国の頂点から世を見ていた父を。
生きることに絶望したことのある母を。
人を助けるために奔走していた兄を。
ずっと見てきた。ずっと追ってきた。そうしてここに立っている。
だから世がままならないことも、人の心がきれいなばかりでないことも知っている。
彼女はそうして生きてきた。まだたった十五年の生に、あらゆるものをつめこんできた。
その瞳に映る世界を愛しながらも、疎まれた。それでも守ろうと思ってきた。
少女の抱える小さな世界を、その手で包みこもうとしてきた。
たとえそれが自分の力の及ばない、遠い遠い夢想であろうとも。そこに少しでも近づけることができるならと、歩んできた。
そしてその旅は、まだ終わることはない。
貴族条項違反の対応や、危険薬物関連の処理、あげく連続窃盗事件の後始末まで。
大総統と、その補佐の仕事は尽きることを知らない。
「レヴィ兄、わたし補佐見習いだよね? ただの尉官だよね? そろそろ身分相応の仕事をしたいなあなんて……」
その地位にしては難しい仕事を手伝っているイリスは、やんわりとレヴィアンスに抗議する。
しかし言われた方は忙しくペンを走らせるばかりで、何も答えない。イリスの訴えなど右から左へ抜けていってしまっているようだ。
「閣下、私もインフェリア少尉と同意見です。彼女にここまで手伝わせるのは、まだ早いと思われます」
正式な大総統補佐が進言しても、まるで聞いていない。レヴィアンスの意識は、どうやら書類にのみ向けられているようだ。
「こうなってしまうと、何を言ってもだめですね」
「レヴィ兄のここぞというときの集中力はすごいよ……」
ここ何日かはずっとこの調子だった。一連の事件を一刻も早く片付けたいという思いがあるのだろう。
もちろんイリスもそう思っている。「赤い杯盗難事件」の真相が明らかになるということは、ずっと目指してきたゴールの一つに辿り着けるかもしれないということなのだから。
「さ、わたし達も片付けちゃいましょう。レヴィ兄がこっちの世界に帰ってきたら、その瞬間にもう一回訴えてみます」
「そうしましょうか」
そのために、今は働いておこう。望む景色は近い。
イリスが不在の間、ルイゼン達は貴族家の連続窃盗事件の報告をまとめたり、それぞれに任された仕事をこなしたりしていた。
当然のことながら、メイベルの機嫌は日増しに悪くなっていく。寮での部屋が同じなので会えないということはないが、一緒にいる時間が短いだけでもストレスになるようだ。
「あの大総統め……イリスを早く返せ」
「落ち着け。仕事が終われば会えるだろう」
メイベルがこの調子では、それを宥めるフィネーロの胃も危うい。できれば早急にイリスを戻してほしいと、ルイゼンは願っていた。
そういった事情を愚痴りに行くと、医務室の主は声をあげて笑った。
「君も苦労してるね、ルイゼン君」
「笑い事じゃないですよ、ユロウさん。イリスがいないだけで大変なんですから」
「そうだね、イリスちゃんの存在は重要だ。……僕らにとっても、ね」
ルイゼンはただ医務室に愚痴を言いに来ただけではない。八年前の事件が漸く真相に辿り着き、解決しそうだということを報告に来たのだ。
ユロウもまた、あの日命を落とした男の息子なのだから。
「父さんの死が事故じゃなく、狙われたものだとわかってから……僕ら家族はずっと、真相を知りたいと思ってきた。
兄さんは自分の責任だって言うけれど、もともと兄さんが危険薬物事件にこだわるようになった原因は僕にある。
父さんは僕ら兄弟のせいで命を落とし、母さんも深く悲しんだ」
「違いますよ。悪いのは事件を起こした奴らです。ユロウさんたちは何も悪くないです」
「……ありがとう。でも、そう思わずにはいられないんだ」
長い長い、彼らの苦しみ。それはこの後も続くのだろう。他人が何を言っても、彼らは傷を抱え続けるのだ。
「イリスちゃんがエイマルのために頑張ってくれたおかげで、僕らはこれでも救われたんだ。
兄さんがこれからどうするのかはまだわからないけれど、いつかはもとの家族になれるんじゃないかな」
もとの家族。エイマルがダイを父と呼べること。それがイリスの目指した一つのゴールだ。
ダイを疎ましく思い、つけ狙うものたちがいるうちは、難しいだろう。すぐに元鞘に収まることはできない。
けれども、倒すべきものが見つかっただけでも、その日は近づいたのだ。
