司令部襲撃の一件は、一般市民には知らされていない。軍内で片付け、一部の「協力者」のみに報告することになった。大総統暗殺未遂事件というかたちで世間に広まると、国をまとめる柱の一つという大総統の地位が揺らいでしまう。第二十八代大総統のときに頻発した司令部襲撃未遂事件やその対応、市民の反応の記録や証言を参考に、レヴィアンスは行動を決めていた。

当の二十八代目――カスケード・インフェリアは、報告を受けて眉を顰めた。いつもなら電話で済ませるところを、今回は直接インフェリア邸を訪ねたので、表情がよく見える。おそらく報告や相談をするたびに、こんな顔をされていたのだろう。

「……というわけで、やつらの予定通りなら、次は王宮が狙われるはずです。近衛兵となにより女王陛下が今までにない強さを誇っているので、まず心配はないと思うんですが」

「うん、今代の王宮のガードが堅いのは俺もよく知ってる。オリビアちゃんも、できれば軍の干渉なしにことを片付けたいと思っているんだろう」

レヴィアンスが頷いたのを見てから、カスケードは傍らにあった瓶を手にしようとする。だが寸前で止められた。

「お父さん、わたしがやるから。飲みすぎたら後が大変でしょう」

「俺は飲みすぎないよ、イリス。レヴィに注いでやろうと思ったんだ」

「一緒に飲んだら、先に潰れるのはお父さんだよ。ほら、貸して」

これまでの二年、レヴィアンスは大総統という立場にあって、多くの人の力を借りてきた。だが、イリスの目の前でカスケードと仕事の話をするのは、これが初めてだ。こういうときのカスケードさんは潰れないから大丈夫、と言っても、イリスはなかなか信じないだろう。なにしろ彼の実の娘だ。父のことはレヴィアンスよりも知っていると思っている。

もっともイリスの中での「酒に酔いやすい」基準が、笊である実兄なので、そもそもあてにならない。あの酒豪と比べればみんなすぐ潰れることになる。

「とにかく心配はしてないんですけど、念のために動く準備だけは。佐官をリーダーとした特別班を作ってます」

酒を注がれたグラスを傾けながら話を元に戻すと、海色の瞳が光った。

「名目は」

「佐官以上には先に裏とは異なる勢力への注意について話してあったので、それをそのまま使ってます。まずかったですか」

「全くの嘘よりいいけど、あまり話が大きくならないようにな。市民の生活を圧迫するようなことがあっちゃいけないし、それにはもちろんのこと軍人も含まれている」

「ですよね。……ううん、やっぱりまずかったかなあ」

「このことに関しては、俺はもう何も言わない。レヴィが判断しろ」

先人への相談はいつもこうだ。レヴィアンスがやったこと、思うことを話す。一言二言は相手も考えを述べるが、適当なところで決断をこちらに委ねる。結局そうしなければならないのだから、と。

だが今日は、それだけで終わらない。カスケードにも一つ、決めてもらわなければならないことがある。

「とりあえずこのままやってみます。今夜はもう王宮に人を遣ってますし、女王の了承も得ました。事後承諾になりましたけど、普段オレを急に呼びつけてるんだから、これくらいの仕返しはしないと」

「誰から習ったんだ、その手口は。……それはそれとして、そろそろ本題に入ってもらおうか」

決めなくてはならないということを、この人もわかっている。

グラスをテーブルに置き、カスケードとまっすぐに向き合って、口を開いた。

「お父さん、わたし、レヴィ兄についてくけど良いよね」

が、開いたまま音を発することはなかった。レヴィアンスが一瞬でも言うのを躊躇ったそれを、イリスはあっさりと、それも反対の余地を与えずに言ってしまった。

さすがにこれにはカスケードも驚いたようで、目をしばたたかせている。そうしてようやく発した言葉には、嘆息が混じっていた。

「……レヴィ、女の子に先に言わせるのはどうかと思うぞ」

「オレもこんなはずじゃなかったんです」

「もう決まってることなのに、今更女だとか関係ある? とにかくわたし、たとえお父さんが止めても聞かないから」

思えば昔から強情ではあった。イリスは兄によく似ていて、そしてたしかにインフェリアの血が流れているのだ。レヴィアンスは血脈信仰信者ではないが、インフェリア家の人々を見ていると、受け継がれているものを意識せざるをえない。

さて、この娘の態度に、父はどう出るのか。相手が息子なら口喧嘩が始まるらしいが。

「聞かないよな、そうだよな。お父さんは止めたいんだけど、元大総統としては止められないんだよな」

ハラハラしていたようなことは、どうやら起こらないようだ。カスケードは腕組みをしながら溜息を吐いて、それから僅かに目を細めた。何か懐かしいことでも思い出すかのように。

「大変なことに巻き込まないように気をつけて、短い間に補佐を何度も変えた俺だけど。それも結局、いいことではなかった。イリスが自分の仕事を全うするつもりなら、俺に止める権利はないと思ってる」

「権利がないとまでは思わない。わたしが仕事を全うできると思ってくれてるならいいよ」

「生きて帰ってくるのが前提の話だからな。その点は昔からあんまり心配してないんだ。俺に似てるし」

ついレヴィアンスも頷いた。激動の時代を生きる猛者に似ているのだから、あの言葉は本物で、実現されるのだろう。――「レヴィ兄とわたしで生きるだけ」。それ以外の道などありえないのだと、イリスは全身全霊で吼えていた。今、この瞬間も。

「そういうわけだ、レヴィ。心配はしてないが、俺と同じで突っ走るところがあるから、それだけ気をつけておいてくれ。いつのまにか立場が逆転してる、なんてことのないように」

「せいぜい気をつけます」

いつかつけた名に偽りはなかった。獅子の子は獅子。レヴィアンスの相棒は、番人の名を背負う娘。エルニーニャの獅子姫だ。千尋の谷を越えて空に咆哮を轟かせるのだ。

「わたしってお父さんに不思議なくらい信頼されてるけど、どうしてお兄ちゃんと扱いが違うの?」

「二人とも信頼してるし、同じように大切だぞ。あ、帰り危ないから今日は二人とも泊まっていけ」

けれども親獅子は一つだけ嘘を吐いたようだ。相変わらず下手な、すぐにばれる嘘を。心配しまくりじゃん、という言葉は思うに留めておいたレヴィアンスだった。

 

 

ウィスタリアにいるフィネーロの兄、アルトからの連絡が若干遅い。この問題の答えがようやく見つかったが、判明してもすっきりしなかった。

「エルニーニャとウィスタリアのあいだで、通信障害が発生しているようです。調べてもらったところ、兄がウィスタリアに到着して以降、他の多くの通信機器で同じ問題が起きていました。もっと早くに気づけたら良かったのですが」

