美しいでしょう。血にはない赤い輝きは、きっとあなたを虜に――ああ、もうなっていますね。その恍惚とした表情が見たかった。

魔眼、の由来ですか? 人を狂わせる悪魔の眼、そう、かつて発禁になった物語ですね、それが元だといいますよ。物語は、たしか差別に繋がるからといって、本になったものはすべて回収されたのでしたね。三十年ほど前でしたか。

でも、魔眼はたしかに存在するんです。その眼を見ただけで狂ってしまう。多くの場合は嫌悪感です。身体にも影響が出ることがあります。平気な人もいますが、本物の魔眼は、大抵の人間には害となります。

ですがその眼も使いようですよ。サーリシェリア鉱石と同じです。力や物質は使う人間によってその役割を変化させる。

あなたは、この魔力を使いこなす自信がありますか? どういうことかって、それは……そうですね、サーリシェリア鉱石の取り扱いもそうなのですが。あなたにお願いしたいのは、魔眼についてです。符丁としての「魔眼」ではなく、本物の。

私どもは、魔眼の生成を目指しています。あなたもご存知でしょう。こちらで大きく発展した、細胞複製技術を利用します。そのためにはサンプルが必要だ。

現在、その存在が確認されている魔眼の持ち主がいます。強力で、生かすにも殺すにも申し分ない。私どもは生かす方向で進めたいのですが、持ち主からの許可はおそらく得られないでしょう。残念ですが。

そこであなたにお願いがあります。魔眼のサンプルを、持ち主からいただいてきてください。実物が欲しい。片目くらいなら、抉りだしても問題ないでしょう。

そして得た魔眼の完全複製に成功したあかつきには、あなたに魔眼を使ってもらいます。すなわち、移植です。そうしてあなたは、この世界でもっとも強く美しいものになれます。この宝石のように。

どうです。一枚噛んでみる気は、ありませんか?

 

 

「カリンちゃんは違う。接触したといっても一瞬のことだし、何か吹き込まれたようなことも言ってなかった。だからもし裏と深い関わりを持った人間がいるとしたら、カリンちゃん以外だと思う」

大総統執務室で書類の整理をしながら、イリスは今朝のことをレヴィアンスに報告した。そもそも、カリンが裏とつながりを持っているのであれば、自分から話をすることはないだろう。

「彼女は最も可能性の低い人物だったから、まあそうだろうなとは。売人と二人きりになった時間がある、という報告しか受けていないんだよね、オレも」

「しかしカリンさんの場合、西方司令部の誰かがカモフラージュのために彼女を推薦したという可能性のほうが高いんです。西方の調査は、向こうで閣下が信頼のおける人々が進めてくれています」

レヴィアンスは頷き、ガードナーは詳細を補足する。西方司令部は、以前にいざこざのあった西国に一番近い。潜入されていることも視野に入れているという。

人を疑い続けるのは、イリスにとって大きなストレスだ。そもそもイリスを守るために人を集めたというのなら、できれば早々に、全員の容疑を晴らしてしまいたい。残りは四人。まだ十分に話もできていない人物もいる。他班の人間となれば、接する機会は限られる。不自然に近づけば警戒されるだろう。

「カリンがその話をしているあいだ、シリュウも近くにいたんだよね。あいつの様子はどうだった」

「話を聞いてるのか聞いてないのか、よくわからなかったなあ。ずっと無表情だからね、あの子」

「だよな。ここに来たときも、緊張してるのはわかったけど、表情は少しも変わらなかった。東方での評価も、冷静で物事に対して動じない、至って真面目な人物だそうだし。准尉になったばかりとは思えないほど落ち着いているとは、オレも思ったよ」

「十六歳、ですか。イリスさんが十六歳のときとは、勝手が違いますね」

「はいはい、どうせ十六歳当時のわたしはやんちゃしてましたよ。……あ、でも」

ふと、思い出した。練兵場を案内したとき、剣技の訓練ができることを確認し、イリスを強いと言ったあのときのこと。彼の言葉から感じた、真っ直ぐに切っ先を突きつけられたような、ひやりとした感覚。

「剣技に関しては、たぶん自信とか誇りとか……そういうのがあるんだと思う。あの子、わたしを超えるべき相手として見てた」

本当にそれだけだろうか、とはイリス自身も思った。超えるべき相手、ではなく、仕留めるべき相手なのではないかと。それくらい彼の視線は鋭く、こちらを射貫いていたのだ。ただ、殺気とは違うようだったから、シリュウもシロではないかと考えている。彼は純粋に強さを求めているのだろう。

「あとの人は、まだよくわからない。ディセンヴルスタ大佐は、ゼンは付き合いにくいって言ってるけど、仕事はちゃんと手際よく進めてるみたいだし。昨日引継ぎしただけでもう室長らしくできてるんだから、やっぱりすごい人なんじゃないかな、とは思ってる」

「うん、あいつは超優秀だよ。ていうか、今の北方司令部って優秀な人材を集めて育てるのがうまいんだよね。その分癖も強いけどさ。フィネーロの兄さんのアルトだって、元は北方司令部の人間だ」

すんなりと認めるレヴィアンスだが、その隣ではガードナーが少し苦い顔をしている。他の人が褒められて嫉妬をするような人ではないので、イリスはちょっと首を傾げた。

北方司令部の人材が優秀なのは、過去にあった裏や条項違反貴族との癒着の解消に努めるべく、内部をきれいに入れ替えたためでもある。上の立場にいたアルト・リッツェはそれ以上に跡を濁すことなく、責任をとって軍を辞した。反省をもとにつくりあげられた現体制と人員は、中央よりも厳しく現場を律しているともいわれる。

その中で育ってきたネイジュ・ディセンヴルスタが、優秀でないはずがなかった。

「でもまあ、ルイゼンとは合わないだろうなとは、オレも思ってたよ。完璧が過ぎるし、理想も高い。でもルイゼンは、ちょうどいいところを模索しながら少しずつ全体を高めていきたいタイプだよね。そのうち真っ向から対立しそう」

「なのに大佐を室長にしたの? 相変わらずレヴィ兄の人事ってわけわかんないんだから」

大総統になったときからそうだよ、とイリスが口をとがらせると、レヴィアンスは、にい、と笑う。

「ネイジュには功績至上主義がいいことばかりじゃないってことを知ってもらいたいし、ルイゼンにはちょっとは仕事で成果を上げることを意識してもらいたいんだよ。足してちょうどいいと思ったから、ネイジュが室長、ルイゼンが副室長ってかたちにした。他の大佐階級は、考え方がどちらかといえばネイジュに近いんだよね。そのわりにルイゼンが室長だったときには頼る、というか仕事を押し付けてたから、彼らにはちょっと考え直してほしい」

