福引で当たったペア旅行は、一転して男性陣のお泊り会と化してしまった。
それぞれでのんびりとくつろぐ中、ちょっとした事件が起こる。
「あ〜…極楽極楽」
「どっかのオッサンかお前は」
湯に浸かったカスケードが発した一言に、ディアはすかさずツッコむ。
今日は全員揃っての温泉タイムとなった。
土産を買いに行っていたメンバーが戻ってきてからすぐに昼食となり、
その後はトランプを用いての大ギャンブル大会となり、
それが終わってから温泉へ。
「俺はオッサンじゃない。見た目は不良の方が老けてるだろ」
「老けてねぇよ!お前の方が年上だろうが!」
「そんなの関係ない。俺はまだ若い。不良は老け顔」
「あんだと?!この全体的青人間!」
なにやら言い争っている二人から離れた所に、他の者。
「馬鹿がまた何か言ってる…」
アクトはディアに呆れつつも見ているだけだ。
「止めないで良いんですか?」
「もう面倒。…それよりアルベルト、お前おれの傷見ても何とも無いのか?」
もう隠すのが面倒になり、全員に傷を晒した。
今でもほとんどが見慣れないようだが、アルベルトはすでに何も言わない。
先ほどまで挙動不審に陥っていたが、今はそんな様子ではない。
「何とも思わないというか…もっと酷いものを見たことがあるからでしょうね」
「なるほどな」
アルベルトの答えに納得し、アクトは再び視線をディアに向ける。
先ほどからの言い争いは依然として続いているようだった。
そして、こちらも。
「やっぱ色っぽいな、グレン。夜這いに行ってやろうか?」
ブラックがグレンに近付こうとすると、カイがそれを阻む。
「グレンさんに近付くなって言ってるだろ」
「お前はウザいんだよ。退け」
「嫌だね。大体グレンさんは俺と来たんだ。お前になんか絶対渡さない!」
「お前が渡さなくてもオレが奪うんだよ」
睨みあいを続ける両者から、グレンはこっそり離れる。
こんなことはいつものことだ。この二人が顔を合わせるといつも喧嘩になる。
何故そうなるのかがグレンには理解できない。普通は理解してもいいと思うが。
「アクトさん、ああいうのってどうやって止めたら良いんですか?
やっぱりやかましいから二人とも撃ち抜くべきですか?」
「それはやりすぎだろ。…というか何でおれに訊く?」
「カスケードさんはディアさんと喧嘩してるから…」
普段の相談相手がカスケードかアクトなので、必然的にそうなるのだ。
アクトも慣れてはいるのだが。
「…撃つのはやめとけ。大体今銃無いだろ」
「無いですね。…持ってくればよかったですか?」
「いや、そういうことじゃなくて」
無意識天然の扱いには困る。困らない人を見てみたい。
一方でアーレイドとハルは二人でのんびりゆったりしていた。
「ねぇアーレイド、さっき買ったお土産ね、すごく面白いんだよ!」
ハルが嬉しそうに言う。
アーレイドは店に入れなかったため、ハルが一人で買ってきたのだ。
「そういえばまだ見てなかったな。何買ったんだ?」
「あのね、押したらびよーんって出るの!」
「…は?」
「だから、びよーんって!」
抽象的過ぎてわからない。何がびよーんなのか。
押したら出てくるようなびよーんとは一体何なのか。
「ハル、後で見せてくれるか?」
「うん。びよーんなんだよ!」
なんだかよくわからないが、ハルが嬉しそうで可愛いので良しとすることにした。
まぁいい。すぐに正体はわかるだろう。
「それとね、引っ張ったらぽーんっていうのもあるんだ!」
「…え?」
また抽象的過ぎる説明。今度は何がぽーんなのか。
「…それも見せてくれ」
「これはだめ。これはおじいちゃんのだから」
「何なのか気になるんだけど…」
「帰ったらおじいちゃんに見せてもらってね。今はだめ」
謎のお土産「引っ張ったらぽーん」の正体は当分わからなさそうだ。
浴場を出、新しい浴衣に袖を通す。
昨日と同じ格好で、会話をしながら部屋に戻ろうとする。
途中、ホールの卓球台が目に入った。
「…昨日はアルベルトのせいで中止になったよな」
ディアが呟くと、アルベルトは挙動不振に陥った。