「いや、報告ありがとう、フィネーロ。……ウィスタリアから警戒されてるね。直接対決しなきゃいけないやつらにばれてなきゃいいけど」

「ばれていたら、兄から連絡が来るはずがありません」

だよねえ、とレヴィアンスは眉間のしわを揉んだ。これまで西との国交に気を配らなかったツケがまわっている。おそらくウィスタリア側はアルトを学者として受け入れつつも、その経歴――元エルニーニャ王国軍北方司令部の人間だということで、信用してくれなかったのだろう。なにやら通信の可能な機械を持っているということはわかっていて、その上でエルニーニャとの連絡に支障が出るよう仕向けたのだ。

「なんかそれ、卑怯じゃない? ウィスタリアってそんな国だったっけ」

イリスが憤慨すると、レヴィアンスは腕組みをして唸った。

「それを調べてもらってるんだけどね、おなじみ北の大将殿に。政治家の大規模な汚職っていう苦い過去を持ってるノーザリアは、この手の話題に敏感だ。他国に異常があったとき、それを見破るのは得意なんだけど……できたとしても、オレに教えるのが難しい。公になれば、北と癒着しすぎだって、オレはまた西の不興を買うだろうね」

「なんでレヴィ兄も、そういうことをダイさんに頼んじゃうの……」

「頼む前にやり始めてくれたんだよ。あの人、危険薬物関連事件と政治腐敗に執着してるから。ついでに他国に乗り込むのが大好き」

とんでもないことを聞いた気がするが、それはこの際置いておこう。味方がいるとだけとっておく。そして味方の中に、ウィスタリアは含まれていない。

レヴィアンスを狙う血脈信仰信者の過激派連中は、歴史を繰り返したがっている。何のためか、はイリスもレヴィアンスとカスケードの話を聞いて、少しだけ理解した。

ゼウスァート姓の大総統は、大総統政を始めた人物だ。彼が斃れた後も、エルニーニャは長いあいだ、大総統が頂点に立つ政治を行なってきた。そして王宮は王国の名を支えるために置かれた飾り物だった。この状態を歴史通りにつくりだしたいのならば、彼らの目的は大総統単独政治の復活ということになる。

対してウィスタリアの考えは、親交のあるエルニーニャ王宮による王政復古にあるのではというのが、レヴィアンスの予想だった。ウィスタリア政に関わる上層部は、エルニーニャ王宮に情報を流して、迫る危険を回避させようとしている。エルニーニャ軍との接触を避けているのは、その地位が貶められることになっても損がないからだ。これにはカスケードも、明言を避けつつ、ほぼ同意している。

血脈信仰過激派とウィスタリア政府は異なる考えを持っているために、協力はしない。だがどちらもエルニーニャの現体制、軍と王宮と文派による三派政を崩したがっているのだ。

だがレヴィアンスは、何としても現体制を守りきらなければならない。先々代ハル・スティーナが、苦労の末に確立させたものなのだ。三派会は正直言って好きではないし面倒だが、各勢力がバランスを保って協力していくやりかたは間違っていないと思っている。そしてこのやりかたを真の意味で完成させることができるのは、最も三派が協力しやすい状態にある今だ。それを壊されては困る。

「西の動きは続報があれば受け取るとして、遅れている過激派の情報は? このまま遅れっぱなし?」

「いいえ、兄も僕からの連絡が遅いことを不審に思っていたようで、少し時間はかかりましたが対策を整えることができたそうです」

「さすがリッツェの天才学者。で、現状は」

「大陸中の血脈信仰信者過激派に声がかかっています。人員は現在進行で順調にエルニーニャに集まっているようなので、今夜以降は王宮の護りを一層固めたほうがよろしいかと」

前回、三日のうちに行動するという情報があったときには、その晩に襲撃があった。とすれば、今夜以降は今夜だ。はずれても明日。

「それ、そのまま女王に伝えるよ。それとイリス、今夜は王宮警護に就いて」

「レヴィ兄は? 一人で大丈夫?」

「前回の襲撃があるから、オレは将官たちに守ってもらえる。それとフィネーロも戦闘準備を。任務として佐官に頼むから、この後はリーダーの指示に従え」

にやり、とレヴィアンスが笑う。ずっと言いたかったことを、やっと告げられるときがきた。

「今夜がリーゼッタ班の完全復活だ」

イリスも、そしてフィネーロも、この言葉を待っていた。

 

王宮警護作戦は、軍が大々的に関わっているということを覚られてはならない。王宮では近衛兵たちが、軍と独立した護りを固めている。襲撃者やウィスタリアには、できることなら今回の防衛は王宮単独で成功させたというシナリオを見せたい。

そこに至った背景を、彼もまたレヴィアンスからようやく知らされたのだろう。イリスたちが普段仕事をしている事務室を取り仕切っているマインラート・トーリス大佐が、作戦指揮を務めることになった。――補佐にルイゼンを指名して。

「閣下が王宮と交渉し、作戦中は我々も近衛兵の一員として振る舞うことになっている。従って、私も指揮を担当する身ではあるが、原則として近衛兵長の命令通りに動く」

「近衛兵長……女王陛下ですね。閣下は苦手な相手だと仰ってましたが、大丈夫でしょうか?」

「王宮に入られるまでは軍に所属していた方だ。指示に従って問題はないだろう。それよりリーゼッタ、閣下に言われてお前を補佐に据えたが、覚悟はあるんだろうな。私より先にあの人の考えを知っていたそうだが、それに見合った働きを誓えるか」

トーリスにとって、ルイゼンは部下であり、佐官になりたての半人前だ。その働きぶりを見てきて認めてくれてはいるが、今回は事が大きすぎる。もちろんルイゼン自身もそう考えていた。しかしその大きな事態に備えてきたことも事実で、どこまで通用するか確かめたい。いや、通じなければならないのだ。

「限界を超えても戦います。俺だって、閣下に『手を引け』なんて言われたくないので。あれだけ関わらせてもらったんだ、そのお礼はきっちりするつもりです」

言い切ったルイゼンに、トーリスは瞠目する。それから嬉しそうに笑った。

「軍に入りたての頃は、元気いっぱい暴走しまくりのガキ大将だったお前が……。すっかり頼れる男に成長したもんだ。兄貴分として感激だよ」

「ガキ大将って、もう八年も前の話を蒸し返さないでください。俺だって少しは考えるようになったんです」

ルイゼンが口をとがらせて言い返す。トーリスはしみじみ頷いた。

「インフェリアやブロッケンが入ってきてから、そうせざるをえなかったからな。そうか、あいつらを普段率いているお前なら、閣下に信頼されるのもわかる」

一緒に頑張ろうな、と肩を叩かれ、ルイゼンは「はい」と返事をした。そのたった一言に、尽くしきれない思いを込めて。――ようやくここまでこられた。大佐であるトーリスと並び、レヴィアンスに認められ、働けないはずがないだろう。ずっと望んできたのだ。

 