事務室の様子はほとんど見ていないはずなのに言い切った。でも、実際その通りだ。上司からは重い仕事を与えられ、後輩からは頼られるルイゼンの立場は、とてもイリスには真似できないほどの忙しさだった。手伝いたくてもその隙がなく、結局最後までルイゼンはほとんど一人で繋ぎの室長をやりきった。少しだけフィネーロが補佐に入ったものの、尉官であるメイベルとイリスには「自分の仕事があるだろ」といって触らせなかった。

しかしそれは室長になったからには責任を果たさなければならず、またイリスたちには本当にそれぞれの仕事があったからであって、彼は功績や実績といったことなどはまるで考えていないのだ。

「ディセンヴルスタ大佐は、功績とかにこだわってるの? あんまりそうは見えなかったけど」

「こだわったから中央行きを望んだんだよ。表向きはね。本当は何を考えているのかまでは、オレにはわからない」

これからそれも見えてくるだろうか。まだまだ謎の多い人だ。

「じゃあさ、ジンミは? わたしと同じ階級の、ジンミ・チャン。まだまともに話してないんだけど」

こちらは別班に所属した女性中尉だ。肩の上で切りそろえたコーヒー色の髪と、切れ長の黒い目。異国の雰囲気を漂わせる美貌は、さっそく中央司令部の話題になっているらしい。たしかにすごい美人だよね、とイリスが呟くと、レヴィアンスとガードナーも正直に頷いた。

「映画とかの謎の女スパイってあんな感じだよね」

「閣下、その先入観はあまり適切ではないかと。しかし、彼女が東方で囮捜査を専門にしていたというのは事実です。尉官で、それも十七歳という若さでというのは、あまり例がありません」

年齢が一つ下だったことをたった今知って、イリスは溜息を吐いた。あんまり大人っぽい、言ってしまえば色っぽいので、年上かと思っていた。それに。

「着けてるピアス、今日のも本物の宝石だった。昨日の赤いのは、きっと渦中のサーリシェレッド。今日は青かったけど、あれ、ノーザリアの指定鉱石だよね。北極星って呼ばれてる……」

「目が良いお前が言うんだから、そうなんだろう。そっか、あれだけじゃなかったか。さすが、堂々としたもんだ」

まさか裏から流れたものではないだろう。だが、普通なら若者がそう簡単に手に入れられるようなものでもない。一応は名家の娘であるイリスでさえ、アクセサリーとして持っているのは一つきりだ。

「ジンミは宝石商の子。東方での功績は、囮のほかに目利き。不正取引された品物を見極められる。もちろん現場に出て、裏の人間と直接会うことも多かった」

「本人が重要かつ貴重な人材じゃん」

中央に引き抜かれたら、東方司令部は困るのではないか。イリスの懸念を見抜くように、レヴィアンスは苦笑した。

「東方司令部長とチャン家を説得するのに、クレリアには随分苦労かけたよ。あとでどうやって埋め合わせたらいいと思う?」

「しっかり休み取らせてあげたほうがいいよ……」

ジンミも高い能力と身分がある。家に傷がつくようなことは避けそうなものだ。

「あとはミルコレス・ロスタ少佐か。たぶんこの人は、フィンのほうが近いよね。情報処理室に挨拶しに行ってたし、今日もそっちで仕事みたい」

強い癖のある赤い髪と、健康そうな褐色の肌が特徴の彼は、フィネーロと同階級で仕事も同じだ。目が合うと愛嬌のある笑顔を向けてくれたので、今のところイリスの印象は良い方だった。

「うん、オレがそう指示したからね。南方の情報処理と特別任務の担当だったんだ」

特別任務、というあいまいな表現を復唱する。ガードナーがすぐに補足してくれた。

「『指定品目の違法輸出入』の対策です。専門の班が南方にありまして、ロスタ少佐はその一員でした。サーリシェリアからの持ち込みが最も多かった時期に結成されたのですが、仕事の内容はそのときからほとんど変わっていませんね。他の地方での事件にも何度か派遣されています」

「こっちもスペシャリストかあ……。優秀な人ばっかり入れちゃって、わたしが埋もれたらどうしてくれるのよ、レヴィ兄」

「埋もれてもいいけど、食われるなよ。イリスも違法輸出入案件について勉強してくれるとありがたい。サーリシェレッドについてはアーシェも詳しい。あとはその価値をよくわかっていて盗んだことがあるやつ、とか」

たしかに知識が足りないままではいけないだろうとは思っていた。隙を見て事件記録を調べたり、アーシェのいる国立博物館にあたってみることも考えのうちに入っていた。けれども、最後のはなんだ。レヴィアンスに怪訝な表情を向けると、にやりと笑い返された。

「利用されっぱなしは癪じゃない?」

「わたしは別に。でも、確かに何か知ってそうではある。でもって、きっとわたしが行かなきゃ話してくれないことも予想がつくよ」

サーリシェレッドの別名を考えれば、いつかは行きつく心当たりでもあった。彼はイリスの眼を、最初にその名で表現した人物だ。

会うことを考えると、複雑な気持ちになるけれど。

 

事務室での仕事はネイジュが一人で取りまとめようとしていて、実際彼はそれができる人物だ。それはルイゼンも認めるところであったが。

「大佐、俺もやりましょうか」

「いや、遠慮するよ。リーゼッタ中佐は自分の班のことに集中してくれてかまわない。私は余計な手出しをされるのが好きではないんだ」

この態度はやはり簡単には受け入れられるものではなかった。「失礼しました」と笑顔で返しつつ、ルイゼンは内心でイライラしている。こんなとき、トーリスならばすぐに仕事を分けてくれ、より高いレベルの知識や技能を伝授してくれただろう。思えばあの人は部下を育てるのがうまかった。

溜息を吐くのを我慢しながら自分の机に戻ろうとしたところで、街の巡回に行っていた者たちが帰ってきた。ついジンミに目がいく。正確には、彼女の耳に青く光る宝石に。

――ありゃあ、相当なお嬢だな。イリスとは別の意味で。

半ば呆れていたのだが、彼女と目が合ってどきりとした。慌てて目を逸らそうとすると、彼女は口の端を持ち上げて妖艶に笑った。それからネイジュに、巡回の報告に向かう。何事もなかったように。