「ご、ごめんなさい〜!つい本気になっちゃって…」
「謝るんじゃねぇよ。アルベルトが審判やりゃ良いんだ」
この台詞が意図するものは、ただ一つ。
再び卓球をするという事。
しかも、
「カスケード、さっきの決着つけようぜ」
「あぁ、受けてたってやる」
ディアとカスケードの一対一らしい。
「また下らない事するのか?」
「アクトは黙ってろ。これは俺とカスケードの問題だ」
問題も何も、ことのきっかけがどっちが老けてるかということなのだ。
そんな下らないことで勝負とは。
「…単細胞」
「うるせぇ。…なんならお前もやるか?」
「やらない」
こちらではディア対カスケード、そしてこちらでは。
「ブラック、お前が勝ったらグレンさんに近付くのを許してやらないことも無い」
「随分と偉そうなんだな、カイ。…お前が勝ったらオレはグレンを諦めても良いぜ?」
「じゃあお前は諦めることになるな」
「お前はグレンをオレの好きにさせることになる」
両者一歩も引かず、勝負成立。
勝手に賭けの対象にされているグレンは、訳がわからず顔をしかめる。
「どういうことだ…?」
「カイが勝ったらグレンはカイのもの、ブラックが勝ったらブラックのものって事。
卓球で今夜どうなるか決まるってことだろ」
アクトの説明からもよくわからないが、悪い予感はする。
言えるのはこれだけだ。
「…どっちも負ければ良いのに…」
「災難だな、お前も」
二つの勝負が始まる。
理由はどうであれ、真剣勝負だ。
ディア対カスケード、審判アルベルト。
「俺にはいつも見守ってくれているニアという支えがある。
従ってお前は俺に勝てはしない!」
「それ言うなら俺だってアクトが…」
「応援はしないぞ」
ディアが言いかけたところで冷たい言葉が横から聞こえてくる。
「…少しは応援しろよ」
「しない。絶対しない」
その光景を見て、カスケードは笑う。
「不良、保護者に見放されたか?」
「うるせぇ!俺は俺の力で勝ってやる!」
戦いが始まった。
カスケードの打ったピンポン球は、ワンバウンド後にディアに打ち返される。
往復の速度は段々増していき、叫び声まで伴い始めた。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!!」
「おりゃあぁぁぁぁ!!!」
熱戦に混乱する審判と、外側で冷静に見つめる観客。
観客が放った一言は、
「…うるさい」
という、それだけ。
両者とも動きがワンパターンであるため、いつまでたっても勝負はつかない。
ピンポン球は動きを止めることなく、台の上を行ったり来たりするのみ。
頭の良い勝負とはとても言えない。
「両方とも単細胞だよな…」
呟いた言葉は、戦いの中にいるものには聞こえない。
カイ対ブラック、審判アーレイド。
アーレイドは本当は審判など引き受けずにさっさと部屋に戻りたかったのだが、上司には逆らえない。
仕方なくこのポジションにいる。
「アーレイド、ボク待ってるよ。だから、審判頑張ってね!」
ハルの笑顔で理性がどこかへ旅立とうとしたが、上司はそれを許してくれない。
勝負はすでに始まっていた。
「ブラック、諦めろよ」
「お前が身を引けばいいじゃねーか」
「グレンさんは俺のだ!三年前からそう決まってるんだ!」
「それをぶち壊して奪ってやれば良いんだろ?」
「壊せるもんか!アーレイド、早く始めの合図!」
こんな試合の審判はしたくない。心からそう思った。
試合が始まるや否や、ピンポン球は物凄い速さで飛び交う。
こちらはとことん頭脳プレーだ。角度を変え、打ち方を変え、高さを変えていく。
互いに打ち返し、いい勝負になっている。
「…そこだっ!」
カイが思い切りスマッシュを打つと、ブラックのラケットはそれを僅かに捕らえ逃した。
先制点がカイに入る。
「ほら見ろ。グレンさんは渡さないからな!」
「一点くらいで浮かれてんじゃねーよ」
ブラックのその言葉どおり、結局その一点はすぐに取り返されてしまう。
同点のまま試合は進んでいく。勝負はなかなかつかない。
「どっちも負ければいいのに」