メイベルは射撃場にいた。多種にわたる銃を扱える彼女の、もっとも付き合いの長い得物、軍支給銃四十五口径リボルバーは、今日も具合がいい。いつ戦いに出ても役目を果たせる。もちろんメイベル自身の狙いも完璧だ。

「ここにいたのか。図書館じゃなくて良かった、あっちは少し遠いからな」

息を吐いたころを見計らったように、フィネーロが声をかけた。銃をホルダーに直し、メイベルは開口一番に尋ねる。

「出動はいつだ」

「今夜。たった今、兄から詳細の連絡があった。現在レジーナに集っている過激派で、十一時に王宮に乗り込むつもりらしい。人員は約四十人」

「もっと蛆虫のように湧いてくるかと思った。王宮制圧にその人数は足りないだろう」

「僕も疑っているが、閣下はこんなものだろうと。国王夫妻を誘拐できれば、相手の目的は達成できたことになるから」

「ほう。……まあ、無理だろうがな」

鼻で嗤い、続く作戦を聞く。軍から出るのはトーリス大佐率いる十名の班。基本的な行動は王宮近衛兵に倣い、女王の指示が最優先となる。メイベルがいつものように、激情から勝手に銃を抜くということは、まず許されない。

「あくまで上品に、というのがトーリス大佐の頼みだ」

「上品に済めばいいな」

生憎と品などというものは持ち合わせていない、とメイベルは呟く。学校や軍で、仕事に必要だからとある程度は学んできたが、役に立ったことはあまりない。こういうところが、仮にも名家のお嬢さんであるイリスや、上品の見本といえるような育ちをしてきたフィネーロ、他人とうまくやりながら順調に佐官にのぼりつめたルイゼンとの違いだ。所詮自分は下層の生まれだと、認識させられる。

「近衛兵ごっこが失敗したら?」

「速やかに相手の確保につとめ、混乱を避ける。あとは女王の指示に従う」

「女王の判断があてにならなかったり、そもそも指示を仰げないときは?」

「大佐かルイゼンの指揮で動く」

「なるほど、ルイゼンなら安心だ。大佐は、私はあまり好かないが……ルイゼンがそうしろというなら仕方がない」

納得しておくしかないのだろう。班の底辺にできる、それが最良のことならば。肩をすくめたメイベルに、フィネーロが溜息交じりに口を開いた。

「君が頼りなんだぞ、メイベル。トーリス班は遠距離攻撃を得意とする者が少ない」

「大佐が剣技贔屓なのが悪い。私は……」

本当は王宮警護だって、大総統の命だって、どうでもいい。頭が挿げ替えられるなら、それもまた仕方のないことだろう。そして挿げ替えられたとしても、簡単に国のかたちは変わらない。メイベルたちのあり方に大きな変化はない。

でも、それが起きればイリスが悲しむ。メイベルが唯一の正義としているものが涙を流すことは避けなければならない。だから動く。軍人として働く。

「私は、私の判断で引鉄を引く。今は女王に従ってやるかという判断をしているだけだ」

「……変わらないな、君は。何にせよ、これから会議だ。第三会議室に行こう」

フィネーロの後を追いながら、久しぶりだ、と思った。学校に通っていた頃からつるんでいるはずの彼と、しばらく一緒に外に出るような仕事をしていなかったことを、改めて思い出す。

「フィネーロ、お前はどうなんだ。訓練の成果を発揮できるんだろうな」

「状況によるが、がっかりはさせないよ」

ついでに友人の手助けをしてやってもいいか。いつも助けられていたのだから。

 

第三会議室には、トーリス大佐とルイゼン、イリス、フィネーロ、メイベルのほかに五人。しかし今回の仕事の裏について、よく知っているわけではない。

先日の大総統執務室への襲撃に伴い、王宮の警備を強化する。ただし王宮の顔を立てるため、今回は近衛兵として動く。佐官会議で上がった「裏ではない対軍勢力」への警戒も続ける。それがトーリスから全体への説明だった。

「裏ではなく、その対軍勢力というのが、司令部襲撃に関わっていると?」

「その可能性が高い。リーゼッタ、襲撃犯の聴取内容について報告しろ」

「はい。……先日、司令部を襲撃した四人を聴取済みです。彼らは閣下の地位を貶めることを狙い、犯行を企てました。同じように王宮も狙っているということを証言しています」

嘘はついていないが、かなり削った。襲撃犯が血脈信仰信者であること、彼らが大総統暗殺を目論んでいることは伏せる。襲撃が「手順」をもって行動していること、司令部襲撃の方法がほぼレヴィアンスたちの推理通りであったことなども非公開だ。襲撃方法については、あとでレヴィアンスが将官らに明かすことになるだろうが。

「戦闘能力の程度や現在確認されている裏組織との関わりがないことから、襲撃犯は裏とは異なる対軍勢力と見ています」

「でも、現にガードナー大将が負傷されているのでしょう。王宮も狙っているとすれば、危険度は裏と同等かそれ以上なんじゃないの?」

「だからこそ、今回の王宮警護だ。今代の近衛兵は強いが、私たちも協力したほうが危機回避の可能性が上がる。いや、絶対的なものになる。これは女王も認めているそうだ」

作戦にあたって、レヴィアンスが女王オリビアと連絡をとっている。軍の受け入れに関して、女王はすぐに了承してくれた。自身が軍にいたからこそ軍を信頼してくれているのだと、トーリスは言う。実際の思惑は他にあると、知っているのはレヴィアンスとイリスたちだけだ。

「我々の力を王宮に貸し、この国を守る。この作戦、失敗は許されないぞ。心せよ」

王宮の人々を守ること。襲撃が起こったら、実行犯たちを速やかに足止めし確保すること。相手の人数は――これも聴取から得た情報ということにした――四十人ほどで、近衛兵と協力すれば確保は難しくないはずだ。トーリスはルイゼンの作成した資料をもとにそう話している。今はそれだけしか話してはならないと、レヴィアンスから指示されているのだった。

「今夜の作戦開始に備えるように。九時に出発し、王宮へ向かう」

今日は今日の仕事を全うすること。他のことは考えずに、集中しろ。会議室に来る前にレヴィアンスに言われたことを、イリスは頭の中でゆっくりと繰り返す。噛み締め、解し、染み込ませる。そうでなければ戦えないのだと、自分に言い聞かせる。

今の自分は大総統補佐ではなく、イリス・インフェリア中尉だ。トーリス班の尉官の一人で、特別な存在ではない。レヴィアンスら上層部の思惑や西の動きといった不安はひとまずなかったことにして、任務にあたらなければ。

「イリス、ちょっと提案がある」

会議室から人がはけたのを見計らい、ルイゼンが近づいてくる。本来なら彼もまた今日の任務、つまりは大佐の補佐という仕事を務めあげなければならないので、この後も忙しいはずだ。