「大佐、レジーナは賑やかですね。喧嘩騒ぎを一つ止めてきました」

「ご苦労。中央は人が多いしちょっとした事件もよく起こるようだ。全部報告していたらきりがない」

報告を受けたネイジュは鼻で嗤う。するとジンミが微笑んだまま「いやですわ、はしたない」と言い放った。会って間もないはずの上司に随分な言いようだが、異論はない。

「報告書は規定通りに提出いたします」

「内容のない報告書など、作っても意味がない。だが規則を守るためというなら、提出はリーゼッタ中佐に頼むよ。彼は副室長として仕事が欲しいようだ」

近場にあった椅子を蹴り倒しそうになった足を、ぐっとこらえる。ここで怒りをあらわにしては、相手の思うつぼだ。

「そうですか。では、後ほどお渡してもよろしい? 中佐」

「ああ、受けとるよ。最近は何が重要になるかわからないし、喧嘩のこともちょっと詳しく書いておいてほしい」

「わかりました」

ジンミはジンミで、苦手なタイプの、というよりこれまでに周りにいなかったために接し方がわからない女性だ。上目遣いは媚びず、むしろ挑戦的。軍服の上からでもわかる体の線は美しく、同年代であるはずのイリスやメイベルよりずっと色っぽい。周りが注目してしまうのもわかる……が、ルイゼンの好みではない。こんなこと、絶対に口にできないけれど。

少し遅れて、もう一人の美人が事務室に戻ってきた。だがこちらは見た目よりも性格のインパクトが大きすぎて、おまけに本人が男性嫌いということもあり、めったに話題にのぼることはない。

「おいルイゼン、私はもう下級兵指導はごめんだ。奴ら、ちっとも私の命令を聞きやしない」

「メイベルの言い方が悪いんじゃないか。あと求めるレベルが高すぎるとか。ちゃんと見てやれよ」

残念な美人メイベルは、しかしそんなことは全く気にせずに舌打ちをして自分の席に戻る。いつものように訓練報告を書いて提出するつもりなのだが、その肩にぽんと手が置かれた。

「ブロッケン大尉、訓練の報告書はよほどのことがない限りは作成しなくてよろしい。無駄は積極的に省いて、効率のいい仕事をしよう」

笑顔を浮かべるネイジュの提案は、メイベルには都合のいい話だと思われるかもしれない。だが、彼女にはよく知りもしない男に気安く触れられることそのものが嫌悪の対象だった。ネイジュの手を振り払うと、彼を思い切り睨む。

「……なぜ、そのような態度を?」

「そっちこそどういうつもりだ。仮にも大佐様、室長様が、これまでの慣例を無駄だと? まあ、たしかに私も無駄なことだと思ってきたさ。だがな、何がどう役立つかわからないのが中央司令部の現状だ。部下とのスキンシップをはかるよりも、ちょっとは勉強してきたらどうだ、大佐様」

もっともらしいことを言ってはいるが、ルイゼンには「気安く触るな、気持ち悪い」と聞こえた。フォローをしようと二人に近寄ろうとしたとき、ぱん、と音が響いた。

誰もが目をむいた。そんなこと、今まで誰もしなかったし、しようなんて考えたことがない。突然頬を平手で打たれたメイベルも呆然としていた。

「君は少し、上司への態度を改めたほうが良い、ブロッケン大尉。君がそんなことでは、妹である准尉にまで影響が出てしまう」

ネイジュの瞳は冷たくメイベルを見下ろしている。我に返ったルイゼンは、メイベルの前に立ち、ネイジュに迫った。

「今のはあんまりです、大佐。叩く必要がありましたか」

「リーゼッタ中佐、君は優しすぎたんだよ。躾のなっていない者には、ちゃんとわからせてやらないとだめだろう。……それとも女性に手をあげることは許さないという、フェミニストなのかな、君は」

否定しようとルイゼンが口を開いたが、声を出す前に腕を掴まれた。手を伸ばしたメイベルが、もう片方の手で髪を耳にかけ直しながら、息を吐く。

「ああ、その通り。うちの班長は女はおろか、男にすらまともに手をあげられないんだ。室長様と違って、可能な限り暴力に訴えないのがルイゼン・リーゼッタという人間だ。ルイゼン、こいつはお前にとっていいお手本になるぞ」

赤くなった頬を押さえようともしないメイベルに、ネイジュが眉を顰めた。反省していないことは歴然だった。ルイゼンは一瞬戸惑ったあと、やっと喉を震わせた。

「メイベル、医務室で手当てを」

「いらん、そんなもの。これくらい昔は日に何十回と浴びせられた。……私が叩かれるのはかまわん。態度を改めるつもりもない」

「ブロッケン大尉、慎め」

「生憎と慎みなんてものは大昔に捨てた。新人室長様も、どうか中央の癖のある人間に慣れてくれ。こちらも物を知らない室長様に慣れる努力をしようじゃないか」

ふ、と息を漏らしたのは、おそらく笑ったのだとルイゼンにもわかった。自分の机に向き直ったメイベルは、何事もなかったように報告書の作成を始める。ネイジュも諦めたように大きく溜息を吐くと、室長の椅子に座った。

この空気をなんとかする、というのはきっと無理なことだろう。メイベルが他人と相容れるということはまずほとんどの場合で見込めない。かといって上司であるネイジュが譲歩するわけがない。ルイゼンにできることは、慣れること、そして騒ぎを最小限に止めることだった。

 

情報処理室のフィネーロの隣の席には、よく誰かがいる。大抵は愚痴や相談を持ち込んだリーゼッタ班の人間なのだが、昨日から勝手が違ってきた。今隣でにこにこ笑いながら、勝手にフィネーロ愛用の鎖鎌を弄っているのは、ミルコレス・ロスタ少佐だ。

「はー……。本物のサーリシェレッドっていうのは、なんてきれいなんだろう。レジーナには正しく認定された職人がいて羨ましいよ。スティーナ翁には残念ながらとうとう会えずじまいだったけれど、ちゃんとその跡継ぎがいる。しかも師に匹敵する腕前だ」

恍惚とした表情で装飾を眺める、いや、愛でる彼に、フィネーロは先ほどから鳥肌が立っていた。自分もスティーナ鍛冶の仕事の証である紅玉の装飾は気に入っているが、ここまでではない。