グレンが呟くと、隣にいたハルが何か思いついた。
「そうだ!ねぇグレンさん、こうしたらどうかな」
ハルが提案した考えを聞いて、グレンは頷く。
「そうだな、その方がいいな」
「でしょ?どうせ勝負がつかないなら、こっちの方がいいですよ」
ハルの言うとおりにすれば自分も危険が回避できるし、何よりこのある意味苦しい戦いを終わらせることができる。
これ以上争って欲しくない。やかましいから。
「アクトさん、ハルが言ってたんですけど…」
ハルの提案をアクトにも伝えると、こちらも頷く。
「それはいいな。下らない事終わらせられるし」
勝負の決着が、つこうとしていた。
「しぶといな、不良」
息を切らしたカスケードが、思い切りラケットを振る。
「そっちもしつこいぜ、オッサン」
ワンバウンドした球を、ディアが汗だくで返す。
暴れすぎた所為か、二人とも疲れが出てきていた。
「お前にだけは負けたくない!」
そう言いながらピンポン球を打ち返すカイの表情にも疲れが見える。
「こっちだってお前に負けるつもりなんざねーんだよ!」
足取りがふらふらし始めたブラックの言葉も、強がりにしか聞こえない。
そろそろ勝負を終わらせるべきだろう。
その方が彼等のためでもあるのだ。
「カスケードさん、ディア」
「カイ、ブラック」
名を呼んでも、彼等の動きが止まることは無い。
「なんだよ、今話し掛けるんじゃねぇ!」
「もう少しで勝負がつくんだよ…」
「グレンさん、もう少し待ってください。今勝ちますから…」
「それはこっちの台詞だ」
やはり、終わりにしてやらなければ。
時計はそろそろ夕食の時間を指す。
「もう勝負はついてるよ」
「だから、無駄なことはやめるんだな」
これで全て、終わる。
「この試合の勝者は、下らない試合に付き合っていた審判だ!」
声がホールにこだまする。
時が、止まった。
「…え?」
一番驚いたのは、アルベルトとアーレイドだった。
汗をかいたので再び浴場へ戻った四人は相変わらず言い合いを続けていたようで、ずっと睨みあったままだ。
他五人は完全に呆れる。
「まったく、いつまでやってるんだか…」
「このままだとこれからの行動に支障が出ますよね」
最後の夜だというのに、嫌な雰囲気で過ごさなければならないのか。
そんなのはもったいなさ過ぎる。
「…仕方ない。アルベルト、カスケードさんとブラック連れて部屋に戻れ。グレンはカイと」
「わかりました。…大佐、ブラック、部屋に…」
「カイ、行くぞ」
「アーレイドとハルも戻って良い。悪かったな、巻き込んで」
「いや、もうこの人たちと一緒になった時点で諦めてましたから」
それぞれが部屋に戻り、ディアとアクトは廊下を歩きながら話をする。
「ここまで来て暴れたいのか?喧嘩屋」
「俺は悪くねぇよ」
「悪いとは言ってないだろ。暴れすぎるなって言ってるだけだ」
部屋に入り、アクトは畳の上に座る。
紫の瞳を真っ直ぐディアに向ける。
「お前はここに誰と来た?何のために来た?」
静かな問い。それに対する答えは、聞こえない。
言葉では無く、態度。
ディアの腕の中で、アクトは息をつく。
本当に世話が焼ける。コイツも、自分も。
「わかれば良いんだよ。…最後の夜だし、少し有効に使おう」
「有効に?…ヤっても良いって事か?」
「違う。すぐそれかお前は」
夕食が運ばれてくる。そういえば空腹な気がしてきた。
グレンとカイは部屋に戻り、夕食を食べながら会話をしていた。
何度も箸を止め、話す。
「カイ、ブラックが嫌いなのか?」
「グレンさんにちょっかい出さなければ少しは嫌じゃなくなってたかもしれませんね」
「…そうなのか?」
「そうなんです」
グレンは昨日、アルベルトからではあるが、ブラックの気持ちを聞いた。
本当は純粋に好きなんだと。
だからこそ、衝突するのだろうか。
カイも自分を好きでいてくれているから。
「グレンさん」
急に呼ばれ、返事が遅れる。
「何だ」
「俺とブラック、どっちが好きなんですか?」
カイは真剣らしい。眼がそうだ。
決まりきっていることだ。ただ、普段言うのが恥ずかしいだけだ。
だから、本人には言えない。