“赤い杯”の本物が戻ってからというもの、博物館は千客万来の賑わいだった。
報道のために訪ねてくる者、話題の展示品を一目見ようと足をはこぶ者、そしてこの品に何があったのか真相を探ろうとする者。
彼らの相手に忙殺される日々を送るアーシェのもとにも、事件進展の報せは届いた。
「これはまた、もっと忙しくなるかな……」
関係者が捕らえられたことで、“赤い杯”はさらに話題を呼ぶだろう。
盗難から返還までの経緯に、これがエルニーニャへ贈られたときのこと。それをまた逐一説明しなければならない。
それがアーシェの仕事なのだから、放棄はしない。面倒ではないとは言い切れないが、全うするしかない。
「だって、イリスちゃんたちが頑張ってくれたんだもの。レヴィ君だってきっと今頃、かつてない忙しさを経験しているでしょう。負けてられないわ」
大文卿夫人として、やるべきことを。自分の務めを果たさなければ。
そうすれば、きっと望む未来に近づく。大好きな従姉の家庭が、幸せな日々を迎える未来に。
事件関係者の聴取や、それに続く裁判など。詳細な日取りなどはまだ決まらないが、行われることだけはわかっている。
だからいつになってもいいように、仕事は事前に入る。おそらくはこのあたりだろうと予想をつけて、スケジュールは組み立てられる。
他の仕事と重ならなければいいのだけど、と思いつつ、ニアは法廷記録を引き受けた。
この事件に特別な思い入れのある人物の一人である自分が、これを受けていいものかは迷った。迷った末の決断だ。
自分が事件に携わり、妹が解決へ導こうとしている。最後まで見届けたい。
「画家も大変だな。やることの幅が広くてさ」
カレンダーに仮の予定を書き込むニアの後ろから、ルーファが手元を覗きこみながら言う。
「だからいいんだよ。今までやってきたことと、完全に関係がなくなるわけじゃない。軍を辞めた後もこうして事件に最後まで関われるのは、幸運なことだよ」
「その点俺は損だな」
「確かに家具メーカーは、あまり関われないかもしれないね」
でも、八年前。十八歳だった自分たちの働きは、今報われる。そのことは、ニアであれルーファであれ変わらない事実。
このときへ向けて当時の自分たちが必死で動き、イリスたちへつなげた。彼女らがつなげられたものを、ちゃんと今日まで導いてくれた。
「……ねえ、ルー。家具メーカーの社員としては関われないけれど。当時の事件担当者としては、君は充分関われるよ。
君は僕らのリーダーだった。僕らの手で事件を解決しようって誓ったとき、ルーは仕事を積極的に引き受けてきた。
僕らは君のおかげで、事件を追いかけてこられたんだ。他の人に任せていたら、レヴィやイリスへ渡せなかった」
八年前、事件発生当時。被害者に近しい者として解決を目指した。どんなことでもやろうと決めて、調査を進めてきた。
北方とはいえ、敵が内部にいたという状況を考えれば、あの時関連する事項を無理やりにでも引き受けたのは正しかった。
だからニアは、仲間達は、ルーファに感謝している。誇りを持っている。
「君は当時の証言を。……きっとレヴィは、あとで依頼してくるよ」
「わかった。その時は引き受ける」
この終わりを自分達の手で迎えられなかったのは惜しいが、ここまでの道を助けたことは確かなのだ。
忙しい日々はまだまだ続く。引き続き大総統室に呼ばれているイリスは、司令部に来るなりメイベルと別れた。
そして向かった大総統室で見たものは、机に突っ伏したレヴィアンスの姿だった。
「レヴィ兄、泊まりかあ……」
近寄って、手を伸ばしてみる。赤い髪にそっとふれてみても、彼は動かない。呼吸はしているので、生きてはいるのだろう。
思えば、彼がこの地位に就任して、まだ間もないのだ。ずっと追いかけていたからといって、今回の件を全て背負うのは重過ぎるのかもしれない。
こんなに青白い顔をして。それでもここに残った者として、大総統として、彼は戦い続けていた。
「レヴィ兄、朝だよ。そろそろ起きないと……」
許されるだけ寝かせてやりたいが、そろそろ補佐も現れるだろう。軽く揺さぶって、声をかけてみた。
「あさ……」
寝ぼけた声が返ってきた。思ったより眠りは浅かったようだ。
「朝? え、朝?!」
跳ね起きたレヴィアンスから一歩下がって、イリスは頷く。
「そう、朝」
「うわ……一時間だけ仮眠取る予定だったのに……」
