入隊したばかりで右も左も上下さえもわからない中、
「ちょっと、あんたナマイキじゃない?やる気あるの?」
「ムカつくんだよね、態度とか」
上司に絡まれた。
上司といっても相手は一等兵で、二個しか違わない。
自分を責めたてる言葉を半分聞き流して、シィレーネは俯いていた。
十三歳、入隊一週間。
表向き入隊理由、「人を守りたいから」。
本音、「死に近づけるから」。
しかし転機は訪れる。
「何やってるの?アンタたち」
妙に迫力のある声だった。
シィレーネは少しだけ顔を上げ、声の主を見る。
「だってシェリア、この子訓練真面目にやらないし…」
「先輩に対する態度もなってないっていうか〜」
「そんなことは訊いてない!それくらい言うのに集団じゃなきゃ言えないの!?」
「シェリアは知らないからそんなこと言えるんだよ。ホント態度悪いんだから!」
「ていうか何?シェリアってばいつから正義の味方ヅラするようになったわけ?」
「だよねぇ。いっつも一緒に愚痴ってるくせに」
批判が飛ぶ。彼女達の不満はシィレーネからそれて、シェリアと呼ばれた少女に向きを変えた。
呆然とするシィレーネに、シェリアは目が合った瞬間に目で合図した。
早く逃げなさい。そう言っているように見えた。
シィレーネは隙を見てそこから抜け出し、シェリアはそれを確認して、少し笑った。
「何よ、ニヤニヤして」
「あ、あの子逃げた!…シェリア、あんたの所為で」
「ヤキ入れられなかった、と?」
「何突っかかってんの?いい子ぶったり喧嘩売ったり、やな感じ」
「やな感じはどっちだよ。…大体アンタたち矛盾してるんだよね。
軍人はもともと正義の味方じゃないの?
それともアンタたち戦争支持派?嫌だねぇ、国民を危険に晒そうとして…」
怒りに任せて繰り出された平手を軽く受け止め、シェリアは余った方の手で相手にでこピンをくらわせる。
「いったぁ!何すんのよ!」
「こっちに平手くらわそうとして何すんのよは無いんじゃない?
そんな痛みより、さっきの子が感じた痛みのほうが大きいと思うなぁ」
じゃね、と片手を上げてその場から去るシェリアを、少女達は睨みつける。
しかしそれ以上は何もしようとしない。何もできない。
逆にこっちが返り討ちにあう事を知っているから。
シィレーネはそれを影からこっそり見ていて、感心した。
こんな人がいたなんて、知らなかった。
周りを見てこなかった所為か、全く知らなかった。
男勝りのシェリアと赤眼のシィレーネが出会ったのは、二年前の真夏だった。
シェリア・ライクアートはごく普通の少女だった。
十一歳で軍に入隊する前は道場に通って武術を会得し、そのおかげで入隊試験は好成績を修められた。
軍に入ったのは、幼い頃に店に入った強盗に人質にされたときに軍人に助けてもらったのがきっかけだ。
キリッとした女性軍人で、解放された自分に優しく語りかけてくれた。
自分もそんな人になりたい、と願った時、自然と軍人を志していた。
シィレーネ・モンテスキューはまるで対照的だった。
十二歳になるまで学校に通い、軍とはほとんど縁が無かった。
学校で言われる言葉は「赤眼の悪魔」や「おちこぼれ」。
親には「だめな子」と言われ、独りぼっちの少女時代をすごした。
彼女を救ってくれたのは刑務所職員の叔父で、彼だけはシィレーネを批判することなく話を聞いてくれた。
軍に入ったのも彼が言ったからだ。
「アンタ名前は?」
食堂で声をかけられ、シィレーネは戸惑った。
さっきの声だ。
「…シィレーネ・モンテスキュー」
「へぇ、じゃあシィだね。アタシはシェリア。シェリア・ライクアート伍長」
先ほど因縁をつけてきた彼女達よりも階級は上だった。
明るいオレンジの髪を揺らし、笑顔で手を伸ばしてくる。
「よろしく、シィ」
今まで一度も呼ばれたことの無い名を呼びながら。
「…同情なら話し掛けてくれなくてもいいです」
「そっか。確かに同情はムカツクね」
遠ざけようとしても、遠ざかろうとしない。
「ね、何で軍入ったの?」
それどころか、近付いてくる。
どうすれば独りになれるだろう。
独りの方が気楽だ。他人に気を使わなくてすむ。
それに、いつも独りだった。
「…死にたかったの」
「え?」
独りにさせてよ。これだけやれば私のこと嫌いになるでしょう?