「何、ゼン? 大佐についていかなくていいの?」

「すぐ追いつく。それよりお前、閣下と勝負したときに真正面から向かってったよな。普段通りに」

「……そうだね。それじゃわたしの負けだから、他の手を色々考えてたところなんだけど」

「あれは相手が閣下だったのと、一対一だったのが良くなかったんだよ。やっぱり俺は、お前は相手の視界に正面から飛び込まないとだめだと思う」

それでは先がないとレヴィアンスに言われたのだが、ルイゼンはそう思っていないらしい。ずっと考えてたんだ、と言葉を継いだ。

「あの戦い方は閣下、というかレヴィさんから教わったものだろ。お前に一番適した戦い方として教えてくれたはずだ。だからやっぱり、あのやりかたを使わない手はない。お前の最大の武器で、お前にしかできないことなんだから」

レヴィアンスには通用しなかった。だが、今まで他の相手には通じてきた。その力は使おうと思えば、イリスが自由に操れるのだ。――そういえばそうだった、とようやく思い出した。

「そのための道は俺たちが作る。いざとなったら全力で行け」

「……わかった、そうさせてもらう。わたしは相手の真正面に立てば、視界に入ればいいんだね?」

この力が今度の相手にも効くかどうか、それはやってみないとわからないけれど。でも、ルイゼンたちが希望を持ってくれるのなら、このままいってみることにしよう。

先は拓くものなのだから。ここで証明してやろうじゃないか。

 

 

エルニーニャ王国女王、オリビア・アトラ・エルニーニャ。彼女が国政に積極的に関わろうとしているのは、若き現王ビーフォルテ・アトラ・エルニーニャが俗世に疎すぎて政治に現実感がないからだと噂されている。それでは大総統単独政治ではともかく、現在の三派協力による政治には合わないだろうと。他にも軍の力を得た女王が王宮を支配し、国を再び軍政に戻そうと画策しているだとか、女王の生家であるパラミクス家による政治台頭を目論んでいるとか、様々な憶測が飛び交っている。

どれが真実でどれがそうでないかを、王宮が明かしたことはない。女王も公式の場ではただ微笑んで、その場の仕事をするだけだ。

たしかなのは、先代までの「国家の飾り物である王宮」はもう存在しないということだ。それを決定づけたのが二年前の、女王による大総統の推薦だろう。このできごと以降、三派の頂点は王宮になりつつあるのではという声もある。

「女王陛下、このたびはどうぞよろしくお願い申し上げます」

トーリスはじめ十人の軍人に傅かれた女王の佇まいは堂々たるもので、この人が国の頂点といわれればたしかに信じるかもしれない、とイリスは思う。それでいて底知れない雰囲気を醸し出しているのだから、レヴィアンスが彼女を苦手としているのも理解できる気がした。

「こちらこそ、王宮の警護にあたっていただき感謝しています。トーリス大佐には、私から色々とお願いをするかもしれません」

温和な言葉の向こうで、女王の緑色の瞳が鋭く光っていた。若草のような色なのに、初々しさは微塵もない。王宮に入って以降、多くの経験によって研ぎ澄まされたのだろう。

「皆さんには王宮近衛兵と行動を共にしていただきます。ここを狙っているという者が王宮の人々に危害を加えないように注意をおねがいします。また、今回は私と王の護衛は必要ないということも付け加えておきましょう」

最後の言葉で、軍人たちは唖然とした。狙われているのはまさに彼らだというのに、まさか女王はそれをわかっていないのか。

「陛下の護衛が必要ないとは、どういうことですか」

尋ねるトーリスに、女王は微笑んで返した。

「私は女王であると同時に、近衛兵の長です。自分の身と国王お一人くらいなら守れましてよ。これは近衛兵にも伝えてあります」

状況をわからないわけではない。彼女は自分で自分と王と守ると決めている。それができると思っている。しかし、と再び口を開きかけたトーリスを、女王は遮った。

「あなたがたの務めは王宮警護。大総統殿も国王の警護とは言っていないはず。それは私が王宮に入ったときから、私の仕事です。お互い、領分は理解しておきましょう」

トーリスは黙り、軍人たちも息を呑む。これがエルニーニャ王国女王かと慄く。イリスもその一人だったが、

「あとは近衛兵に聞いて、配置など確認しておいてくださいな。インフェリア中尉だけ、私についてきてくださる?」

唐突な指名に、「え」と声が出てしまった。

 

王宮は落ち着かない、とレヴィアンスが言っていた意味が今ならわかる。「小さい部屋だけど」と通されたそこは十分な広さがあり、もちろんイリスが生活している寮の部屋など比べものにならない。絨毯は毛足が長いが、汚れがないので変に固まったりしていない。向かい合わせの一人がけソファに座らされ、その柔らかさに感動した。大総統執務室のものより質が良さそうだ。おまけに花のような良い香りが漂っている。

エルニーニャ王国民が豊かな生活をしている証として、王宮の人間は至れり尽くせりの環境に置かれる。女王オリビアはその言葉のままの暮らしをしているようだった。

「そんなに部屋を見回して、何か面白いものでもあるかしら?」

「いえ、面白いというか……あまりなじみがなくて緊張するというか」

しどろもどろに答えたイリスに、女王はクスリと笑った。

「可愛い反応ね。今度からお仕事の話をするときは、レヴィ君じゃなくてイリスちゃんを呼ぼうかしら」

いや、ここにいる彼女は女王ではなく、オリビアなのだ。イリスが昔から知っているお姉さん。立場は随分違ってしまったが、変わっていないところもある。

「仕事の話は私にはわからないです。レヴィ兄ほど偉くないし」

「レヴィ君、話してくれないの?」

「わたしに必要な話だけしてくれます。オリビアさんとのことは……あんまり話さないです」

「彼らしいわね。私がいつも雑談ばかりするのもよくないんでしょうけれど。それに」

自分はイリスの向かいに腰かけ、オリビアは目を伏せた。憂いを帯びた溜息を吐き、「ごめんなさい」と言う。

「今回の件、元をただせば、私がレヴィ君を大総統に推薦したのが始まりよね。彼にゼウスァートの名を背負わせたのは私。仕事を押し付けるのも私。それがこんなことになるのだから、レヴィ君に嫌われても仕方ないわ」

「嫌ってなんかないですよ」

苦手ではあるようだが、嫌ってはいない。仕事の相手として信頼を置いているし、心配していないと言いながらこうして護衛の命令を出している。オリビアが憂うことはないはずだ。