「無理しちゃ駄目だよ。他にも仕事、あるんでしょ?」
ため息混じりに言うイリスに、レヴィアンスは懐かしい面影を見た。
今は軍を離れた、彼女の兄にそっくりだ。
「ニアみたいだな」
「何が?」
「今のイリスの口調がさ」
「そりゃあ兄妹だからね、似もするよ。さ、お仕事ちょうだい」
そうしてイリスが手を差し出した、その時だった。
大総統室に備え付けの電話が鳴り響き、レヴィアンスの目を完全に覚まさせた。
慌てて受話器をとると、向こう側からは陽気な声。
「おーっす! おはようございます、閣下!」
「ゲティスさん? おはよう、朝から元気だね」
「畑仕事終わった後だからな」
それはイリスにも聞こえるほどだった。相変わらず明るい人だなと思いながら、ソファに座ってやりとりを聞く。
レヴィアンスとゲティスはもう二言三言雑談をしてから、何やら真面目な話を始めた。
「……そう、協力ありがとう。うちのをそっちに行かせるから、宜しく頼むよ」
そう締めたレヴィアンスに、イリスは首をかしげる。またゲティスたちに何か頼んでいたのだろうか。
「パロットさんにも宜しく」と言ってレヴィアンスが受話器を置く。どんな内容だったのか訊いても問題ないだろうかと思案するイリスに、彼はにやりと笑った。
「イリス、ルイゼンを呼んで。あいつに任せたい仕事がある」
午前中はたっぷり大総統の手伝いをしたが、午後は別の仕事があった。
そういうわけで、今、イリスはある家の前に立っている。
「やっぱりわたしの口からは報告し難いな……」
これから、今回のことでわかったある事実を、伝えなくてはならない。手が離せないレヴィアンスの代わりに、補佐であるイリスがその役目を負う。
しかし、自分のようなほぼ無関係の人間が告げていいものなのだろうか。
悩んでいる間に、人の気配を感じた家人がドアを開けた。
「あ、イリス」
「イリスだ」
並んだ二つの小さな姿。そっくりだが、片方は男の子で片方は女の子だ。
「センテッド、マリッカ。お父さんは家にいる?」
「いるよ」
「呼ぶね」
これからこの家の主に話すのは、この子供達の母親について。この流れに巻き込まれていた人間だったということを、報告しなければならない。
「イリス、入って」
ドミナリオに案内され、イリスはエスト家に入った。
以前来た時と変わらないが、静かだ。ホリィがいないせいだろうか。彼は今頃、軍人学校で未来の兵士を育てている。
今ドミナリオを支えるものは、そばにないのではないか。
「ドミノさん、あとで出直してきましょうか」
思わず尋ねたイリスに、しかしドミナリオは首を横に振った。
「その必要はないよ。君だって忙しいだろう」
「ショックで倒れないで下さいね」
「そんなにやわじゃないよ」
子供達を別室に移動させてから、ドミナリオとイリスはリビングで向かい合った。
緊張した空気の中、イリスが口を開く。
「前大総統およびエスト夫人の失踪について、ご報告いたします」
ドミナリオの妻だった女性は、前大総統とともに失踪した。かけおちだった。
しかしそれも、彼らを引き合わせた人間がいて、さらに彼らを国外へ逃がしたことで起こったものだった。
前大総統からその地位を奪おうとした、事件の首謀者の一人オミ・ヤック。彼の差し金で、ドミナリオの妻はこの家を去った。
夫と子どもを残して、今はいずこにいるのかわからない。
「……オミって人から奥さんの居場所を聞きだして、連れ戻すことも可能かもしれません」
レヴィアンスに指示されたことを、イリスは全て伝えた。
ドミナリオは黙って全てを聞いていた。ただの少しも動じなかった。
「連れ戻したところで、彼女はもうエスト家の人間にはなり得ない」
やっと言葉にしたのが、それだった。
「他に愛する者ができたなら、それでかまわない。誰かが道を用意したのであれ、それを選んだのは彼女だ。
彼女が子供達を手放したという事実は変わらない。僕はそんな彼女を愛することはできない」
「……そうですか」
この家族は、とうに壊れてしまっているのだ。もう誰も、もとには戻せない。
それがわかったとき、イリスは胸が痛かった。けれども、ドミナリオは。
「これでいいんだよ。僕は今の、子供達がいて、ときどきホリィがいる生活が気に入っている。
これが僕らの家族の形なんだ。君が気に病むことはない」
そう言って、微笑んでいた。