「ねえねえ、リッツェ君。情報担当の君がどうしてこんな立派な武器を持つことになったんだい?」

「閣下をお守りするのに必要だったからです。僕は非力なので、せめて相手の意表を突くような技が使えたらと思いまして。……そろそろ返していただけませんか」

「俺も中央に来たからには、スティーナ鍛冶で何か作ってほしいな。いつまでも軍支給の短剣じゃダサいよ。柄にサーリシェレッドを上品にあしらった、芸術品みたいな短剣……ああ、それじゃ使うのがもったいない」

一向に返してくれそうになかったので、フィネーロは一旦手を止め、ミルコレスの手から鎖鎌を奪い取った。相手のほうが年上だが、話を聞いてくれない場合は強硬手段もやむをえない。返してもらった武器を机の下に隠すようにしまうと、ミルコレスは「ごめんごめん」と笑った。

「サーリシェレッドがきれいだからさ、仕方ないよ。サーリシェリアとエルニーニャの友好の証である“赤い杯”も、サーリシェレッドをカットして作られたものなんだよね。あれを完成させるには相当大きな原石と高度な技術が必要だ。人々を魅了する魔性の宝石に手を加える……はー、なんだかエロチックだと思わないかい?」

「思いませんが」

変態なんですか、という言葉を呑み込み、フィネーロは仕事に戻る。だが、その集中はすぐに乱された。

「赤い輝きはまさに『魔眼』と呼ぶにふさわしい。見たものを狂わせてしまう」

その言葉を知っている。まさにこの紅玉のような瞳を持つ少女がいる。彼女の眼もまた「魔眼」と呼ばれた。仕事の続きをできないでいると、ミルコレスは話を聞いてくれると思ったのか、機嫌良く続けた。

「赤眼の悪魔って物語を知っているかい? 赤い眼をした魔物が、人々の心を虜にして狂わせてしまい、最後には目が覚めた人々によって倒されてしまう話だ。赤い眼を持つ人々からは、差別を助長する、なんて言われていて、三十年ほど前に本になったものはほとんどが発禁となってしまった。けれどもサーリシェレッドの美しさを表す言葉として、『魔眼』は残ったんだ。表立っては言われない。この言葉を使うのは裏の人間と、俺たちのような特別な仕事をする軍人くらいだね」

特別な仕事、と心の中で繰り返す。ミルコレスのいた南方司令部には指定品目の違法輸出入案件を専門にする、特殊な部署があったはずだ。とすると、彼がまさしくそうだったのか。サーリシェリア鉱石は違法輸入されるものの代表といわれるから、それはさぞ楽しい仕事だっただろう。

「よく扱うんですか、サーリシェレッドは」

「うん。サーリシェレッドも、ノーザンブルーも、フォレスティリアやウィスティエロウだって見てきた。リッツェ君は全部知ってるよね」

「はい。ノーザリアのノーザンブルーは北極星ともいわれますね。フォレスティリアはイリアおよびその周辺の地層から出る美しい緑の宝石、ウィスティエロウはウィスタリアの火山地帯で、一定の条件の元でしか生成されない貴重な黄味の強い宝石でしょう。どれも輸出入が厳しく制限された、指定品目の宝石です」

「さっすがー。文武両道のエリート、リッツェ家の人だけあるね」

家のことを知られているのは想定内だ。ミルコレスも南方で情報担当として働いてきたのだし、そもそもリッツェ家がそれなりに有名になっている。どうも、と返して、冷静に尋ねる。

「それだけ多くの宝石に携わっていて、何故サーリシェレッドには特別な執着を? 僕の気のせいならそれはそれでかまわないのですが」

「サーリシェレッドはさ、他の宝石が星や草木なんかにたとえられたりするのに、これだけは『眼』なんだよ。動物の体の一部なんだ。広い意味でいえば自然物かもしれないけれど、一般的な自然とは一線を画す。それが俺にとってはロマンなんだな。わかる?」

「わかりません」

口ではそう答えたフィネーロだが、ミルコレスの感じているものはなんとなく理解できた。動物と彼は表現したが、つまるところ、それは「人」なのだ。人体の一部――思い出すのは、裏の人身売買組織の所業だ。フィネーロは現場を見ていないが、ルイゼンの話と資料から、至る所に人体の一部が生々しく置かれた光景を想像することはできていた。

「ロスタ少佐が興味を持っているのは、宝石だけですか」

「んー……一番惹かれるのは宝石だね。どうして?」

「いいえ、なんとなく」

この人の「ロマン」は、どことなく危なっかしい。あまりイリスを近づけたい人間ではないなと、フィネーロは心の中で呟いた。

 

イリスが事務室に戻る頃には、班に任された事務仕事のほとんどは順調に片付いていた。だが、室内に漂うどこかよそよそしい空気から、何かあったのだと想像することは十分にできた。嫌な予感は、メイベルの顔を見て確信に変わる。

「ちょっと、どうしたの。頬腫れてるよ」

「わかるほど腫れてるのか。鏡を見ていないからわからなかった。だが大したことはない」

何でもないように、けれども何かあったことを否定しないメイベルに唖然としていると、ルイゼンが近寄ってきて合図をした。外に出ろ、という指示に従うと、こちらを睨むいくつもの視線を感じた。複数あることがすでに異常だ。

「大佐に叩かれたんだ。メイベルは普段通りだった……のがいけなかったんだけど」

事務室を出て聞かされた事情に、イリスは頭を抱えた。ネイジュは優秀だと聞いていたのに、まさかこんなことになろうとは。だが、きっと「優秀」の定義が、こちらとは違ったのだろう。ネイジュは彼のやり方で仕事を効率化しようと試みていた。メイベルはそれに対して、常日頃と同じく「無礼に」振る舞った。たとえばトーリスなら半ば諦めつつ軽く叱って終わりにしただろう。けれどもネイジュは、彼女の態度を罰するべきものとして捉えたのだ。

「メイベル本人は反省の色も見せないけどな」

「まあ……叩かれたくらいでベルが変わるとは、わたしも思わないけど。それにしても、その場にカリンちゃんがいなくて良かった」

「タイミングよく資料室に向かわせてたんだ。戻ってきてすぐ、メイベルの顔には気づいたけど。心配はしてたが、詳細は知らない」

メイベルが本当のことを話すわけがない。ネイジュだって誰だって、説明の手間を省くだろう。男性の暴力に敏感なカリンに、わざわざ聞かせるような内容ではない。

「ごめんな。俺がしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのに」

「ゼンはしっかりしてるよ。だって、止めようとしてくれたんでしょう」

「今はとっさに大佐を殴り返すくらいすれば良かったと思ってる」

「何言ってんの、立派な中佐が。ぶち切れたあんたを見るのは、わたしだけで十分。とりあえず、みんなでお昼食べに行こうよ。レヴィ兄に使われまくって、お腹ペコペコなんだ」

