が四つということは、私たち四人を誘っているのか? 変態盗人め」

「……」

各々言葉を並べる中、イリスだけは黙って考え込んでいた。

これまでは何か進展があれば、レヴィアンスはまずイリスを呼び出していた。しかし今回はルイゼンがこの話を持ってきた。

班のリーダーだから、と考えれば自然なのだが、イリスには腑に落ちないものがある。

ルイゼンはそんなイリスに気付いていながらも、話を続ける。

「予告状にある貴族家だけど、レジーナにあるわけじゃない。離れたところにあるから明日出発して、中継地を通ることになる。

大総統閣下がその中継地に話をつけておいてくれたから、行ってすぐに村長宅で休めるみたいだ」

「遠征だな、心得た」

「準備が必要だな……バンリの調査は少しお預けになりそうだ、イリス」

「あ、うん……そうだね」

イリスの疑問は置き去りに、明日の遠征の準備が始まる。

ルイゼンは説明をしながら、レヴィアンスとの会話を思い出していた。

 

時は遡り、その日の早朝。ルイゼンは大総統執務室に呼び出されていた。

「珍しいですね、俺を呼ぶなんて」

「イリスが色々忙しいからね。あまり詰め込みすぎるのは、あの子の為にならない」

苦笑しながらレヴィアンスが差し出したのは、封筒。中を見るよう指示され、ルイゼンはそれを受け取り、逆さに振った。

中から出てきたのは、四枚の招待状とバンリからの予告状。

「オレ宛に届いた。予告状をよく読んでみて」

「……また貴族家、ですか。確かこの名前、あのリストにありましたよ」

「やっぱり? ……でも重要なのは、その表現なんだよね」

「表現……」

レヴィアンスの言葉に、ルイゼンは慌てて予告状を読み返す。

そして、そういえばバンリは泥棒ではなかったか、ということを思い出した。

「参上する、とありますね。何かを盗るというようなことは書かれていない」

「そう。だからそれは先日のリストや弾丸と同じく、向こうが出してくれた何らかのヒントじゃないかと思う。

それときっと、……アイツは、イリスに会いたいんじゃないか?」

「……なるほど」

バンリの目的がイリスだとしたら、それを知った彼女はまた熱くなりすぎるかもしれない。

前回、イリスは少し無茶をした。レヴィアンスの心配は、ルイゼンにもよく解る。

「オレはできれば、イリスにバンリを近付かせたくない。だからルイゼンに頑張ってほしいんだけど……」

「そうですね、できる限りのことはします。俺だって、あんな奴にイリスを取られたくありませんし」

「うん、頼んだ」

いつものようににかっと笑いながら、レヴィアンスは封筒とその中身を回収する。行く直前に改めて渡すということだった。

「オレも助っ人用意しとく。とはいえ、遠征の中継地を準備してもらうくらいだけど」

「助っ人?」

「現場は少し遠いから。ちょうど良いところに立派な村があるんだ」

簡単にまとめられた任務詳細の書類と、地図を一枚手渡される。

ルイゼンはそれに目を通し、レヴィアンスに挨拶してから、部屋を出た。

彼がイリスの噂をしていた者たちを黙らせるのは、このすぐ後のこと。

 

 