「君はダスクタイト家とうちを同じように考えてはいないか? あの家は悔しいことに修復可能だ、存分に世話を焼くといい。
でもうちは不要だ。センテッドとマリッカ、それに友人たちがいれば、僕も子供達も満足なのだから」
そういうことなら、もう何も言う必要はあるまい。
イリスは頷いて、微笑み返した。
「そうですね。それならこの報告をもって、奥さんの失踪に関する事項は解決とします」
「ああ。レヴィアンスにすまなかったと、それからありがとうと伝えてほしい」
これで一つ、終わり。
イリスがエスト家の件を終えて司令部に戻ると、レヴィアンスはすぐに次の仕事を命じた。
「帰ってきたばかりで悪いんだけど、ルイゼンと一緒に出かけてほしい」
「え、ゼン戻ってきたの?」
ルイゼンは朝から大総統命令で外出していた。ゲティスからの電話を受けて、その内容の確認をしに行ったのだ。
それにしても早い帰りだが、収穫はあったのだろうか。
イリスがそれを尋ねる前に、レヴィアンスがにかっと笑って言った。
「結論から言うと、ウルフ・ヤンソネンの減刑材料が見つかった」
「ウルフって……バンリのこと? どういうこと?」
「行けばわかるよ」
レヴィアンスに促され、イリスはルイゼンが待っているという応接室に向かった。
応接室ということは、誰かが来ているということだ。
「ゼン、入るよ」
「ああ」
そしてその誰かこそが、バンリ――ウルフ・ヤンソネン減刑のカギとなる人物だった。
イリスは驚きの落ち着かぬまま、ルイゼン、そしてその人物とともに中央拘置所へ向かった。
ルイゼンが身分と要件を告げると、職員が「こちらへ」と三人を案内した。その先は面会室だ。
「ウルフ・ヤンソネン。会わせたい人物がいる」
透明な壁の向こうに、ルイゼンが話しかける。
そこには数日ぶりに見る、バンリの姿があった。彼はイリスを見て微笑み、それからルイゼンの話に耳を傾けた。
「会わせたい人物とは?」
「彼だ。……どうぞ、入ってきてください」
その言葉で同行してきた人物が面会室に現れると、バンリは目を見開いた。ちょうどイリスが、彼に会ってそうだったように。
彼はずっと行方知れずだった。けれども“赤い杯”に関する事件が決着を迎えようとしているというニュースを見て、中央へ来ようとしていた。
荷運びをする人の車に乗せてもらい、やってきたのはセパル村だった。そこでゲティスからレヴィアンスへ、連絡がきたのである。
「久しぶりだね、ウルフ」
優しい声、穏やかな笑み。かつてバンリ、いや、ウルフを助けてくれた人。
その名を授け、兄弟として生きてくれた人。
バンリ・ヤンソネンその人が、ここにいた。
「バンリ……どうして?」
「ウルフに会いに来た。無茶をするね、君は」
一連の事件の証人として、ウルフの罪を少しでも軽くするものとして、彼は必要だった。
これからウルフが生きていく為にも。
「ウルフは、この数年バンリと名乗ってきたんだね。僕の名前で、僕のために戦ってくれようとしたんだ」
「そのつもりだった。でも、間違ってた。バンリの名前に傷をつけただけだった」
「結果的には真相をつきとめてくれた。僕は君を許すよ。
そして僕の方こそすまなかった。君を独りにして、ごめん」
ウルフはぼろぼろと涙をこぼしていた。人目を憚ることなく、ひたすらに。
その光景を、イリスとルイゼンは静かに見つめていた。
その日の仕事が終わってから、イリスはダスクタイト家を訪ねた。
まだ全てが終わったわけではないが、エイマルの顔を見たいと思ったのだ。
「こんばんは、エイマルちゃん!」
「イリスちゃん! いらっしゃい!」
抱きつくエイマルを撫でながら、イリスはグレイヴに目配せした。その意味をすぐに察し、グレイヴは首を横に振る。
ダイからは、まだ何の連絡もないらしい。
修復可能な家族だが、すぐに元に戻れるわけではない。彼らにできてしまった空白は大きく、そう簡単には埋められないものだ。
エイマルがダイを父と呼べる日は、近づいたかもしれないが、今ではない。
「イリスちゃん、大きな事件を解決したんでしょう? おめでとう!」
このおめでとうを彼女に返せる日は、いつになるのだろうか。その日が早く来ればいいのに。
イリスがそう思い、エイマルに頷いたときだった。
この家の電話が鳴り、グレイヴが受話器をとる。それから、どこかホッとしたような声。
イリスには、そしてエイマルにも、すぐにわかった。電話の向こうは、あの人だ。