昼を挟めば気持ちが切り替わるかもしれない。イリスが笑ってみせると、ルイゼンもなんとか笑みを浮かべた。事務仕事の進捗がいいために、すぐにでも食堂に向かえるのは、ありがたいことだ。

再び事務室に入ると、ちょうどネイジュも席を離れようとしていたところだった。イリスと目が合うと微笑み、こちらへ向かってきた。

「インフェリア中尉、閣下の仕事を手伝っているのだろう。まだ尉官なのに、大変だね」

「わたしができることをやらせてもらっているだけです」

「そうかい? でも尉官にできることなんて、ごく限られているんじゃないか。閣下の人事は、私には理解不能だ」

言葉だけなら同意する。初めから言われてきたことだ、今更反論などない。だが、そう思っている者が他人の揚げ足取りに夢中になり、逆に自らの足元を掬われているのだって何度も見てきた。ネイジュはどうだろうか。

事務室を出ていく彼を見送ってから、イリスはメイベルに駆け寄った。

「ね、ベル。今からでも医務室行って、手当てした方がいいよ。わたしも一緒に行くからさ。ゼンは班のみんなを集めて、食堂に行ってて」

「手当なんかもう遅い。それに平気だと言っているだろう」

「じゃあベルがわたしについてきてよ。ユロウさんに確認したいことあって、医務室に行くから」

「……それなら行ってやらないこともない」

返事を引き出してからカリンに目配せをすると、ホッとした表情で小さくお辞儀をしていた。やはりずっと姉のことが心配だったのだ。そしてメイベルも、そんな妹の気持ちを無碍にできなかったから、イリスの言葉に折れたのだ。普段なら意地でも医務室には行かない。

実際、イリスが医務室に用があることは本当だ。新入りのカルテがあるはずなので、それを確認しておきたかった。メイベルの手当ての間に、軍医から話を聞けるだろう。

「ベルは、異動で新しく入ってきた人たちにどんな印象を持ってる? カリンちゃん以外で」

廊下を並んで歩きながら、イリスはメイベルに尋ねた。無表情で答えが返ってくる。

「どいつもこいつも気に食わん。見どころがあるのはシリュウくらいだ」

「シリュウは認めちゃうよね。あとはどのあたりが気に食わないの?」

「室長大佐様は存在自体。情報処理室に行った奴はよく知らないが、軟派な雰囲気が気色悪い。それからジンミ・チャンだったか、あの女はルイゼンに色目を使っていたぞ」

「まさか。ゼンだって引っかからないでしょ」

それに色目を使う理由も見当たらない。彼女なら、立っているだけでたくさんの人が惹かれる。たしかにルイゼンは見向きもしなかった、とメイベルが相槌を打つので、ちょっとだけ苦笑した。

それにしても、ネイジュとメイベルは当分穏やかに仕事ができそうにない。これはレヴィアンスに報告するべきか、と迷っているうちに医務室に到着した。

軍医はメイベルの顔を見るなり「兄さんじゃないんだから」と言いながら手当てにかかった。なすがままになるメイベルは、けれども「兄君と一緒にされるなら光栄ですね」と返答していた。

「ユロウさん、昨日異動してきた五人分のカルテってある?」

棚を眺めながらイリスが訊くと、軍医ユロウは小さな冷蔵庫をあさりながら「あるよ」と言った。

「昨日のうちに目は通したけど、イリスちゃんが気にするような病歴や怪我の記録はなかったな。特にディセンヴルスタ大佐は超健康。羨ましいくらいだったよ」

「やはり図太いんですね、あの室長大佐野郎様。足でも捻ればいいのに」

「さっそくそんなに恨んでるの? さてはこの頬も、大佐にやられた?」

メイベルは黙っていたが、ユロウは鋭い。現場に居合わせていないのはもちろん、本人にも会っていないだろうに、原因を特定してみせた。

「しいてあげるなら、イドマル准尉が入隊当初は発育不良気味だったみたいだね。カリン准尉は僕から言わなくても君たちの方が知ってるだろう」

「シリュウが発育不良……。施設にいたって聞いたし、今は普通の十六歳男子に見えるけど」

「軍に入ってから鍛えられたんじゃないかな。メイベルちゃん、冷却シート貼っておいたから、剥がさないでおとなしくしててね」

あとは問題ないのだろう。イリスは頷きながら、得られた情報を頭の中に入れておいた。

「ありがとうございます。ユロウさんから見て、他に気になる点は?」

「特には。ロスタ少佐が銀歯入れてるから、歯は大事にしてほしいなって思ったくらい」

見た目にはわからないが、差し歯や銀歯などはわりとよくあることだ。歯に関する治療はユロウの専門外なので、病院に行ってもらうために、彼は少し気にしている。

医務室での用を終えて食堂に向かうと、ルイゼンたちは先に食べ始めていた。イリスたちも自分の昼食を持ってきて席に着くと、フィネーロが感心したように息を吐いた。

「本当に医務室で手当てを受けたんだな」

「してくれと頼んだわけじゃない。……ところでイリス、さっきのはなんだ。新入りについて気になることでもあるのか」

あえてその新入りたちの前で、メイベルが尋ねる。カリンが緊張し、シリュウが手を止めた。

「過去に怪我とかしてて、後遺症があったら嫌だなと思ってて。レヴィ兄も肩が弱いから」

「ならば確認はこの二人だけでいいだろう。なぜ五人分のカルテについて訊いた?」

半端な言い逃れは、メイベルには通用しない。たとえルイゼンやフィネーロが聞き流してくれても、彼女はそれをよしとしていない。イリスは周りを見てから、声を潜めた。

「レヴィ兄が色々気にしてるんだよ。詳細は今は省くけど」

「わたしたち、閣下に心配されてるんですか?」

「ちょっとだけね。優秀が故の心配だから、カリンちゃんとシリュウは気にしなくていいよ」

とはいえ、全く気にしないわけにはいかないだろう。カリンは困った顔で首を傾げ、シリュウは無表情のまま視線を俯けた。

そして長く一緒にいる三人は、ちっとも納得していなかった。何も言わずとも表情でわかる。ただ、メイベルはこの場で聞き出すのをやめてくれた。

――お父さんに似てごまかすの下手だからな、わたし……。

早く彼らに話が届く段階にしなければ。そのためにイリスがしなければならないのは、引き続きの情報収集だ。

「わたしは午後からも外に出ちゃうけど、仕事は大丈夫そうだね」

「たぶんな。どこに行く予定だ」

「レヴィ兄のおつかいで、例の警備会社に。あいつとちょっと話さなきゃならない」

あくまで仕事であることを強調したつもりだが、メイベルはあからさまに不機嫌そうになり、ルイゼンも軽く眉を顰める。まだ「彼」が絡むと疑われてしまうのは仕方がない。フィネーロだけが頷き、さぼるなよ、と言った。