「ちゃんと答えてください。俺はグレンさんのこと本当に好きなんですから」
どうしても言わなければ伝わらないだろうか。
普段言えない事をこの場で言えと言われても、なかなか出てこない。
「俺は…」
言わなければ信じてもらえないだろうか。
言わなくても信じてくれるのが、一番良いのだが。
「カイ、俺は…」
そのとき、戸が開いて仲居さんが入ってきた。
お茶の補充に来たというが、何ともタイミングの悪い人だ。
結局言いそびれ、聞きそびれた。
そんな状態の中、この一組だけはほのぼのとした時間を過ごしていた。
「今日もご飯美味しいねー」
ハルはそう言うが、アーレイドはそれに同意できない。
美味しいことは美味しいのだが、アーレイドは洋食以外外道だと思っているのだ。
ついでに言えば彼はコーヒー派で、紅茶も外道だと思っている。
しかしハルが紅茶派なので何も言えないのだった。
「…アーレイド?どうしたの?」
「いや、なんでもない。…あ、そうだ、土産一体何買ったんだ?」
浴場での会話を思い出す。
あの「押したらびよーん」の正体を明かしてもらわないと、気になってしょうがない。
「えーっと…あ、これだ!はい」
ハルが渡したのは、小さな木箱。横にボタンがついていて、どうやらそれを押すらしい。
「…これか?」
「うん。押してみて〜」
ハルによると、これを押すと「びよーん」らしい。
恐る恐るボタンに触れ、押してみた。
「ああぁああぁあぁぁぁぁ?!」
なるほど、確かに「びよーん」だった。
ボタンを押すと箱の中から飛び出してくる仕組みになっているのだ。
出てきたのは、頭部がつるんとして耳の無い、ネコに似ているようで似ていない動物。
アクトのペットのねぁーがそのままキャラクター化したようなものだった。
「な、何でこれが?!」
「あのお店、いっぱいネコいたんだよ。その中にねぁーみたいのもいっぱいいたんだ」
ねぁーがいっぱい。あのネコのような謎生物がいっぱいあの店にいたとは。
もう前を通るのも嫌になった。
「…ハル、これ返す」
「?うん。」
和食だめ、紅茶だめ、ネコだめ、ととことんだめなアーレイド。
そんな彼を救ってくれるのは、目の前にいるハルだけ。
「アーレイド、ご飯食べないの?」
「…食べる」
…救ってるのか?
今夜も冬蛍は飛んでいた。
淡い光を放ちながら、ふわふわと舞う。
「アル、俺テラスにいるから」
「わかりました」
カスケードは一人、外の空気に触れた。
冷たい。秋の寒さが身を刺す。
その所為だろうか、また人影が見えたような気がした。
「…疲れてんのかな」
きっとそうだ。暴れすぎたのだ。
自分も大人気なかった。
「…不良に謝るかな…」
独り言を呟きつつ、冬蛍の光を見つめていた。
人影が素早く移動したのには、気付かなかった。
カスケードがテラスにいる間、ちょうどいい時間だからとアルベルトはブラックと話をする。
話題は勿論、あの事。
「シーケンス君よりブラックのほうが年上だし階級も上なんだから、今日みたいな大人気ないことはやめてよ」
「アイツがいなけりゃこんな事にはならなかったんだよ」
「毎回毎回君がシーケンス君に突っかかっていくから、フォース君も困ってるよ」
「状況がつかめてねーようにしか見えねーよ」
ブラックはアルベルトの方を見ようとしない。目を逸らして、不機嫌な声で返す。
アルベルトは呆れて溜息をつき、ブラックに近付く。
「ブラック、人と話をするときはちゃんと眼を見ようよ」
「お前の眼は見たくねーんだよ。同じ色毎日鏡で見てるからもううんざりだ」
「鏡じゃなくて相手の眼を見るんだよ」
「大体そっちが一方的に話し掛けてるんだから、目を合わせる必要ねーだろ」
「眼を見なさい!ブラック今いくつ?それとも万年反抗期なの?」
「それはあの傷の野郎だ」
「そんなこと良いからとにかく言うこと聞いて!」
ブラックの頭を両手で掴み、無理矢理自分の方へ向かせる。
アルベルトは時々、普段の挙動不審さからは考えられないような大胆な行動をとる。
「何すんだよ!放せ!」
「ちゃんと眼を見て話すまで、ブラックの言うことは聞かない」