軍のエンブレムを隠した車両に、私服で乗り込む。

抜き打ちで視察を行うときと同じ形式での行動だ。

「中継地のことだけど」

ハンドルを握り、目を正面に向けたまま、ルイゼンが言う。

「フィネーロには昨夜先に話したけど、イリスとメイベルには何も言ってなかったよな」

「あぁ、聞いていないな」

「どこなの、それ?」

昨日の段階では、中継地で一夜を明かしてから現場へ向かうということしか話していなかった。

その中継地がどこなのか、どういった場所なのか、詳細は語られないまま今日を迎えた。

「僕が説明しよう。ルイゼンは運転に集中していてくれ」

「ん、頼む」

ルイゼンとフィネーロは寮の同室なので、二人で先に打ち合わせてしまうことが度々ある。

そうしてイリスとメイベルへの説明をフィネーロに一任してしまった方が、ルイゼンが当日自分の仕事に集中しやすいのだ。

「中継地である村は、名をセパルという。近年急激に経済的発展が見られる村だ」

セパル村は、過去に軍の監視下にあった。危険薬物の原料を栽培し、国を揺るがす事件に関わった為だ。

しかしそれが解決し、落ち着いた後から、首都と近隣の町の商業流通の中継地として機能するようになった。

これは現村長の働きが大きく、かつて首都政府に反感を持っていた人々も彼についていくようになってからは変わったようだ。

現在のセパル村は評判の良い、活気のある場所となっている。

……という話を聞いて、イリスは運転席を睨みつけた。

「ゼン、どうしてわたしにもっと早く教えてくれないの?! わかってたらお土産持ってきたのに!」

「だから教えなかったんだよ。これは仕事だからな、個人的な挨拶はまた今度にしてくれ」

イリスは詳しく説明されなくても、セパル村についてよく知っていた。

兄からよく話を聞かされていたし、何より。

「イリスはセパル村に縁があるのか?」

「縁どころじゃないよ、ベル」

現村長は、幼かったイリスをたいそう可愛がってくれた一人なのだ。

 

十一年前、つまりセパル村が軍の監視下に置かれた当時を知る者が見たら、きっと驚くだろう。

個人で行商をしている人、運輸関係の仕事で訪れている人、観光客に村人たち。とにかく人という人で、村はごった返している。

威勢のいい声が飛び交う市では、商人と買い手が交渉に熱を入れている。

それを過ぎればのどかな田園風景が広がり、草を刈る人が手を振る。

「ゲティスさーん!」

イリスも手を振り返し、駆け寄る。彼女が呼ぶ名で、ルイゼンは畑にいる人物こそが会うべき人であると気付いた。

「よく来たな、イリス! みんな元気にやってるか?」

「大体は元気! あ、ダイさんも来てたんだよ!」

「マジで?!」

きゃっきゃとはしゃぐ大人と子どもを見ながら、メイベルが少し不満げに口を開く。

「……知り合いなのか」

「あの人、元軍人なんだ。イリスのこともよく知ってる」

仕事だって言ったのに、とルイゼンは溜息をつく。

「彼こそがこの村のトップ……ゲティス・レガート村長だよ」

 