「軍なら任務で死ねるから。…私、死にたいの」
私を嫌って。お願いだから。
何で赤眼なのかしら。
親は両方とも黒い目なのに。
シィレーネは今まで何度もこの言葉を聞いてきた。
赤い眼で生まれてきた自分を、親は忌み嫌った。
家に置いておきたくないから、親は自分を学校に入れたのだ。
きっとそうだと信じて疑わなかった。
学校でも嫌な言葉はついてまわった。
「赤眼は悪魔なんだぞ」
「シィレーネに近付いたら呪われるぞ!」
「勉強もできないし、バカも伝染るんじゃない?」
「やだぁ、コワーイ」
わかっていた。自分はずっと独りなんだ、と。
わからないはずは無かった。
正しいはずの親にもそう言われてきたんだから。
「君がシィレーネかい?」
笑顔で話し掛けてきた初めての人が、叔父だった。
父の弟、ケイアルス・モンテスキュー。
刑務所の職員をしているそうだ。
シィレーネは初めて、自分に向けられた笑顔を見た。
「おじさん、私が嫌じゃないの?」
「何で?」
「だって、パパもママも、みんなも…私の目が赤いから、嫌いなの。
頭も悪いから、私、できそこないなの」
そう言うと叔父は、シィレーネの頭を優しく撫でて言った。
「この世の中に、できそこないなんて無いんだよ」
暖かい手の平だった。
叔父の家は近い訳ではなく、けれども学校帰りに寄る事はできた。
仕事でいないときは叔父の助手が家に入れてくれた。
この助手も初めはシィレーネを良く思っていなかったが、考えが変わった。
シィレーネの笑顔は、そこらの子供と同じく可愛らしかった。
悪魔だなんて、誰にも言わせないほどに。
幸せな時は僅かで、大抵は罵声の中に生きる。
嫌がらせも続く。
当然のように降り注ぐ言葉があった。
「あんたなんか死ねばいいのに」
親からも言われる言葉があった。
「あんたみたいな子は家には要らなかったのに」
叔父は仕事でいない。
助手も忙しくて、相手をすることはできない。
独りぼっちなのは変わらない。
独りなら、いなくなっても、
誰も構いやしない。
死んだと思ったのに、手首に傷が残っただけで、
生きてしまった。
切れるものならなんでも使った。
何度も何度も切った。
何度も何度も死のうとした。
いつになっても死ねなかった。
「そんなに死にたいならさっさと死ねばいいじゃない」
この言葉に、従いたくても従えなかった。
「そんなに死にたいのかい、シィレーネ」
叔父の言葉に、シィレーネは頷いた。
「だって私要らないもの」
「君は要らなくなんかない」
「嘘!叔父さんになんかわかんないよ!
私は悪魔なの。疫病神なの。私がいるとみんな不幸になるの」
傍にナイフがあった。手に触れたとき、とっさに握って
手首に振り下ろそうとした。
「…放して、叔父さん」
「シィレーネ、そんなに死にたいと思うなら軍に入りなさい」
ナイフは手ごと宙に浮いたまま。
耳に入ってくるのは、意外な言葉。
「…軍?」
「そう、軍だ。…君には命をじっくり見つめることが必要だ。
どうしても死にたいんだったら、誰かを守りなさい。
それからでも遅くはないはずだよ」
誰かを守るなんて、馬鹿げている。
だけど、軍に入れば死ねるかもしれない。
誰かが殺してくれるかもしれない。
「…わかった?私の入隊理由」
目を伏せたまま、シィレーネはシェリアに語った。
シェリアは黙って聴いていた。真っ直ぐにシィレーネを見つめて。
「そっか…シィは死にたいんだ…」
何かを考えるように、口元に手を当てた。
「アタシさ、死にかけたことあるんだ」
「へぇ」
「強盗の人質にされて、もうちょっとで殺されるとこだったんだ。
…でも、女の人に助けてもらったんだよ…軍人の。
だからアタシは軍人を志した」
シェリアはそっと手を伸ばした。
シィレーネの手に、優しく触れた。
「その人はアタシを死なせなかった。だからアタシもアンタを死なせない。
軍でも毎年何人か亡くなってるみたいだけど、アタシはアンタをそのうちの一人にはしたくないんだ」
引っ込めることはできなかった。
「アタシ我侭なんだよ。だから、シィになんとしてでもアタシの友達になってもらうつもり。
本当の意味での友達って少ないんだ。だから…」
温かい手に、優しく束縛されていた。
「…だから、アタシを友達にしてください」
夏の陽射しよりも強くなくて、冬よりも冷たくない。
笑顔に負けた。
いや、笑顔のおかげで、これから勝てる気がした。
「だから言っただろう、君は要らなくなんかない。
君を必要としてる人は、すぐ傍にいるんだ」
夏の陽射し、周りの声。
訓練を終えて一息つく。
「シェリーさん、私たちが出会ってから今日で何年でしょーか!」
「あ、もうそんな時期?二年…になるのか」
あの日からシィレーネは変わった。
本当の自分を出せるようになったのか、それとも本当に性格自体変わってしまったのか。
シェリアも少し変わった。男勝りのシェリアはシィレーネに中和されてきているようだ。
「…多分さ、私生きたかったんだよ」
「何?今更」
「生きてて良かったなって」
「当然じゃん」
シィレーネとシェリアは、顔を見合わせて笑う。
きっとあの日から、互いに互いを救ってきた。
互いに互いを生かしてきた。
「…あ、カスケード大佐だっ!私ちょっと行ってくるね〜」
「こら、大佐今忙しいんだよ!リアさんがさっき大量の書類を運んでたし…」
「…あ、カイ少尉発見」
「え、どこっ?!」
「うそだよぉっ!じゃあねぇ、貧乳シェリーさん!」
「な…っ!コラぁ、バカシィ!」
強くなれるよ、これからもっと。
大きな花を咲かせる、向日葵みたいに。
Fin