「何だよそれ!…おい、近すぎるから!放せ!」
ちょうどその時、テラスに繋がる引き戸が開いた。
「おい、何やって…」
時が止まる。
アルベルトとブラックの距離は極端に近く、普段別の組み合わせで似たような光景を見ているカスケードに誤解される要素は十分だった。
「…アル…お前黒すけとそういう関係だったのか?」
「そういうってどういう関係ですか?」
「いや、だから…」
その場の空気が気まずいものになる。
アルベルトがブラックを襲っているなんて、普通なら考えられない。
「…邪魔したな」
テラスの引き戸が再び閉まる。見なかったことにしよう、という心の呟きまでもが聞こえてきそうだった。
「え?大佐?」
「お前の所為で変な誤解されただろうが!さっさと離れろ!」
「変な誤解って何?僕何かした?」
「十分してんだよ!さっさと退け!」
ちょうどそのときだった。
「キャアァァァァ!」
どこからか仲居さんの悲鳴が聞こえ、
「さっさと金を出せ!出さねぇとお前らの命は無い!」
乱暴な声が聞こえた。
「…これって…大佐!」
アルベルトが呼ぶと、引き戸の向こう側から答える。
「あぁ…なんかヤバいみたいだな。行くか!」
「はい!ブラック、君も!」
「わかったから退け」
三人が部屋から出ると、他の者も廊下に出ていた。
「カスケードさん、今の…」
「アーレイドにも聞こえたか。…招かれざる客が来たようだな」
全員玄関の方に向かった。
お客様を、お出迎えするために。
客は意外にも多く、館内にいるのが九名、外にいるのがおそらく二十名を超える。
外からの歓声と、内部での悲鳴と乱暴な口調がすさまじい。
「さっさと金出せよ!…それとも姉ちゃん、オレらと遊ぶか?」
「いやあぁぁ!誰か早く軍呼んで!」
「電話線切られてます!連絡つきません!」
混乱の中、仲居さん達は全員パニックになり、オーナーも女将も金を出してさっさと追い払おうとする。
しかし金庫をあさる女将の手は、大きな手につかまれた。
「金を払う必要はありませんよ、レディ。…俺たちが何とかします」
「しかしお客様…」
「大丈夫です。私たちは軍人ですから」
ダークブルーが揺れ、優しい笑顔が見えた。
任せて良いと思える、頼れる笑顔だった。
「…お願いします」
「よし、決定。…許可が出た!館内壊さないように暴れてやれ!」
それはまるで獅子の咆哮。
その声で、戦いが始まる。
「お前らタイミング悪かったな…こっちは暴れたくてしょうがねぇんだよ!」
ディアが仲居さんの手を掴む男の顔を思い切り殴り、ふっ飛ばした。
男は壁にぶつかり、一発KO。
「テメェ、よくも…!」
ディアの後方から殴りかかろうとした男を、アーレイドが回し蹴りで食い止める。
きれいにヒットし、男は腹を抱えて蹲った。
「悪いな、アーレイド」
「俺の攻撃範囲にいたからやったまでですよ。…あ、ハル!」
アーレイドが別の方向に目を向けると、ハルが腕を掴まれて連れ去られそうになっていた。
「こんなガキもいたのか。おい、こいつ連れてくか?」
「連れてっちまえー!」
男達が歓声を上げる中、アーレイドは心配していた。
ハルではなく、その腕を掴む男を。
「…だからって…」
「あ?」
ハルの言葉に気付き、男は動きを止める。
しかし、すでに遅かった。
ハルは自由な方の手で男の腕を掴むと、
思い切り捻った。
「ぎゃああぁあぁぁぁあ?!」
類稀なる怪力の持ち主に腕を捻られては、もう負けを認めるしかない。
ハルの腕を解放し、自分の腕を押さえてのたうちまわる。
「子供だからって甘く見ないでよね!」
ハルも一人、片付けた。
「お姉さんきれいなカオしてるねー。俺たちと遊ばない?」
そう言われても、お姉さんじゃないのだから、
「遊ばない。…おれは女じゃないっ!」
アクトはそう言って相手を蹴飛ばすのみである。
一方こちらはいじめっ子がいじめられっ子を取り囲む。
「気ぃ弱そうな兄ちゃんだなぁ、おい」
「俺たちに勝てるかぁ?無理だよなぁ」
「や、やめてくださいよ…やめないと痛い目にあいますよ!」
