「はぁ〜…」
休憩時間をいくつもの溜息とともに過ごす女性軍人一人。
オレンジの髪はショートカットで、毛先が軽くはねている。
オレンジの瞳の先には、いつも同じものが映る。
彼女の名はシェリア・ライクアート。エルニーニャ王国軍中央司令部の准尉である。
「今日も素敵…」
見つめるものにそんな思いを述べていると、彼女の背後に現れる少女。
「シェリーさん、何やってんの?」
「?!」
自分を呼ぶ声に勢い良く振り向き、正体を確認して息をつく。
「何だシィか…びっくりさせないでよ」
「声かけただけですよー」
声の正体はシィレーネ・モンテスキュー、伍長。
軽く外側にハネた長い黒髪と、大きな赤い眼が特徴的だ。
「で、シェリーさん何見てたの?」
「ちょ、ちょっとシィ…」
シェリアの見ていたほうを覗いて、シィレーネはにやりと笑った。
「ははぁ〜ん…。またカイ少尉見てたんだぁ…」
その人物の名前を聞くだけで、シェリアの顔は真っ赤になる。
彼女が見ていたのは想い人――カイ・シーケンス少尉だった。
そもそものきっかけは、二週間ほど前に遡る。
シェリアはその日寝坊して、急いでいた。
「ヤバイ!あと五分で約束の時間だ!」
同期の女軍人仲間と一緒に買い物に行く約束だった。
遅刻したらファストフード店で昼食を奢らなければならない。
物凄い勢いで走っていくと、寮のエントランスで躓いた。
「うわ…っ!」
体勢を立て直す間もなく、体は地面に倒れこむ。
何とか怪我はせずに済んだようだが、痛みは変わらない。
「いったたた…最悪…」
起き上がってふと横を見ると、向こうの方に人がいた。
――しまった、見られた!
恥ずかしくなって起き上がろうとすると、その人物がこちらを見て吹き出すのが見えた。
ショートカットより少し長めの黒髪に、黒い瞳。
普通なら笑われて怒るところを、シェリアは何を間違ったのか、
――…素敵…。
惚れてしまった。
ちなみにそのときの様子を別の角度から見てみると、こうなる。
「あ、転んだ…」
コケた少女を見てカイが吹き出すと、その隣にいたグレンがつつく。
「人を笑うな。あの子だってコケたくてコケた訳じゃないだろ」
「普通は誰でもそうだと思いますよ。…それにしてもいいコケっぷりだったな、あの子…」
「いつまでも笑ってるんじゃない」
どかっ
「痛っ!…グレンさん、肘うちはアクトさんですよ」
「黙れ薬局」
「それはカスケードさんです(ちょっと違うけど)。…それは良いとして、行きますか、デート」
「…デートじゃなくて買い物だ」
勿論この会話はシェリアには聞こえていない。
それどころか彼女にはグレンの姿さえ見えていなかった。
「…っていうかシェリーさんおかしいよ。何で転んだのを笑われて好きになっちゃうかなぁ」
「だ、だって、可愛かったんだよ?!普段はカッコイイし、笑ったら可愛いし!」
「ハイハイ。私それよりもカスケード大佐の方が好き」
「え、だってあの人青いじゃん…」
「青いのはだめなの?!シェリーさんやっぱりおかしいよ!」
「だってポケットから何か役に立つ道具とか出てきそう…」
「それいい事じゃん!」
謎の会話を繰り広げる少女達に、当然カイは気付いていない訳で。
「グレンさん、映画のチケット貰ったんですけど行きませんか?」
「誰から貰った?」
「…アクトさん(基本的にホラーしか見ない)」
「行かない。絶対行かない(ホラーは苦手)」
「えー、良いじゃないですか」
こんな調子である。
シェリアは異性と話すことができない。
喧嘩を売られれば買うし、同性には「男勝りのシェリア」で通っている。
しかし、自分から話し掛けたりすることはあまりできないのだ。
そのためにシィレーネが働く。本人に話し掛けることもできるが、まずは近いところをと思い、向かった先は。
「リアさーん!リア・マクラミー中尉ー!」
「?…えっと、あなたは?」
話し掛けた相手はリア・マクラミー中尉。
長い金髪に淡いブルーの瞳、そしてモデル体型の綺麗なお姉さん。
男性からの人気は高く、女性からも慕われる。
ファンクラブもあるらしい。