テーブルに置かれたハーブティーは、香りも味もイリス好みのものだ。

初めて口にしたルイゼンたちも気に入ったようで、茶を淹れた当の本人もホッとする。

「良かった。ちょうど、いい草とれた」

「パロットさんのハーブティー、飲みやすいから好き! わざわざありがとうね」

パロットは今でもゲティスを手伝って、彼と生活を共にしている。

ずっと望んでいた生活を実現させ、二人は幸せそうだった。

「リラックスしながらでいいから、ちょっと話そうな。仕事なんだろ?」

ゲティスが椅子に腰掛け、客人を見渡す。すぐにカップを置いたメイベルが、ルイゼンに目配せした。

「あ、はい。今夜一晩、お世話になります」

慌てて返すルイゼンに、ゲティスは吹き出しながら言う。

「いや、挨拶はもういいからさ。リラックスしながらって言ったろ? ……もしかしてレヴィから何も聞いてない?」

「中継地で休憩所を提供してくれるとしか」

「マジで?」

ゲティスは豪快に笑っていた。それはルイゼンの情報不足や、レヴィアンスの不手際を責めるものではない。本当に面白がってるとしか思えないものだ。

パロットがたしなめるまで笑い続け、息が整わないうちに本題に入る。

「情報提供も頼まれてるんだ、オレたち。ここは物流の要だ、エルニーニャ中の情報がここに集まってくる。

まして村長なんて大袈裟な肩書き持ってるもんだから、みんなしてオレに報告してくるんだ」

話しているうちに落ち着いてきたのか、いつの間にかゲティスの表情は不敵な笑みへと変わっていた。

「もちろん、貴族の楽しいオークションのことだって知ってる」

「!」

がた、と身を乗り出したルイゼンとイリスに、ゲティスはティーカップを指差してみせた。落ち着いて聞け、ということらしい。

パロットが茶菓子を持ってきて、席に着いた。畑でとれた野菜の入ったパウンドケーキを切り分け、配りながら言う。

「ここ、人たくさん来る。良い人も、悪い人も。ときどき、怪しい荷物持った人来る」

「怪しい荷物?」

「美術品、骨董品。偽者も、本物も。事件性ありそうなもの、宛名と品物見せてもらう」

犯罪に関わってしまった過去のあるこの村では、流通品をチェックしている。それなのにこの村を避けて通ることをしないのは、ここに人が多く集まるからだ。

人や通常の品物に紛れ、情報や表に出せないような物をやりとりする。届け先と荷物の内容さえごまかせば、村を出ることはできる。

当然、その先で村長から連絡を受けた軍が待ち構えているのだが。

「でも、やっぱり軍も役所仕事みたいなとこあってさ。全部を取り締まれるわけじゃない。オレたちも人のこと言えないけど」

「規制厳しいと、人来なくなる。隠れた犯罪も増える。……それ考えて、よく、迷う」

「だからせめてこういう機会に、最大限協力しようって思ってるんだ。今回だけじゃなく、他に何かあったときもいつでも聞きに来てくれよな」

若き村長の申し出に、イリスたちは頷く。思った以上に、彼らは心強い味方のようだ。

さっそく今回に関わる情報を聞き、ついでにお茶をおかわりして、そのまま夕飯もとることになった。

 

翌日、ゲティスが任務の為の衣装を用意してくれた。

「貴族家のパーティだからな、それっぽいのを揃えてみた」

その場に溶け込むように華やかな装飾と、動きやすいように軽い素材。

村の女性たちや、貴族と関わりのある商人らの協力を得て準備したものだ。

「……こんな服を着るのは生まれて初めてだ」

「俺も。いいんですか、使わせていただいて?」

メイベルとルイゼンは慣れない衣装に戸惑う。一方でイリスとフィネーロは、普段と変わらない様子だ。

「短剣くらいなら忍ばせておけそうだね。ありがとう、ゲティスさん」

「何から何まで、お世話になります」

「いいって、いいって。大総統閣下の頼みだからな」

試着を勧められ、部屋を借りて着替えてみる。サイズはぴったりだった。

レヴィアンスから事前に連絡があったというが、男子はともかく女子は微妙な心境だ。

「レヴィ兄……わたしはともかく、ベルの体型まで把握してるなんて……」

「そのことは考えないようにしたいな。ともかく、よく似合っているぞ、イリス」

「ありがと、ベルもね。……これでどれだけ動けるかな」

素材などに気遣いがみられるとはいえ、普段はしない格好だ。いつものように行動できるか、多少の不安はある。

白地に金糸で刺繍の入ったメイベルのドレスは、目立たないがスリットが入っている。腿にベルトを巻き、拳銃を取り付けておけばすぐに手をかけられる。

赤を基調としたイリスのドレスは丈が短く、裾をたくし上げれば同じく腿に装備した短剣を抜き取ることができる。

使わないにこしたことはないが、万が一の為に動作を確認しておく。その判断と行動が同時で、二人は顔を見合わせて笑った。

男性陣も問題はなかったようで、あとはその時を待つのみ。畑仕事を手伝っていると、あっという間に太陽の位置が変わっていく。

服を着替え、ゲティスたちに礼を言う。

「帰りにまた寄るといい」

「お茶、出すよ」

「はい、是非」

暖かな言葉を受け止めて、イリスたちは車に乗り込んだ。

 

 