「もう後がないんだからな、君は」

「さぼらないよ。今日はあいつの上司も立ち会うから、二人にはならないし。帰りに博物館に寄ってアーシェお姉ちゃんと話して、それから仕事が終わったらお兄ちゃんのところに行くつもり」

「やっぱり大総統補佐って忙しいんですね。イリスさんが事務室にいないと寂しいです」

しゅんとしてしまったカリンに、デザートにと持って来たイチゴを分けてやる。ついでにシリュウにも。しかし彼の表情が変化することはない。

「ごめんね、ちゃんと班の仕事に手がまわればいいんだけど」

「閣下の無茶ぶりは今に始まったことじゃないし、こっちは任せてくれていい。俺も余裕ができたしな」

後輩の前では頼もしく笑うルイゼンに、イリスは心の中で、強がり、と言った。

 

午後の業務が始まる直前、つまりはイリスが司令部を出ようとしたとき、フィネーロに呼び止められた。これから会う人間のことで追加の注意でもあるのかと身構えたが、予想していなかった名前が出てきた。

「ロスタ少佐に単独で近づくなよ」

「え、なんで?」

もとより対象に単独接近することのないよう、レヴィアンスからは言いつかっている。だが、それを知らないはずのフィネーロがどうしてわざわざこんなことを言うのだろう。

「少し話して、変態だと判断した。スティーナ製の武器、というよりその装飾にご執心のようだから、念のため忠告しておく」

「フィンが変態って言うなんて、よほどだね。わかった、気をつけておくよ」

スティーナ鍛冶で作られた武器を持っている者は、中央司令部でも少数だ。非常に高価ということもある。フィネーロとイリスも、それぞれ貯金や給与と相談して、思い切って購入している。その原因の一つが、装飾。サインの代わりにあしらわれるサーリシェレッドだった。

それにロスタ少佐が「変態」と言われるほどこだわっている。やはりサーリシェレッドに近く、手を出しかねない人物なのだ。まさか彼がわかりやすくクロだとは思わないけれど。

「ねえ、フィンの武器に何かされた?」

「気がついたら勝手に弄っているから、正直迷惑だ」

「休み時間だけじゃなくて、情報処理室にいるあいだは、ロッカーに鍵かけて管理しておいたほうがいいかもね。使う前によく点検するとか」

何にしろ、武器を勝手に弄られるのはあまり気持ちの良いものではない。イリスの言葉にフィネーロは頷き、送り出してくれた。

歩きながら得た情報を整理する。頭の中だけではまとめきれないので――こういうとき、兄ならもっと上手くできるのだろう――手帳に少しずつ書きこんでいくが、どれも容疑者たちが「裏と繋がっている」という証明にはならない。当人たちにだって、まだ十分なコンタクトをとっていないのだ。

「こういうアプローチの仕方って、レヴィ兄にしては珍しいし。あ、でも、暗殺未遂事件の前情報はこうやって周りからちょっとずつ集めてたのかな」

イリスとしては本人にがつんと当たりたいところなのだが、そうする前に事務室で衝突が起きてしまった。ネイジュから情報を引き出すのは難しそうだ。中尉で大総統補佐という特殊な立場にあるイリスのことも、好ましくは思っていないだろう。さらにミルコレスは「変態」、ジンミは「色目を使う」ときた。仲間たちもまた、彼らに良い印象を持っていない。

このままでは「何の問題もなかった」場合、先が思いやられる。別班の人間とも、共に動く機会はあるのだから。いや、その前にルイゼンのストレスが心配だ。

「まいったなあ」

「僕に会うのが?」

溜息を吐いたところで、顔を覗き込まれる。イリスが反射的に大きく後退ると、相手は朗らかに笑った。

「相変わらずいい反応だ。悩みはありそうだけど、元気そうで安心したよ」

「あんたねえ……いるならいるって言いなさいよ」

「話を聞きたいって人の職場まで来たのはそっちなのに」

顔を合わせるのは冬以来だ。向こうも変わっていない。ウルフ・ヤンソネンは微笑んだままこちらに手を伸ばしていた。だが。

「今日は仕事。本当に仕事しかしないって決めてるから、あんたには一切触らない」

「エスコートくらいさせてくれても」

「ついていくから大丈夫」

自分が大人になったという自信が持てるまで、恋心は封印する。そう決めたイリスだったが、ウルフはそれを簡単に解いてしまいそうだった。いや、こちらの意志がまだ弱いのだ。絶対に近づきすぎてはいけない。

「君って人は、単純で可愛いね」

しみじみと言いながら、ウルフが先に歩き出す。頭の中から「可愛い」と言う声を追い出しつつ、イリスはその後についていった。

初めて入る警備会社の社屋は、中央司令部よりもかなりすっきりしたつくりだった。応接室に通されて少し待つと、ウルフが上司とともに入ってきた。顔にしわを刻んだ上司は、おそらく父と同年代だろう。互いに挨拶をしてから、早速本題に入ろうとする。

「本日はヤンソネンさんにお話を伺いたいと思っているのですが、彼の経歴についてはご存知ですか」

わざと硬い声をつくったイリスに、ウルフが肩を震わせていた。イリスが睨むまでもなく、上司が彼をつついて言う。

「ほとんど全部知っているつもりですよ。こいつが盗みをやってた時代のことも、入社時に話してもらっていますから。おまけに二か月前の事件がありましたし」

「それはわたしの責任でした。彼に非は……ちょっとしかないです」

「正直だな、インフェリアのお嬢さんは。ああ失礼、今は中尉とお呼びしなければ」

「構いませんよ。父を知っている方にはよくお嬢さんって言われます」

こういう環境でウルフは働いているのか、と確認して、少しだけ遠慮が解けた。

「今日は彼が盗みをやっていた頃に得た知識を拝借したいんです。宝石関係、詳しいよね」

「多少は。何を聞きたい? 真贋の見分け方とか?」

「サーリシェレッドと違法輸出入について知りたい。盗む側としての意見と知識を話してほしい」

すでに社会復帰を果たしている人間を、元犯罪者として扱うのは心苦しい。けれども、ウルフはイリスになら答えるだろう。少し考えるように目を眇め、彼は再び口を開いた。

「……説明するにあたって、君や親族への差別発言があるかもしれないけれど」

「差別の意図はないんでしょ。だったらそのまま言っていい」

「わかった」

サーリシェリア産鉱石サーリシェレッドは、生産国ではそう高く取引されないが、国境を越えるとその価値を跳ね上げる。外国での高値の取引を狙って活動する裏社会の人間が後を絶たない。エルニーニャ王国立博物館にある“赤い杯”も厳重に守られているが、かつてその守りは突破され、奪われたことがある。それを完全な形で取り返したのがウルフだった。