「あの、私シィレーネ・モンテスキューっていいます。階級は伍長で、リアさんのことはずっと慕っておりました!」
「そうなの?ありがとう。…で、シィレーネちゃんは一体何の用?」
リアが優しい口調で尋ねると、シィレーネは事の詳細を話し始めた。
「リアさん、カイ少尉と仲良いですよね?」
「えぇ、もう三年の付き合いになるわね。グレンさんとカイ君とはよく仕事してるし…」
「実は、私の上司で友人のシェリア・ライクアート准尉がカイ少尉に一目惚れしたんですよ」
「カイ君に?!」
リアは驚き、戸惑う。
どう答えればいいのかわからないようだ。
「それで少しでも夢を見させてあげたくて…」
「夢って…シィレーネちゃん、その言い方だと何か知ってるみたいね」
「知ってますよ。軍の噂や人間関係には寮母さんの次の次くらいに敏感なんです」
シィレーネは一呼吸おいて、真面目な表情になる。
「カイ少尉がグレン大尉にベタ惚れだって事は知ってますよ。いつも一緒に居るし。
部屋が一緒なのだって寮母さんの配慮でしょ?」
「シェリアちゃんはそのこと知らないのね?」
「全く知らないみたいです。シェリーさんの視界にグレン大尉入ってないし」
「…グレンさんもシェリアちゃんもどっちも可哀相ね」
「そこなんですよ。いかにしてシェリーさんに諦めさせるかっていう問題があるんです」
「それはそれで酷い問題のような…」
リアは話を聞きながら、シェリアに関して知ってることを思い出す。
一番印象に残っているのは訓練中の話だ。
いつだか人手が足りなくなった時に、普段男性軍人の教練にまわっている筈のディアが女性軍人教練の方にも来たことがあったらしい。
普段男性軍人に接するのと全く同じ接し方をするディアに、後で女性軍人は文句を言いまくっていた。
その後でアクトとカスケードが必死で謝りに回っていたような気もするが、それはおいといて。
その中でも虐め訓練に屈さずに面と向かって文句を言ったのがシェリアだったらしい。
強い女の子の、可愛い一面。
つい協力したくなってしまうが、すでに関係のある場合はどうすれば良いのか。
まず、グレンにはわからないようにしなければならないだろう。
自分が身を引くだのなんだのと言い出す可能性が十分にある。
そしてこの問題はおそらくリア一人では抱えきれない。
他にも助っ人が必要だ。
「…そうだ、メリーちゃんとクレインちゃん!…ラディアちゃんは、どうしよう…」
「協力してくれるんですか?」
「そのつもりよ。…ただ、成就させてあげることはできないけど…」
「良いんです!どうせ無駄なんですから!」
「…シィレーネちゃん、酷い…」
かくして、「シェリアの想いを伝える会」が発足した。
まずはシェリアに内緒で女性陣が集合し、シェリアの様子を観察することに。
「ボーっとしてますね」
「ラディアちゃん、違うわよ…」
確かにボーっとしてるように見えなくも無い。
ただカイを見ているだけなのだから。
「そういえば、何でシェリアさんはカイさんのことが好きなの?」
「あぁ、それは…」
クレインの問いにシィレーネが答えようとした時、ラディアが一言。
「きっといろいろと変なところですよ♪」
「ラディアちゃんってば…」
「あら?それをいうなら面白い人ですわ」
ラディアの言葉をメリテェアが修正する。
その方が聞こえはいい。
「確かに、色々と面白いけど、容姿もなかなかいいと思うわ」
クレインが自分で考えた意見を述べる。
「意外と女の子に優しいところとか?」
リアはそう言ってから、でも結局グレンさんに一番優しいのよね…と思ってしまう。
「もー違いますよ。薬屋なところです」
シィレーネは適当なことを言う。
「薬屋って…それカスケードさんよ」
「カスケード大佐が言うことは正しいんです。私はカスケード大佐を慕ってますから」
「…そうなの…?」
いろいろ話しているうちに、シェリアがこちらへ向かってきた。
「あ、マズい。シェリーさんに見つかったら私が怒られる」
「大丈夫よ、シィレーネちゃん。私たち共犯だし…」
「そうだよ。私たちチャーハンなんだから」
「…チャーハンじゃなくて共犯」
「面白いですわー」
しかし、予想に反してシェリアはこちらに気付かずに通り過ぎた。