ゼオドール家は貴族の中でも名家といわれていた。

振る舞いは気品溢れ、しかしながら気取っていない。社会貢献も多く果たしていた。

だがそれは先代までの話。その現当主はそれまでの功績や栄誉にあぐらをかき、加えて欲に溺れていた。

自らに都合の良い人間ばかりを集めてはこうして宴を開き、讃えられては慢心を深くする。

いつ貴族階級を剥奪されてもおかしくないような彼には、思考も欠けていた。

だからイリスらが宴に参加していても、誰かが知り合いを呼んだのだろうとしか思わなかった。

「なんにも疑われなかったね」

イリスが小声で言う。

「ちょっと心配だったけどな。インフェリアの人間って有名人だし」

「化粧とは偉大だな……イリスがちゃんといいところのお嬢さんに見えるとは」

「失礼な」

男性陣の物言いに顔を引き攣らせながらも、イリスは屋敷の状況を確認する。

ホールは貴族家に一般的なもの。階段の上はテラス状になっていて、この広い空間を一挙に見渡すことができそうだ。

「人が多い。香水が臭って気分が悪い」

メイベルが顔を顰める。あまり人混みが得意ではない彼女に、フィネーロがハンカチを差し出した。

「これで押さえておけ。吐かれでもしたらここに来た意味がなくなる」

「お、フィネーロは紳士だな」

「フィン、かっこいー」

「からかうな。あまり無駄口を叩くと、身元がバレるぞ」

ひそひそと雑談をしていると、不意に周囲から拍手が沸きはじめる。

慌てて合わせて、人々の視線の先を辿ると、テラスに立つゼオドール氏の姿があった。

簡単な、しかし場慣れしていないイリスたちを退屈させるのに充分な挨拶の後、再び来場者達の交流が開始される。

情報収集をしてくる、とフィネーロが場を離れた。客から直接話を聞くつもりだ。

残されたイリス、ルイゼン、メイベルはできる限り周囲と接触しないよう心がける。

だがどうしても逃れられない場合の対処法として、ゲティスから教えを受けてはいた。

「お嬢さん方はどのような繋がりで参加を?」

そう問われたときは、

「お答えしかねます」

これでいい。このパーティの参加者は、全員これが極秘オークションのための集まりであるとわかっている。

身分を明かして軍に通報されでもしたら、貴族階級を失ってしまう。

これは失礼、と相手も素直に引き下がる。事情は皆似たようなものなのだ。大抵の問いには同様に対応できる。

そうしてうまくかわしていると、フィネーロが戻ってきて「間もなくだそうだ」とだけ言った。

それ以外に情報が得られたなら報告があるはずだ。ということは、ここまでで注意すべきことは見当たらなかったということ。

ならばメインイベントに問題があるのだろうか。照明が落とされ、テラスの方から響く声に耳を傾ける。

「さて、皆様お待ちかねのオークションを始めましょう! 今宵も名品逸品珍品が揃っております!」

美術品や装飾品が、順番に提示されていく。一通りざっと紹介した後で、一つずつ競売にかけるようだった。

展示されているものはどれも、一見して何の変哲もないものばかり。唯一、絵画に対してイリスが「お兄ちゃんのらくがきより酷い」と呟いた以外は。

「本日はここにあるもの以外に、もう一品ご用意いたしました。それは後ほどのお楽しみに……」

ゼオドール氏が得意げな笑みを浮かべ、競売は始まった。

品物が掲げられると、札束を握り締めた客たちが落札価格を叫び始める。欲に忠実になった人間は、周囲の提示する数字以外を耳に入れない。

最初の品は二百万エアーで落札された。こんなものか、という誰かの独り言が聞こえた。

二品目からはよりヒートアップし、次々に高値がつけられていく。イリスとルイゼンが圧倒される横で、メイベルが舌打ちした。

絵画が落札される頃には、合計して億に近い金が動いていた。

どう見ても偽者なのに、とイリスが呟く。品物よりも金を出せる自分に酔っているのさ、とフィネーロが返す。

初めに並べられていた品物が全て取引を終え、会場が静まり返ったとき。ゼオドール氏が最後の品物の説明を始めた。

「この品物は曰くつき。これを巡って人が死に、持ち主を次々渡り歩いたという赤く美しい輝き……」

助手と思われる人物が、布のかけられた台を運んでくる。ゼオドール氏はその布を大仰に取り去り、声を張り上げる。

「皆様ご覧下さい、“赤い杯”を!」

イリスたちは息を呑む。バンリの誘いの目的を知る。