「もしかして、レヴィ兄に嫌われてるかもしれないと思って、自分たちの護衛は必要ないなんて言ったんですか?」

「ううん、それは別の話よ。王を守るのはもともと私の役目。私は自分の身を自分で守れるし、何かあっても代替えが効く」

「代替えって、そんな。オリビアさんの代わりなんかいないですよ」

「いるわよ。他の王宮付き貴族家や軍家のお嬢さん。王宮関係者とはいえ王家の血を引いているわけじゃないから、私はいなくなっても問題がないの。それどころか今回の事件を起こしたがっていた人たちには、私がいなくなることで二重の得がある。歴史をなぞれること、そして王宮の権力を握って勝手に政治をしていた人間が消えること。王だけをあとで王宮に戻せば、かつてのような政治能力に欠けた王宮がもう一度できあがる。またお妃をもらえば、子供をもうけて王宮を続かせることも可能。エルニーニャを三派政前の状態にできるでしょうね」

イリスが口を挟む間を与えずに、王宮にとっても都合がいいかも、とオリビアは呟く。

「跡継ぎがいないと困るものね。国の運営を勝手に進める女王より、王様とほのぼの暮らしながら世継ぎを産んで育てるお妃のほうが、きっと必要なんだわ」

「そんなことは……」

「世継ぎを産む意思がないのなら、パラミクスから嫁をとるんじゃなかった。そんなふうに言っている人は、王宮にも市井にもいるのよ」

口角をあげたままの唇が紡ぐ言葉は、とても笑って聞けるものではない。返事を探すイリスだが、呻き声が漏れるばかりで、気の利いたことは何も出てこなかった。

オリビアはただ微笑む。

「余計なこと言っちゃったわね。とにかく私自身にはいくらでも代わりがいるから、何があっても平気なの。でも、今の王宮近衛兵長はこの私。だから王は絶対に守るわ。任せて」

自分の胸をとんと叩いて、軍人だった頃、幼いイリスにかまってくれた頃と同じ笑顔を浮かべる。

けれどもこちらは、いつまでも幼いままではない。オリビアの言葉の意味も、完全にとはいわないが理解できる。

「王様は、オリビアさんにお任せします。それが最善だと、王宮近衛兵長であるあなたがいうなら、大佐もわたしたちにそうさせると思います。レヴィ兄も納得するかもしれません」

「ええ、彼が納得するならなおのこと良いわね」

「でもそこだけです。あとはわたしが納得しない」

代わりがいるからどうなってもいいだなんて、そんなことを受け入れられるものか。

「オリビアさんの代わりなんて絶対にいない。オリビアさんがレヴィ兄を選んで、一緒に仕事をしていたからこそ解決できたことがたくさんあった。オリビアさんが王宮にいて良かった。これからもいてほしい。だから、わたしがオリビアさんを守ります」

世継ぎが何だ。今までそんなことを気にせずに采配を振るってきたから、全てが過激派の目論み通りにはならなかった。彼らは歴史の完全再現を成すことはできない。

――王宮に子供がいたら、過去そうだった通りに、過激派は子供だけを生かそうとしただろうね。子供がいないから、政治能力が低いとされている王を生かすしかない。大方、過激派の考えはこんなところだ。

レヴィアンスと話して、すでに過激派の動きは予想できている。彼らの思惑を覆すためには、オリビアの生存が必須条件になる。代替えなんてできないのだ。

「……あなた、それは私の命令に背くことになるわよ」

「レヴィ兄、いいえ、大総統閣下より『臨機応変に動け』と言われているので」

ぽかん、とオリビアはイリスを見ていた。少しのあいだそのままで、それからゆっくりとソファから立ち上がる。「なるほどね」と呟きながら。

「レヴィ君が補佐にしたがるわけよね。……それが確認できて良かったわ。あなたと話す時間を設けた甲斐があった」

「はい? そういえばどうしてわたしを呼んだんですか?」

「だから、話してみたかったのよ。レヴィ君がエルニーニャの獅子姫と呼んで信頼し可愛がっている子の、成長した姿を見たかったの。試すような真似してごめんなさい」

試すって、何を試されていたのだろう。混乱しながらも、イリスは何とか声を絞り出す。

「じゃあ、今のは全部、嘘ですか」

「嘘じゃないわよ。全部本当の話。そうね、それを聞いてほしかったのもあるかも。女の身で大きなものを背負うっていうことは、なかなか大変なことなのよ」

にっこりして、オリビアはイリスの手を取る。「昔は小さかったのにね」と撫でる手は、いつのまにかイリスのほうが少し大きくなっていた。

「今回の作戦、全体指揮は私よ。だから私のいうことをきいてくれなくちゃ困るわ。……でも、ただ私が困るだけ。あなたが私を守ってくれようとするのを、無理に止めることはできない」

そしてきっと誰も止めない。オリビアはイリスの目をじっと見て言う。

「一緒に王宮を守ってくれるかしら、イリスちゃん」

イリスは一度目を閉じ、そしてゆっくり開いて返事をする。今度は言葉が決まっている。

「当然ですよ。そのために来たんですから」

「ありがとう、嬉しいわ」

ホッとしたような笑みで、オリビアはイリスの手を離した。それから少しふらつく。こんなときに立ちくらみかしら、と困った顔をした彼女に、イリスは苦笑した。

「すみません、わたしの目を見てたからだと思います。……今夜は、最大出力の予定なので」

 

王宮に時計の音が響く。十一時を知らせる鐘の音に、ベージュの制服を着た王宮近衛兵たち――軍の十名を含む――が緊張する。結局予告の時間まで、王宮に不審者が乗り込んでくることはなかった。鐘が鳴り終わり、静寂が落ちる。今日は襲撃がないのではないかと、近衛兵の多くが気を抜きかけた。

王宮付近の巡回でも異常はなかった。敷地内に怪しいものはなかった。全て確認したはずが、兆候を見つけられなかった。

突如響いたガラスが砕ける激しい音の後に、二階にいた近衛兵が叫んだ。

「二階中央より侵入者多数! 十名……二十名超!」

「二階西より侵入者! 二十余名の模様、戦闘に入る!」

「二階東、十余名の侵入者あり! 可能ならば援護を頼む!」

同時多発的に現れた侵入者たちの数は、予想の四十名を超えている。舌打ちするトーリスの隣で、ルイゼンはその理由を探した。だが、そう悠長に構えてはいられない。答えが出ないまま、二階東に向かわされる。トーリスは中央に行った。最も侵入者の数が多く、王の部屋に近い場所だ。公開はされていないが、その真上に王は控えている。――普段ならば。

「どこに隠れたか教えてくれないんだもんな……。本当、閣下の苦労がわかるよ」

呟いたルイゼンの声は、物音にうまく紛れた。誰にも聞こえていない。武器を手に襲い来る侵入者たちを相手に剣を振い、一人を倒す。即座に床に落ちた武器を確認すると、先日レヴィアンスに見せられたウィスタリア製の短剣と同じものだった。

今回の襲撃には各地から人を集めているはずだ。見る限り侵入者のほとんどが同じ得物を持っているということは、ウィスタリアからまとめて運び込まれたものである可能性が高い。中心人物は、やはりウィスタリアに潜んでいたのだろう。