シィレーネはその行動が気に入らなかったため、自分から存在をバラして軽いげんこつを喰らった。
「皆さんごめんなさい。シィが多大な迷惑をお掛けしました」
シェリアは謝るが、謝られた方はのほほんとしていた。
「そんなこと無いですよー。楽しかったし」
「そうだ、何でカイ君のこと好きになったのか教えて?」
「女の子らしくて良いわね、恋の話って」
「可愛いですわー」
「ほら、皆応援してるよ、シェリーさん!」
「…うるさいよ、シィ」
ここからは本人も交えてのちょっとした相談会。
皆でシェリアを問い詰めていくことに。
「好きになったきっかけとかあるの?」
リアが尋ねると、シェリアが赤面して答える。
「…前に転んだ時に、笑われて…その顔が可愛かったんです」
「…変わったきっかけね…」
クレインは呆れてそれしか言えない。
「まぁ、カイ君って笑った顔結構可愛いけど…転んだ時って…」
「え、怪獣を倒して貰ったんじゃないんですか?」
「ラディアちゃん、何で怪獣?!」
定番のリアとラディアのコント。
「…あ、あの、リアさんに訊きたかったことがあるんですけど…」
今度はシェリアが尋ねる。
「何?シェリアちゃん」
「カイさんって…彼女とか居るんですか?」
一瞬にして時が止まった。
この質問はどう答えれば良いのだろう。
「…あの、もしかして居るんですか…?」
「彼女は居ないわ。…ねぇ?」
クレインの言葉に、一同は必死で頷く。
嘘はついていない。
「でもカイさんってグレ」
「か、彼女は居ないわ!いないから!」
ラディアの言いかけた言葉をリアが必死に隠す。
「そうですか。…よかった…」
シェリアはホッとするが、シィレーネは心の中で「良くねーよ」とツッコんでいた。
「アタシ、これからどうするべきですか?」
「さっさとアタック」
クレインのきっぱりした答えに、メリテェアがやんわりと反論する。
「じっくり攻めた方がいいと思いますわ」
「…やっぱりまず相手と仲良くなるべき?」
「そうですわよ」
クレインはメリテェアの言葉を受け入れつつも、「さっさと本当のこと知った方が良いような気がする」と思っていた。
「仲良くなりたいなら協力するわ。カイ君に紹介するけど…」
「ほ、本当ですか?!」
リアの提案に、シェリアはありがとうございますを繰り返していた。
それを見ていると段々複雑な気持ちになってきた。
「残酷な事してるのかな、私たち」
シィレーネがポツリと呟いた。
「どうせ叶わないならそっとしといた方がよかったのかな」
「シィレーネちゃん…」
リアはシィレーネの肩を軽く叩く。
そして、優しく笑って言った。
「確かに叶わないかもしれないけど、私は二人がいいお友達になってくれればなって思うの。
友達だって素敵よ。相手が親友で一生片思いだけどそれでも良いって人も居るし」
「…そうなんですか。その人健気ですね」
「…健気、なのかなぁ…ちょっと違うような気もするけど…」
「?」
話がそれてきたため軌道修正して、リアは続ける。
「と、とにかく、二人はきっといい友達になれると思うの。だから、これは残酷かもしれないけど、無駄じゃないわ」
「…そうですね」
そうだと思いたい。
友達には、幸せになってほしいから。
翌日、いつもの四人での簡単な任務があった。
いつものようにさっさと終わらせて、四人は休憩することにした。
「…あ、そうだ」
突然リアが何かを思いつき立ち上がる。
「何か飲み物買ってきますね。喉渇いたでしょ?」
「あぁ、そうだな。…頼んでいいか?」
「私リンゴがいいです!」
「わかったわ。…じゃ、カイ君、一緒に行こう」
「…え?」
突然の指名に、カイは戸惑う。
いつもならリアはラディアを連れて行くのだが、何故今回は自分なのか。
「…わかりました。ラディア、グレンさんをあまり困らせないように」
「わかってます」
ラディアにはリアが朝のうちに口止めしてある。余計なことは喋らないだろう。
リアはカイを連れて飲み物を買いに出かけた。
「…ねぇカイ君、シェリアちゃんって知ってる?シェリア・ライクアート准尉」
「シェリア?」
カイは少し考え、あ、と短い声をあげた。