紛れもなく、それは“赤い杯”――の、レプリカ。先日バンリが博物館から盗み出したものだ。

このオークションで出品されたものは、全てゼオドール氏が今日の為に入手した、あるいは買い付けたものだという。

ならば司会をしているあの男は、バンリと繋がりがあるのだろうか。

「八年前、博物館から姿を消して以来……これは多くの持ち主を渡り歩きました。しかし、持ち主は皆そう時間が経たないうちに手放してしまうのです。

“赤い杯”が盗み出されたときに死んだという者の、呪いでもかかっているのでしょうか!」

場を盛り上げる為の口上がホールに響く。客から笑い声が漏れた。

イリスは拳を強く握る。痛みを感じるほどに、固く。

「呪いに屈しないという勇気ある方、この宝に手をのばしてみてはいかがでしょう?!」

口上が終わり、客が一斉に金額を口にする。怒号にも似た音、せり上がる値段。その中で、ひときわ凛とした声が響いた。

「一千万エアー」

子どもの声に驚く者、忌々しそうに舌打ちする者、ただ呆然とする者。彼らの視線の先には、真剣な赤い瞳をテラスに向ける黒髪の少女。

ここまで“赤い杯”につけられた中での最高金額を、イリスが告げた。

「い……っ、一千万がでました! さぁ、それを超える方は?!」

再びホールが大勢の声に包まれる。値段はどんどん上がっていく。

「イリス、お前……」

「ゲティスさんも言ってたでしょ。万が一オークションに参加することがあれば、全力で落としにいけ。責任と支払いは大総統閣下に任せろって」

イリスは視線をテラスから外さず、ルイゼンに言う。

それはレヴィアンスが、ゲティスに預けた言伝だった。それを聞いて、イリスが抱えていたレヴィアンスに対するモヤモヤは一気に晴れたのだ。

彼はどこまでもイリスの、部下の味方をしてくれる。彼女を心配しつつも、結局は大暴れだって許してくれている。

「第一、呪いだなんて発言は絶対に赦せない」

最高金額が更新される中、イリスはそのさらに上を叫ぶ。

「一億!」

大台から、さらにその上へ。超えて超えて、ついに最後の一人が諦める。

「に、二億五千万エアーでの落札となります……」

ほんの小娘が、本日の最高金額で落札した。開いた口が塞がらない群衆の間を、イリスは堂々と進む。

階段を上り、テラスでゼオドール氏に小切手を押し付ける。そしてそれを受け取ろうとする彼に、問いを投げかけた。

「これはどうやって手に入れたの?」

「その質問にはお答えしかねます。なにしろたくさんの人の手を渡ってきたもので」

「あなたの前の持ち主は?」

「答えられないことになっています」

「……そう。でも、盗品であることをわかってて、軍に届け出ず競売にかけたのは確かだよね?」

「! あなた、何者……、うぅ、ぐ、……」

突然ゼオドール氏が呻き、その場に膝をつく。イリスは彼から目を離し、ざわめく会場をぐるりと見渡す。

ホールの全てを視界に入れる。ここにいる人間は自分たちを除くほとんどが犯罪者だ。軍人として取り締まらなければならない。

――綺麗な赤い瞳だ。

バンリの言葉が脳裏を過ぎる。そんな綺麗なものじゃないと振り切って、自らの目に全神経を集中させるイメージを描く。

「魔眼」だとバンリは言った。幼い頃からイリスを、そしてイリスを取り巻く人々を苦しめてきたこの眼。

――呪いがあるとすれば、それはわたしだ。

目を見開き、ホールを見つめる。ゼオドール氏が倒れたことで、人々の視線はテラスへ集中している。必然的に彼らとイリスは目を合わせることになる。

階下ではルイゼンが、イリスのしようとしていることに気付いていた。

「フィネーロ、メイベル。目を伏せていた方がいい」

指示を出しながら、彼自身も眩暈を感じる。イリスがこれだけの人数に眼の力を使うのは、今までルイゼンが居合わせた現場では一度もなかった。

全員をここに留め、近隣に駐在している軍の到着を待つ。その狙いは、はたして上手くいくだろうか。

力の影響が少なかったと思われる数名は、ふらふらと出口へ向かう。気付いたルイゼンがそれを止めようと、床を蹴る寸前。

「イリスの邪魔はさせない」

破裂音に、人々の足が完全に止まる。メイベルの両手には愛用の拳銃が、煙を吐いて納まっていた。

「無茶するなよ、一応まだ一般人だぞ」

「一般人だろうが犯罪者だろうが、イリスの邪魔をする奴は私の標的だ」

壁に埋まった銃弾が、会場の人間を中央に集めた。イリスは群衆をもう一度睨んでから、目を離す。