そうしている間に侵入者たちの一部は近衛兵たちをすり抜け、王宮内部へと進んでいく。事前情報より多い人数を食い止めきれない。とっさに追いかけて二人を切りつけたが、間に合わない。

「やつらを追え! 三階に行かせるな!」

叫ぶ声は、近衛兵らと侵入者に届く。周囲にまだ残っていた侵入者を片付け、ルイゼンも後を追った。

二階中央ではメイベルが、慣れない剣技に悪戦苦闘していた。王宮近衛兵は基本的に銃を使わない。流れ弾が王宮の人間にあたりでもしたら大事になるからだが、こういうときくらいはその規制を解いてほしいものだ。おかげで得意の銃は、まだ一丁も抜いていなかった。

「ブロッケン、凌ぎきれ。どちらにせよ近衛兵と侵入者が混戦しているこの状況で、お前の得物を使うのは危険すぎる」

トーリスがすれ違いざまに言う。煩い、の意味を込めた舌打ちは、おそらく聞こえていなかった。

気に入らない。好かない上司に指示されるのも、近衛兵の制服を着なくてはならないことも、剣を使わなければならないことも。このストレスを発散できたら、どんなに気持ちが良いだろう。

いらついていたら、背後に迫る短剣に気づけなかった。いや、持っていたのが銃なら反応できたはずだ。いつものメイベルなら、こんな下手は打たない。切られるのもやむをえまいと防御姿勢をとる。

だが、短剣は相手の手から零れ落ちた。倒れたその背中に、何かが当たった痕がある。奇妙に思うが、次の相手の攻撃を防がなくてはならず、原因を考える余裕がなかった。余裕はなくとも、はずみで上を向いたその瞬間、視界に入ったもので自分を助けたのが誰であったのかはわかった。

天井にはシャンデリア。それが吊られるところから、別のものがぶら下がっていた。鎖と、その先に足。逆さという不安定な体勢のフィネーロがそこにいる。手には刃に鞘をつけたままの鎖鎌。

――大総統執務室襲撃の手口を利用したのか、あいつ。

なんとか一人斬り払いながら、メイベルは答えを導き出した。フィネーロは上から状況を見て、鎖鎌を振り子のようにして侵入者にぶつけたのだ。いつまでも、は通じない手だ。それもきっとわかっているだろう。

案の定、侵入者らはフィネーロの存在に気づき、短剣を上に向けた。それと同時に足から鎖を手早く外したフィネーロが、床へ落ちてくる。着地と同時に一人――侵入者なのか近衛兵なのか、すぐに判別できない――を踏みつけ、そのまま鎖鎌を思い切り振りまわした。錘となった鎌と鎖が、一瞬、遠心力によってピンと伸びる。そうして敵味方かまわずに、気づかなかった者や反応が遅れた者の足を掬っていった。

よろけて倒れた者から近衛兵の恰好をしている者だけを引っ張り出す。それまでの時間はほんのわずか。流れるような、それでいて乱暴な「闘い方」だった。

「フィネーロ、これが新しい戦法か? お前にしては随分粗いじゃないか」

駆け寄ったメイベルに、フィネーロは生真面目な表情で答えた。

「なに、君の真似をしただけだ。それより今なら大佐は見ていないし、君の視界は随分クリアになったと思うが」

人が倒れた分、敵味方の識別は先ほどよりしやすくなっている。これなら余裕をもって狙えそうだ。メイベルは唇の端を持ち上げ、腰のホルダーに提げていた銃を抜いた。両手に一つずつ、合わせて二挺。

「ああ、本領が発揮できそうだ。感謝する」

破裂音が王宮内に連続して響き渡った。苦々しい顔をしている近衛兵が見えたが、かまわない。ようは味方と建物に中てなければいいのだ。調子がいい今日なら、標的がどんなに動いても確実に仕留められる自信がある。

銃声を聞いて、侵入者を二階西まで追っていたルイゼンは苦笑した。仕方ない、あとでトーリスや女王に謝ろう。そもそも、それがリーゼッタ班の日常だった。しかしその前に、三階に人を集めなければ。仕留め損ねた人数を、そこで待つ彼女の目に留まりやすいようにするのだ。

リーゼッタ班最強の「奥の手」を、解放する。

 

王の部屋を守るようにして、五人の近衛兵が立っていた。三階に辿り着いた侵入者たちは彼らと対面し、瞬きする間もなく刃を交える。近衛兵たちは相手の短剣を叩き落とし、体を斬りつけ、侵入者の足を止めた。だがここまで他の近衛兵たちを掻い潜ってきた彼らは、その程度で屈しない。斬られてもなお、予備の短剣に持ち替えて襲いかかってくる。

三階へ来る人数が増えるごとに、近衛兵たちも手こずるようになる。剣技と体術だけではだんだん間に合わなくなってきて、ついに王の部屋への扉を開かせてしまった。

……と、ここまではシナリオ通り。ここには誰もいない。まさか狙われている人間を、普段と同じ部屋に置いておくはずもない。部屋になだれ込んだ複数の侵入者は、部屋を一通り見まわし、もう一度扉の方へ目をやる。――それが彼らの運の尽き。

扉の前に立つ、近衛兵の制服を着た少女と目が合った。その瞬間、彼らを様々な症状が襲う。頭痛、嘔吐感、眩暈。すぐに立っていられなくなり、室内の侵入者は全員一度に床に伏せた。

「なんだ、あの眼は……っ?!」

一人が呻く。効き目はどうやら抜群だ。普段かけている制限を解除した魔眼は、恐ろしいまでの威力を放っていた。

「なんだ、ってねえ。こっちが訊きたいのよ、本当は」

右手に剣を持ったまま、左手で長い黒髪をはらって、赤い瞳を光らせる。生まれ持った力は疎まれたこともあったが、こういうときに有効利用できるようになったので、嫌いではない。振り向きざまに背後をとろうとしていた侵入者を斬り、ついでに目を合わせてその自由を奪う。

「今のところ、こっちが飛び込んでいく必要はあまりなさそうだけど。眼を使うなら、やっぱり正面からいかなきゃだよね」

不敵に笑い、イリスは次の獲物を見据える。近衛兵をできるだけ見ないよう気をつけながら。なにしろ力を全開にした状態は久しぶりだ。ちらりと目が合っただけでも、どうなるかわからない。

「ここで全部倒したい……けど、ちょっとは動かなきゃ難しいか」

床を蹴る。侵入者の眼前に入り、左手でその胸倉を掴んだ。間近でイリスの眼を見た相手は、泡を吹いて気絶した。

さて、残りは何人だろう。一人としてオリビアのもとへは辿り着かせたくないのだが。

 