サーリシェレッドが特に狙われやすい理由は二つあると、ウルフは語った。

「一つは価値の差。他の指定品目鉱石に比べ、サーリシェリアとエルニーニャとでのその価値の差は大きい。その原因は誰でも調べられるから割愛するよ」

「わかった、それは自分で調べる。もう一つは?」

「サーリシェレッドそのものの魅力。他にはない赤い輝きに、人々は惹かれた。エルニーニャでその人気をより高めたのが、『赤眼の悪魔』という物語だった」

どきり、と心臓が跳ねる。昔の記憶がよみがえろうとするのを押さえて、イリスは先を促した。

「それってわたしはよく知らないんだけど、どういう話なの?」

「三十年ほど前に、差別を助長するとして発禁になったからね。けれども発表された当時は話題になったんだ。赤い眼をした人物が、次々に人々を惑わせ翻弄していくという内容の戯曲だった」

その眼には魔力が宿っていて、人を虜にして操ることができた。操られた人々は彼の思うままに動き、失敗を成功に変え、身分を高めることすらできた。だが、それらは全て非合法的な行動によるものだった。赤眼の彼によって出世した人々は、その意のままに彼を優遇する。

このままでは国が堕落してしまう、と目を覚ました人々によって、赤眼の彼は最後には、討たれてしまうという物語。戯曲は本で読める物語として出版され、国内に広く知れ渡り、人気を博した。

だが一方で、赤い瞳を持つ人々が差別されることとなる原因ともなったという訴えも出てくるようになった。「赤眼の悪魔」という言葉に苦しめられた人々がいたということで、戯曲の上演は禁止され、本は回収された。しかしその物語は、人々の記憶からいまだに消えてはいないのだった。

「物語そのものにも、差別の意図はなかったはずなんだけど。物語を読み違えて差別に走った者に非があるのは明白だ。ただ、人を惑わす赤い瞳……『魔眼』がサーリシェレッドの符丁となったのは、そういう経緯があってのことだよ」

物語が発禁となったのは三十年前。ということは、イリスと同じ眼を持つ母はすでに生まれている。胸が苦しくなったが、手はペンと手帳をそれぞれ握ったままだ。

人を狂わせるものとして同じ名前を持つことになった、赤い瞳と赤い宝石。宝石は「眼」の名をもって違法に取引されている。そして。

「今は『魔眼』という呼び名に本来の意味が当てられることもある。君がよく知っているように、裏の生体研究者たちは、見ただけで他者に影響を及ぼすような強い力を持った『眼』を欲している。サーリシェレッドの取引をしていると見せかけて、君や、他にいるかもしれない同じような力を持つ人の『眼』を狙っているということも、十分に考えられる」

「やっぱり、ウルフもそう思うんだ」

レヴィアンスが気にしているのはそちらのほうだ。ただ「指定品目の違法輸出入」の取り締まりを強化したり、その調査をするだけならば、今までのように各指令部や専門のチームに任せた方が良い。軍全体の仕事量や能力のバランスをとるために、中央に集中させてはいけないはずなのだ。

だが、あえてそれをしようとしているのは、やはりイリスが狙われていることを懸念しているからだ。いや、わざわざ容疑者を集めて、裏に繋がる道をあぶり出そうとしている。イリスが自分で納得のいくように、関わらせているのだ。

「僕ならサーリシェレッドを狙うふりをして、君の眼を奪いに行く。同じことを考えている人がいるのかな?」

「まだはっきりとはわからない。でも、どっちにしても解決しなきゃいけない問題なら、立ち向かう」

ウルフに詳細は話せない。彼は協力してくれたが、部外者だ。もう巻き込むわけにはいかない。絶対に自分で調べたりしないように、と念押しして、彼からの聞き取りを終えた。

「また聞きたいことができたらおいで。そうじゃなくても、デートのお誘いならいつでも歓迎する」

「ありがとう。でもデートはまだまだ先かな」

軽口を叩きあう二人の脇で、ウルフの上司が咳払いをした。途端に恥ずかしくなって、イリスは慌てて警備会社を辞した。

 

エルニーニャ王国立博物館で、アーシェは待っていた。博物館の主として、そして“赤い杯”の守り手として、サーリシェレッドとその歴史について語ってくれることになっている。

「指定鉱石にはね、それぞれ国の思惑が絡んでいるの。サーリシェレッドには民族意識や大陸全土の宗教が大きく関わっているのよ」

すでにレヴィアンスから話を聞いていた彼女は、すぐに話を始めてくれた。イリスはメモをとりながら、拾った言葉の意味を問う。

「民族意識……ってどういうこと? 宗教って?」

「サーリシェレッドはサーリシェリアでしか採れないということになっているけれど、最初はもっと限定されていたの。古くは純正サーリシェリア人にのみ触れることが許された、特別な品だった。今では純正サーリシェリア人とみなされる人々のほうがかなり減ってしまって、サーリシェレッドは大陸中に流通しているわけだけれど……」

純正サーリシェリア人は、大陸南部の赤紫の髪と青紫の瞳をもつ人々のことだ。この血は遺伝しにくく、他の民族との混血になってしまうと特徴が発現しなくなる。つまり現代に生き残っているこの特徴の持ち主は、先祖代々ずっとサーリシェリア人だけの血を受け継いできた人間なのだ。

身近なところでいうと、先々代大総統ハル・スティーナがそれにあたる。彼の祖父はかつて南の大国から家族を連れて中央にやってきた。こうして移動するサーリシェリア人も増えたことから、純正の人々はもうほとんど見られなくなっている。

「サーリシェレッドは、数が少ないサーリシェリア人たちの、よその人との貴重な交易材料だったの。昔の中央の人々はサーリシェレッドを高く買い取ったり、こちらも貴重な金や青銅、改良した農作物なんかを差し出したりして、互いに利益が得られるようにしていたのだけれど。それは大陸戦争やその後の時代の流れを経て、だんだんと整合性がとれなくなってきたのね」

