「若い頃の話聞かせてください!」
瞳を輝かせたラディアに、カスケードは苦笑する。
「若い頃って…ラディはもう俺のこと年寄り扱いか?」
「だってカスケードさん、私より六歳も年上なんですよ?」
「そりゃそうだけど…」
今日はいつもの第三休憩室で、カスケードがいろいろな話をしてくれていた。
雑学やちょっとした物語、怪談まで(グレンは耳を塞いで固まっていた)。
次は何にしようか、という時にラディアがリクエストしたのだ。
「若い頃…ねぇ。どのくらい前の話がいい?」
「えっと…そうだ、カスケードさんが生まれた時の話が良いです!」
その言葉にカスケードが困惑した表情を見せると、リアが先回りして言う。
「そんなこと普通の人は覚えてないわよ。ラディアちゃん、もうちょっと後の話にしたら?」
「えー…聞いてみたいのに…」
ラディアがあまりに残念そうに言うので、カスケードはどうしようか考えた。
考えた末、一つ思い出した。
父から聞いた、自分の出生時の話を。
「よし、特別に話してやろうか」
「本当ですか?」
ラディアの表情がパッと輝く。
「ラディのためだ。…短いけどな」
聞いた話だから曖昧だ。しかし、退屈しのぎにはなるだろう。
「前にも言ったけど、俺の家は代々軍人で…」
二十三年前の七月十八日、アーサー・インフェリアは書類を片付けていた。
当時彼は二十二歳、エルニーニャ王国軍中央司令部の中将だった。
「インフェリア中将、そろそろじゃないんですか?」
同僚の声に、一旦手を止める。
「何がだ」
「お子様。…ガーネット大佐、もうすぐ予定日ですよね」
ガーネット・インフェリアは元同司令部大佐で、アーサーの妻だ。
二年前に結婚し、一月前に軍をやめた。
「男の子だと思いますか?女の子だと思いますか?」
「どちらでも良い。どっちにしても軍人になるんだ」
「やはり継がせるんですか。良いですね」
インフェリア家は由緒正しい軍家系だ。
伴侶も軍人から選び、子も軍人として教育する。
養成学校には行かせず、親が自ら子を軍人に育て上げる。
アーサーも先代の大総統であった父から教育され、父を尊敬していた。
「インフェリア中将!大変です!」
突然部下が事務室に入ってくる。よほど焦っていると見え、息を切らしながら敬礼した。
「何だ、騒がしい」
「今連絡が入りまして…お子様がお産まれになったそうです!」
「子供が?」
普通は知らせを聞けば喜ぶものだ。
しかしアーサーは表情一つ変えない。部下は戸惑ってしまう。
「…はい、お子様が」
「そうか。」
アーサーはそのまま仕事を再開した。
部下はどうして良いのかわからなくなり、とりあえずその場から離れることにした。
しかし、向きを変えたところでアーサーに呼び止められる。
「少佐」
「…はい」
「後を頼む」
部下は暫く言われた意味がわからなかったが、アーサーが帰る支度を始めたのを見て表情を明るくした。
早足で去る上司の背中に、もう一度敬礼をした。
エルニーニャ王国首都レジーナの端に、大きな家がある。
インフェリア家が代々住まいとして使っている場所だ。
そこに暴走とも言えるスピードで走ってきた自動車を、使用人の一人が迎えた。
「お帰りなさいませ、アーサー様。カスケード様とガーネット様はお部屋でございます」
「子供のことは何か聞いているか?」
「いいえ、それはお二人以外には産婆くらいしか…」
「そうか」
急いで妻の部屋へ向かうアーサーの表情は硬い。
彼はいつもこの調子だ。彼の笑顔など、少数しか見たことが無い。
傍から見るとあまり嬉しくはなさそうだ。
「ガーネット!父上!」
その表情のまま部屋に入り、怒鳴るように言う。
「あなた、そんな大声…」
ガーネットは赤ん坊を抱いていた。
顔を見ただけでは性別は解らない。
「ガーネット、赤ん坊は元気なのか?」
「…元気ですけど、今は眠っています」
うっすらとしか生えていないが、髪の毛はアーサーと同じダークブルーらしかった。
インフェリアの血が濃く現れている。
「父上、この子は…」
アーサーが最後まで言わないうちに、父は頷いた。
「男の子だ。…お前の怒鳴り声でも起きないのだから、相当な大物になるだろうよ」
インフェリア家当主カスケード・インフェリアは、そう言って笑った。
アーサーはガーネットから赤ん坊を受け取ると、珍しく満面の笑みを見せた。
「大物か…何事にも動じない、素晴らしい軍人になるだろう。
お前にいい名前をつけてやろう」
すやすや眠る赤ん坊に、アーサーは優しく語り掛ける。
「お前の祖父の名を貰い、カスケード。…カスケード・インフェリアだ」
最も尊敬する人物の名を与え、誓った。
この子は素晴らしい軍人に育てようと。
きっと育つはずだ。
「…というわけで、俺の名前は祖父にちなんだものなんだ」
カスケードが話し終えると、ラディアは感心したように言った。
「カスケードさんのお祖父さんってすごいんですね!大総統だったんですね!」
「だいぶ前のな。…まぁ、そのおかげで俺は大変だったんだけど」
カスケードがこの話をするのは二度目だ。一度目はもう十三年も前に、親友に。
祖父はカスケードが二つになる前に亡くなった。軍人時代に受けた傷の後遺症だった。
父は今でも滅多に笑わないが、年の所為か少し弱ってきたような気がする。
母は昔と全く変わらず、たまに父の軍人時代を語ってくれる。
妹のサクラは今頃何をしているだろうか。
たまには実家に帰ってみようと思った。
祖父の墓参りにも行こう。
仕事は…態度の悪い部下に押し付けていけば良い。
Fin