アルベルトの言葉に、男達は爆笑する。
「痛い目に、だってよ!」
「やれるもんならやってみろってんだ!」
爆笑することに集中して、アルベルトの目つきが変わったことには全く気付いていない。
わけのわからぬまま、胸部に強い衝撃を受けた。
「ぐふっ!」
「がっはァっ!」
呼吸困難になり膝を崩す男達を見下ろし、アルベルトは薄く笑う。
「だから言ったじゃないですか…痛い目にあうって。
やれるもんならやってみろって言ったのはそっちですよ?」
一瞬にして立場が逆転した。
グレンは蹴りで男達を倒していたが、一人にそれを止められてしまった。
「逃がさねぇぞ…お前だけでも連れ帰ってやる」
「く…っ」
万事休すか、と思われたその時、
「その汚い手を離せ!」
強烈な蹴りが飛んできて、男はよろめく。
「グレンさん、大丈夫ですか?!」
「カイ!…俺は何とも無い」
「…テメェ、ぶっ殺してやる!」
よろめいた男が体勢を立て直し、カイめがけてナイフを振り上げる。
が、それも蹴りによって止められた。今度は別の足で。
「人が機嫌悪ぃ時に襲ってくんじゃねーよ、馬鹿どもが」
「ブラック!」
「…余計な手出しするなよ」
「そっちがトロいから手出ししなきゃいけなくなったんだよ」
男達のうち三人ほどが逃れ、金庫の方へ向かっていた。
とにかく金だけは手に入れようという、欲張った連中。
「おい、女将!さっさと金をよこせ!」
しかし彼等は計算ミスを犯していた。
一人待機していたことに気がつかなかったのだ。
「レディに命令口調とは失礼だな、お前ら」
ダークブルーの髪を持つ、大柄な男。
体格差だけでもすでに圧倒されている上に、
「女性には丁寧な言葉を使え。…それが紳士ってもんだろっ!」
その拳は人間を簡単にふっ飛ばす。
一人倒れ、他二人は動けなくなる。
「あ…あ…いや…俺たち、あの…」
「今更良い訳か?男として情けないな」
海色の瞳が、不敵に光った。
地元の軍が男達を引き取り、漸く旅館に静かな雰囲気が戻る。
「本当にありがとうございます!」
オーナーと女将が頭を下げるが、カスケードは首を横に振る。
「こっちもいいストレス解消になりました。な、不良」
「不良って言うんじゃねぇ。…まぁ、ストレス解消は確かだけどな」
「馬鹿は頭使うより体使う方がいいもんな」
「…アクト、後で泣かす」
この三人がいつものような会話を繰り広げる中、ハルはあっさりと言う。
「あの人たち弱かったね」
「…あぁ、そうだな」
アーレイドはどう返せば良いのかわからない。
確かにあの男達は弱かったが、ハルが言うとあっさり同意できない。
「ブラック、すっきりした?」
「…オレがお前に訊きたい」
さっきのアルベルトの豹変ぶりを、僅かではあるが目の当たりにしてしまった。
ブラックはますますアルベルトに逆らえないような気がしてきた。
「グレンさん、本当に大丈夫でした?」
「大丈夫だとさっきから言っているだろう」
「…グレンさんが少しでも怪我してたら、俺きっとキレますよ」
カイはとにかくグレンを心配していた。
グレンはそれを鬱陶しいとは思わない。寧ろ、少し嬉しかった。
「…さてと、部屋に戻るか。今日はぐっすり眠れるだろ」
カスケードの言葉に、全員が歩き出す。
まださっきの興奮が冷めないのか、ハルは眠れなかった。
「アーレイド、そっち行っていい?」
「あぁ」
昨日のようにアーレイドの布団に移動する。
隣に身を横たえると、安心する。
「…終わっちゃうね、旅行」
楽しかった。ハプニング続きだったけれど、アーレイドと一緒にいられるというだけで嬉しかった。
いつも一緒にいるのだけれど、場所が違うだけで特別な感じがする。
「また来ようね、アーレイド」
「そうだな。…また蛍見ような」
「うん。…あのお土産屋さんにも行きたいなぁ」
「あそこは勘弁してくれ」
夜はゆっくり更けていく。
楽しい思い出が、どうか夢でも増えますように。
「ここ来て良かった」
アクトが呟くと、ディアは動きを止めた。
「結構楽しかったな。…カスケードとは今度絶対決着つけてやる」