合わなくなっても変えられなかったのは、サーリシェリア人が少なくなっても民族としてのプライドを高く持っているからであり、またエルニーニャの人々もサーリシェリア人に余計すぎるほどの憐れみを持っているからだ。時代が変わった今でも、緩やかで無意識な差別は残り続けている。

「根付いた差別は、そう簡単にはなくならない……」

「そうね。刷り込まれた認識を変えることは、とても勇気と気力がいることなんだと思う。現に、レヴィ君のお母さんが大総統になったとき、サーリシェリア人だということで反発があったそうよ。けれども立派にその仕事をやり通して、エルニーニャの政治体制だけじゃなく福祉や教育のあり方をも大きく変えたから、多くの人から認められることになった」

人って現金なものよね、とアーシェは困ったように笑った。

「そしてね、サーリシェレッドがそこまでエルニーニャをはじめとする他国や他民族に求められるようになった理由が、宗教にあるの。この大陸で一番メジャーなのは、太陽神信仰でしょう。真っ赤なサーリシェレッドは、『太陽の石』として偶像崇拝の対象になった。そして純正サーリシェリア人に見られた特殊能力、予知夢を見ることが、彼らを太陽神の宣託を受けるものとして位置付けていた。大陸戦争の始まりは大陸北部の不作が原因の一つと言われているけれど、太陽神から見捨てられてたまるか、太陽の力を得なければ、という思いが少なからずあったというわ。希望を目指して南に向かおうとして、長い戦争に繋がってしまったという説もある」

サーリシェレッドは古くは神聖なものだった。南の人々にとっては、今でもそうなのかもしれない。信仰を支える「太陽の石」をエルニーニャに友好の証として贈った“赤い杯”がどれほど重要な意味を持っているのか、イリスは改めて思い知った。それは最大の表敬だったのだろう。

それがどうして、「魔眼」になってしまったのか。その神性を貶めるようなことになってしまったのか。その疑問にも、アーシェは答えてくれた。

「太陽神信仰にもいろいろな解釈があってね、偶像崇拝を良しとしない宗派もあるの。それにこの大陸には、もっとたくさんの宗教や信仰があるでしょう。今でも新たに生まれたり消えたりしている。そういう考え方の違いがぶつかり合って、結果的に神性を貶めることに発展することがあるのよね」

「何だか変な話。そういうのもあるんだなって、認めればいいのに」

「そうね。でも、なかなかそうはならない。できないのね、きっと」

自分の信じてきたものが揺らぐというのは、心の平穏が保たれないということだ。それを恐れる気持ちは、わからなくはないけれど。だからといって、何かを貶めてまで守ろうとするなんて。

不満げなイリスに、アーシェは薄く微笑んだ。

「これは考えればきりがない問題よ。だからといって考えるのをやめてはいけない。考え続けて、自分の答えを持とうとするということが大切なんじゃないかな。人間って、きっとそういうものだよ」

言葉を切って、それから続けた。

「揺らぎが刺激になるのも、たしかではあるのよね。だから『魔眼』が広まるのは早かった。批判する意味でも、面白がる意味でも。どちらにせよ、話題になることには変わりないでしょう」

それがエルニーニャ国内でのサーリシェレッドの価値をより高めたことも事実なのだ。サーリシェリアとエルニーニャ両国の宝石商は、双方ともに利益を上げることができ、裏社会ではより多くの違法取引が行われた。

民族と信仰と物質と金。これらが組み合わさって、問題が生まれている。そしてその大きな問題で覆い隠すようにしながら、本物の「魔眼」が狙われている。

「アーシェお姉ちゃん、わたしたちはこの案件を解決できるのかな」

「時間がかかっても取り組むしかない。そしてそのためには、イリスちゃんは何が何でも自分を守らなきゃならないわ。もちろん、私たちもあなたを全力で守る」

そのための準備は、整いつつあった。

 

 

エルニーニャ王国軍大将であり、将官室長を務めるタスク・グラン。数々の大きな功績を持ち、大総統になるのではないかと噂された男は、しかしその横に立つこともできないままだ。

だが、彼に憧れる人間は多い。ネイジュもその一人だ。功績と効率こそが軍人にとって重要であるという考えは、タスクの活躍に基づくものだった。

「グラン大将。私はずっとあなたにお会いしたかった」

終業間際の中央司令部の廊下で、ネイジュは彼に接触していた。タスクは一瞬怪訝な表情をしたが、すぐに「異動してきた者か」と眉間のしわを緩めた。

「ディセンヴルスタ大佐だったか。北方での活躍は聞いている」

「光栄です。あなたの行動こそが正しいと信じてやってきたものですから」

ネイジュが微笑むと、タスクは苦笑した。自分が正しいと――昔はそう思っていたが、今は誰もそう言ってくれなくなった。三年前、大総統はおろか、補佐にすら名前が挙がらなかった、あのときから。

正しいのは、それまで軍人の癖に何もしていないと思っていた、同僚のほうだった。大総統が認めれば、この国では何でも正しくなる。

「このままで良いとお思いですか、大将」

だからネイジュの言葉に、そんな人間もいたのだと、感心させられた。

「私はあなたこそが軍の頂点に立つべきだと思います。大きな力を持っているのだから、それを活用するべきだ。邪魔があれば、この私が排除しましょう」

感心すると同時に、若かった頃の自分を思い出して、苦い思いが胸に広がった。

「邪魔を排除する、とはたとえばどういうことだ。まさか閣下に反旗を翻すわけでもないだろう」

「場合によってはそうなってしまうかもしれませんが、直接手を出すつもりはありません。変えるべきは補佐です。導く者によって、指揮は変えることができる」

それはいつか、タスクも考えたことだ。けれども、そのうち諦めたことだ。自分はどうしても、あの男のようにはなれなかったし、なるつもりもなかった。

どうしてあの男が補佐になったのか、今ではいくらか理解できているつもりだ。けれどもやはりいくらかは納得していないのだと、ネイジュに気づかされてしまった。

「私はあなたのお手伝いができます。その自信があります。……いかがです、大将」

濃紫の瞳が、タスクを誘う。これまで目を背けてきた道へと。

「一枚噛んでみる気はありませんか?」

もしも友人だった男ではなく、自分が大総統補佐であったなら。その仮定を、今からでも現実にできる方法があるのなら。

ごくりと、つばを飲み込んだ。三年ぶりに、野心が胸に灯った。