「おじさん?」
期待に満ちた目でエイマルがグレイヴを見る。彼女は笑顔で頷いた。
「待って、今エイマルにかわるから。……はい、エイマル。おじさんが話をしたいんですって」
ぱっと輝いたエイマルの表情を、イリスは笑顔で見ていた。
あの子は、たとえ父を父と呼べなくても、話ができるだけで嬉しいのだ。
そばにいなくても、声を聞けるだけであんなに幸せそうだ。
だからこそ、ずっと一緒にいさせてあげたいと思った。「お父さん」と呼ばせてあげたいと思っていた。
小さな少女に家族が毎日一緒にいられる幸せを贈りたくて、イリスはがむしゃらに走ってきた。
「……うん。イリスちゃんが来てくれてるの。お話する?」
「え、わたし?」
物思いに耽っていると、突然受話器を渡された。エイマルのにこにこ顔を見ながら、イリスは受話器を耳に当てた。
「もしもし、ダイさん」
「やあ、イリス。先日はどうも」
なんら変わりのない様子で、ダイは言った。イリスは息をついて、「こちらこそ」と返す。
「ダイさんの方は、処理進んでる?」
「そこそこ。そっちは大変だろう、レヴィはまだ新米大総統だし」
「うん。でも、頑張ってる。レヴィ兄も、わたしも」
「そうか」
ふ、と一呼吸。それから、意を決したように。
「イリス、俺は君に誓うよ。……次のエイマルの誕生日までに、整理をつける」
「うん?」
「エイマルが誕生日を迎えたら、堂々と父だと言う」
聞きたかった言葉を、彼は告げた。
「それ、イヴ姉に言ったら?」
「いや、君に誓わせてくれ。エイマルのために、ずっと頑張ってきてくれたイリスに誓いたい」
そんなことを言ってはいるが、多分彼はまだ家族と向き合う勇気が足りないのだ。
それなら、手を貸そう。逃げられないよう、見張ってやろう。
「約束だよ、ダイさん」
「ああ、約束だ」
誓ったからには、覆させやしない。必ず履行されると信じて待とう。
「イリスちゃん、おじさんとお話できた?」
「うん。いいこと聞いちゃった」
「えー? なになに?」
「それはエイマルちゃんが誕生日を迎えたら教えてあげる。約束ね」
「本当? 絶対だよ!」
まだまだ忙しい日々は続く。立ち止まっている暇なんかない。
毎日新しい事件があって、すぐにそちらへあちらへ飛んでいかなければならない。
「イリス、準備は良いか?」
「いいよ!」
エルニーニャ王国軍少尉兼大総統補佐見習い、イリス・インフェリア。
彼女が軍人である理由は、彼女の周りの小さな世界を守ること。
「やはりイリスがいないと落ち着かないな」
「わたしもベルと組めて嬉しいよ」
この眼で、この手で、しっかりと。
たとえどんなに疎まれようとも、関係ない。
「大総統閣下は何か言ってたか?」
「とにかく全力で暴れていいって。だから今日のわたしは本気!」
「イリスは毎日全力だろ……」
夢想するのは誰も悲しまない世界。幸せに笑っていられる世界。
きっといつか誰かが見た夢。それを小さなところから現実にしていくために、イリスは番人の名を背負うのだ。
「エルニーニャの獅子姫」
王宮の片隅、女王の部屋で、レヴィアンスは呟いた。
オリビアは首を傾げて問う。
「なあに、それ?」
「うちのお姫様のことさ。獅子と呼ばれた父の力を継ぎ意志を継ぎ、人を惹きつけ、暴れまわる。
らしいと思わない?」
「まあ、女の子になんてことを」
レヴィアンスを咎めるふりをしながら、オリビアは朗らかに笑う。なるほどと思っているらしい。
彼女は紅茶のカップをゆるりと回し、目を細めた。
「私の人選、間違っていなかったでしょう?」
「そうだね、結果的には正解だった。……でもオレがこのまま大総統を続けるからには、ただ王宮の言いなりになるだけだなんていやだよ」
「ええ、そうでしょうとも。だからこそあなたは今回の件の解決を急いだんだわ」
あわや迷宮入りかと思われた事件を大きく動かし、解決へ導いた。おかげで軍の株は急激に上昇した。
大総統レヴィアンス・ゼウスァートの支持者は、一気に増加したのだ。
もちろん、彼を推薦し任命した王宮も、国民の支持を得ている。
「権力もまあまあ大事だけどさ、一番重要なのは国民だからね。人なくして国はない」
「ええ、もちろん。人を導き、人を守る。私達はそうして、エルニーニャを支えていきましょう」
まだこの国は、新しい局面を迎えたばかり。
これから漸く、新たなスタートをきるのだ。