「いいかげんにしろよ。カスケードさんだってお前に構ってるほど暇じゃ無い…はずなんだけどな」
言い切れないところが辛い。それは仕方の無いことだけれど。
「帰ってもまだ休みあるんだよな。…どう使う?」
「ずっと寝てる」
「…馬鹿ディア」
せっかくここまで有意義に来たのに残りを無駄遣いしてどうする。
アクトは呆れつつも、笑っていた。
今日は完全に眠ってしまったらしいブラックを、アルベルトは優しい目で見つめる。
「可愛い寝顔しちゃって…」
そっと布団をかけてやると、少し動いた。
生まれた時から一緒にいれば、こんな機会はもっとあったかも知れない。
今更そんなことを言ってもどうしようもないけれど。
「大佐…はテラスか。あの人も寝付き悪いなぁ…」
アルベルトはそっと目を閉じる。明日はもう帰る日だ。
またこんな機会があればいい。
皆一緒に過ごせる機会が。
「今度はマクラミーさんもいたらいいなぁ…」
自分で呟いて、赤面した。
テラスではカスケードが冬蛍を見ていた。
光が舞い、時折指に触れる。
ニアがいたら喜ぶだろうな、と思い、口元が緩む。
冬蛍の話はニアから聞いた。
この地方の名物で、秋の終わりごろに見られる。
いつか見たいと言っていたっけ。
それは結局叶わず、今自分は一人でここにいる。
「ニア、見てみろよ」
そこにいないはずの者に語りかける。
「すげー綺麗だ。…こいつらの命がもう終わるなんて、信じられないよ」
蛍の命は短い。成虫になれば、死は目の前だ。
それでも光を放つその姿は、ニアとの別れを思い出させる。
「一緒に見たかったな…」
今更どうしようもないけれど。
しかし、奇跡は時に姿をあらわす。
それは幻かもしれない。幻聴かもしれない。
しかし、庭に現れたその姿は。
「…ニア…?」
『カスケード、綺麗だね』
蛍と戯れる笑顔は、穏やかで。
「…あぁ、綺麗だ」
蛍もそうだが、何より見たかった笑顔が、
一番綺麗だった。
少し暴れすぎたのだろうか。隣に寝ているカイは、ぐっすり眠っているようだった。
未だに布団に慣れず、グレンは眠れないまま。
夕食中の話の答えは、結局言えずじまいだった。
今なら言えるだろうか。眠っているから、声は届かないだろうけど。
「カイ…」
呼んでも返事は無い。寝息だけが聴こえる。
「…俺は…お前が好きだから」
どうせ聞こえていないだろう。
それでもいい。寧ろその方が都合がいい。
一人赤面しながら、そっと目を閉じる。
やっと眠れそうな気がした。
しかし、それは阻まれた。
「グレンさん、言えるじゃないですか」
「!」
寝ていると思っていたのに。だから言ったのに。
狸寝入りを見破れなかった自分も自分だが。
「…起きてたのか」
「起きてますよ。…そっか、こうすれば本心聞けるんだ」
「………」
何も返せない。まさか嵌められるとは。
恥ずかしくて顔を見ることもできない。
「…良かった」
カイが不意に言う。
「たまに不安になるんです。好きなのは俺だけで、グレンさんはなんとも思っていないんじゃないかって。」
「…そうなのか?」
「たまにですよ。…でも、やっぱり本心聞けてよかった」
こっち来ません?とカイが言う。
今日だけだからな、とグレンが返す。
距離がゼロになる。
天気の良い空の下に出ると、とても眩しい。
二泊三日はこれにて終了となった。
「あの、助けていただいたお礼にこれを…」
女将が旅館の招待券を差し出す。
「また来てくださいね。軍総出でも構いませんよ」
「ありがとうございます。貴女のために、また来ます」
カスケードは女将の手をとって言うが、そこにツッコミが入る。
「カスケードさん、ニアさんはいいの?」
これを言われると弱い。
「今度はリアさんやラディアも一緒に、ですね」
「そうだな。ツキさんたちも」
「これ以上騒がしくする気か」
「…ブラック、その言い方だと、君また来たいみたいだね」
「!」
「今度来たときは酒盛りだな」
「ディア、未成年ばっかりだって事忘れるなよ」
「アーレイド、また来ようね!」
「あの店に寄らないなら来る」
「えー、何でー?」
それぞれの幸せが、再び訪れますように。
Fin