そして天井からぶら下がるシャンデリアの、さらに上へと視線を向けた。

「これでも、わたしの眼は綺麗?」

客の中からあぶりだされた、招待主へ問う。

「綺麗だよ。誰もが欲しがる、強大な力だ」

シャンデリアの上で、バンリは笑っていた。

「あいつ……」

メイベルがシャンデリアを吊るす鎖に狙いを定めるのを、フィネーロが慌てて止める。

「馬鹿、真下に人が大勢いるんだぞ?!」

「構わん。イリスの敵は皆死ねばいい」

「そんなことをしたら、イリスが赦さないぞ」

ルイゼンがメイベルの手をゆっくり下げさせながら、イリスを見る。

「あんたが、ゼオドールに“赤い杯”を譲ったの?」

一対一の問答が始まっていた。誰にも邪魔は許されない。

バンリをイリスに近づけたくはなかったが、今は入っていくべき時ではない。

「いや、僕は本物を偽者にすりかえただけだよ。ゼオドールに“赤い杯”を流したのは、別の人間だ」

「あんたは“赤い杯”とどういう関わりがあるの?」

「関係ないよ。僕が関わっているのは、八年前にこれを盗んだ窃盗団の方だ」

「どういう関わり?」

「それはちょっと教えられないな。……だって君は、軍人だろう?」

それに、と言葉を続け、バンリは足場を蹴った。シャンデリアから落ちる彼に向け、メイベルが降ろしていなかった方の拳銃から弾丸を放つ。

しかしそれは当たらなかったのか、バンリが何事もなかったように床に降り立ったのと同時のこと。

玄関が、窓が、いっせいに外から破られた。

「全員確保!」

軍服を着た男の命令で、ホールの人間が取り押さえられていく。

「フィネーロ、駐在軍を呼んでくれたのか?」

「いや、僕じゃない」

「それなら、誰が……」

階段を駆け下りてきたイリスが、ドレスやスーツ、軍服の混み合う人波にバンリの姿を捜す。

逃げる隙はなかった。ならば、客か軍にまぎれているに違いない。

「バンリ! 出てきなさいよ! ……まだ質問は終わってない、訊きたいことはたくさんあるのっ!!」

八年前の事件との関わりも、バンリの素性も、ついでにどうして自分の眼が効かないのかも。

あれだけ「呪い」を行使しておいて、何も得られないなんて認めたくない。

その思いとは裏腹に、体は床に倒れ伏す。眼の力を一気に使いすぎていた。

重い頭痛の中で、仲間が駆け寄り、抱き上げてくれるのを感じた。

――情けないな。

一言思って、意識が途切れた。

 

 

「やっぱり無茶したな」

レヴィアンスはそう言って、まだ気を失ったままのイリスの髪を撫でる。

駐在軍は、一度セパル村に戻るようルイゼンに指示した。それが大総統から伝わったものであったことは、村に到着してすぐにわかった。

パロットは温かい茶を準備していたし、ゲティスはレヴィアンスに応じて最近の流通状況を話していた。

「大総統閣下、全て貴方の目論見通りだったのですか?」

メイベルが問う。表向きは冷静だが、付き合いの長いフィネーロには今にも掴みかからんとしているように見える。

「全部じゃない。けれどもあの場にバンリが現れて、イリスが暴れるだろうなってことは予想していた」

「貴方はイリスを心配しているのか、それとも都合のいいように使いたいのか、どちらだ?!」

「落ち着け、メイベル。閣下は……レヴィさんは、イリスのことが心配に決まってるだろ」

ルイゼンに宥められ、メイベルは納得いかないといった表情のまま椅子に腰掛ける。

メイベルの様子を確認した後、フィネーロが重ねた。

「心配ならば、何故力を使わせたのか……それは僕も疑問です」

「力を使うことを選んだのはイリス自身だ、オレが指示したわけじゃない。逆に使うなと言ったところで、コイツは絶対に従わない」

「……えぇ、正しく的確な答えですね」

心配ではあるが、イリスの思うように行動して欲しい。

レヴィアンスも「兄」の一人としてジレンマを抱えているのだろうと、ルイゼンたちは思う。

「あの場にいた貴族らの聴取は、こっちでなんとかする。お前たちにはその間、休んでいてもらう」

「バンリは? 逃げる暇なんてなかったはずです、捕まえることはできたのでは?」

「捕まってたらすぐ報告するけど、多分軍にまぎれるかして逃げたな。簡単に捕まるような奴じゃなさそうだ」

一応確認したが、その見解も一致しているようだ。

今はそれを好機と見て、イリスの回復を待った方がいい。

「大した奴だよ。バンリも、イリスも」

レヴィアンスの呟きに、ルイゼンは小さく頷いた。