二階中央はメイベルの暴走、いや、活躍もあってほとんど決着がついた。トーリスは渋い顔で頭を掻きながら、負傷し倒れた侵入者たちを集め始めた。

「リッツェ、さっき私を踏んだことは不問にしておく。だから侵入者の数が予想を上回っていた理由を説明しろ」

背中にフィネーロの足跡をくっきりつけたまま問うトーリスの姿に、メイベルが必死で笑いをこらえていた。それを隠すように立ち、フィネーロは「現地の人員です」と答える。

「大佐はすでにご存じでしょうが、王宮に襲撃をかけた人員は各地からの寄せ集めです。それが四十人ほど。エルニーニャの、この近辺にずっといた分は合算されていなかったのでしょう。これは僕も迂闊でした」

血脈信仰信者の全てがエルニーニャから出て行ったわけではなく、十八年前の事件以降もこの首都レジーナに留まっている人々はいた。その中に過激派がいないとは限らない。むしろいたからこそ、時間通りの襲撃が可能だったと考えられる。巡回のときに異常が見られなかったのも、彼らが集まった人員を匿っていたためだろう。

「それから上空にも気を配るべきでした。閣下が襲撃にあったときは、犯人グループは上空からの侵入に成功しています。今回も同様の手口を使った可能性はあるかと。王宮の周りは正規の近衛兵たちが警備していたはずですが、少し我々側の人間を入れてもらうべきでしたね」

「王宮内の護りにこだわりすぎたか。しかし陛下たちが無事なら、作戦は……」

「ええ、ひとまずは成功でしょう。軍が王宮の不興を買うことはあるかもしれませんが、今回の場合は仕方がないものとして閣下に説明していただきます」

「王宮の不興を買うようなことを率先してやったのはお前だがな。私は陛下や閣下になんと謝ったらいいのか……」

溜息を吐くトーリスに、メイベルがとうとう噴き出した。フィネーロは「笑っている場合じゃない」と階上を見上げる。まだ作戦は終わっていないのだ。

「大佐、倒れた者は放っておいて、残った侵入者を倒しに行ったほうが良いです。ルイゼンが向かっていますし、上にはイリスもいます。でも数で不利なのは変わりませんから」

「そうだったな。陛下の無事も確認したい。ところで、陛下の居場所を知っているか」

「……大佐もご存知ないんですか? 僕が知るはずありませんよ。一応訊くが、メイベルは」

「私も知らん。さすがは閣下を選んだ人だ、女王陛下はどうにも食えんな」

いい加減限界だったのか、トーリスがわなわなと震え出したので、フィネーロとメイベルは逃げるように三階へ向かった。

 

侵入者たちを倒しながら三階に到着したルイゼンの目に飛び込んできたのは、床に倒れ伏す人々だった。無差別にそうなっているわけではなく、近衛兵は無事でいるか、具合が悪そうでも柱に寄り掛かることができている。

ドアの開いた部屋の前には、こちらに背を向けて立つ黒髪の少女。ルイゼンたちが三階に追い込んだ敵を、作戦通りに片付けてくれた。もうここは大丈夫だろう。

「イリス、倒れたやつは動けないだろうから、他へ行こう。他に侵入者がいないかどうか調べないと」

「ごめん、ゼン。先に行ってて。あと、それ以上わたしに近づかないで」

疲れているようだが強い声だった。ルイゼンはその場で立ち止まり、そのまま待つ。先に行ってと言ったのに動かない気配に焦れたのか、イリスが再び言葉を発した。

「久しぶりにこんなに眼を使ったから、ちゃんと制御できないの。今わたしと目が合ったら、ゼンまで倒れちゃう」

「これだけ倒してくれればな。わかった、先に行って大佐に報告しておく」

「そうして。……こんな化け物を利用してくれて、ありがとうね」

前に眼をフルに使ったのはいつだったか。こんなに多くの人数を相手にしたのは、おそらく二年ぶりではないだろうか。自分が作りだした状況に、イリス自身も驚いているようだった。

「誰が化け物だよ。落ち着くまでいくらでも時間かけていいからな」

踵を返し、ルイゼンは階下へ戻ろうとした。階段を降りようとしたところで、こちらへ向かっていたらしいフィネーロとメイベルと目が合う。

「ルイゼン、三階は」

「イリスが片付けてくれた。落ち着くまで時間が欲しいみたいだから、待ってやってくれ」

「力を使いすぎて、イリスが倒れたりしないだろうな。前にあっただろう、大勢に一度に使って、そのあと丸一日起きなかったことが」

「今のところはまだ大丈夫そうだ」

眼の効力と精度が上がっていて、それを制御するイリスの力もまた上がっていると、ルイゼンは感じていた。本人もそれを自覚して、「化け物」なんて言葉を使ったのかもしれない。

まともに受けたであろう侵入者たちは、生きてはいたが動く気配がなかった。以前ならもう少し効力にばらつきがあり、なんとか這いまわれる者もいた。強力になった眼を相手を選んで駆使するのは酷く精神力と体力を消耗するはずだが、イリスはまだ立って、会話をすることができていた。

「あいつが降りてきたら労ってやろう。それまでにできることは、王宮内の再確認。逃した侵入者はいないか、動ける人員を集めて徹底的に調べるぞ。女王が隠れている場所もわからないし」

「ルイゼンも知らないのか」

誰も知らないのならなおさら、一刻も早く安全を確認しなければならない。三人は二階に戻り、トーリスと合流してこの後の動きを確認しようとした。

「陛下! 女王陛下!」

トーリスがルイゼンたちを見止めて号令をかけようとしたその時、王宮近衛兵の誰かが悲鳴をあげた。一階の広間からだと察し、階段を駆け下りる。

いつから戦っていたのか、髪は乱れて衣服の裂けた女王が、棍を手に三人の黒服と対峙していた。

「王の姿はないな。まだ隠れているのか」

「悠長に見ている場合ではない! リーゼッタ、賊を確保するぞ! ブロッケン、銃の使用を許可する。くれぐれも女王陛下には中てるなよ!」

走り出したトーリスを追って、ルイゼンも動く。背後でメイベルが銃を構えたのがわかった。フィネーロも移動したようだ。

しかし何より存在感があったのは、

「……あ?! 待ってください、大佐!」

「何?!」

一瞬足を止めたトーリスに向かって降ってきた、ついさっきまで三階にいたはずの彼女。上司をクッションにして着地を決め、そのまま黒服と女王の間へ突っ込んでいく。

「三階から飛び降りてきたのか……この吹き抜けを?!」

二階以上は広間の上が吹き抜け構造になっているが、二階からでも飛び降りれば怪我をしそうなくらい高い。そこを飛び降りるという発想はたとえあっても、リスク故に実行しようとはしなかった。少なくとも、トーリスやルイゼンは。

しかし彼女ならやりかねない。きっと近衛兵の悲鳴が耳に届いた瞬間から、一刻も早くその場所へ辿り着くことしか考えなかったのだ。

イリス・インフェリアでなければ、この行動には至らない。

 