「シェリアちゃんって、ディアさんの虐めに耐えた女の子だ。すごいよな、あの人に抗議まで…」
「すごいでしょ?でね、昨日会って話したの。カイ君も話してみたくない?」
「…興味ないことはないけど、そこまでは…」
「話してみたいでしょ?!ねぇ!」
「…リアさん、どうしたんですか?キャラ違いますよ」
こんな強引なリアは今までを思い返してもあまり見たことがない。
ここは従った方が良さそうだ。
「話してみたい、です…」
「そうでしょ?帰ったら早速会ってね」
「…わかりました」
一体リアに何があったのか、カイには全くわからないままだった。
シェリアは第三休憩室に入れないままでいた。
帰ったらここでね、とリアと約束したのだが、それができない。
このドアを開ければそこにはカイがいるのだ。
「…どうしよう…」
ドアノブに手を出しては引っ込める。
緊張で前に進めない。
その様子をこっそり見ていたのは女性陣。
「シェリーさんってばもどかしいなぁ…」
「仕方ありませんわ。緊張なさってるんですもの」
「…後でツキさんたちに謝ってこなきゃ」
「追い出しちゃいましたからねー。さっきポーカー誰が勝ってたんですか?」
「さっきディアさんが珍しく札そろえてたけど、出す前に追い出しちゃったから…
これは”バカの川流れ”が一生続くことを暗示してるのかも」
「…クレインさんって結構キツいですよね」
結局リアが迎えにきて、シェリアは第三休憩室内へと消えていった。
「シェリアちゃん、彼がカイ・シーケンス少尉。
カイ君、この子がシェリア・ライクアート准尉よ」
リアの紹介で、カイは軽く会釈する。
「はじめまして、シェリアちゃん」
「は…は、は、はじめまして!」
シェリアは勢いよく頭を下げ、勢いよく元に戻した。
カイが思っていたのとは、少し印象が違う。
「どうしたの?なんかアルベルトさんみたいになってるけど…」
「え、そ、そうですか?」
シェリアは自分が挙動不審であることに気づき、慌てて深呼吸する。
その様子はやっぱりアルベルトと似ている。
「落ち着いて。俺は別に人とって食ったりしないから」
「は、はい…」
憧れていた笑顔がすぐ傍にある。
それだけでシェリアは幸せだった。
「…あの、カイ少尉…」
「カイで良いよ」
「あ、じゃあ、えと、カイさん、あの…すみません。アタシのためにわざわざ…」
「いや、俺も訊きたいことあるし」
「き、訊きたい、こと?」
なんだろう、と思うと、心臓の鼓動が大きくなる。
必死で抑えようとしても抑えられない。
「シェリアちゃん、あのディアさんに抗議したって…」
「え、こ、抗議って…アタシ、そんな…」
自分はただ泣きそうになっていた子がいたから、やり方が理不尽じゃないかと思っただけだ。
抗議といってもそれを言っただけで、話題にされるほどでは無いと思っていた。
しかし、目の前の人はこう言う。
「流石だなあって思ったよ。あの人にツッコめるのはせいぜい二人くらいだと思ってたから」
「…あ、ありがとう、ございます…」
少しだけ、気の強い自分が好きになれた。
「…あ、あの、一つお訊きしてよろしいですか?」
思い切って訊いてみよう。
好きな人はいますか?って。
「何?」
「あ、あの、カイさんは…」
『カイ・シーケンス少尉、至急事務室までおいでください』
「…あ、呼ばれた。ごめん、また今度で良いかな?」
絶妙なタイミングの呼び出しに、シェリアも黙って頷くしかなかった。
リアに軽く挨拶して休憩室を出て行くカイの後姿を、シェリアは呆然と見つめていた。
終業後、シェリアとシィレーネは寮へ戻って話していた。
「シェリーさん、残念だったね」
「…そうでもないよ」
「え、何で?」
機嫌が良さそうなシェリアに、シィレーネは首を傾げる。
シェリアは笑って答えた。
「少しでも話せたんだからそれでいいの。アタシは満足」
「シェリーさん…」
それなら良かった。幸せそうな友人の顔を見れただけでも、今回のことは良かったんだ。
シィレーネも笑った。
「シェリーさん、胸無いのに健気だね!」
「…うるさいよシィ」
乙女の戦いは、もう少しだけ続きそうです。
Fin