――あなたが私を守ってくれようとするのを止めはしないけれど、私も一人でできるだけ頑張るつもりよ。ちょっとは王宮近衛兵長として、そして元軍人として、強いところ見せないとね。

オリビアはそう宣言していた。そしてその通りに、一人で戦ったのだ。誰にも居場所を教えなかったから、応援に駆けつけてくれる者はいない。侵入者の多くを上へ誘導させるよう近衛兵らに指示を出しておいて、自らは地下に身を潜めた。王には隠し部屋にいてもらったが、オリビアはただそこにいるだけで、隠れようとはしなかった。

案の定、軍や近衛兵たちの誘導に引っかからなかった者が地下へ辿り着く。戦いながら、一階まで移動してきた。相手が王を捜すようなことをせず、オリビアだけを狙ってくるのはわかっていた。王はどうせ生かして王宮へ帰すのだから、誘拐するにしても後回しにするだろう。地下へ来た人数がたったの三人だったので、予想は確信になった。

一階の人目につく場所まで倒れずにいられさえすれば、あとは近衛兵と軍がなんとかしてくれる。王は守り切れる。それだけを考えて棍を振るい、攻撃に耐えた。

オリビアの目の前に少女の黒髪が広がった瞬間、耐えきったと、結実したのだと、心の底から安堵した。

「遅くなりました、オリビアさん。すぐに引いて、手当てを受けてください」

「全然遅くなんかないわ。……ありがとう、イリスちゃん」

あとはこの頼もしい子が、引き受けてくれる。

イリスとオリビアが会話をしたのは、ほんの一瞬。相手の目の前に飛び込んだそのとき、イリスはすでに一太刀を浴びせていた。黒服は思っていたよりも丈夫で、傷をつけるには至らない。だがイリスに焦りはなかった。ずっと発動したままの眼の力が、この相手にも有効だということを表情から覚ることができた。

三階での戦いで、イリスは眼の力が想像以上に増幅していることを実感し、若干の恐怖を覚えていた。これは自分に扱いきれるものなのか、もう一度制御することは可能なのかと。我がことながら、まるで化け物でも飼っているかのような気持ちだった。

しかし階下からの悲鳴を聞いて我に返った。今は悩んでいる場合ではない。オリビアを、彼女に危害を加えようとする者から守ると決めたのだ。眼なんかあとでどうにでもなる。どうにでもする。どうせ化け物なら、事が済むまで大暴れしてやろう。――そうだ、まだ終わってはいない。王宮を守り切れたって、まだこの件は続く。

全てを守り抜くのが、イリスの役目だ。

正面の一人が倒れると同時に、もう一人がよろけ、残る一人も後退した。片方はルイゼンが背後から斬りつけ、もう片方はメイベルが狙撃したらしい。イリスは斬りつけられたほうを渾身の力で蹴り、仰向けに倒して馬乗りになった。

「あんたたちは後悔しなさい。オリビアさんに手をかけたこと、心の底から反省しなさい」

黒服はイリスから目を逸らそうとしたようだったが、遅すぎた。最大出力を保ったままの眼に一瞬でも捉えられたら、逃れられない。気絶したのを確かめ、イリスは残る一人に向かっていった。すでにメイベルが足を撃ち抜き、さらに目を離した隙にフィネーロに鎖で捕らえられていた、哀れな最後の一人。

「貴様……何者だ……。王宮近衛兵に、こんな化け物が……いるとは、聞いていない……!」

「そりゃあ、近衛兵じゃないからね」

イリスの一睨みで、彼も意識を失った。

 

 

王宮襲撃実行犯は六十六名。王は無傷だが、女王は軽傷を負った。王宮近衛兵は一部が負傷、一部が謎の体調不良で治療を受けることになった。

王宮への損害は小さくはなかったが、修復にさほど時間はかからないと女王が発表した。近衛兵に軍が加わっていたこと以外は、報道機関がこぞって国中、そして他国へも報せた。新聞には「王宮襲撃事件」「近衛兵による防衛成功」の文字が踊り、しばらくは話題になりそうだ。

当然ウィスタリアの人々の耳にも入り、王宮には見舞いの電話や手紙がきたという。

こういったことをイリスが知ったのは、事件の二日後だった。王宮で最後の侵入者を気絶させたあと、自分も倒れてしまったのだ。

「復帰が遅くなってごめんね、レヴィ兄。わたしが寝てるあいだ、何もなかった?」

大総統執務室にやってきたイリスを、レヴィアンスは眉を顰めて迎えた。

「なんだよ、まだへろへろじゃん。眼を使いすぎたから頭痛とか酷いんじゃないの。もう少し寝てろよ」

「ちょっと頭痛いくらい平気だよ」

「寝てたほうが良いと思うけどね。王宮襲撃の件、軍には苦情が殺到してるし。表向きには動いてないことになってるから仕方ないし、もとからそのつもりだったけどさ。あとイリス個人にもマー坊から怒りの声が」

「マー坊? ……ああ、トーリス大佐ね。さっき本人に謝ってきたよ。入院費用はわたしがもつって言ったら断られたけど。そんなことよりあんな無茶は二度とするなって」

三階から飛び降りてきたイリスに踏まれたトーリスは、しばらくの入院を余儀なくされた。不幸中の幸いで、イリスの全体重を受け止めたわけではなかったが、高いところから落ちてきたものに当たればもちろん怪我を負う。普通の人なら死んでもおかしくないんですからね、と病院でクリスにも叱られた。

「普通の人は三階から飛び降りようなんて思わないしね。マー坊の体もだけど、イリスの足もどうなってんだよ。そっちのほうが眼よりよっぽど化け物じみてると思う」

「そう言われてみればそうかも。わたしってすごいんだね」

「褒めないぞ、オレは」

呆れ果てたレヴィアンスを見るのも久しぶりだ。イリスは苦笑しながらお茶を淹れに行こうとして、その前にちょっとだけ振り向いた。

「レヴィ兄、ごめんね」

「まだオレに謝るようなことしてんの?」

「心配したでしょ。あと、忙しくさせちゃってること」

「それはオレの仕事だからいいんだよ。それより頭痛治せ。どうしてもオレの傍にいたいってんなら、医務室から強めの薬もらってこい」

これはよほど心配させたな。素直に返事をして、あとで薬をもらってくることにした。

もう休むわけにはいかない。王宮襲撃のあとは、過激派はいよいよ大総統暗殺にかかるだろう。少しもレヴィアンスから目を離すわけにはいかないのだ。

「イリス、オリビアさんも心配してたよ。何かあったらいつでも連絡くれって。それから、守ってくれてありがとうってさ。あの女王様をたらしこむなんて、お前も相当だね」

「……そっか」

目指すのは最善の未来。次を乗り切れば、守り抜けば、手にすることができると信じたい。